渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

力技で上達する⇒上達しない ~本間利彦、真髄を語る~

2024年04月20日 | open

力技で上達する


世界一の人が言ってる。
これは「上達」に関する要諦
を話している。取り組み方に
ついて。

まさに正鵠を射る話。
つまり、我武者羅な猪突猛進
の一本調子の力技では上達は
しない。


別な話題だが、本間利彦氏は
ミャンマーに小学校を建てて
地元の子どもたちの教育環境
整備に貢献した。私財を投げ
うって。
レースとは別な話だが、そう
いう人。
勿論、売名行為などではない。
自分の事だけを考えている人は
そういう事はしない。

人を愛しているからやる。
「自分の事しか考えない奴は

自分をも滅ぼす奴だ」(「七人
の侍」島田官兵衛の言葉)。
レースについても、レーシング
スポーツとそれをやる人たちを
愛しているから、いろんな事を
本間利彦氏は語る。
それゆえ、良くないものは良く
ないと言い、良いものを良いと
言う。ズバリと。
それが理解できていない人が
多い。
また、そうした理解できてい
ない人たちは、本間利彦は真
に世界一の能力を持つ稀有な
逸材であるという事を理解し
ていな
い。

だが、難しい問題もある。
本間氏の事を理解できない事
も、本間氏が語る内容が理解
できない事もそうなのだが、
人には理解できる能力がある
か否かという問題が常につき
とうからだ。
理解できない人は、まず理解
しようと脳を働かせない。
つまり、一生理解できる事は
訪れない。
これは本間氏に対しての件に
限らず、世の中の全ての事象
や存在についていえる事だ。
世の中には「解る人」とそう
ではない人たちがいる。
そして、「理解」ができない、
その能力を持たない人たちは
圧倒的に多数派なのだ。

今回の本間氏の話の内実は、

日本の伝統武術の道を極める
事にも通じる。
なぜ、日本には例えば剣術
だけでも数百派が存在したの
か。
それは、どんどん新たに新機
軸の術技を武芸者が自ら編み
出してきた歴史があるからだ。
固定的ではなく、流動的であり、
しかもそれは発展性を常に伴っ
ていた。
だからこそ数えきれない技法
と流派が生まれて、活き活き
とした隆盛をみた。
武士がいた時代の武術は生死に
かかわるので、技法の優劣は
まさに文字通り死活問題だった。
下手を踏むと自分がすぐに死ぬ
のだから。これは戦法において
も然り。戦闘は戦技と作戦の
二つから構成されるが、固定

固着観念のままでいるとま

負ける。イコール死だ。

ロードレースも命がけである。
下手踏むと簡単に死ぬ。
日本武術がどうしてあのような
技法と流派が多岐に亘るという
歴史的特徴を帯びたのか、今回

の本間氏の話はまさにそれに通
じるも
のがある。

本間氏が我が一族の一員として、
建暦3年(1213)5月3日に3000騎
を引き連れて鎌倉由比ヶ浜に
駆け付けた時のような、極めて
重要な士魂の在りか、在り様に
ついて垣間見た思いがする。




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