見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

ネーションの内と外/日本を再発明する(テッサ・モーリス=スズキ)

2014-07-30 22:20:24 | 読んだもの(書籍)
○テッサ・モーリス=スズキ著;伊藤茂訳『日本を再発明する:時間、空間、ネーション』 以文社 2014.2

 序文を読み始めて、本書が1998年に出版された「Re-Inventing Japan: Time, Space, Nation」の翻訳だと分かったときは、ちょっとがっかりした。目まぐるしい社会の動きに翻弄されていると、90年代に書かれた本が、今なお意味を持っているとは思えなくなっているのだ。

 しかし、そんなことは全くなかった。集団的自衛権やら特定秘密保護法やらヘイトスピーチやら、2014年になって、急に前景にせり出してきたかに見える問題群は、90年代には、明らかにその萌芽が存在していた。そして、歴史を丁寧に掘り起こせば、どんな問題も長い根っこを持っている。本書は「日本」「自然」「文化」「人種」「ジェンダー」「文明」「グローバリゼーション」「市民権」という八つの基本タームを取り上げ、日本人がどのような思考を繰り広げてきたか、主には近代において、時にはそれ以前にも遡りながら、「我々は何故そう考えるのか」を考える本である。

 何が「日本」なのかという問題は、各章で繰り返し問われている。「アイヌ」と「琉球」の恣意的な扱い。日本が華夷秩序のミニチュア版を演ずるには、周辺部の社会に「夷」を演じさせなければならず、琉球使節団には「中国風の」兵器を持つことが指示された。アイヌは、日本語を学んだり、日本風の衣装をまとうことが禁じられた。ところが、18世紀末以降、ヨーロッパ列強との接触が増大すると、ロシア人の侵略から北方の国境線を守るため、アイヌの日本化が図られた。

 国家の外縁が規定されると、周辺の社会を溶け込ませ、「(日本という)ネーションの公式イメージ」に統合する試みが加速する。しかし差異はなかなか埋まらない。そこで、差異は空間の枠組みから時間の枠組みに移行させられ、「異質性」は「低発展」と解釈されるようになる。うん、辺境地域には過去が保存されているという美しい物語には、私もかなり魅入られた記憶がある(柳田国男とか)。

 本書で初めて気づかされたことは、「文化」「文明」「人種」などの用語(概念)が、明治以前の日本になかったことはもちろんだが、本家のヨーロッパにおいても、それほど長い伝統を持つ用語ではないという事実。ドイツ語の「Kultur」が特定の社会の信念や慣習の全体的な複合体に適用されたのは18世紀末から19世紀初頭であり、『原始文化 Primitive Culture』という書名によって英語に輸入されたのは1870年のことだという。近代的な意味で「人種」という言葉を初めて使用したビュフォンは18世紀の人だが、彼はむしろ、人間は本来一つの種しか存在せず、それが地上全体に広まった結果、さまざまな変化が引き起こされたと考えていた。この「単一の人間種」という考え方は、後に普遍的人権という発想につながっていくというから、いわゆる人種主義(レイシズム)とは結びつかない。

 アーリア人種の優越性という発想の起源は、フランス貴族が革命後の世界に自らの居場所を確保しようとした試みに遡るという。また、多様な「民族(フォルク)」に分割された世界像の発達は、人類がかつて想像だにしなかった多様な生活様式を持って世界中に存在しているという認識の広まりを背景に持つ。差異の認識は、そこから生まれる困惑を中和する解釈を生み出す、ということだろう。

 また、非常に興味深いのは、ヨーロッパ人と日本人の、人種とジェンダーに関する考え方の根本的な違いで、ヨーロッパは常に、二つの明確に異なる性しかないと考えたが、多様な人種の存在は受け入れてきた。一方、日本人はジェンダーを複雑かつ複数的なものとみなしていたが、「常に自らを人種的に純粋であると考え、その点から、人種的に異なると考えられた中国や朝鮮と区別してきた」。これはタイモン・スクリーチ氏の指摘。なるほど。19世紀くらいまでのヨーロッパの小説を読むと「両性具有」が悪魔のように恐れられていたり、性的放恣は容認されても同性愛には厳しい(鹿島茂氏)などの記述が思い出されて、なんとなく腑に落ちた。

 「在日」という二つの国家にまたがる存在が忌避や攻撃の対象になるのは、ある種の日本人にとって、自分の確固とした世界観を揺さぶられる恐怖感があるからなのかもしれない。でもヨーロッパだって、複数のジェンダーを受け入れつつあるのだから、日本社会にも変化の希望がないわけではないだろう。

 本書の結び近くにいう、これまで、日本の言語、歴史、知的伝統などについての知識は、共有される単一の価値や振舞い方に結びつかなければならないことが「前提にされすぎてきた」。この慎重な物言いに、私は賛意を示したい。確かに、共有される価値はあるだろう。しかし、それを強固にするよりは、むしろゆっくりほどいていく方向に社会が進んで行ってほしいと思う。
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土用丑の日・うなぎチョコパン

2014-07-30 19:14:10 | 食べたもの(銘菓・名産)
土用の丑の日(7月29日)にあわせ、セブンイレブンが7月27~29日の3日間限定販売した「うなぎチョコパン」。ネットで画像を見て、たまらず、買いに行った。



本日の朝食は、チョコレートのコーティングパンと冷えた牛乳。美味い。幸せ。サンショウウオっぽいけどね。
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スタイリッシュ東博/井浦新の美術探検 東京国立博物館の巻

2014-07-28 22:28:32 | 読んだもの(書籍)
○井浦新著;東京国立博物館監修『井浦新の美術探検:東京国立博物館の巻』 東京美術 2014.3

 5月に東博に行ったとき、ミュージアムショップで見つけて買った。NHK『日曜美術館』の司会もつとめる俳優・井浦新さんが案内する東京国立博物館の本。かわいい、オシャレな写真満載。井浦さんがオシャレだし、東京国立博物館の建築&庭園も、実にオシャレなスポットが切り取られている。北海道民となった今日でさえ、月に一度は東博に遊びに行っているヘビーユーザーとしては、そうそう、この階段の手すり、あの壁のタイルも綺麗に写してくれて、満足このうえない。

 もちろん、東博のコレクションもオシャレ。埴輪、土偶、日本絵画、仏像、仮面…。ひとつひとつに真剣に驚き、見入る井浦さんの表情がいい。ところどころに旅先のオフショットの写真があるのも楽しませてくれる。日本絵画のセレクションが、雪舟、雪村、北斎、蘆雪、富岡鉄斎という好き放題ぶり(?)もいいなあ。

 それから、東博の先生たちが、意外なほど(失礼)スタイリッシュ。日本考古の井上洋一さん、東洋美術史の勝木言一郎さん、保存科学の神庭信幸さんが登場しているが、俳優の井浦さんに負けていない。やっぱり確固とした専門を持っている人が、それについて語るとき(しかも熱心な聞き手を得たとき)の表情はいいものだな。

 なかでも面白かったのは保存科学の神庭先生の章。ふだん一般参観者が見ることのできない「ウラ東博」を見せてくれる。地下の刀剣修復室で、客員研究員として刀剣の修復を担当している研師(とぎし)の小野博柳氏を訪ねにいくと、裸電球の下(あえて昔の光のままにしているそうだ)、板の間に素足で座って、水の入った木桶を脇に置いて、研いでいらっしゃる。「今研いでいる刀はいつ頃作られたものですか?」「南北朝時代です」という何気ない会話がすごい。

 東洋館3階のミイラ展示ケースの下には、低酸素維持装置が設置されており、展示と同時に保存に適した環境が実現されている。掛け軸の劣化を予防する「簡易万能太巻芯」(鈴木式と呼ぶそうだ)を手に持ったり、修復専用の高精度ルーペを装着させてもらった井浦さんは、どこまでも無防備に驚き、嬉しそうである。でも、残念ながら「国宝の修理室」は撮影禁止とのことで、現場の写真がなかった。現在は、狩野永徳の『檜図屏風』を修復中と文章には説明があったが、どうしてかなあ。『檜図屏風』は東博の所蔵だから、作品の所蔵権の問題ではないらしい。保存技術の秘密保持? それとも館内のどこでこうした修復が行われているかを特定されると危険があるのだろうか。などと、いろいろ勘ぐってみる。

 本書は「東京国立博物館の巻」というのだから、ほかの美術館を紹介する続巻も出ると嬉しい。しかし、それ以上に、文化財の修復保存の現場を井浦さんが案内する1冊が出たらいいのに、と思った。写真は、グレート・ザ・歌舞伎町氏。
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2014年7月@関西:国宝 醍醐寺のすべて(奈良博)ほか

2014-07-26 23:48:42 | 行ったもの(美術館・見仏)
奈良国立博物館 醍醐寺文書聖教7万点 国宝指定記念特別展『国宝 醍醐寺のすべて-密教のほとけと聖教-』(2014年7月19日~9月15日)

 だいぶ前に東京で「醍醐寺展」を見た、と思って調べたら、東京国立博物館で2001年の春に『国宝 醍醐寺展 山からおりた本尊』が開かれていた。実は、あまり感心しなかった記憶がある。見ものは五大明王像ということになっていたが、創建当初の平安仏は1体のみで、4体は江戸もの、もう1体も頭部は鎌倉だが体部は江戸ものなのである。その後、西国三十三所巡礼の折、初めて醍醐寺の霊宝館(2001年に増改築)に寄り、寺宝の素晴らしさに圧倒された。という経緯があるので、今回の醍醐寺展は、上洛の機会があれば行くけど、見逃してもいいかな、くらいに思っていた。

 三連休の3日目、結局、ほかにどうしても行きたいところがなかったので、奈良博を訪ねることに決めた。会場のはじめには、醍醐寺の開祖であり、南都とのかかわりも深い理源大師聖宝さんの坐像。右手にカラス貝のようなものを持っている?と思ったら、袈裟の端をつまんでいるのだった。その向いに、檀像ふうの小ぶりな聖観音立像(平安時代)が展示されていて、これがなかなか素敵。左右の腕から長く垂らした条帛の末が、風をはらむように膨らんでいる。頭上に結い上げた髷からこぼれた髪もいくぶん後ろに流れていて、特に側面から見ると躍動感がある。

 この展覧会は、醍醐寺文書聖教の「国宝指定記念特別展」をうたっていることからも、地味な文書類が早めに登場する。『醍醐寺雑事記』の古写本には、治暦や延久の年号が見える。延久四年条に「鳥羽院御即位」は合わないだろう、と思ったが「鳥羽離宮で(白河天皇が)即位」なのかな? 「宇治橋作了」とか「山法師焼三井寺」とか文字を拾って眺めているだけでも面白い。

 東大寺蔵『東大寺要録』は「東南院」に関する箇所が開けてあった。同院は理源大師聖宝の創建である。私は「東南院」の名前を、2012年冬の名古屋市博物館『大須観音展』で覚えた。鴨院文庫(藤原摂関家伝領の文庫)→東大寺東南院→大須観音(宝生院)へと受け継がれるアーカイブズの水脈に醍醐寺もゆかりがあるのかと感慨深かった。大仏再建の勧進で知られる重源上人が醍醐寺の出身であることも初めて認識。醍醐寺の歴史って、太閤秀吉の「花見」だけではないのだな。

 続いて、仏像。如意輪観音が2点。金色に輝く平安時代の像は、ふくよかでおおどかな感じ。大人の女性の色気を感じさせる。一方、やや小柄な鎌倉時代の像は、少女の可憐さと危うい艶めかしさをあわせ持つ。腰が細く、裳(スカート)がすごいローライズで、臍(へそ)の下が大きく露出しているのに気付いて、どぎまぎしてしまった。大きな蓮華形の台座、繊細な透彫の光背も当時のもの。かつて上醍醐の観音堂本尊だったという千手観音像(平安時代)は、脇手が横でなく前に張り出すタイプで、迫力があり、私の好み。密教仏にはめずらしく装飾のない、妙にスッキリして古風な大日如来坐像も好みだった。

 五大明王像については、以前と印象変わらず。唯一の平安仏である大威徳明王は大きく目を開いた異相で、バリ島の仮面に似ている。閻魔天騎牛像は、待賢門院璋子の安産祈願の本尊だった(出産は五回)という由来にひかれた。大きく安定感のある牛。片足を垂らして騎乗する閻魔天は人頭杖を持つが、温和な顔つきである。五重塔初層内部の板絵を紹介するコーナーもあったが、ずいぶん残っているものだな。

 ここで、東新館から西新館へ。はじめに小山のような迫力の薬師如来と両脇侍像。それから、白描画を含め、絵画資料多数。醍醐寺といえば忘れてならない『太元帥法本尊像』(鎌倉時代)も来ていた。全6幅は、前後期で3幅ずつ展示。後期の「毘沙門天像」を見たい…。前期展示で気に入ったものは『五秘密像』。可愛らしくて、あやしくて笑える。『地蔵菩薩像』は靴を履いた、半跏踏下のめずらしい坐像。青と緑の目立つ色遣いも宋風。『文殊渡海図』は、劇画のように明確な個性の描き分け。大きな目の獅子、それに優填王がよい。白描にわずかな色をおいた『孔雀明王図像』は花籠が愛らしい。『善女龍王像』は人の姿なのに全身緑色でシュールで、波間に尻尾が見える。まだまだ語りたいもの多数。

 後半に移る。ここで、醍醐寺三宝院の弥勒菩薩坐像(快慶作、鎌倉時代)が登場。完璧としか評しようがない美仏。正面だけでなく、横顔も美しい。向かって右頬の金箔の剥離がちょっと気になる。後白河院の追善のために造立されたと初めて知った。なお、図録に「醍醐寺三宝院弥勒菩薩像と仏師快慶-後白河院追善像としての側面に注目して-」という山口隆介氏の興味深い論考が載る。「仏師快慶の実像に迫るうえで、後白河院の存在がこれまで考えられてきたよりもはるかに重要とみられること」「信西一門と快慶の関係になお多くの考究の余地があること」が指摘されている。

 最後は修験道(吉野)とのかかわりを取り上げる。奈良の餅飯殿(もちいどの)町の地名の由来には、理源大師聖宝が大峰山に入った際、餅や飯を献上したため、という説があるそうだ。「餅飯殿の町内には理源大師が祀られている」と書いてあったが、どこだかよく分からず。あとで調べたら、もちいどのセンター街の真中(マインズ広場?)にあるらしい。今度行ってみよう。宗達の舞楽図屏風も見ることができて嬉しかった。

 とっくにお昼も過ぎてしまったので、腹ごしらえのあと、東大寺ミュージアムに寄る。東大寺江戸復興関連資料や理源大師・聖宝僧正像が出ていると聞いたため。主要展示は変わっていなくて、数はわずかだった。再び奈良博に戻り、仏像館を流し見して、奈良を離脱。少し早目の飛行機(帰りもPeach航空)で札幌に戻った。

※おまけ:醍醐寺 公式サイト
醍醐寺文化財アーカイブズ」がすごい。文中に紹介した多くの仏画も公開されている。大学とか、博物館・図書館がまるで負けていないか? 電子書籍版「マンガ聖宝伝」も意欲的で評価する。
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復活・大船鉾(7月20日)

2014-07-25 23:54:51 | 行ったもの(美術館・見仏)
 7月三連休に関西に行く直前、京都の観光情報を調べていたら、今年から祇園祭の日程が変わって、山鉾巡行の「前祭(さきまつり)」「後祭(あとまつり)」が復活する、というニュースを見つけた。それじゃあ、三連休中に祇園祭が見られるかしら、と一瞬期待したのだが、「後祭」の宵山が連休最終日の7/21からと分かって諦めた。

 しかし、150年ぶりに復興された「大船鉾」は7/20から公開されるというので、小浜で若狭歴史博物館を見て来た帰りに京都の四条通に寄った。四条通の南側、新町通を少し下ったところに大船鉾が設置されていた。従来の船鉾と同じ通りである。



 まだ明るくて気分が出ないが、ほかの山鉾の様子も見て歩いた。南観音山と北観音山は、ほぼ形を整えていたが、そのほかはまだ、裸の籠が台車に乗っているだけだった。
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リニューアル・オープン!福井県立若狭歴史博物館に行ってきた

2014-07-24 21:34:05 | 行ったもの(美術館・見仏)
福井県立若狭歴史博物館 リニューアル記念展(第1部)『仏教絵画の華-大型仏画による荘厳-』(2014年7月18日~8月31日)ほか

 7/20(日)、前日7/19にリニューアル・オープンしたばかりの若狭歴史博物館に行ってきた。出発は大阪から。9:12発のサンダーバード9号で敦賀に行き、小浜線に乗り換え、東小浜11:41着という予定を立てていた。ところが敦賀に到着すると、小浜線が大雨の影響で止まっているという。えっ敦賀は海水浴日和の青空なのに? まもなく復旧しますと言われたが、結局、発車が1時間近く遅れ、さらに途中の行き違い列車待ちなどで、東小浜到着は1時間半くらい遅れた。

 若狭歴史博物館の前身である若狭歴史民俗資料館に初めて来たのは、2009年の冬で、このときは帰りの列車が雪の影響で大きく遅れたことを思い出した。旅の難儀は、あとから振り返れば、懐かしい思い出。当時も東小浜駅の周辺には何もなかったが、やっぱり今でも何もなかった。



 博物館の外観はそれほど変わっていない(と思う)が、駐車場に真新しいサインが設置されていた。博物館の壁には誇らしげに「若狭最大の博物館誕生!」の垂れ幕が下がっている。中に入ると、明るいエントランスホールの壁が書架になっていて、手に取れる参考資料が並んでいる。へえ、図書館みたいで面白い。



 2階へ。常設展示の第1室は、以前と同じ「若狭のみほとけ」である。まず黒駒地区の大日堂で秘仏として信仰されていた若狭地方最古の木造大日如来座像。これは初公開だそうだ(産経ニュースなど)。たぶん後代の補修で手元が妙な印相になっている上に、地蔵盆のお地蔵さんみたいな彩色を施され、ぎょろ目の顔が怖い。しかし、見る人が見れば、11世紀の古仏と分かるのだろう。

 続いて、円照寺の不動明王、奥の堂(おおい町大島)の阿弥陀如来、常禅寺の不動明王、長慶院の観音菩薩像、馬居寺の馬頭観音像、西福寺(敦賀?)の阿弥陀如来。これらは全て複製で(しかしよく出来ている)、撮影禁止の表示がなかったので、もしかしたら撮らせてくれる?と思って、室内の係員さんに聞いてみたが「室内全て禁止です」と言われてしまった。以上は展示ケースなしの露出展示。

 奥の壁沿いの展示ケースに収まった仏像は本物である。右から、長福寺の十一面観音。固い姿勢で棒立ちしているが、その左右をリズミカルに流れ落ちる、リボンのような条帛が面白い。隣りは、加茂神社為生寺の千手観音。昨年、バスツアーで訪ねた秘仏である。今年も秘仏めぐりの対象になっていたはずなので、複製…じゃないよね?と何度もプレートを見直す。次は、蓮華寺の阿弥陀如来と両脇侍像。眠そうな細い目が優しい。次は、円照寺の地蔵菩薩。小さくてかわいい。

 このほか、単立の展示ケースが2点。仏谷区の阿弥陀如来坐像は、全身がおにぎりみたいな三角形にまとまっている。求心力が感じられて、好きだ。青蓮寺の観音菩薩立像は、彫りの鋭い、壇像風。以上、13件。ほかにパネル写真で7体が紹介されている。うち2体が千手観音、馬頭観音が1体。法順寺の十一面観音がフツーだけど好き。

 気になったのは、以前見た「烏将軍」が不在だったこと。小浜市の浜辺に漂着した仏像で、若狭歴史博物館facebookのアイコンにもなっているのに、何故いない~と思った。

 さて、第2室「若狭の祭りと芸能」へ。こういうの大好きなので、「若狭のみほとけ」の部屋にいた係員さんに「向こうの部屋は写真を撮ってもいいですか?」と確認し、バシバシ撮りまくる。↓写真は、小浜放生祭の「棒振」の人形など。背後の壁面には、写真では見にくいけど、『小浜祇園祭礼絵巻』を典拠とする楽しいイラストが描かれている。



 そして、向かい側には「王の舞」の人形。壁面のイラストは、ひゃー『年中行事絵巻』じゃないか。大好き、大好き!とひとりで興奮してしまった。若狭の民俗や芸能には、古代の宮廷行事の趣きを伝えるものが多いことからの選択だろう。展示室の冒頭にあった、小正月の祝い棒・祝い槌を見たときも(枕草子に出てくる)卯杖を思い出した。 



 隣室「若狭のなりたち」から「若狭から都への道」へと見て行く。絵巻作品(複製)が2点。『若狭国鎮守神人絵系図』(鎌倉時代)は、白馬に跨った若狭彦の神と徒歩で従う節文(若狭彦神社の神職の祖)が雲に乗って、山の上を飛び越えていく図。これは、つい最近見たばかりだ、と思って、記憶をたぐるが、どの展覧会だったか思い出せず。冷静に考えたら、古本市で買った『芸術新潮』1991年12月号の展覧会案内に写真が載っていたのだった。しかし、そのくらい一目見たら忘れられない魅力がある。『彦火火出見尊絵巻』は、江戸時代の模写(明通寺蔵)のさらに複製だが、かなり平安時代っぽい。『吉備大臣入唐絵巻』や『伴大納言絵詞』を彷彿とさせる絵柄である。

 「若狭への海の道」の部屋では、李朝の『海東諸国記』に「小浜浦」の記述があるとか、象の日本初上陸の記録が残るのは小浜であるとか、高浜の日引石は日本海沿いの海上交易拠点に広く分布しており、積荷をおろした船がパラストとして持ち帰ったのではないか等、興味深い事例がいくつも紹介されていた。漂着仏(?)の「烏将軍」はこの部屋にあり。

 また、小浜藩医・杉田玄白による『解体新書』全4巻も展示されていたが、「表紙に記載されている天真楼」というのがどれを指すのか分かりにくかったり、朱筆の書入れ(文体が口語っぽい?)が玄白の筆なのかなど、やや説明が不足しているように感じた。最後に企画展示室の『仏教絵画の華』を見て行く。明通寺の『三千仏図』3幅が面白かった。

 だいたい2時間くらい遊んで、東小浜駅に戻った。幸い、列車のダイヤは復旧していたので、小浜駅まで1駅乗り、いつもの若江線バス→湖西線で京都へ。次回、バスで東小浜に来るときは「遠敷(おにゅう)」バス停で下りればよいことを確認。バス通り沿いだと、スーパーマーケットやファストフードのお店があって、食料調達に困らなくて済むようだ。

 次回は9月か10月に。木簡パスポートもいただきました!
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夏の夜の殺人劇/文楽・女殺油地獄

2014-07-23 22:25:30 | 行ったもの2(講演・公演)
国立文楽劇場 夏休み文楽特別公演 第3部サマーレイトショー『女殺油地獄(おんなころしあぶらのじごく)』(2014年7月19日、18:00)

 自分のブログ検索をかけたら、平成17年(2009)にもこの演目を見ていて、与兵衛を桐竹勘十郎、お吉を桐竹紋寿とメモしている。すっかり忘れていた。やっぱり初見の、与兵衛を吉田蓑助、お吉を吉田玉男という舞台の印象が強烈すぎるのである。蓑助さんの与兵衛は、愛情過多な両親に甘やかされて育ったダメ青年で、ギリギリまで人殺しなんて大それたことができる器に見えないのだが、覚悟を決めて、刀を抜いた瞬間に、別人のような凄みが備わった。その変貌ぶりが怖かった記憶がある。

 それに比べると、勘十郎さんの与兵衛は、登場した矢先から、今にも悪事をしでかしそうな、危ういオーラを感じた。配役するなら、妻夫木聡なんかどうだろう。ツイッターで「勘十郎さんの顔つきが剣呑すぎる」という評があって、苦笑してしまった。確かに。私は、出遣いは気にならないほうだが、人形遣いがあんまり役柄への感情移入を顔に出すのはよくないと思う。もっと飄々としていてほしい。

 吉田玉男さんのお吉は、死に瀕した悶え方が妙に色っぽかったと記憶する。本公演のお吉は吉田和生さんで、実直な酒屋の女房としては、こちらのほうがリアリティがあるかもしれない。

 初見のときは覚えていないが、平成17年(2009)も「豊島屋油店の段」の語りは咲大夫さんだった。咲大夫さんは「主人公、与兵衛にはみずみずしい若さが必要」という自説から、『女殺油地獄』は今回を「語り納め」にするという。御年70歳。ええ~何かもったいない感じがするが、少ない上演機会で後進を育成するには、こういう態度も必要なのだろうな。初日から三味線の鶴澤燕三さんが休演で、清志郎さんが代役だったので、えっと思ったが、特に問題はなかった。でも働き過ぎには注意してほしい。東京公演と大阪公演が4回ずつ、その合間に地方公演って、いまの文楽技芸員の小所帯には少しハードすぎないだろうか。

 この日は「徳庵堤の段」「河内屋内の段」「豊島屋油店の段」「同 逮夜の段」の構成。初見のときは「逮夜の段」がなくて、まるで『羅生門』の「下人の行方は誰も知らない」的な結末に唖然としたような記憶がある。他人のつぶやきによると、平成17年(2009)公演には「逮夜の段」があったようだ。与兵衛の袷に酒を吹きかけると血の跡が浮かび上がる演出で、あ、これ見た、と思い出した。ちょっと聴き逃しがちだが、与兵衛の独白に、放埓の限りを尽くしても盗みだけはしなかったが、「不孝の科、勿体なし」(支払いが遅れては両親に迷惑がかかる)という焦りから、殺人と盗みを犯してしまった、という悔恨が哀れを誘った。

 今回は床の真下、前から3列目の好ポジションで、目は舞台の人形を追いながら、耳は降り注ぐ音曲に全身全霊を集中。楽しかった。開演前、制服姿の高校生(?)の集団(女子率高し)を見たので、これはうるさいに違いない、と不運を恨んでいたが、思ったより熱心に観劇している様子だった。こんなムゴい芝居を見せていいのか?と思ったが、内容を分かった上での選択なら、先生を褒めたい。

 大夫と三味線奏者の方々は、そろって白いお着物で夏らしかった。これは大阪の夏休み公演でしか見られない風物詩だろう。開演前に、ずっと気になっていたお店でたこ焼きも食べたし、黒門市場も歩けたし、泊まりも徒歩圏のビジネスホテル。だんだん大阪になじんできた。
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2014年7月@関西:蓮-清らかな東アジアのやきもの(大阪市立東洋陶磁美術館)

2014-07-23 21:02:08 | 行ったもの(美術館・見仏)
大阪市立東洋陶磁美術館 特別企画展『蓮-清らかな東アジアのやきもの×写真家・六田知弘の眼』(2014年4月12日~7月27日)

 天王寺の大阪市立美術館から地下鉄で移動。淀屋橋駅の出口を地上に出ると、あやしい黒雲がむくむくと湧いてきて、私が美術館に走り込んだ直後に、ざっと一雨通り過ぎていった。アジアらしい夏の天気だと思った。

 本展は「東アジアのやきものに咲く蓮の文様に焦点をあて(略)館蔵品64点によって紹介」とあるが、企画展示室にあったのは、せいぜい20点ほどだったと思う。その中で、私の注意をひきつけたのは、中国・北宋時代の『白磁刻花蓮花文洗』。まず大きい。いったい何を入れたのだろう、それこそ水蓮を浮かべたのかしらと思ったが、「洗」とは、汚れ水を捨てるための器だという。それをこんな美しい白磁でつくり、しかも「濁りに染まぬ」蓮葉の文様を刻んでみせるなんて、にくい演出。スピード感のある闊達な線で描かれた蓮の花が、歌い踊り出しそうな愛らしさ。

 朝鮮時代の『青花辰砂蓮花文壺』は、この展覧会のシンボル的存在となっている。「青花」というほど濃い青でなく、「辰砂」というほど濃い赤ではない、ぼんやりした色彩が朝靄に浮かぶ静謐な蓮の花を思わせる。

 元代の『青花蓮池魚藻文壺』は大好きな作品だが、いつも魚と水草ばかり目に焼き付いていたので、蓮の姿を気にしたことがなかった。蓮花文が正面に来るように置かれていて、新鮮な感じがした。

 展示ケースの中には、六田知弘氏が撮影した「蓮」の写真パネルも飾られていた。カラーだったり白黒だったり、蓮の部分だったり全体だったり、人の手が添えられていたり、わざと幾何学的な構図に切り取られていたり。不思議なもので、陶磁器を見るとき、こういう「取り合わせ」はあまり邪魔にならない。茶掛けの書画と同じで、お互いを引き立てあっているように見える。

 企画展示室を出たあとの韓国陶磁室でも「蓮」の写真とコラボレーションが続いていた。青磁や粉青の文様のあちこちに、蓮の花はひそんでいるのだが、日常的に蓮を見る機会の減った現代人には、それを「蓮」と認識することが、なかなか難しいように思う。周敦頤の『愛蓮説』に云う、「菊は華の隠逸なる者なり。牡丹は華の富貴なる者なり。蓮は華の君子なる者なり」。私は蓮も好きだが牡丹も好きだ。菊は、今のところ、まだ良さがよく分からない。現代日本の菊は、園芸用に改良が進み過ぎてしまったからもしれない。
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2014年7月@関西:コレクション展(大阪市美)

2014-07-22 00:05:09 | 行ったもの(美術館・見仏)
大阪市立美術館 コレクション展(2014年7月19日~8月31日)

 7月三連休は大阪に行ってきた。第一の目的は文楽公演だが、その話は追々。旅費節約のため、初めてLCCのPeach航空を使ってみた。関空の発着がLCC専用(今のところピーチ専用)の第2ターミナルで、飛行機の乗り降りには屋外を歩かされるなど、いろいろびっくりする体験をさせてもらった。中国の古い飛行場(かつての敦煌とか。今は知らない)を思い出した。

 文楽公演は夜の部なので、少し時間がある。まず天王寺の大阪市立美術館に寄った。特別展として、東京でもやっていた『子ども展』をやっていたが、こちらは割愛。300円のコレクション展(常設展)のみ見ていく。

 入口の近代洋画はちょっと飛ばして、まず『江戸の版本と百鬼夜行絵巻』展。幽霊、妖怪など怖い挿し絵が並んでいる。知っていたのは石川雅望の『飛騨匠物語』くらい。挿絵は葛飾北斎。あとは題名を見ると『紀伊国名所図会』とか『西国三十三所名所図会』とか、およそそんな怖い話が載っていそうに思わないのだが、江戸人はよほど怪談好きだったんだな。原在中による『百鬼夜行絵巻』は彩色。さすがの手練れ。

 次室は『煙管筒:明治・大正の細密工芸』(2014年6月24日~7月6日、7月19日~8月31日)。これは面白かった。煙管筒は、文字どおり煙管(キセル)を持ち歩くための容器。キセル、根付、あるいは煙草入れを集めた展示というのは見たことがあるが、煙管筒だけを40件以上もまとめて見たのは初めてのこと。木彫、竹彫、象牙彫、漆、蒔絵、螺鈿など、さまざまな工芸技法が用いられている。根付や煙草入れに比べると、実用性が強い(腰帯に挟んでしまうので見えない)用具であるところに、あえて装飾を凝らしているところが面白い。神戸スイス領事もつとめたスイス人貿易商U.A.カザール氏(1888-1964)に由来する「カザールコレクション」の一部らしい(※参考:土井久美子氏の論考「U.A.カザールとコレクション」がPDFファイルで読める)。

 次は『寺社絵-神仏と人が交わる絵画』。今回は、これが見たくて寄ったのである。大阪、京都などの比較的小さい寺社に伝わる絵巻、屏風、尊像など。大阪・長谷寺の『長谷寺縁起絵巻』、色彩豊かでのびのびした表現が可愛かった。流れ着いた霊木を取り囲む童子たちと翁の図、どこかで見たことがあると思って調べたら、出光美術館も『長谷寺縁起絵』を持っている。たぶんこれだな。

 京都・和束天満宮の『北野天神縁起絵』(全4幅、2幅ずつ展示)は絵解きに用いられたものと思われ、掛軸状の天神縁起絵としては最も古いもの(南北朝・14世紀)だという。だいたい見たことのある定型的な図様なのだが、流罪になる道真を乗せた船の帆を、水夫たちがまさに釣り上げ、張ろうとしている場面が生き生きとして見事。あと天拝山の山頂で、天に向かって申文を、ヨッと投げ上げた瞬間の道真がつま先立ち(?)してるのも可愛くておかしかった。

 最後にもとに戻って『ようこそ信濃橋洋画研究所』の近代洋画も見て行く。信濃?長野県?と早合点しかけたけど、大正13年(1924)に大阪に設立された信濃橋洋画研究所のことだった。約20点ほど。この時期の具象画は嫌いじゃない。心落ち着くものがある。
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北海道ジンパ初体験

2014-07-21 22:31:20 | 北海道生活
とりあえず、先週末の話から。ジンパ(ジンギスカン・パーティ)初体験。

はじめは野菜多めだったが、先に野菜がなくなってしまい、あとはひたすら肉、肉、肉…。





夕風が涼しいので、炭火が「暖かい」と感じてしまう。

この時期の東京がイリュージョンのよう…。

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