スズキBANDIT250・400
試乗インプレッション
本当に美しいオートバイだった。
この動画を見てすぐに判るだろう
が、一般公道で制限速度を大幅に
超えている。かなり(笑
検挙されたら一発12点加点ほどに。
だが、これが1980年代では普通
だった。道交法違反映像である
事などは誰でも分かっている。
しかし、雑誌社だけでなく、乗り
屋が峠のコーナー立ち上がりで
120km/hを超えるのなどはごく
普通だった。特に箱根芦ノ湖スカ
イラインや箱根ターンパイクは
高速コーナー揃いなのでそうな
っていた。旋回時でも120km/h旋
回などはごく普通。80~90km/h
旋回などはもうしょっちゅうだ。
時代は違ったのだ。
ちょっと速度超過しただけ、多少
センターを割っただけで鬼の首
獲ったようにヒステリーに騒ぐ
偏執者のような人間はいなかった。
警察にしても「目に余ると取り締
まるぞ」位なものだった。
そして、二輪事故は現在のほうが
圧倒的に多い。走行台数分母換算
では。
安全運転ヒステリー揃いのネット
警察ぶった良市民気取りの連中
だらけの現代のほうが圧倒的に
二輪事故が多い。
それは、そうしたヒステリー連中
含めて「オートバイに乗れない」
人間が激増したからだ。
この動画に映っているような二輪
の操縦操作は誰でもやっていたの
が1980年代だった。この動画の人
とレベルは違えどやる事は同じ。
基本操作はこれくらい乗れて当た
り前田のクラッカーだ。
私の妻でさえこの動画のような
パワーバンドを使う乗り方だった
し、きちんとブレーキングしなが
らブリッピングシフトダウンも
やっていた。中原街道や2国で
90km/h出すのは出し過ぎかと
私でさえ思ったが。
だが、立ちゴケはゼロ。転倒も
ゼロだった。信号停止ではつま先
立ちでバイクを支えていた。親指
の付け根さえ路面に着かない。完
全につま先のみが接地。身長は私
より20センチ低い。ちょこみさん
やアッキーよりも低い。
この動画は雑誌社の販売ビデオで
あるライドオンでの映像だ。
また、新車の試乗テストも公道の
ワインディングが使われるのは
常で、これは四輪車も同様だった。
撮影場所は箱根芦ノ湖スカイライン
がとても多かったが、このような
某海岸線もたまに使用された。
今では雑誌社でも絶対に不可能な
撮影だろう。
この動画は、最後まで観なくとも、
最初の走りですぐに宮崎敬一郎氏
と私は判った。
ヤマハからある400モデルが出た
ばかりの時、彼がテストしている
場に朝の箱根乙女道路で遭遇した。
下りでわざとウイリーさせたり
していた。私より年上の国際A級
だったが、乗り方に特徴がある
のですぐに彼だと判った。
私らがエリアで一服していたら
何度も上り下りしていた。
走行速度はローリング族とはまる
で別物の次元の全く違う走り。
コースライダーだね、と判る走り
方だ。
その彼の峠の走りの様子は映画
『キリン』で隼を箱根スカイラ
インで走らせている姿に収まっ
ている。あれと全く同じ走法を
1980年代前半末期のある朝、箱
根でやっていた。
当時からイケメンだった。私より
歳上とはいえまだ歳は若かった
が、風貌は貞本義之の漫画作品
『18Rの鷹』に出て来た湘南の
バイク屋のおやじさん(実は峠
のキングだった)にとても似て
いた。
なんだかなぁと思うのが、散々
峠での膝擦り伝授とかの企画を
やっていた当時のライターが
今まるで安全運転遵法走行の
伝道師みたいな顔しておため
ごかしを雑誌やネットで語って
いる。
おまいさん、過去にどんな事を
広めていたのよ、と思う。
それで自称「モータージャーナ
リスト」なのだから呆れる。
ジャーナリストならば一度でも
権力や社会ファシズム風潮に
牙をむいてみろ、と言いたい。
なお、新型カタナが出た時、
「カタナという名前にしなく
てもよかったのでは」と書いて
含みの不満を述べたのは宮崎
敬一郎ただ一人しかいなかった。
あとは二輪ライターは軒並み
まるで御用学者のようにメー
カーの提灯持ちのおべんちゃら
売文書きに終始していた。