見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

木版口絵の作者たち/鏑木清方と鰭崎英朋(太田記念美術館)

2021-05-31 17:43:50 | 行ったもの(美術館・見仏)

太田記念美術館 『鏑木清方と鰭崎英朋 近代文学を彩る口絵-朝日智雄コレクション』(2021年5月21日~6月20日)

 明治20年代後半から大正初期、文芸雑誌や小説単行本の巻頭には、木版による美しい口絵があしらわれた。木版口絵は、江戸時代から続く浮世絵版画の系譜に連なるだけでなく、江戸の技術を遥かに上回る精緻な彫りや摺りが施されているが、現在の浮世絵研究ではほとんど顧みられることがない。本展は、鏑木清方(1878-1972)と鰭崎英朋(1880-1968)の二人を中心に、木版口絵のコレクターである朝日智雄氏の所蔵品の中から約110点を厳選し、忘れられたジャンル・彩色木版口絵の美しさにスポットをあてる。

 朝日智雄さんは「木版口絵を保存・普及させる会」代表を名乗り、「散逸している明治・大正期の彩色木版口絵を後世に残したい!」と題したクラウドファンディングを実行するなど、精力的な活動を展開されているコレクター兼研究者である。また、この展覧会は、昨年2月15日~3月22日に予定されていたが、コロナ禍のため2月末で中断終了してしまった企画のリベンジである。

 私は、鏑木清方は知っていたが、鰭崎英朋(ひれざき えいほう)という難しい名前の絵師は知らなかったので、昨年、展覧会の情報を得ても、即座に跳んでいくほどの興味は湧かなかった。それが、昨年3月、弥生美術館の『もうひとつの歌川派?!』で見た鰭崎の美人画がとても気に入った上に、先日、鎌倉の鏑木清方記念美術館で見た彼の『鑓権三重帷子』がよかったので、今年は早々に見てきた。

 第1室(1階)の冒頭は鏑木清方の作品から始まる。たっぷりした黒髪、白い肌、透けるような赤い唇、遠くを眺める潤んだ瞳。可憐な少女像に目が留まるがそればかりではない。美少女だけでは小説世界は成り立たないので、むさくるしい鉄道工夫が描かれていたり(泉鏡花・風流線)、眼鏡をかけた地味な女性家庭教師像が描かれていたり(小杉天外・にせ紫)する点に、独立した「絵画」とは違う、新鮮な魅力を感じた。

 続いて清方と人気の双璧をなしていたという鰭崎英朋。清方の「清純」、鰭崎の「妖艶」という言われ方もあるが、どうだろうか。鰭崎の描く女性は、眉とアイラインがくっきりしていて、唇の色も濃い。いま流行りの「中国メイク」である。強い自我を感じさせる表情、決めのポーズのカッコよさも、華流ドラマの女性みたいだと思った。

 このほか、水野年方、武内桂舟、富岡永洗、梶田半古の木版口絵も10数点ずつ展示されている。武内桂舟(1861-1942)は、小さい目鼻をちょぼちょぼとつけた、陶器人形みたいな美人画を描いている。のちに『こがね丸』を手掛けるなど、絵本作家の元祖でもある。富岡永洗(1843-1890)は小林永濯の門人。たまたまかもしれないが、噴き出すようなヘンな絵が多かった。黒岩涙香『武士道』とか、もとの小説自体がぶっとんでいるのだ。『地図を眺める美人と象』って何これ! 梶田半古(1870-1917)は日本画家という認識だったが、挿絵や口絵も多数手掛けている。そして、他人の眼を気にしないで自分の世界に没入するような女性像が新鮮。無防備に寝そべる女性なんかも描いている。

 本展がとても面白かったのは、展示作品が誰の小説のどんな場面を描いたものか、丁寧な解説をつけてくれたこと。私はかつて国文科で学んだので、小栗風葉とか小杉天外とか、川上眉山、末広鉄腸、渡辺霞亭、半井桃水など、今では読む人も少ない当時の人気小説家の名前を見ると懐かしかった。さらに彼らの小説の筋の奇想天外なこと、翻訳(翻案)小説では、海外が舞台なのに登場人物が日本の名前だったり、笑いを堪えるのに苦労した。この展示、美術ファンだけでなく、日本の近代文学を学ぶ学生さんにもぜひ見てほしい。

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畑の中の美術館/遠山記念館の50年(遠山記念館)

2021-05-28 19:41:47 | 行ったもの(美術館・見仏)

遠山記念館 特別展『遠山記念館の50年』(2021年4月3日~5月30日)

 緊急事態宣言下で開いている美術館・博物館を探していると、あまり縁のなかった施設の情報が網にかかってきて面白い。遠山記念館は埼玉県比企郡川島町にあり、同町出身で日興證券の創立者・遠山元一の邸宅・庭園と、遠山が蒐集した美術工芸品等を公開している。私は2005年から2007年まで、川島町の隣の隣、鶴ヶ島市の住人だったのだが、同館の存在は記憶にない。まあ仕事が忙しかったし、車がないと自由に移動できない地域だったので…。

 調べたら、川越と桶川を結ぶ路線バスで行けそうなので、行ってきた。川越駅から30分くらい、観光客で賑わう市街地を遠ざかり、牛ケ谷戸というロードサイドの停留所でバスを降りる。車やバイクの往来は多いが、歩いている人の姿が全くないのが、埼玉の奥地らしい。案内板に従って15分ほど歩くと、開けた風景の中に、こんもりした木々に囲まれた立派な門が見えてきた。蔵のような美術館に入って、入場券を買う。

 現在の展示は、1970年に開館した遠山美術館の開館50周年を記念する特別展(コロナ禍で1年遅れで開催)。全25件(展示替えあり)の小規模な展示だが、半分以上が重要文化財・重要美術品の指定文化財だ。寸松庵色紙「むめのかをそてにうつしてとめたら(は) はるはすくともかたみならまし」(古今46・よみ人知らず)に見惚れる。寸松庵色紙には、あまり好きな作品がなかったのだが、この字姿はよい。書かれた和歌も好き。料紙はかすかな青色を留める。伊予切(和漢朗詠集断簡)は、五島美術館のものを何度か見ているが、これもよいな。「三月尽」の箇所で、私の偏愛する和歌「けふとのみはるをおもはぬときたにも たたまくをしきはなのかげかは」(古今134・躬恒)が含まれているのがポイント高い。

 源頼朝の書状も印象的だった。数少ない自筆書状で、全体にのびのびして気持ちのよい書。右への払いを長く伸ばす癖がある。2年前に壇ノ浦で平家を滅ぼし(書中の文治三年は別筆補記)武家の棟梁として気力充実した時期ということもあるのかな。内容についてはこちら(斎宮歴史博物館)に詳しい。岡田半江の『春靄起鴉図』は朝靄に溶け出したような山の色がきれいだった。写真では絶対に伝わらない色彩。英一蝶の『布晒舞図』は、板橋区立美術館の展覧会、たぶん『一蝶リターンズ』(2009年9月5日~10月12日)で見た記憶があるのが、何故かその展覧会の記事を書きもらしている。忙しかったのかな。

 前期展示の『佐竹本三十六歌仙絵 頼基像』と『高野切(第一種)』が見られなかったのは残念だが、また来よう。佐竹本三十六歌仙絵は、2019年の京博の展示でかなりの数をまとめて見ており、展示替えで見られなかった作品は、出光、大和文華館、サントリーなど、別の機会に見たものが多いのだが、遠山記念館の大中臣頼基は見ていないのだ。忘れないようにしなくては。

 そのあと、邸宅と庭園も見学した。渡り廊下が奥へ奥へと続く広壮な邸宅は昭和11年(1936)の竣工。欄間や窓枠、障子の桟などにセンスのよい装飾が用いられている。18畳の囲炉裏の間に埋め込まれた斜めの畳は、彫刻家・長澤英俊氏のモダンアート作品「浮島」の名残り。

 廊下の途中に土蔵の入口があって、びっくりして見ていたら、職員らしい男性が大きな軸物の箱を抱えてやって来た。土蔵を開けるところが見られるかな?と思ったら、黙って手前の木の引き戸を閉めてしまった。そのあと、内側で何やら機械(電子錠か?)を操作をしているらしい音が聞こえたが、開け方は見せてくれなかった。

 確かに広い邸宅だけど、庶民の生活とかけ離れた贅沢さはなく、むしろ懐かしい感じ。

 帰りは、川越に戻りたかったのだが、桶川行きと川越行きのバスが交互に1時間に1本しか来ないので、桶川に出て帰った。

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人生は続く/八九六四 完全版(安田峰俊)

2021-05-27 09:40:31 | 読んだもの(書籍)

〇安田峰俊『八九六四 完全版:「天安門事件」から香港デモへ』(角川新書) 角川書店 2021.5

 2018年5月に刊行された単行本『八九六四』は必ず読もうと思いながら、果たせていなかった。そのおかげで図らずも、2019年の香港デモを取材した新章を含む本書『完全版』を読むことができた。本書は、1989年6月4日未明に起きた天安門事件にかかわった、あるいは何らかの影響を受けた人々に2011年から2018年の間に取材したルポルタージュである。章見出しになっているのは22名。日本人(当時、在中留学生)1名を含む。番外編の章に登場する香港の活動家たちを除くと、多くは当時20代、したがって取材当時は40~50代である。国際的に著名な活動家もいるし、無名の庶民も、成功したビジネスマンもいる。ちなみに本書に登場する石平さんは、他で見るのと全く違って興味深い。

 本書の感想をひとことで言うのは難しい。天安門事件は、多くの人々にさまざまな影響をもたらした。そのどれか、たとえば中国共産党のタブーに挑戦し民主化を唱え続けるのが「正解(正義)」であるとか、社会の安定と経済成長のために過去を忘れるのが「正解」であるとか、軽々しくは言えない、と感じた。

 社会の安定と経済成長が保証される限り、政府批判を口にしないというのが、今の中国人の多数派だろう。本書には、この多数派に属さない、印象的な人々も登場する。姜野飛は成都の農村生まれ。ろくな初等教育も受けていない彼は、1989年当時、成都で学生デモに遭遇し、よく分からないのに全財産をはたいて学生たちを応援した。時は流れて2000年代(中国のネット言論が比較的自由だった時期)、インターネットで知った「真実」に触発され、党批判の書き込みを繰り返した結果、公安に連行され暴行を受ける。タイに亡命したものの、難民申請は門前払いされ、生活は困窮を極める。著者は同情と共感を込めて姜野飛を「持てる者たちが嘯(うそぶ)く道徳を本気で信じて行動した、持たざる者」と呼ぶ。そして、現代の中国で、一般人が「目覚めた者」になることは本当にいいことなのか?と悩ましげに問いかける。

 天安門の学生リーダーだった王丹とウアルカイシへのインタビューも興味深かった。王丹は、事件後、逮捕と仮釈放を経てアメリカへ亡命、取材当時は台湾の大学で教鞭をとっていた。どんな質問にも「模範回答」を繰り返す王丹に著者は少しいら立つが、天安門事件という「過去の牢獄」に留まり、同じ説明を繰り返し続けることが自分の「責任」だという王丹の覚悟に気づく。取材当時、やはり台湾にいたウアルカイシ(ウイグル人)は言う。自分は(天安門の元リーダーという)責任を負い続けなくてならないと考えているが、それは他の人間が当事者に要求するものではない。誰もが責任や罪悪感を担い続けられるほど強くはない。担えなくなった人を責めるべきではない。この言葉は胸に響いた。

 なお、台湾のヒマワリ学連(2014年)の成功は、王丹が過去におこなった天安門の総括(失敗要因の分析)と奇妙なほど符合しているという。ウアルカイシは学生たちが占拠中の立法院に入り、学生たちの肩を叩いて激励した。もう少し理論的な分析としては、八九六四の武力弾圧が大きな国際的非難を招いたことで、その後の各国の独裁政権は、大衆運動を銃で解決する選択肢を取りづらくなったのではないか、と著者は考える。天安門の失敗が、台湾の学生運動の成功に寄与したとすれば、皮肉のようでもあり、一筋の救いのような気もする。

 天安門事件のディティールや中国人の感覚についても、本書で初めて知ったことは多い。中国の伝統的価値観では、政治的な行動を起こすのは、知識人=大学生の義務と考えられていたこと。社会主義経済体制下では仕事が休みになっても収入は変わらず、各家庭が普段から食料を備蓄していた時代なので、学生デモに文句を言う人は多くなかったこと。また、地方都市の庶民は、北京で何が起きているか全く知らなかったこと。戒厳令が布告された5月20日前後から学生運動が内部崩壊を始めていたこと、などだ。

 著者は2015年に香港において、天安門事件に対して異なる態度をとる各派の活動家にも取材している。中国の民主化は香港にも重要という立場から天安門追悼集会を開催してきた従来の民主派。しかし若者世代では「天安門離れ」が進んでいる。まあ、彼らが生まれる前の事件だものなあ。そこへ発生した2019~2020年の香港動乱。逃亡犯条例改正の棚上げという成果を獲得しながら、撤退の時期を誤り、ニヒリズムと過激な暴力闘争を招来してしまった。デモの参加者たちは、30年前の天安門事件と同じく、各人なりの「その後の人生」を選択していくことになるのだろう。

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美人画と戦争画/雑誌・芸術新潮「キャバレー王は戦後最高のコレクター『福富太郎』伝説」

2021-05-26 09:07:57 | 読んだもの(書籍)

〇雑誌『芸術新潮』2021年5月号「特集・キャバレー王は戦後最高のコレクター『福富太郎』伝説」 新潮社 2021.5

 東京都の緊急事態宣言は5月31日で解除になるのか、それとも延長か。私が気になっているのは、美術館・博物館の対応、とりわけ東京ステーションギャラリーの『コレクター福富太郎の眼 昭和のキャバレー王が愛した絵画』(当初予定:2021年4月24日~6月27日)の再開可否である。

 もともと気になっていた展覧会だが、この特集を読んで、絶対見逃せないという強い気持ちが固まった。量や質がすごいというより、コレクターの個性と結びついた奥深いコレクションである。本誌では、まず福富太郎さん(1931-2018)の一代記(イラスト・伊野孝行)が楽しい。昭和6年、東京都荏原郡に生まれ、家にあった絵を見た記憶は3歳にさかのぼり、小学校入学前後には新橋駅のホームから東京のキャバレーの元祖というべきカフェー「新橋處女林」の建物を目撃したとか、太平洋戦争開戦を迎えて夢は少年飛行兵だったとか、よくできた小説の主人公のようにエピソード豊富。戦後、府立園芸学校を中退し、ボーイという名の雑用係として奮闘、26歳で独立、29歳で「新橋ハリウッド」を開業し、どんどん事業を拡張して「キャバレー王」への道を歩む。

 1970年代には身の上相談などテレビ番組でも活躍。私は中学生だったが、福富太郎という名前の福々しい丸顔のおじさんがテレビに出ていたのは覚えている。あと、キャバレー「ハリウッド」のオリジナルキャラ、ミニスカートで体育座りみたいなポーズが色っぽい「踊り子ちゃん」も懐かしい。どうして懐かしいのか謎だったが、本誌「ハリウッドへようこそ!」の記事を読んで思い出した。私の生まれ育った江戸川区小岩には「小岩ハリウッド」があったのだ。実地に見聞したことはないけれど、ここに語られている日本独特のキャバレー文化って実に面白いなあ。

 さて絵画の話だが、福富コレクションには美人画が多い。それもちょっと影のある妖しく哀しい女性が主役。ということで山下裕二先生チョイスの日本画5点、鏑木清方『妖魚』、同『薄雪』(冥途の飛脚)、渡辺省亭『塩治高貞妻浴後図』、小村雪岱『河庄』(心中天網島)、北野恒富『道行』(心中天網島)は、どれも傑作。『妖魚』は、別の作品と「取替えっこ」の結果、手に入ったものだとか、『薄雪』は自分が死んだら一緒に焼いてほしいと願っていたが、かさばって棺桶に入らなかったという秘話(?)も語られている。浄瑠璃の世界を描いたものが多いのも嬉しい。山下先生は福富さんを評して、画壇や美術史の価値観に惑わされず、本当に自分の眼を頼りに蒐集する人だった、と賛辞を贈る。

 ただし前橋重二氏の「見た、買った、調べた!福富流コレクター流」を読むと、福富さんが自分の感覚を盲信するタイプではなく、猛烈な読書家・勉強家で、知的な推理を楽しんでいたことが分かる。まあそうでなければ実業家として成功しないだろう。旧・福富コレクションの河鍋暁斎『幽霊図』は、行灯の後ろに立つ痩せさらばえた女性の幽霊で、光と闇の交錯が、生々しくも美しくて私の好きなもの。岡田三郎助『あやめの衣』(現・ポーラ美術館所蔵)は切手にもなった有名作品だが、これも福富コレクションだったのだな。島成園『おんな』、鳥居言人『お夏狂乱』(少女マンガみたいな美人だなあ)は本誌で初めて知った。ぜひ本物を見たい。

 美人画以外にも驚くような作品が多数あって、川村清雄『蛟龍天に昇る』も向井潤吉『影(蘇州上空にて)』もいいなあ。福富さんの集めた戦争画のほとんどは東京都現代美術館に寄贈されているという。日清・日露戦争から太平洋戦争、そして終戦後の混乱までをカバーしており、上野の地下道で眠る浮浪児や、女性と戯れる米兵を遠目に眺めるぼろぼろの服の少年たちの姿もある。暗い色調の満谷国四郎『軍人の妻』は、福富さんがこだわった「女性」と「戦争」がリンクした作品。夫の遺品を抱く喪服の女性の両目にかすかな涙が溜まっている。

 東京ステーションギャラリーの展覧会、たとえ1週間でも再開したら、万難を排して見に行くつもりだが、もし駄目だったら、巡回先の新潟か大阪まで追いかけて行こうと思っている。

 第二特集(art news exhibition)は、多摩美術大学アートテーク・ギャラリーで開催された『我楽他宗-民藝とモダンデザイナーの集まり』(2021年2月25日~3月6日)を紹介する。この展覧会は見ていないが、ガラクタ蒐集を旨とする「我楽他宗」を実践した趣味人・三田平凡寺については『荒俣宏の大大マンガラクタ展』でも取り上げられていたので、興味をもって読んだ。びっくりしたのは夏目房之介さんの「吾輩ハ三田平凡寺ノ孫デモアル」。え!そうなの!? 房之介さんの雑学的好奇心はこっちのお祖父さんから来ているのかも。

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グローバリゼーションの中で/モダン語の世界へ(山室信一)

2021-05-25 16:12:20 | 読んだもの(書籍)

〇山室信一『モダン語の世界へ:流行語で探る近現代』(岩波新書) 岩波書店 2021.4

 山室信一さんといえば『キメラ:満洲国の肖像』や『思想課題としてのアジア』を読んできたので、勝手に中国史とか東アジア史の人だと思っていた。奥付を見て、その山室さんの著書であることを確かめたものの、落ち着かない気持ちで読み始めた。

 本書は、おおよそ1910年から1939年までの30年間に造られ、使われた「モダン語」の世界を探訪し、モダン(近代あるいは現代)の意味を考える。1910~30年代は第一次グローバリゼーションとも呼ぶべき時代で、情報・モノ・ヒト・カネが国境を越えて交わり、地球全体が相互に影響し合いながら、ライフ・スタイルや価値観の転換に向けて始動していた。日本国内でも、電話・ラジオ・映画などのニュー・メディアが普及し、ニュー・ジャーナリズムに乗った新製品や流行の情報が駆けめぐった。モダン語とは、世界的な文化の激動に対応しながら日常生活を送っていく上で必要な言葉で、多くは外来語またはカタカナ借用語を日本語と組み合わせた新造語だが、そればかりではない。とにかく「新しい何ものか」を追い求めて止むことのない生き方を促す言葉だった。

 本書は「社会階層・職業・生活」「食文化」「女性」「エロとグロ」「グローバルとローカル」など、いくつかの視点から、具体的なモダン語の事例を紹介する。よく知っているもの(高等遊民、モガ・モボ、ハイカラ)もあれば、初めて聞くものもある。何でも「~る」をつけて動詞化してしまうのは今と同じで、「デパる(デパートに行く)」「コスメる(美しく着飾る=特に男性)」「アサクサる(学校を抜け出し浅草で遊びまわる)」など、よく分かるし笑えた。「どうもありがとう」を略して「どうまり」なんて「あけおめ」の感覚と同じ。

 「スーパーマン」や「ウルトラマン」が、理想的な人間を示す語として1910年代から流布しており、ウルトラの訳語「超」はモダン語の展開に不可欠のキーワードだったというのは、初めて知った。このほか「ア・ラ・モード(当世風の)」「シック」「色情狂」「猟奇」「キセル(途中区間のただ乗り)」などがモダン語に挙げられているのも、やや意外だった。

 食文化の章は、ことばの問題よりも、食文化そのものの記述が興味深かった。日本で、ちゃぶ台や銘々膳に先行して18世紀頃から箱膳が普及したのは、家族の間でも食器と箸は共用しないという食習慣に適したからだという。なるほど。中国にこの習慣はなさそうだな。朝鮮は一人用の膳を使うけれど食器はどうなんだろう。「ちゃぶ」は中国語の卓袱の転だというが、広東語のチャプスイ(雜碎ないし雑炊)、英語のチョップ・ハウス(chop-house)との関係も考察されている。ラーメンの語源は、北大の前にあった竹屋食堂で肉絲麺を提供するのに「好了(ハオラー)」と知らせたからという説がある。羊の焼肉をジンギスカン鍋と名づけたのは、時事新報社の鷲沢与四二だったという話も載せる。ただ、こういう食文化の起源説話は、眉唾しながら楽しむのがよいだろう。

 モダン語について、欧米、特にアメリカ文化の影響が大きいことは言うまでもないが、アジア・アフリカとの関係に目配りしているのは本書の特色だと思う。この時代、中華料理とともに支那趣味が流行し、谷崎潤一郎、芥川龍之介、佐藤春夫らがこれを唱導した。絵画でも、確かに支那服の女性を描いた作品が多い。「工作」(裏面工作など)「合作」「要人」「改編」「改組」などは、この時期に中国から入って来た言葉だそうだ。逆に「モダン・ガール」という言葉は、その典型とされたナオミ(谷崎『痴人の愛』)から生まれた和製英語Naomismとともに、朝鮮・台湾・中国などに紹介されていった。女性の権利拡張と新しい生活様式の獲得に十分なページを割いているのも本書の読みどころである。

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麦殿大明神再び/疫病・たいさ〜ん!(アーツ千代田3331)

2021-05-24 13:47:35 | 行ったもの(美術館・見仏)

アーツ千代田3331 特別企画展『疫病・たいさ〜ん!江戸の人々は病いとどう向き合ったか』(2021年4月17日〜 5月30日)

 感染症がたびたび蔓延した江戸時代に着目し、魔除けの赤を用いた疱瘡絵や麻疹絵など、疫病退散の願いから生まれた様々なものを通して、パンデミックが当時の暮らしや文化にもたらした影響や、禍に立ち向かい打ち勝とうとした江戸の人々の姿を紹介する。

 同施設では、千代田区内で行われる「神田祭」「山王祭」の時期にあわせ、地域の歴史や文化を紐解き、その魅力を発信する特別企画展を2013年より開催してきたそうで(※アーカイブ)、私の趣味にピタリ合うのに全然知らなかった。今回の企画にも気づいていなかったが、緊急事態発令とその延長の際、美術館の動向をまとめサイトで見ていたら、再開+会期延長(当初予定は5月16日まで)の情報が載っていて気づいた。 なんと監修は木下直之先生ではないか!ということで、さっそく見に行った。

 1部屋だけの小さな展示だが、江戸と現代の「疫病退散」グッズがいろいろ展示されている。アマビエ、もとの資料(瓦版)では、弘化3年4月(1846年5月)の出現だそうだが、まさか175年後に「私シ写シ人々二見せ候得」が全国規模で成就するとは誰も思わなかっただろうなあ。このまま100年後、200年後まで定着してほしい。

 ↓これは、馬喰町にあった淡島屋の軽焼きの袋。軽焼きは「病を軽くする」という語呂合わせから病気見舞いに好んで使われた。淡島屋は紙袋に錦絵(多色摺)の疱瘡絵や麻疹絵をあしらうことで、とりわけ評判を得た。文学者の淡島寒月(1859-1926)はこの店主の息子。

 軽焼き(軽焼きせんべい)とは「もち米の粉に砂糖を加えて焼いたせんべい」だという。砂糖が重要なのだな。ちょっと調べたら津山(岡山県)の武田待喜堂の銘菓「初雪」が近いようだ。食べてみたい。関西農業史研究会のサイトに「美作津山における近世の軽焼献上と近代の名菓初雪/橋爪伸子」というレジュメが公開されていて、軽焼きへの言及がある。

 展覧会の会場には麦殿大明神が来臨。2019年2月、ギャラリーエークワッドでの展示『木下直之全集』とは、また異なる姿を見せている。前回は金物屋の道具で誕生した「つくりもん」だったが、今回は籠細工だ。

 会場には、木下先生が蔵前の籠物屋(たぶんここ→水木屋馬場商店)で道具を選ぶ様子から、来臨した麦殿大明神を背負って、神田明神を参拝し、お祓いを受ける様子がビデオで流れている(Youtubeでも公開)。不要不急の極致? いや、麦殿大明神は、麻疹という疫病と戦う神様だから、こんな時代にこそ必要なのだ。

 今回、足元には邪鬼を踏みつけているが、その邪鬼の背中にお賽銭が載っているのが微笑ましかった。私も小銭を1枚足してきた。

 

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中国時代劇の虚と実/戦乱中国の英雄たち

2021-05-21 12:17:41 | 読んだもの(書籍)

〇佐藤信弥『戦乱中国の英雄たち:三国志、「キングダム」、宮廷美女の中国時代劇』(中公新書ラクレ) 中央公論新社 2021.5

 まさかこんな本が出るとは思わなかったので、驚きながら喜んでいる。韓ドラや日本の大河ドラマを題材にした新書は見たことがあるが、マイナージャンルだと思っていた中国時代劇も、今やそれらに次ぐファン層を獲得しているということだろうか。

 本書は近年の話題作を具体的に取り上げながら、中国時代劇の楽しみ方、読み解き方を論じている。第1章は「三国志」で、1994-95年放映の『三国演義』(※以下、全て原題とする)、2010年の『三国 Three Kingdoms』に続き、詳しく紹介されているのは2017-18年の『軍師聯盟』と2018年の『三国機密』。私は前二者を見ていないので、2010年の『三国』が、登場人物の政治性を際立たせ、謀略や駆け引きの応酬に重点を置く(やや露悪的なアレンジや創作が加えられている)作品だと知って、興味深く思った。そうすると、同じ虚構でも、頑固な理想主義者の劉平を主人公とした『三国機密』が、『三国』のアンチテーゼになっているという論評は分かる。

 第2章は人気コミック『キングダム』と同じ春秋・戦国時代を舞台とした作品。私はこのカテゴリーは全然見ていない。唯一の例外は2013年の『趙氏孤児案』で「中国人は現実主義者で理想主義など鼻に掛けない(※これは「洟も引っ掛けない」だな)というイメージがあるが、実のところ中国人も理想主義の効用をちゃんと理解しているのではないか」というのは同感である。

 第3章「タイムスリップ物」も見ていないものが多いなあ。2020年の話題作『伝聞中的陳芊芊』は、ジェンダー物としての要素も濃厚で「世界は我々の行動で変えられる」というメッセージが込められているというのは気になるが…ラブ史劇は苦手なのだ。

 第4章は時代劇における「異民族」の扱い。21世紀に入った頃から少数民族の描写に対する見直し(一種のポリティカル・コレクトネス)の動きがあり、たとえば金庸『神雕侠侶』の悪役ラマ僧「金輪法王」は、読者の指摘を受けた作者自身によって「金輪国師」に改められた。あまり変わらないようだが、特定の宗教を連想させる「法王」よりはニュートラルな表現であるとのこと。また、帰属をめぐって韓国、北朝鮮と論争がある高句麗や渤海には、なるべく触れないことになっているという。民族対立における愛国の英雄・岳飛の物語が、近年敬遠されているというのは、ちょっと信じられないけどおもしろい。

 2019年の『大宋少年志』(未見)には「たとえ宋人の血を受け継いでいなくても、宋で生まれ育ったからには宋人である」というセリフがあるそうだ。著者がこれを『天龍八部』の蕭峰が聞きたかった言葉ではないか、と書いてくれたことには感謝。2003年版『天龍八部』で、宋人として育てられた蕭峰(胡軍)が自分の出自を知り「我是契丹人」と苦悩する場面は、今も忘れられないのである。

 第5章はジェンダーと宮廷物。該当作品が多いので難しいとは思うが、『瓔珞』だけでなく『如懿伝』にも触れてほしかった。『那年花開月正圓』と『成化十四年』を宦官の描き方から取り上げているのはよい視点。これらの作品に親しむと、陰険で強欲という、ステレオタイプな宦官しか登場しないドラマがひどく古臭く見えてくる。近年の中国時代劇は、女性、宦官、異民族などの描き方が多様化していて、しかも「ポリコレだから」というつくりごと感を与えない点が魅力だと思う。

 最後はいわゆる武侠物。『笑傲江湖』(未見)の正派と邪派の対立には、文革時代の政治的なレッテル貼りや政治闘争が反映されているのか。目からウロコが落ちたような指摘だった。それと『陳情令』が『笑傲江湖』のいわば本歌取りであるという説明もよく分かった。

 著者はあとがきで、近年の中国時代劇は、過去の歴史を語っているようで、「世界はこうあるべきだ」という理念を語っており、それが我々の生きる現実世界への異議申し立てになっている、と述べている。これは全く同意できるが、そもそも創作(文学、演劇)が歴史を扱うときの基本スタンスだと思う。歌舞伎や文楽の「時代物」もそうだし。中国の伝統演劇もそうではないのかな。

 最後に、中国時代劇のジャンル整理の中で「いわゆる時代劇」(日本の『水戸黄門』や『大岡越前』のような作品)が「近年は下火となっている」というのは、そのとおりだが気になった。私が中国時代劇にハマったのは、武侠物と並んで、『康熙微服私訪記』や『鉄歯銅牙紀暁嵐』などの「いわゆる時代劇」がひとつのきっかけだったので。あののんびりした朗らかさは、最近のドラマにはない魅力。またリバイバルしないかなあ。

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ポストコロナへ向けて/大学は何処へ(吉見俊哉)

2021-05-20 12:30:06 | 読んだもの(書籍)

〇吉見俊哉『大学は何処へ:未来への設計』(岩波新書) 岩波書店 2021.4

 大学に関する根本的な論考を発表し続けている著者の最新作。本書では、2020年の新型コロナウイルス感染症のパンデミックが浮かび上がらせた大学の窮状と、ポストコロナ時代の大学に対する提言が大きな比重を占めている。

 はじめに「大学の窮状」とその要因。今日の大学の疲弊は、大綱化、大学院重点化、国立大学法人化という平成時代の大学改革の失敗から来ている。ただしそれは、外部の強圧的な力によるのではなく、「大学とは何か」を真剣に主導的に考える責任を放棄してしまった大学自体によって生じたと著者は考える。

 そして歴史を遡り、日本の大学が1990年代以降の諸改革により深刻化する問題を抱え込んでしまった構造的淵源は、1930-40年代にあることを指摘する。まず総力戦体制下で理工医の応用研究機関が大増強され、戦後の新制大学移行によって旧制高校が廃止された。このことは、現在の(国立大学の)理系と文系の関係、リベラルアーツの問題に深い爪痕を残している。ちょっと面白いのは、東京帝大で理系大拡張の目玉となった第二工学部(千葉にあった)が、本郷の「旧体制」にはない自由闊達な雰囲気を持っていたという証言。

 また、戦後、新制東京大学の最初の総長だった南原繁は、旧制一高と東京高校を取り込み、教養学部を創設するにあたり、学内の保守派(帝国大学の威信を守ろうとする人々)の抵抗を巧みに避けながら、リベラルアーツの学びの実現に努力した。本郷(=タテ割り専門教育)と駒場(=ヨコ串教養知)の反目と共存、最終的には前者による後者の侵食、従属化の物語は大変面白かった。そして、終戦直後の日本には単科大学や専門学校にもリベラルアーツ構想があり、その代表が和田小六による東京工業大学の教育改革であるというのも、初耳だが(現在の東工大を見ていて)納得できるように思った。しかし、著者の言によれば「旧制高校に内包されていたリベラルアーツが、高等教育にとっていかに根本的かも認識されてこな」いまま、戦後の大学教育が進められ、1990年以降、深刻な袋小路に陥っていく。

 次に、あらためて2020年以降のコロナ危機がもたらした問題。オープン・エデュケーション、MOOC(大規模オンデマンド配信型授業)などに加え、少人数型教育のオンライン化を徹底した米国ミネルバ大学の挑戦を紹介する。同大はキャンパスを持たないが、世界各地に学寮を持ち、学生たちは世界各地の7つの都市(アジアではソウルと台北が入っている!)を集団で渡り歩きながら学びを深めていくという。「大学にとって真のキャンパスは都市そのもの」という認識にはとても共感する。オンライン授業には外部の実空間が必要だが、それは、これまでのようなキャンパス内の教室でよいのか?というのは重要な問題提起。そして学生が「オンラインの学びを携えて町へ出る」としたら、学びを支援する図書館やアーカイブがどう変わるべきかも考えなければいけないと思う。

 9月入学問題については積年の検討の歴史を踏まえて、問題の打開策を提言する。また、日本の大学に根強い年齢的な同質性にも苦言を呈する。社会人学生の割合が一向に増えない根本的な理由は、日本の社会が大学を「通過儀礼」としてしか捉えておらず、大学の「学び」の内容に関心も期待も持っていないためだという。これを打破する手がかりとして、通信制大学(オンラインの活用を含む)と高専が挙げられているのも面白い。

 最後に、山積する問題から「大学」を救い出せる主体は誰なのか?という問題。著者はブルデューの分析を踏まえて、大学教授の4類型(既成秩序維持派、大学構造改革派、専門的学術派、越境的言論派)を挙げ、概して教授たちの何割程度がそれぞれに該当しているかを示す。そして大学の改革を進めるには、ごく少数の構造改革派の教授たちが起こしていく動きを、学長が資金やポストの配分で適切に(ビジョンと決断力をもって)後押ししていく必要があるという。大学という組織の内情を知っていると非常に味わい深い。

 さらに味わい深いのは、改革が一定の成果を成果を収めたとしても、大学という組織では、ほぼ全ての新しい活動は加算的に展開されていくため、特定の教員に負担が集中し、挑戦的な人々を疲弊させていくという指摘。著者の体験が物語らせているのではないかと思う。そこで、教員とは別の一群の人々、大学職員への期待が述べられている。職員の雇用形態、キャリアパスにもさまざまな問題があるのだが、「それぞれの専門的な組織分野において、教員の意思から独立して意思決定し、責任も負」うことができる職員の育成が急務であると思う。

 最後に個人的メモ。著者には、この3月、東大出版会の南原繁記念出版賞表彰式の場でちょっとだけお会いした。「最近あまりない、大学らしいイベントでしょう」とおっしゃっていたことを思い出す。

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金峯山寺の金剛力士立像そのほか(奈良博・名品展)

2021-05-19 16:59:23 | 行ったもの(美術館・見仏)

奈良国立博物館・なら仏像館 名品展(2021年3月23日~)+特別公開『金峯山寺仁王門 金剛力士立像-奈良・金峯山寺所蔵-』(2021年2月23日~)

 吉野の金峯山寺の仁王像(金剛力士像)(南北朝時代)が来ているというので見に行った。館内に入るとすぐ、最も大きい中央の第6室に2躯の姿が見えた。しかし、現在の参観ルートでは、第1室から半周しないと中央ホールに行きつけない。面倒なので、他の部屋は後で見ることにして、まっすぐ中央ホールに向かった。

 入ると、片側(第7室側)の壁に背を向けて巨大な金剛力士像が立っている(あとで気づいたが、ちゃんと南面している)。

 後ろ側も覗き込める。背中の筋肉がたくましい。

 独鈷杵を振り上げる阿形像。吽形像は空手。

 ちなみに写真撮影はOKだが、一緒に記念撮影や自撮りは禁止されている。したくなるよなあ。

 興奮して、しばらく金剛力士像のまわりをうろうろ回ったあげく、気づいたら、向かいの壁際には、いつものメンバー、興福寺の広目天立像や元興寺の薬師如来立像が一列に並ばされていた。それぞれ、存在感のある仏像だと思っていたけれど、身高約5メートルという規格外の巨像の前では霞んでしまうのもやむをえない。

 奈良博のYoutubeチャンネルが搬入・展示の様子を公開しており、搬入には正面入口(人間が入館するところ)を使うしかないようだ。腕などのパーツを外し、仏像本体を寝かせて、幅も高さもギリギリである。動画の解説によれば、像の内部に銘文が見つかっており、阿吽像それぞれ延元3、4年(1338、39)南都仏師の康成の作と判明しているそうだ。後醍醐天皇が吉野に逃れて南朝を開いたのが延元元年(1336)で崩御が延元4年であることを思うと興味深い。また、作風は、南北朝時代よりひと昔前の雰囲気を伝えているという。金峯山寺仁王門の修理完成(2028年予定)まで展示されるそうなので、また何度か見る機会があるだろう。

 そのあと、あらためて他の展示室をゆっくり見た。ちょっと目新しい気がしたのは、奈良・松尾寺の十一面観音菩薩立像(平安時代、重要文化財)。黒い肌に金箔がまだらに残っている。彫りが浅く、温和な表情。左手に水瓶を持って胸の前に掲げる。奈良の松尾寺は行ったことがないので初見かもしれない。

 文化庁所蔵(額安寺伝来)の虚空蔵菩薩坐像(奈良時代)もどこか風変りで気になった。片足を踏み下げるポーズなのだが、膝の折り曲げ方が浅くて、まっすぐ脚を下しているようにも見える。調べたら、私は2016年に奈良博の『忍性』展で見ていた。こんな記事も見つけた。→観仏日々帖:トピックス~額安寺虚空蔵菩薩像、文化庁が購入・近年の文化庁購入仏像をみる(2016/1/8)

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桃山・江戸文化の輝き(大和文華館)+聖徳太子と法隆寺(奈良博)

2021-05-18 17:07:52 | 行ったもの(美術館・見仏)

大和文華館 『桃山・江戸文化の輝き』(2021年4月9日~ 5月16日)

 午前中に京都で展覧会を2つ見て、奈良へ移動。本展は、美術作品を愛好する層が広がり、多様な文化が育まれた桃山・江戸時代の絵画や書・工芸を展示し、活気に満ちた時代が生み出した文化の粋を展観する。同館の桃山~江戸前期の名品といえば、『婦人像』や『婦女遊楽図屏風(松浦屏風) 』などがすぐ浮かぶので、ぜひ見に行きたいと思っていた。来られてよかった。

 もちろんこれらの作品も出ていたが、まず目に留まったのは『阿国歌舞伎草紙』。それぞれB5判程度の小さな画面に「茶屋遊び」「念仏踊」の舞台と観客の情景が描かれている。濃密な色彩。「念仏踊」のほうは、赤い着物・垂髪の阿国に対して、舞台下で立ち上がる名古屋山三の亡霊。もみあげを長く伸ばした総髪の茶筅髷で、腰まで届く大きな数珠(?)を首飾りにしている。2013年にサントリー美術館の『歌舞伎』展で見ているのだが、ここ大和文華館で見た記憶があまりない作品である。また例によって、丸谷才一さんの芝居論を思い出してしまった。

 隣りにあった『忠信次信物語絵巻』も記憶にない作品だった。幸若舞『八島』に基づく内容で、絵入り絵本を巻子に仕立て直したものだろうとのこと。少ない色数、素朴で単純化された造形は、日本民藝館の『つきしま』などと同じ素朴絵の系譜である。しかし赤い血が飛び散る場面もあるとのこと。ええ、見てみたい。

 『千少庵書状』は、千利休の養子にして女婿の少庵(1546-1614)が西陣の織屋・井関妙持に宛てた短い書状で、この中に「俵屋宗達振舞可有之由候、御供可申候」(宗達が一席設けるから、一緒に行きましょう)という文言がある。実はこれ「俵屋宗達」と記されている唯一の史料であるらしい。珍品。その宗達の作品としては、蓬髪に横顔の『寒山図』。おばちゃんのパンチパーマみたいな髪の毛の部分は薄墨のたらし込みで描かれている。『僧形歌仙図』は、頬に朱を点じた美形の僧侶。宗達筆と伝わる白描淡彩の三十六歌仙絵(諸家が分有)のひとつだそうだ。

 このほか、絵画は又兵衛、探幽、光起、応挙、若冲、大雅などバランスよく目配りされており、石川大浪・孟高兄弟の洋風画も紹介されていた。工芸も蒔絵、やきもの、長崎ガラスに薩摩切子などバラエティ豊か。雪村が1点もないのは、秋の特別企画展を待てという意味だと思うので、仕方あるまい。

奈良国立博物館 聖徳太子1400年遠忌記念特別展『聖徳太子と法隆寺』(2021年4月27日~6月20日)

 「前売日時指定券をお持ちの方は優先入場」というシステムなので、念のため16:30の指定券を買っておいた。そうしたら、意外と早く着いてしまったので、仏像館をゆっくり見て、さらに少し待って入場した。このへんが事前予約システムの難しいところだと思う。

 本展は、令和3年(2021)が聖徳太子(574-622)の1400年遠忌にあたることを記念し、法隆寺の寺宝を中心に、太子の肖像や遺品と伝わる宝物、飛鳥時代以来の貴重な文化財を通じて太子その人と太子信仰の世界に迫る。新館入口を入ると、階段を上がって東新館ではなく、スロープを上がって西新館へ誘導された(この方式、2回目?)。最初の部屋から、迫力ある飛鳥時代の銅造仏が数件。山形の宝冠をかぶった菩薩立像(法隆寺所蔵)など、珍しいものがある一方で、あれ?これはどこかで?と思うものもある。実は東博の「法隆寺献納宝物」が多数来ているのだ。しかし、法隆寺宝物館よりも照明が明るくて、細部がよく見えるような気がした。

 おなじみ宮内庁所蔵『聖徳太子二王子像』も来ていた。これ奈良時代なのかあ(5/18からは模本展示)。『天寿国繡帳』は、東博および中宮寺所蔵の残片(きれいだった)がいくつか出ていたが、『天寿国繡帳』そのものは、東京展のみ展示という掲示が出ていた。夢違観音もいらしていた。法隆寺献納宝物の(もと法隆寺東院の絵殿を飾っていた)『聖徳太子絵伝』10面は、東博でもなかなか見ることができないもので、見られてよかった。

 聖徳太子像は、絵画・彫刻など各種あるなかで、法隆寺聖霊院の秘仏本尊という木造の坐像(平安時代)が興味深かった。豪華な冠を戴き、笏をとる姿。眉根をしかめた三白眼が怖い。一回り小さい侍者たち、山背大兄王、殖栗王、卒末呂王、高句麗僧の恵慈法師が付随しており、民芸品のように特徴的で親しみやすい表情をしている。美しいのは、髪をみづらに結った16歳の太子を描いた「孝養像」と呼ばれる肖像で、私が見たのは法隆寺所蔵(室町時代)だったろうか。山岸涼子先生の『日出処の天子』を思い出して、全く違和感がない。

 最後の東新館は、広いスペースを一体的に使い、焼失前の金堂壁画の雰囲気を原寸大の高精細写真(ガラス原板、白黒?)で復元している。また金堂東の間の本尊・薬師如来坐像と、四天王像から広目天と多聞天、六観音と呼ばれる6躯の菩薩立像などがいらしていた。この「六観音」は様式の混乱が見られる(というのは正確でないかも)、素朴で愛らしい不思議な一群である。私は2008年に法隆寺を参拝したとき、大宝蔵院でお会いしているようだ。

 最後に大好きな塔本塑像が、菩薩像・羅漢像など14躯も! 展示ケースのガラスに張り付いて、羅漢さんが悲しみのあまり開けている口の奥までのぞき込んでしまった。この塔本塑像は東京会場には出ないので、これだけでも奈良まで来た甲斐があった。『玉虫厨子』も奈良会場のみ。しかし『伝橘夫人念持仏厨子』は東京会場のみなので、やっぱり両方見ないわけにはいかない。

 これで1日限りの関西周遊を終えて、夕方の新幹線で東京に戻った。夕食は車内持ち込み。アルコール販売がないのでノンアルビールで静かに祝杯。

※そういえば2020年には東博で金堂壁画(複製等)が見られるはずだった:特別展『法隆寺金堂壁画と百済観音』(中止)

※ネット上ではこういう試みあり。解像度が高くて嬉しい。いい時代になった!:『法隆寺金堂壁画写真ガラス原板デジタルビューア

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