見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

2016東京ジャーミー歳末の祈り

2016-12-31 13:47:08 | なごみ写真帖
29日に東北沢で友人と食事をする前に、代々木上原にある東京ジャーミーに寄った。トルコ文化センターを併設する回教寺院(モスク)である。私も以前はこの近くに住んでいたので、何度か前を通ったことはあるが、中に入るのは初めてだった。

ちょうど礼拝の時間だったので、しばらく遠慮して、1階のショップを覗いたりして待っていた(本当は、静かにしていれば礼拝中に入ってもよい)。



やがて、礼拝が終わって、信者の人たちが出ていったので、入れ替わりに中に入ってみる。荘厳で落ち着いた雰囲気。正面にあるのは祭壇ではなく、カーバ神殿の方向を示すミフラーブ(壁龕)とミンバル(説教壇)である。



足元は緑色のふかふかの絨毯。壁と天井には、唐草などの繰り返し文様と文字(イスラーム書法)の装飾。ドーム天井から釣り下がる燭台も文字のかたちを模している。



ドーム天井を支えるアーチの繋ぎ目に配された、紺色の円。書かれているのは聖人の名前だと、アラビア語の読める友人が教えてくれた。



隅の螺旋階段を上がると、正面のミフラーブ(壁龕)を見下ろすバルコニーがあって、そこが女性の礼拝席だという。しばらくぼんやり座っていたら、ひとりの男性が礼拝堂に入ってきて、壁龕に向かって立ったり座ったりして、祈りを捧げ始めた。モスクでは決められた時間にこだわらず、祈りはいつ捧げてもよいのだな。

やがて、ドームがひそやかな美しい音楽に満たされた。私は、正面の彼が何か唱えごとをしているのだとようやく気づいた。唱えごとのあと、彼は黙って、立ったり座ったりひれ伏したりを繰り返し、それからまた何かを唱えていた。静かな祈りの姿だった。

新しい年が、誰にとっても平和でありますように。
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2016大晦日・大河ドラマ『真田丸』に感謝

2016-12-31 12:43:52 | 見たもの(Webサイト・TV)
〇NHK大河ドラマ『真田丸』全50回

 久しぶりに大河ドラマを完走し、12月30日の総集編もガッツリ見てしまった。まずは楽しい1年が送れたことに感謝したい。あまり期待はしていなかった。私は、これまで三谷幸喜脚本のドラマや映画を1本も見たことがなかった。世間で人気と聞くと、じゃあいいかな、と思ってしまうひねくれ者なのである。戦国時代にもあまり関心がないので、いつ脱落してもいいくらいの気持ちで見始めた。しかし、ついに脱落しなかった。

 1回1回に必ず見せ場があり、「今日は無駄」だと思った回がない。魅力的な人物が次々に登場し、ひとり退場するとその次、という具合で、1年間を通じてドラマのテンションが下がらなかった。序盤は真田昌幸を演じた草刈正雄に持っていかれたし、遠藤憲一の上杉景勝、村上新吾の直江兼続の上杉主従コンビは、最終回まで出演するのだが、『天地人』の中途半端なイメージしかなかった私には、登場当初、あ~こういう描き方があるのか!!と膝を打った。高嶋政伸の北条氏政は怪演の域。

 小日向文世の豊臣秀吉を含め、こうした先行世代が活躍(というより狼藉)をしている間、主人公の源次郎信繁(堺雅人)は、じっと彼らを見ている。慌てたり、驚いたり、事態を変えようと少し動いたりもするが、基本的には父・昌幸や秀吉の行動を見つめている(実際にそういうカットが多くて、いつも必死で何かを感じ、考えているふうな堺さんの表情が好きだった)。私は、そんなに多くの大河ドラマを見てきたわけではないが、だいたい主人公というのは、5~6月頃に「覚醒」して、ただものではない大人物に変貌するものだと思っていたので、全く覚醒する様子のない信繁は新鮮だった。信繁は、少年の頃の純粋さや、気遣いができて、少し頼りない次男坊らしさを残したまま、自然に大人の武将になっていく。総集編であらためて序盤を見直して、どこかで覚醒したわけでもないのに、変化の幅に感嘆した。

 幸村が大坂城に参ずる第41回「入城」の放映が10月16日。ここから最終回(12月18日)までの2ヶ月は、表現する語彙がないくらい素晴らしかった。戦国史に疎い私は、幸村以外の豊臣方の武将たちを、ほぼ初めて知ったのだが、当分このキャスティングの印象は上書きされないと思う。

 10年くらい前に池波正太郎の『真田太平記』を読んだときは、大阪の地理に全く不案内で、茶臼山ってどこ?という感じだった。今回はさすが大河ドラマで、『ブラタモリ』などの支援もあって、だいぶ分かるようになった。道明寺とか八尾のあたりが戦場だったことを初めて知った。「真田山」の地名が残る真田丸跡周辺も歩いてみる機会があって、とても面白かった。

 最終回の、幸村と家康の一騎打ち→幸村が馬上筒(短銃)を構える→駆けつける秀忠→幸村の自害、という結末は、史実を曲げない範囲のフィクションとして、よくできていたと思う。内野聖陽の徳川家康は魅力的だった。私は初めて家康という歴史上の人物に親近感を持った。大坂城の人々の最期は描かず(黒煙をあげる天守閣のカットまで)、幸村の死でドラマを終えるという判断は、いさぎよいドラマの作り方だと思った。ドラマ本編では、このあと、旅の途中の兄・信之の守り袋の中の六文銭がチャリンと鳴り、弟・幸村の死を暗示させる。そして、「参る」とだけ言って踏み出す信之で全編を終わりにしたのは、何かさわやかで気持ちのいい結末だった。幸村は風のように去った。しかし、領地と家名を守る真田家の戦いは続く、と言っているようで。総集編がこの部分をカットして、幸村の自害で「完」にしたのは、ちょっと納得がいっていない。

 公式サイトには、最終回放映後、時代考証の三人、黒田基樹さん、平山優さん、丸島和洋さんのインタビューが掲載されていて、興味深かった。黒田先生が「近年の戦国史研究の成果を出来る限り反映させたい」という思いで取り組み、「かなり反映させることができた」とおっしゃっているのが嬉しい。ちゃんとした歴史研究は、作家の創作に負けないくらい面白いのだよ。私は丸島和洋さんのツイッターをフォローしていて、いろいろ勉強になった。

 2016年は『真田丸』があってよかった。ドラマの関係者と、楽しい二次創作(丸絵)をSNSに流してくれた皆様、本当にありがとう。
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モロッコ料理でミニ忘年会

2016-12-30 09:09:40 | 食べたもの(銘菓・名産)
代々木上原の友人と歳末のお食事会。東北沢にある「モロッコ料理の台所 エンリケマルエコス」に行った。10人くらいで満席になるカウンターだけのお店で、女性の料理人の方が、全てひとりで切り盛りしていて、大変そうだけどカッコよかった。メインプレートが選べるコースをお願いした。

伝統スープのハリラ。野菜や豆を煮込んだどろどろスープ。こういうの大好き。フライパンであつあつに炙ったパンも美味。



メインは二人でシェア。まず、白身魚と野菜のタジン。煙突のような蓋のついた鍋で煮込み、かつ蒸す。



ラム肉のクスクス。柔らかいラム肉を崩して、混ぜて食べる。やっぱり冬は、こういう温かい料理がいいな~。



暖まったあとは、冷たいデザート。ムースとアイスクリーム。



ごちそうさんでした!
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歌舞伎・文楽だけでなく/日本の伝統芸能展(三井記念美術館)

2016-12-29 12:40:15 | 行ったもの(美術館・見仏)
三井記念美術館 特別展 国立劇場開場50周年記念『日本の伝統芸能展』(2016年11月26日~2017年1月28日)

 昭和41年(1966)11月に開場した国立劇場が、今年、開場50周年を迎えたことを記念する展覧会。内容をよく把握せずに行ってみたら、冒頭には、真っ赤な顔に金色の眼、黒い乱れ髪の異形の面。日光輪王寺が所蔵する「抜頭」の面である。以下、舞楽面や雅楽器が並ぶ。なるほど、国立劇場というか日本芸術文化振興会の演目ジャンルである「雅楽」「能楽」「歌舞伎」「文楽」「演芸」「琉球芸能・民俗芸能」を全て扱う展覧会なのだな、ということを理解する。

 美術館や博物館で見る舞楽面は、ぼろぼろになって役目を終えた歴史的資料であることが多いが、この展覧会では、まだ実用に耐える美々しい面が多かった。熱田神宮の「陵王」とか「納曽利」は眉や髭の植毛がちゃんと揃っている。一方、三井美術館所蔵の「崑崙八仙」は平安時代とあってびっくりした。手向山八幡伝来らしい。

 「紀州徳川家伝来」という説明つきの雅楽器がいくつか出ていたのにも驚いた。国立歴史民俗博物館が一括所蔵していると思っていたが、伝来の過程で流出したものがあるそうだ。そして、紀州徳川家の雅楽器コレクションって、どうせ江戸ものだろうと思っていたら、十代藩主徳川治宝(1771-1852)が勅許を得て(!)集めたもので、平安~鎌倉時代の楽器が含まれているのか。知らなかった。平安~鎌倉時代の琵琶「実性丸」(四弦)は、実用的で簡素な作りだった。撥面には皮を張ってあるのかな。

 次いで、能面と能楽で用いる笛(能管)、蒔絵の鼓胴。女性の能面「孫次郎(オモカゲ)」は怖いほど美しい。特に横顔。少し受け口なのは、視点を低くして見上げると気にならない。左右の目のかたちが微妙に非対称なのが、人間味を感じさせる。じっと見ているとまばたきそうである。

 次の展示室は、屏風が多数でうれしい。日光輪王寺の『舞楽図屏風』、描かれている演目はだいたい分かったけど、ふつうの衣冠束帯姿の四人が舞う「新靺鞨(しんまか)」は知らなかった。ネットで検索したらいろいろ面白い所作があるみたいで、一度見たいなあ。神戸市立博物館の『観能図屏風』は、豊臣秀吉が開催した天覧能を描くと聞いて、秀吉のまわりにいる人々、階(きざはし)の下に侍する人々は誰だろうと、つい「真田丸」の面々を当てはめてみたりする。出光美術館の『阿国歌舞伎図屏風』は、帽子と手ぬぐいで目元以外を隠し、短めの着物の裾からスパッツみたいなものを見せる阿国のファッションがカッコよくて好き(前期)。髪を下し、朱鞘の刀をかつぐ阿国を描いた京都国立博物館の重文屏風は、後期(1/4-)に出るようだ。

 歌舞伎は、遊女歌舞伎、若衆歌舞伎(前髪がある)を経て、成人男性が演ずる野郎歌舞伎へと発展(?)した。しかし、素人が絵画資料を見ても、ほとんど区別がつかないなあと思う。西尾市岩瀬文庫寄託の『四条河原遊楽図屏風』は、以前どこかで見たとき、女歌舞伎の舞台に大頭の小人のような人物が描かれているのを珍しいと思った記憶がある。芝居小屋や役者を描いた錦絵も多数あって面白かった。

 文楽は、黒子のマネキンによる三人遣いの参考展示が行われていた。これは、大阪梅田の阪急百貨店で展示されていたもの(※『文楽の世界』展)だ、とすぐに思い出した。監修は桐竹勘十郎師。足遣いの黒子が、前後に(自分の)足を大きく開いて踏ん張っているあたりが地味にスゴイと思う。人形首もいろいろ出ていたが、図録を見直したら、現代(大江巳之助)の作に混じって、明治時代の「婆(時代)」や江戸時代の「検非違使」が使われていることを感慨深く思った。

 次の小さな展示室は「演芸」で、先日、岩波新書『江戸の見世物』で読んだばかりの軽業師・早竹虎吉が! 本の図版では白黒だった錦絵をカラーで見ることができて、嬉しかった。最後は、華やかな歌舞伎の衣装、文楽の着付人形(展示専用に作られたそうだが、舞台に立ちたいだろうなあ、と人形の心中を思う)。

 そして、民俗芸能の資料。長田神社(神戸)の追儺の鬼面7種は、それぞれ個性的で面白かった。赤鬼・青鬼のほか、餅割鬼、尻くじり鬼などの名前がついているのは、何か所作事があるのだろう。室町~江戸時代の作という説明がついていた。東栄町(愛知県)の花祭の榊鬼の面、衣装なども。意外なものが見られて面白かったが、民俗芸能の代表として、なぜこれらを選んだのかは、ちょっとよく分からなかった。琉球芸能からは、古典舞踊や組踊で使われる衣装。やっぱり、民俗資料の紅型(びんがた)に比べると、舞台映えを意識したデザインになっていると感じた。歌舞伎の衣装も同様であるが。

 なお、展示図録に大量の正誤表がついていたのはどうしてなんだろう。準備に時間が足りなかったのかもしれないが、惜しまれる。
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フクシマ以後/独仏「原発」二つの選択(篠田航一、宮川裕章)

2016-12-28 22:38:24 | 読んだもの(書籍)
○篠田航一、宮川裕章『独仏「原発」二つの選択』(筑摩選書) 筑摩書房 2016.9

 休日のショッピングモールで食事をしていたとき、隣りのテーブルのおじさんが「女子どもは原発に反対で困る」と大きな声を出していた。そうかー。女子どもで結構だが、逆にどうして賛成できるのかなあと思いながら、食後に立ち寄った書店で本書を購入した。

 本書は、毎日新聞社に勤務する二人の記者が、2022年までの全原発停止を決めたドイツと、依然として国策としての原子力を重視するフランスという、一見、対照的な両国のエネルギー事情をレポートしたもの。第1部「ドイツ編」の著者・篠田航一は2011年4月にベルリンに、第2部「フランス編」の著者・宮川裕章は2011年10月にパリに赴任した。どちらのレポートも、2011年3月の東日本大震災と福島第一原発事故から始まる。あのとき、私は日本国内のニュースを追うので精一杯だったけど、世界中が日本を注視していたことを、初めて認識した。

 3月11日、ドイツのメルケル首相はブリュッセルで日本の大震災を知る。翌12日に福島の原発事故を知り、その日の夕方、ベルリンの首相府に集まった政権幹部たちは「ドイツは原発を今すぐ止めるべきか」を協議した。早い。恐ろしく対応が早い。15日には80年代以前から稼働している老朽化した原発を止めるプランを発表し、3月中に脱原発に関する倫理委員会を立ち上げ、6月6日に「2022年末までの脱原発」を閣議決定し、6月末に連邦議会は改正原子力法案を可決した。震災から3ヶ月、日本人が夏の電力不足を心配している頃、ドイツでこんなことが起きていたなんて、全く知らなかった。2013年の総選挙対策とか、リスクに敏感すぎるドイツ人気質(ジャーマン・アングスト=ドイツ人の不安)のあらわれとか、冷笑的な評価もあるけれど、私はこの決断と実行力をうらやましいと感じる。

 物理学者でもあるメルケル首相は、科学技術の有用性をよく理解していたと思う。だからこそ、技術大国である日本でも事故が起きる、という事実を突きつけられた衝撃は大きかったのだろう。彼女は、もともと原発維持派だったというが、想定外の事態に臨んでは、態度を変えることをためらわない。これは、優れたリーダーの資質だと思う。

 では「脱原発」の決断は、国民の生活にどのように作用したか。ドイツが期待をかけているのは、バルト海や北海の洋上風力発電所である。しかし、産業拠点が集中する南部に電力を送るには、長大な送電線を設置しなければならず、そのルート上では、環境や景観の破壊、健康被害の不安を訴える反対運動が起きている。

 また、当面の脱原発の穴埋めとしては、再生エネルギーよりも、伝統的な石炭・褐炭の活用が注目されている。しかし石炭・褐炭は、地球温暖化の要因となる二酸化炭素を大量に排出する。さらに褐炭の産地では、採掘場の拡張のために、住民が強制移住になるとの憶測も流れていた。原発以外のエネルギーなら、環境にやさしく住民にやさしいかというと、そんなことはないのだ。どんなエネルギーを選んでも、どこかで誰かが犠牲を強いられるのだと感じた。

 だが、やっぱり原発は欠陥が多すぎる。著者は、原発から出る「核のゴミ」最終処分場の候補地であるゴアレーベンやグライフスヴァルト原発の「廃炉」作業を取材している。脱原発を決めても、これらの処分や作業は、気が遠くなるような長い期間、続くのである。

 一方、フランスも福島の原発事故には衝撃を受けた。しかし、著者によれば、時間が経つにつれて「原発は日本だから起きた。フランスは違う」というトーンが目立ってきたという。うーむ。そう考えるか、フランス。著者は、「原発村」フラマンビルやラアーグ再処理工場、ビュール村の「核のゴミ」最終処分場の試験施設などを取材している。不安を口にする住民もいるが、原子力産業が創出する「雇用」を選ぶ、という住民が多いことも事実だ。そりゃあ、雇用がなければ生活はできない。でも、雇用か原発かという選択を強いること自体がおかしくないか。

 原子力産業の育成に力を入れてきたフランスでも、2011年の福島原発事故のあとは「縮原発」の逆風が吹いた。そこに、2013年、イギリスへの原発輸出が決まる。イギリスは80年代まで原発先進国だったが、サッチャー政権による電力市場の自由化が徹底された結果、コストのかさむ原発は新設されなくなり、技術も衰退してしまったのだという。これは、フランス原発産業幹部の、原発市場は「国家市場」である(国家の介入がなければ成り立たない)という発言とあわせて、興味深く思った。何でも行き過ぎた「市場化」はよくないと思ってきたが、市場化の徹底こそが、脱原発の王道なのかもしれない。

 そしてフランスでも、再生可能エネルギーの取り組みや、老朽化した原発の「廃炉」作業が粛々と行われている。今後、原発産業の輸出と並行して、廃炉ビジネスの需要が増え、国際競争が過熱してくると見られているそうだ。最後に原子炉とは異なる「核融合炉」の可能性が紹介されていて、興味深かった。エネルギー問題について、日本の政府や運動家の言葉を聞いているだけでなく、各国の状況を正しく知ることはとても重要である。役に立つ1冊だった。
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肉体を描く/山岸凉子展(弥生美術館)

2016-12-27 22:24:15 | 行ったもの(美術館・見仏)
弥生美術館 『山岸凉子展「光-てらす-」-メタモルフォーゼの世界-』(2016年9月30日~12月25日)

 会期終了間際のクリスマスイブに見に行ったら、驚くほどたくさんの人が来ていた。カップル、若者、初老の男性など、いろいろなお客さんがいたが、いちばん目についたのは、やはり私と同じ、1970-80年代の少女マンガに親しんだ世代の女性だった。

 第1会場は、まず前半に『日出処の天子』、後半に『アラベスク』という代表作の原画を掲げる。私は、雑誌「LaLa」連載の『日出処の天子』はリアルタイムで読んでいたので懐かしい。法隆寺金堂壁画の菩薩たちや、雅楽「蘭陵王」の衣装をまとった厩戸王子など、色付きの扉絵はどれもよく覚えていたが、逃げる厩戸王子、追う蝦夷を描いた作品が、光琳の『紅梅白梅図屏風』を隠しモチーフにしているのは、初めて気づいた。80年代の少女マンガは、こんなふうに、サブカルチャーであると同時に伝統文化への入口でもあったのだ。たぶん読者プレゼント用につくられた関連グッズもあって(よく取ってあったなあ)、懐かしいような恥ずかしいような、微妙な気持ちで眺めた。

 1971年から「りぼん」に連載され、絶大な人気を博した『アラベスク』は、私は読んでいない。70年代にバレエマンガというのは、もう古い感じがしていた。山岸さんの回想によると、担当編集者にも「古い」と言われて却下されたものを、食い下がって認めさせたのだそうだ。登場人物の大きな目、長いまつ毛は、当時の典型的な少女マンガ顔だが、人体の描き方は正確で、とてもきれいだ。ダイナミックで大胆な構図、斬新な衣装デザインにも目を見張った。あらためて、今読んだら面白いかもしれない。扉絵(たぶん)で、背景の街並みだけ萩尾望都が描いたという注釈のあるものがあって、面白かった。なお、『日出処の天子』も最初は担当者にダメ出しをされたのだそうで、当時の少女マンガ家は、いろいろな常識と戦っていたのだなあと思う。

 2階では、デビュー以来の歩みを継時的にたどる。デビュー当時の絵柄は、特に個性が感じられない。ただ丸っこくてかわいいだけだ。それが、次第に「求められる絵」と「描きたい絵」の折り合いを見つけていくように見える。80-90年代デビューのマンガ家は、はじめから個性的な絵を描くことが許されたが、当時はまだそうでなかったのだろう。80年代以降の山岸さんの絵は、肉感的で色っぽいと思っていた。女性の乳房や腰の量感も、少年の薄い体躯も、大人の男性の顎とか肩幅の広さも。

 山岸さんは90年代に「絶不調」に陥るが、2000年から『舞姫 テレプシコーラ』の連載を開始し、同作で2007年度第11回手塚治虫文化賞マンガ大賞を受賞する。2014年から、ジャンヌ・ダルクを主人公とした『レベレーション(啓示)』を描き続けている。1947年生まれの山岸さんは、来年70歳になられるのか。びっくりした。でも女流画家には長生きした先人も多いことだし、今後も静かに堂々と創作の歩みを続けてほしい。
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主体と責任の所在/日本語とジャーナリズム(武田徹)

2016-12-25 21:24:59 | 読んだもの(書籍)
〇武田徹『日本語とジャーナリズム』(犀の教室) 晶文社 2016.11

 「主語がない」「具体的な人間関係に絡めとられなければ発話すらできない」「日本語には命題がありえない」等々、西欧言語に知悉した知識人から、しばしば酷評される日本語という言語。日本語による批評やジャーナリズムは可能なのか――。この問題提起は、なんだか懐かしかった。70年代から80年代にかけては、こういう日本語論がたくさん身近にあったような気がする。本書は、はじめに、著者がこのような問題を自覚した経緯が語られる。著者は、詩に関心を持ち、ICU(国際基督教大学)で言語哲学を専攻し、修論を書き上げたあと、ジャーナリズムの仕事を選択した。アカデミアの人だった恩師には「武田は軽評論家になった」と突き放されるが、その実、恩師・荒木亨氏の日本語に対する問題意識を継いでいることを述べる。

 冒頭に紹介されている森有正の日本語論を、私は高校の国語の時間に読んだ記憶がある。日本語と日本文化に対してあまりにも否定的なので、少なからぬ反発を感じたのだが、本書を通じて久しぶりに触れてみて、普遍的な精神を希求した森有正の葛藤が、少し理解できたように思った。本多勝一の『日本語の作文技術』(1976年)も高校時代に読んだ。日本語は非論理的である、という類の俗説に対して、誤読されない(日本語の論理に即した)文章の書き方を実践してみせる。大好きな本だった。著者によれば、今でもジャーナリズム教育において、これほど役に立つ日本語表現の教科書はないのだそうだ。

 少し言語哲学に立ち入って、荻生徂徠や丸山真男の日本語観を読む。丸山は、近代化とは「である」社会から「する」社会への転換であると述べている。著者は、近代ジャーナリズムとは「する」論理を「する」言語で伝えようとしたものと考える。ところが、日本語はこれに適さない。「する」言語とは何か、詳細は本書に譲るが、「日本語は対象に動きをもたらすことなく動詞が使える」という指摘を面白いと思った。英語を習い始めた頃、自動詞と他動詞の区別がなかなか分からなかったのは、このせいだと思う。あと、たとえば「謝罪する apologize」は、罪を認めて何かを「する」行為動詞であって、ただの心理状態を表すものではない、という指摘も。日本語と西欧言語の比較というと、主語の有無に注目しがちだが、動詞のもつ機能の差異に、もっと注意が払われなければならないと思った。

 以上を踏まえてジャーナリズム論に入り、玉木明のジャーナリズム論を紹介する。戦後日本のジャーナリズムでは、報道は中立公正・客観を旨とし、記者個人の判断をはさんではならないとされた。その結果、記者の判断を必要とするときは、「わたしは思う」を「われわれ」に引き上げ、「われわれ」を消して「~と見られる」「~と思われる」が多用されるようになった。この文体を玉木は「無署名性言語」と呼ぶ。そして、こうした操作の中に、捏造や冤罪を生み出す罠があることを指摘する。日本語のジャーナリズムに必要な改革とは、無署名性言語の呪縛から脱却し、言語に対して主体性を回復することではないか。これは大いに同感である。

 次いで大宅壮一と清水幾太郎について。大宅は、商業主義に支配されたジャーナリズムは、より多くの顧客を求めて「中立公平」に収斂すると説いた。でもこれは、想定される読者の最大多数に歓迎される「中立」でしかなく、読者の外側に広がる世界が捨象されていると思う。清水の『論文の書き方』もかつて読んだことがあり、融通無碍な「が」の多用を論じた箇所はよく覚えているが、のちに清水が「主張することを主張」したためにジャーナリズムの世界から疎まれたことを思い合わせると感慨深い。

 最後に片岡義男の日本語論。片岡義男といえば、アメリカンな軽い恋愛小説のイメージしかなかったので、ちょっと驚いたが、最も引き込まれた章だった。ハワイ生まれの日系二世の父と日本人の母のもとで育った片岡は、二つの言語の違いを深く鋭く認識している。アメリカのテレビに出演した日本人政治家の英語について、彼は英語の正用法を理解していない、とする片岡の批判は非常に読みごたえがある。英語で何かを話すというのは、主語(主体)と動詞(アクション)を選び、責任を表明することだ(おおまかな要約)。ところが、その日本人政治家は、話半ばで主語を忘れて、日本語で「それはともかく」というつもりで「エニウェイ」を連発していたという。あるある。

 英語によって担われる報道は、客観的な事実を目指し、公共的な世界を描き出そうとする。それは「言語の自然な本性」なのだと著者はいう。しかし日本語にはその本性がない。それなら、せめてその困難を自覚し、よりよい日本語の使い方を磨き上げていくこと、同時にジャーナリズムに流れる日本語を厳しく監視することは、私たちひとりひとりの責任だと思った。
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クリスマスの水ようかん

2016-12-25 10:43:27 | 食べたもの(銘菓・名産)
今年の夏、『岩佐又兵衛展』を見に福井市に行った。福井は、初めて行く町なので、事前に少し調べたら「えがわの水ようかん」という名物があることが分かった。食べてみたいと思ったが、もう少し調べたら、冬場しか作っていないことが分かって、買うことはできなかった。

それが、この時期、近所の西武デパートに週1回入荷しているのを見つけた。先週は買い逃して品切れになっていたが、今週はようやく、夏以来の念願を果たして、GETすることができた。



この箱でB5サイズくらい(厚みはない)。甘さひかえめで、つるつる喉に入る。今年はこれがクリスマスケーキ代わり。

三連休は、知人の予定変更もあって、半分くらい家でだらだらしていた。時々こういう休日の過ごし方がないと、体力的にキツくなってきたことを感じる。

世界の安寧を願って、メリークリスマス。
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細工・軽業・生人形/江戸の見世物(川添裕)

2016-12-23 22:31:10 | 読んだもの(書籍)
〇川添裕『江戸の見世物』(岩波新書) 岩波書店 2000.7

 もともと見世物とか芝居興行とか神事・祭礼に関心があり(←我ながら大雑把な括り)、今年の秋に国立民族学博物館(みんぱく)で行われた特別展『見世物大博覧会』は、噂を聞いて、どうしても見たくて見てきた。そして、年末になって、書店で本書を見つけた。読み終わってから「アンコール復刊」のオビがついていることに気づいた。

 江戸の見世物とはどのようなものだったか。著者はまず、文化文政期の二人のご隠居、十方庵敬順の『遊歴雑記』と烏亭焉馬の『開帳見世物語』を中心に、江戸の見世物の賑わいを紹介する。著者は、さまざまな資料から近世後期の見世物の全体構成とジャンル別変遷を調査している。それによると、江戸での興行件数では「細工」がもっとも多く、次いで「曲芸・演芸」「動物」「人間」の順。このことは後でも触れられるが、近代以降の我々が「見世物」という言葉から想起する、蛇女、熊女、蜘蛛男の類は、全くなかったわけではないが、少なくとも主流ではなかったのだ。

 以下、近世後期にブームの起きた見世物を年代順に紹介する。はじめに「籠細工」。文政2年(1819)一田庄七郎が浅草奥山に巨大な小屋を掛け、江戸における細工見世物ブームのきっかけをつくった。当時の浮世絵(引札)に残されているのが、籠で作られた巨大な関羽像。坐像で二丈二尺(6.7メートル)または二丈六尺(7.9メートル)という記録が残っているという。みんぱくの『見世物大博覧会』でも、見上げるような籠細工の関羽像が展示されていたが、あれは復元だったのかな。ネットで探したら「名古屋市博物館所蔵」という情報がヒットした。しかし、浮世絵の関羽のほうが威厳があって堂々としているなあ。「巨大な細工物」に惹かれる気持ちはよく分かる。お台場のガンダムを見たいと思うようなものだろう。

 籠細工に続いて、さまざまな素材を用いた「細工物(奇妙な細工)」ブームが幕末まで続く。今でも各地の祭礼で出会う細工物(一式飾り)、私は大好きだ。「とんだ霊宝」と称して、ありがたい仏様を生臭の魚貝でもじる細工物も現れる。若冲の『野菜涅槃図』をこうした流れの中に位置づける指摘は、なるほどと思った。また、こうした細工物が、なぜそんなに魅力的だったかを考えるには、音曲や口上(語り芸)の存在を忘れてはならないだろう。

 それから「舶来動物」には、盛だくさんのご利益が付随すると考えられた。ラクダがたまたま番いで伝来したこともあって、夫婦和合の神としてあがめられたというのは面白い。安政年間には「軽業」ブームがやってくる。幕末期最大の軽業スター早竹虎吉をはじめ、多くの曲芸師が海外に渡った時期でもある。虎吉の技芸は評価されたが、にぎやかすぎる音曲とか、日本の歴史・物語に根付いた趣向などは理解されず、「異文化接触」の苦労があったようだ。病気のためアメリカで客死したというのは惜しまれる。いつかもう少し詳しいことを知りたい。

 もうひとつ、安政年間に始まる「生人形」。松本喜三郎、安本善蔵、安本亀八、秋山平十郎、竹田縫之助、大江忠兵衛の名前があがっているが、最初の三人は熊本出身。竹田、大江は、からくり人形づくりの系統である。初期の「鎮西八郎島廻り」は、伝統的な物語の趣向に基づきながら、異国・異界のイマジネーションを取り入れているのが幕末らしい。やがて、生人形はリアルな人肌の再現に力を入れるようになる。もちろんお色気路線もあったことは、木下直之氏『美術という見世物』も指摘している(あ、久しぶりに読み返したい)が、著者によれば、上半身をあらわに身仕舞をする姿を「生人形」につくられた遊女黛は、安政の大地震の折、金三十両を出費して、お救い小屋に炊き出し鍋を大量に寄贈した話題の遊女だった。その「当代性」が江戸の人々を喜ばせたのだろうという。

 最後に、著者が横浜の弘明寺の近くに生まれ、門前町の賑わいの中で育った回想が語られている。著者は私より少し年上だけど、昭和の子供を熱狂させたドリフターズの『8時だョ!全員集合』の屋体崩し、噂に聞くユーミンのコンサートや『紅白歌合戦』の小林幸子など、「見世物」の残照のようなものが挙げられていて、興味深かった。特に『全員集合』の大道具大仕掛けを担当する株式会社金井道具は、江戸の細工見世物の職人に淵源を持つという話には感慨をもった。しかし今やテレビの魅力も衰退し、「見世物」はどこに行ったのだろう。ディズニーランドかなあ。プロジェクションマッピングや季節のイルミネーションなど、街(路上)に出たのかもしれない。
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大人のためのファンタジー/映画・ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅

2016-12-22 22:27:56 | 見たもの(Webサイト・TV)
〇デビッド・イェーツ監督、J.K.ローリング脚本『ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅』(MOVIXつくば)

 ハリー・ポッターシリーズの作者J.K.ローリングによる新作ファンタジー。物語は、ハリーたちが活躍する70年前の1926年まで遡る。ニューヨークの港にあやしいトランクを提げた一人の男性が下り立つ。彼、ニュート・スキャマンダーは、ホグワーツの卒業生で、現在の職業は魔法動物学者。たまたますれ違った人間(マグル、米語ではノーマジ)とトランクを取り違え、さらに魔法生物が逃げ出してしまう。その頃、ニューヨークの街には、何か巨大で邪悪な謎の力が出没し、アメリカ合衆国魔法議会(マクーザ)は警戒を強めていた。議会の職員であるティナ・ゴールドスタインと妹のクイニー、ノーマジ(人間)のコワルスキーは、ニュートとともに騒動に巻き込まれていく。

 面白かった~。愛らしかったり、神々しかったり、ときには少し困りものの魔法動物の造形は、J.K.ローリングの世界ならでは。そして、それを生き生きと画面に出現させる技術も素晴らしい。邪悪な謎の力は、オブスキュラスと呼ばれる不定形な存在で、虐待され、抑圧された子供から生み出され、その子に取りつき、最後にはその子も殺してしまう(と言っていたような)。10歳以下の子供にしか取りつかないというのが、いわゆる「叙述トリック」で(以下ネタバレ)、実はクリーデンスという、たぶん少し精神的に弱い青年が宿主だったと最後に判明する。彼は前半で尊大な上院議員からののしられるのだが、字幕は「変人」でも「フリーク」という単語が聞こえて、ドキリとした。

 暴れまわるオブスキュラスに対し、ニュートが「怖がらないで!」みたいに優しい言葉をかけて近づく場面は、ナウシカを思い出した。まあ、怯えや恨みが邪悪な力を作り出すという考え方は、世界共通にありそうだけど…。というか、近代文明に共通の思想かもしれない。

 クリーデンスの養母(人間)は新セーレム救世軍という団体のリーダーで、魔女と魔法の根絶を目指している。これ、映画でも公式サイトでもあまり説明がないけど、もちろん17世紀末のセイラム(セーレム)魔女裁判を背景にしている。そしてアメリカ東海岸なら、1920年代でもこういう団体が存在して不思議ではないかなと思う。でも、さすがにアナクロなんだろうか。どうなんだろう。

 1920年代のニューヨークの風俗は魅力的に描かれていた。いま調べたら「狂騒の20年代」とか「狂乱の20年代」と言うのだな。ジャズ・ミュージックが花開き、フラッパーが女性を再定義し、アール・デコが頂点を迎える、とWikiにある。主人公のニュートと黒髪のキャリアウーマン、ティナの淡い恋もいいけれど、太っちょで人のいいコワルスキーと金髪で無駄に色っぽいクイニーの恋がステキだった。全ての魔法生物が捉えられ、オブスキュラスが排除されると、魔法議会は破壊されたニューヨークをもとに戻し、全ての人間の記憶を消すことを実行する。コワルスキーは仲間たちに別れを告げて、記憶を失う。

 数か月後、念願のベーカリーを開業したコワルスキーのもとにクイニーが現れる。この出会いはとても素敵だ。私たちは、意図的に消された記憶の底からでも、愛する人を「想い出す」ことができるのである。この映画、実は子供より大人を幸せにしてくれる作品かもしれない。

 しかし、気づいてしまったことを書いておこう。3年後の1929年には世界恐慌がやってくるのである。コワルスキーのパン屋は大丈夫かなあ。蛇足。コワルスキーというのはポーランド系の姓らしい。ゴールドスタインはドイツ系?と思ったら、ドイツ圏のユダヤ系に多いようである。
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