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渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

熊棚

2021年11月05日 | open
 
熊棚。
ツキノワグマが自作した熊のベッド
である。
山に入ると広島県の山間部ではよく
見る。
木の上のほうにある。
一個二個ではなく、近くに何個も
られている場合が多い。
巨大な鳥の巣のような感じ。
広島県はツキノワも多く、三原市内
でさえ熊が目撃されている。
 
三原市内の山間部、古代山陽道。

このたあたりで昨年ツキノワが
目撃され
た。
最新情報では、未確認情報ながら
このような山間部ではなく、三原
駅から数百メートルの中之町という
市街地で熊が目撃されたとの情報
もある。高速山陽道三原インター
付近でも目撃情報が公式にある。
さあ、大変。
北海道のヒグマと同じような事態
が起きかねない。
民家にクマが出没だ。

特に駅そばの町にクマが出てくる
のは実に深刻だ。

古代山陽道は江戸時代の旧山陽道と
は大きくルートが異なる。
古代道であるので海沿いは通らない。
山間部を通る。
現在の仏通寺の前の通りが古代の
山陽道になる。
三原市街地を抜ける旧山陽道は

江戸期の街道だ。
江戸時代以前は三原城のあたりは
海域だったので陸上の道はどこに
も存在しない。



舗装はされているが、ルートは日本
に道路が造られた一千数百年前の律
令時代のままだ。この景観も1500年
と変わらない事だろう。


律令体制時代には約16kmごとに
駅家(うまや)という駅が置かれて、
指定数の馬を荷駄の為に飼育して
いた。
駅家は全国各地からの納税品運搬
の為の道の駅であり、人民は朝廷
に労働力を強制的に搾取される為
に、租庸調の時代には都まで徒歩
上った。強制的徴兵の防人も派
遣先まで徒歩である。騎馬は許さ
れない。一般人民が馬に乗ったり
駅家に宿泊する事は固く禁じられ
ていた。
人民は全員野宿なのである。
中央朝廷の殿上人のみが「人」で
あり、それに支える役人は役の人
であり、民などは人としては認
られてはいなかった。
それが天皇親政の律令体制の実相
だった。
今でも日本人の役人にはその当時
の役人根性がっている。
明治以降、その精神性が国家により
強固に再生産された。
戦後の今もこの1500年前と同じ景色
のように何ら変わらない。
日本は中央集権国家が誕生した
1500年前から「日本人性」は
変わっていない。国の政(まつり
ごと)を司る者たちは上に厚く
下に薄い。
1500年前から変わらないのだか
ら、この先千年以上だろうと
変わらないのではなかろうか。
国民が自ら政治を行なう共和制
にでもならない限り。
日本は形式上は選挙による民主
主義的な形式を採ってはいるが、
国家権力の実体は行政執行権力
であり、官庁こそが日本の権力
の実体だ。選挙で選ばれた人間
が権力を掌握して行使している
のではない。役人こそが日本を
動かしている。民ではない。
伏魔殿の棲息者が実権を握って
いる。

クマさんは関係なく大昔から
森で生きている。
クマであるイタズは何も変わら
ない。
しかし、人間社会が良性方向に
変わらないのとは大きく意味が
異なる。


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