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渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

防寒アンダーウエア

2023年11月20日 | open



今でこそオートバイ用の防寒
インナーパンツの品ぞろえが
多いが、昔はそんな気の利い
た物は存在しなかった。

何を真冬に履いたかというと
モモヒキだ。じいさまたち御
達のやつ。白やラクダ色が
多かった。カトちゃんがドリ

フで履いていたようなやつ。
あと「わしじゃ」の木の葉

のこちゃんとか。


1977年の冬、レーシング
チームの人たちと食事会
後に連れだって新宿のサウ
ナに行った。

俺とS特進のクラスメート
の奴(後
年全日本でポイン
トを重ね
国際A級となって
マン島を走
った)は真冬だ
ったので下
にモモヒキを履
いていた。

するとそれを見たヨシモト
の三原嗣厚さんに、
「おまえら、なんだそれ。
高校生とは思えねえな。
じじいかよ」と言われた(笑


うちらの周囲ではふつ~に
アンダーウエアを履いてい
た。ちょい前の世代の人たち
のほうがむしろ我慢のハード
ボイ
ルド路線だったようだ(笑
そして、1976年のオリンピッ
クで史上初の10点満点を取っ
たコマネチから取って、白い
モモヒキの事を「コマネチ」
とうちらの高校生仲間たちは
呼んでいた。

「寒い?あれ?コマネチ履い
てねえの?」
「きょうは履いてねえんだ」
という会話が同級生たちの
間で交わされていた。バイク
乗るとき限定で。

なお、ビートたけしが漫才で
コマネチとやったのは1980年
のオリンピック直後だが、
あの三角形を作って両手で
上に上げるギャグは東京都内
の一部男子高校生の間では既
に1977年時点では存在した。
なので、たけしは完全にパク
りだと断定できる。
どこかで見知ったのだろう。

綿布のモモヒキ自体は江戸期
から
あり、料理人や岡っ引き
百姓たちが常用していたが、
武士は絶対に履かなかった。
なので、現代で真剣を用いる
武道において、寒いからと
袴の下にモモヒキを履いて
いる人たちがたまにいるが、
それはかなりみっともない。
しかも、抜刀業によっては
それが袴の裾から見えたり
する。

それは全く以て武士らしく
なく、無様
な事この上ない。
袴の下は素であるべきだ。
本来ならば洋式パンツでは
なく褌、下帯が正しいが、
それまで
は無しとしても、
モモヒキは
果てしなくいた
だけない。

なお白足袋なども最幕末まで
武士は履かなかった。裸足で
ある。
足袋着用は老人か病人のみが
許可を得て履くイレギュラー
物であり(総髪の許可と同じ
扱い)、武家様式だからと

白足袋を着用する現代の武道
界の風潮
は時代劇の誤った影
響を受け
過ぎている。
武士は裸足である。老人と
病人と旅支度
以外では。
戦場では革足袋を着用した。
これは軍用ブーツの代わりだ。
白足袋はしかも「役者足袋」
と呼ばれて、江戸期の武士に
は忌避されていた。
このあたり、よく歴史考証を
しないと、武士だから白足袋
という誤った認識のまま現代
武道を行おうとしてしまう事
になりかねない。
それらは識者からすると中途
半端な珍妙な事をしていると
映るものになってしまう。
袴の下にモモヒキなどは論外。

なお、江戸期には着装の自由
などは存在しない。
武士以外では袴の常用は厳禁
だった。町人でも冠婚葬祭の
特殊な時のみ袴の着用が許可
されたが、武士のようなマチ
のある馬乗り袴ではなく、
行燈袴であった。
武士の象徴は刀の二刀差しで
はなく、袴こそが武士の象徴
だった。子どもにしても武家
の子息以外は袴は履けない。
道で町人が武士に敬意を払う
礼を為すのは、刀よりも袴を
見てからだった。袴=武士で
あったから。
それゆえ、着流しなどは自堕
落で武士として違反行為だっ
た。今でいうとステテコの
まま上だけスーツ着ている
ようなもの。
町同心のみが「着流御免」と
して袴の着用の省略が特例と
して許された。
旗本奴の水野十郎左衛門が
切腹を仰せつかったのは、
町での無頼の所業が咎めら
れた事よりも、詮議の為に
江戸城出頭の際に袴を履かず
に着流しのままで出向いた
からだ。幕臣たる武士として
不届き至極とし即切腹の沙汰
となっ
た。
江戸期は袴こそが武士の着装
の象徴だったのである。

バイクに乗るときに綿製の
モモヒキは支障があった。
それは厚手のために動きが
非常に悪くなるからだ。
私の周囲はそこでその後は
どうしたか。
女性用の大きめのパンティ
ストッキングを履いた。
特に革パンツや革製ツナギ
の下に。
後に擦過の際に火傷の原因に
なるのでインナーパンツの可
燃ナイ
ロン製は競技では禁止
された
が、それ以前の期間に
おいて
は私たちはパンストを
革ツナギの下に履いて
いた。
着替えの時には「なんか変態
みたいだな(笑」とか言い合
いながら野郎どもがインナー
としてパンストを履いていた。

バイクブームが盛り上がって
以降だ。
二輪専用に開発された防寒
インナーレギンスパンツ等
が開発されたのは。
それまではライダーたちは
各々でいろいろ工夫していた。
白バイ隊員たちも各人で防寒
対策を練っていたようで、当
時の1970代にはやはりコマ
ネチ愛用のようだった(笑
これは白バイ隊員から直接
聞いた。
現代ではヒートテックのアン

ダーウエアが薄手で滑りも
良く、非常に優れている。



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