これは鹿児島のお店の店長が
厚意でくれた湯飲み。
かなり気に入っている。
生れて初めて鹿児島に行った
時にこの湯呑と出会った。
この微妙な歪みがシンメトリー
を崩していて、実に日本的な
美を描いている。
西洋は左右対象。日本の美は
生花に見られるような左右非
対象に美意識の発露が見られる。
円相にしても、機械的なまん
丸だと面白くない。
ほんの昼食で入った店で出され
た茶の湯飲み一つでも薩摩焼と
いうものに見入ってしまった。
お店の仲居さんに譲り受けを
申し出たら、店長が進呈して
くれた。
わざわざ、丁寧に包んでくれて。
いたく感激した。
それが生まれて初めて鹿児島に
行った時の薩摩の人との現地で
の第一遭遇だった。
東京で学生の時に仲がよかった
年上の薩摩人は、気性は激しか
ったが真実の人だった。彼は今、
著作を残す物書きというかジャ
ーナリストになっている。
著作を読んでみると、成る程彼
らしくて視点が興味深い。学生
の時には、環太平洋極東アジア
の軍事情勢分析と対応行動方針
で反戦か叛軍かを巡って大激論
(組織内で彼は絶対反戦派、私
は叛軍武装蜂起派)となり意見
が対立したこともあったが、ど
ちらも論として一歩も引かぬ中、
中を割ってまとめたのは金沢人
だった。
長州人ではない。会津人でも
なかった(笑)。
薩摩人が「論を言うな」という
気風というのは創作小説などで
の作られた人物像だよ。薩摩は
徹底的に論理で来る。きちんと
した筋道の論理で。
そして、極めて現実的だ。
空想夢想論を振り回さない。
自己中心的な論にもならない思
考で言動を為す地域とは雲泥の
差がある。
薩摩は嫌いじゃない。
かつての職場の社員旅行で行き
先を鹿児島と社長に直に進言し
たのは私だった。
それがこれまで3度実現した。
東京本社は東京出身者が多い為、
九州圏担当者以外は鹿児島を訪れ
るのは初めての人間も多かった。
東北や北海道の支店は長や社員は
現地採用なので、やはり鹿児島
行きは初めての事だった。
鹿児島は独特の気風のある所だが、
私は好きだ。
まるで藩内皆兵のような特殊な
藩だった。
薩摩一藩で英国と戦争するという
のは、今考えても大それた事だ。
西瓜売りに化けてのゲリラ戦は
失敗したが(笑
倒幕の大藩だが、やがて明治期
に長州権力により排除された。
「維新」の功労者が排除だ。
歴史の中での一つの粛清だった。
その後は薩摩は軍部では一定の
地位を回復できたが、政治の
中枢からはやはり排除され続け
て来た。東北勢と同じく。
これは現在に至るまで。
一つの日本の「仕組み」が今で
も強固に存在している。
白薩摩より庶民的な黒薩摩に
魅力を感じる。野趣の中に美
あり。まるで日本刀の薩摩拵
のようだ。