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渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

撞球事始め ~撞球場面昭和残像伝~

2022年03月08日 | open



生まれて初めてビリヤードをやったのは
昭和51年1976年だった。
高1の時、ギター仲間のクラスメートに
連れられて下赤塚にあった民家のよう
な玉突屋に行った。
確か二台の狭い店だったと記憶している。
おばちゃんが一人で経営していた。
その店では、大学生のお兄さんたちが
学生服を着たまま四つ玉を撞いていた。
もう一台空いていたが、そちらでは
撞かずに待っていたので、たぶんもう
一台はポケット台だったのかも知れな
い。昔の東京ではポケットなどは撞く
人はほとんどいなかったし、ポッケ台
が置いてあるのが珍しいくらいだった。
撞球=ビリヤードといえば穴なし台で
的球に手玉を当てるキャロムの事を
指した。撞球人たちの間でもアメリ
カンポケットは「お遊び」であり、
本物の撞球はキャロムビリヤードで
ある、という意識が強くあったと
教わったのは、その初めてキューを
握った時から10年後に本格的に撞球
をやり始めた時にキャロムの師匠に
教わった。

生まれて初めて玉を撞いたのは、こん
な感じの店だった。


初めてビリヤードをやった時、店の
おばちゃんにキューの持ち方から
構え方から最初から教わった。
なんと、手玉をまともにキューで
撞けない。スーッとキュー出しして
コツンと撞くイメージができず、
棒で玉を突っつくようなことをする
のでまったく手玉の狙う撞点に当た
らない。
チョークを塗れと言われたが、チョ
ークの塗り方も分からない。
私を連れて行った同級生も、まだ
それまで1回しかやった事がないら
しく、おぼつかなかった。
待っている間、大学生のお兄さん
たちの撞き方を見ていたら、結構
豪快に思えた。応援団のような人
たち。
だが、実際に教わってやったら、
べら棒に繊細な種目だった。

その後ずっと玉撞きはせずに、
ギターとバイク三昧の高校生活
だったが、大学の時に一度だけ
やはり同級生に引っ張って行か
れて撞球場に行った。体操部の
結構有名な選手に連れられて。
そやつはなんだかプロみたいに
四つ玉がめちゃくちゃ上手かった。
その時の店は、高校生の時に
行った店とは別な店だが、やはり
おばちゃんが一人でやっていた。
その時、初めて大きな台を見た。
「こっちの大きな台は何ですか?」
とおばちゃんに聞くと、「それは
スリークッション」と言われたが
ちんぷんかんぷんだった。
種目のルールを聞いてもちんぷん
かんぷん(笑)。
そもそも四つ玉がまともにでき
ないのに、スリーの動きのルール
を言われても分かりっこない。


その学生の時に行った店でも
おばちゃんに四つ玉を教わった。
本当はあっちにある色付きのボール
の玉撞きをやりたいのになぁ、と
呟いたら、おばちゃんに「この
四つ玉ができないのにポケット
ができる訳がない」と言われた。
今考えると、やはり「まずキャロム
ありき」という思考だったのだろう。

玉撞きはそれっきりだった。
そして、社会人になった時、職場に
撞球師がいた。隠れ撞球師。
先輩のパラリーガルなのだが、ある
日、飲んだ時に昔話でその玉突きの
話をしたら、目の色を変えた。
なんでもいろいろあって封印して
いたのが玉突きだったらしい。
飲んでいる店を出て、撞球場に
連れて行かれた。
まず、撞球場でのマナーにはじまり、
プレー中の発言の礼儀を教わった。
汚い玉残しをしたら「失礼」と
相手に言う事とか、撞く台の先に
立たない事とか(ポケットでは
試合中に相手のターン時に席を
立つと失格)。
教わったのは四つ玉だった。
一から教わった。
面白いように玉が当たった。
10年前と6年前のあれは何だったの
か、と。
高田馬場のビッグボックスだった。
そんな広いビリヤード場には行った
事がなかったので、まず最初に驚い
た。
四つ玉をみっちりと半年やった。
戦前に名を馳せた選手だった上野の
肥土軍作先生にも教えを請うて
ノガミに通った。

半年毎日のように玉を撞いていると
なんとかサマにはなって来るようで
そこそこ撞けるようになっていた。
そして、念願だったポケットに
シフトした。
最初はひねりすぎで的球の軌道が
ずれるので苦労した。
四つ玉と違い、玉がすごく小さい

ので、動きも敏感だ。
四つ玉ではど真ん中を撞く事が
ほぼ無いので、とまどった。
ポケットを教えてくれる人からは、
「ひねりすぎだ」と注意された。
その人はスリーの選手で、ベルギー
にキャロムビリヤードの留学も
した人だった。だが、ポッケでも
マスワリマンだった。

そして、同じ歳の立花に会った。
プロとして駆け出しの頃。
キュー切れの方法について伝授して
くれた。あ!そうだったんだ、と
目から鱗だった。
キューは振らないのだ。キューは
投げるのである。
本当に投げたら駄目だが、つまり、
投げるようにまっすぐに振るのだ。
手でキューを握りしめずに。
ぶったまげるキュー切れが出る
ようになった。
向こうのコーナー穴前にある玉を
対角線の穴前にある手玉からの
ロング引きで入れて手玉を手前の
穴に戻し落とす事も可能になった。
なんだこれ?だった。
また、平撞きでマッセのような手玉
の動きをさせる事も可能となった。
そして、上級者に就いて共に撞く
中で要諦を学んだ。核心を。コアを。
キュー切れは短距離を動かす時
にも絶対に必要、というか撞球
の中心幹である、という事を。
師匠が「玉を突くな。撞け」と
よく言っていたのは、それだった。

立花のたっちゃんもいろんな玉
を教えて
くれた。
私のフォームが彼に似ていると
言ったのは凄腕リペアマンのバディ
藤田さんだったが、そりゃ似るだ
ろう。立花を模範としていたから。
そして、たっちゃんに「さすが
プロはすげーね」と言ったら彼は
言った。「プロもアマも関係ない
よ。同じ玉撞きだ」と。
一つまた鱗が落ちた。

パンという衝突じゃないんだよね。
押し出すような動きなのよ。
そして、キャロムもポケットも
同じなの。玉の動きの原理は。
結局は手玉をどのように意思と意志
の下に狙い通りに制御するか、と
いう球技なのよね。
撞球は奥が深い。


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