見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

中国歴史ドラマの背景/南北朝時代(会田大輔)

2021-11-29 23:45:41 | 読んだもの(書籍)

〇会田大輔『南北朝時代:五胡十六国から隋の統一まで』(中公新書) 中央公論新社 2021.10

 中国の南北朝時代とは、五胡十六国後の北魏による華北統一(439)から隋の中華再統一(589)までの150年を指す。「はしがき」の説明に従えば、「『三国志』と隋・唐の間で、日本でいうと倭の五王から聖徳太子ぐらいの時期」と言ったほうが分かりやすいかもしれない。一般に日本人にはなじみの薄い時代であることは確かだ。しかし、中国ドラマ好きの私は、SNSに流れてきた、以下の宣伝文句が気になって、迷わず購入してしまった。

 ”最近、南北朝時代を舞台にした中国ドラマ(『蘭陵王』や『独孤伽羅』)や南北朝時代をモデルにした中国ドラマ(『琅邪榜』『陳情令』)が好評ですね。ドラマの時代背景が気になる方は、ぜひ18日発売の会田大輔『南北朝時代ー五胡十六国から隋の統一まで』(中公新書)を。”

 いま確認したら、つぶやいているのは著者本人のツイッターアカウントだった。うまく乗せられたわけだが、後悔はしていない。

 本書は、序章で3世紀後半に中国統一を果たした西晋が崩壊し、中国が南北に分裂する過程を紹介したあと、北朝→南朝→北朝→南朝…という具合に視点を転じながら、諸王朝の興亡と南北間の戦争を追っていく。非常に分かりやすい記述で、複雑な歴史がよく頭に入った。

 本書は、官制や軍制、土地・住民管理、貴族や有力豪族との関係、祭天儀礼を含む礼制、都城、服飾、姓名、言語、宗教、文化など、豊富な情報で諸王朝の姿を描き出している。それと同時に、短いエピソードで強烈な印象を残す人々がいる。やっぱりその随一は侯景かなあ。北魏の軍人として頭角を現し、南朝の梁を滅ぼし、「宇宙大将軍」を名乗り(なんだそれは)、国号を漢として即位するも、梁の残党に攻められ、長江を船で逃げ下る途中で殺害された。船内に逃げ込み、船の底を刀で抉っているところを刺されて死んだと伝えられており、「最期まで諦観とは無縁であった」という著者の人物評が的確である。私は『琅邪榜』の誉王を演じた黄維徳(ビクター・ホァン)でイメージしているのだが、どうだろう?

 北魏の馮太后は、中国の「女帝」にありがちな悪い噂はあるものの、次々に政治改革を実現し、北魏の華北支配を確立した。すごいなあ、これはカッコいい女性だ。「私生活では偉丈夫の王叡を寵愛した」が「公私混同をあまりせず、政治を乱すことは少なかった」という。ドラマ化されてないかな、と思ったら『王女未央-BIOU-』と『鳳囚凰』がそうなのか。ほうほう。

 馮太后の路線を引き継ぎ、一層の中国化路線を進めた孝文帝は、北魏の全盛期を招来するが、中下級の北族(遊牧民系)の不満が高まり、南北朝全体が動乱の時代に突入する。北魏は東西に分裂し、権力闘争が激化する。西魏では宇文泰が実権を握り、北周を起こす。ここから隋を建国する楊堅が登場するわけだが、北周を潰した宣帝(天元皇帝)も面白いなあ。「常軌を逸した暴君として語られてきた」が、著者はいろいろ功績を挙げて「単なる暴君というわけではない」と評価している。

 本書全体を通して興味深かったのは、南北朝の歴史が「中国≒漢民族」で閉じているわけではないことだ。もともと華北は、漢人と鮮卑・匈奴などの遊牧民が混在する地域であり、北魏を建国した拓跋氏が鮮卑の一部族であることも理解していたが、建国後の北魏も、その後の諸王朝も、高車・柔然などの遊牧民族と、時には死闘を繰り広げ、時には婚姻によって友誼を深めている。北朝だけではない。南朝の宋・斉も、北魏との抗争を生き抜くため、夏・北涼・北燕という五胡諸政権、さらには吐谷渾・高句麗・柔然と結ぼうとして、盛んに使者を交わしている。宋(首都は健康=南京)から吐谷渾・高昌(いまの新疆ウイグル自治区)を経由して柔然(モンゴル高原)に使者を送っていたというのを読んで、20年くらい前に行った西域ツアーを思い出しながら、ひゃ~と驚いた。

 このように「内」と「外」で幾重にも入り組んだ権力闘争と合従連衡のダイナミズム、やっぱり、フィクションでもノンフィクションでも面白いドラマの舞台としてこの時代が選ばれる理由だと思う。

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2021窓の外・晩秋

2021-11-27 22:58:01 | なごみ写真帖

今の賃貸マンションで暮らして5年目になる。

南に面した窓の外に桜の大木があるので、春は花が咲き始めるとわくわくする。夏は気持ちよく葉が茂って多少なりとも陽射しを遮ってくれる。

そしてこの晩秋の時期は、早起きした朝、朝陽に映える紅葉が美しい。

来年4月から、また少し生活が変わりそうなので、時間のあるうちに、いろいろ懸案を片づけ、身のまわりを物理的に整理しようと思っているが、ものぐさが身についてしまったので、どこまで達成できるやら。

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2021年11月関西旅行:畠山記念館の名品(京博)ほか

2021-11-25 16:48:22 | 行ったもの(美術館・見仏)

京都国立博物館 特別展『畠山記念館の名品-能楽から茶の湯、そして琳派-』(2021年10月9日~12月5日)

 週末関西ツアー2日目は終日京都で過ごす計画で、まず京博に赴く。本展は、荏原製作所の創業者である畠山一清(1881-1971、即翁)が蒐集した美術品を収蔵する畠山記念館のコレクションを紹介するもの。前後期で200件以上が展示される。港区白金台の畠山記念館(2019年3月から休業中)は何度か参観しており、庭は広いが小さな美術館という印象だったので、こんなに多数のコレクションを所有していると知って驚いた。

 いちばん楽しかったのは、展示室1室をまるごと使った能面・能衣装の展示。展示ケースの壁に能舞台ふうの板壁の壁紙をあしらうことで、衣装が一段と映えて見えた。華やかな赤地の『扇面枝垂桜巻水文様長絹』、涼しげな緑で統一された『竪縞に桐唐草・花菱入格子文様段片身替厚板』が私の好み。

 畠山記念館を代表する名品、雪村の『竹林七賢図屏風』と光悦の『扇面月兎画賛』を見ることができたのは嬉しかった。伝・牧谿筆『瀟湘八景図』のうち『煙寺晩鐘図』は、正直、何が描かれているのかよく分からない。伊賀花入の豪快な造形は理解していると思っていたが、『銘:からたち』の破天荒ぶりには驚いた。光琳筆『四季草花下絵古今集若巻』は、いろいろなバージョンがあるが、これは抜群に豪華でいいと思う。残念ながら、鈴木其一の『向日葵図』(前期出品)は見ることができなかった。私は、どうもこの作品とは縁が薄いのである。

蓮華王院 三十三間堂(東山区)

 次の伝道院の見学予約まで時間があったので、三十三間堂に寄っていくことにした。何度も来ている場所だが、ちょっと変化に気づいたので書いておく。本堂に入って、二十八部衆を端からゆっくり見ていったのだが、中央の本尊まで来て、あれ?と思った。二十八部衆のひとりで、私の好きな婆藪仙人が本尊と同じ台上にいらっしゃる…。よく見ると、同じようにこれまで千体千手観音の前列にいらしたはずの、梵天、帝釈天、弁財天も台上にあって、本尊の四隅を固めている。

 帰京してから調べたら、三十三間堂を管理する妙法院では、2018年、千体千手観音+中尊の修理完了と国宝指定を機に、二十八部衆像の配置換えと一部の像の名称変更を行い、学術的により正確な名称と配置に改めた(Wiki)のだそうだ。

三十三間堂で配置換え 80年ぶり、風神・雷神像(産経ニュース 2018/7/31)

 三年経って気づくのも迂闊な話だが、このところ、コロナ禍で旅行の機会が少なかったせいもある。しかし記事を読むまで、風神と雷神の位置が入れ替わったことは気づいていなかった。本堂には「世界的にも唯一の貴重な形式です」と掲示してあったが、どうなんだろう。台上に安置された「四天仙」、拝観者から遠くなってしまって悲しい。

 配置の変更以外では、絵馬のいくつかが梁の上から降ろされ、展示されていた。「総矢数〇本、通し矢〇本」の数字を見て、これだけの本数を射続けることのできる体力に驚く。あと、新しいサービス(?)で、千体千手観音の写真を1体ずつ検索・表示できるデータベースの端末が置かれていた。館内オンリーなのかな。外にも公開してくれたら楽しいのに。

東寺宝物館 『東寺の星マンダラ-除災招福の祈り-』(2021年9月20日~11月25日)

 伝道院と祇園閣を見学したあと、最後に東寺へ。そろそろ夕方で、弘法市の出店が片付けを始めていた。本展は、寺宝の中から、星や北斗法(北斗曼荼羅=星曼荼羅を本尊として行う修法)に関する仏画・仏像を紹介するもの。室町時代の『妙見菩薩像』(四臂で片足を上げている)など、珍しい仏画をいくつか見た。東寺には、立体の小さな九曜像A~Fセットも伝わっている(全て江戸時代、9躯揃っていないものもあり)。九曜とは、日・月・火・水・木・金・土の七曜星に、計都星(彗星)と羅睺星(日食・月食)を加えたものをいう。木像の姿は、女性的だったり鬼神のようだったりした。

 また、北斗法は強力で重要な修法である。歴史上、天皇の息災を祈る御修法において生身供(弘法大師へのお供え)が「破裂」したことが複数回あり、凶事を避けるため、北斗法を修したという記録があるそうだ。これ…今でも行われているのかもしれないが、生身供が破裂や鳴動したなんて、外に言えないだろうな。密教の奥深さを感じつつ、京都の1日が終わった。

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2021年11月関西旅行:雪村とその時代(大和文華館)

2021-11-24 20:34:52 | 行ったもの(美術館・見仏)

大和文華館 特別企画展『雪村とその時代』(2021年11月19日~ 12月26日)

 京セラ美術館から奈良へ。3週間前に『天之美禄 酒の美術』展を見に来たばかりだが、次の企画が雪村と聞いて、また来てしまった。同館は、これまでも何度か雪村を中心にした企画展を開催しているが、どうしても奈良へ行けずに見逃したものもある。行けなかった悔しさだけを記憶していて、展覧会名を覚えていないのだが、ネットで調べると『大和文華館の水墨画-雪村作品一挙公開!』(2018年5月25日~7月1日)ではないかと思う。このとき、同館が所蔵する7件の雪村作品が全て公開されている。今回は、この7件に加え、京都国立博物館から3件が出陳されており、名品+珍しい作品の取り合わせが、とても興味深かった。

 何度見ても嬉しい名品は『琴高・群仙図』と『呂洞賓図』。琴高仙人は、鯉に乗って水中から現れ人々を驚かせたという仙人だが、この図を見ると、私は諸星大二郎の『諸怪志異』の一編「妖鯉」を思い出して、ぞくぞくするのだ。いずれもマンガみたいに愛嬌のある仙人たちだが、必死に跳ね上がる鯉のギョロ目は不気味である。

 大和文華館所蔵の『書画図』は、見晴らしのよいテラスに集う男性たちを少し離れた場所から見下ろすように描く。かなり劣化が進んでしるが、赤や白の服の色が、華やかだった当初の姿を想像させる。遠景の水上には、たぶん帆船。

 京博所蔵の『宮女図屏風』は初めて見た。いや雪村展、いくつも見ているので、見ていてもおかしくないのだが、雪村にこんな著色の大作があるという認識が全くなかった。六曲一隻の横長の画面、右半分はテラスに数名の宮女がたたずむ。テラスの手すり?によじ登っているのは、いたずらな侍童か。左半分は室内で、多くの宮女たちが体を寄せ合い、くつろいでいる。反物?を広げて吟味しているのか、着ている衣服と相まって、布の山に埋もれているみたい。唐代の風俗を念頭に置いているのだろうが、パーマをかけて膨らませたような髪型(高く結い上げたり、襟足でまとめたり、左右に分けてまとめたり)が個性的で、印象に残る。

 大和文華館所蔵の『花鳥図屏風』は何度か見ているが、風になびく柳、大きな口を開けて鳴き騒ぐ鳥たちなど、躍動感があふれ出た作品。『楼閣山水図』は記憶になかった。画面全体を黒々した山容が覆っており、どこに楼閣が?と探すと、左下隅に小さな建物が見えた。『雪景山水図』は、軒の低い藁ぶき屋根のような人家が点々と連なる、山間の集落の風景を描いている。

 本展は、朝鮮絵画、雪村以前の禅林の絵画、そして同時代の画家たちというカテゴリーを立てて、雪村作品との比較を試みている。このうち、朝鮮絵画に関して、雪村作品と朝鮮絵画に類似性を見ようとする意見が昔からあるが、印象論に留まること、しかし、どちらも文化的な中心地から離れたところで描かれた、どこか土臭さの残る力強い表現という点が共通している、という解説がされていて、納得した。李長孫ほか落款の『雲山図』(朝鮮時代前期)は、やっぱり雪村に似てるなあ、と思って眺めた。

 禅林絵画では、可翁の『竹雀図』は謎めいた不思議な作品。描かれた1羽の雀の視線の先に、もう1羽の雀がいたと考えられるが、なぜか削り取られている。『松雪山房図』は、限りなく素朴画に近い家のかたちが好き。『松梅佳処図』はキラキラ輝くような白梅、くるくる渦巻く波頭など、マニエリスティックな水墨画。同時代の画家では、鑑貞筆『瀟湘八景図画帖』がよかった。縦に屹立する樹木や山の峯が爽快。第6図に小さく犬が描かれているのが珍しい。画家は、多聞院英俊の日記に「カンテイ」として登場するそうだ。

 墨跡や工芸品も、絵画と調和したものが選ばれていた。冒頭に大きな『青磁貼花雲龍文四耳壺』(龍泉窯、元時代)が出ていて、何故?と思ったら、これは小田原城址出土と伝えるもの。雪村は、一時期、北条氏や早雲寺の援助を受け、小田原に滞在していたことがあるのだ。いろいろ考え抜かれた展示で楽しかった。

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2021年11月関西旅行:モダン建築の京都(京セラ美術館)

2021-11-23 16:58:43 | 行ったもの(美術館・見仏)

京都市京セラ美術館 開館1周年記念展『モダン建築の京都』(2021年9月25日~12月26日)

 大津歴博から京セラ美術館へ移動。本展は、明治以降に建てられた洋風建築や近代和風建築、モダニズム建築など、いわゆる「モダン建築」を通して京都を知る大規模建築展。明治元年(1868)から1970年代初頭までに竣工した現存する京都の建築を「モダン建築の京都100」として選出し、そのうち36のプロジェクトを豊富な資料で紹介している。

 36件は以下のとおり。外観を知っているものに※、敷地内・建物内に入ったことがあるものに※※をつけてみた。

  1. 第四回内国勧業博覧会と平安神宮 ※※
  2. 琵琶湖疏水と旧御所水道ポンプ室
  3. 京都市明倫尋常小学校(現・京都芸術センター)※
  4. 島津製作所河原町旧本社(現・フォーチュンガーデン京都)
  5. 帝国京都博物館(現・京都国立博物館)※※
  6. 京都府庁旧本館
  7. 長楽館(旧村井吉兵衛京都別邸)※※
  8. 下村正太郎邸・中道軒(現・大丸ヴィラ)※
  9. 旧外務省東方文化学院京都研究所 ※※
  10. 真宗信徒生命保険株式会社本館(現・本願寺伝道院)※※(翌日訪問)
  11. 京都大倉別邸(現・大雲院)祇園閣 ※※
  12. 京都市庁舎本館 ※
  13. 聴竹居(旧藤井厚二自邸)
  14. 大礼記念京都美術館(現・京都市京セラ美術館)※※
  15. 新島旧邸 ※
  16. 同志社クラーク記念館 ※
  17. 同志社礼拝堂 ※
  18. 平安女学院明治館
  19. 日本銀行京都支店(現・京都文化博物館別館)※※
  20. レストラン矢尾政(現・東華菜館)※※
  21. 進々堂(現・進々堂京大北門前)※※
  22. 日光社七条営業所 (現・富士ラビット)※
  23. フランソア喫茶室 ※
  24. 南禅寺界隈別荘庭園群・無鄰菴(旧山縣有朋京都別邸)
  25. 吉田神楽岡旧谷川住宅群と茂庵庭園(旧谷川茂庵茶苑)※
  26. 衣笠絵描き村・木島櫻谷旧邸
  27. 北白川学者村・駒井家住宅
  28. 堀川団地 ※
  29. 京都中央電話局西陣分局舎(現・西陣産業創造會舘)
  30. 京都帝国大学(現・京都大学)楽友会館 ※※
  31. 旧本野精吾邸
  32. 鶴巻邸(現・栗原邸)
  33. 京都帝国大学(現・京都大学)花山天文台 ※※
  34. 同志社アーモスト館ゲストハウス ※
  35. 京都大学総合体育館
  36. 国立京都国際会館

 「モダン建築の京都100」の全貌は、同名の図書を購入しないと分からないようだが、展示された36件を見るだけでも、学校・市役所・美術館などの公共建築、大会社や著名人の別荘だけでなく、街のレストランや喫茶店が選ばれているのが予想外で、嬉しかった。いや、進々堂フランソアは、京都が誇る名建築だと思う。吉田山の茂庵は、前まで行ったのに混んでいて入れなかったのだ。今度またチャレンジするぞ~。中華料理の東華菜館は、もとレストラン矢尾政という西洋料理店だったことを初めて知った。

 展示資料は、建築図面や模型、建築部材(タイル、ステンドグラス、屋根瓦など)に加え、その建物で使われていた椅子や机、調度品も展示されていて、名建築というのは単に「箱」だけでないことを実感した。特に椅子は、建築と一体と言ってよい。さらに島津製作所が収集した標本模型、木島櫻谷の画材道具や花山天文台の観測器具などのマニアックなお宝も出ていた。写真やビデオ映像による情報の補足も充実していた。

 ビデオの前を動けなくなってしまったのは、旧外務省東方文化学院京都研究所(京大人文科学研究所東アジア人文情報学研究センター)。ナレーションもなく、ただ建物の内部と外観を淡々と映しているだけなのだが、夢のような映像である。むかし見学と出張で、何度か中に入れてもらったことを思い出していた。設計は武田五一と東畑謙三。

 もう一つは、国立京都国際会館。ここは行ったことがないのだが、建設当時の白黒映像に見入ってしまった。1966年開設。設計者は大谷幸夫である。上に向かって窄まり、また広がるような斜めの大壁面が異様な迫力で、しかも池や森など周囲の自然とよく調和しているように思う。特撮ファンには、ウルトラセブンに登場する建築として有名らしい(さすがに展示では言及されていなかった)。調べたら、一般客が泊まれるロッジもあるのだな。大原・鞍馬方面に行くことがあったら利用してみよう。

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2021年11月関西旅行:西教寺(大津市歴博)

2021-11-22 16:58:34 | 行ったもの(美術館・見仏)

大津市歴史博物館 聖徳太子1400年御遠忌・伝教大師1200年御遠忌記念企画展(第85回企画展)『西教寺-大津の天台真盛宗の至宝-』(2021年10月9日~11月23日)

 週末関西旅行、当日朝まで訪問先と順番を迷ったあげく、土曜日は、まず大津歴博に直行した。同展ホームページの解説を要約すると、坂本の高台に位置する西教寺は、寺伝によれば飛鳥時代に聖徳太子が創立、平安時代に比叡山延暦寺の良源と源信が復興し、鎌倉時代には京都の法勝寺の末寺となり、戒律を重んじる寺として興隆をみた。室町時代に真盛上人が入寺すると不断念仏が行われるようになり、念仏と戒律を重んじるという、天台宗の中でも独自の位置を占めるようになり、戦後に天台真盛宗として分立した。というわけで、非常に多様な宗派の要素が混交した寺院なのである。特に注目すべきは、白河天皇が建立した法勝寺(16世紀に廃絶)とのゆかりで、法勝寺に関係する(らしい)寺宝や古経、文書等が多数伝わっていること。

 調べたら、法勝寺から西教寺に移されたという秘仏・薬師如来坐像(鎌倉時代)は、2018年にも同館の『神仏のかたち』展に出ているのだな。このほかにも、かすかに記憶のよみがえる仏像・仏画がいくつかあったが、「初出陳」の展示品も多かった。

 仏像では、落ち着いた聖観音立像(平安時代)が好み。これだけ写真撮影OKだった。ご本尊の阿弥陀如来坐像(平安時代)は写真パネルのみで、化仏1躯のみ展示されていた。仏像ではないが、真白猿坐像(江戸時代)が可愛かったなあ。山門の僧兵が真盛上人を糾弾しようと西教寺に攻め入ったとき、無人の境内で猿が念仏の鉦をついていたという伝説に基づく。僧兵は、上人の御徳が鳥獣にも及んでいることを見て立ち去った。この猿の手が白かったことから「手白の猿(ましら)伝説」と呼ぶそうだ。

 良源のゆかりで、鬼大師(角大師)坐像もいらした。嘲笑うように大きく口を開けた表情がなかなか怖い。解説によれば、良源はイケメン僧侶で宮中の女官たちに言い寄られていたので、女官たちを追い払うために鬼に変身して怖がらせたという。この話、ネットではかなり流布しているようだが、私は知らなかった。原典は何だろう?

 このほか、寺院が多様な文化の集積地であったことを感じさせる、さまざまな興味深い資料を見ることができた。『礼仏阿弥陀懺(らいぶつあみだせん)』は赤紙金字の装飾経(折本)。赤というよりピンク色の料紙と照り輝くような金字、上下を飾る帯状の装飾も相まって、類例のない華やかさである。朝鮮時代か明時代の作と推定されている。『中国風俗図屏風(南蛮屏風)』(江戸時代)にもびっくりした。童心あふれる絵本のような楽しい画面。紙本金地著色だというが、金地が見えないくらい、明るい色彩の洪水で、異国情緒あふれる街並み・人々の賑わい・水路を行き交う船などが、びっしり描かれている(※小さい画像あり→大津歴博:第119回ミニ企画展『西教寺伝来の屏風』2015年)。展示替えで見られなかったのだが、朝鮮時代の『甘露図』も気になる。

 展示の終わり近くに十王図がある、と思って近寄ったら、なんだか十王らしくない(偉そうだが裁判官ふうでない)人物が混じっており、「監斎使者」と書かれていた。『十王二使者図』(室町時代)か~!! 今年は7月に高麗美術館で「直符使者」を見て、8月に神奈川歴博の『十王図』展で「直符使者」と「監斎使者」を見て、滋賀にも使者の図があると聞き、見たいと思っていたものだ! すごい! なお、神奈川歴博本は八王二使者だが、西教寺本は十王二使者(6幅ずつ前後期展示)だった。私は、神奈川歴博の参観メモに「滋賀県の西教寺本(高麗~朝鮮時代)」と書き取っているが、本展の出品リストでは「室町時代」となっていたことを付記しておく。

 滋賀県の神社仏閣は、気になりながら、一度も行けていないところが多い。西教寺(大津市坂本)、坂本駅から徒歩20分か。いつか、早い機会にぜひ。

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2021年11月関西旅行:伊東忠太の足跡

2021-11-21 23:29:20 | 行ったもの(美術館・見仏)

 土日を使って、今月2回目(3週間ぶり)の関西旅行に行ってきた。どうしても前回の2泊3日では見たいものが見切れなかったのである。しかし、もう1回行こうと予定を立てたあとで、行きたいところが増えた結果、涙を呑んで諦めた展覧会(和歌山!比叡山!)もある。フルタイム就労時代に比べると、ずいぶんヒマになったはずなのに、肝心なところで時間が自由にならない。

 今回、とても楽しかったのは、京都市京セラ美術館の展覧会『モダン建築の京都』の連携企画として、通常非公開の建築物を公開する『京都 秋の特別公開』(2021年11月18日~12月7日)の開催である。土曜に展覧会を参観し、今日は2つの建築を見学してきた。

本願寺伝道院(下京区油小路正面)

 龍谷ミュージアムの裏手に位置する。明治45年(1912)真宗信徒生命保険株式会社本館として、大谷光瑞の依頼を受けた伊東忠太が設計し、竹中工務店の施行により建造されたもの。現在は浄土真宗本願寺派僧侶の布教・研修の道場として使用されている。

 私は伊東忠太マニアなので、この建物の存在は知っていたが、中に入るのは初めて。ヘンな怪物がいるのではないかと期待して入ったが、わりとアッサリして瀟洒な空間だった。建物の北側と西側を囲む石柱には、ずんぐりした石彫の怪物がのっかっている。

 特別公開の看板の裏にも一匹w(ちょっとかわいそう)

 なお、1階では『宗門寺院と戦争・平和展』(2021年11月20日~12月8日)が開催されており、このエリアは無料。浄土真宗本願寺派が各地の寺院に対して実施した調査の結果を紹介するもので、学童疎開や金属供出などの写真・記録が興味深かった。龍谷大学でも学徒出陣式が行われていたのだな。

大雲院祇園閣(東山区四条通大和大路東入)

 伝道院が伊東忠太建築としてはやや物足りなかったので、予定に入れていなかった祇園閣も見ていくことにした。ここは以前来たことがあるはずだが、ほとんど記憶が残っていない。

 はじめに本堂で説明を聞いた。大雲院は、織田信長・信忠父子の菩提を弔うため、正親町天皇の勅命により、烏丸御池(今のマンガミュージアムのあたり)に建てられた。信長の法名に由来する総見院は、すでに大徳寺内に建立されていたので、信忠の法名・大雲院を用いたのではないか。その後、秀吉の命で四条寺町に移り、昭和47年(1972)大倉喜八郎旧邸を買得して再移転した。喜八郎旧邸の一部である書院(これも伊東忠太設計、登録有形文化財)には、大雲院の現住職がお住まいとのこと。本堂には通肩の阿弥陀如来坐像が安置されており、その内部には、大雲院創建時の本尊であった阿弥陀如来立像が収められているそうだ。

 いよいよ祇園閣へ。入口は観音開きの銅(?)扉で、二羽の鶴が向き合うデザインである。祇園閣内部及び眺望の撮影は禁止なので、苦労して横から撮った。

 大倉喜八郎は幼名は鶴吉、のちに鶴彦や鶴翁とも名乗った。祇園閣の頂上にも、天に向かって羽ばたくような鶴が立っている。

 祇園閣の低層の壁・天井は、敦煌莫高窟の壁画の模写で埋め尽くされている。昭和60年(1985)に葛新民氏(経歴)によって描かれたもの。さまざまな石窟の有名モチーフを集めたもので、これ知ってる!これは現地で見た!というものもあり、堪能した。

 そして最上階から見下ろす秋の京都は、紅葉の赤や銀杏の黄色が美しく、まさに絶景だった。祇園閣は、昭和の御大典と大倉喜八郎の卒寿を記念して、昭和3年(1928)に建造されたというが、喜八郎(1837-1928)がその年に没していることを知ると、いろいろ感慨深い。

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唯一無二の作家/諸星大二郎トリビュート(河出書房新社)

2021-11-18 21:37:12 | 読んだもの(書籍)

〇『諸星大二郎:デビュー50周年記念トリビュート』 河出書房新社 2021.9

 刊行後すぐ購入したのだが、ゆっくり読みたかったのと、ビニールのパッケージを破らないと中が開けられない仕様になっていたので、ずっと飾って表紙を眺めていた。表紙は、総計18人のマンガ家が描いた諸星作品のキャラクターの詰め合わせになっていて、これだけで毎日見ていても飽きないのだ。

 意を決して封を開けてみたら、冒頭には諸星先生掻き下ろしの「寄稿者への逆トリビュートイラスト」があって、諸星タッチのラムちゃん、諸星タッチの厩戸王子、諸星タッチの吾妻ひでお先生!(何を言ってるか分からないだろうが…)など、悶絶してしまった。

 トリビュート作品は、長いもので16ページくらい、イラスト1ページの場合もあるが、分量に関係なく、どれも熱量が高い。吾妻ひでお先生は特別参加で、吾妻氏から諸星氏へ贈呈された色紙2枚を、吾妻氏のご遺族の許可を得た上で掲載したとの注記がついている。2013年の日付のあるほうが栞と紙魚子で、2014年の日付は瓜子姫。『瓜子姫とアマンジャク』は好きな作品なので嬉しいなあ。

 また、トリビュートは、諸星作品にインスパイアされた完全な創作もあれば、エッセイふうに諸星作品の魅力を語っているものもある。作家によっては「諸星作品との出会いは?」「特に好きなシーンは?」などの質問に、文章で答えてもいる。高橋留美子さんと近藤ようこさん、さらに江口寿史先生も『不安の立像』の強烈な印象を語っていた。これは、私もわりと早い時期に読んで、よく覚えている諸星作品。

 唐沢なをき氏が、中学1年生のとき、近所の書店で手に取った「少年ジャンプ」で『生物都市』に衝撃を受け、買おうと思ったらお金がなかったので、立ち読みで目に焼き付けて帰ろうとした、という思い出話を書いていて、笑いながら共感した。昭和の子供はそうだったよ、名作マンガを立ち読みや、友だちから借りて読んだ。私は床屋や病院の待合室でもずいぶん読んだな。

 そして当時の「少年ジャンプ」は『侍ジャイアンツ』とか『アストロ球団』を載せる一方で、諸星作品を載せていたのである。唐沢氏描く「ど次元くん」が「ぼくは諸星作品に出てくるかわいいものが好きなんです!」と言って、いろいろ挙げる中に開明獣(孔子暗黒伝のキャラ)がいて、「連載当時『1・2のアッホ!!』にも出てきた」とあって大笑いした。あったかもしれない~。唐沢さん、『狗屠王』で芸をしてる犬(怖いのだ、この話)とか挙げていて、目のつけどころと記憶力がすごい。藤田和日郎氏も、『異界録』で中国志怪の本への興味をかきむしり、と書いていて、やっぱり私だけじゃないのね~と思った。

 高橋葉介氏は『西遊妖猿伝』の悟空の殺陣が好きだという。うれしい。私もあの作品のアクションシーンは、怪奇シーンと同じくらい大好物である。とり・みき氏は「諸星先生がときどきお描きになる地球の底が抜けたようなギャグ」への偏愛を語り(分かる)、江口寿史氏は「出てくる女が総じてエロい」と語る。着眼点はさまざまだけど、どの言葉にも愛が感じられて幸せ。

 巻末の諸星先生の描き下し「タビビト」は、マンガ家人生の淡々とした振り返りにも読める。「メジャー」でも「マニアック」でもない「よくわからん方面」へ、ひとりでボソボソ歩いてきて、まだもうちょっと歩いてみようという。先生、どうぞこれからも楽しみながら、長く歩き続けてください。編集者の穴沢優子さん、素晴らしい1冊をありがとうございました。

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2021フィギュアスケートNHK杯 in 東京

2021-11-15 21:56:32 | 行ったもの2(講演・公演)

2021NHK杯国際フィギュアスケート競技大会(11月12-14日、国立代々木競技場第一体育館)

 最初の売り出しで1日目と3日目(エキシビション)をゲットし、2日目は、トレードを申し込んで粘ってみたが、駄目だった。今年はコロナ対策で入場者を定員のおおむね50%に制限したとという。確かに観客席の最上段や隅の区画はまるごと空いていたが、良席はぎっしり埋まっていた。

 しかし残念だったのは、直前に出場を取りやめる有力選手が相次いだこと。11/4に羽生結弦選手、11/5に紀平梨花選手、11/8のロシアのトゥルソワ、アイスダンスのホワイエク/ベイカー組の欠場が発表になった。その上、初日は、演技直前の6分間練習でウサチョワが転倒、細い体を抱きかかえられて退場し、競技を棄権するのを目の当たりに見てしまった。どうか選手のみなさん、ステイヘルシーで。

 初日の金曜は有休を取ったので、ペアの冒頭から全演技を見ることができた。3位になった三浦璃来/木原龍一組(りくりゅう)の「ハレルヤ」には感動して涙が出てしまった。最終的にSPもFSも順位は変わらなかったが、1位のミーシナ/ガリアモフ、2位のタラソワ/モロゾフ、4位のケイングリブル/レドゥク、みんな美しかった。日本のテレビでは、ペアが放映される機会が少ないので、やっぱり現地に来てよかったと思う。

 アイスダンスは、7位の小松原/コレト組、6位の村元/高橋組(かなだい)ともによく頑張った。個人的には正統派の小松原組のほうが好き。村元組のSP「ソーラン節」はヤンキー風味が強すぎるが、技術的にはずいぶん仕上がっていた。しかし第2グループ5組が登場すると、まだまだ世界上位とは格の違いがあることを思い知らされる。優勝したシニツィナ/カツァラポフ(シニカツ)、2位のチョック/ベーツ(チョクベイ)、3位のフィア―/ギブソン、そして4位のスペインのウルタド/ハリャービンも、みんな美しくて個性的で、ハイレベルなテクニックを堪能した。

 女子シングル、坂本花織ちゃんは期待どおり。欠場の紀平梨花選手に代わってINした河辺愛菜ちゃんの堂々とした演技にびっくりした。男子シングル、宇野昌磨くんはもちろんよかったのだが、その前に、三浦佳生くん、樋渡知樹くんの活躍が嬉しく、山本草太くんの渾身の「Yesterday」には感動した。あと名前は知っていても、生で見るのは初めてだったのが、ヴィンセント・ジョウ(いいなあ)、ナム・ニュエン、カムデン・プルキネン。実は名前も知らなかったのだが、このNHK杯3日間で完全にファンに落ちたのが、韓国のチャ・ジュンファンくん。ロックもクラッシックも行けるが、FS「トゥーランドット(誰も寝てはならぬ)」の王子様ぶりが好き。とにかく男子は楽しくて、忙しかった。

 2日目は、家事と呑み会の合間にテレビとネットで観戦。NHKは、アイスダンス以降の全演技を地上波中継してくれた上に、終わった演技はすぐに特設サイトで動画配信してくれた。感謝、感謝。毎月の受信料が無駄になっていないことを実感した。

 3日目、今年のエキシビジョンは、奇をてらった演出で驚かす選手が少なく、高い技術をしっかり見せてくれた。ただ、楽曲は、お客さんがよく知っていて楽しめるものを選んでいるように思う。河辺愛菜ちゃん、韓流ドラマ「愛の不時着」のテーマだったし(笑)。

 開演前と休憩時間のインタビューコーナーも面白かった。高橋大輔選手は、りくりゅうや宇野昌磨くんへのインタビューアー役も兼任。シングルからペアに転向した木原龍一選手が、身体を作り替えるための筋トレのつらさを告白して「二十歳過ぎて転向するのは」と嘆くのを聞いて、「僕は三十過ぎですけど」とつぶやくので噴き出してしまった。でも笑いごとでなく、高橋選手の肉体改造はすごい。やっぱり一流アスリートなんだと思う。そして、りくりゅうペアはどこまでも可愛い。宇野昌磨くんは、平昌五輪の頃とは別人のように受け答えがしっかりしていて、親戚の子が大きくなったみたいに嬉しかった。

 休憩時間には、荒川静香さんと高橋成美さんが、坂本花織選手、河辺愛菜選手にインタビュー。そのあと、ヴィンセント・ジョウ選手が登場。実は、小さい頃からどーもくんが大好き(ファンの間では有名)だそうで、リアルどーもくんと対面。感想を聞かれて真顔で「Beautiful!」と言っていた。ヴィンス、いい子だなあ。

NHK杯男子2位のジョウ、どーもくんと対面「僕だけが話せるなんて光栄」(スポニチ2021/11/14)

 2022年は札幌だそうだ。自分の生活環境がどうなっているか、出場選手がどうなるか(誰が現役を続けているのか)分からないけれど、できればまた観戦したいな。

 ところで、国立代々木競技場第一体育館は、丹下健三が1960年の東京五輪のために設計した。

 私は半世紀以上、東京に住んでいるが、中に入ったのは初めて。天井がカッコいい。しかしトイレが少なすぎるのが不満。

 羽生くんと梨花ちゃん。叶わなかった夢の痕跡を記念に。

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関与から競争へ/米中対立(佐藤亮)

2021-11-14 21:16:55 | 読んだもの(書籍)

〇佐藤亮『米中対立:アメリカの戦略転換と分断される世界』(中公新書) 中央公論新社 2021.7

 悩ましいテーマなので、読み進むのがつらく、途中で放棄しようかと思いながら、なんとか読了した。本書は、緊張高まる米中対立のゆくえを考えるために、1979年の米中国交正常化を起点に、そもそもなぜアメリカが中国との関係を構築し、それを維持してきたかを説き起こす。「中国を育てたのは、ほかでもない、アメリカ」なのだ。

 国交正常化を果たした後、カーター政権、ロナルド・レーガン政権は、最先端の実験設備の売却、高度技術の移転、留学機会の開放など、多方面にわたる中国支援を始動した(この頃の中国の貧困と近代化の遅れ、若い人たちには想像もつかないだろうな)。その背景には、中国が近代化すれば、市場化改革が進み、政治体制も変化し、人権状況も改善するだろうという楽観的な期待があった。同時に、いくら中国が成長しても、近い将来にアメリカに追いつくことはあり得ないと考えられていた。

 その期待は、1989年、天安門事件によって崩れ去る。議会やアメリカ社会の対中認識は悪化したが、ブッシュ政権は対中関係を断念しなかった。中国を徹底的に批判していたクリントンは、大統領就任後、米産業界が中国に期待を寄せる現実に直面して「変節」する。1993年には「包括的関与」政策を発表し、「関与」を正当化する、さまざまな理論が形成され、江沢民、朱鎔基による経済改革や党改革は一定の評価を得た。中国は2001年にWTOに正式加盟し、世界の工場として急速な経済成長を実現していく。

 一方、90年代には、経済優先の対中政策に疑念や懸念を抱く専門家もいた。ブッシュ(子)政権では、国防総省において中国戦略の再検討が行われ、2006年のQDR(四年ごとの国防計画見直し)には、かなり明確に中国への警戒感が書き込まれた。

 2009年に発足したオバマ政権は、対中外交を重視し、中国は「アメリカにとって真のリーダーシップを共有するパートナーの資格」を持っていると主張し、習近平の国家主席就任を歓迎した。しかし、2013年、中国が東シナ海に一方的に防空識別圏(ADIZ)を設定したことで、中国政治への警戒が急速に高まり、対中政策の修正が始まる。

 トランプ政権において、アメリカの対中姿勢は一気に硬化する。トランプは人権問題に大きな関心はなく、大局的な国際秩序観も希薄だったが、政府部局や米軍、連邦議会においては、中国のパワーがアメリカに迫りつつあるという気づきが広く共有された。関与と支援が中心だった中国政策を転換し、中国の影響力を押し戻すための政策対応が本格化した。しかし、米中両国とも景気の下振れにより、貿易協議を再開し、合意せざるを得ない状況となった。

 以上が80年代から近年までの米中関係の変遷である。こうして見ると、全く異なる政治体制の国を「関与と支援」によって、正しい(=自分たちと価値を共有する)姿に育てていけると考えるアメリカも、かなり変わった国だと思う。2000年代の初めには、ソ連の崩壊以降、アメリカは唯一の超大国(比喩的には帝国)になったと言われ、次の競争相手は中国?とか言っても、まだ与太話にしか聞こえなかった。この間、中国が着実に覇権国家の道を歩んできたことには、逆説的に敬意を払いたくなる。

 さて、今後、米中のパワー格差は縮小する一方で、対立は全面的かつ長期的なものになると専門家は予想している。では、デタント(緊張緩和)はあり得るか。最終的に米中対立は終わるのか。我々、中小国の市民にできることは何か。本書は、米ソ冷戦の教訓を踏まえて、これらに一定の回答を与えている。その中で、米中対立が終結するには中国の民主化(すなわち現体制の転覆)が必須とする立場を、著者が明確に否定していることには注意しておきたい。たぶん北朝鮮や、西アジア、中央アジアについて考えるときも重要な視座だと思う。

 個人的には、アメリカの対中政策が米台関係に及ぼした影響が、随時語られているのを興味深く読んだ。アメリカは長らく米中台関係の安定(現状維持)を優先してきた。そのため、台湾で2000年に陳水扁政権が誕生したとき、ブッシュは独立志向の民進党政権を喜ばなかった。2012年の総統選挙においても、オバマは国民党政権による台湾海峡の安定に期待していたが、2016年になると、実務的リーダーとしての蔡英文を評価し、歓迎した。いま、米中対立が本格化していくなかで、米台関係はかつてないほど強化されているという。これが台湾政府にとって単純に喜ばしい事態なのかどうか。おそらく大国間で難しい舵取りを迫られるところだろう。

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