見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

領土と経済/「対米従属」という宿痾(鳩山由紀夫、孫崎享、植草一秀)

2013-06-30 23:55:46 | 読んだもの(書籍)
○鳩山由紀夫、孫崎享、植草一秀『「対米従属」という宿痾』 飛鳥新社 2013.6

 仕事に追われて、なかなかブログが書けないのだが、本は読んでいる。このところ、6月11日の鈴木邦男シンポジウムで話題になった本を、シリーズで読み続けていた。本書は、6月初めに書店で見かけて気になりはしたものの、並んでいる名前が、ちょっと胡乱な感じがして、ためらっていた。それを、鈴木邦男さんだったか中島岳志さんだったかが、わりと好意的な言及をされていたので、じゃあ、と思って手を出した。

 興味深かったことのひとつは、政権交代の顛末。私は、せっかく実現した政権交代なのだから、もう少し民主党にやらせたいという気持ちが少なからずあったのだが、本書を読むと、民主党内部がすでに瓦解していて、鳩山内閣(2009年9月-2010年6月)とそれ以降(菅、野田内閣)には大きな隔たりがあったことが感じられる。菅政権以降は「クーデター」によって「米国や官僚と結び付いた旧来の勢力」が民主党の実権を握ってしまった、と鳩山氏は総括している。

 鳩山政権の「躓き」は、米軍基地の移設問題だったが、これについて鳩山氏は、官僚の「面従腹背」を嘆いている。官僚側にも言い分はあると思うが、米軍側の事情を事前に忖度することが、日本の官僚の習い性になっているというのは、なんとなく分かる。私は、ずっと下っ端の「官僚」としか付き合ったことがないが、「忖度」に基づく行動は、彼ら官僚集団のお家芸だと感じることがあるので。

 尖閣、竹島、北方四島という三つの領土問題については、孫崎享氏のレビューが非常に参考になった。ポツダム宣言では日本の領土は三つの軸によって定義されている。一、日本の領土は、北海道、本州、四国、九州の四島であること。二、その他の島々については、連合国が決めたものが日本の領土であること。三、新たに決める日本の領土については、カイロ宣言を遵守すること。つまり、ポツダム宣言を受諾することによって、「日本固有の領土」論というのは根拠を失っているのである。それが嬉しいか悔しいかは別として、国際関係において認められた日本の領土がそういうものだということは、もっと日本人が自覚しなければならないことではないかと思う。またカイロ宣言は、日本が清の時代に「盗んだ」領土は中国に返すことをうたっている(ただし、尖閣諸島がこれに該当するか否かには論争の余地があるともいう)。

 ちょうど本書を読み終えたあとで、鳩山由紀夫氏が「尖閣諸島は日本が盗んだ」「盗んだものは返すのが当然」という発言したとかしないとかで、ネットメディアが大騒ぎになった。私は本書を思い出して、ああ、あの話か、と思ったが、きちんと歴史的根拠を整理して報道しているメディアは見当たらなかったように思う。

 経済については、植草一秀氏が意見を述べている。財政には「構造的な財政赤字」と「循環的な財政赤字」があり、百年に一度の金融津波的なリーマンショックによる税収減は後者である(この考え方、面白いなあ。天災みたいなものと捉えるのか)。こういう場合は、まず経済回復に取り組むことが大切で、増税による赤字削減など、緊縮財政をとるのはその後でよい、とのこと。なるほど、素人なりに納得できる説ではある。

 三人に共通するのは、日本の官僚にも国民にも染みついた「対米従属」という習い性から、一歩でも抜け出そうという態度だが、なぜかそうした人々には、悲劇的な運命、あるいは胡散臭いイメージがついて回る。そのことに声を上げれば、全てをアメリカの陰謀に帰する「陰謀論者」のレッテルを張られてしまう。

 正直なところ、私もこの三人のメンツは「胡散臭い」と思ったし、自分が政治経済の基本に弱いこともあって、今でも少し警戒はしている。しかし、本書の趣旨は明瞭だった。これが陰謀論に値するかどうかは、読者各人に確かめてもらいたいと思う。

『「対米従属」という宿痾』発売記念トークイベント
おおーまさに今日(6/30)こんなイベントやっていたのか。聞きたかったなあ…。東京生活が恋しい。
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コメダ珈琲店のシロノアール

2013-06-21 23:52:04 | 食べたもの(銘菓・名産)
名古屋に1泊出張に行ってきた。諸事情により、仕事だけで帰宅。週末、遊んできたかったのに…。

唯一、念願がかなったのは、コメダ珈琲店のシロノアールを食べてきたこと。あつあつサクサクのデニッシュにたっぷりソフトクリーム。メイプルシロップの甘みがよく合って、美味。



↑ミニシロノワール390円。レギュラーサイズ590円は、ちょっと覚悟が要る…。
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右翼と保守/第2回鈴木邦男シンポジウム:愛国・革新・アジア(鈴木邦男、中島岳志)

2013-06-19 23:43:26 | 行ったもの2(講演・公演)
○第2回鈴木邦男シンポジウムin札幌時計台:愛国・革新・アジア(2013年6月11日、18:00)

 札幌の出版社・柏艪舎(はくろしゃ)が、札幌時計台で開催する鈴木邦男シンポジウム「日本の分(ぶん)を考える」シリーズの第2回。テーマは「愛国・革新・アジア」、ゲストは中島岳志氏。私は、鈴木邦男さんも中島岳志さんも著作はいくつか読んでいたので、ぜひナマでお話を聴いてみたいと思った。心配は、この日、定時に職場を離脱できるかどうかだったが、ダッシュでクリア。よしよし。

 最初に登壇したのは中島岳志さん。「右翼とは何か」を解き明かすため、明治維新とフランス革命の比較から始める。フランス革命以前、国家は国王のものであった。これ(主権)を国民のものに奪還したのがフランス革命。すなわち、フランス革命はナショナリズムを原動力としており、ナショナリズムなしにデモクラシーはありえない。

 一方、明治維新は「一君万民」を原理としており、一君(天皇)の下に、武士や貴族や農民という区別(階層)を消滅させようとした。しかし、現実は藩閥政治に陥り、万民の平等を実現することができなかった。そこで、天皇の大御心が国民に及ぶのを妨げている「君側の奸」を取り除くべく、まず武装闘争が起き(西郷隆盛はその最前線にいた)、言論闘争に移り、封建制度の打破を目指す自由民権運動へと引き継がれていく。さらに日露戦争以後の「煩悶青年」たちは、「一君万民」思想を一種のユートピア的コミューン思想として受け取りなおす。このへんは講師の『帝都の事件を歩く』(亜紀書房、2012)を思い出しながら聴いた。

 「右翼」とは、人と人が「透明な共同体」を作れると夢想する人たちで、その原点はルソーにある。「高貴な未開人」「子ども」「古代人」を理想とするロマンチスト。一方、保守主義者は人間の「本性」や「自然」に懐疑的である。福田恒存は、人間は永遠にペルソナをかぶって生きると断じた。

 講師は自らの立ち位置を「保守」に置く。その原点には、1995年、オウム事件が起きて「信仰と愛国」という理性では解けない問題を突き付けられたとき、伝統や習慣に拠る「保守」の強みを感じたことがあるという。この話も体験に裏打ちされていて説得力があったが、それ以上に印象的だったのは、後半、ホストの鈴木邦男氏とともに再登壇したときの告白。1989年、ベルリンの壁崩壊に世界が湧き立った当時、中学生だった講師は、ルーマニア大統領チャウシェスクの処刑に直面し、多大なショックを受けた。「自分が殺した」と思った、という。多感すぎる中学生の非合理的な発想と考える人もいるかもしれないけど、私は、こういう「無作為の責任」の自覚は大事なことだと思う。

 ちょっと方向性が違うんだけど、私の場合は、小学生の終わりに浅間山荘事件を見聞したことが、右派であれ左派であれ、あらゆる「革命を疑う」人生の出発点になっている気がして、この点も共感できた。でも中島岳志さんって、著書から想像していたより、ずっと「熱い」語りをする方で、実はかなり「右翼」(ロマンチスト)的な本質を持っていて、あえて「保守」にとどまっているんじゃないかな、なんて思ってしまった。

 「右翼/左翼」「保守/革新」という手垢のついた対立軸を考え直すには、いい整理になる対談だった。そして「リベラル保守」を標榜する中島岳志さんが「右翼」の鈴木邦男さんとにこやかに談笑しているのもいい図だったが、中島岳志さんが「僕と全く同じことを考えているのが山口二郎さんです」とおっしゃるのも面白かった。学問や思想の古いカテゴリーが通用しなくなっているんだな、たぶん。

 あと、小ネタなんだけど、朝鮮独立運動の志士、金玉均が一時札幌(しかも北大構内!)に住んでいたという中島さんの話には、思わず反応してしまった。クラーク会館の近くらしい。今度、往時をしのんで歩いてみることにしよう。

※鈴木邦男氏のブログ『鈴木邦男をぶっとばせ!』より「札幌で語った。革命と維新について。

第3回シンポジウムには山口二郎先生登場!
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2013北海道神宮例祭の三条神楽

2013-06-17 22:58:38 | 北海道生活
6月14日~16日は札幌まつり。本来、北海道神宮の例祭である。神宮では15日に「三条神楽」が奉納されるというので見に行った。

どこで演じられるのか、境内を探したが、それらしい人だかりがない。まさか?と思って、本殿を覗いてみたら、中に舞台があって、折り畳み椅子の観客席もたくさん用意されていた。まだ席は少し空いているようだが、入っていいのか迷う(しかも靴脱ぎ場が無いので、土足で?)。おそるおそる警備員さんに聞いてみたら「どうぞ」というので、中に入って空席に座る。やがて、音楽が始まり、刀を構えた舞人が登場して、こわもての舞を舞う。



一曲終わったあとで、演目のめくり札があることに気付いた。最初の演目は「悪魔祓」。以下「榊」「久奈戸」「先稚児」「羽返」「捧げ」(ここで休憩)「鳥形」「深山錦」「花献」「五穀散」と続いた。神楽と聞いて、私は岩見神楽のような派手で勇壮なものをイメージしていたが、むしろ繊細で雅な女性舞や、田楽みたいにコミカルでのどかなものが多かった。

↓白い扇を返しながら舞う「羽返」。白拍子っぽいなあ。


↓演劇的な構成の「深山錦」。このキツネは、あとで役立つ刀を授けにきた神の使いらしい。


最後の「五穀散」では「東方に向かって粟を撒く」云々、と唱えながら、東西南北と天に向かって五穀を撒き、豊穣を祈願する。そのあと、舞人が舞台を下りてきて、観客に小さな紅白餅を配ってくれる。

↓私もいただきました。すぐ食べても美味かった。


ところで、どうして「三条神楽」なんだろう?と思って調べてみたら、実は新潟県三条市に伝わる伝統芸能(出雲神楽系統)のことだった。『三条神楽 田島諏訪神社』のサイトに、現在伝わる32種の舞が紹介されている。でも「久奈戸の舞」が三人舞だとあるけれど、北海道神宮のは四人舞だったから、少しアレンジされているのかも。

また『北海道デジタル図鑑』の「芸能」のページによれば、三条神楽は1890(明治23)年に伝わったもので、円山開拓の功労者である上田前七が、率先して三条神楽を修得し、村内の青年たちにも習わせて伝承したと記されている。
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1910年と2009年の旅人/北朝鮮で考えたこと(T・モーリス-スズキ)

2013-06-16 20:21:30 | 読んだもの(書籍)
○テッサ・モーリス-スズキ著、田代泰子訳『北朝鮮で考えたこと』(集英社新書) 集英社 2012.5

 歴史学者のテッサ・モーリス-スズキさんによる南北朝鮮の紀行文。旅に先立ち、著者は『The Face of Manchuria, Korea and Russian Turkestan(満州、朝鮮、ロシア領トルキスタンの顔)』という本を手に入れる。エミリー・ケンプ(E.G.Kemp)というイギリス人女性が、1910年、友人のミス・マクドゥーガルとともにシベリア横断鉄道で満州と朝鮮を旅してまわり、中央アジア経由で帰国した旅の記録だという。有名なイザベラ・バードの朝鮮紀行に10年と少し遅れ、まさに日本が朝鮮併合を成し遂げた「瞬間」に立ち会う旅だった。

 著者は、エミリー・ケンプの足跡をなぞり、百年前の東アジアに思いをめぐらしながら、旅をする。それにしても、ケンプも女性の二人旅、著者の道連れも二人の女友だち(エマとサンディ)というのが、符合していて興味深い。中国の瀋陽から国境の町・丹東へ。朝鮮民主主義人民共和国の旅行代理店のシンさんとようやく連絡がつき、中国人ガイドのチャンさんに引き合わされる。列車はのろのろと鴨緑江を渡り、対岸の新義州(シニジュ)へ、そして平壌(ピョンヤン)へ。二人のガイド、女性のリさんと男性のリュウさんに引き合わされる。

 エミリー・ケンプは平壌からソウルまで汽車で移動しているが、現代の旅人はこのコースを辿るわけにいかない。著者一行は、国家観光局の車で、開城(ケソン)を経て、DMZ(非武装地帯)を見学する。このあと、本書の記述は、ケンプの足跡に従い、一週間後に南(韓国)側から見たDMZの印象、ソウル、釜山へと続く。そして再び、書き残したことを惜しむように、北朝鮮ツアーのハイライト、元山(ウォンサン)から金剛山への旅が綴られる。

 この、いくぶん分かりにくい構成について、著者は「あとがき」で「ご承知の理由から、個人を特定できるような事柄は曖昧にする必要があった」と述べ、書かれている出来事や会話はすべて実際にあったことだが、順序や細部は変えている、と断っている。

 書かれている内容に、それほど驚くことはなかった。著者が丹東で会った中国人のタクシー運転手が北朝鮮について「あの国は貧しい。でも変わるさ、きっと。なんたって、ほんのちょっと前、我が国もあんなだった」と語るエピソードが印象的だった。私もそう思う。日本だって、もう少し前は「あんな」だったんじゃないのかと。著者は、1970年代、初めて韓国(朴正煕の独裁政権時代)を訪ねたときを思い起こし、いま北朝鮮に対して抱いている自分の感情は、あのときの韓国に対する感情に似ている、と述べる。政治体制に対する絶望。同時に、残された狭い隙間で、人間性を失わずに生きている「ふつうの人たちへの深い敬意」。

 バーチャルなネットワークを通じた情報流通には、後者が抜け落ちてしまう危険性がある。目を開き、心を開いて旅をし、そこに住む「ふつうの人たち」とコミュニケーションをとることが、専制政治の壁に亀裂を入れる一助になるのではないのか。それをしなければ、私たちは、想像上の「ならず者国家」を心の中に築き、複雑な問題に対して、見当違いの単純な解決策を考え出すことになる。そんなふうに著者は述べる。

 韓国の仏教団体(曹渓宗)が、よくも悪くも政治的に非常にアクティブであることは感じていたが、北朝鮮の仏教連盟(そんなものがあるのか!)と協力し、金剛山の寺院の再建に取り組んでいるというのは知らなかった。再建された寺院に、韓国からの巡礼客を呼び込むことを目指しているらしい。ううむ、接近するかと思えば冷え込む南北関係であるが、2013年の現在、このプロジェクトはどうなっているのかな。著者の「あとがき」によれば、小規模な国際組織(NGO)がこの国の変化に静かに貢献しており、その数と幅は増えているという。こうした活動に参加するのはもちろん意義のあることだが、本書に刺激された人々が、自分の眼で真偽を確かめるべく、鴨緑江の向こうに出かけていくなら、その行為自体が、未来をかたちづくる活動の支援になるだろう。

 いま、ものすごく薄っぺらな文脈で使われている「グローバル人材」というのは、本来、こういう「発見の旅」に踏み出していける人のことなんじゃないかとも思った。
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墨蹟(鎌倉国宝館)→金沢文庫→横浜ユーラシア文化館

2013-06-16 10:58:22 | 行ったもの(美術館・見仏)
鎌倉国宝館 『常盤山文庫70周年記念名品展 2013-特集 墨蹟-』(2013年5月16日~6月30日)

 週末東京旅行の2日目は鎌倉へ。朝から、今月これは見逃せないだろうと思っていた展覧会に飛び込む。常盤山文庫は、鎌倉山の開発に尽力した故・菅原通済のコレクション。根津美術館で大規模なコレクション展が開かれたことは記憶に新しいが、鎌倉国宝館では、2012年の『米色青磁』展に続く企画となる。だいたい見覚えのある作品が多くて、どれも好き。入場券売り場で「粗品(?)を差し上げております」と封筒を渡され、開けてみたら、ポスターにもなっている無準師範の墨蹟『巡堂』の絵葉書だった。いや私は嬉しいけど。あとで友人と、職場で席を空けるとき机の上に置いていこうか、と話し合った。

 宋元の僧侶の墨蹟は、眺めていると、なんとなく言いたいことが伝わってくる。日本の行政官僚の漢文が、この頃(中世)になると定型化して面白くなくなるのに比べて、話者の息遣いみたいなものが感じられ、現代中国語にかなり近い感じもする。「夏了可有御上洛之由」→夏(安居)が終われば、ご上洛があるとうかがっておりました、って、こう表現するのか~。 易元吉画巻の跋文だという馮子振の墨蹟に惚れ惚れする(画巻は伝わらず)。特別出品だという円覚寺の『仏日庵公物目録』も面白くて、「龍虎二鋪 徽宗○○(読めない)賛御製」などに目がとまった。天神図の墨摺絵、紅摺絵も珍しかった。そう言えば、菅原通済の天神絵コレクション(←菅原つながり)って有名なんだな、確か。

 ついでなので、レポートを書いていなかったが、同館の1つ前の企画『鎌倉の至宝』(2013年4月6日~5月12日)にもちゃんと行って(連休の引っ越しの合間)、青蓮寺の珍しい四臂の十一面観音像を見てきたことも付け加えておこう。「抑揚を抑えたまとまりのよい作風は関東地方より近畿地方によく見られるもの」と解説されていた。確かに西国三十三所巡礼の記憶と響き合うものがあった。腰から下が安定していて、表情も少ない(いわゆる仏頂面)。大きなティアラのような冠が重そうだったが、あれは制作当時のものなのかどうか。

 国宝館を出たあと、鎌倉在住の友人に出てきてもらって、老舗・中華料理の二楽荘でゆっくりランチ。

金沢文庫 特別展『瀬戸神社-海の守護神-』(2013年4月26日~6月9日)

 鎌倉を出て、ちょうど最終日だったこの展覧会に寄ることにする。源頼朝が伊豆三島明神(三島大社)の分霊を祀った神社。私は、金沢文庫から金沢八景まで歩く途中で、何度か前を通った記憶があるが、こんなお宝を持っていたとは。ランチを付き合ってもらった友人が、ミニ「大神社展」みたいな、と言っていたとおり、神像の比率が高くて、興味深かった。随神(随身)像は、寺院でよく見る閻魔王の従者、司録と司命に雰囲気が似ていた。女神像は装束や髪型がわりと和風。私が「唐風」と感じる女神像(ひらひらの襟や袖飾りを付け、髪を結う)と「和風」と感じる女神像って、歴史的には、いつの時代に出現するんだろう?

横浜ユーラシア文化館 開館10周年記念特別展『マルコ・ポーロが見たユーラシア』(2013年4月27日~6月30日)

 友人から招待券をもらったので、閉館30分前に滑り込む。写真パネル程度でお茶を濁す展示かな、と勝手に想像していたが、会場に入ると、ずいぶん古書が並んでいたので、むむ、と考えを改める。15世紀のラテン語刊本(天理図書館蔵)は、残念ながら展示期間が終わっていたが、16世紀のフランス語刊『東方見聞録』は京都外国語大学から。14世紀の中世フランス語写本『世界の記述(=東方見聞録)』はフランス国立図書館から。よく探して、借りてきたなあ。関連して、各種の旅行記あり。元・耶律楚材の『西遊記』(元刊本に由来する鈔本=写本、宮内庁書陵部)、元・汪大淵『島夷志略』(静嘉堂文庫)なんていう諸本が国内にあるとは知らなかった。

 文物ではイスラムの星形タイルを興味深く見た。なるほど、十字形タイルと組み合わせることで壁面が埋まるのか。中華世界におけるキリスト教(景教)やマニ教(明教)については、もっと知りたいな~。オロンスムの考古資料は、以前の特別展を思い出して、懐かしかった。訪ねたことのある都市の風景(杭州、揚州、鎮江など)は懐かしく、未踏の地(泉州)へはひたすら旅心を掻き立てられる展示だった。
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西ヨーロッパの聖なる曼荼羅/貴婦人と一角獣展(国立新美術館)

2013-06-13 22:14:19 | 行ったもの(美術館・見仏)
国立新美術館 企画展『フランス国立クリュニー中世美術館所蔵 貴婦人と一角獣展』(2013年4月24日~7月15日)

 たまたま、NHK「日曜美術館」で本展の特集を見て、へえ、そんなに大きい作品なんだ、絵画じゃなくてタピスリーなんだ、1枚じゃなくて6枚連作なんだ、など興味を持ったので、めったに行かない西洋美術を見てきた。なんだかよく分からないアレゴリー、伝統と権威、行き過ぎた装飾性。私たちにはなじみの、理性と啓蒙主義に寄り添うヨーロッパ美術からは、かなり遠いところにある。でも、とりあえずきれいだし、あれこれ「解釈」を手探りするのは楽しい。西暦1500年頃の制作ということは、日本なら室町時代だから、そんなに古い作品ではない。ヨーロッパの近代(近世)の目覚めって、意外と遅いんだな、と感慨深く思ったりする。

 ヨーロッパの中世美術が、もっと日本に来てくれたらいいのに、と思うが、宗教的な問題や保存上の問題があって難しいのだろうな。今回も、クリュニー中世美術館の改修という千載一遇のチャンスがあって、展覧会が実現したのだそうだ。所蔵館では、制作当時に近い環境で見ることができるが、鑑賞に適した環境とは言えないとのこと。今回の展示は、詳しい解説に加えて、細部拡大パネルやデジタルスクリーンを活用し、作品の細部まで楽しむことができ、素人にもたいへん面白かった。

 この日は、同館の青木保館長が司会をつとめるトークイベント「カフェ・アオキ」の第11回『《中世》とは何だろうか?~西洋と日本の中世:「貴婦人と一角獣展」をきっかけに~』(6月8日、15:00~16:30)が開かれていたので聴いてきた。ゲストは樺山紘一さんと山本聡美さん。山本聡美先生は日本中世絵画史が専門で『九相図資料集成-死体の美術と文学』(岩田書院、2009年)という本を出されている。樺山先生が、こういう怖い絵の研究をされる方は女性が多いのね、僕は全然駄目だね、みたいなことをおっしゃっていて、可笑しかった。

 西ヨーロッパと東アジア(特に日本)は「中世」という時代が、比較的はっきりしている、という指摘も面白かった。「中国は?」「微妙なんですよね」という会話あり。そうねえ、中国は、古代→(中世)→近世→(近代)→現代のうち、( )の時代があまりはっきりしない文明のような気がする。

 中世とは「見えないものが存在する時代」、ただし古代のように、見えないもの(神々)が当たり前に信じられるのではなく、神々の存在に説明(説話、縁起)や仕掛けが必要になってくる時代だという。また「見ることによって思考する時代」という定義(山本先生)も面白かった。

 青木館長が「僕らの時代は、暗黒の中世と言われていましたね」と振ったら、樺山先生が「最近はもう言いません」と苦笑していた。たぶんこの表現、今の若者世代には通じないんじゃないかな。樺山先生は「中世とルネサンスはあまり厳密に分けない」ともおっしゃっていて、通史のイメージって、ずいぶん変わるんだなあと思った。

 『貴婦人と一角獣』の絵は、フランスでは小学校の教科書に載っていて、誰でも知っているんです、というのも面白かった。日本でいうと何だろう? 巨大なタピストリー(織物)ということで、鼎談では、しばしば当麻曼荼羅が引き合いに出されたが、あっちは8世紀の作だから、格段に古い。山本先生が「唐時代の…」とさらりとおっしゃったので、あ、やっぱり専門家は伝来ものと見ているのか、と思った。

展覧会公式サイト

山本先生が会場で論及した画家・松井冬子の新しい「九相図」も魅力的だった。怖いけど。

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湧き出る妄想/夏目漱石の美術世界展(芸大美術館)

2013-06-12 22:45:53 | 行ったもの(美術館・見仏)
東京藝術大学大学美術館 『夏目漱石の美術世界展』(2013年5月14日~7月7日)

 ずいぶん前に友人から「面白い展覧会ですよ」と勧められていたのだが、いまいち見どころがよく分からなくて、ほったらかしていた。

 先週、書店で「夏目漱石の眼」を特集した『芸術新潮』2013年6月号を見つけ、漱石が小説の中に、実に多様な古今東西の絵画作品を取り入れていることを知った。そうか、『草枕』の主人公は画工だったっけ。読んだのは高校生の頃で、文中に若冲や蘆雪の名前が出てくることなど、全然記憶になかった。

 大正元年(1912)には第六回文展の参観記も書いている。漱石の美術批評は、実に率直で、時に辛辣であり、分からないものは素直に分からないと述べてしまう。尾竹竹坡の『天孫降臨』に対し「天孫丈あって大変幅を取っていた。出来得べくんば、浅草の花屋敷か谷中の団子坂へ降臨させたいと思った」という真面目くさった皮肉には、笑いをこらえるのに苦労した。

 古田亮氏のコラム「イメージの連鎖-漱石から宮崎駿へ」も秀逸。漱石の『夢十夜』にブリトン・レヴィエアーの絵画『ガダラの豚の奇跡』(実際に会場で見た)を重ねてみると、イメージの連鎖が、さらに『風の谷のナウシカ』の王蟲の突進につながるというのも分かる気がする。この絵画『ガダラの豚の奇跡』の発見は、尹相仁の著書『世紀末と漱石』(1994年)に拠るというから、比較的新しい。面白いので『芸術新潮』は買っておくことにし、展覧会にも行ってみることにした。

 世紀末イギリス絵画あり、(漱石が子供の頃から親しんだ)江戸絵画あり、また同時代の日本画・西洋画(油彩画)など、ごたまぜな明治の美術空間が彷彿として、楽しかった。『坊っちゃん』の「ターナーの松」に、にやにやし、三四郎と美禰子が頭を寄せ合って「人魚(マーメイド)」「人魚(マーメイド)」とささやき合う、ウォーターハウスの『人魚』も来ていた。

 それにしても、本展の見ものは、漱石の小説世界にしかなかった架空の作品を現前させてしまったことだろう。『虞美人草』で、藤尾の遺骸の枕元に「逆屏風」としてめぐらされた「花は虞美人草」「落款は抱一」の銀屏風(さすがに落款は模倣していなかったが)。作者の荒井経氏は、あえて「未成熟な女性」という藤尾のイメージを投影して、はかなく寂しげな屏風に仕立てている。

 そして『三四郎』の印象的なラストシーンに登場する『森の女』。モデルは里見美禰子。作者の佐藤央育氏は、明治期のカンヴァスに近い麻布を使い、黒田清輝の『湖畔』ふうの明るい外光の下に美禰子を立たせている。私はもう少し暗い画面をイメージしていたなあ。自然と「迷羊(ストレイシープ)」のつぶやきが漏れるようでないと。あと全身像をイメージしていたので、ちょっと違うと思った。でも、この企画の面白さは大いに買う。さすが芸大である。

↓表紙は、どこかで見た猫だと思ったら、矢吹申彦氏。
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特集陳列・江戸時代が見た中国絵画(東京国立博物館)その他

2013-06-11 23:14:15 | 行ったもの(美術館・見仏)
 金曜の夜から日曜の夜まで、東京に帰ってきた。たぶん今月はこの1回きり。気になる展覧会を集中的に訪ねてきたが、ゆっくり書こうなんて思っていると忘れてしまうので、レポートも一気に仕上げてしまうことにする。

東京国立博物館・東洋館8室(中国の絵画) 『文伯仁「四万山水図」と文人画の精華』(2013年5月21日~6月30日)

 別の特集陳列を見るつもりで、迷い込んでしまったのだが、行ってよかった! 15世紀、江南の蘇州で流行した清雅な文人画の特集。「呉派文人画は中国であまりにも人気が高かったために、残念ながら日本にはあまり伝来していません」という解説に笑ってしまった。身も蓋もない。でも、やっぱり当時、日本に流出した中国絵画は二流品だったんだな。そんな中で、呉派文人画の国内随一の大作が『四万山水図』4幅だという。私は「万竿煙雨」の幅が一番好きだ。細やかな描写、適度な余白などが日本人好みだと思う。

 呉振筆『江山無尽図巻』は、なんと13メートル80cmに及び、多様な自然、多様な人の在りかた(山中の庵で友と対座する者、露天の岩に孤座する者、湖にすなどる者など)が描かれている。居節筆『初夏山斎図』と、もう1点、涼風の吹き渡るような淡彩が気に入って写真に撮ってきたのに、作者・作品名をメモするのを忘れてしまった。この季節にぴったりの作品だったのに。

↓お気に入りはこの絵


■本館・特別1室、特別2室 特集陳列『江戸時代が見た中国絵画』(2013年5月14日~6月16日)

 本館に移動。見ようと思っていたのはこっち。江戸時代を中心に、当時「唐絵(からえ)」と呼ばれ珍重されてきた中国絵画が、いかに伝来し、守られてきたのかを展示。伝・馬遠筆『寒江独釣図』を見ながら、本来はどのくらい大きな画面だったんだろうか、と妄想する。

↓『寒江独釣図』の外箱


 ここでも、江戸期になると煎茶の流行とともに明清の文人画に脚光が当たるものの、中国で最も貴重とされた作品は、当時の日本で見ることができなかったこと、それら超一流の作品が日本に渡ってくるのは明治以降であることが注意されている。ぜひ、上記の東洋館の展示とあわせて楽しみたい。

■本館・14室 特集陳列『日本の仮面-舞楽面と行道面』(2013年6月4日~8月25日)

 奈良・手向山八幡宮、愛知・熱田神宮、愛知・真清田神社などが所蔵する舞楽面、行道面などを展示。先だって奈良博の『当麻寺』展で、行道面を見たことを思い合せて興味深かった。高野山天野社伝来の焔摩天(象頭!)と獅子冠が可愛くて笑った。

↓獅子冠(下顎はないの?)


※6/12画像など追加補記。

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ジェネラリストのお手本/カラスの教科書(松原始)

2013-06-10 23:53:02 | 読んだもの(書籍)
○松原始『カラスの教科書』 雷鳥社 2013.1

 東京から札幌に引っ越してきて、約2ヶ月。街の風景の微妙な差異を面白く感じている。そのひとつがカラスの存在だ。東京にもカラスはたくさんいて、早朝からゴミを食い散らかす彼らの傍若無人ぶりにうんざりしていた。ところが、札幌のカラスはなんだか可愛い。人間のゴミ出しルールがきちんとしていて、カラスに反社会的行動を許す余地がないせいか、北大構内や大通り公園の雪山を背景に、あるいは涼しい緑陰で、つつましく餌を探しているカラスを見て、あ、彼らも野生の「鳥」だったんだ、と気がついた。

 そんなとき、たまたま書店で見つけた本書。洋書のペーパーバックふうの、軽いが、ぶ厚い装丁である。400ページ近いが、ほとんどのページに、植木ななせさんのコミカルなカラスのイラスト(もちろん白黒です )が入っていて楽しい。ところどころに、著者・松原始先生によるスケッチも混じる。画材は鉛筆かな。丁寧な筆致に深い愛情が感じられる。だって、どの子も美形だもの。

 全編を通じて飄々とした文体が楽しいのだが、立ち読みのときは「カラスのQ&A」でハマった。「Q:あんな黒づくめで暑くないんですか?/A:暑いです。」「Q:カラスが騒ぐんですが、地震でしょうか?/A:毎日騒いでるのでご心配なく。」など(もう少し詳細な解説あり)声を出して笑いそうになってしまった。

 「序」に言う、カラスにとって食べることがいかに大切か、という話が、まず目からウロコだった。人間を含め、内温性の動物(いわゆる恒温動物)は、思い立ったら即フルパワーで行動するため、基礎代謝が高く、燃費が悪いので、食い続けなければならない。哺乳類よりさらに代謝の活発な鳥類は、「明日どころか、次の1時間のために今食べていると言ってもいいくらい」である。一方、外温性であるヘビは実に小食で「1年にリスを2匹、おやつにネズミが2、3匹あれば足りるかなあ」という種類もあるそうだ。しかも、食べたら食べたで、日光浴で体温を上げないと消化もままならないとか。動物の世界って、面白いなあ。

 ちなみにカラスは極端な雑食性で、油っこいものが好き。好きな餌の、かなり上位にくると思われるのがマヨネーズだろうと著者は推測している。和蝋燭や石鹸を餌と認識して持ち去った例も紹介されている。京大の物理学教室の屋上から観察していたときは、カラスが小料理屋のゴミ箱から肉じゃがと生湯葉(!)を漁る姿を目撃している。

 著者のカラス研究の大部分は、ひたすら双眼鏡でカラスを追撃すること。著者の目に映るカラスの姿は、やんちゃで、ガキっぽくて、利口そうに見えて、そこそこ間抜けである。私はかなり萌える。このへんは、人間にとって「賢く見える」事が「賢い」の定義であるという、哲学的な一段を読むと興味深い。そもそも動物の「賢さ」を、人間の基準で測ることには無理があるのだ。

 「カラス」と書いてきたが、日本でふつうに見られるのは、ハシブトガラスとハシボソガラス。都市部に多い、カアカア鳴くのはハシブトガラスである。東京ではハシブトガラスが圧倒的に優勢だが、他の都市では、両種が入り混じって暮らしているそうだ。ふうん、今度、札幌のカラスをよく観察してみよう。それにしても、著者のカラスを追ってどこまでもの研究生活、および鳥類学者の生態(鳥学会では学会会場でスライドの文字が見えないと双眼鏡を取り出す)にも爆笑した。

 さて「結」によれば、著者の勤務先は、東京大学の総合研究博物館である。学問的には広く浅い守備範囲と、子供の頃からの器用さが幸いし、学芸員資格があるわけでもないのに、工具箱を持って走り回り、展示ケースを磨いたり、脚立の上で照明を調整したりしている。著者はそんな自分を、「スペシャリストではないが、一応あれこれできる」という「実になんともカラス的なポジション」によって餌にありついている、と言い表している。

 そういう点では、私もかなり「カラス」の仲間だと思う。スペシャリストに憧れつつ、何の専門技能も身に着けられないまま、社会人生活も終盤に来てしまった。そのことに、内心忸怩たる思いを抱くこともあるのだが、「何でも一応できる」「60点主義でいいから八方美人にしておく」という戦略も、また一つの生活型である。この部分を読んで、ますますカラスに親近感が湧いてきた。
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