各世代に「〜世代」という世代
呼称があるが、これは一般的に
マスコミ等によりネーミングさ
れたものだ。
だが、一つだけ、国家事業として
政策を背景にしたものがある。
それが「ゆとり世代」だ。
ゆとり教育が実施された期間に
義務教育を受けた国民の世代を
そう呼ぶ。
凡そ1983年〜1995年生まれの
世代。
文科省トップと時の官房長官が
「ゆとり教育は失敗だった」と
言う程のとんでもない結果を
生んでしまった。
教育機関におけるやり方だけで
なく、そのゆとり教育期間に
義務教育を受けた子どもたちの
親がまた出鱈目団塊世代とその
やや下の世代で、その影響も
極めて強い。
要するに「躾一切無し」の子ども
たちを大量に生産してしまった。
躾無視の親から躾ありの子など
育たない。
学校教育でそれを助長したのが
ゆとり教育だった。
その中で育った子どもたちは、
義務を果たさず権利のみ主張す
る。法治社会は義務と権利の
連鎖である事を脳で解する事が
できない。
人の痛みも一切理解できない。
ゆとり世代により陰湿ないじめ
も横行しはじめた。
プライドだけは高く、勘違いの
自己評価をする。
就職しても、適正能力評価を
不満に思い、自分の能力はこの
会社では活かせない、とか感じ
る。ろくな仕事もこなせないの
に。
決められた業務と任務を相互
確認の上実行する事を約した
のに、それが未達成だと「僕
なりに一生懸命にやってるん
です」と言う。懸命かどうかは
関係ない。相互確認で決めた事
を実行しろなのだが、それをや
らずに文句だけ言う。
そして、職務上の指摘をすると
パワハラだと騒ぎ出す。
社内や生産拠点で顧客の来客が
あった際に、すれ違っても挨拶
さえしない。
人事部の上司が「挨拶はするよう
に」と注意するとパワハラだと
また騒ぎ出す。
そして、職務上の各注意を幹部が
為すと、会社を辞めてしまう。
「この会社は自分にはふさわしく
ない」と。「自分の能力はここ
では活かせない」と。
「おれ、ツェエエエー」なのだ。
中2病の代表選手がもろにゆとり
世代で合致する。
これ、一部特殊な身近な例ではな
く、ゆとり世代は全国的にこんな
感じである社会事実を知って、
驚愕以外の何ものでもない。
そして、ゆとり世代はSNS、匿名
裏ネット掲示板が大好きだ。
匿名の陰に隠れてコソコソして
他人を誹謗中傷したり侮辱したり
名誉毀損したりの犯罪行為を行な
う犯罪者の世代層とレイシストの
ネトウヨはゆとり世代が中心と
なっている。
教育体制と政策はその子たちのせ
いではないが、自己世代に疑問
を呈する事さえなく、自身に刃
を向けて何か自戒したり自省す
る事は一切しない。皆無だ。
世の中のすべての事は自分以外の
人のせい、だと心底から思い込ん
でいる。悪いのはすべて自分以外
の他人のせいだ、と。
これはかなり恐ろしい人間が形成
されている。
世界史的に見ても稀有であり、
海外の学術機関でも研究されて
いる。ゆとり世代中2病の特異
的な精神構造と成立過程が。
極めて歪んだ欠陥人間が大量に
産出された事実があるからだ。
現在の年齢40あたりから25才
あたりまでの日本人たち。
そして、ゆとり世代は判で押し
たように同じ精神質性を見せる
のだが、総じて人の痛みは理解
できない。
人に何かのっぴきならない事態
が生じていても他人事だ。
これは、親族や親しい友人が
そうした状態でも他人事なのだ。
包容力も皆無なので、すぐに
「仲の良かった」とする友人と
もパッと縁を切る傾向を見せる。
そうした特徴が広範に共通特徴
として見られる。
自分を見つめる事はしないので、
そのような世代層としての特徴
が顕著であっても、それを何と
か改善しようともしない。
はあ?なんが悪いん?という
特徴的質性で傲慢、傲岸不遜を
貫き通す。
日本は恐ろしい人類を作り出し
てしまったものだ。
私は世間では「新人類世代」と
呼ばれた世代で、バリ伝グン
ちゃん同世代だ。
だが、団塊世代や新人類世代は
世相評価的なキャッチネーミン
グだ。
国家政策として実行された教育
政策世代を指すのはゆとり世代
だけである。
而して、ゆとり世代は全人類史
的に異様で異常事態となる人間
になってしまう事を歴史的事実
として自分らで証明している。
氏より育ちである。
親の躾、学校教育如何で人間の
思考質性や社会意識は形成され
てしまう。
教育、育成とは恐ろしいものだ。
一つ確実に言えるのは、ゆとり
世代には礼儀作法も社会常識も
存在しない。
彼らの無軌道が「常識」となる
時代がそろそろ来ている。
もう中年になり、国の基幹産業
や政治や教育で重要な位置を占
める時代に入ったからだ。
国力異常に衰えてるでしょ?
今の日本。
生産物も異様にダメ物ばかりに
なってきた。
それは、じじいやばばあたちの
せいではないですよ。