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渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

池袋駅構内フードコーナー

2021年06月04日 | open

今は無きJR池袋駅構内のう
どん屋。
 
ブクロ育ちのクリームソー
ダのせいちゃん
と夜に長電
話していて、池袋駅構内
のフー
ドコーナーの話に
なった。
「あそこのうどんがうまく
てさぁ」
誠一郎店長は言う。
「そうそう。あれは当時東
京では珍しい
関西風ツユで
したよね」と私。
「そう。トロロこんぶなん
て載せてさ」
と店長。
と会話で盛り上がった。
 
池袋は通学路だったので高
校時代から
ブクロは遊び場
だった。
そして、駅構内の広いフー
ドコーナーで
空いた小腹を
仲間と満たした。
多くの店舗があったが、
番はこのうどん
店だった。
さらにうちらが好きだった
のはエリアの
ど真ん中の太
い柱のとこに
あったハム
カツ
屋だ。
そこでハムカツとメロンセ
ーキを頼むのが
仲間内での
ひとつの流行りだった。
メロンセーキてのは、まあ
クリームソーダ
をかき混ぜ
たようなやつ。
私は1976年高1からそこの
ハムカツとエリア
入り口の
素うどん屋を愛用していた
が、
池袋構内大改修によ
り2016年に閉鎖され
た。
今はそこは綺麗な店舗の量
販化粧品薬局
になっている。
今世紀になってからも、都
内出張などで
立ち寄るとま
だ1970年代中期
と何一つ
変わ
らぬ店舗、配置でフ
ードコーナーが営業して
た事に驚いたのだが、
2016年の完全廃止はち
ょいと寂しかっ
た。
 
素うどん屋は、なんてこと
はない乾麺の
うどんなのだ
が、ツユが上々だったのだ。
その味は東京ではとても珍
しいので、多く
の東京人に
人気だった。
どう言ったらいいか・・・。
そう。西新橋にあったさぬ
きうどん屋「お
ぴっぴ」の
うどんツユにかなり似てい
る。
「おぴっぴ」も今はもう無
い。
とにかく、ブクロ駅構内の
あのうどんは
まじもんでウ
マかった。
ハムカツとミルクセーキは
ジャンクフード
感満載で、
いきがってた俺らは
ヘッと
かニヒッてぺったんこのチョ
ンバッ
グを地面に立てかけ
て、それを食っ
ていた。
ブクロ通過の行き帰りは生
き返りできるか
どうかの臨
戦通学路だった。
そんな時代。
東京というのは不思議なと
こで、地方の
田舎のように
勉強できない落ちこぼれ
頭悪いのがつっぱりく
ん(今のヤンキーと
は別
種)
になるという図式は
無かった。
偏差値65以上でも理由
なき反抗者はみぃ〜ん
なリーゼント。
そういう時代だし、そう
いう土地柄なの
が東京
った。
なぜあの時代、あの70年代
の東京の
ティーンはみんな
ギラギラしていたのだ

う。
まるでエッヂの立った
ナイフみたいに。
でも、みんな元気だった。
つっりくん
も真面目くんも。
今のネラーのように陰にこ
もってグジグジぐたぐた陰
でゴタ
ってる野郎なんてい
なかった。
いたとし
ても、てんでそん
な腐ったのは相手にさ
れな
かった。少なくとも東京は。
田舎の事はどうだか知らな
い。
 
今は日本全国総カッペ時代。
昔の田舎のおばはん連中の
ようなのばっか
だ。
陰に隠れて誰さんがどーし
たこーしたと
あげつらって
嘲笑して嬉々としている。
キモいんだよ、ネット民の
カッペ根性は。




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