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渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

屋台

2023年09月01日 | open



横浜の屋台は2016年までに全て
撤去処置となった。
埼玉県大宮駅の線路横にずらり

とあった屋台も同。
本当に芯からつまらない世の中
になったものだ。

博多は今も健在のようだ。






ただ、博多は観光の一環としての
行政措置の取り組みがあるので
かろうじて残存しているが、横浜
や大宮の場合、市民の憩いの日常
的な場として存在していたところ、
道路占有の違法性を盾に一斉撤去
措置が断行された。
戦後から何十年もやって来たのに。
なぜ2010年代にそうしたことが
為されたのか。
2010年代には、1999年から開始さ
れた日本全国で平成の行政区割り
の大合併敢行が完了した。
かなり無理押しの行政措置だ。
極端な例では長野県の一部が岐阜
県になったりもした。
そうした区割りを日本全国津々浦々
まで国と地方自治体市町村が行なっ
た。
なんの目的だったのか。

実は1990年代末あたりからじわ
じわと「実効力」を以て進めら
れていた「日本改変」の一環と
してそれは存在している。
目指すは「統合」である。
国民の意識もそれに向けて操作
されつつある。
全員が同じ色のみを志向して、
全員が同じ考えを持ち、それ以外
は認めない、という為の国造りと
して。外れた者は、犯罪者である
かのように吊るし上げて。
今、洗脳された国民たちは、そう
した自主警察嗜好で躍起になって
いる。
それを象徴する民の時代的指向性
は、やたら「摘発」を喜ぶ曝し上
げ動画が巷に溢れ返っている事に
も看て取れる。
国の民は駄民に成り下がってし
まっている。
だが、それは権力者サイドから
したら狙い通りだろう。
国民などは物を考えない馬鹿で
あればある程よい。
彼らが守りたいのは国民では
なく、国家であるから。

本日9月1日は「防災の日」だが、
これが設定された年あたりから
国家の目指す狙いは着々と実行
に移されるようになった。もう
63年も前になる。
だが、「戦後」が終わったその
時代、新たな「戦前」が開始さ
れた。
63年前の1960年は、日本がそう
した方向性に舵を切った年だった。
防災の日が9月1日に決定された
のは、関東大震災を想起しての
事だ。閣議決定で為政者が一方的
に決めた。
極めて欺瞞的な決定事項だ。
関東大震災の時に、在日朝鮮人
や在日中国人を日本人が虐殺し
た事への反省などは微塵も無く。


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