ヤマハ YDS1(1959年)
YDS1。1959年登場。
発売価格は185,000円だった。
1959年の大卒初任給(公務員)
は10,200円、高卒は6,700円だ
った。
ちなみに2023年は大卒218,324
円、高卒179,680円だ。
単純給与比較では、1959年当
時のYDS1の185,000円は現代
(2024)では大卒ベースで約400
万円以上となる。
高卒初任給ベースではさらに
高くなる。
1959年当時に100万円した四
輪車は、現代(2024)価格だと
高卒ベースで比較26.8倍とす
ると2,680万円となる。
高度経済成長期初期の1950年
代は、日本国民は四輪車など
は本当に富裕層しか持てない
時代だった、車が1台今の数千
万円程した、と言ったら俄か
に信じない人たちも今の時代
にはいるようだが、それはあ
まりにも母国の歴史を知らな
すぎる。
物価指数だけでの計算ではな
く、生活水準等も考慮すると、
1950年代に乗用車を私用で乗
っている層などは映画の中の
世界だけ、超金持ちの富裕層
のみの特権だった事であるの
が一般的な歴史事実の国内事
情だったのだ。日本人が自由
に海外に行かれず、国の許可
と預金残高証明が無いと海外
渡航できなかった1960年代末
期までの日本は。
四輪車ではない二輪車である
ヤマハYDS1にしても、現在価
格に初任給換算すると、1台
400万円(大卒ベース計算)以
上に相当する。
一般家庭の大学生などは逆立
ちしても購入できない。
今でいう400~500万円台の四
輪車を趣味で買うようなもの
だからだ。
1950年代の日本は、いかに
「車」が高額だった時代か理
解できよう。
だが、所得倍増計画によって
どんどん日を追うごとに日本
人の生活レベルは向上した。
その中を私も生きてきたが、
実にめぐるましかった。
高度経済成長の頂点時期に来
た時、敗戦国焼け野原だった
日本は世界第二位の経済大国
になっていた。1970年時点で
そうだった。
日本の敗戦で国土が焦土とな
った焼け跡に国民がバラック
住まいをしていたどん底から
の奇跡のようなV字発展は、
教育の整備と産業の発達、モ
ーターリゼーションの発展を
抜きにしては成立しなかった。
そして、建設や運輸、港湾労
働者、全国の金属労働者たち
の死に物狂いの頑張りが土台
を支えていた。
ビルと道路と港を作った人た
ちが日本の経済復興をもたら
した。
自動車産業では、工業立国化
の要として国産の二輪車と四
輪車が日本の戦後復興から経
済大国への発展を支えたとい
っても過言ではない。
バイクと四輪、そして各種産
業用自動車。鉄鋼・造船・自
動車産業、重化学工業と加工
業。
日本の成長の背骨はそれだっ
た。
今、日本のそれは世界規模で
大きく崩れようとしている。
生まれて初めてオートバイに
跨らせてもらったのが2歳に
なる年、ヤマハYDS1だった。
タンクの上に跨った。
目の前に水道の蛇口のような
物があったので、そこを両手
で掴んだら、叔祖父から「そ
こを持ったらいけん」と言わ
れて両手を掴まれて、「ここ
持て」とハンドルの根元を持
たされそうになった。
するとどうにも持ちにくい。
「じゃったらここ持て」と
ミラー(片方しかない)の付
け根とハンドル接合部分を両
手で持たされた。
「まあ、これで大丈夫じゃろ。
力いれなよ(入れるなよ)」
と。
会話と状況の情景は克明に覚
えている。声も覚えている。
しばし叔祖父は思案している
風だったが、それはハンドル
に幼児が外圧をかけないかど
うか逡巡しているのだったの
だろう。
母がちょっと母屋に入ってい
る隙に叔祖父は私を乗せて走
り出した。
私は目ん玉ひんむいて前を見
た。
生まれて初めての体感速度に
ぶったまげた。2歳になる年
の事だ。
私の記憶では様子の記憶が克
明なので3歳か4歳と思ってい
たが(年齢感覚は当時無かっ
た)、後年に母に私から言い
出した時に確認したら、それ
は私が2歳になる年の1962年
の事だった。つまり1才児の
記憶。
「よく覚えているね」と母は
驚いていたが、それほど鮮明
にまるで映像のように脳裏に
刻まれている。
YDS1に乗って走っている最中
は笑いがこみ上げて来てとま
らなかった。
バイクが止まってエンジンを
切ると悲しくて泣きだした。
エンジンをまたかけるとケラ
ケラ笑いながら大喜びだ。
淑祖父は「おかしな子じゃ
のぅ。ほれ見てみい」と周囲
に言いながら私をタンクの上
に乗せたままエンジンをかけ
たり切ったりしてみた。キッ
クで。
音は後年の20年後にRZ350に
自分で乗った時、音質が非常
に似ていると感じた。
空冷と水冷の違いがあるのに、
ドルルルという少しこもる音
の質が似ているように感じた。
モーターサイクルとの出会い。
アラビアのロレンスが言った
「スピードの中で精神は肉体
を超越する」事はまだ知らな
かった。
それでもどうにか、今でもか
ろうじて生きている。モータ
ーサイクルと共に生きている。
まるで雁が初めて観た物を親
と思い込むのに似て。
アラビアのロレンスの言葉が
持つ意味。
たとえほんの30km/hであろう
ともその箴言の本当の意味が
理解できるようになったのは、
少年期を越えて、青年期を遥
かに過ぎてからだった。
ヤマハYDS1(ヤマハ広報)