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渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

駅前 隆景広場

2024年04月29日 | open
 
JR三原駅前のこの隆景広場
は感じが良い。
 
三原城本丸天守台の前。
鉄道は城の真上に明治に敷設
された。幕末まで浅野甲斐守
様のお城。城ではなく、一応
幕府の扱いはヨウガイだった。
広島浅野家の家老が城代。
三原の武士は全員が浅野本藩
の家中だった。家老が抱える
陪臣たちは別として。


赤い鳥居が連なる神社が見える。
 
三原の人たちって、三原城を
築城した小早川隆景の事は
信奉してるけど、その後に
入った福島氏や浅野氏の事
は無視してるんだよね(笑
特に江戸時代初期から明治
維新まで国を治めた浅野の
殿様などはほんとに軽んじ
ててほぼ丸無視(笑
これは不思議な現象です。
遠い縁のない隆景時代を
物語のように夢想する
う風潮は。
現実的に江戸から明治、大正
昭和に繋がる部分は記憶の
い若しくは薄いものに
精神性
依拠していて、
近いも
のは無視したい、
という
ような。
遠いから血脈的記憶なども
一般市民には無いだろうし。
浅野家中の末裔は明治の華族
の東京居住命令と共に広島
にはほぼいなくなった
という
現実があるにせよ、
近い現実
からは目を逸ら
せたい、みた
いな風味を
感じ取る。
旧士族以外には藩の領内残存
武家に伝えられたリアルな家
伝での苦労話なども伝承
され
てはいないだろうが、
素肌
感覚的なものとしてそ
うした
思惟が発動されている
ように
思える。
遠い隆景時代を奉じるのは、
そんな無意識の意識性の現出
のようにも感じる。
武士が威張り散らしていた
のも遠い隆景時代のものは
素肌感覚では感じないだろ
うし。
浅野家時代の実情は、まだ
どこかに嫌な記憶も薄いリ
アリズムとしてあるのでは
なかろうか。
ゆえに、浅野の殿様につい
てはスルーの丸無視。
国内で「最後の殿様」とい
われた浅野殿の事も無視(笑
関わりたくない、みたいな。
でも、城は残っているから、
築城者はあげ奉る。
でないと、三原の町の成立
自体を否定する事になるか
ら。
無縁の者を奉じて、夢想する。
それなんじゃないかなぁ。
あたかも、それが郷土愛の
美しさ、であるかような心
外装を着用して。
 
 
 
 

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