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渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

魔界往来

2024年01月31日 | open



私はオカルトめいた事は
信用しない。
ただし、科学では説明が
つかない現象がこの世に
存在する事は認知してい
る。
嘘か真か分からぬが(まず
創作)、私の直系先祖は
京都の六道珍皇寺という寺
の井戸から魔界に行き、閻
魔大王と昵懇で、現世での
人々の罪科を報告していた
という伝承がある。
冥府魔道の出入り口は京
に残る寺の井戸。

もう完全に科学的には
あり得ない話なのだが、
将門塚の怨念と同じく、
昔の人たちは信じ切って
いたようだ。
なんとも非科学的であるの
だが、まあ饅頭怖いや信心
も鰯の頭から、みたいな
ものだろう。
その往来者は、あまりに
弓馬ばかりに専念するの
で嵯峨天皇から呆れられ、
また時の御政道を批判し、
遣唐副使たるもボイコット
した為に隠岐に島流しに
なった。
その時に詠んだ歌が

 わたのはら 八十島かけて
   こぎ出でぬと
 人にはつげよ あまの釣り舟

だ。百人一首の11番目あたり
に出て来る。

この一首なのだが、実はこれ
は悲嘆の歌ではなく、この時
に及んでも、と思えるいかに
も彼らしい歌なのだ。

和歌を読解でき、歴史学の
政治情勢に詳しい人なら気
づくだろう。これは決起の
檄文なのだ。
だが、日本文学の中では、そ
のような解釈は存在していな
い。字面の文面を文学的観点
からしか紐解かないからだ。
この一首は水底の歌のような
激白感情と蜂起の教唆扇動が
裏に
秘められているのである。
宇治拾遺物語の「無悪善」を

「さがなくばよからん(嵯峨
天皇がいなければもっと良い
世の中になるのに)」と読ん
で天皇を激昂させた人物だ。
冥府魔道に生きる者、恐れを

知らぬ。950年後の拝一刀かっ
つーの。



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