
私のバック社モデル505ナイト
1980年代中期〜1995年まで、
銃刀法に違反しない刃長の小型
ナイフを常に携帯していた。
デスクナイフとしてレターオー
プナーとして使ったりするから
だ。
厳密には銃刀法には違反せずと
も軽犯罪法には違反する。
だが、世の中、文房具としての
ナイフを持っていて検挙される
例は無かった。
赤坂、新宿で警察官に職質され
ても、文房具と見做されて、何
らお咎めも検挙も無い。
そういう時代だった。
だが、95年オウム一斉検挙以降
は当局の取締方針が一変した。
文房具のカッター所持を銃刀法
違反で検挙し始めたのだ。
世相が変わったので、常時ナイフ
携帯を私はやめた。
紳士服の背広の上着のポケットの
中のポケットは小銭入れの為に
あるのではない。
あれは、英国紳士が小型ナイフ
を常に持つ為にある。
それで、ご婦人にケーキを切って
差し上げたりするのだ。
汚れ物は切らない。
その小型ナイフを入れる為にあの
ポケットは元来機能していた。
今の日本では、それは法的に実行
できなくなった。
昔、ある会合で、昨年高齢で亡く
なった私の刀術同期の先輩が、
お茶受けを切る場面で、スーツ
上着のポケットからガーバーの
小型ナイフをさりげなく出して
切った。
私はニヤリとなった。
先輩曰く、それはごく当たり前の
事だ、と言う。
尚更嬉しくなった。
ある仲間内での会合で、ツマミを
ナイフで切らないとパッケージが
開けられないシーンがあった。
後輩が困惑している。
すると、同僚が「こいつ(私の事)
に出してもらえ。絶対にナイフを
持ってるから」と言う。
私は汚れ物は切らない肥後守を
出した。
するとそれを使った後輩は、「何
これ?気持ち悪い程切れる。それ
になんでこれこんなに刀みたいに
光ってるの?」と言う。
そうしたら、同僚剣士が「そりゃ、
おめえ、それはこいつのだから
だよ。決まってんじゃん」と言っ
た。
これは何だか嬉しかった。
職場での新年会の事。
会議室で事務所の役員と職員たち
が全員で朝から昼まで飲食する。
その時、やはりツマミの開封に
困っていた秘書がいた。
「ハサミ取って来ます」と言って
その女性が立ちあがろうとしたら、
横にいた年配上司が言った。
「待ちなさい。彼が持ってるから。
君、ナイフを貸してくれたまえ」
これもとても嬉しかった。
この時はビクトリノックスのミニ
ナイフを持っていた。
例によって汚れ物は切らない。
ある時、職場でレターを開封しよ
うとしたらナイフが無い。
あれ?落としたか?と思って、
やむなくデスクのカッターで開封
した。
暫くしたら、女性秘書の人が、
「これ、落ちてましたよ。貴方の
でしょう?」と笑顔と共に届けて
くれた。
ラコタのティールだった。
その日は常時愛用のバックのナイト
ではなく、全金属のティールを持っ
来たのだった。気分の問題で。
ネクタイを替えるようなもので。
秘書に尋ねると、図書室前の階段
に落ちているのを見つけた時、
「あ、これはあの人のだわ」と
思ったのだという。
この時も、なんだか嬉しかった。
ロングナイフの剣術使いではある
が、かつての武士がそうであった
ように、小柄小刀の如く、ナイフ
は常に身につけていたい。
だが、そうした事は叶わぬ時代
となってしまった。
私の子が国立小学校に通っている
時、授業で使う学校指定の彫刻刀
の刃先にガイドがつけられていて、
全く繊細な工作が不能である事を
見た時、「この国は終わった」と
感じた。
「やがてとめどもなく雪崩のよう
に凋落して行くだろう」とも。
そして間もなく、GDPは世界第二
位だったのに中国に抜かれ、また
学力も国際的にかなり下方に遷移
した。
今、世界の最頂点であり続けた
日本のオートバイは、その約半
世紀の絶対的不動の王者の位置
から音を立てて陥落した。
今、世界選手権MotoGPでは、
日本のオートバイでは勝てなく
なった。
世界チャンピオンまでもが転び
続ける危険な車しか作れなくな
ったからだ。
理由は明白。
日本人と日本の産業、モノヅクリ
が「人間不在」になったからだ。
心無き者たちが支配する国。
未来はお先真っ暗だ。
そして、それと連動しているが、
とても性格の悪い連中がウイルス
のように蔓延り出して大手を振る
ようになった。
今、この国は、まるで死亡フラグ
が燦然と掲揚されているようだ。
憂国烈士はいない。
いたとしても、じじいやババア
ばかりだ。
やけのやんぱちでBBA48とか、
GGI108でも作るしかない。
野坂昭如は死ぬ前の生前、「もう
じじいたちが老人決死隊とか作
らないと、この国はとんでもな
い事になる」と言っていた。
今、まさにそうなって来ている。