見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

2023年9月関西旅行:青池保子展(小磯記念美術館)、高島屋史料館

2023-09-29 21:41:34 | 行ったもの(美術館・見仏)

神戸市立小磯記念美術館 夏休み特別展・漫画家生活60周年記念『青池保子 Contrail 航跡のかがやき』(2023年7月15日~ 9月24日)

 9月の関西旅行、最終日は神戸に足を伸ばして、青池保子先生の回顧展を見て来た。なぜ神戸で?と思ったが、青池先生は山口県下関市出身なので、故郷に近いといえば近い。それと中世の航海や帆船にゆかりの物語を描いているという点が、港町・神戸にふさわしいと言えなくもない。

 デビュー作「さよならナネット」から少女漫画界に衝撃を与えた「イブの息子たち」、大人気作「エロイカより愛をこめて」、中世3部作「アルカサル-王城-」「修道士ファルコ」「ケルン市警オド」まで、緻密なカラー原画とモノクロ原画を300点以上、8章構成で紹介し、60周年の仕事を記念する最大規模の展覧会という謳い文句は伊達ではなかった。私は、2014年にも京都国際マンガミュージアムで青池先生の原画展を見ているが、今回のほうが出展数は多かったと思う。ちなみに2014年は「漫画家生活50周年記念」だったことに気づいた。現在、75歳の青池先生、ぜひ「漫画家生活70周年」の回顧展に出会いたいと思う。

 これは例外的に撮影OKだった、この展覧会のための描き下ろし色紙。やっぱり青池作品では、この二人(および彼らを取り巻く人々)がいちばん好きかな。あと、「イブの息子たち」のニジンスキーくんの不意打ちに笑う。

 美術館の外からガラス越しに見える大きなバナーでは、伯爵が「好きでもない美術品を投資のために買うような人間は――大きらいだ」とつぶやき、少佐が「文化遺産は大切にしなきゃならん」と断言する。この場面を選んだ学芸員さんのセンスに拍手。

高島屋史料館 企画展『万博と仏教-オリエンタリズムか、それとも祈りか?』(2023年8⽉5⽇~12⽉25⽇)

 万国博覧会に出展された仏教に関連する展示物を概観しながら、近代における仏教のイメージの受容と、その変遷について考察する。1873年のウィーン万国博覧会、1893年のシカゴ万国博覧会を経て、1970年の大阪万博における仏教イメージのあり方にも注目する。監修者が『観音像とは何か』の著者、君島彩子さんと知って、すごく腑に落ちた。

 大阪万博と仏教の話題、たとえばラオス館の建物が長野県でお寺に転用されたことなどは、以前、万博記念公園内のEXPO’70 パビリオンの展示で見ていたので、あまり驚かず、むしろウィーン万博やシカゴ万博など、古い話題に新しい発見があった。しかし展示のパネルなどは撮影禁止だったので、詳しいことは、いつか監修者の著書で読めることを期待したい。

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2023年9月関西旅行:みちのくのいとしい仏たち(龍谷)、京都水族館

2023-09-24 23:48:24 | 行ったもの(美術館・見仏)

龍谷ミュージアム 秋季特別展『みちのく いとしい仏たち』(2023年9月16日~11月19日)

 小さなお堂や祠、民家の仏壇や神棚などには、その土地の大工さんやお坊さんたちの手による、素朴でユニークな仏像・神像がまつられ、人々に大切に護られてきた。本展は、青森・岩手・秋田の3県に伝わった約130点の仏像・神像を展示し、みちのくの厳しい風土の中、人々の暮らしにそっと寄り添ってきた、やさしく、いとしい仏たちの、魅力あふれる造形を紹介する。

 展示の主要部分は江戸時代の民間仏だが、古代から中世に作られた仏像・神像も複数来ている。岩手・天台寺の如来立像(平安時代)は、頭髪や衣紋の表現を省略しているが、かなり頑張った仏像らしい姿。膝を揃えて座り、両手を胸の前で交差させた尼藍婆像・毘藍婆像(平安時代)は複製が来ていた。「花巻市・熊野神社毘沙門堂」という注記で、はじめ分からなかったが、成島の毘沙門天の左右に安置されているものである。見たことがあるはずだ。

 「山と村のカミ」と題した近世以降の造形には、本展のメインビジュアルになっている山神像(岩手・八幡平市・兄川山神社)が登場。これ、記憶にあると思ったら、『かわいい仏像、たのしい地獄絵:素朴の造形』という本で見たものだった。いま調べたら、同書の著者の一人であった須藤弘敏氏が、本展の監修もされていた。

 個人的に好きな作品は、岩手・宝積寺の六観音像。それなりの技量だが、どういう解釈をしたらこうなるんだろう、と感心する観音像である。みちのく仏のやさしさを感じるのは、青森・慈眼寺のツインテールの子安観音坐像。青森・法蓮寺の、亡者の三角巾をつけた童子跪坐像も愛らしい。

京都水族館

 この日は3箇所まわって、まだ少し時間があったので、以前から気になりつつ、行ったことのない京都水族館を訪ねてみることにした。噂のオオサンショウウオを見ることができて満足。意外とよく動くなと思ったら、9月は繁殖期で活発になるそうだ。「京の海」の大水槽も楽しかった。京都には海があるんだなあ、とあらためて思った。 私がいちばん最近行った水族館は、北海道のおたる水族館なので、北の海に比べると明るく華やかな感じがした。

 余談。京都の「バス1日券」が2023年9月末で発売停止、2024年3月末で利用停止になるというニュースを見た。私は高校の修学旅行の自由行動日にもこれを使った記憶があり、40年以上お世話になってきたので残念である。しかし来年3月までに2回は京都に来るだろうと思ったので、2枚買っておくことにした。

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2023年9月関西旅行:常設展(京博)、若冲と応挙(承天閣美術館)

2023-09-23 22:52:10 | 行ったもの(美術館・見仏)

京都国立博物館 特集展示『日中 書の名品』(2023年8月8日~ 9月18日)+常設展示

 三連休2日目は京博から。楽しかったのは『異国の仏教説話』(2023年8月22日~9月18日)で『羅什三蔵絵伝』『華厳宗祖師絵伝・義湘絵』『真如堂縁起』の3件が出ていた。『羅什三蔵絵伝』は鳩摩羅什の物語。料紙の大きさに比べて人物が小さいが、胡粉や金彩が美しく、やわらかな印象。持ち帰った経典の翻訳に励む長安の寺院、写経用の紙(絹?)を洗濯ものみたいに干す人々が描かれていて面白かった。『華厳宗祖師絵伝』は、ほぼ全面的に開いていて、冒頭ではめそめそ泣いている善妙が、仏具の箱とともに海に身を投じると、巨大な龍が立ち現れる、この変化の迫力がよく分かった。龍に守られる船中の義湘は、きょとんとした表情である。あと、冒頭の街中の犬の親子がかわいい。

 『地蔵と十王』(2023年8月22日~9月18日)では、兵庫・清澄寺の『十王図』10幅を堪能した。中世絵画は白衣観音図の特集、ほかに池大雅、清代・民国の中国山水画(久しぶりに斉白石!)など。やっぱり常設展期間の京博は収穫が多くて楽しい。

 1階の『日中 書の名品』は京博コレクションが中心だが、知恩院から『菩薩処胎経巻第二』が出ていた。伝世の写経として最古(西魏・大統16/550年)だというが、文字は読みやすい。『千手千眼陀羅尼経残巻(玄昉願経)』は、天平13年(741)に玄昉が聖武天皇と国家の安寧を祈願して書写させた経典の遺例である。カタカナで読み方が付記されているのが不審だったが、調べたら平安後期の加筆らしい。5世紀に書写された『三国志呉志第十二残巻』はトルファン出土。字間が妙に広いのと、右へのはらいがぷっくり太いのが特徴。知っている単語がないか探したら「諸葛亮」「諸葛孔明」「曹孟徳」の文字を見つけて興奮! 同じく5世紀の『大智度論巻第八残巻』は紙背にソグド文字で短い文章(?)が書きつけられていた。ソグド文字、ちょっとモンゴル文字に似ているだろうか。

相国寺承天閣美術館 『若冲と応挙』(I期. 2023年9月10日〜11月12日)

 第1展示室に入ると、左右の壁面の展示ケースに若冲の『動植綵絵』30幅がずらりと並んでいる。入口からは見えないが、正面には『釈迦三尊像』3幅が掛けられているはずだ。動植綵絵は宮内庁所蔵の本物ではなく、コロタイプの複製だが、全く気にならない。いつぞやの若冲展のような混雑ではなく、1枚1枚をゆっくり鑑賞することができてうれしい。それにこの展示室、広さといい、展示ケースの高さといい、動植綵絵30幅を掛け並べることに最適化した空間なのだということが、あたらめてよく分かる。

 釈迦三尊像の前に座って、しばしくつろいだあと、そういえば(展示室中央の)茶室の中は?と思って振り返ったら、久保田米僊筆『伊藤若冲像』が掛けてあった。明治18年(1885)、若冲85回忌の供養と展観のために描いたものである。また『祖塔旧過去帳』には、10日の条に「斗米庵若仲(ママ)居士 寛政十二年庚申九月」とある。(旧暦の)9月10日が命日なのだな。入口付近の展示ケースには、宮内省へ動植綵絵を献上したことにより、金一万円を下賜されたことを示す文書と封筒も展示されていた。当時の宮内大臣は土方久元。

 第2展示室は、応挙の『七難七福図巻』が見ものである。私は同館の2010年の名品展をはじめ。何度かこの作品を見ているので驚かないが、初見の方は覚悟して来られたほうがよい。参観者にお子さん連れを見かけると、ちょっとハラハラしてしまう。応挙の画稿(墨画)2巻、完成稿3巻(天災巻・人災巻・福寿巻、著色)に加えて、応挙に制作を依頼した僧侶・円満院祐常の下絵図巻1巻(墨画)が出ており、その翻刻がパネルになっていて、読んでみると興味深かった。自ら絵心もあった祐常は、描くべきテーマを詳細かつ具体的に応挙に指示している。「盗賊、兵難、死罪、刑罪、面縛、追剥、押込」「婦女を犯さんとする図、丸裸にはぎてはぢかはしき所」「火あぶりなども可然歟」「其外はりつけ、獄門打首」等々。初めて応挙の作品を知ったときは、どうしてこんな場面を描こうと発想したのか不思議だったが、発注者の祐常の意図を聞き「それなら」と応えたのが真相だったようだ。天災巻の後半に、空想的な大鷲や大蛇の害が描かれていることも、祐常の注文に「深山は熊狼等人をくらう図」「同うはばみなど人をのむ図」「鷲子をつかみ深山へ行図」の記述を見つけて納得した。

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2023年9月関西旅行:文人サークルへようこそ(大和文華館)

2023-09-21 22:03:27 | 行ったもの(美術館・見仏)

大和文華館 特別企画展『文人サークルへようこそ-淇園・鶴亭・蕪村たちがお出迎え-』(2023年8月18日~9月24日)

 中国の明・清時代に隆盛した文人文化の影響を受け、日本にも誕生した文人サークルを紹介し、交流が育んだ清新な絵画作品を展示する。はじめに元祖ともいうべき明清の文人画。陸治、徐枋、高其佩など。中国の文人とは、身分的には高級官僚であり、治国・修身のための幅広い知識を持ち、詩書画に優れることが理想とされた。彼らの作品は、第一に刊行された画譜によって、第二に黄檗宗の僧侶たちを介して、17~18世紀の日本に流入した。

 入口の単立の展示ケースには、安徽省太平府の地理書の景観図を抜粋した3つの「太平山水図」が並んでいた。清刊本(紙本墨刷)『太平山水図集』の細密な描写は、中国の版画もなかなかやると思わせる。これを模写して淡彩を加えた(絹本着彩)『太平山水図集模本』は、中国製か日本製か判別できないが、中国絵画の知識を持つ者の制作と考えられている。さらに(紙本墨画)『太平山水図集模本』は、円山応挙旧蔵の原本(清刊本)を木村兼葭堂のもとで谷文晁が模写したもので、椿椿山の蔵書印があるという。みんな、つながっているんだなあ。

 日本では、さまざまな身分の人々が文人文化に関心を持ち、中国の学問・教養を深く学び、詩書画の創作を楽しんだ。武士や町人、農民といった身分を越えた文雅な交流は日本の文人文化の特徴であるという。この指摘はちょっと誇らしい。本展では、具体的に「淇園・鶴亭サークル」「蕪村・呉春サークル」「半江・竹田サークル」を取り上げ、「最後の文人・鉄斎」にも触れる。

 私がいちばん見たかったのは鶴亭である。ちょっと若冲を思わせる、濃彩の花鳥画を多数残している画家だ。今回、個人蔵の特別出陳(初公開)が複数あると聞いて、いても立ってもいられなくて駆けつけた。だが鶴亭の『墨竹・墨蘭図』(墨竹5枚、墨蘭5枚)のセットは、なんというか、至極あっさりした墨画である。墨蘭図は、ひょろひょろした長い葉が不安定に揺れており、墨竹図は、枝についているのかいないのか、短い竹の葉が、線香花火のように中空に浮いている。淇園が賛を記した『墨竹図』も同様。『芋茎図』『雁来紅に小禽図』は、少ない色数の淡彩を控えめに施したもの。え~私の知っている鶴亭じゃない、と思ってしまった。もっとも私は、2016年、神戸市博の『我が名は鶴亭』展を見た感想に「墨画もおすすめ」と書いているのだが、あのときは、こんなひょろひょろした墨画ばかりではなかったと思う。

 なお、これら鶴亭の作品は、中西宗兵衛(茂賢)と大きな関わりがあるようだ。大阪府立中之島図書館が所蔵する、鶴亭から中西宗兵衛宛ての書簡も展示されていた。たぶん「中西文庫」の資料の一なのだろう。淇園・鶴亭サークルは兼葭堂を介して大雅や若冲にもつながる。

 蕪村・呉春サークルでは、もうひとり上田公長の作品も紹介。府中市美術館の江戸絵画まつりでは、けっこうおなじみの名前だ。この3人の作品は、とにかくゆるくて好き。こういう絵を描き続けてもいいことを、小学生の頃に教えてほしかった。半江・竹田サークルは、日根対山、山本梅逸など「いかにも文人画」の作品が多い。梅逸の『高士観瀑図』は、文人画の伝統的画題を写実的な遠近空間に落とし込んだところが新しくて、これもよいと思う。

 この日は、滋賀のMIHOミュージアム→奈良・学園前の大和文華館を見て、再び滋賀の大津に出て泊まった。大津に着いたのは日が落ちた後だったが、道に人影のない真っ暗な住宅街から、お囃子が聞こえてきて、心が躍った。10月の大津祭の練習が始まっていたのである。源氏山の会所からは、華やかでリズミカルなお囃子が流れ、孔明祈水山の会所からは、ゆったりとおごそかなお囃子が流れていた。大津祭は、このお囃子を聴き比べるのが楽しいのだ。今年は都合がつかないけど、またいつか来てみたい。

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2023年9月関西旅行:金峯山の遺宝と神仏(MIHOミュージアム)

2023-09-19 22:44:11 | 行ったもの(美術館・見仏)

MIHOミュージアム 2023年秋季特別展『金峯山の遺宝と神仏』(2023年9月16日~12月10日)

 三連休は欲張って、滋賀・奈良・京都・大阪・神戸を周遊してきた。いかに安価に効率的にまわるかを考えた結果、初日は京都から石山に出て、いつもの路線パスで同館へ。本展は、古代より修験道の聖域とされてきた奈良県吉野の金峯山を参詣した平安貴族の「御嶽詣」に伴う金峯山経塚の出土品を一堂に展示し、平安貴族の金峯山への信仰と憧憬の一端を紹介する。

 冒頭には、銅製の多様な出土品の数々。東博所蔵の『錫杖頭』や奈良博所蔵の『三鈷杵』はどこかで見たことがある気がした。小さな小さな『菩薩手』(唐時代)は大峯山寺の所蔵。水瓶を握った手首から先だけが展示ケースの中に浮いているように見えた。同じ室内には風雪に耐えてきた木像もいくつか展示されていた。山梨・円楽寺の役行者半跏像は長頭巾を被り、藤衣を羽織る旅姿。まなじりを吊り上げ、大きく口を開いた憤怒の表情。その両隣の前鬼・後鬼は褌のみの裸形。電球を嵌めたような丸い目、短い髪は逆立ち、宇宙人のようだ。後鬼(?)は木彫の徳利のようなものを前に置いている。これが平安後期~鎌倉時代の造形だというのに驚かされる。もとは富士山二合目の小室浅間社の西の行者堂に祀られていたとのこと。

 別の展示室には、木彫や金銅製の蔵王権現像も多数来ていた。印象的だったのは、東京・檜原村の五社神社の蔵王権現立像(平安時代)。力士のような太りじしの体型で、両手は失われ、軽く左足を踏み上げている。微笑むようにも見える表情がかえって怖い。この展覧会では、意外な土地に蔵王権現信仰や役行者信仰が根づいているのを知ることができた。

 出土遺物でいちばん多いのは銅製の鏡像や懸仏である。これらの多くが個人蔵に帰しているようだが、本展は、個人蔵の優品を丹念に集めて展示し、図録に収録しており、頭の下がる思いだった。鏡像には、蔵王権現像のほか、阿弥陀如来、地蔵菩薩、男神、女神などが刻まれる。その中に馬上で弓矢を構える綾藺笠に行縢(むかばき)の武者像(流鏑馬みたい)があって目を引いた(平安後期、馬の博物館所蔵)。図録の解説によれば、『金峯山経塚遺物の研究』(1937年刊)では早馳明神とされる尊格だという。早馳明神、ネットで調べてみたが、詳しいことは分からなかった。なお、大峯山寺所蔵の『吉野曼荼羅懸仏』には8体の神格が刻まれており、その中にも流鏑馬装束で馬に跨った男神が見られた。

 寛弘4年(1007)藤原道長は金峯山に参詣し、弥勒出生に値遇することを願って埋経をおこなった。この願いが成就したかどうかはともかく、その後に待望の孫皇子が誕生するなど、いよいよ栄華を極めたことから、金峯山の霊験が貴族たちに意識されるようになったのではないかという。人情としては分かりやすい。道長は経巻を筒に立てて収めたため、下半分が腐食して失われてしまったものが多い。その状態の経巻をコレクションしている五島美術館(古経楼を称した五島慶太)、さすがである。

 絵画は、京都・聖護院所蔵の『役行者前後鬼・八大童子像』(南北朝時代)が、なんともいえず怪しげでよかった。MIHOミュージアムの守備範囲は、江戸絵画、茶の湯など幅広いが、考古学的なテーマの企画展は当たりが多い気がする。図録がボリュームのわりに軽い紙を使っているのもありがたかった。三連休の最初の訪問先だったが、我慢できずに買ってしまい、ずっと持ち歩くことになった。

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忘れられた労働者/家政婦の歴史(濱口桂一郎)

2023-09-15 22:54:46 | 読んだもの(書籍)

〇濱口桂一郎『家政婦の歴史』(文春新書) 文藝春秋 2023.7

 『働く女子の運命』や『ジョブ型雇用社会とは何か』の濱口さんの著作なので、きっと面白いだろうと思って手に取った。ありそうでなかったテーマで、初めて知ることが多かった。

 かつて(近代初期)中流以上の多くの家庭には女中さんがいた。いや実際には知らないけれど、明治や大正の文学を読んでいると、当たり前に出てくる。女中と呼ばれる存在の直接の先祖は江戸の奉公人としての下女であるというのも納得。それとは別に、1918(大正7)年に大和俊子(おおわ としこ)という女性が始めたのが「派出婦会」である。派出婦会は、家庭で臨時に人手が必要になったとき、女中代わりの女性労働者を供給(=派出=派遣)するビジネスだった。この派出婦という言葉は、私は「サザエさん」とか「いじわるばあさん」とか長谷川町子作品で覚えたような気がする。大和俊子が派出婦会を始めた当時は、ちょうどスペイン風邪の流行と重なり、人手の需要が多かった。また、未亡人や人妻が安心して働ける職業も少なかったので、派出婦会は大きな成功を収めた。逆に前近代的な制度である女中として働きたいという希望者は、1930年代から急速に減少していった。

 女中などの奉公人を雇主に紹介する職業を「口入れ屋」といい、近代では「職業紹介事業」に分類される。一方、派出婦会は「労務供給請負業」と見做された。「労務供給請負業」の範疇において、派出婦会は優良事業であったが、人夫、沖仲仕など、親方が労賃の半分近くをピンハネしてしまうような問題業者も多かった。

 さて終戦後、GHQの支配下で新たな労働法が続々と作られた。特に労働者供給事業のほぼ全面的な禁止は、担当官スターリング・コレットの「個人的見解」「十字軍的な強い意志」によって作り出されたものだという。へええ、知らなかった。確かに労働者供給事業が、労働者に非人道的な支配を強いるものであることは、現代の派遣労働者の境遇を考えても分かる(コレットの苦心にもかかわらず、日本で労働者供給事業が復活してしまったのは、後代の話)。

 しかし、これによって派出婦会も事業を続けられなくなってしまった。日本側の担当者は、派出婦が労働組合を結成し、組合が労働者供給事業を行うという体にすれば継続できるという、アクロバティックな解決方法を考えたようだが、さすがに現実性がなくお蔵入り。結局、派出婦会は「有料職業紹介事業」という、全く実態とは異なる看板の下で生き延びることになる。これにより、女中とは異なる職業であったはずの家政婦が「家事使用人」のカテゴリーに放り込まれてしまった。「家事使用人」は、個人の家庭から指示を受けて家事をする者とされ、労働基準法上は労働者と見做されないのである。えええ、これも知らなかったわー。

 1999年には労働者派遣法が改正され、労働者派遣の対象業務が大きく拡大した。家事も介護も「派遣」の対象業務になったのだが、家政婦紹介所は、積極的に家政婦派遣事業所になることを選択しなかった。介護に関しては訪問介護事業者を称しても、家政婦事業については紹介所という、二枚看板方式が一般化してしまったという。

 その結果、2022年9月、家政婦がある家庭に泊まり込みで7日間連続勤務した後に亡くなる事件が起き、遺族が過労死として訴え出たにもかかわらず、家政婦は家事使用人であって労働基準法の適用を受けない(労災保険法も最低賃金法も適用されない!)という理由で退けられてしまった。現行法の運用としては正しいのかもしれないが、常識的にはどう考えてもおかしいので、改善が必要だと思う。

 また、考えさせられたのは、GHQの担当官コレットが悪逆非道の人夫供給業を撲滅するために振り下ろした「正義の刃」が、家政婦というニュービジネスを、伝統的な女中の世界に叩き込むことになってしまったという解説である。こういう、思わざる結果は、どこの世界にもあるのだろうな。だから正義の実行は大切だけれど、大局的な是非とは別に、その影響を細やかにメンテナンスしていく仕事も忘れてはならないのだと思う。

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初めて知る素顔/文楽名鑑2023(人形浄瑠璃文楽座)

2023-09-10 22:27:33 | 読んだもの(書籍)

〇福山嵩郎編集;塩川いづみイラスト『文楽名鑑2023』 人形浄瑠璃文楽座 2023.8

 いま個人的に大注目の1冊。一般社団法人「人形浄瑠璃文楽座」が、全座員86人のプロフィールを掲載した「文楽名鑑」を発行した。「好きな演目は」「初舞台から現在までを振り返って一言」といった真面目な質問があれば、「カラオケの十八番は」「好きな動物は」「モテ期はいつ?」なども。約70項目のアンケートから、それぞれの個性がにじむ、えりすぐりの回答が掲載されている。

 私は文楽を楽しむようになって、すでに40年近くになるけれど、座員のみなさんについて知っていることは、毎回の公演プログラムに掲載されている「文楽技芸員の紹介」ページの白黒写真と芸名がほぼ全てである。実は年齢(年代)もよく存じ上げなかったので、本書を見て、え!この方、もう80代(見た目が若い)とか、え!若手かと思ったら意外と歳上、など、小さな驚きがずいぶんあった。ちなみに大阪公演のプログラムは、以前からよく座員の方へのインタビューを掲載しており、最近は東京公演のプログラムにもそうした記事が見られるようになったのはうれしい。

 出身が関西以外という座員の方は意外と多いのだな。千歳太夫さんと亘太夫さんが東京都江東区出身(私の地元~)というのも初めて知った。鶴澤燕三さんの神奈川県葉山町出身にもびっくり。希太夫さんは「好きなアーティスト」がプラシド・ドミンゴで、「歴史上の人物で会ってみたい人」はチャイコフスキーとの回答。やっぱりジャンルは違っても音楽や楽器が趣味という方が目につく。吉田玉男さんが錦絵や陶器を集めていらっしゃるというのも気になる。

 食べもの関係では「おでんの好きな具」に咲太夫さんと鶴澤清治さんが挙げていた「さえずり」。聞いたことがなくて調べてしまった。関西では一般的なのだな。あと「好きなパン」に藤太夫さんが挙げていた「クワエベーカーズ」(阿倍野)の食パン、睦太夫さんが挙げていた「No.4」(東京・市ヶ谷)のリーンブレッド(山形食パン)は覚えておこう。

 笑いながら納得したのは「太夫あるある」「三味線あるある」「人形遣いあるある」で、三味線は「右の前腕だけ太くなる」かと思えば、人形遣いは「スポーツジム入会時の筋量測定で右利きにもかかわらず『左利きですね』と言われる」のだそうだ(主遣いになると人形の重さのほとんどを左手で支えるため)。厳しい肉体労働なのだ。

 編集の福山嵩郎さんのお名前は知らなかったので、検索したら、京阪神エルマガジン社で立ち上がった、文楽の初心者向けフリーペーパー「ハロー!文楽」を作っていらっしゃる方だと分かった。ありがたいなあ、こういうの。リンクをたどって「文楽協会」のホームページを見に行ったら、意外と今ふうのデザインで、情報がコンパクトにまとまっていてよいと思う。

こちら「ハロー!文楽」編集部

公益財団法人 文楽協会

 本書には、引退された吉田蓑助さんのページがあったのも嬉しかった。住太夫さんや嶋太夫さんの回答も、こういうかたちで読みたかったなあ…。本書を10年先、20年先(自分が生きているとして)に読み返したら感慨深いものになるだろうとも思った。

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絵画の中のイケオジたち/楽しい隠遁生活(泉屋博古館東京)

2023-09-09 22:23:39 | 行ったもの(美術館・見仏)

泉屋博古館東京 企画展『楽しい隠遁生活-文人たちのマインドフルネス』(2023年9月2日~10月15日)

 理想の隠遁空間をイメージした山水・風景や、彼らが慕った中国の隠者達の姿を描いた絵画作品、細緻な文房具などを通して、中国の士大夫や日本の文人たちの多様な隠遁スタイルを提示する。登場する著名人は、孔子、許由、達磨、諸葛孔明、陶淵明、竹林の七賢、日本でが西行、芭蕉、鴨長明など。日本人が中国の理想の隠遁者を描いた作品も多くて、橋本雅邦の『許由図』(木の枝に掛けた瓢が風に吹かれる音がうるさいので捨ててしまったところ)はカッコよくて惚れ惚れした。森寛斎の『陶淵明象』もなかなかの「イケオジ」で、中国ドラマの俳優さんを当てるなら誰だろう?と考えたりした。

 石渓という画家は記憶になかったが、『面壁達磨図巻』は(たぶん京都の泉屋博古館で)見たことがあるとすぐに思い出した。伝統的な達磨像(僧形・ギョロ目・大きな体)とは似ても似つかない、蓬髪と無精髭のマンガみたいに貧相な男が面壁している図で、ちょっと小説『三体』の面壁者を連想した。むしろドラマ版の魏成に似ていたかな。墨と朱のシンプルな色遣いで描かれた洞窟の風景が幻想的で美しい。石渓(1612-1692)は、漸江、石濤、八大山人とともに明末の四僧(四和尚)と呼ばれる画家。本展にはもう1作品『雲房舞鶴図』も出ていて、高い山からふもとの川へ段々に流れ下る滝と、その周囲に点在する草庵・高士たちを描いたもの。小品で、余白を取らずに画面いっぱい描き込んでいることもあって、西洋の油絵みたいな印象を受けた。このひと、少し推していきたい。

 中国絵画では、大好きな石濤の『廬山観瀑図』が来ていてうれしかった。でも展示ケースの大きさがほぼギリギリで、絵画そのものではないけれど、表具の天地の部分に照明が映り込んでいて鑑賞の邪魔だった。張恂の『渓深山静図』は、いかにも住友コレクションという感じの優しい色合いの山水図。日本の画家たち、貫名海屋の『浅絳夏秋山水図』とか岡田半江の『渓邨春酣図』とか、それぞれ個性ある山水で好きだけれど、こういう「南画」(文人画)の魅力は、いまの時代には理解されにくいかなあ。

 これらは隠遁の理想を描いたものだというけれど、描かれている高士(文人)は必ずしも孤独な存在ではない。中国作品でも日本の作品でも、朋友が近くにいることが多い。長吉『観瀑図』(室町時代)のお行儀よく並んだオジサン二人、かわいいし、帆足杏雨『山水図』の二人は笑い転げているみたいで、とても楽しそうだ。岸田劉生『塘芽帖』には、長谷の画室における最晩年の作者の姿が描かれていて「孤独を感じる」みたいな解説が添えられていたけれど、全体に色彩が明るく、私は満ち足りた印象を受けた。

 気になったのは唐寅『秋声図巻』。ポツンと一軒家が描かれた荒涼とした風景なのだが、欧陽脩(欧陽修)の『秋声賦』を絵画化したものだという。『孤城閉』の欧陽修のイメージがよみがった。村田香谷『西園雅集図』(明治時代)には蘇軾が描かれていて、面白かったので、あらためて「西園雅集」について調べて学んだ。そうか、大江定基はこの頃、中国に渡っているのね。中国ドラマに出てこないだろうか。絵画だけでなく、文房具や茶道具もたくさん(京都でもあまり見たことがないくらい)出ていて楽しかった。『白磁洞簫』の「洞簫」は尺八のような縦笛。白磁製で、環と房の飾りがついている。武侠ドラマのあれこれを思い出した。

 第4展示室が「住友コレクションの近代彫刻」のミニ特集で、高村光雲の『楠木正成銅像頭部木型』や山本芳翠『虎石膏像』など、興味深い作品が並んでいたことも記録しておこう。今回の展覧会、解説やキャプションが親しみやすく工夫されていて楽しかった。都会で楽しめる「観瀑体験」と題して、近隣の滝が紹介されていたのもメモしてきたのだが、検索するとぜんぜん出てこないので、詳細は未確認である。(1)六本木一丁目駅の「六一の滝」(2)サントリーホールの「響の滝」(3)城山ガーデンの「道灌の滝」(4)溜池の「段々の滝」。

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自分たちで決める/病が分断するアメリカ(平体由美)

2023-09-06 22:24:03 | 読んだもの(書籍)

〇平体由美『病が分断するアメリカ:公衆衛生と「自由」のジレンマ』(ちくま新書) 筑摩書房 2023.8

 新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の流行によって、アメリカは多くの死者を出した。本書は、アメリカの公衆衛生が抱えるジレンマを歴史的経緯を踏まえてひもとく。

 公衆衛生とは、地域やコミュニティを病から防衛し、住民の健康を維持するための公共的な取り組みをいう。個人よりも集団を対象とし、病を発症した人の治療よりも、病の拡散を防ぎ、健康な人を病に罹患させない対策に重点がある。そのため医療とは異なる仕組みが必要で、病院よりも政府と行政が大きな役割を担っている。公衆衛生の三要素は「数を数え分析すること」「健康教育を行うこと」「行動制限を行うこと」だという。三要素にはそれぞれの困難がある。

 さてアメリカは「自由の国」といわれる。著者は「アメリカ的自由」を三つの観点で説明する。第一に「自分たちのことは自分たちで決める」という自治が成立していること。アメリカでは、地域のことを熟知していない中央政府が一元的に物事を決定することに反発がある。第二に権力や権威の腐敗を避ける仕組みがあること。権力者は繰り返し住民の審判を受けなければならず、一度はとんでもない候補者が選ばれても、次の機会には是正される(と考えられている)。第三に選択肢が複数あること。選択肢が限られていたり、特定の選択を迫られたりすると、アメリカ人は自由が奪われていると感じるそうだ。

 こういうアメリカでパンデミックが発生し、公衆衛生(防疫)対策が導入されると、人々は「それはどうやって・誰が決めたのか」に注目する。「自分たちのことは自分たちで決める」を原則とするアメリカ人は、情報公開や住民集会での丁寧な議論などの手続きを期待するし、自分たちが選んだのではない「公衆衛生の専門家」をうさんくさく感じて反発するという。ううむ、アメリカ人、正直めんどくさい。さらに、その公共政策はどれだけの効果を上げるのか、社会的・個人的コストに見合う利益があるのか、という問い直しがしつこく行われるという。

 アメリカでは、戦争や外交、通商には連邦政府が権限を持つが、公衆衛生や医療は州政府の所管とされてきた。19世紀半ば以降、この分業体制はさまざまな問題を引き起こすようになった。現在、パンデミックへの対応は連邦と州がそれぞれも役割を担っている。今後、COVID-19対策に関する包括的な検証では「民主主義社会における分権的制度の功罪も俎上に置かれることになるだろう」と著者はいう。だが、天然痘、コレラ、インフルエンザなど、過去に何度も「連邦による包括的対策の必要性」が議論されては否定されてきた。アメリカ人の「自分たちのことは自分たちで決める」信念は、かくも頑固なのだ。

 アメリカ社会におけるワクチンと反ワクチン運動の歴史(19世紀、天然痘ワクチンに始まる)やマスクの悪印象(20世紀初め、スペイン風邪に始まる)の話も興味深かった。アメリカでは、マスクは医療従事者でなければ犯罪者、弱さの象徴、男らしくないイメージと結びついており、なぜアジア諸国ではマスク忌避感が存在しないのかを逆に不思議に思っているらしい。

 公衆衛生と格差も、本書が提起する重要な問題である。近年、社会的経済的地位(SES: Socioeconomic Status)が健康と病に及ぼす影響が注目されているという。貧困層・低所得層は長時間労働が常態化し、簡単で腹を満たせる食事になりがちである。子供の頃に形成された食習慣や生活習慣は成人後の健康度を左右する。国民皆健康保険制度のないアメリカでは、貧困層は医療にもアクセスしにくい。構造的に生み出される健康問題は、まわりまわって社会の不安定化をもたらす、など。

 なお、これまで貧困は都市スラムの問題とされてきたが、現在は非都市部の高齢者の健康リスクが非常に大きくなっているという。これは新しい知見だった。人口過疎の農村部では、医療アクセスの不全に加え、脂肪分過多の単調な食生活、喫煙率の高さ、酒の消費量、閉鎖的なコミュニティにおけるメンタルヘルスの問題、健康と病の科学的理解がアップデートされないこと、さらには「清潔で安全な水」の入手さえ担保されていないのだ。開発途上国ではなく、アメリカ国内の話である。そして、急速に過疎化が進む日本の農村部でも、やがて同じ問題が広がるだろうと想像すると、暗い気持ちになった。

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初代国立劇場の思い出

2023-09-04 21:27:02 | 行ったもの2(講演・公演)

  半蔵門の国立劇場が、老朽化に伴う建て替え工事のため、2023年10月で「閉場」することになった。いまの劇場は1966年11月に開場したものだという。

 私が初めて国立劇場に入ったのは、高校生のときだ。高校1年生のときに歌舞伎教室で『俊寛』を見て、高校2年生のときに文楽教室で『伊賀越道中双六』を見た。歌舞伎はわりあい面白かったが、文楽は全く面白くなくて、実はずっと演目を忘れていた。馬が出てきた記憶だけはあり、塩原太助ものか?などと思っていたが、文化デジタルライブラリーの「公演記録を調べる」で検索したら、どうやら『伊賀越道中双六』らしい。高校生には地味すぎて退屈だった。

 しかし、大学院生時代に「文楽を見たい」という留学生に付き合って『近江源氏先陣館』を見たら面白くて、文楽ファンになってしまった。以後、ちょっと間遠になった時期もあったけれど、だいたい年1回くらいは文楽を見に通ってきた。舞楽や声明、民俗芸能、わずかながら歌舞伎公演を見たこともあるが、圧倒的に大劇場より小劇場に足を運んだ回数のほうが多い。

 学生時代は平日に来ることができたので、席を選ばなければ当日券で入ることができた。当時は、芝居見物とはそういうものだと思っていた。いま思い出したのだが、一度だけ、劇場に来てみたら満員御礼で呆然としていたら、知らない人に「余っているから」と券を譲ってもらったことがあったように思う。

 国立劇場は2階に大きな食堂があり、3階に喫茶室があって、カレーとスパゲティミートソースとそば・うどんなどが食べられた。確か初期の頃は、国会図書館の喫茶室と同じ業者で「MORE(モア)」という名前だったと思う。私は3階の愛用者で、幕間にずいぶんお世話になった。よく通る声のマスター、どこかでお元気にされているかしら。

 国立劇場へのアクセスは、半蔵門駅を利用することが多かった。なので、国立劇場の正面を見た記憶はほとんどなく、思い浮かぶのは、裏門の風景ばかりである。

 直線だけで構成された無駄のないデザイン、特に校倉造りを模した壁面はとても美しい。建て替えで、これ以上の建物ができるとはとても思えない。どうして、この芸術的な建物を「建て替え」なければならないのか、理解に苦しむところである。やっぱり、ホテルやレストランをつくって収益性を上げるため?

 それから、国立劇場のロビーは、大劇場も小劇場もさまざまな絵画や彫刻作品で飾られている。小劇場は文楽にちなんだ作品が多く、私が好きだったのは森田曠平による『ひらがな盛衰記(笹引の段)』。腰元お筆を遣うのは文雀さん。平成元年(1989)の作である。新しい劇場にも、どうかこれらの作品がきちんと引き継がれますように。

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