渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

着崩れしない袴のはき方(2016年記事再掲)

2022年03月06日 | open

全公開は避けるが、私は一部に特殊
な着用法を用いて袴を着用している。

私の袴の着付け方だと、少なくとも
私は着崩れしない。


一部公開する。これは知っている人
は誰もがやっていることだからだ。
ただし、私のオリジナル部分は非
公開。


まず、帯は私は稽古では逆神田に
結ぶ。これは私式だ。
神田の逆だから松田とでも名付け
るか。いや蒲池か(笑
稽古用では幅が狭い化繊の二寸三分
帯にしている。



こちらは絹の角帯、博多献上を一文字
巻きしたときの画像。
紋付の演武などの時にはこのように
正絹角帯で一文字に箱結びに縞帯を
結ぶ。「稽古着」で「晴れ」の場で
演武するというのは失礼にあたると
私は考えている。「ハレ」と「ケ」
については厳格に意識する必要が
日本人ならばあると私個人は考えて
いる。


前紐を後でバッテンにして結ぶのも
一般と同じ。
その後は、こうやって、袴の後紐を
一旦袴の前紐の最上部に通して袴板
の位置をギチッとキメちゃう。
献上模様の帯には上下があるが、こ
の帯は作り込みによる刀の据わりを
考えて上下はこの向きにしている。


これは実は私が習った頃の剣道の
袴のはき方で、私は大昔からこれ
にしていた。


撮影の為片手だが、両手でピンピン
と引っ張ってテンション掛けて袴板
をバシッと帯の結びより上方に乗せ
て背中に密着させる。たとえ稽古着
の袴だろうと、帯を締めているのだ
から、袴板の下は小さな太鼓状にな
るように着る。これは絹製帯と絹製
袴の場合さらに登城着装のように
シャキッと太鼓ができる。袴板から
真下にデレンと袴が下がるようには
稽古時でもしない。


太鼓とはこのような袴の後ろの状態。
これが武家の袴のつけかた。
そして、殿中小さ刀は大刀の代わり
なのでまっすぐに閂に差す。
厳密にいうと、やや閂ぎみの鶺鴒差し。


鶺鴒差しとはこれ。武家の登城時
の礼装での刀(小さ刀=大刀の代
わり)の差し方。落とし差しと
完全閂差しの中間よりもやや閂
ぎみの角度。

セキレイ






セキレイを観察すればすぐに判る
が、尾は45度ではない。
やや閂(地面と水平)ぎみの斜め
の角度である。
「鶺鴒差し」と呼ばれるからには、
45度ではなく、鶺鴒の尾の角度で
あることに言われの所以がある。
鶺鴒は地面や岩場に着地して尾を
クイックイッと上げる。それが鶺鴒
の特徴であり、その様子を採った
正眼は鶺鴒の構えなどと云われたり
している。
鶺鴒を実際に観察すれば即断でき
るが、これが鶺鴒の特徴であり、
突起場所に飛来して尾を下げた
鶺鴒は他の鳥と同じ45度角度と
なるので、あえて鶺鴒差しと呼ぶ
ことは惹起されない。45度角度に
なるならば、オナガや鷹でもよい
のであり、鶺鴒差しが鶺鴒と呼ば
れるのには、鶺鴒たる特徴の写し
という行為があるからだ。
それをきちんと知悉していないと、
誤った方式を思い込みで誤伝拡散
することになるので厳重注意が必
要だ。
尾を45度に傾けられるイレギュラー
な鶺鴒の着地状態を引用して鶺鴒
差しについて説明するのは明らか
な誤謬である。

ここから先が私の(というか私が
通った道場の)オリジナルの方法
で袴紐がずれないように特殊な方法
で締めるのだが、それは非公開。

あとは一般着付けと同じく、東京
豊島岡女子高の制服の通称「コロ
ッケ」のような状態を作る。




できあがり。角帯の真下にコロッケ
を作った。武家礼法の正式は十文字。


なお、袴紐の前紐と後紐は、現在
は後紐を前紐の下にくぐらせる
方式が正式かのように着付ける
ことが一部で見られるが、江戸期
の武士の古写真を観察しても、
上部に後紐がくるのが幕藩時代の
正式な結び方と思われる。


鍋島家の裃


刀を閂ぎみの鶺鴒に差すとこうなる。
袴紐の一番下段は刀の下になる。
(コロッケは正規の位置にした)

鶺鴒差し。水流しとも呼ぶ。

二本差しの時にはこんな感じを
お手本に。大刀は「前半」に。
そして、これはコロッケを作ら
ないいわゆる剣道のように袴紐の
端を絡めるやり方。袴は「後上
がり前下がり」にはく。


脇差は切り合いの際には落とし
差しにするが、通常は閂に差す。
これは幕臣旗本の外国人要人警固
部隊。当時のSPだな。脇差は閂に
差している。垢ぬけた絽の羽織を
着ているので夏ですね。
後ろ右側は齋藤大之進殿ではなか
ろうか。


脇差とダブル閂だとこんな感じ。
幕臣系に多い。


ダブル閂差しの前差しバージョン。


袴は後ろ下がりには絶対にはかない
のは一般和服の着付けと同じだ。
私も右横の先輩もここでの刀の差し
方は鶺鴒差しの前半(1992年於鎌倉)。


ということで、私の着付けではこう
なります。


土佐居合では落とし差しはダメ。
父方実家庭にてハタチの時の私(笑


私は刀術の師匠から刀の差し方を

習ったが、私の師匠の先祖は福岡
藩黒田家の家老だった。師匠は
福岡藩伝新陰流の目録を允可され
ていた。黒田藩新陰流は「落とし
差し」に刀を差す。それにはその
藩なりの歴史的な理がある。
その師匠がやって見せて教え残し
た「落とし差し」とはこの角度で
ある。
これは鶺鴒差しとは呼ばない。
武士の系譜の剣技を嗜むならば、
知っていて然るべき武家文化の
一つであろうと思われる


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