
高校の時大雪が降った。銀世界。
たまたま国立校の寮から帰宅した
従兄弟と興味本位で90のバイク
に乗ってみようぜとなった。
家の前の私道にエンジンかけて
乗り出した時、発進から2秒で
転んだ。ポテチン、みたいに。
雪の絨毯にはディズニーのアニ
メのように人型の凹みができた。
どひゃひゃひゃ!と笑いながら
従兄弟が乗り出してみたら、全
く同じ結果だった。
二人して大笑いしながら、やめ
だやめだと家に入ってこたつに
入って蜜柑食う事にした。
雪の中、バイクは走れない。
クローズドコースではレースと
かもあるようだが。

スパイクタイヤが基本。
だが、公道では装着禁止。

これは、私も仕事で関与したが、
山根さんという幕臣の末裔の弁
護士が長い裁判闘争で日本での
スパイクタイヤ全廃を勝ち取っ
た。大昔のお上の側の子孫は国
民の為に粉骨で動いていた。
国民に健康被害を及ぼす粉塵
災害というのは著しいものが
あったからだ。
裁判ではスパイクによるダスト
を透明ビニール袋に集めて、裁
判官に「これ吸ってみろ」と
山根さんはやった。
そのやり方を後年まるパクリし
て都知事時代の石原慎太郎がや
って、粉塵被害の実態を訴えて
都内からの大型貨物締め出しを
やった。
趣向は違うが、スパイクタイヤ
が及ぼす粉塵災害はとんでもな
いものが事実あった。
1980年代に出張で私が青森地
裁まで日帰りをしたら、市内が
けぶっていて前が見えない。
全てアスファルトの粉が一面に
舞っているのだった。鼻の中は
まっ黒。1960年代の川崎や四日
市の空気みたいだった。
あれ、確実に公害だ。いくない。
昔の日本てのはひどかったのよ。
環境庁なんて無いんだから。
そして、工場は規制なし煤煙を
空に撒き散らし、それが降って
くる。
光化学スモッグ警報が出たら
空襲警報のように学童は避難
していた。
工場は、また未処理有害物は
川に垂れ流し。
原発の核廃棄物などはよその
南国海域に行ってポイ捨てし
ていた。それが日本だった。
そら健康を害するだけでなく、
水俣のように水銀汚染で国民
に甚大な被害も出る。新生児
用ミルクにヒ素まで入ってい
て、取り返しのつかない障が
い児が大量に出た。
それと、薬害がひどかった。
失明する薬を平気で厚生省と
製薬会社が癒着して認可して
ばら撒いたりしてたから。
そうした公害裁判、薬害裁判
を広く手がけた弁護士集団が
運営する法律事務所に私は長
年パラリーガルとして勤務し
た。
社会の闇がいつも目の前にあ
った。