見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

もっと見たい!/画鬼・暁斎(三菱一号館)

2015-06-29 23:08:32 | 行ったもの(美術館・見仏)
○三菱一号館美術館 『画鬼・暁斎-KYOSAI 幕末明治のスター絵師と弟子コンドル』(2015年6月27日~9月6日)

 幕末明治に「画鬼」と称され、絶大な人気を博した絵師、河鍋暁斎(かわなべ きょうさい、1831-1889)の展覧会。だと思って行ったら、副題が「幕末明治のスター絵師と弟子コンドル」となっていて、建築家ジョサイア・コンドル(1852-1920)の扱いがかなり重い。まあ三菱一号館はコンドルの設計だからな。そして、コンドルが暁斎に弟子入りして暁英の号を授かっていたことは、あまりも有名である。私はコンドル先生も好きなので、東大建築学科所蔵の鹿鳴館の階段の断片や、緑色の大型本『Landscape Gardening in Japan』などを、久しぶりに懐かしく眺めた。狩野派ふうの正統絵画『霊照女・拾得図屏風』は興味深かった。京博の寄託品なのか。

 会場で出会う最初の暁斎作品は『枯木寒鴉図』。2008年の京博の暁斎展でも印象深かった作品。暁斎が第二回内国勧業博覧会(明治14/1881)で「妙技二等賞」を獲得し、コンドルと知り合うきっかけになったと思われる作品だが、梅干し飴の「榮太樓」が所蔵しているというのが素晴らしい。詳しくは、荒俣宏さんの『江戸の醍醐味:日本橋・人形町から縁起めぐり』で。

 刊本『暁斎画談』(晩年の出版)は、暁斎が七歳で歌川国芳に入門した場面が開けてある。よく見ると猫まみれの国芳が愛らしいのだが、注目するお客さんが少ないのはもったいない。なお、展覧会を最後まで見ると、暁斎も負けず劣らずの猫好きだなあという印象が残る。

 暁斎の作品はいくつかのテーマに分けて展示されている。「初公開 メトロポリタン美術館所蔵品」は、主に動物モチーフの小品で、河鍋暁斎記念美術館が所蔵する『英国人画帖下絵』と見比べることができるのがうれしい。個人的には、下絵のほうが生き生きして好きな作品もある。それから「道綽人物図」「芸能・演劇」「動物画」「美人画」など。私は、数の少ない「山水画」が、どれもかなり個性的で面白いと思った。

 「幽霊・妖怪図」に分類されていた『猫又と狸』は、ちょっとイソップ童話か何か、洋物絵本みたい(展覧会公式サイトのTOPにも出てくる)。私は、2000年に池袋の東武デパートで開催された『河鍋暁斎・暁翠展』を見ているはずなのだが、唯一印象に残っているのがこの作品なのである。『九尾の狐図屏風』は不思議な絵だなあ。富士山(日本)を餌に、中国(閻魔王?)と天竺(鬼)がふんどし姿で縄の両端を持ち、九尾の狐を捉えようとしている。「動物画」に分類されている『月に狼図』は、らんらんと目を剥いたオオカミが腐りかけの生首を咥えた図。これも「妖怪」でいいような気がする…。

 「風俗・戯画」に『風流蛙大合戦之図』があったことは記録しておこう。先日「芸術新潮」で狩野博幸氏が「合戦図10選」にあげていらしたもの。『放屁合戦図』は面白いけど、平安時代の古本と比較しながら見てみたい。館内に、とつぜん思わせぶりな黒い紗の目隠しが下りているところがあって、もしやと思ったら「春画」のセクションだった。笑えるものからリアルなものまで様々。18歳未満は観覧禁止。でも普通の展覧会会場の中に、突然こういうエリアが設けられているって、どうなんだろうか…。

 面白い作品は多かったが、全体として、2008年の京博展のボリュームには遠く及ばないため、「もっと暁斎見たい!」という飢餓感がつのって、ストレスが残る。お土産は暁斎の骸骨図がデザインされたワンカップ日本酒。これは20歳未満には売らないのかな?



三菱一号館美術館:音が出るので、見出しにはリンクを貼らず。なお展覧会関連で行きたかったイベントがいくつかあるが、チェックしたときは、もう満員で募集打ち切りだった。みんな出足はやいな。
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見たもの拾遺:教派神道の教祖と儀礼(国学院大学博物館)ほか

2015-06-28 23:07:32 | 行ったもの(美術館・見仏)
国学院大学博物館 平成27年度第2回企画展『教派神道の教祖と儀礼』(2015年6月1日~6月30日)

 山種美術館に行ったついでに、徒歩圏内にあるこの博物館に初めて寄った。同大学のキャンパスに入るのも初めてだ。今、まさにキャンパス再開発が進行中らしく、おしゃれで近代的な建物がたくさん建っていた。博物館は、図書館、情報センター、多目的ホールなどと一緒に、学術メディアセンターの中に入っている。入館無料。

 教派神道とは、明治時代に政府から公認された神道教団のことで、多くは幕末から明治時代にかけて生まれた神道系の民衆宗教が基盤になっている。よく知られた団体をあげれば、大本(教)・黒住教・金光教など。国学院といえば、神社神道(国家神道)の元締めというイメージがあったが、歴史的に、教派神道とも全く無関係ではないらしい。黒住教の教主の肖像画や、初めて見る出口なおの「お筆先」など、興味深かった。木曽御嶽山を主道場とする御嶽教(おんたけきょう)や冨士講を統括した扶桑教など、山岳信仰は全国的な組織力を持っていたんだな。

 企画展コーナーは小規模だったが、続けて常設展を見る。「神社祭礼に見るモノと心」展示ゾーンには、大嘗祭の斎場の模型があって、今しも地面を踏まないよう、敷き物の上を渡っていく天皇の姿が。新嘗祭の神饌の容器は、柏の葉を枡形に折って造る。蒸し寿司みたい。厳島神社の玉取祭の宝珠とか、鷽替え神事の鷽、蘇民将来など、面白い。考古展示ゾーンには、火焔土器、土偶、銅矛、銅鐸、勾玉などがゴロゴロ。大神神社の山ノ神遺跡の実物大模型には、見てはいけないものを見てしまったようで軽いショックを受けた。

 さらに同博物館の前身である「考古学陳列室」(のち考古学博物館)の創設者である樋口清之博士(1909-1997)についての展示は非常に面白かった。考古学陳列室は、当時学部生であった樋口清之氏によって創設されたって、びっくりである。博士が収集した考古資料の膨大なコレクションのほかに博士の発掘道具や地下足袋、博士自作の仏像や神像も展示されていた。黒曜石の原産地アトラスをつくるために集められた標本とか、縄文原体標本(どういう結び縄をつくると、どういう文様がつくれるか)など、ちょっと他の博物館では体験できない、物量に圧倒される展示だった。

ディスカバリーミュージアム 第17回企画展 永青文庫コレクション『大名の旅 参勤交代:いまは飛行機、むかしはお船』(後期:2015年5月19日~7月5日)

 先日、熊本へ出張で出かける前に立ち寄る機会があった。面白かったのは、肥後細川家初代・忠興が建造し、細川家の歴代藩主が参勤交代に使用した御座船「波奈之丸」の絵図など関連資料。これ「はなのまる」かと思ったら「なみなしまる」で、しかも「波、之を奈(いか)ん」との漢文読みに由来するという解説に、まずびっくり。御座船に載せられていたという『船印屏風』も面白かった。各藩の舟印の一覧になっており、実用性が高い。また元禄7年刊「世説新語」には「寛延三年五月二十三日芸州蒲刈浦」(広島県呉市)という識語があり、今もむかしも旅のひまつぶしは読書だったことが分かる。というより、集中して読書するなら旅先に限るね。
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女性が描く/松園と華麗なる女性画家たち(山種美術館)

2015-06-25 21:19:40 | 行ったもの(美術館・見仏)
山種美術館 特別展 上村松園生誕140年記念『松園と華麗なる女性画家たち』(2015年4月18日~6月21日)

 終了直前に見に行った展覧会だが、行ってよかった。会場に入ると、描かれた様々な女性の姿が目にとびこんできて、いつもにまして、華やいだ気分になる。上村松園(1875-1949)の作品は、思ったほど多くない。ほとんどが昭和の作、つまり晩年の作だ。中年から老年を迎えた女性が、若い女性の美を愛おしむような絵。

 松園は、女性としては異例の帝室技芸員に任ぜられたが、彼女の前にもうひとり帝室技芸員となった女性画家・野口小蘋がいる。けれんのない、ふつうの南画を描いていて、女性の作だと感じさせないのが面白い。古代中国の文人の集まり(オッサンばっかり)を描いた『西園雅集図』とか、わりと好きだ。大坂生まれなんだな。豪放磊落な南画で知られ、東京で活躍した奥原晴湖は、西の野口小蘋と双璧と言われた。長い黒羽織に男帯で生活し、男性文人と対等な立場で交流した。へええ、幕末から明治にかけて、日本にもこういう女性がいたんだ。

 橋本青江、河邊青蘭も大坂の人。なんとなく江戸より上方のほうが、女性芸術家が生きやすかったのではないかと想像する。なお、多くの作品が実践女子学園の香雪記念資料館から出品されていることは注目に値する。さすが、下田歌子の遺産。

 本店には、男性画家の作品も出ていて、そのひとつ、池田輝方(妻の池田蕉園も画家)の『夕立』は横長の画面を面白く使って、物語を感じさせる。それから、九条武子の描いた絵が見られるとは思わなかったなあ。

 近現代は、やっぱり片岡球子と小倉遊亀の作品が圧巻。片岡球子『北斎の娘おゑい』の、気の強そうなこと。間違いなく江戸の美人顔だ。小倉遊亀の『舞う(舞妓)』も素敵。若い舞妓も年かさの舞妓も、同じように可愛くて、凛としている。北沢映月『想(樋口一葉)』は、美人すぎかな?と思ったが、文学少女にとっての一葉は、永遠に理想の女性作家だから、これでいいのだと思いなおした。

↓最後に1階のカフェで、上村松園『牡丹雪』にちなんだスイーツとお薄。

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人類史の疑問/銃・病原菌・鉄(J・ダイヤモンド)

2015-06-24 22:41:47 | 読んだもの(書籍)
○ジャレド・ダイアモンド『銃・病原菌・鉄:一万三〇〇〇年にわたる人類史の謎』上・下(草思社文庫) 草思社 2012.2

 原著は1997年の刊行、日本語訳も単行本は2000年に出ている。以前から名著のうわさは聞いていたが、私が突然、読んでみようと思い立ったのは、東京都美術館の『大英博物館展』を見た影響が大きい。どうして人類の歴史は、地域により、また時代によって、異なるスピードで進んでいくのか。展覧会以来、ずっと引っかかっている疑問の答えを見つけられそうな気がして、本書を手に取った。

 進化生物学者である著者は、ニューギニア人のヤリから質問を受ける。「あなたがた白人は、たくさんのものを発達させてニューギニアに持ち込んだが、私たちニューギニア人には自分たちのものといえるものがほとんどない。それはなぜだろうか?」。著者はこの質問を普遍化して考える。なぜ人類社会の歴史は、それぞれの大陸によってかくも異なる経路をたどって発展してきたのか。世界の冨や権力は、なぜ現在あるようなかたちで分配されたのか。南北アメリカの先住民やアフリカ、オーストラリアの人びとが、ヨーロッパ系やアジア系の人びとを征服したり、絶滅させることがなぜ起こらなかったのか。

 この「勝者と敗者をめぐる謎」を解くために、著者は人類の誕生(900万年前から500万年前)に遡り、その進化・発展の分岐点を探し出していく。記述は、時間の経過にしたがって単線的に進むのではなく、たとえば「戦闘能力」に着目し、19世紀のポリネシアで起きたマオリ族(戦闘的)とモリオリ族(平和的)の衝突や、16世紀のスペイン人によるインカ帝国の征服を検証する。

 あるいは、貧富の差を生み出した「食料生産」(農耕、動物の飼育)は、いつ、どこで始まったか。メソポタミアの肥沃三角地帯では紀元前8500年頃に食料生産が始まった。この地域には、食料生産に適した動植物が分布していたので、栽培化や家畜化にさほどの時間をかけることなく集約的な食料生産に移行することができた。そして東西に広いユーラシア大陸では(同緯度では、日照時間や季節の移り変わりのパターンが比較的似ているため)早い速度で農作物が伝播した。

 しかし、地球上には、ずっと遅い時代まで食料生産が始まらなかった地域もある。食物を生産する生活のほうが、狩猟採集生活よりつねに好都合とは言えないからである(北海道の続縄文時代もその一例だろう)。また、食料生産が始まっても、東西よりも南北に長いアフリカ大陸や南北アメリカ大陸では、気候の違いが大きく、作物の伝播が遅かった。

 食料を生産する農耕民は、狩猟採集民よりも稠密な人口を維持することができる。このことが、文字や技術を発達させ、集権的な集団の形成を生む。また、密集して暮らす人々が身近に家畜を飼育することによって、さまざまな感染症(本来、家畜が感染する病原菌が人間にも感染する)が発生した。人々は苦しみながら自然に免疫を獲得したが、抵抗を獲得する必要のなかった狩猟採集民は、しばしば、農耕民のもたらした病原菌によって、壊滅的な打撃を受けた。このほか、言語、文字、金属の使用などについても、興味深い考察が紹介されている。

 冒頭のニューギニア人ヤリの質問に対する著者の答えは、「訳者あとがき」を引用すれば、以下のようになるだろう。「歴史は、民族によって異なる経路をたどったが、それは居住環境の差異によるものであって、民族間の生物学的な差異によるものではない」。問いも答えも大きすぎて、まるごと肯定するには、ちょっと躊躇する。しかし、現在の貧富の差や文明の差を、必然で固定的なものと考えるのは、明らかに非科学的だと思う。多くの事例を比較・考察して、ひとつの法則を見出そうとする著者のオープンな態度に共感する。

 本書は、全体の大きな構想も面白いが、個別事例の詳細な解説も非常に興味深いものがある。スペイン人ピサロによるインカ帝国の征服は、ほんとにえげつないなあ。この事実を知ったら、スペイン人であることが嫌になるんじゃないだろうか。

 著者の研究フィールドであるニューギニアは、本書にしばしば登場するが、高地と低地では全く気候が違い、住民の社会形態も違うというのが興味深かった。また、東南アジア・ニューギニア・オーストラリアが1枚に収まった地図を見る機会があまりなかったので、こんなに近いのか!とあらためて驚いてしまった。

 「発明」についての考察も面白かった。「必要は発明の母」というのは誤りで、多くの発明は、何か特定のものを作り出そうとして生み出されたのではなく、発明をどのように応用するかは、発明のあとに考え出された。「天才発明家」には誇張がある。功績が認められている有名な発明家とは、必要な技術を社会が受け容れられるようになったときに、既存の技術を改良して提供できた人であり、有能な先駆者と有能な後継者に恵まれた人なのである。ここを読みながら、いまの日本の教育が、社会全体の格上げを放棄して、一部のイノベーション人材の育成に走っているのは間違いだと確信した。

 あと「挿し木」という技術の発明がきわめて画期的であったこと、さまざまな理由から、家畜化できる動物の品種は限られていたこと、など。これから、ゆっくり楽しみたい、考えるヒントがたくさん詰まっている。
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神と暮らす人々/石見 大元神楽(国立劇場)

2015-06-22 23:17:16 | 行ったもの2(講演・公演)
国立劇場 第127回民俗芸能公演 重要無形民俗文化財『石見 大元神楽』(6月20日、13:00~ 出演:市山神友会)

【1時の部】

 島根県西部に伝わる大元神楽(おおもとかぐら)を見に行った。その特徴は、明治時代に禁止された神懸りと託宣の儀式を伝えていること、明治以降、石見地方に急速に広まった華やかでテンポの速い八調子ではなく、古くから伝わる優美でゆったりとした六調子の舞を今に伝えることなどにあるという。開演前の舞台↓(会場係員に確認して、写真を撮らせてもらう)。五色の紙細工の天蓋でおおわれた1間半四方のスペースで神楽が演じられる。下手は楽人の座。大太鼓、締太鼓、銅拍子(小さなシンバル)、横笛が基本構成。



 天蓋の「雲」の中には、九つの「小天蓋」が仕掛けられている。この働きはのちほど。



 藁でつくられた蛇(丸くとぐろを巻いている)がかつがれてきて、奥の祭壇に安置されると神楽が始まった。

・「四方拝(しほうはい)」…四色の狩衣(水干?)を来た舞人が登場する。下手から時計まわりに東(青)、南(赤)、西(白)、北(黒)。ただし青は緑色、黒は紫で表す。四人は、長い袖を翻しながら、縦横斜めに行き交い、舞台を踏み固める。優雅な動きは王朝のむかしを思わせるが、テンポは意外と速い。片手に幣、片手に鳴り物を持っている。鳴り物は、U字型に曲げた金属線に、穴あき銭を何枚も通したような古風で素朴なものだった。

・「太鼓口(どうのくち)」…四つの大太鼓(大胴)が引き出されて、近距離で向きあう。その間に、笛や締太鼓が配置される。円座になった楽人八人が楽を奏する。大太鼓を奏する四人の衣は、やはり四色。だんだん身振りが大きくなり、両袖を背中に担ぐようにし、左右に身体を揺らして、神楽歌を歌う。最後に四人が短い舞をひとさしずつ舞う。

・「手草(たぐさ)」…一人舞で、二本の榊を両手に持って舞う。上半身もくるくるとよく動くが、たぶん歩の運び方に重要な意味があると思われ、なるべく足元に注目する。お供えの米を撒いて、舞台を清める仕草もある。

・「山の大王(やまのだいおう)」…「手草」の舞人が退場したとたん、「ぐわわぁ~」みたいな胴間声とともに、ざんばら髪の仮面をかぶった山の大王が乱入してくる。楽人の座にいた一人(祝詞師/のりとじ)が立って、大王にしがみつき、「大王さん、まあまあ」と宥めて、椅子に座らせる。ここから舞台は一転してコント劇場に。「大王さん、島根から東京までどうやっていらっしゃった?」「うむ、広島から新幹線で」とか真面目に問答するのが可笑しい。ところどころに軽快な囃子や歌も入る。酒や餅、肴をふるまわれた大王は、機嫌よく山に帰っていく。大王さんの仮面の下は、村の校長先生で、お仕事は定年間近だそうだが、ぜひお元気で、次の式年祭でも活躍なさってほしい。(ここで休憩)

・「磐戸(いわと)」…はじめに天照大御神が弟・スサノオに辱められたことを語り、幕の後ろに隠れる。白い眉、長い髯の児屋根命と壮年の太玉命が天下を憂い、神楽を奏し、天鈿女命におもしろく舞ってもらうことを考えつく。天照大御神が顔を見せたところを、手力雄命が両手をうやうやしく握って外に引き出す。神々は全て仮面で表現する。天鈿女命はこの神楽でひとりだけ、いわゆる神楽鈴を振っていた。あと、聞き覚えのある記紀の章句をそのまま使っている神楽歌が面白かった。

・「蛭子(えびす)」…西宮蛭子明神へ参詣した神主が、地元の住人から神社の由来を聞いていると、蛭子の命が現れ、釣竿を取り出す。糸を客席の前方に垂らし、何度か失敗の所作で笑いを取ったあと、(誰か待機していたのか?)大きな鯛を釣り上げて、拍手喝采。

【4時30分の部】

 ここから友人が加わり、一緒に鑑賞。

・「四剣(しけん)」…白い衣、赤い袴の四人の男性が登場。手には剣と鈴(前半でも使っていた素朴なもの)を持っている。剣ははじめから抜き身だったか? あるいは早い段階で鞘を捨てて、あとはずっと抜き身だった。舞台の四方に位置し、縦横斜めに行き交う。四方拝に似ているが、もっとテンポが速く、動き方が複雑である。固唾を飲んで見守っていると、一瞬、小休止が入るのだが、終わりではなく、さらに複雑なフォーメーションが始まる。その繰り返し。もう体力も精神力も限界じゃないかと思っても、まだ行く。サディステックなほど、長い。とうとう四人が膝をついて、それぞれの剣先に紙を巻き始めたときは、これでやっと終わりかと思ったが、さにあらず。四人は片手に自分の剣の束、片手に隣りの人の剣先を握って、サークルを作り、くるくると右へ左へまわり始める。そして、「くぐれやくぐれ」の歌詞で刃の下をくぐり、「跳べや跳べ」で刃を飛び越える。剣と人のサークルが、何度もねじれ、裏返り、もとに戻るが、決して両手は離さない。すごい! 見ているだけでも激しく消耗した。

・「御座(ござ)」…白の衣に水色の袴の男性が一人、筒状に巻いたゴザを持って登場。前半はゆったりと厳かに五方(四方と中央)の神を拝するが、後半は、ゴザを広げてかつぎ、さらにゴザの両端をつかんで、縄跳びのように前後に揺すりながら飛び続けるという荒業。

・「天蓋(てんがい)」…「天蓋」の中に吊るされた九つの「小天蓋」のうち、五つに仕込まれていた神様の名札が垂らされる。東=青(緑)=久々能智命、南=赤=迦具土神、西=白=金山彦命、北=黒(紫)=岡象女命、中央=黄=黄龍埴安比売命。九つの小天蓋は紐によって、上げたり下げたりすることができる。舞台後方に座った三人の男性が紐を握り、奏楽と神楽歌に合わせて、紐を上下させる。はじめはゆっくりした動きだが、強く紐を引くと、小天蓋は、生き物のように前後左右に激しく跳ね飛び、五色の紙飾りがちぎれて舞う。(休憩)

・「五龍王(ごりゅうおう)」…狩衣姿の四人の王子(青躰青龍王、赤躰赤龍王、白躰白龍王、黒躰黒龍王)が集まっているところに、十七歳になった末っ子の黄躰黄龍王が鎧姿で現れ、自分の所領を要求する。あわや合戦となるところ、文撰博士が理を説いて仲裁する。すなわち、天地の中央を黄龍王の所領とすること。春夏秋冬に「土用」の期間を定めること、そのほか、万物の帰趨を一気に述べ立てる。思わずセリフにつまると、客席から「がんばってー」の声が飛んだ。これはこれで、記憶力の限界に挑むような荒業。

・「鐘馗(しょうき)」…素戔嗚命は唐国で鐘馗と名乗り、虚耗(きょもう)という大疫神を退治したが、その眷属(?)が日本に攻めてきたため、茅の輪と宝剣で退治するという物語。スサノオは仮面をつけず、虚耗(きょもう)は仮面をつける。ただし、あまり怖い鬼ではない。力は強いが、振る舞いは愚鈍で、当然のように退治されて終わる。

 実は「五龍王」と「鐘馗」の間に舞台が暗転して、大きなスクリーンに映像が映し出された。今回は上演されない「神がかり」の場面だった。「神道」とひとことでいうけれど、都市生活になじんだ神社とは全く違う、こんな豊かな信仰が保たれていることが興味深かった。よいものを見せてもらった一日だった。
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熊本駆け足旅行

2015-06-20 00:50:59 | なごみ写真帖
熊本に行ってきた。仕事だったので、観光の時間はないと思っていたが、熊本城の天守閣と本丸御殿だけ駆け足で見て来た。カッコイイ城だわ。見た目も、その歴史の背負い方も。



復元された本丸御殿。最も格式の高い対面所(藩主の会見の場)は「昭君之間」と呼ばれ、壁や襖に王昭君の物語が描かれている。なぜこの画題? しょうぐん(将軍)の間、すなわち秀頼を迎え取る用意だったという説もあるそうだ。



平日の午前中だったので、日本人は少なく、韓国語と中国語がにぎやかだった。

熊本名物でまとめたランチ。辛子蓮根は品切れで別メニュー。前日の懇親会で食べた「太平燕」は美味しかったな。



最後に「くまモンスクエア」へ。長野からアルクマが来ていた。


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日向薬師(金沢文庫)+常盤山文庫名品展(鎌倉国宝館)

2015-06-16 21:18:42 | 行ったもの(美術館・見仏)
神奈川県立金沢文庫 特別展 平成大修理記念『日向薬師-秘仏鉈彫本尊開帳-』(2015年4月24日~6月14日)

 この展覧会、昨年秋に予定されていたが、収蔵庫の一部にカビが発生し、緊急メンテナンスが必要となったことから、開催が延期されていたものである(※参考:神奈川県記者発表資料 2014/9/17)。このまま無期休館とかになったらどうしようと心配していたが、神奈川県の文化行政はそれほど無慈悲ではなかった。よかった。

 展示室に入ると、1階に「龍華寺の美術」の小特集。片足踏み下げの菩薩像(天平仏)と、鎌倉時代の仏画「釈迦十八天像」が並んでいる。仏画は、剝落が進んでいるが、釈迦の赤い衣、神々の金の冠が美しかった。2階に上がると、展示物がぎっしりで、なんだか密度が濃い。ひときわ目立つのが「秘仏」鉈彫本尊(薬師如来・日光菩薩・月光菩薩)で、本来、年3回(正月三が日・初薬師・春季例大祭)のみご開帳されている。私は、一度だけ日向薬師(日向山宝戒坊)で拝観したことがある。鎌倉国宝館で見たことがなかったかな?と思ったが、これは秘仏でないほうの薬師如来だった(※特別展『鎌倉の精華』)。

 中尊の薬師如来は、面取りをした木材のような力強い丸顔。頬はなめらかで、頭部に螺髪を整える。胸も平滑で、普通の木彫り仏にしか見えない。ただ両肩から腹部を覆う衣にだけ「鉈彫り」が見られる。それにしても側面から見ると薄いなあ。日光・月光菩薩は、高い冠をかぶり、全身に「鉈彫り」が施されている。顔のノミあとは弱め。対称軸がねじまがったような造形が印象的で、どことなく怖い。

 そこへ高齢者の多い団体さんが会場に入ってきて、先導者が解説を始めた。鉈彫りは、昭和40~50年代にブームがあったこと、国分寺など格の高い寺院を中心に残っており、東日本においては「オフィシャルなもの」の指標だったのではないか、等(※同様の見解が、読売新聞2015/6/12付けに掲載されているのを見つけた。解説していたのは、学芸員の瀬谷貴之さんだったのかな)。

 十二神将像は仔細に見ると平安後期の作で、東日本でいちばん古いと解説していた。奈良の新薬師寺の十二神将はとびぬけて古いが、その後はしばらく全国的に作例がないのだという。仁平3年(1153)日向薬師(旧名は霊山寺)の梵鐘を改鋳する院宣が下されており、その頃の作と見られている。仁平3年って?と調べたら近衛天皇の御代。院宣を出したのは鳥羽院だろう。東国とのかかわりが深いんだなあ。

 ほかに慶派ふうの飛天残欠、唐櫃、獅子頭、霊山寺で刊行された旨の刊記をもつ華厳経(巻子本)、不動明王や天部像を刻んだ版木など、バラエティに富んだ展示だった。参考資料もいろいろあって、そうか頼朝、政子の参詣はむろん、相模集にも「日向といふ寺にこもりて」って登場するのか。

 ロビーでおじいちゃんたちが展覧会図録を封筒から出して眺めていたので、そうそう私も買わなくちゃ、と思ってカウンターに寄ったら「売り切れです」と言われてしまった。タッチの差。まあ最終日の前日じゃしょうがないか。残念。

鎌倉国宝館 『常盤山文庫名品展2015 特集:鎌倉禅林の墨蹟と頂相』(2015年5月22日~6月28日)

 金沢文庫から逗子でJRに乗り換え、鎌倉へ。紫陽花シーズンで、駅前はいつもに増して人が多かった。本展は、常盤山文庫の名品に加えて、鎌倉の多くの寺院から寺宝が出品されており、規模は小さいけれどゴージャスである。無準師範の『巡堂』や清拙正澄の『毘嵐巻』は何度見てもいい。そして、先週、根津美術館で名前を覚えた石室善玖の墨蹟『月林道皎十三回忌拈香偈』を見つけてうれしく思う。読める字だけを拾って、何が書かれているか、内容を考えてみるのも面白い。

 絵画は、だいたい知っている作品が多かった中で、40センチ×50センチほどの小品『北野社頭図』(狩野松栄筆)が印象的だった。これ、最近どこかの展覧会で見なかったかなあ。北野天満宮の境内なのだろう、密集した社殿や門、鳥居や木々が詳しく描き込まれていて、こういう実景のスケッチをもとに洛中洛外図のような屏風を構想したのではないか、と想像した。
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希望をかかげる/ぼくらの民主主義なんだぜ(高橋源一郎)

2015-06-15 22:38:17 | 読んだもの(書籍)
○高橋源一郎『ぼくらの民主主義なんだぜ』(朝日新書) 朝日新聞出版 2015.5

 朝日新聞の「論壇時評」に2011年4月28日から2015年3月26日まで、月1回連載されたもの。連載が始まった2011年4月といえば、あの東日本大震災から1ヶ月後である。まだ、いろいろなことの先行きが不透明だった時期だ。著者は、この「震災」が多くの日本人に「敗戦」の記憶を(不思議なことに、戦争を体験したことのない世代にまで)よみがえらせた点に注意を喚起する。しかも不気味なのは、もしかしたら私たちが向かおうとしているのは(第二の)「戦後」ではなく(第二の?)「戦中」なのではないか、という予言めいた指摘である。

 それから5年間、日本の社会は揺れ続けたように思う。出口の見えない原発事故の後始末と再稼働をめぐって。TPP問題。格差と非正規労働。荒廃する高等教育。ヘイトスピーチ。慰安婦問題。朝日新聞の「吉田発言」取り消し。特定秘密保護法。イスラム国人質事件。ふだんマスコミやSNSを流れる発言を見ていると、この国では誰もが少し「正気」を失いかけているように感じる。そんな中で、罵倒や冷笑をまじえず、希望を見つけて静かに語る著者の姿勢は尊く思われる。

 どれも印象的な時評の中から、とりわけ心に残った章をいくつか紹介する。ひとつは「ある若者」が友人の混じったデモ隊の列と並んで歩いていると、突然、私服警官に逮捕される。「警官がきみに恐怖を感じたから」公務執行妨害だという。そして留置場で、裁判を受けられず1年以上も留め置かれている窃盗犯に会い「それって人権侵害なんじゃないの」と話していると、房の外からバケツで水をかけられた。その若者が半世紀近くたって、いまこの論壇時評を書いている、と著者はいう。偶然のような書きぶりだけど、必然だったのではないかと思う。もしこの事件に遭わなくても、たぶん著者は、どこかで同じような体験をして、権力(政権、官僚、あるいはそれ以外のもの)が「ふつうの人々」に対して何をするかを賢く学びとっただろう。

 この国の政治は、国民(特に社会的弱者)を力で支配し、経済的な自立を邪魔し、それにもかかわらず自らを「愛する」ように命ずる。これは、ドメスティック・バイオレンスの加害者がパートナーに向ける暴力に酷似している。ああ本当に、いまの政治の始末の悪さは、DVにそっくりだ。そしてDV被害者へのアドバイスの多くは、こんなふうに結ばれる。自分を責めてはならない。明るく、前向きな気持ちでいることだけが、この状況から抜け出す力を与えてくれる。

 だから著者は、希望の種を探すのかもしれない。震災や原発を愚直に描いた漫画家たち。論壇誌以上の先鋭性を見せた雑誌『通販生活』や、デモの楽しさを解説したブックレット『デモいこ!』など出版界の試み。赤坂真理さんの小説『東京プリズン』で先行世代がやり残した宿題にひとりで立ち向かう少女。美智子皇后の言葉。

 標題の「ぼくらの民主主義なんだぜ」は、2014年春に起きた台湾の立法院(議会)を学生たちが24日間にわたって占拠したが、最後は立法院長から提示された妥協案を受け入れ、撤退したエピソードに拠る。この事件について、日本のマスコミの報道は少なかったように思うが、私はツイッターで固唾を飲んで現地の状況を見守っていた。妥協案が提示されたあと、リーダーの学生は、占拠に参加していた学生の意見を個別に聞いてまわり、最終的に撤退を表明した。「民主主義とは、意見が通らなかった少数派が、それでも『(意見を聞いてくれて)ありがとう』ということのできるシステム」ではないかと著者はいう。

 だから民主主義は面倒くさい。素早く効率的にものごとを決めることなんかできない。でも、怨みを残さないことが、最終的には共同体の存続に有利なのではないかと思う。そして、もしかしたら、私たちは「正しい」民主主義を一度も持ったことなどないのかもしれない、という著者の言葉が胸に刺さる。でも、自分を(祖国を)責めてはならない。希望をかかげて、未来に目を向け続けよう。
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札幌の本屋 くすみ書房「閉店」の衝撃

2015-06-12 23:47:15 | 街の本屋さん
くすみ書房「閉店のお知らせ」

 今日、ツイッターでくすみ書房のアカウントが6月10日に閉店を宣言していたことを知った。札幌の本屋「くすみ書房」といえば、本と本屋好きの間では有名なお店である。私は2013年の春に札幌に引っ越すまで、詳しいことは知らなかったが、「本屋のオヤジのおせっかい 中学生はこれを読め!」とか「なぜだ?売れない文庫フェア」など、アイディアあふれる棚づくりに挑戦しており、店主の久住邦晴さんは、全国ネットのマスコミにもたびたび登場している。

 あらためてホームページの「くすみ書房について」を読んでみたら、戦後間もなく琴似(札幌市西区)にて創業。しかし、1999年ごろから地下鉄の延長の影響や大型書店の出店によって売上げが落ち、2009年、琴似の店舗を閉めて大谷地(札幌市厚別区)のショッピングモール内に移転。2013年には経営危機をクラウドファンディングで乗り切った。その後、最近は「琴似に新発想の本屋を作ります」という新プロジェクトが始まっていたので、まあまあ経営は順調なんだろうなと思っていた。その矢先の悲報でびっくりした。何か想定外の事態が起きたのだろうか…。

 私の札幌暮らしは2年で終わってしまった。その間、大谷地のくすみ書房を訪ねたのは、3、4回かな。宿舎の徒歩圏に紀伊国屋や丸善&ジュンク堂があったので、そんなに頻繁に通ってはいない。しかし、個性的な書店のある街に住むのはいいことだ。琴似の「ソクラテスのカフェ」のトークイベントに参加したのもいい思い出である。

 そして、実は2013年のクラウドファンディングに、私もわずかであるが資金を提供した。100冊以内で私のおすすめ本の棚を作り、2ヶ月展示してもらう権利を買ったのである。権利を行使しないうちに札幌を離れてしまう結果となり、さらにこういう事態になってしまったが、まだ希望は捨てずにおきたい。良心的な書店のない街に住むなんて、悲しい人生だと思うから。
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かわいい戦場・おどろきの屏風/雑誌・芸術新潮「謎解き大合戦図」

2015-06-12 22:36:58 | 読んだもの(書籍)
○雑誌『芸術新潮』2015年6月号「関ヶ原&大坂の陣 謎解き大合戦図」 新潮社 2015.6

 徳川家康没後400年を記念して、東京・京都・福岡を巡回中の『大関ヶ原展』。江戸東京博物館で見はしたものの、あまりの混雑に辟易して、まともな感想を書いていなかった。本書は、同展に出品されている大阪歴史博物館所蔵の『関ヶ原合戦図屏風』(津軽屏風)と、大阪城天守閣所蔵の『大阪夏の陣屏風』(黒田屏風)を中心に特集を組んでいる。

 「津軽屏風」は、家康の養女満天姫(まてひめ)の嫁ぎ先である津軽藩に伝来したため、このように呼ばれる。確かに江戸博で見たが、私はそれ以前に、三井記念美術館の特別展『江戸を開いた天下人 徳川家康の遺愛品』で初めて見たときの印象が強い。近代の児童書の挿し絵みたいに、可愛らしくて美しい屏風なのである。本書には部分拡大図版がたくさん載っていて、死地に赴く武士たちが、みんな天使のようにニコニコ顔なのを確認できる。右手の刀を背後にかつぎ、揃っで同じポーズで急流を渡る人々。色取り取りの衣が美しくて、群舞のように見える。その急流に飲み込まれ、流される人物や、無残な首なし死体も同じ場面に描かれているのだが。本書では、金雲に彩られた山と川を、これが伊吹山でこれが揖斐川というように地理を特定し、福島正則勢や徳川家康の存在などを示す。お伽の世界のように見えて、きちんと戦場のリアルを踏まえているらしいことが分かって興味深い。

 「黒田屏風」は、黒田長政が徳川方の武将として大坂夏の陣の戦勝を記念して作らせたもので、長く黒田家の所蔵だったが、戦後、大阪市が譲り受けたそうだ。たぶん私は未見。右隻、武士団の密度が半端ない。戦闘集団と左端の大阪城以外は、ほぼ全面的に金色の雲に覆われていて、山や田地など自然の風景は申し訳に覗くのみ。そのため、何だか現実離れして、天上の神々の戦さのようにも見える。左隻は落城後の避難民の様子で、もう少し人々の姿がバラけるが、それにしてもこの熱量の高さ。岩佐又兵衛が制作にかかわったという説も、納得できるように思う。

 福岡の『大関ヶ原展』で出品予定の『大坂冬の陣図屏風』も紹介されていた。木挽町狩野家に伝来し、東京国立美術館が所蔵しているそうだが、見たことあるかなー。あまり記憶にない。こういう「美術」というより「史料」的価値の高い作品って、東博では冷遇されているんじゃないかしら。

 さらに面白かったのは、美術史家&歴史学者による「合戦図10選」という企画。美術史家・狩野博幸氏のセレクションは、(1)保元・平治合戦図屏風(メトロポリタン美術館)(2)蕭白筆/宇治川先陣争図屏風(個人蔵)(3)津軽屏風 (4)安徳天皇縁起絵巻(全8幅)(赤間神宮)(5)黒田屏風 (6)後三年合戦絵巻(東博)(7)レパント戦闘図・世界地図屏風(香雪美術館)(8)蒙古襲来絵詞(三の丸尚蔵館)(9)烏天狗黒船を襲う図(個人蔵)(10)河鍋暁斎/風流蛙大合戦之図(暁斎記念美術館)。ひえ~(1)とか(4)とか見たすぎる! (9)は「たぶん国芳ですよ」とおっしゃるとおり、「讃岐院眷属をして為朝をすくう図」の烏天狗たちに似ている。あと番外だが解説で触れられている『島原の乱図屏風』(秋月郷土館)も見たい。

 歴史学者・高橋修氏は、(1)一ノ谷・屋島合戦図屏風(神戸市立博物館)(2)湊川合戦図屏風(和歌山県立博物館)(3)津軽屏風 (4)黒田屏風 (5)大坂冬の陣屏風(東博)(6)川中島合戦図屏風(和歌山県立博物館)(7)賤ヶ岳合戦図屏風(大阪城天守閣)(8)長篠・小牧長久手合戦図屏風(犬山城白帝文庫)(9)朝鮮軍陣図屏風(鍋島報效会)(10)蛤御門合戦図屏風(会津若松市)。歴史学者らしからぬ渋い選択、広汎な目配り…と思ったら、和歌山県立美術館で学芸員をなさっていた経歴の先生だった。(9)の存在は初耳。原本は佐賀の乱で焼失し、明治の写本しか残らないそうだが、見たいわー。

 藤本正行氏による「描かれた戦国武将のうそ・ほんと」も良コラム。戦国合戦図のほとんどは、合戦や武装の実態を知らない江戸時代の絵師によって描かれたため、事実と異なることが多いそうだ。洛中洛外図などの祭礼に供奉する人々の武装のほうがリアルな点がある、というのが興味深い。そのほか今号は、杉浦日向子の特集、『大英博物館展』の紹介、マニ教絵画、岡本太郎記念館、片岡球子展のマンガ展評など、私の琴線に触れる記事が多数。あなうれしや。

※参考:大阪城天守閣
『大阪夏の陣屏風』(黒田屏風)は特別展の時しか見られないようだが、ミニチュアとパノラマビジョンによる「大阪夏の陣屏風の世界」という展示は常設らしい。いつだったか合戦図屏風の企画展があって、すごーく見に行きたかったけど、東京からは行けなかった。次の機会は逃すまい。
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