渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

浮気現場

2023年09月18日 | open
 




夫婦仲が良いのは大いにいいが、
この記事、本音の感想では
正味のところダルっ!(笑
はいはい、そうですか、みた
な(笑
 
世間によくあるケースではバイク
ね。
「私とバイク、どっちが大切な
の?!」
とか詰問する女性は多いらしい。
比較のしようがないだろに。
私なら即答する。バイク、と。
 
但し、うちの場合、そのケース
は一切無い。
なぜならば、妻も二輪乗りだっ
たからだ。今は身体を壊してか
ら二輪は降りているが。
私が二輪で外に出る時にはいつ
も快く笑顔で見送ってくれる。
そして、帰宅すると、お帰りな
さい、と。それがごく自然。
 
最悪なのは、映画『キリン』の
ような妻で、オートバイには
もう乗らない事を夫に強く
求する。夫が事故って
大怪我したか
らだ。
そして、オートバイを降りな
い夫とは離婚する。5才の
連れて。
かつて若い頃、結婚以前には
二人でバイクで海に行って楽し
かった思い出もあるのにだ。
こういうのが最悪のパターン。
「私と仕事とどちらが大切な
の?!」と詰め寄る「家族サー
ビス」なるものを要求する理
不尽さととても似ている。
 
要するに、家族の為とか言い
ながらも、自分の欲求を満たす
事を相手側のみに要求する精神
的土壌がそこにはある。
それは、愛ではない。利己的な
独占欲でしかない。いくら家
愛のカモフラージュをしよ
も。
 
逆だったらどうか。
例えば、妻が観劇や音楽会に行く
のが大好きで、外に出ようとす
る。
それを「俺とコンサート、どちら
が大事なのか?!」と問いただす
男はいるのだろうか。
いるのかもしれないが。
 
それらの根底には、相手の自発
的な嗜好を自己欲求で制限し
うとする思考と行動があり、
こには実は人としての愛など
存在しない。
 
高校の時、オートバイのサイド
カバーに、自作のシールを貼っ
ていた。
 First is Machine and 
 second is you
という文字を刻んだシール。
たちひろしさんの作詞で矢沢
永吉さんが作曲した70sのある
のフレーズだ。
それを貼って高校の時にバイク
屋さんで修理とか頼んでいると
「ファーストイズマシーン
お客さーん」とか呼ばれて、
ちょい恥ずかしかったが、それ
が信条だった。カッコつけでは
なく、本音のところで。
 
でも、本当のところは比較など
できないものを無理矢理比較
して答えを迫るというほうが
どうかしていると今でも思う。
その手のパターンで答えを求め
る相手とはソッコーで別れる
に限る。
時々、そのパターン好きな女性
というのは世の中にいる。結構。
数いりゃ正義てのはない。
ご縁がありませんでした、とい
うところで別れる。その人とは
二度とくっつく事は無い。永
に。それが正解だと思う。
でないと、互いに不幸になるの
は目に見えているからだ。
 
人間、無理は多少きけても、無
茶はきけない。
比較できないものを無理矢理
比較例に出して相手に要求する
事から得られるのは何か。
それは自己満足でしかない。
それは、特に男女間では、
方位的に本質的関係が破綻
ている。もし関係が続いて
に結婚とかしても、仮面夫婦
とやらになるのが関の山だ。
それって、短い人生の時間を
無駄にしてない?
 

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