渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

路傍のタンポポ

2024年05月14日 | open
 

私が育った横浜の町はとても
タンポポが多い所だった。
遠く離れた異国の地でも、路
傍にタンポポが生えている
を見ると、気が休まる。
風に乗って流れて行って別の
地で芽を出す。
一箇所に留まらない。
地面に縛り付けられない。
タンポポは漂泊の草花だ。
エトランゼだが、自由独立の花。
 
 
 
 
 

PIAGGIO Vespa 純正パーツ

2024年05月14日 | open
 

在庫切れになったら何ヶ月も
入って来ないとされるピアジ
オ純正品を仕入れておいた。








 
 
 

運転

2024年05月14日 | open



広島県三原市民よ。
いい加減にこの運転はやめて
くれ。

 

 


ウグイ

2024年05月14日 | open





鯉科のウグイ。
何にでも喰いつく。
群れるウグイはよく釣れる。
よく群れ、何にでも喰いつく
悪食なのでとても
よく釣れる。
だが、食わない、食えない、
食い
たくない。
通称ネコマタギ。
猫さえも跨いで避けて食わな
いといわれる超
まずい魚だか
らだ。

汚れた水域にこのコイ科の魚
は群れて棲んでいる。

 

 
 

 


案山子

2024年05月14日 | open



田の案山子。
お前はお辞儀はできやしない。

だが、フィールドに長くは居
そうだ。

パイポ、パイポ、パイポの
シューリンガン、シューリン
ガンのグーリンダイ、グーリ
ンダイのポンポコピーのポン
ポコナだからだ。
何とかと同じで長生きしそうだ。

 


石像

2024年05月14日 | open



石像よ。
お前はただの偶像だ。
そして、固まったまま動け

ない。

 


 

 


ヤキトリ

2024年05月14日 | open
 


ヤキトリよ。
お前はすでに死んでいる。

 

電動バイク

2024年05月14日 | open



うお!意外とでけえな。
いや、バッテリーが。

バッテリーシェアにも補助金
出るそうです。

電動バイクだけじゃない!バッテリーシェアサービスにも補助金が出るって知ってた?

電動バイクだけじゃない!バッテリーシェアサービスにも補助金が出るって知ってた?

電動バイクを購入する際、国や自治体から補助金が出ることはあまり知られていないことかもしれません。さらに昨今は、電動バイク本体だけでなくバッテリーシェアサービスに...

バイクのニュース

 

電動バイクは、バッテリー
を2個積んでいて、1個のほう
電力消費している間にもう1
にローター使って充電とか
できるシステムは開発されな
いのかなあ。
要するに、走行距離にもよ
けど、ずっとバッテリー
を交
互に充電して延々と走
れると
いうような電源システム。



 


エビスビール

2024年05月14日 | open



ゆんべ久しぶりにエビスを
飲んだ。
うまい。
う~ん、味はサッポロ(笑
東京生まれのビールだが、
サッポロが製造している。

 

 


スマホの充電

2024年05月14日 | open



スマホは満充電にしない
ほうがいいと人づてに聞
いたが、本当なのだろう
か。

iPhoneの場合、バイクの
ハンドルなどに取り付け
ると、振動で壊れやすい
というのは知っている。
私の友人もそれで壊れた
し、ネットでもそうした
事は話題に上がっている。
私の場合、スマホをバイク

に取り付けして運転すると
いうことは一切しないの

であまり個人的には関係
がないが。
ナビを見ながら走行運転
というのはしないし。
ましてヘルメットの中で
音楽を聴きながらの運転
などは絶対にしない。
ただ、一般知識としては振
動吸収対策品のホルダーに
着けていも、スマホがバイ
クの走行中の微振動で壊れ
やすいのは知っている。
一眼レフカメラなども運搬
の際には光学機器輸送専用
車両がある程なので、一般
車両に取り付けたらすぐに
壊れるだろう。
それを考えると、二輪車に
取り付けても壊れない撮影
用カメラというのは、よく
できているなぁと感じる。
私の場合、二輪ではスマホ
は胸に入れている。

というか、映像の乱れは叩

けば直るという昭和40年代
のテレビ、
あれは一体何だっ
たのだろう。


 






クリップオン ~セパレートハンドル~

2024年05月14日 | open



セパレートハンドルの良い所。
それは路面状況をダイレクト
に運転手に伝える点だ。


なにも前面投影面積を小さく
するためだけに前傾用クリップ
オンハンドルがある訳ではない。
多くの利点を持っているのだ。


それは市販車にしても同じ
物理現象が発生する。
ただし、市販車の標準セパ
ハンは前方視認性の問題か
ら、競技車両のレーサーよ
りもやや高めにセットされ
ている。

ちなみに、前傾姿勢を取る
のが必至のセパハンであろ
うとも、長時間走行で腰が
痛くなる、腕が痺れる、首
が疲れる等は一切無い。
あるとしたら、それはその者
の二輪の乗り方が根本的に
間違っているからだ。
そして、乗り方の間違い以前
に、二輪に対する理解が乏し
すぎる。
それは、最初から心得違いを
しているからだ。
メーカーは拷問器具など作っ
てはいない。
自分が間違った乗り方をして
いながら車のせいにする。
それは二輪についてド素人だ
けがやってのける事で、極め
て恥ずかしい。不見識以前に
恥ずかしい。二輪乗りを自称
するとしたら、尚更恥ずかし
い。
身体のどこかが苦痛になる
物理的構成が二輪にあった
としたら、耐久選手権など
という競技は成立しない。
苦痛に耐える我慢大会になっ
てしまうからだ。
二輪はそうした要素とは全く
異なる存在として物理的に
ある。
耐久レースは、車両の耐久性
と、高次元の集中力を維持し
たまま、その車両を壊さない
ように走る人間力を戦わせる
競技である。苦痛の我慢比べ
ではない。

一般公道用車両においても、
人が苦痛になる二輪などは
メーカーは一切製造してい
ない。
自分の心得違い、不見識を
棚に上げて、前傾モデルを
「しんどい」だの「腰が痛い」、
「手が痺れる」、「首が疲れ
る」等々口にする人間は全員
二輪そのものについてのまと
もな見識
を持ち合わせていな
い。

根底から認識不足を越えた
無知蒙昧を自ら曝している。
間違った事をさも当たり前の
事であるかのように吹聴する
その姿勢は、さらに呉下の
阿蒙ぶりを自分で自己紹介
しているだけなのだ

つまり、愚者であり、たわけ
だ。
己の誤謬を自分で見つめる

勇気もなく、また、正鵠を
射るための脳の働きもさせず、
現実実技における精進も自ら
拒否して自分が常に正しいと
して
いるからだ。
暗愚とはこの事。

それらが二輪乗りであるかの
ような顔をして世間には多く
蔓延っているのが現状だ。
レーシングライダーをはじめ、

一般二輪運転者にあっても、
乗れている人たちからしたら
それらの人たちは二輪操縦や
運転とは別次元の頓珍漢な事
を口にして、さも解ったよう
な体を取ってるのである。
果てしなく、カッコ悪い。
滑って転んでいるのはそれら
が運転する二輪車だけではな
い。
すでに運転者の思考そのもの
が根底から滑っているのだ。
 
セパレートハンドルの唯一の
欠点。
それは距離を遠くはできるが
近くはできないという点。
競技車両では乗り手に合わせ
ていかようにも改造できるが、
物理的な限度がある。
これが公道市販車の場合、トッ
プブリッジ上にセットされた
バーハンドルならば、セパハン
の比ではない許容度を有する。
この事は、女性はじめ小柄な
人たちにとってはそのポジシ
ョンの可変性は有利に働く。
遠すぎるハンドルは運転その
ものに支障をきたす可能性が
高いからだ。
ゆえに公道市販車では、一部
のモデルを除いて、競技車両
とは別なトップブリッジより
上のバーハンドルが標準であ
るモデルが多いのだといえる。
ハンドルは法的規制の中では
いくらでも好きな形状の物に
換装できるのもバーハンの
利点でもある。
路面からのリニアで正確な情
報伝達
はセパハンに比べると
かなり
ぼやけるが。

こうした事は、個人の趣味嗜好
とは別次元の物理的な構成要素
として存在している。
二輪とは、乗り方も車体構成も
すべて物理的な事柄だからだ。
二輪独自の挙動もすべて物理
的な現実として発生する。
すべてに原因があり、理由があ
る。
それゆえ、人間がそれを見切っ
て、深く理解して対処するのが
二輪という乗り物なのだ。
つまり「人間がどうであるの
か」
を鋭く人間に突き付けら
れるの
が二輪なのである。
この視座を有する者は、大抵
「乗れている」人。
世の中には「二輪に乗る人と

乗らない人」の二種類しか物
理的に存在しない。
だが、二輪に乗る人の中にも
二種類が存在している。
それは「二輪を理解している
と全く理解できない人」だ。
これは現実として世の中に存在
している。
 


 


 


驚きのカラスの知能

2024年05月14日 | open

 




賢い。
 

 

 


映像の魔術師 ~湘南ライディング~

2024年05月14日 | open

50年前のバイクで湘南を走る
【KAWASAKI サイドワインダー】


撮影うまいなぁ。

 

 


日本グランプリ 1997年

2024年05月14日 | open

500cc 岡田逃げ切れず 日本GP 1997年


1997年からこんにちまで、
もう既に四半世紀以上の年月
が過ぎてしまった。
世界グランプリ最高峰500cc

クラスにおいて、世界チャン
ピオンの前を日本人が4人も
走る。
このような状況を1983年の
ケニー対フレディの時代、
いやバリバリ伝説最終話の
1991年の時点でさえも誰が
想像し
ただろうか。
1990年代の日本人ライダー
たちの活躍は後にも先にも
ほんのひと時の瞬きのよう
な瞬間的煌めきを放ってい
た。強烈な輝きを。

なお、1970年代初期からこ
の1997年頃の時期を越えて
ほんの数年前の2010年代末
期までは、日本製のオート
バイでなければ世界選手権
では優勝できなかった。
世界のトップを走るのは
すべて日本製の二輪だった。
だが、現在は日本製は世界
戦においてビリだ。
かろうじて耐久選手権にお
いては日本製の二輪と日本
人ライダーが健闘(2024年
のルマン24時間でのスズキ、
ヤマハの活躍、綿貫マイク
のクラス3位入賞等)してい
るが、世界一の速さを競う
スプリント競技では日本製
オートバイはビリなのだ。

どうにか耐久選手権では
かつての日本の姿を保って
はいるが、世界最高峰クラ
スのレースでは日本車では
全くお話にならない時代に
なった。
なぜか。
それは日本人自身が、二輪
の作り方を誤った方向に持
って行ったからだ。
海外メーカーが日本製を凌
ぐマシンを開発したからで
はない。日本製がダメな車
になったからだ。
理由は明白。
それは人間を排して人間疎
外の上に車作りをする姿勢
に日本メーカーがシフトし
たからだ。
開発ライダーを軒並みクビ
にし、コンピュータデータ
のみで車作りをする大リス
トラを日本が採用したため、
日本人が作るオートバイは
世界の底辺に向かう事にな
ったのである。
この事を指摘する人は社内
からもどんどん排除した。
これは一般市販車開発にお
いてもそうであり、ヨーロッ
パで大人気モデルを開発発表
した開発総責任者を左遷して
社内政治に勝った人間が作る
二輪、経営陣の意のままに
動く人間のみを重要視する
経営に日本の二輪メーカー
が転じた。
世界最高峰競技でビリを走る
転ぶ車しか作れないメーカー
が作る最新公道市販車が良い
車である訳がない。
モータージャーナリストや
モーターメディアなどは、
新型車が出たら金太郎飴の
画一的態度で誰もがそれを
褒めたたえる記事しか書か
ない。忖度しか持っていな
い。忖度どころかおべんちゃ
らの太鼓持ち発言しかしない。
まるで「裸の王様」の寓話
のようだ。
滑稽である。

だが、かつての時代、1970
年代初頭から2010年代まで
の40年間、日本の二輪がこ
の地球上で最頂点に君臨し
つづけたのは確かな歴史の
事実なのである。
なぜできた?
それは人が二輪を作ったから。
機械ではなく。
人間に一番近い乗り物である
二輪を人間自身が作ったから
である。
日本人はそれをやっていた。
人が乗る事を前提にした車
を作っていたのだ。
今は、それが無い。ゼロ。
結果はかくしてなるべくして
なった。
世界チャンピオンが乗っても
転ぶ二輪しか作れなくなった
のである。