見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

相撲生人形をついに見る/リアル(写実)のゆくえ(平塚市美術館)

2022-05-31 23:01:35 | 行ったもの(美術館・見仏)

平塚市美術館 市制90周年記念『リアル(写実)のゆくえ:現代の作家たち 生きること、写すこと』(2022年4月9日~6月5日)

 平塚市美術館には初訪問。というか、東京生まれで神奈川県民だったこともある私だが、平塚駅で下りたのは初めてだと思う。繁華な駅前から15分ほど歩いて、美術館に到着した。本展は、松本喜三郎らの生人形、高橋由一の油彩画を導入部として、現代の絵画と彫刻における写実表現を検証し、西洋の文脈のみではとらえきれない日本の「写実」が如何なるものなのか、またどのように生まれたのかを探る展覧会である。

 生人形(いきにんぎょう)というものの存在を知ったのは、たぶん2000年前後、木下直之先生の本ではないかと思う。ブログ内で検索したら、2006年に東博で、二代・三代安本亀八が作った「明治時代少女」「徳川時代大名隠居」など(首だけ?)を見ていた。最近では、2021年の近美『あやしい絵』展で安本亀八の『白瀧姫』を見た。松本喜三郎、安本亀八の故郷である熊本の市現代美術館が「生人形コレクション」を有していることは、かなり前から認識しているが、展覧会があっても、なかなか東京からだと気軽に見に行くことができない。本展には、その熊本市現代美術館所蔵で、展覧会や図書でたびたび取り上げられている名作、安本亀八の『相撲生人形』が出るというので、絶対見逃すまいと決めていた。

 展示会場に入る前のロビーには、本郷真也『盈虚-鐵自在イグアナー』(2019-20年)が置かれていた。全身を覆う鱗、背びれのような棘など、どこまでもリアルを追求している。いわゆる自在置物で、電気仕掛けで、ときどき尻尾を左右に振る。

 第1室は、高橋由一(1828-1894)の油彩画から始まる。『豆腐』は油揚げ、焼豆腐、木綿豆腐を並べて描いたもの。まな板の濡れているところといないところの描き分けが巧い。『鱈梅花』は素焼き(?)の器に干し鱈(たぶん)と花の咲いた梅の枝を載せ、フキノトウ(たぶん)を添える。なんだかよく分からない取り合わせが、北欧の静物画っぽい。『なまり』は竹皮に乗ったなまり(鰹節)の図。このほかは、現代作家による2000年代の作品が並ぶが、本田健の油彩画『鮭とマーガレット』は、高橋『鮭』のオマージュになっていた。やっぱり「鮭」は、日本の写実絵画の記念碑なのである。他の部屋も、現代作家の絵画や工芸作品を中心にしながら、高村光雲や平櫛田中など、古い作品がこっそり紛れている構成になっていた。

 安本亀八(初代、1826-1900)の『相撲生人形』はすごかった。相撲の起源として知られる、野見宿禰(のみのすくね)と当麻蹴速(たいまのけはや)の取組ということになっているが、神話時代の風体ではなく、普通に幕末か明治の普請場や荷揚場にいそうな男二人組で、褌と短い上衣(布製)を身につけている。宿禰は7パーツ、蹴速は6パーツで構成されているそうで(wiki)、組み立てながら衣装を着せるらしい。やや色白の優男ふう(宿禰?)が、色黒で眉も髭も濃いほう(蹴速?)の首を掴み、まさに投げ飛ばそうとしている。両者の全身の筋肉の緊張具合と、下になった宿禰の、動きと無関係な腹の弛み具合、肩に乗せられて必死に堪える蹴速の足指の開き具合、脛にこびりついて乾いた泥、髷のゆがみ方など、見どころばかりで飽きない。

 松本喜三郎(1825-1891)は、漢方医の小さな全身肖像彫刻である『黄玄朴像』、『カニ』『兎兜前立』という小品が来ていた。また小谷元彦は、松本喜三郎の構想した義足を図面をもとに再現しており、おもしろかった。小谷の作品は、基本的にアートの範疇だと思うが、佐藤洋二のシリコンを使った義手・義足になると、アートなのか実用なのか、よく分からなくなる。たぶんこの佐藤技研(ホームページ)の代表取締役をつとめる、義肢装具士の佐藤洋二氏と同一人物だと思うのだ。

 工芸では、明治の作家だという室江吉兵衛の『鼠置物』が印象に残った。富山の人で「鼠の吉兵衛」の異名で知られたらしい。富山、行ってみたいな。現代の漆芸作家・若宮隆志は、さまざまな見立て漆器を作り出している。よく似た鉄瓶が三つ、少しずつ赤錆が増え、最後は一部が欠け落ちた状態にしか見えなかったのに全て「漆器」というキャプションが付いていて驚いた。時の経過を漆器で表現したものだという。見立て漆器の曜変天目蒔絵椀もよくできていた。これらの作品を所蔵する「古美術鐘ヶ江」は、京都・大徳寺のそばにあるみたい。機会があったら寄ってみたい。

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多文化共生の一進一退/団地と移民(安田浩一)

2022-05-28 23:41:21 | 読んだもの(書籍)

〇安田浩一『団地と移民:課題最先端「空間」の闘い』(角川新書) 角川書店 2022.4.10

 戦後、住宅不足の解消と住宅環境の改善を目指して、1955年に日本住宅公団が設立され、翌年、第1号の公団団地が誕生した(堺市・金岡団地)。それから半世紀、本書は「老い」の境地に入った団地の歴史と現在をレポートする。2019年3月刊行の同名の単行本を加筆修正したものである。

 1960年に入居を開始した常盤平団地(千葉県松戸市)。農民たちの激しい反対運動もあったものの、入居倍率は20倍を超え、団地は「豊かさ」「明るい未来」の象徴となった。しかし今では住民の半数以上が65歳以上の高齢者となった。団地の自治会長は「孤独死ゼロ」を掲げて奮闘しており、国内外から常盤平の取組みを学びに訪れる人が後を絶たないという。

 1965年に入居を開始した神代団地(東京都調布市)は、西村昭五郎が撮ったロマンポルノ『団地妻』の撮影が行われた団地で、一時期は好事家が見学に訪れることもあったという。『団地妻』は濡れ場が売りだが、それなりにストーリー性を持っており、びっくりするような破滅的な結末で終わるようだ。著者は、ロマンポルノの終焉とともに映画界を去り、青森の漁師町で晩年を過ごした西村の妻にも取材している。

 そして、いろいろ話題の芝園団地(埼玉県川口市)。1978年に完成したUR団地だが、いまや世帯の半数以上が外国人住民だという。2009年頃から中国人住民の急増が「治安問題」として取り上げられるようになり、外国人排斥を主張するグループが押しかけ、街宣を行うようになった。一方で、「多文化共生」の実践を求める日本人の若者が移住してきたことをきっかけに、彼の活動を外部の大学生たちが手伝うようになり、中国人住民が団地の自治会に加わり、次第に日本人住民と中国人住民の交流と共生が、ゆっくり進んでいるという。

 フランス、パリ郊外のセーヌ・サン・ドニ県は、人口の75%が移民一世とその子孫で、その多くが団地に住んでいる。貧困層の移民が暮らしていけるのは(家賃は安く、自治体によっては家賃補助がつく)公営団地しかないのだ。著者は、社会活動家の女性(アルジェリア移民二世)の案内で、ブランメニル団地を取材する。犯罪の巣窟、テロリストの拠点と見做されている団地だが、歩いてみれば、当たり前の「日常」が営まれる場所でしかない。とは言え、問題はある。団地住民の組織(アソシアシオン)の中には、野宿者への炊き出しなどを通じて、団地住民に「誰かの役に立っている」実感を持ってもらおうと活動している人々もいる。

 広島市営基町高層アパートは、隣接する県営アパートも合わせて基町団地と呼ばれている。ここには、終戦直後から1970年代末まで「原爆スラム」と呼ばれるバラック街があった(本書には、1969年撮影の印象的な写真が掲載されている)が、1978年、高層アパートの完成によって、木造住宅はすべて撤去された。ここは、中国から帰国した残留孤児の受入れ先でもあった。中国人でもあり、日本人でもある孤児たちは、日本人の心の中には紙一枚の壁がある、という。また近年は、若者による団地再生の取組みが、ここでも始まっている。

 最後に保見団地(愛知県豊田市)。1990年に「デカセギ」で来日した日系ブラジル人のひとりは、20年も前から、団地のごみステーションの掃除をボランティアで続けている。90年代以降、保見団地では、ごみ出し・騒音など生活習慣のトラブルに端を発し、日本人とブラジル人の対立が続いてきた。比喩ではなく武力対決まであと一歩で、機動隊が出動したこともあったという。しかし「日本人と一緒にここで生きていく」という覚悟を示すブラジル人が現れ、それに呼応する日本人が現れたことで、少しずつ歩み寄りが始まっている。

 後半の事例から、現状、団地をめぐっては「移民」「外国人」との共生が問題化していることが分かる。これからの日本で「団地」という社会インフラを維持していくには、この点の解決が急務だろう。しかし団地住民は高齢者が多いので、性急な解決策の押しつけではなく、ゆっくり理解と妥協を進めていくしかないと思う。私個人は、老後は外国人の多いコミュニティで、むしろ喜んで暮らしたいのだが。

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常楽寺の聖観音立像(東京長浜観音堂)を見る

2022-05-26 00:37:15 | 行ったもの(美術館・見仏)

東京長浜観音堂 『聖観音立像(長浜市湖北町山本・常楽寺蔵)』(2022年5月12日~2022年6月12日)

 昨年度末、いったん閉館した東京長浜観音堂が、うれしいことに同じ場所で再オープンした。今年度は、1か月間ずつ4躯の仏さまにお出ましいただくとのこと。7月から2か月間ずつ4件の展示だった昨年度に比べると、やや規模縮小だが、それでも事業を継続してくれるのはありがたい。

 今年度初のお出ましは、常楽寺の聖観音立像。平安時代後期(12世紀)の作。簡素だが優美で、力みはないのに力強い。一見、ストンとまっすぐ立っているようだが、かすかに腰をひねっている。茎の長い金色の蓮華は、後補と思われるが、よく合っている。とても好きなタイプの観音さま。

 常楽寺は、長浜市湖北町山本の山本山(やまもとやま)の中腹にあり、地元では山寺(やまでら)と呼ばれているそうだ。山本山城の城主だったのが、近江源氏の山本義経。河内源氏の源九郎義経と同じ時代の人物である。Wikiによれば、治承4年、山本義経は近江源氏とともに挙兵し、平氏軍と交戦するも、山本山城を平知盛・資盛に攻められて落城。山本義経は逃れて、鎌倉で頼朝に拝謁。その後、頼朝のもとを離れて義仲に従うが、寿永3年、義仲が源範頼・義経軍に敗れて以降の消息は分からない。

 思わず横道に逸れてしまったが、そんな血なまぐさい戦乱の時代をくぐってきたとは思えない、おだやかな表情の観音さまである。

 先日は、受付に女性スタッフの方が複数いらしたが、展示の観音さまについて、特に説明はなかった。昨年度は、長浜市の博物館が改修休館中だったため、学芸員の方が交代で東京に出張して常駐してくれていたのだが、今年は、その体制はないそうである。ただ、単発で学芸員によるギャラリートークなどのイベントは開催されるようなので、注意しておきたい。

 この施設を紹介した朝日新聞の記事によれば、長浜市に本社を置く「近交運輸グループ」の東京支社(中央区日本橋2丁目、八重洲セントラルビル4階)の一角を借りて運営されているそうだ。うわー、ありがとうございます。

東京長浜観音堂、今年度も開設 出陳第1弾は常楽寺蔵の聖観音立像(朝日新聞デジタル 2022/5/4)

 5~6月は「観音の里をめぐるバス」も出るのだな。ぜひ、久しぶりに現地にも行ってみたい。

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残念もあり/アール・デコの貴重書(庭園美術館)

2022-05-22 23:16:30 | 行ったもの(美術館・見仏)

東京都庭園美術館 建物公開2022『アール・デコの貴重書』(2022年4月23日~6月12日)

 展覧会に惹かれたので、久しぶりに庭園美術館を訪ねた。前回訪問が2011年なので、なんと11年ぶりである。1933年竣工の旧・朝香宮邸(現・東京都庭園美術館本館)は、アール・デコ様式の名建築として知られている。そうした背景から、同館ではフランスの装飾美術に関する書籍や雑誌、1925年のアール・デコ博覧会に関連した文献資料等を所蔵しているという。本展では、同館の所蔵品を中心に1920-30年代の貴重書、絵葉書等を展示する。

 展示会場は本館と新館で、本館では、アール・デコ様式の建物の各室をめぐりながら、展示ケースに入った貴重書を眺める。新館(2013年竣工、初めて来た)のギャラリーでは、まとめて多くの資料を見ることができた。

 1920-30年代の図書や雑誌は、おそらく多くの図書館では、まだ「貴重書」に指定されない年代だと思う。しかし文化史・美術史的にはとても貴重だと思うので、ぜひ散逸しないよう気をつけてもらいたい。

 1925年の現代装飾美術・産業美術国際博覧会(通称・アール・デコ博覧会)の総合委員長をつとめたフェルナン・ダヴィッド他著『近代装飾芸術年鑑』(1924年)。

 

 アール・デコ博覧会の『日本館カタログ』(日本出品者のためのための手引き)(1925年)。試しに「Cinii Books」(大学図書館の本を探す)で検索してみたら、持っているのは、芸大図書館と国際交流基金ライブラリーの2館だった。

 絵本や雑誌(ファッション誌、インテリア誌)も多くて楽しかった。写真はアンドレ・エレの絵本。私、子供の頃にこのひとの絵本を読んだように思うのだけど、懐かしい絵柄に騙されているだろうか。

 アール・デコ様式は、一般に「1910年代半ばから1930年代にかけて流行、発展した装飾の一傾向」(Wiki)と定義されているようだが、今回、1920-30年代の図書や雑誌を見ていて、1920年代はともかく、1930年代に入ると、ガラッと流行の様相が一変し、機能性とパワーを求める価値観が前面に出てくるように感じた。車や飛行機が美の表象になるのもその一例である。そうか、これがモダニズムか、と思った。

 なお、アール・デコ博覧会については、ググったら出てきたページ「1925アール・デコ博 パヴィリオン訪問」の解説が充実している。これは庭園美術館の古いサイトのコンテンツだったページのようである。削除せずに残してあるのはありがたいが、現在のホームページからリンクはされていない。どうなっているのだろう?

 本展では、ケースに入った貴重書の展示以外にも、建物を活かした再現展示が行われている。たとえば、書斎の机には、それらしい洋書と封筒・便箋。

 書庫の棚には本が詰まっているように見えるが、ほぼ全てダミー(空箱に背表紙の写真を貼ったもの)。

 このくらいまでは許せるのだが、大食堂の「テーブルデコレーション」に本が使われているのを見たときは、眩暈がした。この無意味なページの折り方! ナイフを載せる?

 

 本好きの人間は、どんな本でも、本が粗末に扱われるのを見ると、自分の体が痛めつけられたように辛いのである。この取り扱いを許容できるということは、本展の企画者は、私の同類の本好きではないなと思って、がっかりした。ちなみに卓上の『Elle et Lui』(彼女と彼)は、ジョルジュ・サンド作の小説である。

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茶会の再現/燕子花図屏風の茶会(根津美術館)

2022-05-21 21:36:07 | 行ったもの(美術館・見仏)

根津美術館 特別展『燕子花図屏風の茶会 昭和12年の取り合わせ』(2022年4月16日~5月15日)

 根津美術館、5月の恒例といえば『燕子花図屏風』の公開である。毎年見ているので、今年はいいかなあと思いつつ、やっぱり見ておくか、と思って、日時指定入館券を購入しようとしたら、連休中はあっという間に売り切れていた。連休明けの10日から15日まで、延長開館(夜7時まで)を実施してくれたおかげで、なんとか見に行くことができた。

 本展は、昭和12年(1937)5月5日を初日とし、77歳を目前にした根津嘉一郎が、青山の自邸で開催した茶会の取り合わせを再現し、『燕子花図屏風』を楽しむ趣向である。展示室に入ると、茶事の流れに従って、待合席→本席(懐石→炭手前→中立→濃茶)→薄茶席→浅酌席→番茶席のセクションが立てられ、当日披露されたお道具や書画が並ぶ。いずれも、現在の根津美術館コレクションとして見慣れた名品だが、茶席での具体的な使われ方が分かるのが面白かった。

 たとえば、絵変わりの『阿蘭陀藍絵花鳥文四方向付』は、半月形の折敷に乗せて、きす、蓮根、椎茸、防風(セリ科の植物)の胡麻和え(?)を供すのに使われた。華やかな正法寺椀(佐野長寛作)には、ふく子と冬瓜と花柚。私好みの『呉州青江赤壁図鉢』には、締めカツオ。この、うつわとお料理の取り合わせもアートの一部だと思うので、茶会記のパネルを眺めていて飽きなかった。

 懐石の床の間には『藤原兼輔像』(時代不同歌合絵断簡)が掛けられ、食事が済むと、客たちは茶室を出て休憩。銅鑼の合図で再び茶室に入ると、床の間は、小堀遠州作『一重切竹花入(銘:藤浪)』に掛け代わっている。なるほど、茶会の取り合わせって、空間デザインだけでなく、経時的なストーリーも大事なのだな。茶会記によれば、初夏の花、オオヤマレンゲが生けてあったらしい。合図の銅鑼(東南アジア、17~18世紀)は、雲州松平家伝来で「天下一の銅鑼」の定評ある名品。「大小大小大中中大」の七つの音を鳴らすというのが面白かったので、調べたら、茶会の合図としての鳴らし方なのだそうだ。

 濃茶のあとは、広間に移動して薄茶席、続いて大書院の浅酌席(酒宴)に移動した人々を待っていたのが屏風の名品。右に応挙の『藤花図屏風』、中央に『吉野図屏風(吉野龍田図屏風のうち)』、左に光琳の『燕子花図屏風』が配されていたという。展示では、中央と左を入れ替え、中央に『燕子花図屏風』を展示していたのは、ちょっと残念な気がした。真っ白な桜の花盛りを描いた『吉野図屏風』を、二つの金地屏風の間に置いて見たかった。

 根津嘉一郎は、ほとんど茶会記録を残さなかったが、この茶会はインパクトが大きかったため、参加者である畠山即翁が記録を残したり、高橋義雄が『茶道月報』(昭和12年7月号)に寄稿したり、最終的に主催者側が会記を作成して、参加者に配ることになったそうだ。ところで『茶道月報』という雑誌、5月19日から始まった、国会図書館の「個人向けデジタル化資料送信サービス」で閲覧できる対象に入っている! 私はまだ利用者登録をしていないのだが、俄然、使ってみたくなった。

 2階の展示室5は「画賛の楽しみ色々」を特集。因陀羅筆『布袋蒋摩訶問答図』の画賛によると、蒋摩訶は布袋の背中に目があることを発見し、弥勒菩薩の化身であることを確信した場面であるという。そんな緊迫したシーンだったのか。『藤原惺窩閑居図』は狩野山雪筆。山雪、好きな作品が多いんだけど、なかなか、ぱっと見て山雪だと判別できない。藤原惺窩もおもしろい人だなあ。号の北肉山人の意味が分からなくて、調べてしまった。冷泉為恭筆『時鳥図』は、しどけない姿の公子が色っぽい。参考出品の『玉藻前物語絵巻』『矢田地蔵縁起絵巻』も見ることができ、だいぶ得をした気分。

 展示室6は「立夏の茶事」で、「光琳旧蔵とみなされてきた」という信楽茶碗が印象に残った。光琳作の赤楽茶碗にすごくよく似ていた。

 庭園の菖蒲は、盛りを過ぎていたが、まだ花は残っていた。あと、塀の外のマンション(?)に大きな猫がいるのに驚いた。あれは侵入してきたりしないのだろうか。

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丸の内でランチとお茶

2022-05-19 22:26:07 | 食べたもの(銘菓・名産)

連休明けの週末、友人を東京駅の近くでランチに誘った。

炭焼・寿し処「くし路」KITTE丸の内店の華かご御膳。「くし路」は、札幌に住んでいた頃、駅前のお店に何度か連れていってもらったことがある、なつかしいお店。

KITTE丸の内の6階には、屋上庭園があって、東京駅を見下ろせることを初めて知った。これは地方や海外から東京観光に来た人には、絶対おすすめのビューポイント。

2-3階の「インターメディアテク」は、東京大学の学術資源や学術成果を発信する博物館施設。特別公開『音のかたち-東京大学蓄音機コレクション』(2022年4月16日~)が始まっており、米国、英国、日本等で生産された各種蓄音機が並んでいた。怪物みたいに巨大なラッパ(ホーン)に目を見張る。ラッパは木製と金属製があるのだな。好きな人にはたまらないだろうなあ。

有楽町方面に少し歩いて、たまたま空いていた喫茶店「Le Beurre Noisette(ル ブール ノワゼット)」でお茶。おすすめと言われたババオラムは、固めのスポンジケーキにラム酒をたっぷりかけた、大人のスイーツ。

ごちそうさまでした。

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李(すもも)が倒れるとき/中華ドラマ『風起隴西』

2022-05-17 21:18:32 | 見たもの(Webサイト・TV)

〇『風起隴西』全24集(新麗伝媒、愛奇藝等、2022年)

 三国時代の諜報戦を描くドラマ。間違いなく後世に残る傑作だと思うのだが、登場人物の正邪が二転三転するスリルが醍醐味なので、ネタバレ抜きに紹介するのがとても難しい。

 物語の主たる舞台は蜀の国で、西暦228年の街亭の戦いに始まり、231年、李厳の失脚までを描く。隴西(甘粛省東南部)は、魏と蜀の勢力圏がぶつかる最前線だった。蜀の丞相・諸葛孔明を補佐する楊儀は、「司聞曹」という諜報機関を創設し、統括人に馮膺をあてた。司聞曹には、司聞司(敵国での諜報活動)・軍謀司(情報分析)・靖安司(国内の治安維持)の三部門が置かれており、主人公の陳恭は司聞司に属していた。

 街亭の戦いで蜀軍は魏軍に大敗を喫し、第一次北伐は失敗に終わった。孔明は責任を取って降格を願い出、蜀の宮廷では、孔明のライバルである李厳が存在感を増した。ところが、街亭の戦いの敗因は、魏軍の進軍ルートが誤って伝えられたためと判明する。この誤情報をもたらしたのは、コードネーム「白帝」として、魏の天水郡に潜入中の陳恭だった。司聞曹では、陳恭がわざと誤情報を流したのではないかという疑惑がささやかれる。

 馮膺は、陳恭の義兄弟である荀詡を派遣し、もし裏切りが事実なら陳恭を殺すように命じる。陳恭は、正しい情報を送ったにもかかわらず、どこかですりかえられたと主張する。「燭龍」と呼ばれる魏のスパイが、すでに司聞曹の内部に入り込んでいるものと思われた。陳恭と荀詡は、燭龍の正体を突き止めるため、行動を開始する。

 陳恭は、魏国と結託している武装宗教集団・五仙道に潜入する。祭主・黄預の側近く仕える聖姑は、早くから五仙道に潜入していた陳恭の妻・翟悦だった。人目を忍ぶ再会も束の間、翟悦は正体を気づかれ、黄預に殺されてしまう。一方、蜀国では、勢いづく李厳が、司聞曹から孔明の息のかかった人々を追い出そうと画策していた。馮膺は李厳に忠誠を誓って司聞曹に留まる。

 五仙道は蜀軍の新兵器・連弩の設計図の奪取を計画しており、陳恭はこれを指揮するフリをして、「燭龍」をおびき出すことに成功する。この件で、ひそかに陳恭と共謀した荀詡は、司聞曹で拷問を受け、瀕死の重傷を負うが、口を割ることはなかった。やがて陳恭の帰還により、二人は名誉を回復する。しかし、ここまでの全ては、魏国の諜報機関「間軍司」を統括する郭淮の計画の内で、このとき、より深く司聞曹の中枢に食い込んだ、新たな「燭龍」が誕生していたのである。

 以下、詳細は避けるが、諜報機関は、あらゆる手を尽くして敵国の諜報員の「内通」を誘う。老練な諜報員は「内通者」を演じることで、かえって敵国の機密情報を得て、祖国に貢献しようとするのだ。どこまでが真実の姿かは、本人にしか分からない。信じる大義のために、裏切者という罵声を浴び、末代までの不名誉を甘受しても、黙って刑場に赴く覚悟を決めている。本作には、そのようなクールな諜報員たちが描かれる。

 一方、そうでない者もいる。荀詡は、信義を重んじる、まっすぐな気性の持ち主。そのため、駆け引きに長けた陳恭への疑惑を深め、次第に両者は対立の溝に落ち込んでいく。陳恭は、智謀にも武術にも優れたスーパー諜報員として登場するが、最愛の妻を失って以降、自分が誰かの棋盤のコマに過ぎないことを悟り、コマであることを積極的に受け入れた上司・先輩たちにも心から同調はできず、死に場所を求めるような、遠い目を見せるようになる。陳恭を演じた陳坤は、実年齢は40代半ばだというが、この青年らしい繊細さ、瑞々しさがとてもよかった。誠実で、融通の利かない荀詡を演じた白宇も役柄に合っていた。

 演員は、馮膺(聶遠)、黄預(張曉晨)、郭淮(郭京飛)、いずれも代表作になるレベル。郭淮の甥の郭剛(董子健)は、苦い失敗を通して諜報戦の怖さを学んでいく。諸葛孔明(李光潔)は純粋さを失わずに大人になった稀有なタイプで、楊儀(俞灝明)が李厳を失脚させたことを全く喜ばず、逆に叱責する。

 本作は、視聴率的には成功しなかったようだが、重厚で複雑な物語を親しみやすいものにするため、いろいろ苦心の跡が見えた。馮膺の義理の弟・孫令という、原作には登場しないキャラを追加し(演じた常遠は伝統芸能・相声の演員でもある)、各回の最後に講談ふうに内容のまとめをさせたのも、その一つ。むかしの日本の大河ドラマを真似たのだろうか。なお、断片的な情報だが。このほかにも原作をかなり改編し、成功しているドラマである。

 各回のタイトルが「兵法三十六計」から取られているのも面白かった。最終回の「李代桃僵」は、調べたら、桃(もも=価値が高い果実)の木を守るために、李(すもも=価値が低い果実)の木が倒れるという意味だと知って、粛然とした。中国人のリアリストであることよ。

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鎌倉歴史文化交流館+鎌倉国宝館+義時法華堂

2022-05-16 00:13:16 | 行ったもの(美術館・見仏)

 今年の連休は、久しぶりに鎌倉も歩きに行った。残念ながら、流鏑馬など鎌倉まつりの主要行事は再開されなかったが、すっかり人出が戻って、どこも大賑わいだった。

鎌倉歴史文化交流館 企画展『北条氏展vol.2 鎌倉武士の時代-幕府草創を支えた宿老たち』(2022年4月9日~6月12日)

 今年は大河ドラマ『鎌倉殿の13人』にちなみ、年間を通じて北条氏に焦点をあてるようだ。第1弾『北条氏展vol.1 伊豆から鎌倉へ-北条氏の軌跡をたどる-』(2022年1月4日~3月26日)は見逃してしまったが、第2弾から見に来ることができた。今季は、鎌倉殿・源頼朝を支えた人々を取り上げ、鎌倉幕府の成立に彼らがいかに寄与したのかを紹介するとともに、武士が持つ和歌や信仰などの「文」の側面にも注目する。

 「文」の側面だが、頼朝は勅撰集に10首入集しており、慈円とは77首の贈答をしたことが慈円の捨玉集に収録されているという。知らなかった。展示に詳細情報はなかったが、ネットで検索したら「頼朝と慈円の和歌の贈答について」(安齋貢、2007年) という論文が見つかったので、読んでしまった。ずいぶん恋歌ふうの贈答なのが面白い。『古今著聞集』には、頼朝と北条時政が連歌をする説話もあるそうだ。

 展示品は出土品が多く、次いで文書なので、全体的に地味だが、大河ドラマの登場人物と重ねることで、ずいぶんイメージがはっきりする。横須賀・満昌寺の木造三浦義明坐像(大きい!)が来ていた。あと、義経が、実は(軍事天才のみでなく)行政官僚としての能力も高かったと紹介されていたのが興味深く、印象に残っている。

鎌倉国宝館 特別展『北条氏展 vol.2 鎌倉武士の時代-武士の姿への憧憬-』(2022年年4月9日~6月12日)

 鎌倉国宝館と鎌倉歴史文化交流館は、この1年、北条氏に関わる展覧会を同一のテーマで開催することになっている。国宝館の1~2月は『肉筆浮世絵の美』、2~3月は『ひな人形』だと思っていたが、併設で北条氏関連の展示もあったようである。そして4月から、本格的にコラボ展示が始動した。

 まず常設展示(仏像)だが、藤沢・養命寺薬師如来坐像と脇侍の日光・月光菩薩立像(全て鎌倉時代)が珍しかった。薬師如来のお顔は横幅があり、光触寺の阿弥陀如来(頬焼阿弥陀)に似ている気がした。胸は肉厚で、どっしりと重量感がある。12年に一度、寅歳ご開帳の秘仏で、本展の会期中、初めて国宝館で展示されることになったそうだ。なお、もとは大庭薬師堂の本尊で、大庭景兼の守護仏であったと伝えられている。

 寿福寺の聖観音菩薩坐像も珍しい気がしたのだが、単に私が忘れていただけかもしれない。高い髷が宋風である。浄智寺の地蔵菩薩坐像は、むかしから私の好きな仏像の一つなのだが、2021年度、美術院で修理を施した結果、正中(頭頂から両目の間・鼻・口を通るライン)の継ぎ目が目立たなくなって、かなり印象が変わった。

 特別展エリアには、神奈川県立歴史博物館が所蔵する鎌倉時代の兜、鶴岡八幡宮が所蔵する『源平合戦図屏風』(江戸時代)など、珍しいものが出ていた。『騎馬図巻』(馬の博物館、鎌倉時代)は、6図が開いていたが、馬は後ろ足を跳ね上げたり、前足を上げたり、疾駆したり、どれも躍動的である。そして人に比べて、かなり大きいように感じた。ほかに、鎌倉武士を題材にした江戸の浮世絵(国芳、芳虎など)が多数出ていたが、知らない作品が多くて興味深かった。

■白旗神社(鎌倉市西御門)~頼朝墓所

 最後に白旗神社に寄り、石段を上がった高台にある頼朝公の墓所にも参拝してきた。たぶん2013年の初詣以来だと思う。ご無沙汰しておりました。そもそもは頼朝の持仏堂があり、頼朝没後には法華堂と呼ばれて崇敬を集めたという。

 墓所の右側の草地に「史跡法華堂跡(源頼朝墓・北条義時墓)」という看板が立っているので、多くの人が、北条義時墓(義時法華堂跡)はここか、と思ってしまうのだが、これはトラップである(私もまごついた)。

北条義時墓(義時法華堂跡)

 白旗神社前の、あまり人通りのない道を東に進むと、すぐに石段があり、上った先は開けた草地になる。ここが義時法華堂跡で、看板のQRコードを読み込み、「AR北条義時法華堂」を起動すると、実際の風景の中にCG法華堂が浮かび上がると聞いていた。

 しかし残念ながら、私の機種は対応していなかったので、期待したようには楽しめなかった。三々五々立ち止まってスマホを覗き込む人たちからも「見える?」「見えない」みたいな会話が聞こえていた。まあ、有料アプリではないので、仕方ないですかね。

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羽生結弦展2022(東京)+MUSE ON ICE(京都)

2022-05-15 21:26:08 | 行ったもの(美術館・見仏)

 連休中に見に行った展覧会のレポートが、まだ書き切れていない。まず、東京と京都で見たフィギュアスケート関連の展覧会から。

■日本橋高島屋S.C. 『羽生結弦展2022』(2022年4月20日~5月9日)

 読売新聞の報道写真を中心に、スポーツフォトグラファーの田中宣明さん、写真家の能登直さんの作品を加えた写真パネル約100点、さらに羽生選手の衣装や用具、メダルなどを展示し、最新シーズンまでの歩みを振り返る。

 2018年の『応援ありがとうございます!羽生結弦展』(4月~高島屋日本橋店ほか巡回)も見に行きたかったのだが、長蛇の列ができる大盛況と聞いてあきらめた記憶がある。今回は、事前予約制(入場無料)だったので、幸い、参観することができた。シニアに上がったばかりの頃の初々しい写真(ロミジュリの衣装!)に始まり、さまざまなプログラム、競技会、アイスショーの名場面の写真が並ぶ。たまに、このときは会場で生観戦していたかも、という写真があると、格別に嬉しかった。

 写真パネルは、だいたい時系列順になっており、スケート好きの童顔の少年が、闘志あふれるファイターにして稀代のエンターティナーに成長し、北京五輪で4Aという孤高の大技に挑むという、ひとつの「物語」が展開するので、その「物語」の魅力に没入していく感覚を味わった。北京五輪の競技中や競技直後の写真を見ると、まだ胸が騒ぐのを抑えられない。けれども、五輪エキシビ「春よ来い」の美しさ、全て終わったあとの穏やかな表情の写真もあって、最後は浄化された気持ちになった。

 衣装は4点。SEIMEI(内着は紫色ver.)、マスカレイド、LMEY、そして天と地。衣装デザイナーの伊藤聡美さんのデザイン画も興味深かった。ジャージとスケート靴には、生身の羽生くんを感じた。

 グッズはいろいろ目移りしたが「天と地」のハンドタオルとボールペンを購入。

 ■Gallery SUGATA(京都) 『MUSE ON ICE 伊藤聡美出版記念展』(2022年4月16日~5月8日)

 連休中に京都に行く計画で情報を収集していたら、羽生結弦選手をはじめ、国内外のフィギュアスケーターの衣装を手掛ける伊藤聡美さんの作品集出版を記念して、京都のGallery SUGATAで展覧会が開かれていることが分かったので、行ってきた。

 ギャラリーSUGATA(素形)は室町通二条下ル。観光地ではないので、あまり来たことのないエリアだった。表通りに面して「然花抄院」という町家ふうの和菓子屋さんとカフェがあり、その奥にギャラリーがある(ギャラリーを参観すると、和菓子屋さんの割引券をくれる)。

 展示は、11選手・組の23着の衣装と、伊藤聡美さんのデザイン画。ボツ案も展示されていて、試行錯誤の跡がうかがえるのが面白かった。羽生選手の「Origin」黒色ver. を間近に見ることができて眼福。伊藤聡美さんの「圧倒的魔王感の衣装」という表現は、的確すぎて笑ってしまった。

 このほか、紀平梨花ちゃん、樋口新葉ちゃん、三原舞依ちゃん、宇野昌磨くん、かなだい(村元哉中&高橋大輔)、メドベージェワなど、ああ、この衣装も、あの衣装も伊藤聡美さんのデザインだったのか!と再認識した。印象的だったのは、宮原知子さん。女性スケーターの場合、胸を広めに開ける(肌色の当て布で覆う)ものが多いが、宮原さんの場合、前身頃は胸をしっかり覆い、背中を大胆に見せる衣装が2点出ていた。小柄な彼女はこのタイプが似合う。あと、ボーヤンの北京五輪SP衣装も、大人っぽく上品で、さりげない中国テイストが私の好みだった。

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絵巻・古筆もあわせて/大蒔絵展(MOA美術館)

2022-05-14 23:56:00 | 行ったもの(美術館・見仏)

MOA美術館 『大蒔絵展 漆と金の千年物語』(2022年4月1日~5月8日) 

 MOA美術館で始まった『大蒔絵展』がすごい、という噂を聞いたので、必ず行こうと思っていた。会期末の週末に東京から出かけることを予定していたが、思い立って、関西旅行の帰りに途中で寄ってしまうことにした。私がMOA美術館を最後に訪ねたのは2014年で、2017年にリニューアルオープンした後も全く来ていなかったので、熱海駅に下りて、駅ビルがおしゃれになり、駅前のバス乗り場が整備されていることに驚いた。

 会場に来て初めて知ったのだが、本展は、MOA美術館、三井記念美術館、徳川美術館の3館が共同で開催するものだという。本展を皮切りに、2022年秋には三井記念美術館、2023年春には徳川美術館での開催が予定されており、3会場あわせて70点以上の名品を通して、平安時代から現代の漆芸家作品にいたるまで蒔絵の全貌に迫るという、壮大な企画である。

 久しぶりの「黄金の茶室」をチラリと覗き、『大蒔絵展』のエリアに入ったつもりだったが、第1室は参考展示だった模様。壁一面を使った、畳敷きの大きな展示ケースの中に、平安時代の阿弥陀如来と両脇侍(観音・勢至菩薩)坐像を安置する。来迎印の阿弥陀如来は温和な表情で、高く燃え上がるような透かし模様の光背には、化仏というか飛天(?)を配し、優美で華やかな印象。両脇侍は、簡素な放射光の光背で、膝頭を開けた大和座り。体にぴったりした衣で、腰のくびれが目立つ。さらに左右の外側には、全員立ち姿の『二十五菩薩来迎図』(鎌倉時代)2幅が並んでいた。関西旅行の最初に見た中之島香雪美術館『来迎』展の復習のようだった。

 次室には、本展の呼びもの『源氏物語絵巻・宿木一』(碁を打つ今上帝と薫)が出ており、蒔絵の調度品が描かれているという説明がついていた。徳川美術館の所蔵巻は(五島美術館の所蔵巻に比べて)見る機会が少ないのでありがたかったが、それ以上に珍しかったのは、同じく徳川美術館所蔵の『葉月物語絵巻・第三段』である。数名の男女が几帳越しに、あるいは几帳の中で、対面する様子が描かれていた。『源氏物語絵巻』につぐ物語絵巻の遺例だというが、物語の内容が明らかでないため、あまり関心を引かないのだろうか。私も実物を見たのは初めてだと思う。

 それから、古筆の名品。MOA美術館所蔵の『継色紙』『寸松庵色紙』と三井記念美術館の『升色紙』が出ていた。『継色紙』の「わたつみのかざしにさせるしろたへの なみもてゆへるあはぢしま山」は久しぶりに見たなあ。最後の「山」が一行になっているところ、可愛くて好き。三井の『高野切』第一種、MOAの『翰墨城』もよかった。

 続いて、ようやく本題の蒔絵の品々が登場する。平安時代の蒔絵は、神仏の荘厳のため、神社やお寺に伝わったものが多い。京都・東寺(教王護国寺)の『海賦蒔絵袈裟箱(かいふまきえけさばこ)』(午前中に東寺宝物館で見た犍陀穀糸袈裟(けんだこくしのけさ)を納めていた箱!)も、和歌山・金剛峯寺の『澤千鳥螺鈿蒔絵小唐櫃(さわちどりらでんまきえしょうからびつ)』も、細かく描かれた鳥や魚が可愛い。

 鎌倉時代には、さまざまな手箱が作られた。時代は下って、室町時代・東山文化の蒔絵は優美で好き。桃山時代には、技術の進歩、権力者の嗜好や西洋との出会いによって、新しい華麗な蒔絵が誕生する。『秋草蒔絵折敷』は、四角いお盆の表面に菊や撫子、薄などの露を含んだ秋草を描く。いわゆる「高台寺蒔絵」の様式と言ってよいのだろうか。江戸時代は、やっぱり琳派が面白い。光悦の『樵夫蒔絵硯箱』、光琳の『住之江蒔絵硯箱』(静嘉堂文庫)など、名品をまとめて見ることができた。

 そして、近代(明治・大正)の蒔絵を経て、東近美や京近美などが所蔵する現代の蒔絵までを一気に通観。盛りだくさんで疲れたけれど、貴重な経験ができた。客層の雰囲気が、都会を離れて「映える」風景を楽しむついでに、ちょっと展示も見ていくか、という感じで、漏れ聞こえる素直な感想や意外な蘊蓄が、けっこう面白かった。

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