見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

御舟の魅力/小林古径と速水御舟(山種美術館)

2023-05-30 22:54:43 | 行ったもの(美術館・見仏)

山種美術館 特別展『小林古径と速水御舟-画壇を揺るがした二人の天才-』(2023年5月20日~7月17日)

 冒頭には、この季節にふさわしい古径の『菖蒲』が展示されていた。私は凛として透明感のある古径(1883-1957)の作風が大好き。一方、御舟(1894-1935)は、やや奇を衒った作品が多い気がして、あまり関心がなかった。ところが、実は二人が11歳の年齢差にもかかわらず、親しく交流していたこと、どちらも歴史画・人物画から画業をスタートさせたこと(古径の師は梶田半古、御舟の師は松本楓湖)を会場のパネルで初めて認識した。

 本展は前後期あわせて、古径46件、御舟22件を展示する。古径のほうがずっと長命なので、作品数も多くなるのは当然のことだ。ほとんどは山種コレクションだが、桃山ふう(?)の華やかな少女たちを描いた『極楽井』は見慣れない、印象に残る作品で、東京近美の所蔵品だった。展示室の突き当りの壁には、連作『清姫』が上下二段に(交互になるよう)並んでいた。全8面展示は5年ぶりとのこと。どれもいいが、間奏曲的に挟まれる『熊野』とフィナーレの『入相桜』の静かな風景が特に好き。

 御舟は『錦木』を初めて見て、なるほど、こんな質実な人物画を描いていたんだ、と納得する。白い着物に黒い角笠をかぶった男性(たぶん)が、ロウソクのような錦木を捧げ持っている。「錦木」は、むかし中古文学の授業で歌枕として覚えた。『翠苔緑芝』は、やっぱりヘンな絵だと思う。御舟の代表作『炎舞』は第2展示室に掛かっていた。初めてしげしげと眺めて、不動明王の火炎光背を思わせる伝統的で工芸的な炎の描写と、渦巻きながら立ち上る煙(上昇気流)の写実的な描写の掛け合わせがおもしろいと思った。煙のまわりを群れ飛ぶ蛾の仲間たちは、羽根の輪郭がぼやけており、せわしい動きを感じさせる。

 古径は大正11年(1922)に渡欧し、大英博物館で東晋・顧愷之の『女史箴図巻』を見て「高古遊絲描」と称される線描の妙に魅了される。ヨーロッパで古代中国の絵画を学んでくるというのが、この時代らしい。御舟も昭和5年(1930)に渡欧、帰国後はエキゾチックな異国の風景を描いたりもしているが、興味深いのは、墨画にわずかな色を加えた花の絵を次々に試みていること。『牡丹花(墨牡丹)』は墨色の大輪の牡丹に淡い緑色の葉とつぼみを配したもの。椿、桔梗、秋茄子なども、この手法で描いている。

 昭和10年(1935)御舟は腸チフスを発症し、40歳で急逝した。会場には古径の描いた御舟のデスマスク(個人蔵)も展示されていた。広い余白を残す紙の下のほうにスケッチしたもの。作品らしい体裁にはなっていないが、当座の写生そのものではなく、あとから慎重に線を選んで清書したものらしい。薄目を開いているような、閉じ切らないまぶたに迫真性を感じた。

 ほぼ年代順に構成されている本展は、御舟亡き後、当たり前だが古径の作品だけになる。見応えのある名作揃いだが、なんとなく寂しい。

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2023年5月展覧会拾遺(その2)

2023-05-28 21:59:05 | 行ったもの(美術館・見仏)

國學院大學博物館 春の特別列品『土御門家がみた宇宙(そら)-江戸時代の天文観測-』(2023年4月1日~5月14日)

 陰陽家として主に天文道をもって朝廷に仕えた土御門家。その役割のひとつに「天文密奏」(異常な天文現象が観測された場合に、その観測記録と解釈を内密に上奏すること)があり、国学院大学図書館は、こうした「天文密奏」やその根拠となる天文観測記録を含む「土御門家記録」を所蔵している。特に嘉永6年(1853)のクリンカーフューズ彗星、安政5年(1858)のドナティ彗星にはまとまった観測記録が残されている。いや面白かった! 星図(中国風の)に彗星の軌道を書き入れたものあり、高度や方角を数字で書き留めたものあり(地上〇〇度、方位卯南〇〇度など)、愛宕山の空に真上に長い尾を引いた彗星のスケッチあり。勘文(上奏文)の控もある。

 江戸時代の天文学といえば幕府天文方が思い浮かぶが、ドナティ彗星の観測値を比較すると、幕府天文方や大坂の町人天文学者(間家)よりも土御門家のほうが欧米のものに近いことが分かったという。これは意外!呪術や祭祀だけをやっていたわけではないのだな。明治時代初期の『京都梅小路土御門旧邸宅図』も出ていた。私は、むかしこの土御門旧邸と土御門家の菩提所・梅林寺のあたりをうろうろしたことがある。久しぶりにググってみたら、梅林寺さんがtwitterをやっているのを発見した。それと「京都千年天文学街道」というサイトがあって、天文と関連の深い歴史上の人物のゆかりの地を探訪するツアーを開催しているようだ。いいな、参加してみたい。

國學院大學博物館 企画展『祓-儀礼と思想-』(2023年5月20日~7月9日)

 祓(はらえ)の儀礼と思想の形成の歴史を様々な資料から明らかにする。会場で「六月晦大祓(みなづきのつごもりのおおはらえ)」という言葉や、茅の輪の写真を見て、なるほど、この時期にふさわしい展示なんだな、と納得。祓は神道の中核的な儀礼であるが、道教・仏教・陰陽道・儒教などと関わりながら、徐々に形成されてきたという。

たばこと塩の博物館 『没後200年 江戸の知の巨星 太田南畝の世界』(2023年4月29日~6月25日)

 蜀山人ほか数々の異名を持つ文化人・大田南畝(1749-1823)の生涯と功績を紹介。私は、まず文学史で名前を覚えた後、確か国立公文書館の展示で、学問吟味に首席合格し、官吏として能力を発揮した人物であることを知り、へえ~と驚いた記憶がある。本展にも、竹橋の書物蔵で勘定所の帳面を整理していた時期や、大坂の銅座や長崎に出張した御用に関する資料が出ていた。「五月雨や日もたけ橋の反故しらべ 今日もふる帳 明日も古帳」という狂歌ににんまりしてしまった(私も竹橋が勤務地なのだが、仕事は古帳調べではない)。このほか南畝は、体験や伝聞・読書を筆まめに記録し、「叢書」を編纂して典籍の保存にも努めた。あわせて、南畝の知友でたばこ屋でもあった二人・平秩東作と蘭奢亭薫も紹介されている。江戸時代のたばこ屋って、どんな商売だったんだろう?と気になってしまった(→江戸時代のたばこ文化)。

三井記念美術館 NHK大河ドラマ特別展『どうする家康』(2023年4月15日~6月11日)

 今年の大河ドラマは、流し見を続けている程度。この特別展にも、あまり関心が持てなかったが、まあせっかくだからという気持ちで見に行った。そうしたら、朝から開館待ちの老若男女の長い列ができていて、さすが家康公と感心した。展示は久能山東照宮博物館の所蔵品が中心となっている。私は久能山の博物館は行ったことがない(たぶん)ので、珍しいものをたくさん見ることができた。金陀美具足も(たぶん)初めて見た。あとは合戦図や道中図・洛中洛外図の屏風が多くて楽しかった。『大日本五道中図屏風』は、過去に見た記憶がなかったが、三井記念美術館の所蔵なのだな。『関ケ原合戦図屏風(津軽屏風)』(大阪歴史博物館)は前期展示だったので見られず。残念~。

永青文庫 令和5年度初夏展『細川家の茶道具-千利休と細川三斎-』(2023年5月20日~7月17日)

 千利休と細川三斎(忠興)ゆかりの名品を中心に、細川家に伝わる茶道具の数々を展覧。黒や焦茶色の地味でシックな茶道具が多い。なお、2021年に『花伝書抜書』の紙背文書として発見された、古田織部から細川三斎に宛てた書状が初公開されている。また、近現代の細川四代(護立、護貞、護煕、護光)が手掛けた茶道具も展示されていて、興味深かった。護煕氏の大きめの黒楽茶碗もいいと思ったが、護光氏(1974-)の作品もいい。信楽・唐津・高麗・楽焼などを手がける陶芸家で、永青文庫の理事も務めていらっしゃることを初めて知った。あと、細川家にゆかりの深い沢庵宗彭(1573-1645)の生誕450年を記念し、頂相や墨蹟のほか、熊本の妙解寺山門の対聯が特別展示されている。「万歳万歳万万歳皇風永扇/九州九州九九州仏法流布」というもので、真面目なのかふざけてるのか、つい噴き出してしまった。

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2023年5月展覧会拾遺

2023-05-27 22:27:39 | 行ったもの(美術館・見仏)

 このところ仕事が忙しくて、展覧会には行ってるんだけど、感想をまとめる余裕がなかった。思い出せるものだけでも書いておこう。

東京国立博物館 特別展『東福寺』(2023年3月7日~5月7日)

 東福寺は、あまり始終行っているお寺ではないので、印象が曖昧である。開山は聖一国師・円爾。冒頭に掲げられていた、口のへの字にして横目で睨むような『円爾像』は京博で見た記憶があった。それから、さまざまな僧侶の頂相・墨蹟・遺物の袈裟や払子などが並ぶ。虎関師錬の『虎 一文字』は初めて見た。本展の見ものとひとつは吉山明兆筆『五百羅漢図』。東福寺本45幅、根津美術館本2幅(明兆筆の流出)、狩野孝信の補作2幅、平成時代の補作1幅(原本は行方不明)という構成で、ほかに明兆の白描下絵(一部彩色本あり)50幅も伝わっている。私は明兆本15幅(第31~45号)・根津美術館本1幅、孝信本1幅、下絵1幅を見ることができた。一部の作品には、マンガふうの解説が付いていて楽しかった。また、明兆の『三十三観音図』は、なるほど、承天閣美術館で見たものの原本であることが分かった。中国仏画も見応えがあった。『維摩居士図』は、東博の中国書画精華展で何度か見た覚えがある。

 最後が仏像。東福寺が鎌倉仏像彫刻の宝庫でもあることは、あまり知られていないと思う。私も2019年の「京の冬の旅」で拝観したときは驚いた。力のこもった金剛力士立像、四天王立像、それから人間臭い表情の迦葉・阿難立像も好き。秋に京博に巡回したら、また行きたい。

根津美術館 特別展『国宝・燕子花図屏風 光琳の生きた時代1658~1716』(2023年4月15日~5月14日)

 毎年『燕子花図屏風』が出る展覧会は混むので、早めに予約して見に行った。ちょうど庭園のカキツバタも盛りの時期だった。今回は「屏風づくし」の展覧会で、光琳の『白楽天図屏風』(大好き!)や『夏草図屏風』だけでなく、狩野探幽『両帝図屏風』、住吉具慶『源氏物語図屏風』など、バラエティに富んでいた。珍しかったのは『伊勢参宮道中図屏風』(江戸時代)で京都から大津~関を経て伊勢へ至る道中を描く。大津絵の店、三井寺、瀬田の唐橋など近江の風景がなつかしい。展示室5は、西田コレクション受贈記念II「唐物」。

東京都写真美術館 『土門拳の古寺巡礼』(2023年3月18日~5月14日)

 土門拳のライフワーク『古寺巡礼』から約120点を展観。楽しかった。キャプションの説明を看なくても、仏像の一部(目元とか手先とか瓔珞とか)を切り取ったような写真でも、これは薬師寺の聖観音!夢殿!深大寺!みたいに分かってしまう。土門拳氏は神護寺の薬師如来立像(弘仁仏のナンバーワン)、室生寺の釈迦如来など、私と好みが共通するところがあって嬉しい。展示室の外で紹介ビデオや壁の年表に見入ってしまったが、あらためて、このひとは面白いねえ。1979年に脳血栓を発症し、11年間の昏睡状態を経て1990年に死去という晩年には胸のつまる思いがする。

神奈川県立金沢文庫 特別展『金沢文庫の肖像』(2023年3月31日~5月21日)

 四将像(北条実時、北条顕時、金沢貞顕、金沢貞将)の全福公開(4/14-5/7)を狙って見に行った。実時、顕時は法体だが、貞顕、貞将は烏帽子に華やかな狩衣。武家の肖像画として完成された形式美だという。ほかにも称名寺ゆかりの審海や忍性の頂相、聖徳太子像、十六羅漢像(元時代)などが出ていた。

神奈川県立歴史博物館 特別展『あこがれの祥啓-啓書記の幻影と実像-』(2023年4月29日~6月18日)

 鎌倉の建長寺の画僧として知られる啓書記こと祥啓。私は関東人なのでこのひとの作品はよく目にする機会があった。2019年に根津美術館の『禅僧の交流』展で、祥啓が上京して芸阿弥に師事し、足利将軍家が所蔵する唐絵に学んだ技術を関東に持ち帰ったことを初めて認識した。今回は、その復習のような展覧会。最新のトレンドをもたらした祥啓の絵は人気を博し、多くの模倣や追随者を生んだようである。

太田記念美術館 『江戸にゃんこ-浮世絵ネコづくし-』(2023年4月1日~5月28日)

 人々の暮らしに寄り添うネコ、擬人化されたネコ、化けネコ、そして国芳お得意の地口や文字絵など戯画のパーツになったネコ。どれも楽しい。黒ブチ、または黒茶ブチ(三毛)ネコが多いのは、表情が描きやすいからだろうか。江戸から明治へ時代が移っても、浮世絵の中のネコ人気が全く衰えてないのも面白かった。

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近ごろの大学/ルポ大学崩壊(田中圭太郎)

2023-05-26 22:32:46 | 読んだもの(書籍)

〇田中圭太郎『ルポ大学崩壊』(ちくま新書) 筑摩書房 2023.2

 ここ10年ほどの間に全国の大学で起きている「耳を疑うような事件」について取材したルポルタージュ。国公私立の26大学が取り上げられている。ただし、その中身は、特殊な経営者個人の問題(多かれ少なかれ、むかしからあったのでは)と思うもの、社会全体の劣化とともに、クリティカルな特殊例が露出してしまったと思われるもの、国が主導する「大学のガバナンス改革」が要因と考えられるもの、とさまざまなので、きちんと切り分けながら読む必要があると思う。

 個人的に、いちばん衝撃的だったのは北海道大学の事例。名和豊春氏は、2017年4月に北大総長に就任した。これに先立つ総長選挙では、現職の総長(山口佳三氏)が大幅な人件費削減を打ち出していたのに対し、名和氏は人件費の削減率圧縮と大学の教育研究水準の維持を訴えて、意向投票の票を集め、総長に就任した。本書の記述によれば、その後の財政再建も順調に達成されていたにもかかわらず、「パワハラ疑惑」が報じられ(しかし公益通報は存在しなかった)、騒ぎを収拾するために名和氏が願い出た辞職は認められず、文部科学大臣から「解任」が発表された。現在、名和氏は文科省と北大に裁判を起こしているという。北大の総長人事がキナ臭いことになっているのは風のたよりに聞いていたが、思った以上に闇の深い話だった。時間をかけてでも真相を解明してほしい。

 学長選考に関しては、筑波大学の任期撤廃と独裁化、東京大学の疑惑の選考会議(2020年9月)も取り上げられている。私はこれらの大学の事務方に関わっていたので、どちらも良識派の教員が「おかしい」と批判的な目で見ていたことを知っているが、文科省(むしろ財務省)の外圧に抗っていくには、強い学長を戴く大学にならざるを得ないことも分かるので、なんというかジレンマを感じる。

 「大学は雇用崩壊の最先端」という刺激的な題の章もあって、いわゆる「雇い止め」問題が取り上げられている。どう見ても経営陣の我儘やマイノリティ差別だろう、という分かりやすい例もあるけれど、根本的には、競争的資金を増やして基盤的経費を削っていくという国の大学政策が転換しなければ、解決しないのではないかと思う。研究者の雇用が不安定になることで日本の研究力が低下することも、優秀な人材が必要なら無期雇用や正規採用を増やせばいいことも、常識的に分かっているのに実行できないのは、(少なくとも国立大学では)大学の経営陣の責任ではなくて、国の施策と予算構造の縛りが大きいと思うので、本書がそこにあまり切り込んでいないのは不満に思う。

 一方、これは完全に大学の現場で解決に取り組むべき問題だと思ったのは、ハラスメントの頻発。執行部と職員、教員と研究室スタッフ、教員と院生など、さまざまな紹介されている。「研究室」という小さな世界の上下関係が、なかなか外から見えにくいとか、狭い世界で頂点に立った結果、どこへ出ても権力的な振舞いが許されると勘違いしてしまうとか、大学固有の要因があると思う。しかし、ハラスメントに関しては、もはや特殊例が許容される時代ではない。特に学生が、こうした不安に悩まされることのないよう、大学関係者は意識を変えていく必要があるだろう。

 本書には、東北大学の学生組織が工学研究科の大学院生に実施したアンケートでは「8人に1人」がハラスメント経験者だった、という記述がある。ただしこれは、回答数67人のうちの8人である(修士、博士あわせると在籍者は2,000人くらい)。8人の被害を軽視するわけではないが、この数字をもとに「8人に1人の割合」を見出しに立てる編集は、ちょっといただけない。まあ本書は、多少の誇張もまざった大学説話集として読むのがいいのではないかと思う。

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見なければならないもの/反戦と西洋美術(岡田温司)

2023-05-23 23:00:07 | 読んだもの(書籍)

〇岡田温司『反戦と西洋美術』(ちくま新書) 筑摩書房 2023.2

 17世紀から今日まで、西洋の美術が反戦への思いをどのように表現してきたかを時間軸に沿って振り返る。最近は「反戦」はひとつの政治的信条と見做されることが多く、美術や音楽で活躍するアーティストが「反戦」を掲げることを嫌う人たちが多いように思う。しかし反戦と美術って、そんな昨日今日の関係ではないはず、と思っていたので、本書は大変ありがたかった。もちろん著者の言うとおり、芸術はプロパガンダやアジテーションではないので、ある種のあいまいさを帯びることは避けられない。そのことは納得の上で、著者の集めた「反戦美術」を眺めていく。

 中世の十字軍はもとより、ルネサンス期イタリアの都市国家間の抗争でも、前面に打ち出されるのは、もっぱら英雄的な武勲か勝利の栄光だった。「戦争の惨禍」が西洋美術のテーマとして登場するのは17世紀(三十年戦争の時代)だという。本書の冒頭に登場するのはルーベンスだが、その作品は寓意の伝統を踏まえている。よりストレートに略奪、拷問、死刑などを描いたのは、版画家のジャック・カロ(1592-1635)。このひとは知らなかった。次のフランシス・ゴヤ(1746-1828)は私の大好きな画家。ゴヤの「見るにたえない」ものを「見なければならない」という葛藤は、戦争の惨禍を伝える芸術/メディアの本質にかかわるものとして問題提起されている。

 やや古典的な反戦美術のカテゴリーで取り上げられているのがアンリ・ルソー(1844-1910)の『戦争』で、これも好きな作品。ロシアにも、ヴァシーリー・ヴェレシチャーギン(1842-1904)という画家がいた。2022年には、ロシアによるウクライナ侵攻に抗議するため、この画家の作品『戦争の神格化』の複製を掲げたロシア人の大工が逮捕されたという。

 19世紀後半のクリミア戦争、アメリカ南北戦争では戦場にカメラが持ち込まれる。しかし重い機材、長い露光時間などの制約から、リアルタイムで戦闘場面を撮影することはできず、演出や脚色がつきものだった。戦争写真はその成り立ちから、ある種のパラドクスを抱えていた、という指摘は腑に落ちた。

 人類史上最初のグローバルな総力戦である第一次世界大戦は、多様な反戦美術を生んだ(第一次大戦と美術との因縁はいろいろな意味で屈折している、と著者はいう)。作者と作品だけ見ていくと、ケーテ・コルヴィッツが取り上げられていた。町田市立国際版画美術館の『彫刻刀が刻む戦後日本』で覚えた名前である。アルビン・エッガー=リンツ、ポール・ナッシュ、ジョン・ナッシュ等は初めて知った。幽霊に頬を撫ぜられるような、不安で気味悪い作品が多いが、どこか奈落の底を覗き込むような魅力も感じさせる。そして第二次大戦以降の反戦美術に比べると、まだまだ牧歌的に思われる。

 第二次大戦以降は、人間が人間として扱われない状況が美術の中に赤裸々に立ち現れてくる。マックス・エルンストやピカソのシュルレアリスムは、むしろ受け入れやすい。ナチスの強制収容所から生還した画家たちの作品のショッキングなこと(骨と皮にやせこけた少女、処刑を待つ収容者の姿)には言葉を失う。しかし著者も言うとおり、写真だったら受け止め切れないものに(無意識に注意を反らしてしまうかもしれない対象に)しばらく視線を合わせてしまうのは、やはり美術の力ではないかと思う。

 そしてベトナム戦争を経て、フェミニズムや「アート界」の体制批判をくぐり抜けて、戦争犯罪の記憶を問い直し、いまこのときの戦争・内乱を告発する反戦美術は作られ続けている。感性や創造力に訴える芸術の力は、文字よりも直接的で生命が長い場合もある。実際、本書に採録された図版を見ていると、少なくとも私は、こんなふうに無慈悲に人間が扱われる状況を二度と引き起こしたくない、という思いが強く湧くのである。

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横山神社の馬頭観音立像(東京長浜観音堂)を見る

2023-05-22 21:11:53 | 行ったもの(美術館・見仏)

東京長浜観音堂 『馬頭観音立像(長浜市高月町横山・横山神社蔵)』(2023年5月20日~6月18日)

 日本橋の東京長浜観音堂も3年目に入った。毎年、「来年度のことは決まっていません」みたいな話で気をもまされるが、今年度も事業の継続が決まったようである。令和5年度第1回の展示は、横山神社の馬頭観音(平安~鎌倉時代)。私は、2010年の高月「観音の里ふるさとまつり」に参加したとき、拝観したのが最初で、その後も長浜城歴史博物館や芸大美術館の展覧会でお会いしている。

 憤怒とは程遠い、温和でぼんやりした表情のお顔の上に、歯をむき出して哄笑するような馬頭が載っている。

 小さな展示ケースの周囲をぐるぐる回って、左右の脇面、それから後ろ姿も見せていただいた。

 左右の脇面は、眉根を寄せ、まなじりを吊り上げ、いくぶん怖い顔をしている。三面とも三眼を持ち、上向きの牙を持つ。

 また1年間、ここに通う楽しみが継続すると思うと、とても嬉しい。

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饒舌館長のベスト展(静嘉堂文庫美術館)ギャラリートークを聴く

2023-05-21 19:10:45 | 行ったもの(美術館・見仏)

〇世田谷区岡本・静嘉堂文庫美術館『河野館長の傘寿の祝:饒舌館長ベスト展』(2023年5月20日~5月28日)

 静嘉堂文庫美術館の河野元昭館長が、本年7月20日に80歳を迎え、また館長就任8年目にも当たることから企画された特別展。会場は懐かしい世田谷区岡本の美術館である。会期は8日間限定で、初日5月20日と最終日28日に河野館長のギャラリートークがあるというので、さっそく初日に行ってきた。

 二子玉川駅前で、14時からのギャラリートークにちょうど間に合うくらいのバスに乗ったら、「静嘉堂行きます?」と聞いて乗ってくるお客さんが続々といたので、これは人が多いぞと覚悟した。文字どおりのギャラリートークで、展示室内で河野先生が(マイクもなしに)喋るスタイルだったが、展示室内はぎっしり。100人くらい集まっていたのではないかと思う。お客の(主に)ご婦人方から「先生、マスクを外して」「もう少し大きな声で」など注文が飛んで、河野先生も大変そうだった。それでも饒舌館長の名に恥じず、途中休憩を挟みながら、狩野派→琳派→浮世絵→円山派→南画と多ジャンルにわたって喋り続け、最後は職員のお姉さんに「もう閉館時間です!(16時30分)」と止められていた。

 会場には安村敏信先生や玉蟲敏子先生が見えているという紹介もあった。おそらく他にも、美術館や美術史の関係者がお集りだったのだろうと思う。河野先生の「ベスト」であるが、30点ほど選んだあと、安村先生(静嘉堂文庫美術館副館長)が18点に絞ったという。その作品と、ギャラリートークから印象に残ったお話を(私の記憶の範囲で)メモしておく。

(1)『波濤水禽図屏風』狩野探幽
 探幽の真骨頂。この時期(探幽斎)の作品は特によい。探幽は江戸絵画の写生の系譜の出発点に位置づけられる。写生の修練が本画には活かされなかったという評もあるが、そんなことはない。古い時代の絵画は「イメージ」で描く。明治以降は西洋の「リアリズム」の強い影響を受ける。江戸絵画の魅力のひとつは「イメージ」と「写生」がバランスを保っている点。→板橋区立美術館の江戸狩野コレクションの素晴らしさにも言及(値段が安かったんだろう、とも)。

(2)『波図屏風』酒井抱一
 はじめに玉蟲先生を引っ張り出して、付属資料(注文主の手紙)から本作の制作年代を推定した最近の研究について喋らせる。メトロポリタン美術館(MET)の尾形光琳『波濤図』、フリーア美術館の俵屋宗達『松島図屏風』にも話題が及ぶ。門外不出と言われる『松島図屏風』、3回日本に来たことがあるとおっしゃっていた?(私はボストン美術館の光琳模写『松島図屏風』は見たことがある)

(3)『源氏物語関屋澪標屏風』俵屋宗達
 宗達の落款あり。土佐派の源氏物語絵に比べて革命的なのは、登場人物を自然の中に解き放ったこと。そして主人公は牛車で暗示されるだけでヒーローもヒロインも姿が描かれていない。なるほど!確かに新しい。速水御舟が、この絵の船に感激して「御舟」を号にしたというのも面白かった。すごくヘンな船なんだけど…。もとの所有者は醍醐寺で、廃仏毀釈などで苦労した際、岩崎家が支援したお礼に、どれでも欲しいものをと言われて、これを貰った。2019年にMETの源氏物語展に、これがないと源氏物語展が成立しないと請われて貸し出した。見に行ったら「あさきゆめみし」のほうに人が集まっていた。ここから脱線して、刀剣の展示に若い女性がたくさん集まった話も。

(4)『形見の駒図』宮川長春
 むかしは別の題名で知られていたが、近松の『世継曾我』挿絵に基づくものと分かった。早稲田大学図書館の蔵書目録WINEで版本の画像が見られることを紹介。これからは絵画の研究もネットの情報なしにはできないね、とおっしゃっていた。

(5)『江口君図』円山応挙
 応挙の写生はリアリズムではない。西洋のリアリズム絵画は投影法(キアロスクーロ)と遠近法(パースペクティブ)で成り立っている。応挙の絵には、そのどちらもないが、ある種の実在感がある。応挙の写生図のうち、我々が見ることができるのは清書したもの。1冊だけ清書前のふところ帳(写生雑録帖)が残っている。

(6)『玄宗楊貴妃一笛双弄図』渡辺南岳、賛:亀田鵬斎
 亀田鵬斎の漢文を超訳で紹介。河野先生、ときどき漢詩を中国音で暗唱して話に混ぜていた。

(7)『朝顔に猫図』原在明
 沈南蘋の猫を思い出すが、沈南蘋の猫は猛獣の面影があり、ちょっと怖い。この子たち(2匹)はすっかり愛される存在になっている。いや確かに可愛いな!ちょっとブサかわ系である。猫をテーマにした展覧会はお客さんが入る、という経験談も。ここまでで15時半を過ぎており、いったん「中休み」。その後も60~70人は残っていたと思う。

(8)『王維終南別業・輞川閒居図』池大雅
(9)『柳下渡渓図』与謝蕪村
(10)『重嶂飛泉図』木米
 年齢とともに南画が一番好きになってきた。南画は、江戸時代、大正時代とブームがあったが、今は人気がない。富岡鉄斎がまず賛を読めなどと言ったのがよくない。素直に絵の中の人の気持ちになって楽しんではどうか。大雅は早熟の天才。蕪村は大器晩成で、若い頃はうまくないが、晩年(死ぬまでの5年間?)がよい。この二人の次世代を代表するのが木米。この作品はサントリー美術館の木米展にも出陳した。

(11)『芸妓図(校書図)』渡辺崋山
 これは最高!という、ひとことで時間切れ。お疲れさまでした。

※お話が聞けなかった残りの作品は以下のとおり(これ以外に「友情出演」の工芸品もあり)。
・『朝暾曳馬図』英一蝶
・『住之江蒔絵硯箱』尾形光琳
・『色絵定家詠十二ヶ月花鳥図色絵皿』尾形乾山
・『軽挙館句藻』酒井抱一
・『絵手鑑』酒井抱一
・『雪月花三美人図』鈴木其一
・『四条河原遊楽図屏風』

 いやーやっぱり岡本の静嘉堂文庫はいいなあ。下界から隔絶された雰囲気が好き。2021年の移転の際は、もうここに来ることはないだろうと思って寂しかったが、今後も1年に1回くらい、展示イベントを開催してほしい。

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法と支配の正統性/法の近代(嘉戸一将)

2023-05-17 23:54:53 | 読んだもの(書籍)

〇嘉戸一将『法の近代:権力と暴力をわかつもの』(岩波新書) 岩波書店 2023.2

 読み始めてから、あれ?これは復刊書だったかな?と思った。テーマが古典的である上に、図版が少なく、パラグラフが長いので、版面が文字で(しかも横文字でなく主に漢字で)ぎっしり埋まっていて、古い岩波新書の雰囲気が濃厚なのだ。しかし内容はとても面白かった。

 本書のテーマは副題のとおりである。制度的な権力(政府)と恣意的な暴力(盗賊)をわかつものは何か。たとえば法に基づいて人を裁き、支配する行為は暴力ではないという回答がある。しかし権力者が身勝手な「理屈」によって法秩序を創造し、人を支配するとしたら、それは暴力ではないのか、と著者は問い直す。人は「最強の者」の力あるいは権力に屈せざるを得ないが、それは正統な意味での法(JUSTICE)ではない。

 では、何が法を法として可能にする=権威づけるのか。ルソーはその正統性を、国家を構成する諸個人による「契約」に求め、諸個人は、自らの意志に由来する権力のみを正統なものとし、その権力の創る法に服従すべきであると説く。でも、それでは秩序が成り立たないのではないかと思う。

 また別に、主権者=立法者の正統性をひとつの人格で代表しようという考え方がある。その由来は、ローマ法や古代ギリシアの哲学に遡るという。重要なのは、立法者が生身の人間ではなく「職務」として捉えられていたことだ。権力は「職務によって」行使されるから権力なのであり、そうでなければ暴力にほかならない。「職務」には私的な意思や欲望が働く余地があってはならない。このへん、いまの日本の立法機関(国会)にいる議員たちは、きちんと理解しているのだろうか。

 次に著者は、日本における西洋の法秩序の受け入れ過程を観察する。伊藤博文は、立憲主義を導入するにあたり、「機軸」(社会的紐帯)を定める必要があると考えた。井上毅は天皇の統治を古語の「シラス」に当て、天皇の理性によって秩序を実現することと説いた(対義語は「ウシハク」で豪族の実力行使による支配)。国語国文を重視した井上毅、法の「進化」を主張した穂積陳重、「祖先教」を提唱した穂積八束など、くらくらするほど面白かった。穂積八束は、旧民法法典の個人主義的傾向を排撃し(民法出テゝ忠孝亡フ→すごい認識)、日本の家族制度は祖先崇拝(家父長制)を紐帯とすることを説いた。この言説は、明治憲法の宗教的正統性を呈示するだけでなく、社会を一体のものとして演出する効果を持っている。「この一体性信仰は、日本の近代史においてたびたび現れる」と著者は指摘しているが、全くそのとおり。今なお、その残骸のようなものを見かけるが、発生はこの時代にあったのだな。

 一方、憲法学者の佐々木惣一(1878-1965)は、政治家や教育家が家族のような一体の国家というフィクションを信奉する限り、権力と暴力を分かつ議論は抑圧され、ますます暴力が跋扈すると主張した。佐々木は政治の役割は「個人の自由と機会の平等を保障しつつ共同生活を可能にすること」と考え、天皇の統治権は、この理想を実現する力(実現を意思する力)であり、天皇は「職務」という制度に拘束されていると説いた。明治憲法をこのように解釈するのは、なかなかアクロバティックだが、興味深い。

 次に「議会制の危機」について、再び西洋の例に戻る。歴史的に見出されてきたとおり、国民によって選出された議会が、国民に代わって国家の意思決定を行うという分業は、必ずしも理想的な民主的政治を実現するとは限らない。議会制とは「妥協の産物」なのだ。「代表観念をめぐる西洋的な伝統」は、古代ローマ法に始まり、教会の歴史において彫琢されてきたようである。古代ローマ法に見られる「皇帝の意思は法の効力をもつが、その権威は人民の権威と権力に由来する」という文言は、現代人にも感覚的に分かりやすい。しかし近代の主権論は、君主と人民の有機体的な関係を断ち切り、主権者たる君主に至高性を与えた。え?と驚いたが、至高の主権もまた法の下にあると考えられている。

 今日、日本国憲法において主権者と定められている国民は、憲法制定権力、つまり革命を起こす権力を有している。しかし理念的には、法をつくる者は、理性に基づき「不断に正しい法を作るための努力をつづける義務」を課せられていると考えるべきである。主権者もまた「職務」なのだ。

 堂々巡りの思考かもしれないが、法の条文に抵触すれば悪、抵触しなければ善、という判断で全て足りるとするのではなく、その「法」が理性と正義に即しているか、我々はもう少し熟慮する必要があると思う。少なくとも主権者に代わって、そういう深い思考を重ねてくれる代表を私は議会に送りたい。

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謀略戦と家族愛/中華ドラマ『無間』

2023-05-16 22:21:44 | 見たもの(Webサイト・TV)

〇『無間』全40集(騰訊視頻、2023年)

 このところハマる中国ドラマがなくて、何話か見ては撤退するものが続いていたので、思い切って今まであまり見たことのないジャンルに手を出してみた。本作は、抗日戦争末期の上海を舞台とする陰謀劇である。

 孤児院育ちの陸風(靳東)は、謎の男・閃官によって特工(スパイ)として育成された。日本留学から帰国した陸風は閃官から76号(親日政権の汪兆銘/汪精衛政府と日本軍によって設立された特務工作機関)への潜入を命じられる。さらに閃官は陸風に天皇特使の暗殺を指示。陸風がこれを実行したことで、76号は信用を失墜して瓦解、陸風も追われる身となる。

 閃官は独自の特務組織「幽霊機関」を率いて、軍統(軍事委員会調査統計局、国民党の秘密工作組織)副局長の牧渓鶴に奉仕していた。陸風の孤児院時代の幼なじみ・霍飛は幽霊機関の一員となっており、やはり孤児で閃官を義父として育った花向雨に思いを寄せている。しかし花向雨は、日本から帰国の船で知り合った陸風と心を通わせ合っていた。

 やがて陸風は共産党員の陳浩民に出会い、自分の父親・苗長天が「火鳳凰計画」(張作霖暗殺計画)に参加しながら、仲間の裏切りによって命を落としたこと、その裏切り者が閃官であることを知る。閃官は日本の間諜だった。次いで閃官は陸風の殺害を霍飛ら配下の者に命じるが、陸風は軍統の牧渓鶴に接近して庇護を受ける。その実、陸風の本心は軍統にはなく、共産党の特工・沈嘯の手引きで入党を申請するとともに、閃官への復讐を誓う。この頃、閃官・牧渓鶴らの注目は「繁星計画」と呼ばれる日本間諜の名簿の存在だった。解読された名簿には、閃官の名前とともに陸風の名前が記載されていた。これが陸風を危機に陥れるための謀略とは知らず、動揺する花向雨。しかし陸風は、まだ自分の真実の生い立ちと信条を花向雨に告げることができない。「私は誰?」「あなたは誰?」に悩む人々。

 花向雨もまた、自分の父親を捜していた。その結果、義父と思っていた閃官が実の父親であることを知る。閃官は清朝の遺老で、彼に忠誠を尽くす優秀な特工たちを養成し、日本人を利用し、国民党や共産党を排斥して清朝の復興を夢見ていたのである。

 さて、米国政府の使者が中国を訪問し、国民党政府と会談を行うことになった。会談が成功すれば、日本軍には決定的な打撃となる。延安の共産党指導部は、米国代表の安全を確保することを沈嘯・陸風らに指示した。閃官は会談の阻止と陸風の抹殺を特工たちに命じる。陸風は、途中で合流した花向雨とともに米国代表を守り抜き、多くの仲間の犠牲を払いながら、米軍の駐屯基地に送り届けた。これによって日中戦争の帰趨は決まり、閃官は、陸風と花向雨の面前で、かつて清朝皇帝から下賜された毒酒を仰いで自決する。

 以上は、かなり省略したあらすじで、ドラマはもっと登場人物が多く、人間関係も複雑に込み入っている。最も複雑な性格付けをされているのが閃官で、張志堅さん無茶苦茶よかった!やっぱりこのひとは腹黒い役が巧い。どんな修羅場に登場するときも、自分では武器を持たず、手勢の者たちに守られながら颯爽と黒い長袍をなびかせて現れる。家族や王朝へのこだわり、自決方法のオールドファッションなところも素晴らしくよかった。

 逆の立場になるのが沈嘯。はじめは親日テロ組織76号の所長として登場し、反派(悪役)として死んで終わりかと思ったら、実は代号「青衣」という共産党の高級特工で、陸風を導く役割を担う。演者の奇道さんは、本作の導演・編劇も担当している。渋いおじさんだけどイケメンになり切れない愛嬌があって好き。沈嘯と、小心者の上司・任主任(石文中)の奇妙な連帯意識も面白かった。謀略家の牧渓鶴(王志文)と、ボスの頭脳についていけない左教官(曹磊)も微笑ましく、見ているうちに、じわじわ愛着の湧くキャラが多かった。みんな生き残ってもらいたかったのであるが…。

 女性では、はじめ76号の一員で、最後まで陸風と行動をともにする藍冰(啜妮)がよかった。陸風が好きなの?沈所長じゃないの?と思ったが、終盤の回想で、沈嘯は父親代わりだったんだな、と分かった。小柄で子供っぽいところが役に合っていた。ふだん見ないジャンルのドラマを見たことで、新しい俳優さんを知ることができた。対立する勢力間の謀略戦というのは、どの時代を舞台にしても面白いと思うが、日本のドラマには、こういう舞台ってあるのだろうか。

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祝復活/神田明神と神田祭展(日本橋三越)

2023-05-14 22:21:21 | 行ったもの(美術館・見仏)

日本橋三越本店・本館1階中央ホール 神田明神創建1300年記念・三越創業350周年『-浮世絵や絵巻で見る-神田明神と神田祭展』(2023年5月10日~5月22日)

 神田祭は、神田明神で2年に1度開催される祭りである。コロナ禍で中止が続いてきたが、今年は4年ぶりの開催となり、昨日5月13日(神幸祭)は、神田・日本橋・秋葉原(岩本町)などを神輿が巡行した。これに合わせて、神田明神が所蔵する絵巻物や浮世絵などを紹介する展覧会が、日本橋三越本店で開かれていると聞いたので見てきた。

 洋風建築のエントランスに江戸前のちょうちんがずらりと並んだ様子は、意外と違和感がない。

 表通りには「室町一丁目」の神輿が鎮座する御旅所がつくられていた。またピロティには「加茂能人形」の山車が寄せられていた。法被姿のおじさんが「本当はずっと大きくなるんだ」と説明していたが、櫓の部分が伸び縮み(折り畳み?)できる構造らしい。

 幕の陰におキツネさまの面が掛けてあった。金目に赤い口がかなり怖い。

 さて店内へ。天女(まごころ)像が見下ろすエリアが展示会場になっていた。神田祭や神田明神を描いた浮世絵、関連の品々が展示されていたが、何と言っても見ものは、住吉内記広定筆『神田明神祭礼絵巻』。天・地・人の3巻で全長67メートルに及ぶという(さすがに全部は開いていない様子)。なお3巻目の後半は下絵のみで色が着いていないのは、途中で作者が病没してしまったためだという。

 これは絵巻の最初に登場する山車、諫鼓鶏の意匠だろう。あとで浮世絵を見たら、この諫鼓鶏の山車を描いてるものをいくつか見つけた。

 これは唐人の行列?と思ったら、みんな頭に海の生きものを載せている。竜宮城の仮装だろうか。この後ろに続くのは朝鮮通信使の仮装らしかった。

 全体に「水の流れ」を大胆に表現した山車が多いように思った。これは「猿の生き胆」の昔話と関係があるかしら?

 山車は人が引っ張るだけでなく、牛が引いているものが多いのも新たな発見だった。

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