
「随分と田舎臭い包丁ですねえ」
と86才の母が言う。
「何をおっしゃいます、母上」
と反発(笑
昔の手打ち包丁は、たとえ安物
だろうと、きちんと刃物の規矩
を外してはいない。
このあご下呑み込み口の厚み。

手打作業で真っ平らに地鉄と
刃鉄をぺったんこにしている。
今、こうした包丁は一部の特化
高級和包丁にしか見ない。
根元を厚くするのは耐久性確保
の為だろう。
しかし、身は極薄ぺったんこ。
金額関係なく、良い包丁かと
思う。
1979年でほんの数千円程だ
った。
本日は、キャベツの千切りと
ナスと玉ねぎを切ったが、め
ちゃくちゃ切れた。カミソリ
みたい。薄刃なのに貼りつか
ず、広刃なのに割断性も高い。
それは利器材のように背から
刃先まで同一重ねではなく、
刃先方向と身先方向の二方向
に向けてだんだん薄くさせる
漸次的な形状を実現した打ち
刃物だからだろう。
この切れ味は鋼板打ち抜きの
利器材の包丁では味わえない。
日本刀もこの二方向に漸次性
の断面形状を持つ物はとても
切れ味が良い。
つまり、刃先で切るのではな
く、刀身で切り裂いて行く。
平衡分力の分散により。
刃物の切れ味の一つの物理的
定理をこの菜切は体現してい
る。
良い包丁とは何か。
金額ではない。
こうした造り込みをごくあたり
前のようにこなしている職人さ
んが作った包丁が「良い包丁」
だ。
これは断言できる。
そして、現代よりも、昔のほう
がそうした技法の発想や現実の
作り具合は格段に良かった。
鉄と人は古い程良い、とは巷間
人口に膾炙されるところだが、
それは本当の事だと思う。
今の時代は薄っぺらい。何もか
もが。懐浅いし、狭量だし(笑
器も人間も小せえ。
どんどんダイナミックさが消失
して、こじんまりとしたところ
で「卒なく」収まろうとしてい
る。
つまらん。