見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

祭りは血の匂い/文楽・夏祭浪花鑑(なつまつりなにわかがみ)

2017-07-30 23:16:15 | 行ったもの2(講演・公演)
国立文楽劇場 平成29年夏休み文楽特別公演 第3部サマーレイトショー『夏祭浪花鑑(なつまつりなにわかがみ)』(2017年7月29日)

 金曜日に京都で仕事があったので、土日は関西に居続けて遊んできた。ちょうど大阪で文楽が掛かっていたので、第3部だけ見てきた。夏休み公演の第3部は、だいたい2時間くらいで終わる構成で、忙しい現代人には合っていると思う。初めて文楽を見ようとする人にもおすすめ。今年は夏狂言の名作『夏祭浪花鑑』から「住吉鳥居前の段/釣船三婦内の段/長町裏の段」。

 私はこの名作狂言の名前だけは知っていたが、長いこと見たことがなくて、比較的最近、ようやく見た。と思ったが、過去のブログを調べたら、2012年の9月公演だから、全然「最近」じゃない。しかし、かれこれ30年も文楽を見ている私の感覚では、やっぱり「最近」なのである。

 「住吉鳥居前の段」は、喧嘩の罪で入牢していた魚売りの団七が赦免(堺から所払い)となって戻ってくる。それを迎えに来た老侠客の釣船の三婦(つりぶねのさぶ)、団七の妻のお梶、偶然通りかかった玉島磯之丞、傾城琴浦、一寸(いっすん)徳兵衛など、登場人物たちの込み入った人間関係が示される。次の「釣船三婦内の段」までの間に、磯之丞は道具屋の娘に見初められ、それを妬んだ番頭一味を殺してしまい、三婦の機転で死んだ番頭に全ての責任をなすりつけたものの、大坂を立ち退かなければならない苦しい立場にある。というのを、プログラムを読んで頭に入れておかないと展開がよく分からないが、まあダイジェスト上演なので仕方ない。ちなみに2012年の公演では「内本町道具屋の段」が上演されたが、逆に分かりにくかったので、今回の上演スタイルのほうがいいかも、と思った。

 今回、あまり配役を確認していなかったので、当日、劇場で買ったプログラムを見て「釣船三婦内の段」のお辰を遣うのが蓑助さんであることを知って驚いた。なんだか得をした気分。鉄火肌のお辰は、蓑助さん得意の雰囲気でないように思ったが、2012年の公演も蓑助さんだった。団七は勘十郎さん。早い動き、派手な立ち回りには華があったが、もう少しぞっとするような「闇」を感じさせてほしかったと思う。

 太夫は「住吉鳥居前の段」の口を語った咲寿さんがすごく巧くなっていることに驚いた。声質の変化なのかなあ。以前は声が若すぎて聞きにくかったのだが、老侠客の三婦の語りにも全く違和感がなかった。「長町裏の段」は団七を咲甫、悪人・義平次を津駒、三味線は鶴澤寛治。咲甫さんと寛治さんは、団七の浴衣に合わせた茶の格子柄の肩衣でおしゃれだった。咲甫さんの深みと安定感のある声に対して、津駒さんは声を聞いた瞬間に、去年の『伊勢音頭恋寝刃』の嫌みったらしい「お紺さ~ん」がよみがえってきた。男性にしては高めの弱々しく不安定な声が、小悪党の性格付けに絶妙に合う。あんまり憎々しいので、団七、早く斬ってしまえ、という気持ちになってくる。

 背景を通り過ぎていく赤い山車提灯とか雪崩れ込むだんじりとか、クライマックスの演出は、だいたい覚えていたとおりだった。しかし団七が義平次にとどめを刺そうと追い回すシーンはあんなに長かったかなあ。虫の息の義平次(あるいはもう死んでいるのか?)が、何度か幽霊のように伸びあがる演出は面白かった。そして、勘十郎さんの団七は、脱兎のごとく逃げ去っていくのだけれど、私は、団七の覚悟の現れとして、ゆっくり立ち去るほうが味わい深いと思う。

 なお、クライマックスの夏祭りは高津(こうづ)神社のお祭りである。関東育ちの私も、ようやく少し大阪の地理が分かって、現在の国立文楽劇場からさほど遠くない高津宮のことだと理解できた。いつか行ってみたい。
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夏の花・ノウゼンカズラ

2017-07-28 10:00:08 | なごみ写真帖
好きな夏の花は、アサガオ、ツユクサなどの涼しげな青系の花とは別に、強い陽射しに映えるノウゼンカズラ(凌霄花)。上野駅の近くで。



今日から仕事で関西、週末もそのまま。
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中華ドラマ『大軍師司馬懿之軍師聯盟』、看完了

2017-07-27 22:49:08 | 見たもの(Webサイト・TV)

〇『大軍師司馬懿之軍師聯盟』全42集(2017年、東陽盟将威影視他)

 日本の中国古装劇ファンの間で早くから評判を呼び、公開が待ち望まれていたドラマ。本国では、6月22日から7月14日まで放映された。放映が始まるや否や、期待以上という評判が聞こえてきたので、ネットで視聴できるサイトを探し出して、本国の放映にあまり遅れることなく全話完走した。こんなことができるなんて、ほんとにいい時代になったものだ。

 主人公は三国時代(2-3世紀)の武将・司馬懿、字(あざな)は仲達。魏の曹操・曹丕に仕え、五丈原で諸葛孔明の蜀軍と戦ったことが有名であるが、本作では武将の面影はなく、風采のあがらない文官として描かれる。曹氏との権力闘争を制して魏国の全権を握り、没後、孫の司馬炎が晋(西晋)を建てたので宣帝と追号された。ドラマは、まだ部屋住みの書生にすぎない司馬懿と妻の張春華の間に最初の子供が生まれるところから始まる。難産に苦しむ張春華を救ったのは名医の華陀。その頃、曹操は頭痛に悩み、華陀を招いたが、官界からの引退を勧められて激怒し、華陀の交友関係を洗うように命じた結果、司馬懿の存在を知る。同じ頃、司馬家には郭照(阿照)という若い娘が、身寄りをなくして引き取られていた。阿照は、ひょんなことから曹家の二公子曹丕と知り合い、互いに惹かれ合って、ついに自らの意思で曹丕に嫁ぐ。

 こんな感じで、けっこう自由に史実や伝承を改変しながら、(史実よりも)緊密な人物関係を作り出して、視聴者を引き込んでいくところが巧い。その後も、ここは息抜きだろうと笑って見ていたエピソードが、じわじわ戦慄の大事件につながっていく展開の巧さに何度も唸った。そして何よりも登場人物が、善悪を超越して魅力的である。

 前半は、やはり曹操がいい。すさまじく酷薄であると同時に有能で先見性に富み、家族愛と人間味の持ち主でもある。ある意味、中国人の理想の「為政者」かもしれない。演者の于和偉があまりにもハマり役で、2010年の『三国』(スリーキングダム)で劉備を演じたというのが、見ていない私にはちょっと信じられなかった。前半では、父親との関係に悩む、おおらかでまっすぐな青年だった曹丕(李晨)が、権力の掌握とともに嫉妬や猜疑心にとらわれ、どんどん地獄に落ちていくのは後半の見どころ。日本の大河ドラマ『平清盛』で清盛を演じた松山ケンイチを思い出した。

 曹植(王仁君)は気弱で優しい青年だが、思慮が足りず、周囲の思惑に流されていく。曹植をかついで天下を取ろうとした楊修(翟天臨)の野心家ぶりも魅力的だった。このドラマ、剣を交える戦闘シーンは少ないが、文官たちが命をかけた頭脳戦・弁論戦を繰り広げ、息つく暇もない。前半は荀彧(王勁松)もよかったなあ~。『琅琊榜(ろうやぼう)』の言侯である。曹操との間に、信頼、尊敬、友誼を共有しながら、死を賜り、漢への忠節を守って死んでいく。

 曹家の骨肉の争いに比べて、司馬家はいつもわちゃわちゃと仲良しで和む。私は司馬懿の三弟・司馬孚(王東)が好きなのだが、若い頃に阿照に失恋してから、最後まで一家を構える描写がなかったので心配。幸せになってほしい。女性陣は、司馬懿の妻・張春華が劉涛(リウ・タオ)、『琅琊榜』の霓凰公主である。本作でも剣に覚えのある強い女性(強すぎるw)の役だが、愛する夫に容赦のない、粗野な田舎のおばちゃんキャラでもある。のちに司馬懿の側室となる柏靈筠(張鈞甯)との描き分けを強調するためなのだろう。

 卑賤の身から皇后となった郭照(阿照)を演じるのは唐芸昕、『隋唐演義』で覚えた女優さんで、美人ではないが愛嬌があって好きだ。ベビーフェイスなので、皇后となってからの威厳や複雑な心理を、今後どう表現できるかが気がかりではある。逆に、曹丕のもう一人の妻・甄宓を演じた張芷溪は、凛とした正統派の美人。これは誰からも愛されて当然と思ったのに、薄幸な生涯だった。

 主人公の司馬懿役は呉秀波(ウー・ショウポー)。智略に長け、行政の手腕もあるのだが、目立つことはしない。「戦々兢々、如臨深淵、如履薄氷」(出典は詩経)が信条。権力者の前で、眠り猫のように背を丸め、深々と跪拝する場面が何度もあって印象的だった。でも、そうやって慇懃に振舞い、相手を立てながら、粘り強く自分の主張を通していく。泰平の世を望んでいるけれど、根本は司馬家の幸せのためというのが、最近の大河ドラマ『真田丸』や『おんな城主直虎』に描かれた国衆の姿を思わせなくもない。本作は、郭照が皇后に立てられ、曹叡(甄宓の子)が皇太子となり、司馬懿は罪を得て官職を離れ、田舎に帰るところで終わるが、『軍師聯盟』第二部「虎嘯龍吟」が着々と準備されているらしい。待ち遠しい!

 本作の魅力だが、脚本は言うに及ばず、美術が素晴らしい。武具、調度品、衣装も素敵。いろいろ美味しそうな食べものが出てくる。劇伴音楽がとてもいい。それから、ネット(主に楓林網/Maplestage.com)で視聴していたのだが、毎回「軽松一刻(ちょっと一休み)」と称して、本編の出演者によるCMが入るのが楽しかった。ネット配信ではCMがスキップされがちというけど、こういう楽しいCMなら何度でも見る。

※後編感想はこちら→『軍師聯盟之虎嘯龍吟

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文豪と二人の弟/森家三兄弟(文京区立森鴎外記念館)

2017-07-24 21:24:24 | 行ったもの(美術館・見仏)
文京区立森鴎外記念館 コレクション展『森家三兄弟-鴎外と二人の弟』(2017年7月7日~10月1日)

 鴎外記念館の展示はときどき見に行くが、よくネタを見つけてくるなあと感心している。今回は、森鴎外(1862-1922)と二人の弟にスポットを当てる。5歳年下の篤次郎(とくじろう、1867-1908)と17歳年下の潤三郎(じゅんざぶろう、1879-1944)である。鴎外関係の著作を読んでいると、しばしば出会う名前だが、あらためて知りたいと思って見に行った。

 三人の生涯を並べた壁の年表にしばらく見入ってしまった。篤次郎は、三木竹二の筆名を持ち、鴎外と共に西洋詩や演劇論を翻訳し、鴎外主宰の雑誌『しがらみ草紙』『めさまし草』などの編集にも関わった。しかし、鴎外と同じく本業(?)は医者で、帝国大学医科大学を卒業後、帝大附属第一医院脚気病室(!)の助手となり、駒場の農科大学で校医をつとめたりした。その後は診療所を開設して医者をしながら、劇評などの文筆活動もおこなった。いいなあ、こういう趣味と本業の両立生活。本業の医学に関しては、鴎外らが刊行した雑誌『公衆医事』を手伝い、発行所を篤次郎の自宅に置いた。展示品の中には、明治39年の雑誌『歌舞伎』に寄稿した「玉藻前の狂言に就て」があって内容が気になった(9月の文楽公演は『玉藻前曦袂(たまものまえあさひのたもと)』なので)。明治37年の市川団子からの葉書があったが、これは二代目市川猿之助なのだな。明治41年の雑誌『歌舞伎』第100号の表紙には「故三木竹二君追悼号」とある。

 篤次郎は、明治41年1月10日に享年40で早世した。自筆の『鴎外日記』1月11日条が展示されており、(大坂への出張の帰途)新橋の停車場で潤三郎から篤次郎の急逝を聞いたこと、「医科大学病理解剖室において剖観せんとす」と聞いて、直ちに大学に往き、病理解剖に立ち会ったことが記されている。日記には記述がないが、解説によれば、鴎外は悲しみと疲れから卒倒したらしい。日記には、帰宅後「二男不律八日より咳漱すると聞く」という付け足しがあり、壁の年表で、この年、不律が生後半年で亡くなったことを見ているのでつらかった。

 潤三郎は、鴎外の両親たちが上京したあと、向島の生まれである。東京専門学校の史学科を出て、東大資料編纂掛(という表記だったと思うが、今の史料編纂所のことか)に勤務し、30才で京都府図書館の書記になり、司書に昇進した(書記より司書がえらいのか。なるほど)。大正4年、大正天皇の即位式に出席するため、京都を訪れた鴎外は潤三郎の家に滞在し、合間に寺や古人の墓をめぐっている。展示の『盛儀私記』(活字版だが私家版)には、嵯峨野にある伊藤仁斎、東涯の墓所を詣でたことが記されていた。その後、潤三郎は東京に戻って、東京帝国大学伝染病研究所(今の医科学研究所)の図書室に勤務していたというのにも驚いた。医科研の図書室を探したら、何か勤務の痕跡でも出てくるだろうか。篤次郎が医学と演劇論で文豪・鴎外の前半生を伴走したように、潤三郎は、鴎外が晩年に取り組んだ史伝小説において、史料蒐集や調査を引き受けた。まるで計画されていたような、二人の弟の役割分担である。

 展示品に蘆舟手記『廉塾雑記』という冊子があった。蘆舟は陸奥の僧で廉塾(菅茶山の私塾)の書生という説明があり、『北条霞亭』の資料であるとのこと。無罫の和紙や罫紙にいろいろ書き留めたものが綴じられている。表紙は見えなかったが、鴎外自筆の題箋が付くそうだ。苦笑したのは「東京大学附属図書館に寄贈されたが、潤三郎が取り戻して所持していたという」との説明。鴎外の旧蔵書が東大に寄贈されたのは大正15年(1926)1月のことだ。潤三郎は、鴎外の業績や実像を正しく後世に残そうと全集や評伝の刊行に努めたというし、東大に遺贈した鴎外旧蔵書の行方についても、いろいろ気を揉んでいたのではないかなあと想像する。東大附属図書館が、一般の蔵書に紛れていた鴎外旧蔵書を集めなおして別置したのは今世紀の仕事だが、今の状況に潤三郎氏は満足してくれるだろうか。
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門前仲町グルメ散歩

2017-07-23 22:02:52 | 食べたもの(銘菓・名産)
4月から門前仲町の賃貸アパートで暮らし始めたが、平日は帰りが遅くて街を探索している暇がない。週末も何かと慌ただしかったが、ようやく少し余裕が出てきて、ネットや雑誌で気になったお店に行ってみることができた。

まず、1軒目は永代橋のたもとにある「リコプラス(Rico+)」というカフェ。土日祝日は朝8時から営業していて、朝食メニューがあると聞いて行ってみた。「あさパン」「あさデリ」「あさサンド」のセットがあったので、野菜たっぷりの「あさデリ」にしてみた。冷たくてほのかに甘いスイープつき。





これはいい休日の楽しみができた。

食後、清澄方面へぶらぶら歩いて「コトリパン」に寄る。ここは、以前、午後に来てみたら「売り切れ閉店」だったお店。この日は、小さな店内に多種多様なパンがいっぱい、そしてお客さんも誇張でなく目白押し状態だった。買ってきたのは4種。たまたま、みんな丸いパンになってしまった。



新しい生活圏で、美味しいパンやさんをずっと探していたので嬉しい。少し歩くけど、これから贔屓にしよう。

最後に、土曜日はあまりに暑かったので、深川不動堂の門前の「伊勢屋」で一休みした。老舗の和菓子屋として名前は知っていたけど、実はお惣菜やコロッケも売っていて、併設の甘味処にはラーメンや中華定食もある不思議なお店。



チョコレートパフェは、昭和のデパートの大食堂を思い出す伝統的な味とスタイル。生クリームとアイスクリームの黄金比に加わる缶詰フルーツの甘み。次回はかき氷も食べてみたい。
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植物として器として/URUSHIふしぎ物語(国立歴史民俗博物館)

2017-07-22 23:54:08 | 行ったもの(美術館・見仏)
国立歴史民俗博物館 企画展示『URUSHIふしぎ物語-人と漆の12000年史-』(2017年7月11日~9月3日)

 縄文時代から現代まで、12,000年に及ぶ日本列島の漆文化を総合的にとりあげる初めての展覧会。平成25年度から27年度にかけて行った、美術史学・考古学・文献史学・民俗学・植物学・分析科学など文理融合の展示型共同研究「学際的研究による漆文化史の新構築」の成果発表である、と展示趣旨にいう。また、植物には「ウルシ」、塗料や工芸品には「漆」、それらを包含することばとして「URUSHI」を用いるという説明がある。

 冒頭は、植物としてのウルシについて。そもそも分類学的に、ウルシが他のウルシ属から区別されて確定したのは、2004年のことだというのに驚く。ウルシには、中国湖北省、河北省に分布する「湖北・河北省型」と、日本、韓国、中国遼寧省、山東省にある「日本型」、浙江省と山東省にある「浙江省型」がある。「日本型」と「浙江省型」の遺伝子型は非常に近い。また、山東省と遼寧省の「日本型」ウルシは自生だが、韓国と日本のウルシは全て栽培か、その野生化したものである(それなのに「日本型」という命名はどうかと思うが)。日本には、本来的に野生のウルシは存在しない、というのが、かなり衝撃だった。

 にもかかわらず、縄文時代草創期(1万2600年前)の遺跡(福井県)からウルシ木材が見つかっており、9000年前の北海道垣ノ島B遺跡(函館)からはベンガラ漆塗り製品が見つかっているという。まあ、文化圏というものが、今の「日本」の国境とはずいぶん違ったんだろうなと思う。

 現在、国産漆の70パーセントは岩手県二戸市浄法寺町で産出されている。浄法寺塗の名前は知っていた(よく日本民藝館で見る)けど、漆の産地でもあったのか。シェア70パーセントはすごい。しかし職人は20数名で、悩みは後継者不足と聞くと暗い気持ちになる。漆の収穫(うるしかき)の道具や作業服が展示されていたが、重労働だろうなあと感じた。

 次に国内で発掘・発見された漆文化の遺品を見ていく。縄文時代の漆製品には、すでに赤色漆と黒色漆があり文様を描くものもある。木製品に塗ったり、土器に塗ったりしている。弥生前期には赤色漆が出土するが、やがて大陸の影響を受けた黒色漆が多くなり、弥生後期~古墳時代は「漆黒」の時代となる。長屋王邸の漆器セットの復元があったが、黒一色だったなあ。飛鳥時代には漆工房の遺構が見つかっている。古代から近世まで、漆壺の蓋に使われた反故紙「漆紙文書」の実物も面白かった。中世には、黒い漆器に赤で文様を加え、華やかさが演出された。「型押漆絵」は鎌倉及び鎌倉幕府と関係の深い地域から出土する個性的な技法だというが、絵柄は素朴で稚拙なもの。幕府滅亡後、ほどなく衰退したという。

 漆工技術にはさまざまな種類がある。あまり意識していなかったが、天平彫刻の脱乾漆像も「漆」製品である。古代においては高貴な人物の埋葬に漆塗りの棺が用いられた。中でも最高級品が「夾紵(きょうちょ)棺」である。「夾紵」という文字に見覚えがあったのは、大倉集古館で「夾紵大鑑」という大きな盥(たらい)を何度か見ていたからだ。本展では、参考情報であったけれど、大阪・安福寺に夾紵棺の一部とみられる長大な板が残っているというのを覚えておこうと思った。

 それから、平文(ひょうもん)・螺鈿・蒔絵などの伝世の名品を展示。一部(正倉院宝物)などは模造品だが、雰囲気が分かればそれでよい。私はどちらかというと『二月堂練行衆盤』みたいな、赤と黒だけの漆製品が好きだ。色漆については、途中の「コラム」で、近代以前は赤、黒、黄、緑、褐色の五色しかなかったという説明を興味深く読んだ。逆にこの五色を全て使っているような製品は、とても豪華だったのかもしれない。なお、赤(ベンガラ)と異なる朱漆は有害な水銀朱を用いるため、現在は文化財修復など一部でしか使われないという。

 ウルシの使いみちは塗料だけではない。木材としてのウルシは軽いので、ウキになるというのは知らなかった。あと、ウルシの実を使ったコーヒーが韓国にあるというのも初耳。鶏鍋にも入れるそうだ。漆の民俗・伝承に紹介されていた「椀貸し淵」は私の好きな話。水底に沈んだ漆を発見する「木龍うるし」は、木下順二の再話で読んだ記憶がよみがえった。

 後半(第2会場)は漆製品の流通に注目し、日本にもたらされた唐物漆器や、日本から輸出された南蛮漆器、長崎青貝細工などを展示。私は、国内の産地と流通の変化が興味深かった。江戸初期には中世以来の根来が絶えて、大坂・京都が最上品となる。明治初期の有力産地のうち、輪島塗、会津塗は今でも健在だが、和歌山の黒江塗、静岡の駿河塗は知らなかった。漆器は、陶磁器と違って窯跡が残らないので、厳密に生産地を特定できない、という解説になるほどと思った。
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大皿小皿+「つきしま」異本/やきもの勉強会(根津美術館)

2017-07-21 21:34:22 | 行ったもの(美術館・見仏)
根津美術館 企画展『やきもの勉強会 食を彩った大皿と小皿』(2017年7月13日~9月3日)

 タイトルに「勉強会」とあるので、「はじめての古美術鑑賞」シリーズの企画かと思っていたら違った。ホームページを見ると「毎日の生活の中で使っている『皿』に焦点を当て、大きな皿や小さな皿が食卓で使われる文化とその時代を考えてみました。人々はいつ頃から皿を使うようになったのでしょうか。『盛る』という食事の文化が現れたのは、いつ頃のことでしょうか」とあって、色や形を鑑賞するだけでなく、文化史的な背景を考えるという趣旨から「勉強会」を称しているらしい。もちろん、ただ見えるものを楽しむだけでも構わない。

 展示の冒頭にあるのは中国古代の陶器皿で、ははあ、時代順に並んでいるのだな、と思う。ここで興味深いのは「大皿はいつから?」という問題提起である。古代の土器の時代には、大皿が見られないそうだ。それって、大皿を焼ける技術がなかったからじゃないかな? 6世紀~9世紀につくられた皿は、確かにどれも小さくて、現代の食卓でいうしょうゆ皿くらいである。余談だが、一人暮らしの私は、おかずを一品ずつ別の皿に盛るのが習慣で、小皿や小鉢を愛用している。展示品の、蓮華文の白釉皿や青磁の鳥文皿など(9世紀、唐時代)、自分の食卓に欲しくて見とれていた。

 中国では12世紀頃になると、団子のようなものを山盛りにした大皿を描いた壁画があるそうだ。13~14世紀の南宋から元の時代には青磁の大皿がたくさんつくられ、特に元は「超大皿」の時代とも呼ばれることは、展示品を見ると納得できる。しかし、これらは本当に料理を盛って使ったのだろうか?

 会場には、さまざまな食卓を描いた絵画史料もパネルで紹介されていた。日本の『絵師草紙』では、家族めいめいが四角い盆に器を乗せ、盆を床に置いている。『慕帰絵詞』は、たぶん身分の高い人々の食事で、脚つきのいわゆる銘々膳を使っている。『春日権現記絵』では、塗り物らしき大きな器に団子のようなものを盛った様子が描かれる。『芦引絵』の僧侶の食事では、それぞれ高坏のような台を使っている。あとトルコのミニチュア―ルに描かれた食事風景では、テーブルの中央にスープ(?)の入った浅い大きな鉢があり、まわりを囲んだ人々はスプーンだけを持っている。めいめいの前に置かれた三角形のものは、ナプキンか? どう見ても皿ではない。

 不思議に思いながら、展示品を見ていくと、直径3~5cmの、まるで雛道具のような超ミニ小皿があった。「手塩皿」といって、皿が普及する以前、人々はてのひらに塩を置き、食べ物につけて食べていたので、その名残りだという。また、イスラム文化は大皿好みで小皿を使わなかったという説明があり、さきほどのトルコの絵を思い出して納得した。

 明清時代は精巧な皇帝の器がつくられる一方、味のある民窯の器も生産された。ここでも(というのは、日本民藝館のあとに寄ったので)呉州赤絵、呉州染付をたくさん楽しむことができた。『古染付四牛図皿』面白かったな。四頭の牛と牧夫の姿をいろいろなバリエーションで描いたもの。これ欲しい。

 続いて日本では、桃山~江戸初期には大皿がつくられたが、江戸中期には小皿が好まれ、後期には、中国の新しい文化の影響で、また大皿がつくられるようになったという。なるほど~この流れは初めて把握した。

 さて、上の階にあがって、展示室5は「舞の本」特集。『築島』(室町時代)『静』(室町時代)『高館』(江戸時代)という、全くテイストの異なる3種の絵巻が出ていた。驚いたのは『築島』で、日本民藝館所蔵の『つきしま(築島物語絵巻)』の別バージョンではないか!!! あまりにも絵の雰囲気が違うので、はじめ気づかなかったが、よく見ると、絵2(岩山を切り崩す)とか絵3(牢屋)、絵9(籠に入れられた人柱候補と屋敷の中の清盛)など、基本的な構図は同じなのだ。しかし、筆致は民藝館本ほどゆるくない。馬は馬らしく描かれている。面白いのは、絵7のように、墨画ふう(雪舟ふう)の山水の表現が見られること。かと思えば、隣りの絵6は、子どもの絵のように稚拙だったりする。

 むかし、矢島新先生が講演で「根津美術館にほぼ同じ図様の絵巻がある」と語っていたことは、かすかに覚えていたが、ついに見ることができて嬉しい。同じ講演で紹介していた東覚寺の十王図も、最近、三井記念美術館の『地獄絵ワンダーランド』で見ることができたし、見たいと思い続けていると、いつかは叶うものなんだな。
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よりよい社会のために/入門公共政策学(秋吉貴雄)

2017-07-19 23:51:09 | 読んだもの(書籍)
〇秋吉貴雄『入門公共政策学:社会問題を解決する「新しい知」』(中公新書) 中央公論新社 2017.6

 公共政策学というのは、私の学生時代にはまだ一般的でなかった新しい学問である。本書によれば、日本で総合政策学部や政策科学部といった公共政策関連の学部が開設されたのは1990年代からだというが、ズバリ「公共政策」を名乗る学部や研究科が増えたのは、もう少し後ではないかと思う。そして、これらの組織には、けっこう私の好きな論客が所属していたので、よく分からないけど気になる学問だと感じていた。

 公共政策学とは、社会で解決すべき問題と認識された問題(政策問題)をどのように解決するか(公共政策)を考える学問である。政策問題は、往々にしてさまざまな問題が入り組み、複雑に絡み合う形となっている。経済開発と環境保護のように、ある政策問題の解決が他の問題を悪化させる場合もある。立場や見方によって異なる問題として定義される場合もある。また、社会状況の変化に伴って、問題の要因や構造が変化していく場合もある。そのため、政治学、経済学、社会学など従来の社会科学では、うまく対応できないのである。これはよく分かる。従来の社会科学の弊害として「過度の専門分化」「総合性の欠如」「学問のための学問(現実問題への関心の希薄化)」が指摘されている点は全く異論がない。

 次に、公共政策学による問題の取り扱い方を「問題の発見・定義」→「解決案の設計」→「政策の決定」→「実施」→「評価」という5段階のプロセスにしたがって見ていく。各段階ごとに異なるモデルケース(事例)を取り上げているので、説明が分かりにくくならないかな、と心配したが、それほどでもなかった。入門の名にふさわしく、よくできた教科書である。

 「問題の発見・定義」で、「望ましくない状態」が自動的に「問題」になるのではなく、誰かが気づかなかれば「問題」にならない、という指摘は面白かった。例にあがっているのは「少子化」だが、「〇〇ショック」と呼ばれて一時的に注目を集めでも、時間が経つと、改善が見られたわけでもないのに関心が薄れていく。そしてまた、突如、騒ぎ始める。あるある、と言いたくなるような人間の(日本人の?)性向である。問題の見方を変えること(リフレーミング)も大事。他国には「少子化」というフレーミングがなく、日本の少子化対策に類する政策は、女性だけでなく家族に焦点をあてた「家族政策」として行われているという。

 また、問題の状況を論理的に分析する方法として、「階層化分析」や「問題構造図」が紹介されているのも面白かった。私はこういう手法を習ったことが一度もないが、ちゃんと身に着けていたら、どんな仕事でも、ずいぶん役立つのではないかと思う。

 次に「解決案の設計」は、現状把握→将来予測→基本計画策定→手段の検討(費用便益分析、リスク確認)→法案の設計と進む。現状把握のための調査・分析は外部委託してもいいとか、将来予測もシンクタンク等に委託してもいいが、多額の資金が必要なため、現状調査のみで解決案を検討してしまうことが多い、という指摘は耳が痛い。費用便益の計算では、将来発生する便益や費用は、ちゃんと現在の価値に換算しなければならない。数学嫌いは政策づくりに向かないのである。

 続く「決定」「実施」では、実際に国の政策が決まるプロセスが少し分かるようになった。「審議会」や「検討会」の役割、むかし習った社会科の教科書にはたぶん出てこなかったと思う「規制改革会議」とか、さらには「政務調査会」や「議員連盟」などの綱引きを経て法律が制定されると、担当府省は、政令、省令、通知・通達などによる準備をととのえ、現場(地方自治体など)で政策が実施される。政策によっては、行政機関以外の民間企業やNPO法人を通じて実施されることもある。ここまでは、だいたいよく分かった。

 問題は次の「評価」である。公共政策は、その効果を測定し、改善を図らなければならないと聞けば納得する。たとえば、学力向上を目指す政策について、適切な効果が生まれたかどうか、「業績(パフォーマンス)」を計測することはできるだろう。「産出(アウトプット)」と「成果(アウトカム)」の違い、「ベンチマーキング」「インパクト評価」など、評価にまつわる用語を、この際、しっかり理解しておくのはいいことだ。

 しかし、冒頭に述べられていたように、政策問題とは複雑なものだ、ということを思うと、単純に学力指標が上がったとして、それでいいのか(ほかに悪影響はないのか)という懸念を、余計なことかもしれないが、どうしても持ってしまう。そのあたりは、最終章で多面的な考察が展開されている。「公共」も「政策」も一筋縄では行かない、という感じがした。
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古代中国の文物とともに/色絵の器(日本民藝館)

2017-07-17 21:58:42 | 行ったもの(美術館・見仏)
日本民藝館 特別展『色絵の器-天啓赤絵・呉州赤絵・古伊万里赤絵-』(2017年6月27日~8月27日)

 明末に江西省の景徳鎮民窯で焼かれた天啓赤絵、福建省の漳(ショウ)州窯で焼かれた呉州赤絵、九州・肥前地方の伊万里焼を中心に色絵の器の魅力を紹介する展覧会。 私は、これら民窯の磁器が大好きなので、炎暑の中、がんばって見に行った。

 最初は2階の大展示室から。中央に小さな展示台があるだけという、空間の広さを感じさせるレイアウト。木製の展示ケースの間に拓本の軸が何枚か下がっているのが、面白い取り合わせだと思う。展示ケースには、まず中国の古染付が並ぶが、明代の『芦葉達磨文火入れ』、明末の『網文振出し』、清代の『色絵草花文水注』、どれもいい。手のひらになじむくらいの小品なのが、とってもいい。比較的大きな皿で、赤と緑の対比が美しい呉州赤絵(青呉州)の『仙境文皿』は、何度か見たことがあって好きな作品。その下の棚には後漢時代の印文塼が出ていて、めずらしかった。中央に二人の人物立像(夫婦?)を刻む。

 天啓赤絵はゆるい感じの人物文が並ぶ。羅漢、漁夫、周茂叔など、見ているだけで口元がゆるむ。いや花鳥文もゆるい。そして、全く時代は違うのだが、漢代の画像石(拓本)の人物や動物のゆるい造形と、なんとなく共通するところがある。明代の青呉州『回教文字文皿』とか、天啓赤絵(でも青色が主)の『波文輪花形皿』とか珍しいものも見た。

 漢代の『厨子型明器』は、高床っぽい扉付きの建物を表しているが、前面の左右を支える脚が熊(?)だった。鼓を抱えた楽人坐像(南北朝~唐代)は天龍山石窟由来という説明がついていた。大展示室の外に展示されていた印文画像塼は小さな人物がたくさん刻まれていて面白かった。色も鮮やかだったが、本来の著色かどうかは分からない。明器っぽい陶牛や女性の陶俑もあって、どっぷり古代中国趣味に浸れた。2階の階段まわりに、杵で薬を搗く玉兎とヒキガエル(に見えない)の拓本があり、これも中国の画像石?と思ったら、沖縄・首里の観蓮橋の勾欄のものだと説明にあった。あと、私の大好きな書の拓本『開通褒斜道刻石』も階段の裏にさりげなく展示されていた。

 関連展示「日本の漆工」は大津絵と合わせて。「中国・朝鮮の絵」はいろいろ面白く、朝鮮の『猫蝶図』が、壁掛け状態ではなく、平置きの展示ケースに入っていたので、顔を近づけて、じっくり見ることができた。つややかな毛並みの黒猫、暑さにバテたマレー熊みたい。伝・明宣宗(宣徳帝)筆『狗図』は、もったいぶった大きな朱印の上に「御筆」と墨書されているが、まあ何も言わないでおこう。白黒のふわふわ愛玩犬と、さらに小さな黒い子犬を描く。白黒の犬は舌を出して、愛嬌たっぷりの表情。2階はほかに「朝鮮時代の陶磁」と「工芸作家の色絵」。バーナード・リーチの器で内側に「我孫子」と墨書したものが気になって調べたら、リーチさんは我孫子に住んでいたのか。「私の孫子」の意味をもつ漢字に興味をもったのかなと想像したが、どうだろうか。

 階段エリアは、右に城郭文の色摺りの幟、左も久留米の絵絣で城郭をあらわしている。展示ケースには日本の色絵(伊万里、九谷)が各種、並んでいたが、小さな伊万里の『色絵山水文蓋壺』が目について、すごく気に入ってしまった。赤、青、緑を用い、水彩画のような筆遣いで愛らしい。ほか1階は「日本の古陶」「日本の諸工芸」そして、色とりどりの「日本の絞り染」に涼を感じた。
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ゆるくて、なつかしい/地獄絵ワンダーランド(三井記念美術館)

2017-07-16 23:29:01 | 行ったもの(美術館・見仏)
三井記念美術館 特別展『地獄絵ワンダーランド』(2017年7月15日~9月3日)

 いや~暑い。5年ぶりに体験する東京の夏は気が狂いそうに暑い。こういうときは、やっぱり幽霊、妖怪、それに地獄である。本展は「怖れ」と「憧れ」の象徴としての地獄と極楽の美術を通じて、日本人が抱いてきた死生観・来世観を辿るもの。ただし怖いばかりでなく、近世になって描かれた、どこか楽しく笑える民衆的な地獄絵なども紹介する。

 展示は、水木しげるのカラー肉筆原画から始まる。冒頭に奪衣婆、次に閻魔大王、それから八大地獄と浄土を、水木少年とのんのんばあが訪ねてまわる。なるほど、八大地獄とは、等活地獄、黒縄地獄、衆合地獄、叫喚地獄、大叫喚地獄、焦熱地獄、大焦熱地獄、阿鼻地獄(無間地獄)というのね。等活地獄は、殺生を犯した者が落ちるところ。黒縄地獄は、殺生+盗み、衆合地獄は、殺生+盗み+邪淫を犯した者と、罪が増えるごとに、一つずつ下の地獄に落ちていく。ん?ということは殺生戒さえ守っていれば、飲酒や妄語を犯しても地獄には落ちないのか。意外と合理的な教えのような気がした。

 続いて「日本の地獄の原点」というべき源信の『往生要集』を展示。建長5年(1253)の現存最古の版本で、黒々した墨付き、均整のとれた四角い漢字が美しい。西本願寺伝来だそうで、大谷大学図書館所蔵。ここから、さまざまな地獄のビジュアルイメージ、六道絵や地獄絵、十王図が展開する。滋賀・聖衆来迎寺の六道絵は江戸時代の模写(文政本)、地獄草紙は明治期の模写だったりするのいは仕方ないところ。京都・誓願寺の『地蔵十王図』(南宋時代、ほんとか?)は冥官の赤や緑の官服など、かなり鮮やかな色彩が残っている。十王の背景の衝立に墨画(樹木など)が描かれているのが気になる。冥官がぶ厚い帳面を抱えているのが中国の官僚っぽい。當麻寺の『十王図』は地蔵菩薩図、阿弥陀三尊図を加え、計12図を六曲一双屏風に仕立てる(展示は一隻ずつ)。南北朝~室町時代の作だというが、かなり宋元画の雰囲気を残していると思う。

 立山の山中に地獄と極楽が同居している『立山曼荼羅』(江戸時代)は、あまり見たことのないもので面白かった。前期は美麗な彩色画(個人蔵)が出ているが、後期の三重・大江寺本はゆるい「素朴絵」ふうである。八代目市川団十郎の死絵で笑ったあと、いよいよ最後の展示室は「地獄ワンダーランド」である。

 葛飾区・東覚寺の『地蔵・十王図』(13幅のうち10幅)には感動した。小学生が素直な心のままに描いたような十王図。こわいけどこわくない、大好きなお父さんか先生の顔を描いたみたい。うち何枚かに全身白装束の人物(女性?)が描かれている。裾の長い白い衣。髪も白い?白い頭巾(ベール)なのか? キリシタンの姿ではないかという推定があるそうだ。どこかで見たことがあるような気がして、あとで調べたら、矢島新氏が著書『かわいい仏像、たのしい地獄絵』で紹介しているほか、日本民藝館での講演会(2013年)でも言及されていた。キリシタンのことも。

 日本民藝館から屏風仕立ての『十王図』(四曲一隻)も出ていたけど、これはあまり見た記憶がないものだった。後期の八曲一双屏風のほうが、ゆるさが極まっていて好き。愛知・観音院の『孝子善之丞感得図絵』も面白かった。孝行息子の善之丞は地蔵菩薩に導かれて、地獄・極楽めぐりをする。これ嬉しいのか?と疑うが、地蔵菩薩とひとつ雲に乗り、怖いながらも好奇心いっぱいに地獄をのぞく善之丞少年がかわいい。のんのんばあと水木少年も、この系譜にあるのだな。絵師の鈴木猪兵衛は同寺の住職だという。

 最後は来迎図、浄土図など。山の間から大きな顔だけをのぞかせた『山越阿弥陀図』について、「両手が山並みに隠れ(印相が見えないから)阿弥陀かどうかも確認できない」というツッコミ解説がついていて笑った。展示図録には矢島新先生の巻頭論文。矢口澄子さん(水登舎)のイラストで地獄について楽しく学べる。地獄の鬼が関西弁をしゃべっていてかわいい。なお、収録作品の中には後期の展示予定にないものがけっこうある。これは秋の京都展(龍谷ミュージアム)にも行かないとダメかあ。
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