渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

125 トラッカー

2024年10月28日 | open


かなり美しくまとめたスズキ
GN125のトラッカー。
製作者のセンスが光っている。

現行車では一台も存在しない
125原付2種ダートトラッカー。
それの公道バージョンという
と、スズキのGN125あたりを
改造したこのような車になるか。

かなりカッコいい。

ただ、ホンダレブルのような
GNのノーマルで造形美的に
おかしいぶら下がりタンクを
フラットに改造するのはカス
タムのセオリーとしても、や
はりフレームもチョッパーし
て地面と真っ平の水平にした
いところだ。

そしてぺったんこのシートを
そこに搭載する。

やはり、造形的にはそのシー
ト下からの直線ラインは鉄板
のように思える。

本物のトラッカーのように。


ちなみに、カワサキから「ト
ラッカー」と名称が冠された
機種が各排気量販売されてい
るが、ダートラのトラッカー
仕様というよりはモトクロス
車のような、あるいはモター
ドのような折衷デザインなの
で、ナチュラルトラッカーの
造形手法からしたら、あのカ
ワサキの造形は論外。

ロードのレーサーレプリカや
カフェレーサーに定番定式が
あるように、トラッカーにも
外せない定番がある。
だからこそ、レブルのような
奇怪なデザインを考案したホ
ンダでさえ、FTRではタンク下
からエンド方向に一直線の造
形のモデルをトラッカーとし
て作った。やや角度は後ろに
向けて上がるとはいえ。暗黙
の造形セオリーは外していな

い。

この機種、めちゃくちゃ造形

美が細部まで冴えている。

前方から後方に上がるデザイ
ンは締まりを見せるが、その
真逆の後ろ下がりはだらしな
く、また間抜けに見える。
好例が日本人のみが履く袴だ。
袴の着付けは後ろ下がりは厳
禁。後ろ裾がやや上がるよう
にキュッと上げ締めて着つけ
るのが鉄則だ。

また烏帽子も侍烏帽子などは
特に後ろが下がらないように
かぶる。
欧米のミリタリーベレーも侍
烏帽子と同じで、絶対に後ろ
が下がるようにずっぽりと被
ったりはしない。頭にはめて
冠(かぶ)るのである。
インダストリアルデザインの
範疇にあるオートバイの造形
もそうしたセオリーの中にあ
る。
それゆえホンダレブルやスズ
キGNのような後ろ下がりタン
クは奇抜で違和感のあるだら
しなさをその造形において人
をして感じせしむるのだ。
口悪い人はドンズバで感想を
述べたりする。「くっそダサ」
と。
それは個人的な好みを超える
美観としての造形に深く関与
する事であり、ファッション
における着装方法の人類史的
なセオリーの轍と完全合致す
るのだ。
ただ、そうした適正受容感覚
は、人によってセオリーや規
範が崩れる事が現代において
は非常に多い。

例えば、室内での食事中に着
帽のまま飲食したりするのは
非常に非常識で礼儀知らずで
社会的に避けるべき人として
の作法だが、現代人では特に
日本人はそれを無視する人間
も多い。室内食事の着帽は土
足をテーブルの上に置くのと
同じであるのに。
特に頭の弱いバイク乗りに最
近多く見られる。
ゴルフ場などでは礼儀作法を
重んじるので、クラブハウス
内での着帽食事などは厳禁だ。
それは、社会規範の延長線上
にゴルフ場内での活動は厳格
さを求められるからだ。
上着をきちんと着て、襟付き
シャツでないと場内にさえ入
れないのは常識だ。Tシャツ
サンダルばきなどでは入れな
い。
それらはドレスコードとして
存在するが、着帽脱帽につい
てはドレスコード以前の社会
常識として存在する。

こうした社会常識は、先進国
には常識的に存在するのだが、
先進国ではなかった幕藩体制
時代の日本においても日常的
に人間の行儀は重要視された。
箸をご飯に立てる人間もいな
ければ、礼を失する日本人も
いない。それは国の頂点から
庶民に至るまで。
今、日本は日本人ではないよ
うに調子こいてキャップ等を
被ったままで室内で食事した
りする人間が増えている。
特にバイクをネタにしたユー

チューバーに出鱈目に多い。
それらは「自由」の履き違え
だ。非常に恥ずかしい失礼
非常識な事をやっている。
それを全世界に公開している。

くちゃくちゃ音立てて食事し
ているのと全く同じ。
「俺様の自由だろうが」じゃ
ないんだよね。人の世の中の
事わかってない
みたいだけど。
私はザーマスの一族ではない
が、バイクを集客に利用して
いるユーチューバーの室内
着帽男女の多い事。
無様だし不作法だし恥知らず
で非常識だなぁと、ザーマス
の一族ではない私でさえも思
う。

デザインの世界の造形美のセ
オリーというのも
そうした人
間社会の精神活動と重
なる点
も存在するのは見逃せ
ない。
美術史におけるアールデコな

どに代表されるシンメトリー
と、それをあえて崩すアンシ
ンメトリーの存在は、「自然
界には完全シンメトリーは存
在しない」というこの世の定
理について別方向から触れる
芸術性の両観点なのだ。

カフェレーサー作りに鉄板の
セオリー
があるように、トラ
ッカーの場合、タンク下から
リアエンドまでまっすぐとい
う造
形は、一つの造形セオリ
ーと
して欠かせない。
レーサーレプリカと称してカ

ウル無しのアップダウンアメ
リカンハンドルを着けた二輪
が存在できないように、定式
セオリーというのは人間界に
存在する。坊主が剃髪せずに
長髪なのはホントは駄目、と
いうようなものが。

「つまり、アーバンライフにお
けるコンテンポラリーのニーズ
に応えるために、今のインテリ
ジェントビルにはアメニティ空
間としてのアトリウムは欠かせ
ないわけです」(by ズンドコベ
ロンチョ営業三課三上課長=
草刈正雄)というやつね(笑


 


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