見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

饕餮(とうてつ)文の正しい見かた/神秘のデザイン(泉屋博古館分館)

2012-02-29 22:57:13 | 行ったもの(美術館・見仏)
泉屋博古館分館 開館十周年記念展『神秘のデザイン-中国青銅芸術の粋-』(2012年1月7日~2月26日)

 京都・鹿ヶ谷にある泉屋博古館本館には、中国古代の青銅器が常設されている。中国古代(殷周時代)の青銅器といえば、饕餮(とうてつ)文と呼ばれる、過剰で偏執的な装飾に表面を埋めつくされたものが多い。ただし、あらためてWikiを読んでみたら、当初から饕餮と呼ばれる存在(怪物?鬼?最高神?)の描写であったという証拠は何もなく「後世に饕餮文と呼ばれているだけ」なのだそうだ。

 とにかく「饕餮文」という言葉を覚えてしまうと、ぐるぐる渦を巻いた文様に、ちらりと目鼻らしいものが見えただけで、ああ、饕餮文ね…と流し見てしまうのが素人である。ところが、本展は、展示品の表面を白黒写真に起こし(隙間を埋める不要な文様を消した上で)ここが目、ここが口、ここが足、ここが尾、という具合に、怪物のパーツを丁寧に示してくれているのだ。驚いた。今まで、どれも顔のアップかと思っていたら、実は多くの場合、遠近法を無視して、足や尾も描かれているのである。

 そのほか、龍や鳥なども、思ってもいなかった姿勢で、渦巻文の中に潜んでいることが明らかになる。視力、いや心理学検査の問題のようだ。目からウロコ。今まで、ずいぶんたくさん古代の青銅器を見てきたはずなのに、私は何を見ていたんだろうと思った。

 造形的な逸品は『虎卣(こゆう)』。泉屋博古館のサイトに行くと、最上段のバナーの右端に、ぽつんと外側を向いて鎮座している。後ろ足とシッポの三点で立ち上がった、猫背の虎である。よく見ると胸にヒトを抱いていて、無表情なヒトの頭はトラの口に、スッポリおさまっている。

 第2室、秦・漢・唐と時代が新しくなるにつれ、青銅器は祀りの道具から高級調度品へと変わる。確かに、前漢(前1-2世紀)には美的センスが一気に近代化(!?)して、現代人にも理解できるものになっていると思う。さらに、宋・明代には、古代の青銅器を尊ぶ気持ちから、その模倣品がつくられ、一部は日本にももたらされて、古銅花入れや香炉として珍重された。『金銀錯獣形尊(きんぎんさくじゅうけいそん)』(北宋9-11世紀)は戦国時代の犠牛をかたどった倣古作。コーギー犬のような体形、ウサギ耳、赤い玉眼が可愛い。

 予想を裏切って面白い展示だったが、もうひとつ私には、新鮮な発見だったことがある。ホールにしつらえられた「住友家の正月飾り」である。住友家は、正月の床の間に別子銅山の「小(こばく)」「吹炭(ふきすみ)」「床尻銅(とこじりどう)」を飾り(それぞれ白木の三宝に載せる)、事業の繁栄を祈ってきたという。

 左端の「小(こばく)」は、その年の最高品位の銅鉱石。しめ縄と水引で飾る。中央の「吹炭(ふきすみ)」は燃料。松竹梅の造花と水引で飾る。右端の「床尻銅(とこじりどう)」と呼ばれる、大きな煎餅のようなぼろぼろの銅板は、1691年(元禄4年)、別子鉱山で採掘された最初の鉱石から作ったもので、「住友家の家宝」であるそうだ。

 そうかー。住友といえば金属、住友といえば銅山なんだな、とあらためて認識。重工業時代を知らない私は、住友といえば、銀行か総合商社のイメージしかなかった。だから、家業の「銅」に敬意を表して、泉屋博古館には青銅器コレクションがあるのか?!と思ったが、当たっているかどうかは知らない。でも、こうやって立ち返る歴史を持っている企業は、なんとなく信用できる気がする。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

江南の清明上河図/蒐めて愉しむ鼻煙壺+中国明・清時代の美術(大倉集古館)

2012-02-26 23:42:41 | 行ったもの(美術館・見仏)
大倉集古館 『蒐めて愉しむ鼻煙壺-沖正一郎コレクション-』+関連展示『大倉コレクション 中国明・清時代の美術』(2012年1月2日~3月25日)

 沖正一郎(おき しょういちろう、1926-)氏は、ファミリーマート初代社長を務めた実業家。「鼻煙壺」の蒐集家として知られ、2008年には大阪市立東洋陶磁美術館で、鼻煙壺1,200点の受贈を記念して『鼻煙壺 1000』展が開催された。なので、私はてっきりこの展覧会も、大阪市立東洋陶磁美術館のの「沖正一郎コレクション」を借り受けての企画かと思っていた。そうしたら、違った。1,200点の鼻煙壺を東洋陶磁美術館に寄贈しても、沖氏の手元には、まだ名品・珍品が数々残っていたらしいのである。

 展示室に入ろうとして、入口のガラス越しに中を見たとき、人の上背よりもずっと高い大きな展示ケースの床に、小さな鼻煙壺がびっしり並んでいる様子が見えて、噴き出しそうになった。陶磁器専門の美術館だと、もともと展示ケースが小さめで、しかも目の高さにくるような工夫をしてあるのだが、本展は、汎用タイプの展示ケースを使っているため、なんとも場違い感がある。

 しかし、この場違い感は悪くない。見やすく、効率よく並べられた「標本展示」でない分、普通の生活の中の存在感みたいなものが想像できる。たとえば、書籍の間に埋もれている鼻煙壺の図とか、愛好家のおじさんが、自慢のコレクションを机の上に並べて自慢している様子とか…。こっちもかしこまらずに、あの緑色が好きとか黄色がほしいとか、気軽な感想を言いたくなる。

 鼻煙壺の素材にはいろいろあるが、私はガラスがいちばん好きだ。白ガラスに三彩や五彩の色ガラスを被せたもの、あるいは「白ガラス色斑点文鼻煙壺」「白ガラスミルフィオリ文鼻煙壺」など。どれも可愛い! 「被せガラス」は「かぶせ」でなく「きせ」と読むのか。解説によると、古くはギリシャのカメオの製法を淵源とし、ドイツのガラス製造に用いられていた重ね焼きの技術が中国に伝わり、「乾隆ガラス」と呼ばれた清朝のガラス製品は、欧州のアール・ヌーヴォ―の作家たちに影響を与えた、という。こんな小さな鼻煙壺に壮大な東西文明の交流史が!と思うと、面白い。

 鼻煙壺の展示は2階にも続くが、2階は主に関連連展示の『中国明・清時代の美術』である。実は私のお目当てはこっち。特に展示リストに、伝・仇英筆『清明上河図』というのがあったので、故宮博物院本の模写なのかな?と思って見に来た。ところが、事情はもう少し複雑だった。先日まで東博『北京故宮博物院200選』で公開されていた『清明上河図』は、北宋の都・開封の風景を描いたものといわれ、作者の張択端(ちょうたくたん)は、北宋の宮廷画家である。明代になると、張択端本の名声が上がるにつれて「清明上河図」は一般名詞化し、「構図等を踏襲し、蘇州の風景を描いた清明上河図が多く制作された」のだそうだ。

 なるほど。だから、伝・仇英筆本は、確かに田園→虹橋(太鼓橋)→城門の賑わいという基本ルールは守っているものの、描かれている風景や風俗は、かなり違う。伝・仇英筆本を見るのは初めてではないが、今回は、故宮博物院本を見てきたばかりなので、その差異がよく分かった。北宋(11世紀頃)と明(15世紀)では、大きく時代も違うし、開封を蘇州に置き換えて享受するというのも、かなり大胆な変更である。画面には、酒家、酒行、綿花行、雑貨行など多数の看板が書き込まれ、医院らしいものもある。ところで、伊原弘著『「清明上河図」と徽宗の時代』のカバーは、故宮博物院本でなく、伝・仇英筆本の写真なのね!

 このほか、金箋の扇面図3件。扇面画は、日本の特産品として、室町時代頃から大陸に輸出され、明代以降、中国でも制作されるようになったそうだ。康煕年間の画家、潘崇寧筆『花鳥草虫図巻』には、生き生きした花鳥のほかに、羽虫、カマキリ、蜻蛉、蜂、水中にはメダカ、オタマジャクシ、カエルや沢ガニも描かれている。若冲っぽいな~。光緒帝御筆の『葡萄図団扇』は、さわやかすぎて哀感を誘う。光端23年(1897)筆だから、まだ親政の希望に燃えていた頃だ。

 書画以外も、清代の神像彫刻(同館は124件の中国神像彫刻を所蔵)、漢籍(明清の刊本、さりげなく「重要美術品」指定もあり)など、バラエティに富んでいて楽しかった。

※大倉集古館『大倉コレクション-アジアへの憧憬』(2007年8月)→「伝・仇英筆本」初見の記事。

京セラ美術館→「乾隆ガラス」で検索したらヒット。行ってみたい。

※カバーは「伝・仇英筆本」

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

安宅コレクション再び/悠久の光彩 東洋陶磁の美(サントリー美術館)

2012-02-25 22:36:18 | 行ったもの(美術館・見仏)
サントリー美術館 『大阪市立東洋陶磁美術館コレクション 悠久の光彩 東洋陶磁の美』(2012年1月28日~4月1日)

 東京人の私が、はじめて大阪市立東洋陶磁美術館のコレクションに触れたのは、2007年、三井記念美術館で開催された『美の求道者 安宅英一の眼-安宅コレクション』展だったと思う。その衝撃はすごかった。爆風で吹き飛ばされたみたいに圧倒的だった。いったい、このコレクションは、どうやって形成され、なぜ大阪市のものになったのかが知りたくて、伊藤郁太郎著『美の猟犬』(日本経済新聞社、2007)を読み、さらに衝撃を受けた。

 その後、東洋陶磁美術館へは、2008年、2010年、2011年と、面白そうな特別展をやっているときをねらって訪ねているが、いつも時間が足りなくなって、常設展示を回り切れたためしがない。なので、私の好きな耀州窯の『青磁刻花牡丹唐草文瓶』とか定窯の『白磁銹花牡丹唐草文瓶』を、ゆっくり眺めるのは、三井記念美術館以来だと思って、苦笑した。

 本展の構成は、第1章(4階展示室)「中国陶磁の美」から始まる。安宅コレクションの個性が強く出ているのは、朝鮮陶磁のほうなのに…。しかも(時系列に配慮したのだろうけど)緑釉楼閣(後漢時代)や三彩獅子(唐時代)からだったので、ちょっと違和感。やはり冒頭には、コレクションを代表する名品を飾ってほしかった。まあでも、唐代の加彩婦女俑を見て、あ、これ、東洋陶磁美術館ではいつも回転してるやつだ、と思い出したりする。

 展示品は、おおよそ時系列に従いながら「青いうつわ」「白いうつわ」みたいに、色でカテゴライズされている。数は少ないが印象的な「黒いうつわ」は、健窯の『油滴天目茶碗』(南宋時代・国宝)。いやーあまり好きではなかったのだが、この展覧会で、初めていいと思った。高い位置からの間接照明のせいか、この茶碗を真横から見ると、びっしり詰まった銀色の「油滴」が、カットガラスのように輝き、その中に、何か黒い塊が蹲っているように見えるのだ。

 3階に下りると、階段直下のホールにも展示ケースを増設して、第2章「韓国陶磁の美」が始まる。うんうん、やっぱり安宅コレクションの白眉は韓国陶磁だなあ、と思う。特に朝鮮時代の絵付の壺は、ケースをぐるりと一周できる状態で展示されているものが多くて、嬉しい。正面だけでなく、裏側も覗いてみると、作品の魅力が倍増すると思う。『青花虎鵲文壺』のカワウソみたいに胴の伸びた虎とか、『粉青線刻鳳凰文扁壷』は鳳凰に見えなくて、笑える。『粉青線刻柳文長壺』のバナナあるいは椰子のような柳の木も大好き。

 なお、東洋陶磁美術館のサイトにいくと、『収蔵品紹介』のページで、ここに挙げた作品のほとんどの画像を閲覧し、解説を読むことができることを知った。大したものだと思って、感心してしまった。

 東洋陶磁美術館は、現在「空調・照明等の設備工事のため休館」しているらしい。今年は開館30周年だそうだが、施設は老朽化していないのかな。大丈夫かな。老婆心だが、このところ、私は橋下大阪市長の文化行政に、かなり気を揉んでいるのである。あの美術館は、今くらいの来館者数だから落ちつけるので、集客アップしなければ事業廃止とか言わないでね、頼むから。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

もうすぐ、雛(ひな)の月

2012-02-25 07:23:31 | 日常生活
先週は、いろいろ仕事が忙しくて、自宅でPCに向かう余裕がなく、記事の更新が滞ってしまった。

日付が変わるまで帰れないとか、そんなにひどい状況ではないのだけど(むかしは、あったなー)
もう若くないので、忙しいときは、逆に自重して、翌日の睡眠不足を避けないと
頭がすばやく働かないのである。

しかし、その甲斐あって、当面の課題はクリア。

昨夜も布団に転がり込むように寝てしまったが、
春を告げるような柔らかい雨音でめざめた。身体を伸ばしても、空気が暖かい。
久しぶりに、心落ち着いた週末…。

落ち着いたとたん、旅心がうずく。
「そぞろ神の物につきて心をくるはせ、道祖神のまねきにあひて」分かるなー。
”大人の日常”を過ごすようにならないと、この句の味わい、分からないんだな。

もうすぐ三月、ひなのつき。



うしろ姿。



この子たちは、このブログを始める前、私が逗子で暮らしていた頃、金沢八景かどこかで買った気がする。
以来、一年中いつでも部屋の隅に飾られている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

父と娘/精選女性随筆集・幸田文(川上弘美選)

2012-02-23 23:58:23 | 読んだもの(書籍)
○川上弘美選『幸田文』(精選女性随筆集 1) 文藝春秋 2012.2

 私は女性が苦手である。生身の女性も苦手だが、女性の書いた文章は、さらに輪をかけて苦手だ。「女性作家が選ぶ、女性作家の名随筆アンソロジー」など、本来なら見向きもしないところだが、何を血迷ったか、手に取ってしまった。たぶんオビに記された「父・露伴」の文字に引き寄せられてしまったからに他ならない。

 全部で30編ほどの随筆が収録されているが、第1部「幼いころから、父の死まで」の十数編は、ほとんどに父・幸田露伴が登場する。というか、巻末の解説を読んで、文(あや)の最初の文章は、1947年、幸田露伴の八十歳記念号(「芸林間歩」)のために書いたもので、雑誌の発行前に露伴は亡くなり、そのまま追悼号になったことを知った。文43歳のときだという。幼い頃の家庭生活を題材にした随筆や小説があることは、知識として知っていたので、もっと若い頃から文章を発表していたのかと思っていた。父の生前は全く文壇とかかわりがなかったこと、文が人気作家となったのは戦後のことで、1990年(平成2年!)までご存命だったことなど、イメージの修正を迫られた点が多かった。

 それにしても、娘の随筆に登場する幸田露伴は、実に面倒くさいオヤジである。これも解説によれば、文が5歳のとき実母が病死し、露伴は再婚するが、家事が苦手だった継母(文の)にかわって、文にあらゆる教育を施したのは父の露伴だった。箒の持ちよう、雑巾のしぼりよう、米とぎも魚のおろし方も父から教わったという。その教えかたは厭味で高飛車で、意地っ張りの著者は「反抗に燃える」というが、言葉とは裏腹に、すぐに我を折ってしまう。これが私には不思議でならない。よほど露伴が魅力的だったのか、娘が父親に反抗を通すことなど考えられなかった時代のせいなのか。

 露伴の死の前後を描いた「終焉」を読むと、この父娘の独特の連帯感が感じられて、前者かなあ、と思う。ずっと後年の文章「捨てた男のよさ」に「私のころには…家庭の女が男性批難の作文を書くなどとは、思ってもみないことだった」云々とあるのを読むと、後者(時代性)もあるのかなあ、と思いなおす。私に露伴みたいなウザい父親がいたら、本気で暴力で向かっていくか、家を飛び出していたと思うのだ。

 文の文章には、晩年の露伴のまわりにいた意外な人物も登場する。「堅固なるいなかびと」と称された「柳田さん」は、しばらく考えて、柳田泉だと分かったが、小学生の文の娘に「はにかみっ子」と言われた「斎藤先生」が茂吉のことだとは解説を読むまで分からなかった。「すがの」には、露伴の終の棲家の近傍、菅野の住人だった永井荷風が登場し、興味深い。

 第1部には、文の女学校時代も描かれている。この学校は、確か、辛酸なめ子さんの母校で、私自身の母校でもあるミッション系の女子校につながっており、どことなく似た校風も、全くかけ離れた点もあって、面白く読んだ。

 第2部「くさぐさのこと」は、身近な小動物(金魚)、希有な体験(屋久島の縄文杉)など、幅広い題材の文章を収める。第1部に比べると、技巧味の少ない、平易で味わい深い文章が多い。私は、前出の「捨てた男のよさ」がけっこう好きだ。「男すくな族」である著者が、自分のものでない男たちを眺めながら、「男はいいもんだなあ」とつぶやく、この素直な感慨に同感する。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

フル可動仏像・リボルテックタケヤ

2012-02-16 23:25:53 | 見たもの(Webサイト・TV)
○GIGAZINE:フル可動仏像の最新作「風神」がリボルテックタケヤ第6弾として新登場(2012年2月12日)

 たまたま目に留まったこのニュース。ワンフェスこと「ワンダーフェスティバル」(2012冬)とは、プロ、アマを問わず、自分たちが腕によりをかけて製作したキットを持ち寄って展示・販売することにより、自分の造形力を世に問うことを目的としてはじまった「ガレージキットの祭典」だという。すごい! 面白い!

 「フル可動仏像」をつくっているのは、フィギュア造形作家の竹谷隆之氏。海洋堂に「タケヤシリーズ」のサイトが設けられている。2月1日より、新作・四天王+阿修羅シリーズを毎月1体ずつ発売中。この四天王像に、いちばん似ているのは、どこの仏像だろう?とさっきから考えている。多聞天の、塔を高く掲げるポーズは、興福寺南円堂の像に似ているが、南円堂の像は三叉戟(さんさげき)を持つ。このフィギュアの得物は宝棒(棍棒)なのである。増長天が持っているのは、大きな金剛杵なのか。

 1体3,800円。安くはないが、大人なら十分手がとどく価格設定だと思う。七福神フィギュアとか妖怪コレクションを見ていると、現代のフィギュアって、近世~近代の工芸の伝統から、まっすぐにつながっている感じがする。あと「祟り神・菅原道真」がすごく好きだ。足元に踏みしだかれた貴族が、痛々しくてぞくぞくする。風神のあとは、当然、雷神なんだとうけど、三十三間堂に倣って、二十八部衆をぜんぶ作ってほしい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

名碗せいぞろい/茶会への招待(三井記念美術館)

2012-02-15 23:41:20 | 行ったもの(美術館・見仏)
○三井記念美術館 『茶会への招待-三井家の茶道具-』併設『初公開-新町三井家の新寄贈品から』(2012年2月8日~4月8日)

 このところ、週末も出勤やら持ち帰り仕事やらが続いていて(旅行も行ってるけど)慌ただしい。こんなときは、気を落ち着かせるため、茶道具でも眺めようと思って出かけた。冒頭の「茶の湯名品」は、どれも一度くらい見た気がするが、何度見てもいい。

 展示室2は、選りすぐりの一品を単独で見せる部屋で、これまで、国宝茶碗「銘:卯花墻」が置かれることが多かったが、今回は朝鮮の御所丸茶碗が飾られていた。ダルメシアンを思わせる黒白の斑(ブチ)。「古田織部の意匠で、朝鮮の金海窯で焼かせたもの」だそうだ。絵付も造作も、やや作為が見えすぎる感じ。

 光悦の黒楽茶碗「銘:雨雲」。これも十分作為に満ちているんだけど、私はこっちのほうが好きだ。茶碗以外では、伊賀焼の花入「銘:業平」、備前の建水は、本当に微かな火色(赤み)とか焦げ(?)の「景色」がいいなあ。あと、茶入や茶杓はよく分からないのだが、茶釜は好きだ。近代物(昭和17年作)の根来有實作の四方釜は、潜水艦みたいなモダンな感じが面白かった。姥口霰釜(与次郎作・桃山時代)は、たれパンダとかカピバラさんみたいな、金属製と思えないゆるさが好き。

 展示室4は「茶事の取合せ」と題し、待合→書斎→懐石→後座という、茶事の進行に沿って、茶道具を配置している。個人的には。もうちょっと茶掛けの書を見たかった。展示室3「如庵の取合せ」に、寸松庵色紙(きのとものり/あまのかはあさせ/しらなみたとり/つゝわたりはてぬ/にあけそし/にける/古今秋歌上177)が飾られていたが、遠くてよく見えなかったのが残念。

 さて、展示室7は「新町三井家の新寄贈品」で、これも茶道具の一部かな、と思っていたら、全然違った。びっくりは渡辺始興筆『鳥類真写図巻』で、壁の一面を全て使い、4~5メートル(?)に渡って広げてある(全長17メートル)。パネルの解説によれば、東博所蔵・応挙の『写生帖』は、これを模写したものであることが、図像の比較から確かめられており、「応挙の源流ここにあり!」と誇らしげである。鳥の姿には、○月○日(何時の姿か=季節によって羽色の変わる鳥がいるためだろう)、雄雌、羽根○枚、裏○色など、細字の注記が施されている。なお、渡辺始興(1683-1755)は、近衛家煕の感化で実物写生を試みたと言われている。

 対面の展示ケースには「金沢文庫」印のある白氏文集(平安時代)。これにも驚いた。いろんなものを持っているなあ。さすが三井家。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大河ドラマ『平清盛』第6回まで

2012-02-14 01:07:32 | 見たもの(Webサイト・TV)
NHK大河ドラマ『平清盛』第6回「西海の海賊王」(2012年2月12日放送)

 今年の大河ドラマは楽しく見ている。皇室を「王家」と呼んだとかでイロイロ言われ、画面が汚いとか、扱う人物がメジャーでないとか、視聴率は苦戦しているが、私はここまで、ほぼ満足だ。ちょっと微妙だったのは第2回くらい。これはもう、年末まで完走コースに乗ったな、と思っている。

 私は、この時代(平安末期)が好きで、さらに平家びいきなので、清盛が大河ドラマになると聞いたときから嬉しかった。何年か前の『義経』も時代的にはストライクで見始めたのだが、確か初回だけで脱落した。画面の空々しい清潔感が受け入れられなかったためである。今年の大河批判の中に「平安時代が舞台なんだから、もっとキレイな画面が見たい」という声があるのを見ると、感じ方は人それぞれだなあ、と思う。私にとっての「平安時代」は、まず闇。鬼神、怨霊、魑魅魍魎の跋扈する闇に始まり、短い光芒のような昼の時代(摂関期)を過ぎて、再び闇の時代に突入して行く。

 私の平安時代は「源氏物語」よりも、「今昔」「宇治拾遺」などの説話文学の中にある。あるいは、軍記物語と絵巻・絵詞の中に。そうやって形づくってきた平安末期のイメージと、今年の大河ドラマの間に、大きな違和感はない。むしろ輪郭のボンヤリしていたイメージを、はっきり視覚化してくれるのが、とても楽しい。

 もちろん嘘(フィクション)も混じっているのだが、小さな嘘・ごまかしにはイライラするのに、なぜか大きな嘘は許せてしまう(笑)。こういうタイプの歴史好きは、多いんじゃないかと思っている。ある種の主義主張に凝り固まった人々は別として。

 このドラマには、強烈な個性をもったキャラクターが、これでもかというほど多数登場する。実際、そういう時代だったのだから仕方ないが、それぞれ絶妙の配役で描き分けられているのが見事である。しかも彼らの多くが(ある者は主人公とともに生き、ある者は退場後に何らかの影響を残しつつ)始まったばかりの長い物語を織りなしていくと思うと、とても楽しみだ。

 これまでのところ、いちばん意外な造形は信西(藤原/高階通憲)である。むかし読んだ学習マンガでは、いけすかない禿の爺さんに描かれていたので、阿部サダヲ演じる若き信西には、イメージの修正を迫られているが、新鮮で面白い。これからの変貌が見もの。また、上川隆也演ずる鱸丸は、落ち着き払った風情が「漁師に見えない」と話題になっているが、やがて平盛国になると知り、調べてみたら、清盛は盛国の屋敷で息を引きとったとか、壇ノ浦の戦いの後、捕虜となって鎌倉に送られ、飲食を絶って自害した等のエピソードを知り、唸った。そこまで描いてくれたら大拍手である。

 最新の第6回は、宋船(の模造船)を瀬戸内海に浮かべての海戦ロケが見どころだった。個人的には、通憲が李白の「春夜宴桃李園序」(浮生は夢の若し/歓を為すこと幾何ぞ)を詠じ、「短い人生なのだから、精一杯楽しめという意味だ」という解説に「梁塵秘抄」の「遊びをせんとや生まれけん」の歌声が重なるところ、唐土の大詩人の作品と、日本の無名作者の歌謡の主題が響き合うシーンに、ぐっときたのだが、誰もそんなところ注目してなかったみたいで、残念だった。宋船に乗っていた幼女の桃李ちゃん、通憲の中国語の師匠にならないかな、と妄想してみる。

 清盛の「俺は海賊王になるぞー!」は、本当にそんなマンガ的なセリフを言わせるのかと思って、さすがの私も放送前からハラハラしていたら、最後にさらっと言わせた上、捕縛された兎丸に「お前ちゃうやろ」と突っ込ませていて、ただのギャグパートだったので、笑ってしまった。小船で宋に向かおうとしたときも「そこは気力で」とか、油断していると、耳を疑うような脱力系のセリフが入る。あれは脚本どおりなのか、アドリブなのか。こういう「茶化し」も、嫌いな視聴者は駄目らしいが、私は、シリアスな筋にチャリ場が入るのは、伝統芸能で馴染みの手法なので全く無問題、大歓迎である。

 それにしても、何が面白いと言って「時代考証その2」こと本郷和人先生の「つぶやき」が面白すぎる。この1年、本郷先生をフォローするために、私もTwitterのアカウントを取り直そうかと真面目に考えている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

政治家から文学者まで/孔子さまへの進言(楊逸)

2012-02-12 23:56:30 | 読んだもの(書籍)
○楊逸『孔子さまへの進言:中国歴史人物月旦』 文藝春秋 2012.1

 中国生まれの芥川賞作家、楊逸(ヤンイー)さんが、中国の古代から近代までの歴史に登場する人物7人について語ったエッセイ。7人とは、登場順に、毛沢東、蒋介石、孔子、始皇帝、李(りいく)、武則天、魯迅。私が感銘を受けた順では、毛沢東、蒋介石、それから本書を読むまで全然知らなかった李の章が抜群に面白かった。魯迅もいい。

 孔子の章は、一番面白くないと思うのだが、幅広い日本人読者を「掴む」ことを考えると、このタイトルになってしまうのかなー。ただ、著者が小学生の頃、孔子と林彪(りんぴょう)を批判する詩を、五言絶句や七言絶句(!)の形式で書かされたという話は面白かったし、驚いた。そこは伝統尊重なんだな。

 毛沢東、蒋介石については、同時代の一般中国人による人物評を、日本人のフィルターを通さずに聞けて面白かった。本書にさりげなく引用されている毛沢東の言葉はすごい。「跟天闘、跟地闘、跟人闘、其楽無窮(天と闘い、地と闘い、人と闘い、其の楽しさ窮まることなし)」って、まさに混世魔王である。善悪を別にして、日本みたいな小さい島国には、生まれようのない人物だと、あらためて思った。

 陽逸さんは大陸の出身だが、母方の祖父や伯父は国民党に従い、台湾に渡ったのだそうだ。だから、大陸人が見た毛沢東、台湾人が見た蒋介石、さらに、そのクロスした視点も語られている。伯父たちが親しみをこめて「老総統」と呼ぶ蒋介石を、大陸人は「蒋光頭(蒋の禿げ頭)」としか呼ばなかったこと。老境の蒋介石が、文化大革命の映像を見たショックで、数日間外に出てこなかったこと。もう大陸には戻れないと覚悟を決めた蒋介石は(遅い!)、ようやく台湾の教育普及と経済振興に力を入れ始めた。しかし、信頼していたアメリカに裏切られたときの狼狽ぶりは、「婦人之仁、匹夫之勇」を見るようだ、と著者はなかなか手厳しい。

 経済発展と民主化に尽力した蒋経国、国民党のリーダーでありながら公然と民進党と結託した李登輝、「台湾文化大革命」と呼ばれる「去蒋化運動」を繰り広げた民進党の陳水扁、返り咲いた国民党政権のもとで、毛沢東の顔を印刷した大陸の人民元が舞う皮肉。台湾の戦後史も、「台湾=親日=大好き」的な、甘ったるい日本人のフィルターを外すと、かなり違った風景が見えてくるように感じた。この政治的闘争の激しさ、やっぱり漢民族である。

 政治的人間の究極の姿として、「孔子さま」の章にちらりと描かれているのが周恩来である。孔子の唱えた「中庸の道」を体現することにより、あらゆる圧力、迫害に耐え、死後も批判されることなく、無垢の聖人と称えられた。中庸の道とは「恐るべき保身術でもあり権力術でもあり、名誉術、人気術でもあったろう」と著者は記す。政治学者でも何でもない小説家から、この洞察が出てくるあたりも、政治の国の伝統だと思う。

 文学者・魯迅および李を語った章も面白い。魯迅の言葉「未来是墳、墳的未来、無非被踏平(未来は墓である。墓の未来は、踏みつぶされて平らになる)」もいいな。暗黒の穴のような絶望感、ナイフのような鋭利な攻撃性を感じさせる。このひとの本質は「権威」とか「顕彰」から、まるで遠いところにあるのに、「偉大なる文学者、偉大なる思想家、偉大なる革命家」に祀り上げられ、魯迅に批判された経験のある著名人は、それだけで生命財産を脅かされたこともあったという。このあたり、魯迅が最も憎んだ中国文化の「しぶとさ」を感じさせる。かと思えば、台湾では魯迅の名前は禁句だったとか、ここ数年、大陸では教科書から魯迅作品を削除し、その分を「論語」で埋めようという動きがあるそうだ。ええ~相変わらず、わけわかんない迷走だなあ、中国(台湾も大陸も)。

 李(937-978)は、五代十国の南唐第三代王。前半生は、花鳥風月を題材としたロマンチックな詞で、後半生は亡国の悲しみを秘めた哀切な詞で知られる。少なくとも近世以降(?)日本では、漢詩文といえば「豪放派」が圧倒的で、こういう「婉約派」の詩人は、ほとんど読まれてこなかったように思う。もったいない。ここは、とにかく読むべし。まさに味わうべし。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

沖縄旅行2012:拾遺

2012-02-10 23:39:56 | ■アジア(中国以外)
沖縄旅行ですごく気になったのが「書き文字」である。特に初日、那覇から浦添~宜野湾方面に向かう途中、車の中から風景を眺めていると、立派な造りのマンションなのに「○○ハイツ」みたいな名前を、素朴なペンキの「書き文字」で記した物件が目についた。東京なら、そこはお金をかけて、気取ったデザインの看板を取りつけるところだろうに。

加えて、アルファベットよりもカタカナのほうが好まれている感じがした。「ロイヤルマンション」とか「ハッピーマーケット」とか。基地の島ならではの日本語表記へのこだわりなのかな。こんなことを面白がるのは私くらいだろうと思って、なかなか口にだせなかったら、昨年から沖縄人になった友人も、同じことを感じていたことが、あとで分かった。

那覇市内の表通りは、さすがに「書き文字」の大看板は少ないが、小さな店はこのとおり。これ、中国ノリだなあ、どう見ても…。



「石敢当(いしがんとう)」の風習も中国ノリである。中国のガイド本は「せっかんとう」の読みを使うことが多い。私が初めて見たのは、本場、山東省泰山の石敢当だった。



やちむん通りで買った器。さっそく使ってます。あまり沖縄っぽくないが、やっぱり磁器のほうが、軽くて使いやすい。てのひらサイズ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする