渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

映画『インターセプター』(2022)

2023年01月23日 | open


ロシアの核ミサイルを強奪して
アメリカ全土に撃ち込もうとす
るアメリカ人テロリストと、そ
れを一人で阻止する女性兵士の
話。
荒唐無稽なのだが、そうは感じ
させない手腕をこの作品製作者
は見せている。
なかなかの作。
合衆国大統領は女性となっている。
現実にはまだ実現していない。
国家の政権の長を女性が務めるの
は先進国の象徴のようになってき
た現代、西欧と違い日米のみは、
今でも男社会となっている。
日米は明らかな後進国である。
そして、この作品でも、セクハラ
により社会的に貶められた女性
将校が主人公だ。
また、現在のネット愚民のような
現役軍人たちの違法ないやがらせ
等も非道を極める。
彼女はそれにより精神を病み、一
度自殺を図るが父に助けられる。
その時に娘に言った父の言葉は
「たたかいをやめてはだめだ」だ。
たたかいには戦い(バトル)も闘い
(ストラッグル)もあるが、どちら
もとても人間には大切だ。

この映画、CG以外はかなり低予
算で作られたのではななかろうか。
しかし、映像的に見応えはある。
ただ、ラストの展開は、実にアメ
リカ的なお決まりの展開だ。
日本の時代劇ホームドラマのお約
束のような流れと展開。
アメリカ映画はヒーローや騎兵隊
が出てきて悪人をやっつけて最後
は拍手で祝福される。その決まり。
乳母車が階段から転げ落ちるよう
な心象描写を撮っても、観客は
「はぁ?」となるだけだ。
それがアメリカ。アメリカ映画。
アメリカ映画で、最後に行き場の
ない結末になる事は少ない。
それはそれで、一つのお国柄かと
思う。

本作、なかなか面白かった。
だが、プロットとしては『亡国の
イージス』(原作1999年、映画
2005年邦画)に非常に似ている。
パクリですか?という程に。
似た展開の映画作品では『ホワ
イトアウト』(2000)、『ミッド
ナイト・イーグル』(2005)の邦
画があるが、どちらの邦画もひ
どい出来だった。
『ホワイトアウト』では、松嶋
菜々子が最悪の大根ぶり、『ミッ
ドナイト・イーグル』では藤竜也
が究極の大根ぶりを披露していた。
役者の演技力云々ではなく、監督
の力量だ。松嶋の場合は本人の
力量と無知もあるだろうが。
松嶋はAK47をフルオートで射撃
して無反動の演技だった。生まれ
て初めて銃を撃つ女が。
AK47自動小銃の独自の強烈な右
上への反動を知らないとか以前に、
鉄砲を撃って無反動というのは、
あまりにも世の中を知らな過ぎる。
玩具はないのだから。
役者ならば、知りません、興味あ
りませんでは済まされない。自分
の役なのだから。それが仕事なの
だから。
その点、石原軍団や草刈正雄は
銃に精通(とまではいかなくと
も)していて、演技としてきちん
と銃の反動を再現している。電
気銃のような事はしない。
時代劇の剣士の役なのに刀が
えないとか、銃を使う役なのに
銃に無知過ぎるとかは駄目なの
だ。包丁で指切ったら痛い、と
いうのと同じ「ごく当たり前の
事」を演技では外してはならな
いのである。これ役者の原則。
(舞台歌劇とかは別。リアリティ
よりも装飾性が前面に出るから)

作の良し悪しは監督で決まる。
役者持ち上げでちょろいOKを出
していたら、作は下作となる。
同じ俳優なのに作品によって
輝きを放つ時と非常にまずい演技
を見せる時があるのは、すべて
監督の力による。脚本も大事だが
映像作品はすべて監督の責に属す
る。映像監督は料理人であり料理
長であるからだ。

本作『インターセプター』は主演
の女優がかなりの演技を見せる。
好演している。
スタッフが良いのだろう。
隙の無い仕上がりの映画作品と
なっている。


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