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渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

コーナリング時の重要ポイント ~モーターサイクル~

2024年02月06日 | open


(ケニー・ロバーツ1983年)

公道ではここまでの極端なハング
フォームを取る必要は国内のロー
ド状況を見るにほぼ無い。
だが、この「ハングフォーム」を
完成させたケニー・ロバーツの乗
車フォームには多くの有益な情報
が検出できる。
どれもが大切な部分を示している
が、かいつまんで説明する。
腰をずらさないハングフォームで
なくとも、重要な旋回時の要諦が
読み取れる。

・頭部はマシンの傾きとは関係
 なく、できるだけ垂直に保つ。
・頭部の真下に突き出した膝が
 くる。
・マシンのバンクに関係なく、
 車軸の中心の延長は首にくる。
・前傾させた背骨は腰上で「く
 の字」に曲げる(Gと重心の
 バランスを作り出すため)。
 →黄緑〇の部分
・イン側のつま先は絶対に外に
 開かない(開くと物理的に
 バンク旋回はできない)。

どれもがとても大切で重要な
事項だが、特に背中を腰上で
くの字に曲げるのが極めて重
要。
最近のレザーウエアは背中に
硬質な脊髄パッドが入ってい
るウエアも多く、なかなか曲
がりにくいこともあるだろう
が、この腰上の背骨曲げの
状態を作るのは極めてバンク
旋回では重要なポイントだ。
一番よくないのが、上体を
そのまままっすぐにしてヤジ
ロベエやカカシのようにする
もので、それでは路面状況に
鋭敏に対処するバンク旋回は
できない。物理的に。
背骨もクッションとさせて
路面の接地感を常に尻と腿
と背骨で感知してバンク旋回
させるのが二輪車の乗り方だ。
乗馬の場合は、競技高速用の

モンキー乗りのクラウチング
スタイルがレースでは一般的
だが、通常の乗馬は馬体に対
して背骨を垂直に立てる天神
乗りが一般的だ。
だが、オートバイは鉄馬とは
いえ、天神乗りのような背骨
伸ばしの使い方は誤りだ。
理由は二輪は馬と違って深々
とバンクさせることで舵角を
得る乗り物であり、重心の
移動が非常に重要になるから
だ。
また、二輪で乗馬天神乗りと
同じようなフォームを取ると、
背骨の脊髄にもろに路面から
のショックの伝達が細かく伝
わり、腰や背骨を傷める。
二輪車では、例えアップハン
ドルであろうともセパレート
クリップオンであろうとも、
背骨はごく自然に弓なりに
曲げて肩を落として脱力させ
るのが正解なのだ。
これ、かなり大切。
それの物理的理屈を知らずし
て、二輪でも上体を伸ばした
りそっくり返らせている載り
方を時々見るが、それはカカシ
や石仏のような載り方であり、
一切機敏な挙動対応や接地感
感知などは不可能となる。
旋回時にも重心が高いまま
倒れるので、まったく旋回性
の阻害要因となる。
高速度直線でもそうだが、旋回
時は特に「丸く、丸く」なる
ようにして頭部も下げて重心
を下げる。腰が入れば自然と
頭部は下がって重心も下がり、
旋回挙動は極めて安定する。

そうした適正なバンク旋回で
は、ハングフォームかどうか
は関係ない。
リーンウイズであろうとも、
ドテッと置物のように二輪に
載っているのではなく、イン
に腰をひねって入れ込むのが
正しい乗り方だ。(リーンウ
イズでの腰入れは、一見全く
なにも動作をしていないかの
ように人目には映る)

さらに、両腕はバンク旋回の
時にはぶらぶらにさせておく。
特に肘。
肘は張らず開かず、閉じず締
めずだ。後ろから見たら「ハ」
の字になっているようなごく
自然な脱力状態。
これは直線でもそうだが、直線
ベタ伏せの場合は肘を内側に
締める事もある。
私の場合は、カウル付きセパハン
モデルでは、バンクの際に外の
腕がタンクに触れる事がよくあ
る。包むように触れる。
だが、その時にはステアに外力
がかからないように脱力させて
いる。

オートバイの乗り方は、セパハン
だろうとアップハンドルだろうと、
重心移動の使い方や操作方法は
一切変わらない。
どのオートバイもほぼ同じだ。
オートレースのような段違いハン
ドルマシンでの特殊な乗車方法
以外では、セパハンもアップハン
も同じ。
そして「セパハンだから疲れる」
という事は、適正乗車運転をして
いる限り絶対に存在しない。
セパハンもアップハンドルも同じ
だ。ハンドルには体重をかけるな、
である。変な載り方をしている
から低いハンドルだと疲れると
かしんどいとかの「誤った」感
覚を持つことになる。間違った
乗り方をしているからそうなる
のだが、そうした事を口にする
人たちは、自分の大間違いに目
を向けようとはしない。一切。
一生そのまま二輪ではしんどい
だけだ。
無論、日帰り500km走行でさえ
到底不可能だ。体が痛いから。
だが、適正乗車をやっている人
たちは平気の平左で1日500km
以上乗って何ともない。
適切適正に上半身を脱力させた
フォームで二輪を操縦し続ける
からだ。

オートバイは拷問器具ではない。
自ら自分で拷問器具にしてしま
ってどうする、という感がある。
オートバイに楽に乗る事=安全
に繋がる。
その安全ためには、正しい事を
正しいと見据え、間違いを間違
いと見抜く人間の力が必要に
なってくる。
オートバイを運転するのは人間
だからだ。
人間力こそが最重要。
考え方次第で、二輪の運転は

みるみるうちに飛躍的に上達
するか、何十年経ってもその
ままの低レベルな位置に自分が
いるかが分かれる。
オートバイの運転の上達の有無
は本人次第だ。
正しい視線を有していると、
16才で免許を取ってすぐにグン
グン二輪の運転が上手くなる。
また、これは若年か壮年かは
関係ない。
本人次第で二輪の運転は抜群に
上手くなるか、いつまで経って
もまともに走らせる事もでき
ないポンコツになるかが決まっ
て来る。
まずは、目だ。
本当の事を本当であると見抜く
目。ニセモノを贋物であると見
抜く目。
それにより道は分かれる。


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