渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

鉄穴(かんな)流し ~古代製鉄と近世製鉄~

2024年10月04日 | open



「たたら製鉄」と「鉄穴流し」
による産地の荒廃と土砂災害


明治生まれの中国地区の私の
先祖筋の教育
者は、鉄穴流し
の事を「かんなが
し」と呼ん
でいた。方言だろう
か。
また、日本刀の刃文(はもん)
の事を「はばみ」と呼んでい
た。
これも方言もしくは古語だろ
う。
それは1973年1月に家伝の備
長船祐定の大脇差を見せな
がら
日本刀の説明を私にして
くれた
時に言っていた。
戦前に兜山古墳を古墳として
見した人だった。ある学校
の校長を長年やっていた。
その人の末裔の私と同世代の

者は国大附属の副校長をやっ
ていたが、児童教育にのみ
興味を示し、話をしても日本
史のうちの古代史には全く興
味は持っていないようで、日
本刀や製鉄の話はできない。
血脈関係からはタイムカプセ

ルのように口伝にて遠い過去
の歴史の一端を「民間伝承」
という形であったとしても知
る事ができるのに、私からし
たらもったいない気がする。
だが、その事は、日本の学術

界の中に今でも存在する文献
史学と考古学と民俗学の融合
の不存在=全てバラバラで別
々に各分野の特化研究だけし
ている=という学術権威主義
的縄張り意識の反映との解釈
もできる。
学域のジャンルを超えて各分

野が相互に学術交流をしたな
らば、日本の学術研究、特に
歴史的研究はずっとスムーズ
に一挙的な進歩をすると思わ
れるのだが、どうにも残念だ。
学者先生たちは自分がやる
分野の学問しか興味を持って
いないし、教育者においてさ
えそうだ。
いくらネジを巧く回せる人が
いたとしても、それは名整備
士ではないんだよね。
そこらあたりが解ってない模
様。

古代製鉄と近世製鉄における
環境破壊の問題は歴然とした
差がある。
それは古代期の製鉄では土砂
堆積がさほど見られないが、
中世末期から近世に入ってか
らの砂鉄製鉄による河川流域
への土砂の堆積は尋常ではな
い現象が見られる事で示され
ている。
上掲図(「日本産業史体系7 
中国山脈の鉄」)においては
広島県域は北部山岳地帯しか
江戸期鉄山業者がいないよう
な配置エリアになっている。
だが、中世末期まではさらに
南部分の安芸国大山付近あた
りは産鉄業の遺跡が数えきれ
ない程存在している。
また、中世末期からの現三原
湾の土砂堆積並びに広島の土
砂体積は異様な程急激に現出
している。
これは瀬戸内海に注ぐ河川上
流部の山岳地帯において、何
らかの「工事」が行われた事
を暗示している。
それはまさしく、近世~近代
前夜にかけて操業された鉄穴
流しによる土砂流出の結果で
あるだろう。
中国地方で棚田は多く見られ
るが、そうした風景に出会っ
たならば、まずその上流域で
は製鉄操業が行われていたと
考えて間違いない。

そして、日本刀業界などでは
古代から中世末期までの製鉄
方法と近世以降の製鉄方法が
区別されずに語られる事があ
まりにも多い。
だが、それはそれによって造
られた鉄製品、とりわけその
代表たる日本刀において、明
らかに両者では鉄質が異なる
事が看取できるので、古代~
中世末期までの製鉄方式と近
世以降では鉄の作り方そのも
のが異なる事の証左であろう。
マサ=ケラ押しかアコメ=ズ
ク押しかの違いというものな
どではない、製造方法そのも
のが異なるのは明らかだ。
たたら製鉄とたたら吹き製鉄
の区別もあまり日本刀界では
識別認識されていないという
残念な現状がある。
さらには、江戸時代末期の
復刻技法を指して「日本古来
からの日本刀の製造法」と
規定している誤謬を日本刀界
は犯しているのだから、真の
歴史解明や日本刀の分析所見
などは進む筈も無い。
大型送風機を備えた高殿を設
えた
巨大施設による製鉄方法
が古代からあったという証明
などはどこにも無いし、造ら
れた鉄自体が全く日本刀の
古刀期と新刀期(慶長以降)
では異なる。
異なる現実残存物が目の前に
あるのに、資料にも遺跡にも
発見されていない「無い物」
をあったとして固定的に断定
拡散させる姿勢は、それは
科学的根拠を欠いた夢想論
でしかなく、まったくアカデ
ミックな思考方法ではない。
だが、残念ながら日本刀業界
では今でもそうしたスタンス
に拘泥しているのである。
極めて残念。
そうした傾向性はある特定の
「権威」を前面に出す勢力が
それを遂行している。
真理を探究する学術的な立場
とはいえない。
意固地になり思考が止まる。

日本刀についての学域的な解
明も停滞
する。
とても残念だ。

上掲リンクの学術報告は、単

に環境問題を歴史的に俯瞰す
る視点だけにとどまらず、日
本各地の製鉄の歴史から紐解
く解析の視点を有しているア
プローチであるところが大変
興味深い。
こうした良い意味でのグロー

バル(ネオコンのそれとは異
なる)で包括的な視点は、大
局を押さえる上でとても重要
だろう。

 
 







 


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