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中国地区でもここ10数年で出回る
ようになった「おかめ納豆」が
美味しい。本場の水戸納豆と変わ
らない。
西日本の人たちは納豆を毛嫌い
する人たちが異様に多いが、たぶ
ん昔は美味しい納豆が出回ってい
なかったからではなかろうか。
うちのもう死んだ親族も納豆の事
を「あんぎゃーな腐れ豆食わんで
もこっちにはうまいもんがえっと
(沢山)ある」とか言っていた。
ただ、父と母は若くして東京に出て
東京で食べる茨城産の美味しい
納豆を知っていたので、納豆ファン
だったようで、広島に転住してか
らよく「納豆食べたいね」など
話していたらしい。
40数年前は、関東と同じ味の納豆
などは広島県では入手不能だった
のだ。
大昔、一度九州で地元産の納豆を
食べた事がある。
食えたもんじゃなかった。
それこそ腐った大豆みたいだった。
それが関東以外での納豆の現実だ
った。
これだな、これでは納豆嫌いの人
たちも増える筈だ、と感じた。
私の親戚の配偶者の兄などは、九州
から東京の大学に出て、納豆定食
の美味さにたまげて、以来納豆嫌い
転じて大ファンになったという。
私の両親と同じパターンなのだろう。
中国地区に私が転住して以降、か
なり納豆嫌いの人を知る事になる。
そして、嫌い方が半端なく、「あん
なもん人間の食うもんじゃねえ」
とか言う。
よく広島県内で聞く「東京なんて
人間の住むとこじゃない」とかいう
のに似ている。
では、都民1千数百万人は人では
ないのか、とも思うが、そうした
言い方は広島県ではよく耳にする。
でも、仮に私が「広島県なんて
人間の住むとこじゃない」とか
言ったとしたら、それを聞いた
広島県人はただでは済まさない
事だろう。集団的示威行動を
とるか、パワハラや村八分にす
るか、ネットで粘着していつま
でもあげつらいの中傷を続ける
事だろう。
そんな辛辣でひどい事を言わなく
とも、そうした集団的強圧性は
地方の田舎では頻繁に発生し
ているのが現実だ。
そして、そうした事は地場の人間
からしたら「正しい事」として行使
される。江戸時代の五人組制度や
戦時中の隣り組制度の感覚が今
でも強く地方には残存している。
特定の食べ物に対する感情も、
単なる好き嫌いの範疇を超えて、
まるで「そんなもんを食うのは
国賊」みたいな風に目の敵にする
のだ。
食についても地方で現出している
現実の現象は、好き嫌いの好みで
はなく、人的意識の問題が表出し
たものかと思われる。