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渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

セブンティーンの湘南 〜時代を超えて受け継ぐもの〜

2023年07月19日 | open
 


セブンティーンの湘南。
叔父から貰った叔父が1950年代
に着ていたダブルライダースの
革ジャンを来ている。
うちの家系、親族はとても二輪
乗りが多く、戦後間もない頃か
ら二輪に親しむ親戚が多かった。
今も私と同世代のイトコ連中は
二輪乗りだらけだ。その子ども
たちまでも。
私もオートバイに乗る事を父か
らも母からも反対された事は
一度も無い。危険だからやめろ
とか。「安全に走れ」しか言わ
れなかった。
もう二度と歩けないかも、と
いう九死に一生を得た事故の
時も、広島から横浜の病院に
両親はかわるがわる見舞いに
来てくれたが、その時も、もう
オートバイはやめろ、など
は決して言われなかった。
父は「本人の意思だ」と常に
言っていた。
ならぬ事はならぬを強いられ
家系で、6才の時から正座
して
論語の素読をさせられ
家だっ
たが、二輪と剣の修
行について
はどんどんやれ、
という教育
方針の家だった。
それどころか、東京から広島
に転住した母も友人とミニ
バイクで弁当持って島めぐり
をするツーリングを楽しんで
いたりした。
 
叔父から貰った50s革ジャンは
70sのハイティーン時代に私は
愛用の一着だった。
革ジャンは小学生の時から好き
で着ていた。外リンクのスケート
も革ジャン愛用。理由は防
寒で
はなく、転倒時の怪我防止
だ。
高校時代は中学の時の物がまだ
着れたので合計4着の革ジャンを
シーンによって使い分けて着
いた。
 
叔父から貰ったダブルライダース
は、その後かみさんがオートバイ
に乗る時に愛用してた。
あいつ真夏でも革ジャン着てた
が、考えたら昔はみんなそうだ
った。
真夏でも、意外や意外、直射日光
を弾くので革ジャンは暑くない。
ただ、中の空気は加熱するので
前を開けて走行風を取り入れる。
すると夏でも革ジャンで快適だ。
 
かみさんが着るとブカブカだっ
たが、両横に赤染めのスリット
があって、そこを閉じれば狭く
なる仕様だった。
なかなかカッチョよかった。
今、あまりこの作りは見ない。

1981年、軽井沢。
 
モーターサイクルはとてもいい。
これは、乗る人にしか解らない。
オートバイに乗る人と乗らない
人では、その見ている世界観が
まるで別物だ。
それは本当なので、世の中には
二種類の人間がいる、オートバイ
に乗る奴と乗らない奴だ、とい
う昔からの定理が語られるのだ
ろう。
モーターサイクルは良い。
そして、残し伝える何かを親から
子へ、さらに次世代に、という
コアがオートバイにはある。
乗り手が自分で操作しないと、
二輪は立つ事さえもできない。
乗り手も心身の独り立ちが絶対
必要になる。心も身体も
独り
で立ち上がらないと二輪
には
乗れない。人頼り、人任せ
生き方では二輪乗りは成立し
ない。
倒れたら自分の力で自分一人で
起こす。たとえ300kgの二輪で
あろうと。
倒れても、膝をついても、自分
の力で立ち上がる。
自分で道を切り拓く。
それがオートバイだ。
オートバイ=モーターサイクル
は、良い。
人にとって大切な事を教えて
くれる。
そして、前に進む。後ろは振り
返って確認するが、あと戻りは
しない乗り物。前進する存在。
オートバイ乗りは、リスキーな
事を選んででも新しい世界に
もうとする現代では稀有な
新規
探索性というものを遺伝
に色濃く持つ生物だ。
それは、人類の原点に回帰する
我々ヒトの血でもある。
オートバイは、良い。
人をヒトとして目覚めさせる。


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