新進気鋭の若手の経済書を読むのは、実に楽しいね。イェール大・伊神満准教授の『イノベーターのジレンマの経済学的解明』は、とても読みやすく、構造分析がどんなものかがイメージできる好著だ。世間では、「バカだから失敗した」と一刀両断にする言説が多いが、単に論者の無理解ぶりを公にするに類だったりする。ベスト&ブライテストが誤りを犯すには相応の理由があるはすだ。こうした謙虚さを持ち、データとロジックで緻密な検証を行う。そうでなければ、犠牲に報いることはできない。
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著名な経営学者のクリステンセンの『イノベーターのジレンマ』は、「大口顧客の当座の要望に耳を傾けているうちに、技術の波に乗り遅れてしまう」ことを描く。ここから、いくつかの疑問が湧く。なぜ、市場で優位にある既存企業は、「共食い」を恐れて新技術を入れようとしないのか。また、既存企業なら、「共食い」の脅威になる新参企業の新技術を買い取って、独占的利益を守ろうとするのではないか。そして、そもそも既存企業と新参企業では、どちらのイノベーション能力が高いのか。伊神先生は、これらについて、ハードディスク市場を対象に実証していく。
結論的には、既存企業は、たとえ有能で戦略的で合理的であったとしても、「共食い」がある限り、新参企業ほどイノベーションに本気になれないのであり、この「ジレンマ」を解決して生き延びるためには、何らかの形で「共食い」を容認する必要があるものの、株主の利益に反する可能性があるというものだ。「言われてみれば、そうだろうな」くらいの中身に思えるかもしれないか、データを基に実証し、モデルを組んで反実仮想のシミュレーションまでするところに意味がある。
さて、この問題を考える場合、いくつか補助線を引くと分かりやすい。まず、価値を企業の存続に置くか、利益に置くかである。次いで、利益は長期で測るか、短期で測るかだ。一つの技術は必ず陳腐化する。こう達観して、ある技術から最大限に利益を引き出すには、どんな戦略を取るかを考える。それは、研究に励んで技術を保持しつつ、新参を十分に牽制できるタイミングで投入を調整するものになる。いわば、先行のソニーが新製品を出したら、すかさず類似品を出す「マネシタ電器」の方式だ。
そして、通常は、企業を存続させた方が収益期間が永久になるので利益は大きくなるが、短期間に最大限の収益を搾り尽くし、企業を破棄する方法だってある。細く長く利益を得るのと、太く短く利益を取るのと、どちらを選ぶかは価値観の問題だ。永続する社会の観点からは、長期の価値が大きいのが明らかでも、死せる存在である個人の観点では、生きているうちの短期にしか価値がない。枯渇を考えず、いるだけ魚を取る方が、個人には合理的とも言える。コダックのように、多角化の投資を捨て、当座の利益と将来の滅亡を選ぶことにも合理性はあるのだ。
長期と短期で合理性が変質することは、本コラムが様々に指摘するように、経済の理解においてカギになる概念である。主流派の経済学が現実に合わないのも、無限の人生を無自覚に前提とし、試行可能数を考慮せず、期待値に従うと安易に考えることによる。実際は、「人は死せるがゆえに不合理」であり、十分な収益が期待できる設備投資も、需要に取り返しのつき難い変動リスクがあるとなされない。だから、景気回復には需要の安定が重要であり、少し上向いたところで緊縮財政をするようでは、いつまで経ってもデフレを脱せないことになる。
………
結局、「イノベーションのジレンマ」とは、長期と短期の相克で、どちらの合理性を選ぶかである。それゆえ、ベスト&ブライテストも、後知恵から「バカ」に見える短期的利益を、必然性を持って選ぶのだ。したがって、社会的見地からは、企業や国のリーダーが在任中だけの最大利益を追わぬよう仕組まなければならない。若者を安使いして結婚できなくし、少子化を起こして労働力を枯渇させるとか、財政再建が最優先で、非正規に育児休業給付も乳幼児保育も与えずに、人口激減を招くとか、どこかの国のように、目先に焦り、持続可能性が視野の外になったら、もう終わりである。
(今日の日経)
異常気象、暮らし揺らす 酷暑・豪雨が襲った7月。
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著名な経営学者のクリステンセンの『イノベーターのジレンマ』は、「大口顧客の当座の要望に耳を傾けているうちに、技術の波に乗り遅れてしまう」ことを描く。ここから、いくつかの疑問が湧く。なぜ、市場で優位にある既存企業は、「共食い」を恐れて新技術を入れようとしないのか。また、既存企業なら、「共食い」の脅威になる新参企業の新技術を買い取って、独占的利益を守ろうとするのではないか。そして、そもそも既存企業と新参企業では、どちらのイノベーション能力が高いのか。伊神先生は、これらについて、ハードディスク市場を対象に実証していく。
結論的には、既存企業は、たとえ有能で戦略的で合理的であったとしても、「共食い」がある限り、新参企業ほどイノベーションに本気になれないのであり、この「ジレンマ」を解決して生き延びるためには、何らかの形で「共食い」を容認する必要があるものの、株主の利益に反する可能性があるというものだ。「言われてみれば、そうだろうな」くらいの中身に思えるかもしれないか、データを基に実証し、モデルを組んで反実仮想のシミュレーションまでするところに意味がある。
さて、この問題を考える場合、いくつか補助線を引くと分かりやすい。まず、価値を企業の存続に置くか、利益に置くかである。次いで、利益は長期で測るか、短期で測るかだ。一つの技術は必ず陳腐化する。こう達観して、ある技術から最大限に利益を引き出すには、どんな戦略を取るかを考える。それは、研究に励んで技術を保持しつつ、新参を十分に牽制できるタイミングで投入を調整するものになる。いわば、先行のソニーが新製品を出したら、すかさず類似品を出す「マネシタ電器」の方式だ。
そして、通常は、企業を存続させた方が収益期間が永久になるので利益は大きくなるが、短期間に最大限の収益を搾り尽くし、企業を破棄する方法だってある。細く長く利益を得るのと、太く短く利益を取るのと、どちらを選ぶかは価値観の問題だ。永続する社会の観点からは、長期の価値が大きいのが明らかでも、死せる存在である個人の観点では、生きているうちの短期にしか価値がない。枯渇を考えず、いるだけ魚を取る方が、個人には合理的とも言える。コダックのように、多角化の投資を捨て、当座の利益と将来の滅亡を選ぶことにも合理性はあるのだ。
長期と短期で合理性が変質することは、本コラムが様々に指摘するように、経済の理解においてカギになる概念である。主流派の経済学が現実に合わないのも、無限の人生を無自覚に前提とし、試行可能数を考慮せず、期待値に従うと安易に考えることによる。実際は、「人は死せるがゆえに不合理」であり、十分な収益が期待できる設備投資も、需要に取り返しのつき難い変動リスクがあるとなされない。だから、景気回復には需要の安定が重要であり、少し上向いたところで緊縮財政をするようでは、いつまで経ってもデフレを脱せないことになる。
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結局、「イノベーションのジレンマ」とは、長期と短期の相克で、どちらの合理性を選ぶかである。それゆえ、ベスト&ブライテストも、後知恵から「バカ」に見える短期的利益を、必然性を持って選ぶのだ。したがって、社会的見地からは、企業や国のリーダーが在任中だけの最大利益を追わぬよう仕組まなければならない。若者を安使いして結婚できなくし、少子化を起こして労働力を枯渇させるとか、財政再建が最優先で、非正規に育児休業給付も乳幼児保育も与えずに、人口激減を招くとか、どこかの国のように、目先に焦り、持続可能性が視野の外になったら、もう終わりである。
(今日の日経)
異常気象、暮らし揺らす 酷暑・豪雨が襲った7月。
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