見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

落川・浄光寺の十一面観音立像とギャラリートーク(東京長浜観音堂)

2024-06-12 22:26:26 | 行ったもの(美術館・見仏)

東京長浜観音堂 『十一面観音立像、薬師如来立像、阿弥陀如来立像(高月町落川・浄光寺)』(2024年5月18日~6月16日)

 令和6年度第1回展示の十一面観音立像を見てきた。一回り小さな薬師如来立像と、さらに小さな阿弥陀如来立像という、あまりない三尊形式だった。

 お寺の名前だけでは気がつかなかったが、お顔を見て、あ、これは!と思った。昨年、「観音の里ふるさとまつり」のバスツアーで拝観させていただいた観音様である。解説に「肉身部には肌色を塗り」とあるけれど、胡粉に朱でも混ぜているのだろうか。眉・目・髭を墨で描き入れ、唇は赤く、童子のような愛らしさがある。薬師如来と阿弥陀如来も黒目と髭が描き加えられており、生き生きと親しみやすい表情をしている。

十一面の頭上面もなかなかよい。

 6月8日は、高月観音の里歴史民俗資料館の学芸員・佐々木悦也氏のギャラリートークがあったので聴きに行った。佐々木さん、お話を聞いているうちに思い出したが、以前、余呉町国安の十一面観音についてのギャラリートークをお聞きした方だった。

 はじめ、滋賀県の仏教文化財全般の紹介があり、話題は竹生島にも及んだ。竹生島の宝厳寺は、神亀元年(724)聖武天皇の勅願により僧・行基が開基したと伝わることから、今年2024年は開創1300年を記念して、5月と10月に秘仏御開帳を行うことになっている。5/18~27は弁才天堂(本堂)の本尊御開扉で(終了)、10/12~21には観音堂の本尊御開扉が行われる。弁才天信仰は観音信仰でもあるのだ。うーむ、5月は逃してしまったが、10月は行きたいなあ…。

 また、8/15~16に行われる蓮華会は、本来、当番の家が、新しく作った弁才天像を奉納する行事だったが、現在は、お前立ちの弁才天像を一時お預かりして奉納することになっているそうだ。宝厳寺最古の弁才天像(弘治3年(1557)の墨書銘あり?)は長浜の仏師の作ではないかとも見られている。

 このあたり、余談と思って聞いていたのだが、あとで浄光寺の十一面観音に戻って、そのお顔立ちをアップの写真でよく見ると、四角っぽいところが、竹生島の古い弁才天像と、とてもよく似ていた。ちなみに佐々木さんによれば、観音・薬師・阿弥陀の3躯ともに、いかり肩で腰が低く、胴長で全体に四角い姿は、竹生島を含め、湖北に多い特徴だという。なるほど。

 ギャラリートークの最後に、井上靖さんの『星と祭』の一節を朗読してくださったのも感銘深く、観音の里・高月への愛情をしみじみ感じた。

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ひとつとや~で始まる/古美術かぞえうた(根津美術館)

2024-06-09 20:59:36 | 行ったもの(美術館・見仏)

根津美術館 企画展『古美術かぞえうた 名前に数字がある作品』(2024年6月1日~7月15日)

 かぞえうたのように数字をたどりながら、気軽に楽しく鑑賞できる古美術入門編。近年、同館は、さまざまなかたちで古美術の魅力を紹介する展覧会を開催しているが、これはまた新機軸である。

 はじめは「姿や技法を示す数字」で陶磁器や漆工・金工が中心。『青磁一葉香合』に始まり、名前に含まれる数字が徐々に大きくなっていく。『染付二匹鯉香合』は、青色で鱗を描かれた鯉と白い鯉が上下にくっついているのだが、一瞬、腹のふくれたフグかと思った。『青磁三閑人蓋置』は、三人が外側を向いて背中合わせに手をつないでいるのが不思議。画像検索すると、外向きが一般的だが、例外的に内向きの三閑人もあるようだ。三角香炉→四方鉢→六角水注→八角鉢…と、角(かど)を表す数字は、基本的に偶数で大きくなっていく。と思ったら『染付波文十一角皿』(肥前)があって驚いた。ギザギザした縁が、アルミホイルのケーキカップみたいで可愛いのだが、どうやって十一等分の角度を得たのか、とても不思議である。七角、九角も難しそうだが、五角形の『屈輪堆黒五輪花形合子』は、安定感があってよいと思った。それぞれ独特の技法を表す三彩、五彩、七宝の作品もあり。

 後半は主に絵画で、三夕、四君子、六歌仙、七夕などの数にちなんだテーマを、なるほどなるほど、と納得しながら眺める。見慣れない作品があるなと思ったのは、狩野昌運筆『四季耕作図』4幅(江戸時代、17世紀、個人蔵)。淡彩で農村の耕作風景を描いているが、田んぼ(たぶん)が整えられた長方形でなく、水たまりみたいな楕円形なのが面白かった。作者不詳の『四睡図』(江戸時代、17世紀、個人蔵)は、だらしなくバターのように溶けた虎が可愛かった。狩野常信筆『瀟湘八景図』は、比較的コンパクトな図巻におなじみの八景を収めている。漆工の『七夕蒔絵硯箱』には、笹と短冊のほかに、冊子や梶の葉がデザインされているのだが、裁縫や書道などの技芸上達を願う感覚、残念ながら、すっかり忘れられているなあと思った。

 なお、展示ケースのところどころには、展示品を読み込んだ、クスッと笑える「かぞえうた」が添えられていた。担当学芸員の作との由。

 展示室2は「仏教美術にあふれる数字」を特集。時に南北朝~室町時代の仏画が多くて、独特のあやしげな雰囲気が好き。『普賢十羅刹女像』(鎌倉~南北朝時代)は、普賢菩薩の左右に5人ずつ羅刹女を配するが、右3人目の羅刹女だけ和風に長い髪を垂らしている。衣装も女房装束かと思うが、よく見えなかった。『弁才天十五童子像』(室町時代)は、横幅のある、どっしりした弁才天( マツコ・デラックスみたい)を、角髪(みずら)の童子たちが囲む。上方に蔵王権現と役行者が描かれており、吉野・天河弁才天を表したものだという。

 『阿弥陀二十五菩薩来迎図』(鎌倉時代)は、伝統的な図様。最近、だんだん来迎図に惹かれるようになってきたのは、年齢のせいかもしれない。自分の部屋に飾って、日夜眺めて暮らしたい。最後に『華厳五十五所絵』(平安時代、もとは東大寺にあったもの)が3幅出ていた。四頭身か五頭身くらいの鬼たちがかわいい。日本の鬼(邪鬼)は背が低くて頭でっかちが古い伝統なんだろうか。

 上の階に上がって、展示室5は「江戸→東京-駆け抜ける工芸-」と題して、幕末~明治の金工・漆工など。その流れで、展示室6「季夏の茶の湯」の冒頭に、小川破笠『竹翡翠蒔絵手付煙草盆』が出ていた。地味な木製の煙草盆の側面に、ハッとする色あざやかな翡翠(かわせみ)の姿が嵌め込まれている。景徳鎮窯の『色絵竹節形火入』(明時代)ともよく合っていた。

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2024年6月パレスチナ・デー@東京ジャーミー

2024-06-08 19:48:10 | 日常生活

代々木上原のモスク「東京ジャーミー」で開催された「パレスチナ・デー」に行ってきた。昨年12月に初めて参加して、珍しいパンやお菓子をGETできたので、またやらないかな~と思ってチェックしてみたら、今日6月8日(土)開催と分かったので、さっそく行ってきた。

前回は行ったのが遅い時間で、売りものがあらかた捌けていて残念だったので、今回はお昼前に到着した。1階のバザーで食べものばかり購入。下段の大きなチーズパン(バジル入り)は、家に帰ってから今日のお昼にしたが、食べ応えがあった。上段左の肉まんを売っていたのはマレーシアの女性たちだったかな。

ロビーではパレスチナに関する簡単な解説ツアーをやっていて、若者がたくさん耳を傾けていてよかった。

前回は1階を見ただけで帰ってしまったのだが、あとで2階のベランダにもお店が出ていたと聞いたので、勇気を出して上がってみる。

そうしたら、その場で食べられる軽食のお店がたくさん出ていて楽しかった~。売り子のおじさん、おばさんたちはみんなフレンドリー。オレンジジュースブレンドのラッシーをいただく。

次回は友だちを誘って来よう!

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金融業界の裏表/中華ドラマ『城中之城』

2024-06-07 23:48:50 | 見たもの(Webサイト・TV)

〇『城中之城』全40集(中央広播電視総台、愛奇藝他、2024年)

 見たいドラマが少し途切れていたので、豪華な配役に惹かれて本作を見始めた。上海の陸家嘴金融貿易区という「金融城」を舞台に、銀行、証券、信託、投資、不動産等に関わる人々を描いたドラマである。

 陶無忌は、程家元ら同期とともに深茂銀行に入社し、銀行員生活のスタートを切った。彼の憧れは、同行副支配人の趙輝だった。就職活動中の恋人・田暁慧とともに、早くお金を稼いで家を買い、結婚することが目下の目標だった。

 突然、深茂銀行上海支店支配人の戴其業が、不慮の交通事故で亡くなった。葬儀で顔を合わせたのは、かつて大学で戴其業に金融学を学んだ四人の中年男性。四人のうち、趙輝、蘇見仁、苗彻の三人は、深茂銀行の同僚でもあった。出世頭は副支配人の趙輝だが、愛妻・李瑩を亡くしてから、一人娘の蕊蕊の幸せだけを願い、万事質素に控えめに暮らしていた。目下の心配事は、蕊蕊の眼病が悪化し、失明の恐れがあること。趙輝には、少年時代に命を助けられた呉顕龍という恩人がいて「大哥」と呼んで家族同様に付き合っていた。今は顕龍集団という不動産会社の会長である呉顕龍は、蕊蕊のための募金を立ち上げ、多額の寄附集めに成功する。その裏に、何かのからくりがあることを趙輝はうすうす気づいていたが、何も言えなかった。

 浜江支店の副支配人・蘇見仁は直情径行、かつて趙輝と李瑩を争って破れたことを、今も根に持っている。その後も恋多き人生を送っており、程家元は蘇見仁の隠し子だった。苗彻は深茂銀行の監査部門に所属し、義に厚く、理非を重んじる態度から「苗大侠」と仇名されている。趙輝とは家族ぐるみの親友。

 最後の一人である謝致遠は、遠舟信託という信託会社の総裁である。手段を選ばない経営で事業を拡大しており、趙輝の弱みを握って、深茂銀行の資金を吸い上げようと画策していた。そのため謝致遠が用意したのは、趙輝の亡き妻・李瑩に瓜二つの子連れシングルマザーの周琳。謝致遠の指示に従って、趙輝に近づく周琳だが、趙輝は警戒心を緩めない。かえって、たちまち周琳に惚れてしまう蘇見仁。しかし周琳の気持ちは趙輝に傾き、二度目の失恋を味わう蘇見仁。怒りのあまり、蘇見仁は趙輝の車に隠しカメラを仕掛け、ついに趙輝が呉顕龍に不正な便宜を図っていた証拠を入手する。

 中年男女の恋模様はひとまず置いて、謝致遠は、違法行為が露見して牢獄入りとなる。謝致遠の妻・沈婧は、復讐のため、趙輝と呉顕龍に近づく。蘇見仁のことは早急に「始末」させた呉顕龍だったが、沈婧の甘言には騙され、手を組む約束をする。

 その頃、趙輝の勧めで監査部門の苗彻に師事していた陶無忌は、次第に趙輝の不正の証拠に迫っていく。そして、ついにその訴えは党の紀律検査委員会の取り上げるところとなる。絶対絶命に追い込まれた趙輝は自殺を企てかけるが、周琳と蕊蕊、そして陶無忌の説得によって思いとどまり、静かに連行される。

 私は、日本語でも金融関係の用語に疎いので、まして中国語にはなじみがなく、序盤は何が起きているのか理解するのに苦労した。終盤は盛り上がって、まあまあ面白かったと思う。主な登場人物は、生き馬の目を抜く金融業界で生きる人々だが、田暁慧の母親は、ふつうの中年婦人であるにもかかわらず、娘のために投資に手を出して稼ごうとする。はじめは安心できる商品で満足していたのだが、株価(証券?)の上下動に熱くなって、ついに全財産を失ってしまう。しかもその価格を操作していたのが、叔母の沈婧に抱き込まれた田暁慧だったという皮肉。母親の命まで失いかけて、田暁慧は真人間に立ち戻る。こういう悲劇は、おそらく実際にあったのだろうな。本作(原作小説)の設定は2018年頃だというが、中国の投機加熱のニュースは何度も見てきた。現在もその傾向は続いているようだ。

 普通の人間を不正に踏み切らせるのも家族(あるいは家族に近い親密な人間関係)なら、立ち戻らせるのも家族というのは、中国人には納得のいく描き方なのかなと思った。オジサン俳優陣の中では、珍しく悪人役の涂松岩(謝致遠役)、可愛げのあった馮嘉怡(謝致遠役)がよかった。苗彻役の王驍は役得。しかし、上海のサラリーマンは、あんなきっちりした背広姿で出勤し、仕事が終わると日本風あるいは韓国風の居酒屋で酔いつぶれてるのか。もはや映像では日本社会と区別がつかなくなっている。

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アイスショー"Fantasy on Ice 2024 幕張&愛知"

2024-06-04 21:41:30 | 読んだもの(書籍)

Fantasy on Ice 2023 in 幕張、初日(2024年5月24日 17:00~)/in 神戸、千秋楽(2024年6月2日 13:00~、ライブヴューイング)

 アイスショーFaOI(ファンタジー・オン・アイス)、今年は久しぶりに幕張公演のチケットを取ることができた。調べたら、2019年、ゲストがToshl(龍玄とし)さんだったとき以来である。我が家からのアクセスもよいので、15時頃まで在宅で仕事をして、おもむろに幕張へ向かった。

 出演スケーターは、羽生結弦、ステファン・ランビエル、ハビエル・フェルナンデス、田中刑事、山本草太、アダム・シャオ・イムファ、デニス・バシリエフス、中田璃士、宮原知子、青木祐奈、上薗恋奈、パパシゼ(ガブリエラ・パパダキス&ギヨーム・シゼロン)、パイポ―(パイパー・ギレス&ポール・ポワリエ)、エアリアル(フライング・オン・アイス)のメアリー・アゼベド&アルフォンソ・カンパ。ゲストアーティストは西川貴教、城田優、安田レイ。

 席はこんな感じでSS席北側、ステージ近め。幕張はトイレ事情が厳しいので、通路隣の席で助かった。

 今年は羽生くんがAツアーのみで、Bツアー(神戸、静岡)に出演しないということもあって、「客を呼べる」スケーターをA、Bツアーに分けた感がある。しかし今年のAツアー、私はものすごく満足度が高かった。芸術性に富んだ、つまり感性と理性を刺激する、挑戦的なプログラムの連続で「息抜き」が全く無かった。いや、フェルナンデスはハビちゃんマンプロで大いに笑わせてくれたし、城田優さん+安田レイ+青木祐奈ちゃんの「A whole new world」(映画アラジン)は夢のようにロマンチックだったし、安田レイ+パイポ―の「Easy on me」の王子様・お姫様感たるやもう。ステファンが甘く切ない「行かないで(ヌギッパ)」の再演だったのも嬉しかった。

 パパシゼは前半のトリの「バッハ」が芸術品。前半、ステファンの次はパパシゼだろうと思っていたら、入場口に上下白衣装の羽生くんが現れたときの会場のどよめきは凄かった。衣装のとおり「ダニー・ボーイ」で、3月に仙台で見たときと同様、大きく感情を揺さぶられた。愛知公演千秋楽のライブビューイングでも見たわけだが、このプロは「引き」で見る方が訴える力が強いように思う。

 大トリの羽生くんは西川貴教さんとコラボで「ミーティア」。「機動戦士ガンダムSEED」の挿入歌なのね。私はファーストガンダムしか知らない世代なのだが、アイスショーのおかげで、さまざまなジャンルと年代の曲に触れることができて嬉しい。フィナーレの「HIGH PRESSURE」も大盛り上がり。愛知千秋楽を見ると、ああ幕張初日は、まだ硬さがあったんだなあ、と感じる。

 若手初参加の上薗恋奈ちゃん、中田璃士くんは完成度の高さに舌を巻いた。来シーズンに大きく期待。デニス、田中刑事くんは、私の好きなタイプのスケーターにどんどん成長していて、わくわくする。城田優さん+フェルナンデスの「イザベル」はスペインの情熱を感じさせるイケメンプロ。ステファンの「The whale」は映画に着想を得たというけど、黙々とリンクを周回するイントロは、大洋を回遊するクジラなのかな…と思いながら見た。

 なお、TOHOシネマズ日本橋で見た愛知公演千秋楽のライブヴューイングは、後半のアダム・シャオ・イムファの演技中にプツリと映像・音声が途絶えて、肝を冷やした。次の「イザベル」の途中で復活したので、そんなに長い中断ではなかったけれど、停電だったらしい。家を出たときは晴れていたのだが(ベランダに洗濯物を干してきた)、終わって外に出たら地面が濡れていた。東京都心は雷雨(?)があったらしい。中継中断は日本橋会場だけだったのかな。ともかく羽生くんの「ありがとうございましたっ」を現地&画面越しに聞けて満足である。

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21世紀に続く戦後処理/日ソ戦争(麻田雅文)

2024-06-03 22:56:03 | 読んだもの(書籍)

〇麻田雅文『日ソ戦争:帝国日本最後の戦い』(中公新書) 中央公論新社 2024.4

 日ソ戦争とは、1945年8月8日から9月上旬まで満州・朝鮮半島・南樺太・千島列島で行われた第二次世界大戦最後の全面戦争である。日本の敗戦を決定づけただけでなく、東アジアの戦後に大きな影響を与えた戦争であるにもかかわらず、実は正式な名称すらない。確かに「日ソ戦争」という名前は初めて聞いたような気がする。

 はじめに日ソ開戦までの各国の思惑を概観する。アメリカはソ連の参戦を強く望んでいた。スターリンは、ドイツを倒したら対日戦線に加わるとほのめかすことで、米英を対独戦に集中させた。そして、いよいよドイツ軍の主力が壊滅すると、ヤルタ会談においてソ連の参戦が確約される。ローズヴェルトがスターリンの参戦条件(戦後の利権)を認めたのは、ソ連の参戦によってアメリカ兵の犠牲を極力抑えるためだった。その結果、戦後の東アジアには長く大きな混乱を残ったわけだが、「アメリカ合衆国大統領」としては正当な判断だったと言わざるを得ないだろうか。

 だがアメリカが原爆を手に入れたことで事態は変わり、米ソの政治的立場の隔たりが露わになる。ソ連はアメリカへの不信を強め、日本が降伏する前に、予定を早めて参戦する。ヤルタ会談で約束された利権を自力で手に入れるためである。日本政府は、ソ連を講和の仲介者として最後まで期待していたというのが悲しい。

 次いで、満洲(満州)、南樺太、千島列島での戦闘が語られる。満洲国の国防を担っていたのは関東軍だが、最盛期の強勢はどこへやら、多数の部隊が太平洋方面に転用されて兵力は激減し、満洲だけで生産できる兵器はほとんどなかったため、兵士に配る武器も足りていなかった。しかも東京の大本営は、関東軍が積極的な攻勢に出ることを望まず、本土防衛のため、ソ連軍を大陸に足止めすることだけが期待された。「関東軍は自らが作った満洲国を犠牲にしてでも、大本営の求める持久戦の方針に従った」という一文を目にして、しみじみ、関東軍に同情を禁じえなかった。またこのときのソ連軍の侵攻が凄まじいのだ(無謀すぎて犠牲も大きかった)。戦車軍で内モンゴルの砂漠地帯を横断し、大興安嶺をも突破している。一方、日本軍が、爆弾を抱えた兵士に戦車に体当たりさせる「陸の特攻」(当然、戦果は乏しい)を繰り返したというのもつらい。

 私は短期間だが北海道に暮らしたことがあるので、北方に親近感を持っている。それにしても、樺太の北部国境地帯で激戦が始まっても、札幌に本部を置く第五方面軍(北海道・樺太・千島列島の防衛を担当)は、援軍も送らず、南樺太の主力軍が北上して応援に行くことも許さなかったというのが衝撃だった。彼らは、ソ連軍あるいは米軍の北海道侵攻を警戒していたのである。結局、辺境は中央のために見捨てられる、平和な時代でもそうだが、特に戦争においては容赦がない、ということを感じた。

 千島列島のほぼ最北端、占守島(しゅむしゅとう)の戦いについては初めて知った。日本軍の激しい抵抗の結果、ソ連軍も強攻は愚策と悟り、千島列島のほかの島での戦闘は回避された。それはいいのだが、ソ連軍は、桟橋もない遠浅の海岸に上陸しようとして溺れる者が出るなど、ぼろぼろの上陸作戦だったようだ。

 戦後、ソ連軍は、日本を連合国で分割統治し、ソ連には北海道を割り当てることを画策したが、スターリンは軍部の野心を抑え込み、トルーマンへの返書では、北海道の北半分を要求するに留めた。しかしトルーマンはこれを拒絶し「クリル諸島(千島列島)」の占領のみを認める。アメリカ軍部はこの決定に怒り心頭だったという。千島列島はアメリカを狙うミサイル基地として最適だったからだ。こういう軍事戦略的な「土地の価値」は、兵器の性能が向上すると変わっていくのだろうか。それとも意外と変わらないものなのだろうか。

 戦後、ソ連は多くの日本人(朝鮮人、樺太の先住民、女性も含む)をシベリアに抑留した。私の大学の恩師(軍事とは何の関係もない日本文学の専門家である)はシベリア抑留の体験者だった。満洲国の文化遺産や文書も持ち去られた。中国からは鉄道や港の利権をもぎ取り、戦利品の武器は中国共産党に引き渡して恩を売った。こうしてスターリンは、剛腕で独り勝ちを収めたように見えるが、その成功は短かったことを我々は知っている。けれども、いまだに「スターリンの呪縛」に苦しむ日露関係を、どうしたらいいのだろう。

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訴訟社会の伝統/訟師の中国史(夫馬進)

2024-06-01 23:22:55 | 読んだもの(書籍)

〇夫馬進『訟師の中国史:国家の鬼子と健訟』(筑摩選書) 筑摩書房 2024.4

 訟師とは、近代以前の中国で人々が訴訟しようとするとき、訴状の作成などを助けた者たちである。大半の読者にとって「訟師」とは初めて聞く言葉であろう、と著者は冒頭に述べている。確かに私も聞いた記憶がない。ただ、2023年公開の中国ドラマ『顕微鏡下的大明之絲絹案』(天地に問う)で程仁清という人物が「状師」を名乗っていたので、中国語のサイトで調べたら「状師。又称訟師」と出て来たことは記憶にあった。なので、実は本書を読みながら、ずっと脳内で訟師には程仁清(を演じた王陽)のイメージを当てていた。

 訟師の評判はよくない。真実を嘘とすり替え、無実の人に濡れ衣を着せ、必要のない訴訟を起こして大儲けをする社会のダニで、訴訟ゴロツキ(訟棍)とも呼ばれていた。しかし例外的だが、庶民の訴訟を助ける訟師を評価する者もいた。

 中国は伝統的に「健訟(さかんに訴訟する)社会」で、歴代政府(宋代以降)は訴訟の多発に悩み、訟師を排撃し続けてきた。本書には明清時代の訴訟と裁判制度の詳しい解説もあり、ドラマ視聴で得たぼんやりした認識を整理できて、ありがたかった。司法の統括は、中央政府-省(総督、巡撫-按察使)-道(分巡道)-府)(知府)-州(知州)-県(知県)となり、各級に衙門が置かれた。日本(江戸時代)は原則一回しか裁判を受けることができなかったのに対して、中国では各級どこでも訴状を受け付けた。下級官庁が訴状を受理してくれないとき、あるいは判決に不満なときは、さらに上級官庁に訴え出ることができた。ただし訴訟を受け付けてもらうには、さまざまな名目の手数料を支払う必要があった。地方衙門は健訟に悩みつつ、訴訟に依存する構造も持っていたのである。

 衙門に訴状を取り上げてもらうには、デタラメをまじえても事件を「盛る」必要があった。そこで訟師の出番である。国家がこれを放置していたわけでなく、雍正7年には官代書の制度が定められる。衙門に提出できる訴状は官代書が書いたものだけとし、もぐりの代書である訟師の断絶を図った。しかし実効は上がらなかった。

 中国の伝統的な司法制度は国家権力に泣きつく側面があったので、訴訟では、相手がいかに悪辣かを訴える必要があった。儒教の伝統的な理念では、皇帝およびその代理人である地方衙門は「民の父母」として、人民の争いや無念の思いをすべて受け付けることが求められた(この「理念」は、少なくともドラマの中では現代の民事警察にも受け継がれているようだ)。しかし現実には訴訟件数が多すぎて、些細な争いでは裁判をしてもらえなかったので、民事を傷害や殺人事件に偽装することがしばしば行われた。

 乾隆年間には私代書の取り締まりが一段と厳しくなり、「積慣の訟棍」(訴訟幇助の常習犯)を重罪に処することが定められる。ところが嘉慶帝は、親政を始めた直後、全国で冤罪に苦しんでいる者は誰でも京控(北京の衙門に訴え=皇帝に直訴)してよい、いかなる訴状も拒絶してはならない、という上諭を発する。現場の事務処理能力を度外視した、こういう理想主義者の上司は困ったものだ。しかしその結果、地方都市と北京の間に京控のルートとネットワークが形成されたり、現在、北京の中国第一歴史檔案館には大量の訴状が残っているというのはおもしろい。

 その後、清末から近代的な訴訟制度が採用されると、ヨーロッパ起源の法律家は、上海では律師(状師)と呼ばれるようになる。新しい訴訟制度では、訴状は簡単な条件さえ満たしていれば受理されることになり、訟師は存在意義を失ってしまう。

 しかし中国社会の「健訟」ぶりは変わっていない。特に2005年前後から「訴訟爆発」と「案多人少」が言われるようになった。対策として「先行調解」(調停)に誘導する措置が取られているそうだが、それでも訴訟は激増しているという。中国人の裁判好き(弁論好き?)の長い伝統は、なんとなく納得できるところがある。

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