見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

東京建築祭2024:丸の内+日本橋

2024-05-28 21:48:46 | 行ったもの(美術館・見仏)

東京建築祭(2024年5月25日~5月26日)

 この週末、東京の多彩な建築を体験し、まちの魅力を再発見する「東京建築祭」が初めて開催された。うれしかったのは、有料のガイドツアーやイベントもあるが、25日・26日の週末には、多くの建築が無料・予約不要で特別公開されていたことである。私は25日(土)は大手町・丸の内・有楽町エリアを、26日(日)は日本橋・京橋エリアを歩いてみた。

・25日:東京ステーションホテル~明治生命館~新東京ビルヂング~国際ビルヂング~堀ビル

 「特別公開」と言っても、一部区画のみのアッサリした公開もあるのだが、明治生命館は、資料・展示室もあり、会議室、執務室、応接室など文化的価値の高い主要室をじっくり見学させてくれた。実はふだんから土日に公開されていることを初めて知った。

 このエリアは美術館めぐりで歩くことが多い。新東京ビルヂングに美術館はないが、たぶんカフェを求めて入ったことがある。

 国際ビルヂングも地下の飲食街には何度もお世話になっているので、建て替え予定と聞いて、ちょっと寂しい。

 新橋駅近くの堀ビルは初めて知った。スクラッチタイルの古風な外観はそのままに、シェアオフィスとして活用されていた。

・26日:三井本館~丸石ビルディング~江戸屋~日証館

 丸石ビルディングも初めて存在を知って、大ファンになってしまった。「近世ロマネスク様式」というらしく、動物や変な顔の人面があちこちに嵌め込まれている。1階はペルシャじゅうたんのショールームらしかった。

 江戸刷毛専門店の江戸屋は小さな店舗で、入場待ちの見学者が大勢いたので、見学はあきらめた。このあたり、我が家からは散歩エリアなので、また普通の日に来ようと思う。

 日証館も長い列ができていたが、30分ほど待って、エントランスホールを見学した。ここは渋沢栄一の邸宅だったところ。階段の窓を占領する日本橋川の眺めが、渋沢の構想したウォーターフロント東京のイメージを喚起する。

 この日本橋界隈、与謝蕪村の夜半亭跡、べったら市の宝田恵比寿神社、「兜岩」の伝承を持つ兜神社など、建築以外でも意外なスポットに出会えて楽しかった。

 それと建築を楽しむ人たちがこんなにたくさんいるとは思っていなかったので、びっくりした。ぜひ来年も開催してほしい。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2024年5月関西旅行:日本の仮面(国立民族学博物館)他

2024-05-26 22:50:26 | 行ったもの(美術館・見仏)

国立民族学博物館 みんぱく創設50周年記念特別展『日本の仮面-芸能と祭りの世界』(2024年3月28日〜6月11日)

 関西旅行最終日は朝から万博記念公園へ。早めに着いたので「平和のバラ園」で色とりどりのバラを眺めてなごみ、開館時間と同時に特別展示館へ入場する。本展示では、仮面の役の登場が印象的な各地の芸能や祭りの様相を中心に、あわせて仮面の歴史、仮面と人間の関係などを紹介し、仮面と人々の多様なかかわりについて考える。1974年に創設された民博だが、東京在住の私が初めて参観したのは、1990年の『赤道アフリカの仮面』展ではなかったかと思う。以来、民博と言えば仮面、の印象がある。

 今回は日本の仮面なので、アフリカや東南アジアの仮面のような、解釈不能のインパクトはないかな、と思いながら見ていった。伎楽、能楽、神楽などに登場する、異形ではあるがおなじみのキャラクターたち。そうしたら途中でコイツが出て来た。鹿児島県・薩摩硫黄島のメンドンである(2階展示室の最後に撮影可能な展示あり)。

 展示ケースの上方にスクリーンがあって、祭礼(硫黄島八朔太鼓踊り)に登場して乱暴狼藉の限りを尽くす「天下御免のメンドン」の動画が流れている。このビデオは、確か常設展示室でも流れているものだが、抜群に面白いのでつい見入ってしまう。このほかにも奄美群島の油井の豊年踊り、鳥取の麒麟獅子、鎌倉御霊神社の面掛行列などの動画が流れていた。いちばん驚いたのは、初めて知った「面劇」の資料(仮面、徳島・石井町所蔵)と動画。昭和10年代に面劇師・花之家花奴が始めた芸能で、義太夫の一場面をひとりで演じるものだという。

 2階展示室では「神々」「鬼」「霊獣」などのカテゴリーに分類したり、仮面を「付ける」「外す」という行為に着目したり、さらにお祭りの露店で売られるお面(小さい頃は欲しくて買ってもらったなあ)やプロレスラーの仮面にも着目する。

■国立民族学博物館 みんぱく創設50周年記念企画展『水俣病を伝える』(2024年3月14日〜6月18日)

 常設展エリアで開催されている企画展。水俣病という現象(体験)そのものというよりも、水俣病という体験を伝える活動の魅力と、そこから学べるものの可能性を探る。 民博教授の平井京之介さんが、水俣でのフィールドワークを通じて考えたこと・感じたことを丁寧に語りかけるような構成になっている。水俣病だけが有名になってしまった今の水俣は、豊かな自然と美しい海の町であること、一方で今も続く「戦い」への強い意志など、考えさせられることが多かった。

大阪日本民藝館 春季特別展『そばちょこ 衣装持ちの器』(2024年3月2日~7月16日)

 民博には何度も来ているのに、バラ園を挟んで向かい側の大阪日本民藝館には入ったことがなかった。今回『そばちょこ』に惹かれたので初訪問。本展は、蒐集家の佐藤禎三氏より1979年に寄贈された古伊万里そば猪口コレクション3,000点の中から、約1,000点を展示する。確かに数量が圧倒的なのは分かったが、もう少し精選してくれたほうがよかったなあと感じた。そば猪口、東京育ちで蕎麦を食べる機会の多かった私にはなじみの食器だが、思い当たる柄は、ふつうの網目や蛸唐草文である。高級そば屋に行くと色絵のそば猪口もあるのかしら。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2024年5月関西旅行:空海 KUKAI(奈良国立博物館)

2024-05-25 23:50:16 | 行ったもの(美術館・見仏)

奈良国立博物館 生誕1250年記念特別展『空海 KUKAI-密教のルーツとマンダラ世界』(2024年4月13日~6月9日)

 ホームページの開催趣旨は「空海の生誕1250年を記念して、奈良国立博物館の総力を挙げた展覧会を開催します」という宣言から始まる。え、奈良博がそこまで言い切る展覧会は珍しいのではないか。公式SNSも「かつてない空海展」を標榜し、見た人からは「すごい」「圧巻」「言葉にならない」という感想が次々に流れていたので、かなり期待を高めて見に行った。午前中は京博の『雪舟』を見て、昼食抜きで奈良へ移動。入館待ちだったら嫌だなあ、と思っていたが、並ばずに中に入れた。

 いつものように東新館の2階に上がって、展示室の入口を覗いたところで驚愕。いつもの展覧会では、ここに目隠しの壁があって、右方向の順路へ誘導されるのだ。ところが、その目隠しの壁がない! 入口から広い展示室の全体が一望できている!いつもの風景と違い過ぎて、え?ここは奈良博か?と思うくらい、驚いてしまった。展示室の中央には、半ば金色に輝く5躯の仏像(五智如来坐像、安祥寺)が十字に配置されていた。中央には少し像高の大きい大日如来、その前後左右には外向きに4躯を配置する。近年、ずっと京博に出陳されていたものだが、京博で横一列に並んでいたときとはずいぶん印象が変わる。五智如来の四方を固めるような太い円形の柱が、深紅に化粧されているのもよい。どこかのお寺の金堂に入り込んだようで、展示物の仏像に手を合わせたくなる。

 そのほか、この時点で視界に入ったものは、後方の壁の左右に色鮮やかな両界曼荼羅。大阪・久修園院のものだった(前期は、これが高野山の血曼荼羅だったらしい)。右の壁には醍醐寺の『五大尊像』5幅と京博(東寺伝来)の『十二天像』5幅(前期は、西大寺の『十二天像』12幅だったらしく、それも見たかった)。左の壁には神護寺の『真言八租像』8幅。どれも初めて見るものではないけれど、こう勢ぞろいされると腰が抜けるかと思った…。

 ほかに仏像は、冒頭に奈良・元興寺の、比較的若々しい風貌の弘法大師像がいらしていた。あとは和歌山・金剛峯寺の大日如来坐像(金身に青い頭髪、霊宝館にあるもの)と和歌山・正智院の不動明王坐像(まんまるい眼が怖いけどかわいい)。この第1展示室は、空間の使い方がぜいたくなせいか、あまり混雑していなくて見やすかった。曼荼羅の説明パネルなどもじっくり読んでしまった。

 ところが第2展示室以降(西新館)はめちゃめちゃな混み方だった。西新館、いつもの展覧会ではあまり使われない4室が開いていて、ちょっと順路に戸惑った。ここはほぼ文書のみの展示(古経、仏典)なのに、熱心な観客でぎっしり埋まっていた。続くセクションには、インドネシア・ジャワ島東部にあるチャンディ・ロル寺の遺跡で発見された10世紀頃の『金剛界曼荼羅彫像群』(インドネシア国立博物館)を展示。最大の四面毘盧遮那如来坐像で約30cm、多くは10cm前後の小さな青銅像だが、生気にあふれたポーズが楽しい。女性らしいバストを持つ菩薩像も散見される。花弁が開いたような密教法具もおもしろかった。個人的には、これら仏像・仏具の出陳にあたり、元興寺文化財研究所が修理・補強に協力したという解説が嬉しかった。展示室にはガムラン(?)みたいなBGMがずっと流れていた。

・参考:仏像修理技術をインドネシアに伝授…奈良の専門家、「空海展」への空輸に収蔵品を補強(読売新聞オンライン 2024/5/25)

 続いて空海が足跡を残した中国からも唐代文物の出陳あり。西安碑林博物館の『文殊菩薩坐像』(大理石製)は、さすが文明の成熟を感じさせる美しさ(撮影可)。長安城の地図を見て、空海が恵果と対面した青龍寺の位置を確認してしまった。東のはずれなんだな…。東寺の『真言七租像』の「恵果」(ほとんど判別できない)も出ていた。空海の書跡、空海請来の法具もあり。

 神護寺の『両界曼荼羅(高雄曼荼羅)』は前後期展示替えで1幅ずつ展示。後期は金剛界曼荼羅だった。はじめ、ほとんど何も見えなくてガッカリ(2023年5月に神護寺で見た江戸時代の模本ほどには見えない)したが、目が慣れてきて、かつ見やすい位置を発見すると、少し図像を認識できるようになる。東博の『神護寺展』にも出るらしいので、また見に行こう。

 このへんでもう脳の限界を超えている感じだったが、まだまだ有志八幡講の『五大力菩薩像』2幅あり、金剛峯寺の『孔雀明王坐像』もいらしていた。和歌山・善集院の『八宗論大日如来像』は初見かもしれない。茶色いターバンを巻いたような珍しい図像で面白かった。あと空海筆として伝わる『崔子玉座右銘断簡』は、文字の姿もいいが、書かれた内容に感銘を受けている人が多かったので、ここに記しておく。「人の短を道(い)うこと無かれ、己の長を説くこと無かれ」というものである。最後は金剛峯寺の弘法大師坐像(萬日大師)。穏やかな顔をやや左(向かって右)に向ける、成熟した雰囲気の像で、首尾照応の構成だった。

 特別展のあとは仏像館を一周して、まだ明るかったが、この日の活動は切り上げ。大和西大寺駅ナカのカフェでビタミンを補給した。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2024年5月関西旅行:雪舟伝説(京都国立博物館)

2024-05-22 23:40:58 | 行ったもの(美術館・見仏)

京都国立博物館 特別展『雪舟伝説-「画聖(カリスマ)」の誕生-』(2024年4月13日~5月26日)

 「※『雪舟展』ではありません!」というチラシの注意書きが話題を呼んでいるという記事を見た。そんな注意書きあったっけ?と思ったら、確かに裏面に書いてある。しかしオモテ面には平然と「みんなの憧れ、みんなのお手本」「大好き!雪舟先生!」とあるのだから、相変わらず京博の宣伝は巧い。

 本展は、主に近世における雪舟受容の様相を辿ることで「画聖」と仰がれる雪舟への評価がいかにして形成されてきたのかを検証する。雪舟の国宝6件(通期展示)を含め、雪舟筆/伝・雪舟筆作品が20件(展示替え有)、しかし本展の4分の3以上は、雪舟に影響を受けた後世の画家たちの作品で構成されているのだ。

 土曜の8:30頃に行ったら、入場待ち列がどんどん伸びている状態で、私は駐車場の入口付近に並んだ。9:00に開門したが、東博の友の会カードを提示して団体割引チケットを購入するには1つしかない窓口に並ばなければならず、けっこう手間取った(これ改善してくれないかなあ)。

 3階は混雑していそうだったので、順路を無視して1階から見ることにする。いつも仏像が展示されている大展示室は、今期は完全に特別展仕様になっていて、国宝『四季山水図巻』の各種模本が並んでいた。お~そうだよねえ、雪舟といえば『四季山水図巻』だねえ、と思いながら(展示構成が分かっていなかったので)この展示室に本物はないのかあ、と残念に思う。この展示室なら、あの長尺図巻も一気に公開できると思ったのだ。探幽や常信による雪舟の模写と学習の記録も。1階は大展示室だけ見て2階に上がった。

 2階は、第1室に雪舟筆/伝・雪舟筆作品を展示したあと、中世~近世初期に、雲谷派・長谷川派・狩野派によって「学ばれた雪舟」を検証する。雪舟作品は、だいたい見たことがあると思ったが、『富士美保清見寺図』(永青文庫)は覚えがなかった。現在は雪舟筆ではなく、その古模本と見做されている。しかし、この構図、雲の上に純白の山頂を見せる富士の姿は、多数の「後継作品」を生み出していく。『西湖図』(静嘉堂文庫)も記憶になく、やはり古模本と考えられているもの。解説によれば、入明した雪舟が西湖を訪れたという確証はないが、実体験に裏打ちされたものと理解され、尊重されたという。こういう「伝説」を笑ってはいけない。『琴棋書画図屏風』(永青文庫)は、農村に暮らす人々の趣味生活を生き生きと描いており、え?これが雪舟?(違うだろ)と思うのだが、後世には大きな影響を与えた。東博の『梅潜寿老図』(寿老人図)は妖しくて大好きな作品。なんだか京都まで来て、東京の博物館・美術館所蔵の作品に次々に感心している。

 続いて、さまざまな「後継作品」が展示されているが、雪舟を学んだとすぐ分かるものもあれば、分からないものもある。狩野探幽の『富士山図』や狩野山雪の『富士三保清見寺図屏風』は、先行する雪舟作品の存在を知ることで、なるほどと納得がいくが、久隅守景の『四季山水図屏風』は、すっかり守景の山水に換骨奪胎されているように思う。

 このあと、3階の様子を見に行く。特に混んでいたのは最初の第1室だが、実は『秋冬山水図』2幅、『四季山水図』4幅など、東京人なら東博で見る機会のある作品が多かった。一番混んでいたのは、毛利博物館の『四季山水図』の前で、3期に分けた巻替えは、巻末の展示だった。第2室は『天橋立図』『四季花鳥図屏風』『慧可断臂図』の展示で、やや空いているのがありがたく、私はこっちの部屋に長居をした。

 それから再び2階を回遊し、1階に下りて、未見の展示室に進む。江戸時代、雪舟を源流とする富士山図は多数の画家が描いている。鶴亭、蕭白、原在中、狩野永岳。司馬江漢にもあったな、と思ったら『駿河湾富士遠望図』がちゃんと来ていた。そして蕭白の『月夜山水図屏風』(近江神宮)。そうかー雪舟の「後継」と言われればまあそうだなあ…と、肯定と否定の入り混じった気持ちで眺めた。若冲の鶴を描いた作品のいくつかが、雪舟『四季花鳥図屏風』の鶴と類似するという指摘もおもしろかった。解説によれば、若冲が雲谷派の作品を通して雪舟を受容したことは考えられるという。

 さらに光琳や北斎が雪舟の山水図を写していたり、近代に至っても狩野芳崖が妖しげな『寿老人図』を描いていたりする。雪舟に学ぼうとする画家の系譜は、かくも広く長い。あるいは、我々鑑賞者の眼が「雪舟図様を刷り込まれた」結果として、何を見ても雪舟の影響下に見えるのかもしれない、という最後の問題提起には、苦笑しながら考えさせられた。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2024年5月関西旅行:龍谷ミュージアム、MIHOミュージアム、京都文博

2024-05-20 22:04:14 | 行ったもの(美術館・見仏)

龍谷ミュージアム 春季特別展『文明の十字路・バーミヤン大仏の太陽神と弥勒信仰-ガンダーラから日本へ-』(2024年4月20日~ 6月16日)

 今年のゴールデンウィークは東京でじっとしていたので、そろそろ混雑の波も引いた頃かと思い、週末に金曜有休1日を足して、関西方面で遊んできた。初日は京都駅から、龍谷ミュージアムに直行。アフガニスタンのバーミヤン遺跡には多くの石窟と2体の大仏が残されていた。それらは 2001年3月にイスラム原理主義組織・タリバンによって爆破されてしまったが、かつて日本の調査隊が撮影した写真や調査資料を基に、壁画の新たな描き起こし図が完成した。本展は、この新たな描き起こし図の完成を記念してその原図を展示し、中央アジアで発展した弥勒信仰が、東アジアへと伝わって多様な展開を遂げる様子を紹介する。

 『バーミヤン西大仏龕壁画描き起こし図』5幅は、名古屋大学・龍谷大学名誉教授の宮治昭氏監修のもと、京都市立芸術大学の正垣雅子氏が描いた白描図。中央の尊格は別として、端のほうにいる天女たちを見ると、人間離れした大きなバストに細い腰(ほぼ裸体)、ちょっとアンニュイな大きな瞳など、いまどきの萌え系女性キャラに見えなくもない。玄奘は東大仏を釈迦仏と記録しているが、西大仏ははっきりしない。ただ周囲の壁画には弥勒仏および太陽神の姿が見られるという。このへんの宗教的混淆はとても興味深い。

 それから宮治昭氏をはじめ、日本の調査隊が残した研究ノートや実測図(京都大学が多くを所蔵)にもしみじみ見入ってしまった。こういう資料もやがてデジタル化されて広く共有されるようになるのなあ。それはいいことなのだろうが、壁画のスケッチに色鉛筆で施された繊細な彩色が呼ぶ感動は受け継がれるだろうか。

MIHOミュージアム 春季特別展『古代ガラスー輝く意匠と技法』(2024年3月3日~6月9日)

 同館が所蔵する200点以上の古代ガラス作品を23年ぶりに一挙公開する。冒頭は古代エジプトで前15世紀とか前14世紀とかあるので、計算ができなくて呆然としてしまう。しかしこれガラスなのか?と思ったものには「ファイアンス」という注記が添えられていた。白い石英を固めたやきもので、これを高温で焼き固めるとガラスが生まれるらしい。ガラスは、当初はファラオと王家の専有物だったという。あと「ソーダ石灰ガラス」というのもあって、灰は、窯の土に含まれる石英や石灰と反応すると、比較的低い温度でガラス化するという。

 古いものはビーズやペンダントなど小型の装飾品が多いが、ローマ帝国時代になると吹きガラスの手法が生み出され、ガラス製品が普及する。無地の色ガラスでできた、茶の湯の筒型茶碗みたいな形状の容器があっておもしろかった。本展のメインビジュアルになっている碗(ソーダ石灰ガラス、東地中海地域、前2-前1世紀、撮影可)も、一見、日本人が注文した茶碗を思わせる。

 驚いたのは、前4-前1世紀にエジプトで制作されたモザイクガラス。モザイクと言っても「金太郎飴」の手法で作られており(え!)、繊細な草花や人(あるいは神)の顔を縦横2~3cmの小さな断片上に表現している。蒐集の詳細は不明だが、A4サイズくらいの木箱(7段?)にモザイク断片をぎっしり並べたコレクションがあった。しかも全ての断片を金のバンドで囲って保護してあった。

 石山駅からのバス代が上がって、1000円×2(往復)+入館料1,300円になっていたが、やっぱり好きな美術館である。常設展示も好き。どのエリアも、その地域を代表できる逸品を展示していて、全ての文明に対するリスペクトが感じられる。

京都文化博物館 特別展『松尾大社 みやこの西の守護神』(2024年4月27日~6月23日)

 この週末、京博も奈良博も夜間開館をやっていなくてガッカリしたのだが、同館だけが金曜19:30まで開けていたのを幸い、石山から再び京都に戻って見に行った。京都市西京区に鎮座する松尾大社(まつのおたいしゃ)初めての神宝展。ポスターには国宝の女神像が使われており、むかし参拝して、多くの神像を見た記憶があったのだが、今回の展示、9割方は中世~近世の文書類である。よくこれだけ調査したなあと素直に感心した。書かれた文字情報だけでなく、料紙の化学的性質を分析しているのもおもしろかった。最後に三神像(老年男神、壮年男神、女神)と、ほかに5躯の神像(すべて平安時代)が展示されており、堪能した。

 初日はここまで!

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2024万博記念公園・ローズフェスタ

2024-05-19 20:14:40 | なごみ写真帖

週末に有休1日を付けて、2泊3日で関西方面に出かけてきた。例によって、駆け足で滋賀~京都~奈良~大阪を大回り。今日は大阪の民博と大阪日本民芸館を見てきた。両館の間にあるのが「平和のバラ園」で、ちょうど花盛り! 東京や横浜にもバラ園があるが、見たことのないような花の量に圧倒されてしまった。万博記念公園には何度も来ているのに、こんな場所があることを初めて知った。

1970年の万博開催時、世界9か国から平和を願って贈られたレガシーのバラが発祥らしいのだが、ホームページに「2019年4月にリニューアルオープン」とあるのを見ると、整備されたのは最近なのかもしれない。

バラ以外の植物もあり。

小雨がぱらつく天気だったが、花は喜んでいたかも。「ローズフェスタ」は6月初旬まで続くそうだ。

訪ねたところの記事は、これから少しずつ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

休館カウントダウン/復刻開館記念展(出光美術館)

2024-05-15 21:51:40 | 行ったもの(美術館・見仏)

出光美術館 出光美術館の軌跡 ここから、さきへI『復刻開館記念展 仙厓・古唐津・オリエント』(2024年4月23日~5月19日)

 冒頭の掲示を読んで、え!と衝撃を受けてしまった。特設サイト「出光美術館の軌跡 ここから、さきへ」にも掲載されているとおり、「1966年秋、東京・丸の内の帝劇ビル9階に開館して以来、皆さまに親しまれてきた出光美術館は、ビルの建替計画に伴い、2024年12月をもって、しばらくのあいだ休館する運びとなりました」というのである。この特設サイトの公開は3月26日だが、全く気づいていなかった。同館は、今年4月から10月まで、美術館のこれまでの歩みを4つの展覧会に分けて振り返りながら、コレクションを代表する作品の数々を展示予定だという。

 本展は、1966年の開館記念展の出品作品と展示構成を意識しながら企画されている。同館は、第1室に中国の美術、第2室に仙厓の遺墨、第3室に古唐津(唐津焼)、ロビーに中近東の美術を展示する構想のもとに始まった。今回は、第1室にずらり30件ほどの古唐津が並ぶ。私はさすがに58年前の開館記念展は見ていないが、2017年の『古唐津』展は見ている。出光佐三が古唐津を集め始めるきっかけとなった『絵唐津丸十文茶碗』や、大好きな『絵唐津柿文三耳壺(水指)』に久しぶりに対面した。『絵唐津ぐりぐり文茶碗』は、今回初めて意識したもの。朝鮮王朝時代の粉青鉄絵の唐草文に源がある、という解説が添えられていたが、私は装飾古墳を思い出した。

 朝鮮唐津と呼ばれる一群も好きだ。『朝鮮唐津耳付壺(水指)』は、鉄錆のような茶色い地肌に黒飴釉と、白濁した藁灰釉がざっくり掛かっていて、その飾り気のなさがとてもよい。手元に置いて愛玩したい。

 第2室は仙厓で、おなじみの書画の名品が並ぶ中、私は、草書の二字書『無事』が気に入った。お守りにほしいなあ。グッズ化してくれないだろうか。現在の出光美術館は、ロビーに隣接した「朝夕庵」という茶室を備えているが、開館当時は展示室内に「茶神亭」という茶室があったそうで、どちらも仙厓揮毫の扁額に由来する。なお、同館が谷口吉郎氏の設計であることを初めて知った。

 第3室は、まず中国磁器で、唐時代の三彩騎馬人物が4件。人物の服装やポーズがいろいろで面白かった。男性2、女性2と解説にあったが、1件は男装の女性ではないかと首をひねった。あとは青磁、磁州窯、青花など一般的なコレクションだが、『紫紅釉稜花盆』(鈞窯、明時代初期)が目についた。出光佐三が中国磁器を蒐集するきっかけとなった品で「どういうものか鈞窯が好きで」と語っていたそうだ。このひとの「好き」へのこだわりは、おもしろくて好き。

 さらに開館記念展を飾ったというのが、古代中国の青銅器とオリエント(西アジア)の文物。青銅器コレクションは全く記憶になかったし、オリエントの土偶・陶磁・金属・ガラス器も楽しかった。オリエントらしい、首の細い水注の多様なバリエーションが印象に残った。

 それにしても、ビルの建て替え後の美術館の再開計画が明らかになっていないのがとても気になる。いまの雰囲気が好きなので、あまり変わってほしくないのだが、時代の流れには逆らえないんだろうなあ…。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2024年4-5月展覧会拾遺(その2)

2024-05-13 21:26:37 | 行ったもの(美術館・見仏)

サントリー美術館 コレクション展『名品ときたま迷品』(2024年4月17日~6月16日)

 「生活の中の美」を基本理念とするサントリー美術館コレクションの「メイヒン」を一堂に会し、さまざまな角度から多彩な魅力を紹介する。会場の冒頭に展示されているのは、本展のポスターにも写真が使われている『鞠・鞠挟』一組(江戸時代)。蹴鞠の鞠を漆塗の木枠に吊るしたものである。これは名品扱いか迷品扱いか不明だが、2019年の『遊びの流儀 遊楽図の系譜』で見た記憶がある。『泰西王侯騎馬図屛風』(前期)『かるかや』『酒伝童子絵巻』など、屏風と絵巻は文句なしの名品揃い。光悦の『赤楽茶碗(銘:熟柿)』は、同館所蔵であることを忘れていたので、たじろいでしまった。和洋のガラス工芸も楽しかったが、薩摩切子には緑色が少ないという解説が気になった。和ガラス一般にはあるのに不思議である。

町田市立国際版画美術館 企画展『版画の青春 小野忠重と版画運動-激動の1930-40年代を版画に刻んだ若者たち-』(2024年3月16日~5月19日)

 1930-40年代に活動した「新版画集団」と「造型版画協会」による版画運動を、リーダーであった小野忠重の旧蔵品を中心に紹介する。小野忠重をはじめ、多数の作家が紹介されているが、無理に名前を覚えようとせず、ぼんやり作品を眺めた。暗い世相を思わせる、強烈で毒々しい作品もあるけれど、全般的には明るく抒情的な作品が多くて癒された。展示作品の所蔵館としてリストに登場する小野忠重版画館は、杉並区阿佐ヶ谷にある、小野の旧居を改造した美術館だが、現在は展示活動はされていないようだ。それでもコレクションが維持されていてよかった。

東京国立博物館 特別展『法然と極楽浄土』(2024年4月16日~6月9日)

 令和6年(2024)に浄土宗開宗850年を迎えることを機に、法然による浄土宗の立教開宗から、弟子たちによる諸派の創設と教義の確立、徳川将軍家の帰依によって大きく発展を遂げるまでの、浄土宗850年におよぶ歴史を、全国の浄土宗諸寺院等が所蔵する貴重な名宝によってたどる。当麻寺(當麻寺)の国宝『綴織當麻曼荼羅』が見たかったので、連休中に出かけた(~5/6展示)。照明の具合か、当麻寺の本堂はもちろん、奈良博で見たときよりも図像が判別しやすかったように思う。

 楽しかったのは、鎌倉~室町時代に制作された『法然上人絵伝』等々の絵画資料。法然の伝記とはあまり関係なく、中世の人々の生活の細部が分かってとても面白い(家の中にどのくらい畳が敷かれていたか、宴会のお膳に何が載ったか、誰が履物を履いていたか、など)。

 写真撮影可能で盛り上がっていたのは、香川・法然寺(四国に配流になった法然にちなむ)から出開帳の仏涅槃群像。全26躯で、這っているイタチとかコウモリとかカタツムリ(でかい)もいる。

反対側にはヘビにウサギにネコ。

 しかし、法然寺のホームページを見にいったら、彩色されたキジやニワトリ、天井の隅には、雲に乗って下りてくる摩耶夫人も取り付けられており、全82躯で構成されているという。これは現地に見に行かないと! 四国霊場はほぼ未踏地なので、ゆっくり回りたいなあ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2024年4-5月展覧会拾遺(その1)

2024-05-12 21:25:53 | 行ったもの(美術館・見仏)

すっかり書き漏らしてしまったものも多いのだが、連休前後に行ったものを中心に。

根津美術館 特別展『国宝・燕子花図屏風 デザインの日本美術』(2024年4月13日〜5月12日)

 最終日の今日、ようやくチケットが取れて見て来た。恒例の国宝『燕子花屏風』の展示に加え、取り合わせにも選りすぐりの名品が並ぶ。伊年印『四季草花図屏風』はやっぱりいいなあ。草花の愛らしさ・美しさが完璧。ん?見慣れないものがある?と思ったのは『桜芥子図襖』(大田区龍子美術館)で、4面の金地襖の上半分は満開の桜の枝で覆われていいる。下半分には紅白の芥子のほか、アザミ、スミレ、タンポポなどの草花。伊年印、宗達工房の作品だが、川端龍子は妻子のための持仏堂と仏間の仕切りに用いていたそうだ。

 展示室5は「地球の裏側からこんにちは!-根津美術館のアンデス染織-」という新機軸。もっとも展示品は、根津嘉一郎が昭和初期に収集したものだという。バラカス・ワリ・チム・チャンカ・インカなど、該当する文化名で分類されていたが、一番古いバラカス文化(紀元前~前3世紀)の図柄が意外とポップで楽しかった。ボーダーシャツにホットパンツの女子みたいな人物文様もあった。遠山記念館から特別出陳の『羽毛縫付裂 双頭動物文様』(ワリ文化、8~11世紀)にもびっくり。胴の前後に頭のついたオオカミみたいな動物が、背景も含め、色とりどりの鳥の羽根で描き出されていた。

静嘉堂文庫美術館 静嘉堂文庫竣工100年・特別展『画鬼 河鍋暁斎×鬼才 松浦武四郎 「地獄極楽めぐり図」からリアル武四郎涅槃図まで』(2024年4月13日~6月9日)

 同館が所蔵する松浦武四郎ゆかりの品と、松坂市の松浦武四郎記念館の所蔵品をあわせて展示。なので、けっこう初めて見るものもあった。武四郎と暁斎の交流は明治の初め頃からで、有名な『武四郎涅槃図』(武四郎記念館所蔵)は暁斎が描いた。2013年の静嘉堂の展示でも、2018年に北海道博物館で見た展示でも、この涅槃図は写真パネルだったので、実物を見るのは初めてかもしれない。意外と小さいな、という印象だった。川喜多半泥子の祖父・川喜多石水が武四郎の幼なじみだったというのは初めて知った。石水美術館、千歳文庫、覚えておこう。

永青文庫 初夏展『殿さまのスケッチブック』(2024年4月27日~6月23日)

 熊本藩6代藩主・細川重賢(しげかた、1720-85)をはじめ、細川家の殿さまが残した「リアル」な博物図譜を多数公開。『毛介綺煥(もうかいきかん)』は半紙等に描いた動物・魚介類を切り抜いて、別紙に貼り付けて整理したもの。日付と由来が記録されているのがおもしろい。狼の図には「猟師某以鉄砲打殺之」とあり、ワニ(?)の図には「紅毛人持来。ダリヤウ(鼉龍だな)ノ生写」とあった。同じように植物のスケッチを貼り込んだ『百卉侔状(ひゃっきぼうじょう)』には、なぜか多様なトウガラシが50種以上集められていた。図譜だけでなく、押し花帖や天草の白鶴浜で集めた無数の小さな貝の標本箱もあった。

国立歴史民俗博物館 企画展示『歴博色尽くし』(2024年3月12日~5月6日)

 建造物、染織工芸、浮世絵、漆工芸、考古遺物など歴博の多彩な館蔵資料を紹介し、その「いろ・つや・かたち」が示す人間の営みについて考える。最も印象に残ったのは装飾古墳の壁画再現展示だった。王塚古墳も珍敷塚(めずらしづか)古墳も九州・福岡県にあるもの。慣れ親しんだ「日本史」の概念が音を立てて崩れるようなインパクトだった。こういうの、複製でいいからもっと関東の人間にも見せてほしい。あと、鉄隕石に由来する隕鉄でつくった脇差があることを初めて知ったが、仙侠ドラマの「陰鉄」を思い出した。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

三味線の美音を浴びる/文楽・和田合戦女舞鶴、他

2024-05-11 22:04:48 | 行ったもの2(講演・公演)

シアター1010 国立劇場令和6年5月文楽公演(2024年5月11日、11:00~)

 急に思い立って、5月文楽公演を見て来た。昨年10月末に国立劇場が休館になってから、東京の文楽公演は、さまざまな劇場を代替に使用している。今季は、昨年12月公演に続いて、シアター1010(せんじゅ)での開催。北千住駅前でとても便利な立地だった。

 1等席にあまりいい座席が残っていなかったので、2等席(2階の最後列)を取ってみた。視界はこんな感じ。文楽の舞台を「見下ろす」のは初体験で、どうなんだろう?と思ったが、音響は問題なかった。舞台の奥まで見えてしまう(舞台下駄を履いた人形遣いの足元とか、腰を下ろして待機している黒子さん)のは、もの珍しくて面白かったが、初心者にはあまりお勧めしない。ただ、舞台の上に表示される字幕が自然と視界に入って見やすいのはよかった。

・Aプロ『寿柱立万歳』

 旅の太夫と才蔵が登場し、数え歌ふうに神名・仏名を並べて、家屋の柱立てを寿ぐ。「豊竹若太夫襲名披露公演にようこそ」というセリフを盛り込んで、公演の幕開きを祝う。

・豊竹呂太夫改め十一代目豊竹若太夫襲名披露口上

 あらためて幕が開くと、金屏風(豊竹座の紋入り)を背負い、緋毛氈の上に、鮮やかな緑の裃を着けた技芸員たちが並ぶ。中央は主役の新若太夫さんだが、文楽の襲名披露では、主役は何も喋らないのだ、と途中で思い出した。向かって左端(下手)に座った呂勢太夫さんが口上を述べ、太夫部の錣太夫さん、三味線の団七さん、人形遣いの勘十郎さんが、それぞれ笑えるエピソードを交えて、祝辞を述べた。2列目に控えていたのは(おそらく)お弟子さんや一門の皆さん。ふと、この場に咲太夫さんの姿がないことに気づいて、悲しくなってしまった。

・『和田合戦女舞鶴(わだかっせんおんなまいづる)・市若初陣の段』

 床は若太夫と清介。主役の板額を勘十郎。物語は鎌倉時代、頼朝・頼家亡きあと、三代将軍実朝と尼公政子が政務を執っていたが、御家人たちの対立が深まっていた。御家人・荏柄平太は実朝の妹・斎姫に横恋慕し、思い通りにならないと姫を殺してしまう。平太の妻と息子・公暁は尼公政子の館に匿われていたが、大江広元は御家人の幼い子供たちを軍勢に仕立てて、政子の館を攻めさせる。板額は政子に仕える女武者だったが、軍勢の中に我が子の市若丸がいるのを見つけて館に招き入れる。ところが、政子の話によれば、公暁は頼家の忘れ形見で、ひそかに平太夫婦に預けて育てさせていたのだった。市若丸は自分が平太の子であると誤解して腹を切り、結果的に公暁の身代わり首となって公暁を救う。

 よくある子供の身代わり譚だが、やっぱりグロテスクだなあ…と思う。もちろん脚本は、主君のための身代わり死を全肯定しているわけではなくて、板額は「でかした」と息子を称賛しつつ「なんの因果で武士(もののふ)の子とは生まれて来たことぞ」と嘆くのだが。こういう演目は、徐々にすたれてもいいんじゃないかと思っている。

・『近頃河原の建引(ちかごろかわらのたてひき)・堀川猿廻しの段/道行涙の編笠』

 「堀川猿廻しの段」は、前を織太夫、藤蔵、清公、切を錣太夫、宗助、寛太郎。前半は織太夫さんの美声を楽しむ。後半は錣太夫さんの声質にぴったりの人情ドラマ。おしゅん、伝兵衛の門出を祝って、猿廻しの与次郎が2匹のサルに演じさせる芸(黒子の人形遣いが両手で表現する)がとても楽しい。サル役の人形遣いはプログラムに名前が載らないのだが、誰なのかなあ。「道行涙の編笠」は34年ぶりの上演で、私は初めて見た。しっとりと哀切な舞踊劇。

 今回、どの演目も三味線が華やかで楽しかった。『和田合戦』は、正直、若太夫さんの語りより、清介さんの三味線の切れ味のほうが強く印象に残っている。「堀川猿廻し」は2組のツレ弾きを楽しめた。

 若太夫さんへご祝儀の飾りつけ。坂東玉三郎さん、詩人の高橋睦郎さん、阪大の仲野徹さんなどの名前を見つけた。

 シアター1010は、客席は飲食禁止だが、ホワイエでは飲食できる。あとゲートの外に売店があってお菓子や飲み物を売っている(本格的なお弁当はなし)。オリジナルカクテル500円をいただいてしまった。ピーチ味かな?シャンパンみたいにさわやかで美味。国立劇場でも幕間に軽いアルコールが飲めるといいのに、とずっと思っていたので、大満足。

 なお、7月の歌舞伎公演、12月の文楽公演は、私の地元・江東区で行われるらしい。今から楽しみである。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする