見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

「共働き社会」を目指して/仕事と家族(筒井淳也)

2016-05-30 22:58:52 | 読んだもの(書籍)
○筒井淳也『仕事と家族:日本はなぜ働きづらく、産みにくいのか』(中公新書) 中央公論新社 2015.5

 特に話題になった記憶がないのだが、非常に面白かった。歴史的視点と国際比較を踏まえて、日本の「仕事と家庭のありかた」を論じ、今後進むべき道を考えた著作である。

 18世紀のイギリスに始まった「工業化」の進展によって、第二次大戦後には「男は家から離れた職場で賃労働をし、女は家庭のことに責任を持つ」という性別分業体制が各国で一般化した。しかし、1970年代以降、景気の減速による税収の落ち込みを背景に、先進国の間でも国のかたちの多様性が目立つようになる。

 スウェーデンは戦前からの高福祉・高負担の路線を維持する方針が堅持された。政府はケアワーク等の社会サービスを提供するために女性を大量に雇用し、女性を(自分の家族の)育児・介護から解放した。これによってスウェーデンは「男女ともによく働くが、男女が別々の場所で働く(男性=民間企業、女性=公的機関)国」になった。アメリカは市場メカニズムを活性化することで失業に対処した。長期の育児休業制度が保障されていないため、女性には厳しい環境だが、雇用主は女性を雇いやすい。この結果、アメリカは「男女ともよく働くが、格差が大きい国」になった。

 日本は、まだ自営業や農業に労働力を吸収する余地があったことと、企業内部の労働調整(配置転換、賃下げ)によって失業率が抑制され、性別分業体制が維持された。しかし、外部労働市場が、正規雇用の夫を持つ「主婦パート」(=自立して食べていけない人)のためのものになってしまったことは、のちの日本社会に深刻な影響を及ぼす。

 国際調査によれば、雇用労働に参加する女性が増えることは出生率に対して基本的にネガティブな効果を持つ。しかし、スウェーデンでは公的両立支援制度の影響、アメリカでは民間企業主導の柔軟な働き方の影響で、女性が賃労働と子育てを両立しやすくなると、この関係は反転する。経済の不調によって男性雇用が不安定化する中で、「共働き」が合理的戦略となると、カップルの形成が進み、出生率も上がる。ただし、この前提には、女性がそれなりに高い賃金で長く仕事を続けられる見込みがなくてはならない。日本のように、子育て後にパートで再就労するのでは問題解決にならないし、出産前後と乳幼児期のみを想定した両立支援策では効果が期待できない。私は自分で体験したわけではないけど、本当にそのとおりだと思った。

 女性の社会進出(労働力参加)は重要である。なぜなら、日本は高齢化社会に突入しつつあるわけだから、社会福祉の充実には、税と社会保険料を負担してくれる有償労働者を増やさなければならない。ボランティアや家事などの無償労働では駄目なのだ。これはすごく分かりやすい。女性が輝くナントカ社会みたいなお題目より、ずっと納得がいく。そして女性の就労拡大と同時に、少子化を克服するには、正しい「共働き社会」を目指さなければならない。そのためには、働く女性を支援すると同時に、職務内容、勤務地、労働時間の無限定を受け入れて来た男性の「日本的な働きかた」を変えていく必要がある。ここは大きく同意。

 これまで家庭が担って来たケアワーク(介護、育児)が全面的に外部化されることは不可能だろう。しかし「福祉の外部化が家族の崩壊を招く」という主張が全くの杞憂であることを、本書はスウェーデンを例にあげて説明している。「家族重視」の政策が、家族の責任を重くすることで、結果的に人々を家族から離れさせている、という本書の主張を聴くべきだと思った。

 あと、家事負担の平等化が進まないことについて「日本では男性も女性も家事に対する希望水準が諸外国に比べて高い」という指摘は、目からウロコだった。欧米では日本ほど手の込んだ食事を出さなくてもいいと考えられているため(冷凍食品を温めて出すだけでもいいらしい)、男性が食事の準備を分担する率が高いのだそうだ。傾向として、プロテスタントが強い社会ほど食事が質素である、なども、家事分担の国際比較を見るときに、あまり考えたことのない視点で面白かった。

 それから、女性の労働力参加が、「男女平等」に目覚めた人々の運動の結果、法制度が整えられることでもたらされたという考え方を本書は取らない。むしろ、構造的要因(産業構造の変化)によって引き起こされたというのが専門家の理解だという。このあたりの、拍子抜けするくらい淡々とした記述もとてもよい。しかし、仕事と家庭のありかたについて、学術的にはこれだけきちんとした分析が行われているのに、どうして政策決定の場では、相変わらず主観と感情に基づく議論が横行しているのだろう。
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アイスショー"Fantasy on Ice 2016 幕張"

2016-05-29 23:29:54 | 行ったもの2(講演・公演)
Fantasy on Ice 2016 in 幕張(2016年5月28日14:00~)

 昨年は計3回も見に行って大満足だったアイスショーFaOI(ファンタジー・オン・アイス)。今年も当然、見に行くつもりでチケット発売日を待ち構えていたら、瞬殺で完売してしまった。仕方ないのでチケット売買サイトで幕張のSS席を手に入れた。正価の1.5倍は許容の範囲。と思っていたら、羽生結弦選手の欠場が公表されたとたん(その前に出場が決まっていたわけではないのだが)値崩れして、正価以下のチケットも売買される事態に。もしかしたら空席が目立つかな、と心配したが、さすがにそんなことはなくて、開場前から多数の人が並んでいた。プログラムと公式グッズの売り場を会場外に設けてくれたのは、昨年の教訓が生かされていてよかった。

 FaOIは、主要なスケーターが2プロ滑ってくれるので、満足度が高い。若手女子3人(本田真凜ちゃん、樋口新葉ちゃん、青木祐奈ちゃん)は1プロずつ。どちらかというとおじさん度の高いショーなので、不思議な違和感と清涼感。祐奈ちゃんは元気プロ。真凜ちゃんは素人目にも技術力が高い。新葉ちゃんの「白夜行」は大人の雰囲気があった。フィナーレのジャンプ祭りでは負けず嫌いなのがよく分かった。ジェフリー・バトルが1プロなのは「振付の仕事もあって、忙しいからじゃない?」と隣りのおばさんが話していた。でも1曲でも見応えあり。「Black and Gold」カッコいい!

 今年のゲストアーティストは華原朋美さん、ポップオペラの藤澤ノリマサさん、昨年に引き続き、ピアノの福間洸太朗さん。FaOIは、確かに生歌、生演奏とのコラボが売り物だが、あまりアーティストの出番が多いのもいかがかと思う。織田信成さん、荒川静香さん、安藤美姫さん、鈴木明子さんは各1プロコラボ。ピアノの福間洸太朗さんが羽生選手の演技映像にあわせて、ショパンのバラード1番を生演奏するという演出あり。無人のリンクに羽生くんの幻を見るような気がした。

 海外スケーターも基本1プロはコラボだったかな。華原朋美とコラボしたトマシュ・ベルネルはキュート。ジョニー・ウィアーは福間さんのピアノ演奏でベートーヴェンの「月光」を滑った。小さな翼のような肩飾りのついた純白の衣装で、静謐に、また熱情的に。曲調にあわせて変化する照明も素晴らしかった。後半はビヨンセメドレーで衣装は深紅。手袋で指先まで深紅。

 ハビエル・フェルナンデスの1曲目は藤澤ノリマサさんの生歌「韃靼人の踊り」。歌が素晴らしいのとリンク上のハビエルがカッコいいのと、見どころが分裂して集中できなかった。できれば、生歌でなしにもう一度、このプログラムを見たい。後半の「マラゲーニャ」も圧巻。歌声は大好きなドミンゴだし、スペインのカッコよさ極まれり、という感じ。赤・黒・黄を使った照明もステキだった。

 そして、ステファン・ランビエルの1曲目は「Take me to church」。昨年の「Sense」を思わせる、演劇的なプログラム。ゆっくり自然に身体を揺らしながら、情念を掻き立てる動きに見とれてしまう。ジャンプが決まっても、そこで拍手をする気持ちが起こらない。調べたら、重い歌詞なんだなあ。長野でもう1回見たい。後半は藤澤ノリマサさんの生歌「ネッスン・ドルマ(誰も寝てはならぬ)」とコラボ。昨年は神戸で、ソプラニスタの岡本知高さんの生歌とのコラボを見たかど、ジャンプに失敗が目立った記憶がある。今回は、二年越しで完成形を見ることができた。よほど調子がよかったのか、フィナーレでは目の前で4Tを飛んでくれた。ジャンプの高さに息が止まりそうだった。

 クセニヤ・ストルボワ&ヒョードル・クリモフ(ペア)、メリル・デービス&チャーリー・ホワイト(アイスダンス)も美しかった。エアリアルのチェスナ夫妻、アクロバットのポーリシュク&ベセディンもいつもどおり。大きなリングを使って演技するバレリー・イネルシは初めてかなあ。美しかった。

 この数年のFaOIは、羽生くんがすっかりMC役になっていたけど、今年はむかしのスタイルに戻ったような感じがした。オープニングのスケーター集団の先頭はハビエルで、まあ世界王者だから当然だよなと思っていたら、フィナーレ(曲はベートーベンの第九)ではステファンが先頭ポジションだった。なんで?というか、納得というか。

 次は長野。アーティストもスケーターも男性の比重が高くなるので、雰囲気に変化があると思われ、楽しみ~。
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文楽・絵本太功記

2016-05-27 21:28:28 | 行ったもの2(講演・公演)
○国立劇場 平成28年5月文楽公演(5月14日、17:00~)

・『絵本太功記(えほんたいこうき)・本能寺の段/妙心寺の段/夕顔棚の段/尼ヶ崎の段』

 5月の公演は、文楽鑑賞教室と重なったせいか、日数が少なく、いい席が取れなかった。主力の太夫さんや人形遣いのみなさんも鑑賞教室に取られてしまった感じで、気分的に盛り上りがいまいち。

 演目の『絵本太功記』は、むかし一部を見たような気もするが、はっきりした記憶がない。初見かもしれない。敗者である武智(明智)光秀を主人公にするのは面白い着想だと思うが、敵方の真柴久吉(羽柴秀吉)は普通にできた人物で、あまり興が乗らなかった。

 開演前に、熊本地震の被災者支援募金を募っていた加藤清正(と吉田玉男さん)。この清正の大活躍する『八陣守護城(はちじんしゅごのほんじょう)』はめちゃくちゃ面白かったなあ、と記憶をたどる。


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貧民・娼妓・女工/東京の下層社会(紀田順一郎)

2016-05-26 23:03:07 | 読んだもの(書籍)
○紀田順一郎『東京の下層社会』(ちくま学芸文庫) 筑摩書房 2000.3

 明治初期から昭和戦前にかけての都市層の実態を探り、そこから焙り出しにされる日本の社会福祉思想の特異な性格や政策面での限界を究明しようとしたもの。実態の記述は、著者の紀田順一郎先生(1935-)が直接、見聞したものではなく、同時代のルポルタージュに拠っている。前半はスラム街の貧民を描き、後半は私娼や女工など女性に焦点をあてている。

 前半では、浮浪者を装って万年町に潜入した「国民新聞」の記者・松原岩五郎による『最暗黒之東京』(1893/明治26)と、同じ頃、明治東京の三大スラムといわれた下谷万年町・芝新網町・四谷鮫ヶ橋を中心に、関西に足をのばして大阪名護町の大スラム街までを観察し、「日本」紙上に貧民街ルポを連載した桜田文吾による『貧天地饑寒窟探検記』(1893/明治26)が最も頻繁に参照されている。

 貧民街の風景はとにかく凄まじい。汚水は氾濫し、鼠の死骸や腐った魚が散乱する。大正末期でも無灯火は当たり前で、窓もなかった。日光が入らないため結核菌が蔓延する。それでも人々は、せめて長屋に入ろうとする。長屋にも入れない「宿屋住まい」は「責任も義理も人情もない人間をさした」というのが面白い。家を構えて一人前という観念は、けっこう根強く現代人にも流れている気がする。

 スラム住宅が不衛生に陥る原因は、環境的要因(洗濯場や流し場がないこと)や職業的理由(多忙、汚れ仕事)もあるが、それよりも住民がスラムを「早く脱出したい仮住まい」と考えている点にあるのではないか。現代の公営住宅や高級マンションでも、しばしば共用部分が汚されるのは、この「流民の伝統」によるのではないか、という考察は、家を構えたことのない自分の内心を見透かされたようで、非常に納得できた。なお、民俗学で「家」と「小屋」を分けるポイントは、そこに神を祀っているか否かだそうだ。明治中期までの貧民は仏壇をつるしていたというから、まだ「家」の意識があったのだろう。

 つい余談に深入りしてしまったが、住環境の話はまだ心穏やかに読んでいられる。めまいがするのは貧民の食生活で、彼らのために残飯屋という商いがあった。仕入れ先は士官学校や寄宿舎など。パン屑や残った弁当はまだしも、下水道から流れてくる飯粒を金網で掬って、さすがに食用にはならないので、養鶏場に売りに行ったという話も出てくる。

 大正時代、大阪の小学校で残飯さえも買えない家庭の子供がいると分かったことから、欠食児童に朝飯(芋粥)を給与することも行われている。これらを過去の出来事として読むことができず、妙に今日的な問題とリンクしてしまうのが悲しいところだ。日本において救貧政策が進展しないのは「日本人の意識の奥深いところにある貧者に対する倫理的な蔑視」が原因ではないか、という指摘には深く考えさせられる。貧者に援助の手を差し伸べることが、かえってその独立心をそぎ、有害であるという考え方が、「おどろくなかれ新憲法の成立直前にいたるまで」貧窮者対策や福祉政策に力を入れないための口実として生き続けた、と著者が書いたのは1988年のことらしいが(本編は雑誌「新潮45」に連載)、本当に「おどろくなかれ」なのは、こうした観念が21世紀の今日も生き残っていることである。

 後半は、娼妓の実態を語るにあたり、森光子という女性が、群馬県のたぶん商家に生まれ、19歳で新吉原の妓楼に売られ、娼妓として1年あまり辛酸をなめ、ついに死を賭して脱出し(一面識もなかった柳原白蓮のもとに駆け込む)、のちに発表した告発手記『光明に芽ぐむ日』(1925/大正14)を参照している。とにかく腹立たしい場面の連続で、娼妓は「商売」なんだから同情や救済は必要ない、みたいなことを言える人は、彼女の境遇に身を置くことができるのか、じっくり読んでみればいいと思う。

 しかし娼妓のほうがマシかもしれない、と思ったのが女工の実態。農商務省の調査記録『職工事情』(1903/明治36年調査)には、これが日本の「近代」なのか?と目を疑うような光景が記録されている。強制労働、搾取、虐待、性的暴行は日常茶飯事。最近、日本の近代は(日本の近世も)素晴らしいものだったと思いたい人が多いようだが、まずこれらの貴重な記録に目を通し、著者の批判的考察に耳を傾けてほしい。

紀田順一郎のホームページ「書斎の四季」
「私の旧刊」に本書に関するコメント「私の著書のなかでも、最も息の長い売れ行きを示しています」とあり。
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生物学の学び方/カラスの補習授業(松原始)

2016-05-24 23:55:01 | 読んだもの(書籍)
○松原始『カラスの補習授業』 雷鳥社 2015.12

 前著『カラスの教科書』(2013年)が面白かったので、職場でずいぶん吹聴してまわった。その結果、まわりの同僚は、私をいっぱしのカラス好きと思い込んだフシがある。あれから3年、職場と住環境が変わって、カラスのことも忘れがちだった昨年暮れ、ある同僚が、楽しそうにこの本の話をするのを聞いた。何、続編が出ているって?

 以来、気になっていた本書をようやく読むことができた。著者によれば、前著『カラスの教科書』を読んで、「教科書のくせにこんな事しか書いてねえのかよ!」とお怒りだった方のために、もう少し生物学的なところまでお楽しみいただける本、というコンセプトらしい。なるほど、前著では、カラスに親しみをもってもらうことを第一目標とし、「小難しい話は書かない」と制約を課したそうだ。その戦略は大成功と言ってよい。私はすっかりカラスに「親しみ」を持ち、もっとカラスについて知ることができるなら、多少難しい講義にもついていく気構えで武者震いしている。

 補習授業のテーマは「歴史」「カタチ」「感覚」「脳トレ」「地理」「社会I(カラスの社会)」「社会II(人間の社会とカラス)」とあり、最後に「野外実習」が設けてある。歴史(カラスの系統分類)やカタチ(骨格)から文化人類学的な考察まで幅広い。神話においてカラスとオオカミはしばしばセットであるとか、聖書では大洪水のあと、陸地のしるしを持ってくるのはハトだが、メソポタミアの神話ではカラスであるとか、ほぼ余談だが、気になることも学んでしまった。

 カラスの社会行動に関する記述は特に面白い。カラスのペアは相互に羽づくろいをするそうだが、私は町で見た記憶がない。巣作りするようなペアを見ることが少ないからかなあ。飼育されているカラスは人間に「頭掻いて」と差し出してくるそうで、かわいい。高位個体が劣位個体に融和的な関係をつくろうとして羽づくろいすることもあるそうだが、確かに偉い先生に肩をもんでもらうようなもので、劣位個体が気持ちよくないだろう。

 ハシブトガラスとハシボソガラスの個性の違い(餌の好みや探し方の微妙な違い)、それゆえ縄張りが近接していても暮らしていられるというのも面白い。「競争があるにしても、お隣さんは異種のほうがまだマシである」というまとめは、含蓄が感じられる。

 このあたりは、著者の長年の観察から導き出されているわけだが、観察実験についての試行錯誤を経験的に語ったのが「野外実習」の章。そもそも大学4回生の卒業研究のとき、「カラスは女子供を馬鹿にするか」というテーマを選んだことから始まる。知り合いに片っ端から「ねえねえ、カラスに餌やりに行かない?」と声をかけ、協力者をつのり、データを収集する。そんな安直な実験デザインでいいのか、と思うが、まあいいんだろう(ガチガチの指導で及第点を取らせることが卒業研究の目的ではないと思う)。大学院に進んだ著者は「カラスは女子供を馬鹿にするか」というテーマを極めるよりも、「カラスの普段の姿を見てみたい」という気持ちが強くなり、来る日も来る日もカラスを追いかけて、眺め続ける。しかしテーマがないから、満足なゼミ発表ができない。先輩に酷評され、コンパの席で説教されてもカラスを眺め続け、ようやく「ハシブトガラスとハシボソガラスはなぜ同じ地域に住んでいられるのか」という研究テーマが見えてくる。

 これには感動した。最近の大学では「効率」「スピード」が金科玉条になっていて、学生が研究テーマを自分で見つけ出すまで、黙って見守るという教育や研究のスタイルは、すっかり失われているのではないかと思う。大学とは、本来、本書のようなものであってほしいと思う。

 まあ、やっぱり「効率」が大事だと思う人は、生物学の領域には、あまり近寄ってこないだろう。著者のいうように、生物学というのは複雑と多様性の権化で、単純な方程式で割り切れたり言い尽くせたりする事象はほとんどない。全てを同じ説明に帰結させようとすると、「俺は違うぞ」という跳ねっ返りが必ずいる。こういうフィールドでは、雑多なアレコレを網羅的に記録し、そこから仮説を立てていくアプローチが有効なのである。私は、こういう学問が好きなのだ。仮説を立てるまでに至らず、ただ差異のありかたを記録するだけに終わっても、それはそれでいいんじゃないかと思う。ときどき、副産物としてこんな楽しい読みものが生まれれば、アカデミアの外にいる人間にとっても幸せである。
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変わるボーダー/入門 国境学(岩下明裕)

2016-05-22 23:56:17 | 読んだもの(書籍)
○岩下明裕『入門 国境学:領土、主権、イデオロギー』(中公新書) 中央公論新社 2016.3

 境界研究(ボーダー・スタディーズ)という学問があるのだという。初めて知った。本書は、はじめに著者が実際に体験してきた世界各地の国境や境界地域(ボーダーランズ)の姿が、豊富な写真とともに紹介されている。二重三重の警戒網が敷かれた国境もあれば、境界の存在を全く意識せずに行き来できるところもある。

 歴史的には、1648年のウェストファリア条約が「空間を明確に境界づけ、その空間内の人や物を権力が排他的に管理する」というコンセプトのルーツである。必ずしも当時の実態に即したものではなく一種の言説であったが、次第に普遍化していく。19世紀半ば以降、東アジアにおいて近代化へ向かう日本は、ウェストファリア的なコンセプトでロシアとの国境を画定し、続いて沖縄・小笠原を確保する。帝国化した日本の国境は外に広がっていくが、敗戦によって、かつての植民地や半植民地国家との間に境界問題を引き起こした。竹島も尖閣も「ポスト・コロニアルな空間をめぐる国境問題」であると著者は書いている。この認識は、以前はそれなりに聞いた気がするけど、最近すっかり聞かなくなってしまった気がする。

 離島の国境問題は「社会的構築」の対象となりやすい。「社会的構築」とは、ここでは、その物理的な意味を超えて聖域化(劇画化)されていくことを意味している。著者は、まず韓国社会における「独島」の聖域化を紹介している。日本において、北方領土問題は、以前の熱を失いつつもまだ「構築の罠」を抜け出せていない。今まさに強固に構築されようとしているのは尖閣である。

 続いて、多国間の関係を理論モデルから考えてみる。それによると、国境を共有する二国間にはどうしても緊張関係が働く。そして国境問題を持たない大国(たとえば、東アジアにおけるアメリカ)の自由度は高い。しかし、きちんと国境問題を解決しておけば(たとえば、ロシアと中国)外交の自由度は高くなる。日本のように、隣接する中国・韓国・ロシアとの間に国境問題を抱えたままでは、アメリカへの依存から抜け出せない。「ボーダースタディーズの知見は、国家が自らの国境問題を主体的に解決することで、自らの外交の自由度を高めうることを示している」という一文が、私が本書から学んだ肝である。

 最後に再び、歴史の中で伸び縮みしてきた「日本」について考え、国境や国境の痕跡を訪ねる旅「ボーダーツーリズム」を提唱する。昨年、私は稚内からサハリンに渡り、北緯50度の日露国境跡を見てきたので、実感があった。北海道の中でも道東の歴史はロシアとの境界づけのプロセスに大きく規定されているという。むかし訪ねた長崎県の平戸も面白かった。対馬も行ってみたい。こういうボーダーの痕跡を訪ねて歩くことは、現在の日本の国境が、万古不易の枠組みではないことを理解する助けになると思う。
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今年も300歳/雑誌・芸術新潮「若冲・水墨ニューウェイヴ」

2016-05-20 00:50:20 | 読んだもの(書籍)
○雑誌『芸術新潮』2016年5月号「若冲・水墨ニューウェイヴ」 新潮社 2016.5

 表紙では一直線に急降下する叭々鳥が「今年も300歳だぜぇ、ハッハー」とつぶやいている。「今年も」ってなんだよ、「も」って。誤植じゃないのか?と思ったら、1716年生まれの伊藤若冲は、昨年、数えで三百歳。今年は満で三百歳なのだそうだ。そういえば、昨年は『象と鯨図屏風』の白象が「三百歳だゾウ」と言っていた。二年にわたって祝福されるのは、今や若冲が日本美術史きっての人気者である証しである。

 昨年の「生誕300年大特集」は『動植綵絵』の部分拡大図など、ページをめくると色彩の乱舞につぐ乱舞だった。今年は水墨画にフォーカスする。うれしい。私は若冲を好きになって約30年、はじめは『動植綵絵』みたいな彩色画ばかり追いかけていたが、じわじわと水墨画に目覚めてきた。筆の運びがはっきり分かって、作者の心の動きまで、分かるような気がするのだ。

 本誌では、京都国立博物館研究員の副士雄也さん(若いなあ~)が「革新者(イノベーター)若冲の軌跡」を解説。宝暦9年(1759)制作の鹿苑寺大書院の障壁画は、ふだんパーツで見ることが多いのだが、全体の配置・構成の妙について解説があって、興味深く読んだ。ちょうど本誌で『竹図』を見たあとに、京博の『禅』展でホンモノを見ることができた。

 2009年『伊藤若冲 アナザーワールド』展の開催直前に、新たに見つかった作品がある。宝暦9年(1759)作の『四季花鳥図押絵貼屏風』。小さな図版が載っているが、正直、あまり魅力的な作品ではない。黒々した墨が目立って、強引な感じ。副士さんは「それまで中国や朝鮮の古画に倣ったやや硬い感じの水墨画を描いていた若冲が、どうしてこのような異なるタイプの絵を描いたのでしょう」と疑問を呈し、「そこにはおそらく鶴亭という画家の影響があります」と答えを見つけ出す。なるほど、神戸市立博物館の『我が名は鶴亭』を見て来た上で、この箇所を読み返すと、さらに感慨深い。

 最先端の鶴亭スタイルを学ぶにあたり、最初は力みの目立った若冲だが、わずか1年の間に筆の勢いや滲みをコントロールする力を身につけ、鶴亭風をたちまち脱して自分のスタイルに変換してしまう。すごい~。そして、副士さんいわく、要するに若冲とひとくちに言っても、滅茶苦茶上手いものもあれば、まだ発展途上のものもあるということ。そうなんだなあ。ときどき、若冲の落款があっても、どう見ても工房作や贋作だろ、という作品を見るのだが、今後は、そうした「下手」な作品も愛情を持ってじっくり眺めてみよう。

 個人的に衝撃情報だったのは、若冲には、升目描きの『釈迦十六羅漢図屏風』という作品があるということ。四曲一双?いや八曲なのか? 右端に獅子、左端に白象がいる。府立大阪博物館の所蔵で、その後、行方不明になったそうで、1933年の『名家秘蔵品展覧会図録 御幸記念』から小さなセピア色の写真が転載されている。戦争で焼けていないといいんだけどなあ。いつか、どこからか出てこないかなあ。画家・諏訪敦さんが「筋目描き」に挑んだルポも面白かった。さすがプロ!初挑戦でもここまで出来るものか。墨(和墨、唐墨)や紙の選択が重要ということもよく分かった。

 「水墨画」つながりで、山下裕二さんは「奇想四人衆、龍虎くらべ」。若冲・蕭白・応挙・蘆雪を「龍」と「虎」の図で比較する。若冲の『竹虎図』(鹿苑寺)、あらためてアップで見ると、もふもふ(むしろツルツル)した毛が気持ちよさそうで、誌面に頬ずりしたくなる。

 それから金子信久さんが「若冲だけじゃないんです かわいい江戸の水墨画」で登場。風外本高の『虎図』とか三浦樗良の『双鹿図』とか、好きな作品ばかりでうれしいが、徳川家光の『兎図』は反則だと思う(上様の超越)。執筆者の似顔絵を描いている二宮由希子さんのイラストもかわいい(→たぶんこのウェブサイトの方)。

 東京都美術館の『生誕300年記念 若冲展』は、ものすごいことになっているらしい。すごすぎて、法螺話みたいで笑っている。後期の再訪はあきらめて、このあと細見美術館、岡田美術館、京都市美術館、京都国立美術館などの若冲展を粛々と巡礼する予定。
※参考:京都市情報「伊藤若冲関連の取組」
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42の事例から/研究不正(黒木登志夫)

2016-05-19 20:45:15 | 読んだもの(書籍)
○黒木登志夫『研究不正:科学者の捏造、改竄、盗用』(中公新書) 中央公論新社 2016.4

 研究不正の防止について、文科省が大学に対し、うるさく対応を求めていることは知っていた。しかし、個人的には、2014年にSTAP細胞問題があったなーくらいの関心しかなかったので、そんなに重大視する意味が分かっていなかった。そうしたら冒頭で、研究不正や誤った実験などにより撤回された論文のワースト10に2人、ワースト30に5人も日本人が名を連ねており、他を圧倒するワースト1位も日本人である、という事実を知って、かなり衝撃を受けた。ノーベル賞の受賞者数(21世紀に入ってから13人、アメリカに次いで2位)のような「よい数字」に比べると、日本が研究不正大国として、世界から残念な注目を集めていることは、あまり知られていないのではなかろうか。

 本書は全体で、42の研究不正の事例を紹介している。これだけ並ぶと「研究不正」って、世界中でけっこう日常的に起きているんだなあと感じる。アメリカ、イギリス、ドイツ、ソ連、中国、韓国、日本など、舞台となった国はさまざまである。研究分野は、医学・生命科学が最も多いが、数学や物性物理、心理学や考古学の例もある。考古学の不正というのは、実害が少ない分、笑ってしまうようなところがあるが、その動機は、母国の歴史を少しでも古く見せたいとか、メディアを驚かす大発見をしたいとか、科学者としての誠実さ(integrity)に欠けるもので、やっぱり笑ってすませるわけにはいかない。

 稀代の論文泥棒とか、「小説を書くごとく」ねつ造論文を発表し続けた麻酔科医(日本)とか、天性のペテン師としか思えない人物もいる。一方、同情を禁じえなかったのは、リン酸化カスケードを提唱したラッカーとスペクター。スペクターの実験に再現性がないことから、ねつ造が発覚した。しかし、それから12年後、リン酸カスケードが真実であることが確かめられた。著者いわく、スペクターがこれを理論として発表し、その証明を実験者に任せていれば天才といわれたであろう。だが、生命科学の世界では「理論だけではサイエンスとして認められない」のだそうだ。なるほど…このことは、生命科学者が実験データを「お化粧」したくなる大きな要因なのだろう。

 しばしば研究不正は、研究者個人の問題を越えてしまう。ES細胞をめぐる韓国の黄禹錫(ファン・ウソク)事件は、韓国のマスコミと国民感情が融合した「集団ヒステリー」を引き起こした。卵子入手の違法性が報道されると、卵子を提供するという女性が1000人を超し、ねつ造を「敵対組織の陰謀」として(抗議の?)焼身自殺するものまで現れたという。ほんとかいな。熱狂は科学の敵であるなあ。私は、日本のSTAP細胞事件についても、本書によって、ようやく詳細を理解した。まわりの研究者が、なぜHOにだまされたのか、著者が「少しは分かったような気がした」と書いているところがある(122頁)。HOの資質として「プレゼンテーションが上手でCDB(発生・再生科学研究センター)の執行部を感心するくらいだった」「その一方、彼女の知らないような話をすると怒るので、怒らせないよう会話に気をつけ、誰も研究の話をしないようになった」という記述のあとにあるのだが、え、そんなことで分かっていいの? 科学者ってそんなに簡単にだまされるの?

 あらためて惜しまれるのは、笹井芳樹氏の自殺である。私はSTAP細胞事件ではじめて笹井氏の名前を知った門外漢だが、ES細胞、iPS細胞から脳や眼のような複雑な臓器をつくる研究で世界をリードし、2012年のネイチャー誌は「ブレイン・メーカー」という名前でその業績を紹介していたという。でもそれ以上に、著者のいうとおり「人々が科学と科学者を信用しなくなり、わが国の科学は世界からの信用を失った」ことの損失は計りしれないと思う。

 本書の後半では、研究者がなぜ不正をするのかが論じられている。自然科学の世界は競争社会であるから、よい研究をしなければならない。よい研究かどうかは、論文が掲載されたジャーナルから判断できると人々は信じている。よいジャーナルかどうかは論文の引用が指標となる。超一流のジャーナルに発表論文があれば、研究費が獲得しやすい。研究費(外部資金)獲得競争に勝たなければ研究ができない。と、書いてしまうと、実に身も蓋もないのが、いまの研究者たちの置かれている環境である。競争は進歩の原動力であると同時に、研究不正を引き起こす素地にもなっていると著者は指摘する。

 また、研究不正を監視する論文審査(ピアレビュー)の効力、ソーシャル・メディアによる監視の威力と限界、ネット公開ジャーナルの是非(審査基準が甘い)など、ざまざまな今日的課題について、具体的な実態と、研究者がどう考えているかを知ることができた。これから研究者になろうという学生や、研究者のそばでその支援に携わっている人たちにぜひ一読を勧めたい。
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淵源を探る/日本会議の研究(菅野完)

2016-05-18 22:13:26 | 読んだもの(書籍)
○菅野完『日本会議の研究』(扶桑社新書) 扶桑社 2016.4

 最近の政治状況をネットで追いかけていると「あのひとは日本会議の…」という話をよく聞く。議員、もしくは有識者(政府の諮問委員会メンバーなど)で、憲法に関して、あるいは教育、家族・男女共同参画政策に関して、あまり私は共感を抱けない人たちの磁場だと感じている。本書は、マスコミがほとんど取り上げない不思議な保守団体「日本会議」の実態を、歴史的な淵源までさかのぼって追及したものである。いま「保守団体」と書いたが、本書の冒頭で「日本会議周辺は、これまでの保守や右翼とは明らかに違う」と著者が断言していることは付記しておこう。

 「日本会議」(1997年設立)は「日本を守る会」と「日本を守る国民会議」の二団体が合併し、「日本青年協議会」が事務局として参画することで成立した。このうち「日本を守る会」は1970年代、宗教団体の集まりとしてスタートし、1979年、元号法制化を成功させた。一方、同時期の「靖国神社国家護持法制定運動」は失敗に終わった。この運動を担った「英霊にこたえる会」も、現在の日本会議の有力メンバーである。

 前述の「日本青年協議会」は、70年安保の時代に「生長の家学生運動」を母体とする「全国学協」の社会人組織として発足するが、全国学協から除名処分を受け、自前の学生運動組織「反憲法学生委員会全国連合」を結成する。この団体がすさまじい。「改憲」ではなく「反憲」、現行憲法を徹底的に否定することをテーゼとしているのだ。改憲よりも憲法解釈の変更こそが重要であるという、目のまわるようなプロパガンダパンフレットが、本書に例示されている。安倍政権の解釈改憲政策の淵源がここにあるというのは、十分考えられることだと思う。

 ただし、宗教団体「生長の家」は2015年現在、政治とのかかわりを一切断っている。にもかかわらず、創始者・谷口雅春が説いたウルトラナショナリズム路線を堅持する人々が生き残っているのだ。著者は、安倍政権のまわりを取り囲む「生長の家」→「日本青年協議会」関係者を、具体的にひとりずつ特定していく。そして、今なお(谷口雅春亡き後)彼らの精神的支柱となっているカリスマ的存在を探し求め、安東巌という名前にたどりつく。安東は1939年生まれ。60年代、長崎大学において左翼全学連を自治会選挙で排除する「学園正常化運動」に名を残している。

 ここで本書には思わぬ名前が登場した。のちに右翼団体「一水会」代表となる鈴木邦男さんである。鈴木さんは、生長の家の信者で、母校の早稲田大学で武闘派として活躍し、左翼学生の全学ストを解除してしまう。この功績によって、生長の家学生運動のヒーローとなるが、安東の罠にはめられ、教団から排斥される。本書によればこの経緯は「身元厳秘」を条件にある人物が語ったものだという。現代日本にも、こんなすごい権力闘争があったのかと驚いた。しかも登場人物は学生だし。まるで時代劇の宮廷闘争みたいである。

 そして著者の需要な指摘。安東は、長崎大学の学園正常化運動において「対左翼」の勝利のしかたを獲得する。気分に流される一般大衆に依拠していては勝てない。運動を強固に組織化しなければならない。その認識から「日本会議」はストレートにつながっている。デモ・陳情・署名・抗議集会・勉強会といった、ある意味「民主的な市民運動」を愚直にやり続けてきた結果、改憲の悲願達成に手をかけるところまできたのである。これが本当だとすれば、歴史の皮肉といえる。

 しかし本当に日本会議って、そんなに強固な団体なのだろうか。政治・宗教あるいは地縁など、およそあらゆる中間集団から縁の薄い人生を送ってきた自分には、どうも壮大な法螺話を聞いているような気がしてならない。それから、最近の「保守」というより「左翼嫌い」のおじいちゃんたちの出発点が、60-70年代の学生運動にあるのだとしたら、まあ分かるような気がした。若い頃に受けたトラウマは消えないんだろうなあ。
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守成のトップリーダー/貞観政要(守屋洋訳)

2016-05-16 23:55:52 | 読んだもの(書籍)
○呉競;守屋洋訳『貞観政要』(ちくま学芸文庫) 筑摩書房 2015.9

 このところ見ていたドラマ『隋唐演義』に影響されて読んでみた。「貞観政要」は唐太宗(李世民、598-649)の言行録である。太宗の死後40~50年後、史家の呉兢(670-749)によって編纂された。本書は、全部で280篇の説話のうち、その四分の一にあたる70篇を訳出したものである。現代語訳と短い解説のあとに、原文(漢文)と読み下し文がついている。「現代的意義を持ち、まとまりのあるもの」という訳者の選択基準がよいのかもしれないが、全編にわたって、とても面白かった。

 私は李世民というと、兄の李建成と弟の李元吉を殺害した「玄武門の変」の衝撃が強くて、これだけのことをやり遂げるのは、よほど残忍で腹黒い策士に違いないと思っており、「貞観政要」でつくられた名君のイメージを信用していなかった。しかし本書を読むと、なかなか懐の深いリーダーであったことが分かる。李世民自身が語った言葉にも印象深いものがあるが、それ以上に周りの政務補佐官たち、魏徴や王珪の言葉には、今日に通じる政治の要諦が説かれており、それを受け入れる李世民の度量に感心させられる。あまたの名臣に混じって、文徳皇后の存在がきちんと記録に残されているのも嬉しい。騎馬民族系(鮮卑族)だから、女性の地位は高かったのだろう。

 奢侈のいましめ。神仙を求めることの否定。学問(読書)の奨励。できるだけ戦争を回避すること(兵は凶器なり。やむを得ずしてこれを用う)。法の遵守。しかし法は簡素に、なるべくゆるやかに適用し、過酷な執行で民を怯えさせない。指導者たる者、言語を慎み、わずかな失言もないようにする。ああ、こんなリーダーがどこかにいないものかと思って、何度となく嘆息した。現代社会にはびこる、相当な社会的地位にありながら、学問を否定し、天下の法を私(わたくし)し、発言に全く重みのない人々にはもううんざりである。

 強く共感したのは、治世の要諦は人材登用にあり、という考え方である。とりわけ、太宗から人材の発掘を命じられた臣下が「これといった人材が見つかりません」と答えたのに対し、太宗が「周の文王が太公望に出会ったような奇跡に望みをつないではならない。どんな時代にも人材はいる。われわれが気づいていないだけではないか」と答えたという一段には感銘を受けた。昨今、育成、育成とお題目を唱えている人々には、この「われわれが(人材の存在に)気づいていないだけではないか」という謙虚さを一度学んでほしいと思う。

 あわせて、解説にあった戦国時代の郭隗の言葉、「礼をつくして相手に仕え、謹んで教えを受ける、これなら自分より百倍すぐれた人材がまいります」(途中略)「頭ごなしにどなりつけ叱りとばす、これではもはや下僕のようなものしか集まってきません」というのも、本当にいつの時代にも通じる教訓だと思った。

 本書を読むと、李世民が鼻持ちならない偽善者に感じられないこともない。だが、考えてみると、彼は陳の陳淑宝や隋の煬帝をはじめ、多くの権力者が奢侈や放埓に溺れ、生涯を全うできなかった姿を間近に見ているのである。「君は舟、民は水」であり、「水はよく舟を載せ、またよく舟を覆す」というのは、李世民の肌身に迫る実感であったろう。国を治め、百姓の安楽を実現することは、君主となった者が我が身と一族を守るために絶対必要な責務であった。

 日本において、徳川家康が「貞観政要」を愛読したことはよく知られているが、尼将軍・北条政子もこの書にほれ込み、北条氏は代々治世の参考書にしたという。さすが政子。本書を読んで、だいぶ李世民が好きになった。しかし、これだけの名君でも後継者選びはうまくいかないものなのだなあ。
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