見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

初訪問/祈りの書-写経と経筒(センチュリーミュージアム)

2011-07-31 19:49:32 | 行ったもの(美術館・見仏)
センチュリーミュージアム 『祈りの書-写経と経筒』(2011年4月11日~年7月30日)

 2010年10月にオープンしたミュージアム。今年のはじめくらいに存在を知って、一度行ってみようと思っていた。最寄り駅は、東京メトロ東西線の早稲田駅。むかし、親戚がこのへんに住んでいたはずだが、初めて降りる駅で、全く土地勘がない。地図をたよりに、マンションの多い都心の住宅街を歩いていくと、瀟洒なオフィスビルにたどりついた。1階の受付で入館料を払うと「展示室は4階と5階です。エレベータで上がってください」と説明される。ホテルのチェックインみたいだ。

 4階と5階は、それぞれ1室ずつが展示スペースになっていた。4階、いきなり巨大な仏頭(鉄製、新羅時代)がむき出しで展示されていて驚く。大きさは、山田寺の仏頭くらいあるかな。

 ケースの中は写経と経筒。先週、根津美術館のコレクション展『古筆切』で見たばかりの「賢愚経断簡(大聖武)」に再会。荼毘紙の白がきれいだ。もらった解説パンフレットに「もとより天皇の自筆ではない」って、ちゃんと書いてある。『紺紙銀字華厳経断簡』はいわゆる「二月堂焼経」。上側(だけ)が焼けているのは珍しいと感じたが、そんなことないのかしら。また、比較的、焼損面積が少ないとも思った。

 『一字宝塔法華経断簡』の癖字は、一目見て、お~”定信様(よう)”の戸隠切だ!と分かって、嬉しかった。ほかにも、中尊寺経、神護寺経など、どこかで見聞した記憶のある名品が出ていたが、心ひかれたのは、むしろそれ以外の作品。平安後期(11世紀)の『紺地金字一字蓮台法華経序品』は「専門技師による精巧な一字宝塔蓮台経と比して稚拙にみえるのは、不慣れな供養者みずからが竹刀で微細な泊を置いたものであろう」と説明されているのだが、蓮台が蛸の列にしか見えない。見返しの普賢菩薩が乗った象も、なんだか斜めに浮いていて、楽しげ。また12世紀の『紺紙金字成唯識論』は、銀泥だけで描かれた見返し絵(水の流れを挟んで、人物が二人)が気になる。元永二年(1119)の年記を持つ滑石経(8枚)も珍しかった。最後の1枚には、天部らしき絵が描かれて(彫られて)いた。

 5階に上がって、エレベータの扉が開いた瞬間、え!と声が出てしまった。4階は展示物保護のため、暗くしてあったが、5階は窓から、外の風景がよく見えた。遠くまでビルが林立する、東京都心の風景。ところが、室内には、平安・鎌倉等の木彫仏が、ずらりと並んでいる。片側一列は、ガラスケースもなく、むき出し。しかも私以外は無人。いいのか、これ…。窓際に気持ちのいいソファが据え付けてあって、ここに座って、窓の外を見やれば、確かに21世紀の東京。室内に目を向ければ、観仏三昧という、なんとも不思議な空間だった。

 木造の増長天像(2体)と毘沙門天像は、古拙な造型、踊るような袖の翻り方が、東北ふうに感じられた。大日如来像は、慶派の造型である。反対側の壁のケースに目を移すと、ほかにも多数の仏像、仏具。唐代の石造観音半跏像は、優美な造形で知られる天龍山石窟を思い出させた。

 ふと窓の外のベランダ(?)に置かれた5枚の四角い黒い石が気になった。窓枠の下に掲げられた説明を読んだら、これらは「特青砥」といって、明清の宮廷に敷き詰められていた特大タイル(2尺=約60センチ四方)だという。側面に「嘉靖六年」「雍正四年」等々の銘が入っている。おもしろいと思ったが、中国語のサイトで「特青砥」を探しても、うまく情報が見つからない。全て「快特青砥行き」になってしまう(笑)。

※参考:センチュリーミュージアムについて。
・旺文社の創業者である赤尾好夫氏(1907-1985)のコレクションが原型。
・はじめ、文京区本郷のセンチュリータワー(順天堂病院の隣り)に開館。
・2002年9月より休館。2006年秋、神奈川県鎌倉市扇ガ谷に、新美術館として発足する予定だった。

 Googleマップで調べてみたら、くずきり「みのわ」の近辺に「センチュリー文化財団」の文字を発見。しかし、同ミュージアム館長・理事だった小松茂美氏(1925-2010)の死去に伴い、新美術館開館は取りやめとなって、早稲田に移転したらしい。いろいろ紆余曲折があるようだが、これから末永くおつきあいしたいと思う。次回は絵画コレクション展。
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原先生に聞いてみよう!/「鉄塾」(中川家礼二×原武史)

2011-07-31 09:39:41 | 読んだもの(書籍)
○中川家礼二、原武史『「鉄塾」:関東vs関西 教えて! 都市鉄道のなんでやねん?』 ヨシモトブックス 2011.8

 今年初め、明治学院大学の公開セミナーで行われたお二人の対談を、河出書房刊『「知」の十字路』で読んだばかりである。期待にたがわず、面白かったので、大満足していたら、どこかの駅ホームでニコヤカに微笑むお二人の写真をオビにした本書を本屋で見つけて、さっそく購入してしまった。

 主な内容は3部構成。「鉄塾1 長距離私鉄について考える」は、2月某日、ふたりで「アーバンライナー」に乗ってみる。アーバンライナー? 何それ?と思ってしまうのは、私が関東人で一般人(非・鉄道ファン)である悲しさ。名古屋~難波間を走っている近鉄特急だそうだ。近鉄名古屋線・大阪線は、伊勢・松阪方面とか、室生寺・長谷寺方面に行くときに利用したことがあるので、車窓の風景が変化に富んでいて、魅力的なことは知っていた。でも、近鉄で名古屋-大阪間を突っ切ってしまおうという発想は全くなかった。本書を読んでみたら、ノンストップなら所要時間は、ほぼ2時間。毎時1本(朝夕はそれ以上)走っているのか。

 本文は実況(ダイジェスト)ふうの車中対談で、車内アナウンスや車窓の風景を紹介。JRの快速や同じ近鉄の普通列車をバンバン抜いていく様子が分かる。最徐行区の中川短路通過の際、名古屋列車区と大阪列車区の運転士さんが(運転しながら)交替するのを見物してきた礼二さんの興奮ぶりが、たのしい。よし!これ、近いうちに必ず乗ってみよう。

 第2部「鉄塾2 都市鉄道の不思議を解明」は、都市鉄道の沿革・現状など、基本となる知識をおさらい。原先生の著書『「民都」大阪対「帝都」東京』や『鉄道ひとつばなし』シリーズで語られ済みの事柄が多いが、礼二さんの素朴な疑問「私鉄王国いうてもスピードでJRに負けてるやん?」等々に対し、原先生が「…というわけです」「…ですね」と丁寧な語り口で答え、ときどき礼二さんの合の手「そうやったんや」「それって…とちゃいますか」等々が入り、最後に「礼二のまとめ」が付く。この編集のしかたは、巧いと思った。

 本書のようなライトな読みものまでは手を伸ばすけど、新書や選書はよく知らないとか、ハードルが高くてちょっと、と思っている層から、原先生の著作を読んでみよう、と思う読者が現れてくれれば、長年の愛読者として嬉しい。ちなみに、礼二さんによる原先生の紹介「なんで原先生かっていうと、えらい学者さんなんですけど」には笑ってしまった。

 最後に「鉄塾3 身近なあれこれ徹底対決」は、再び対談形式。でも、関西・関東の違いを考えると言いながら、実は関西でも会社によってアナウンスが全然違うとか(阪急は必ず「みなさま」と呼びかける、近鉄では「特急○○ゆき」と言わず「○○ゆき特急」と言う等々)、おいしいローカル駅弁が消えていくのは関西も関東も同じ、という結論になっていて、ちょっとテーマと内容が合っていないかも。おもしろいけど。

 特別付録「鉄道あれこれ大アンケート」もおもしろかった。「好きな駅はどこですか?」「好きな駅食は?」等々、原先生と礼二さんの答えを見ながら、ついつい、自分ならどう答えるかを考えてしまった。私も原先生と同じで、ターミナル愛好癖がある。関東人は、ターミナルらしいターミナル駅を知らずに育つからかもしれない。鉄道マニアのための本ではなく、「日常生活の中の鉄道」を愛する人たちに読んでほしい1冊。
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ハンドブックに好適/館蔵 古筆切(根津美術館)

2011-07-29 03:40:06 | 読んだもの(書籍)
○角田恵理子企画・編集『館蔵 古筆切』(鑑賞シリーズ12) 根津美術館 2011.7

 根津美術館のコレクション展『古筆切 ともに楽しむために』を見たあとで、ミュージアムショップをのぞいたら、本書が目にとまった。今回の展覧会の図録というわけではないが、内容は、ほぼ合致している。むしろ、ああ、なるほど、本書を制作する過程を展覧会にしたのが、今回の展示なんだ(古筆とは何か→様々な名物切)と思うと、すごく分かりやすい。

 古筆一般の解説書ではなくて、あくまで「館蔵 古筆切」に限っているので、足りない部分はある。そもそも「継色紙」「寸松庵色紙」「升色紙」の三色紙がないじゃないか!と言われれば、そのとおり。しかし、100件近い古筆切のカラ―写真を収録し、それぞれ120字程度の解説は、簡にして要を得ている。いつ(時代)だれが(筆者/伝承筆者)なにを(作品名・全文翻刻)書いたものか、を併せて掲載する。巻末に五十音順の作品目録があって、「○○切」の名前から、筆者や伝来(○○氏寄贈、手鑑○○より改装)、掲載ページを検索できるのもうれしい。根津美術館の館蔵目録であると同時に、一般的な古筆切のハンドブックとしても使えそうな気がして、買ってしまった。

 冒頭に、松原茂氏による根津美術館の書蹟コレクションの概要紹介がある。初代・根津嘉一郎氏(青山翁)は、写経と墨蹟(禅僧の筆跡)に最も力を注ぎ、古筆には、さほど強い執着をもたなかったらしい。何しろ、一度は購入した「継色紙」(よのなかは)や「寸松庵色紙」(おもひいづる)も、他の道具を購入するためか、手放してしまったという。えええ。もったいない。この2件、今はどこにあるんだろう…探してもよく分からなかった。現在、同館が所有する「石山切」2件も、青山翁没後の寄贈品であるそうだ。
 
 そんな青山翁が好んだのは、伝・西行筆「落葉色紙」だという。ああ、ちょっと分かるかも。私は、「落葉色紙」は収まりがよすぎて、あまり好きではない。古筆切って、前後のブツ切り感(1首の和歌の途中で切れていたりする)が、かえって無限の広がりを想像させて、好きなんだけどな。

 展覧会で古筆を楽しむ際は、邪道かもしれないが、その表装にも目がとまる。特に根津美術館の古筆は、魅力的な表装が多いと思う。この「鑑賞シリーズ」に『古筆金襴・緞子』という巻もあって、しばし心ひかれた。しかし、同書は表装に限らず、袱紗や仕覆(茶入などを収める袋)も扱っていたので、ちょっと関心とズレるような気がして、購入を控えた。ソフトカバー製本にして、値段を抑えてくれたら、2冊買っていたかもしれないのに。

※画像は根津美術館のサイトからお借りしてます。Amazon.co.jpや一般書店では、取り扱いなし?
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災害カーニバルの中で/検証 東日本大震災の流言・デマ(荻上チキ)

2011-07-28 00:07:41 | 読んだもの(書籍)
○荻上チキ『検証 東日本大震災の流言・デマ』(光文社新書) 光文社 2011.5

 東日本大震災の特徴として、本書は、(1)被害範囲が甚大であったこと、(2)情報技術が浸透して以降の大災害であったこと、(3)原発事故という要素があったこと、の3点を挙げている。私は、とりわけ(2)を興味深く思う。

 インターネット、携帯電話、ツイッターや動画サイトの存在は、災害報道のありかたを、すっかり変えてしまった。もちろん従来のメディアも頑張っていた。『緊急解説!福島第一原発事故と放射線』の感想に書いた通り、信頼性という点では、やっぱりNHKの報道が他を圧倒していたと思う(ただし、もっぱらネット配信で見ていた)。

 一方、ネットの上には、実に多種多様な「災害情報」が流れて消えていった。私はツイッターを使っていないので、比較的、動きの遅い掲示板と動画サイトくらいしか見ていないのだが、それでも、十分うんざりする状況だったと思う。

 著者は、当時の状況を「『災害カーニバル』とも呼ぶべきムード」と評している。これは、ノンフィクション作家ソルニットの著書『災害ユートピア』をもじった表現で、多くの情報ボランティアたちが「ボランティアズ・ハイ」になり、「祭り」のような高揚感にとらわれて、延々と情報拡散を続けていた。こういう「祭り」からは「一抜けた」といって目をつむる(少なくとも、不適切な拡散に加担しないよう、自分の口は閉じる)のが、正しい行動だと思うのだが、なかなかそうはいかなかったようだ。

 本書には、著者が実際に収集し、検証したデマや流言が多数紹介されている。その中には、実際に私もネットで見聞し、即座に「デマだろう」と思ったものもあれば(例:放射能にはヨードが効く)、「デマとは決めつけられないけど、拡散する意図があやしい」と思ったもの(例:仙台市三条中学校の避難所で、中国人がやりたい放題)、つまらない話題だと思いながら、けっこう信じていたもの(例:仙石元官房長官が大地震を「ラッキー」と表現)も含まれる。

 ちなみに、最初の例は解説不要として、2番目は、同避難所が3/14に閉鎖されていたにもかかわらず、3/17に元ネタが流されたもの。さらに「現地で過ごしていた学者の方」が「略奪しようにも略奪できる物資がなかったのだから、笑えないデマではある」と、後日ブログに記している。本書は「デマ・流言」の発信元となってしまった個人サイトについては、人名を明らかにしていないが(でも調べると分かってしまうのが、ネットの怖いところ)、「検証屋」として機能したサイトは、URLが明記されている。この「学者の方」は、URLから、あ、小田中直樹先生か、と分かってしまった。

 3番目、仙石氏は地元・徳島の後援会挨拶でこう述べたことになっているが、当日は徳島にいなかったという。しかし、これは、かなりよく出来た作り話だと思った。

 節電に関し、パチンコ叩きの元ネタになった読売新聞の記事も、本書で初めて確認した。「東京ドームプロ野球1試合」の消費電力を「自動車・電機など」「化学」「鉄鋼」「鉄道」「食品」「パチンコ」「飲料自販機」「東京ディズニーリゾート」の1日あたり電力消費量(東京電力管内)と比べている。どう見たって「自動車・電機など」~「食品」の各産業が大切なことは分かるので、「パチンコ」や「飲料自販機」が「東京ドームプロ野球1試合」よりずっと電力を食っている、と言いたいがための記事であることは、ネタかと思うくらい、あからさまである。

 「静岡のガンダムが倒れた?」というコラ画像つきの記事には笑った。でも、意図のあからさま度から言えば、読売新聞の記事も、このコラ画像と同レベルじゃないかと思う。

 著者のいうとおり、人間どうしがコミュニケーションを行う限り、デマや流言の発生は避けられない。しかし、本書に挙げられた多様な実例を一読しておくことは、今後、同様の事態に遭遇した時、流言拡散に加担しないための「ワクチン」の役割を果たすのではないかと思う。大事なのは、まわりが喧しくさえずり始めた時こそ、頭を冷やして「沈黙に耐える」ことだろう。
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マジメにたのしむ/古筆切(根津美術館)

2011-07-26 23:20:53 | 行ったもの(美術館・見仏)
根津美術館 コレクション展『古筆切 ともに楽しむために』(2011年7月13日~8月14日)

 有無を言わせぬ名品がどーんと出ていて、ああ~いいな~(ヨダレ)という展覧会かと思ったら、マジメに勉強になる展覧会だった。初心者はもちろん、私のように、長年、古筆好きを名乗っているくせに、本当は分からないことが多い者にも、ありがたい企画である。

 まず、古筆とは何か、という問いに答えて、切断以前の全形(歌合・歌集・経・消息など)が示される。明恵さんの消息は、そうか、先週、奈良博の『天竺へ』で『大唐天竺里程書』を見たから、記憶に新しかったんだな。フェルトペンで書いたような、癖のつよい、カクカクした大きな字である。

 続いて、掛物と手鑑。『手鑑文彩帖』は菓子箱というか、千両箱みたいに嵩高い。「重要美術品」に指定されているが、根津美術館は、展示のために、昭和60年代に31葉を剥がして掛物に改装したという。比較的近年でも、そういうことをするんだな、と驚く。

 以下は、いよいよ著名な古筆切(名物切)を、「命名の由来」によってグループ分けして展示する。たとえば、「書風・料紙の特徴」であったり「所持した人物」であったり「伝来した家・社寺・土地」など。手鑑の最初を飾る「大聖武」は、文字が大きく立派なところから、仏教を深く信仰した聖武天皇に「仮託」されたという説明を読んで、「伝」って、そういう含意だったのか、と納得。次に貼られることの多い「蝶鳥下絵経切」も、繊細優美な書風を光明皇后の筆に「見立て」るのだという。

 やっぱり「西本願寺本三十六人歌集」はいいな~。38冊を20人が分担執筆したと考えられているそうだ。昭和4年に西本願寺が分割売却した「貫之集 下」と「伊勢集」が「石山切」。前者は、はっきり藤原定信筆と判明しているので、この展覧会では「伝」を付けない。「若さあふれる奔放な書風が見どころ」という。伝・藤原公任筆「伊勢集」の落ち着いた書風と並ぶとよく分かる。

 「岡寺切」は、やはり西本願寺本の「順集」から江戸時代に流出したもので、定信筆。これも奔放かつ爽やかな書風が魅力的。「とこなつの つゆうちはらふ よひごとに くさのかうつる わがたもとかな」という夏の夜の和歌にふさわしく、濃い藍色の染紙に散らした金銀砂子が、星空か、乱舞する蛍のようにも見える。

 細かいことだが、根津美術館の展覧会トップページ(2011/7/26現在)を見ると、古筆の世界では「本願寺本」っていうのか。和歌文学の世界では、必ず「西本願寺本」と言っていたように思う。それから「岡寺切」の写真キャプションに「伝 藤原公任筆」とあるけど、これ違うよな…出品リストは「藤原定信筆」になっているし。

 後のほうに登場する「戸隠切」は、法華経の断簡だが、仮名文字か?というような癖の強い書風で、定信の書に近似し「定信様の写経の典型」とされるそうだ。今回は、とにかく定信の名前と書風はしっかり覚えた。定信の息子・伊行の字も「戊辰切」(和漢朗詠集)で見たが、定信ほど癖のない素直な書風だった。

 定信とは真逆に、ゆったりと鷹揚な書風がいいなと思ったのは「今城切」(古今和歌集)だが、筆者が藤原教長と知って驚いた。「国宝『伴大納言絵巻』の詞書と同筆である」という解説にも。あ~言われてみれば、見覚えがある。比較的、現代人にも読みやすい仮名だと思う。Wikiを見たら、教長は能書家で、佐理の書風を好んでいたのか。政治家として歴史で覚えたり、歌人として文学史で覚えた人物の真筆を見るのは、なんだかヘンな感じだ。

 展示室5「文字のある器」では、呉州青絵の『赤壁賦文鉢』がほしい。同じく『天下一銘皿』もほしい。展示室6「涼みの茶」では、膳所焼の『井筒』(蓋置)(※訂正あり)がよかった。

※7/30追記:部屋に掛けている「古筆カレンダー 2011」(毎年、東博のミュージアムショップで買っている)今月の写真が、よく見たら「二荒山本後撰和歌集」で藤原教長の筆だった。
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新たな中世へ/大学とは何か(吉見俊哉)

2011-07-26 01:14:27 | 読んだもの(書籍)
○吉見俊哉『大学とは何か』(岩波新書) 岩波書店 2011.7

 ずっと考え続けてきたことに、ひとつの「解」を与えてもらったような気がする本だった。今日、大学はかつてない困難な時代にある。そのことは、別に大学の運命など気にする必要のない、一介の事務職員にすぎない私でさえ、肌身にしみて感じている。教育学者、ジャーナリスト、有識者から一般人まで、大学について幅広い議論が巻き起こる中で、本書は、敢えて「大学とは何か」という最も根本的な命題に挑んでいる。

 私の整理では、本書の内容は、おおよそ三分される。第1章と第2章は、西洋における大学史。12世紀後半から13世紀初頭の中世ヨーロッパにおける大学の誕生。しかし、都市=移動の時代が終了すると、大学は「第一の死」を迎える。16世紀以降は、印刷術に媒介された知のネットワークが、大学を凌駕する知の拠点を形づくっていく。19世紀、国民国家の形成を急務としたドイツにおいて、大学は、教育と研究の一致という「フンボルト理念」によって「第二の誕生」を果たす。この影響は、英米圏、そして日本のような非西欧社会へと伝わった。

 中世の大学について、私は阿部謹也氏の『大学論』を思い出しながら読んだ。もう少し新しい時代の大学については、潮木守一氏の『世界の大学危機』とか、長谷川一氏の『出版と知のメディア論』で学んだことも多かった。

 第3章と第4章は、日本における大学史であるが、その前史として、幕末の「自由に浮動する」知識人=志士たちの活動に着目し、近代日本の大学は、制度以前に、1850年代に生まれていたともいえる、と著者が述べていることは興味深い。しかし、1886年、国家エリートの養成機関として構想された「帝国大学」の誕生によって、状況は一変する。このあたりは、著者もたびたび引用している天野郁夫氏の『大学の誕生』や、立花隆氏の『天皇と東大』に詳しい。さらに本書は、1949年の新制大学の発足、1968-69年の学生反乱が、以後の教育行政に及ぼした影響について述べる。

 第4章の後半以降は、ページ数としてはわずかであるが、現在の大学が直面している困難に直接かかわる諸問題(大網化・重点化・法人化)について、要点を語る。私は、現代思想2008年9月号「特集・大学の困難」から教えられたことが多い。

 と、敢えて、思い当たる関連文献をずらずらと並べてみたのは、西洋史における・日本近代史における・そして現代社会における大学は、いずれも語り始めれば切りのない大問題であるにもかかわらず、それらを一気に束ねてしまう、本書の「力技」を実感したかったためである。

 しかも、本書の記述は、単に先行研究の反復的な紹介にとどまらない。中世ヨーロッパの大学を語っては、自由な知識人アベラールが、学生たちを熱狂させ、今日のサンデル教授の「ハーバード白熱教室」に似た状況を生み出していた様子を、生き生きと描き出す。日本の占領期の教育改革の研究は、90年代以降、資料の発掘によって「劇的ともいえる変化」が生じていることを紹介し、大学への一元化を主軸とする改革政策が、占領軍の「押しつけ」ではなく、むしろ日本側の積極的な関与があったことを述べる。特に注意すべきは、同時代の大物リベラリストが旧制高校維持に傾いていたのに対し、一元化を推し進めた「南原繁の謎」であるという。あ、その前に、森有礼と福沢諭吉の対比とか、明治期工学教育におけるスコットランド・モデルの重要性もおもしろい。

 とにかく「大学とは何か」という問いを投げかけたあと、本書は、12世紀のヨーロッパから現代日本まで、長い長い旅路に読者を連れ回す。思考の持久力がないと、途中でへたってしまいそうだが、最後まで付き合ってみる価値はある。遍歴の最後に、現在の状況に有効に介入し得る新しい大学概念を「歴史と未来の中間地点に立って」再定義することを、著者は宣言する。

 今日、必要とされているのは、国民国家(=近代)の退潮に合わせた大学概念の再定義である。私たちの時代は16世紀に似ていなくもない。「時代はむしろ近代からより中世的な様相を帯びた世界に向かっている」と著者は言う。なるほど、納得である。ええ、中世?と困惑を感じた方には、私の読書歴から、山本義隆氏の『一六世紀文化革命』をおすすめしたい。本書でも論じられているけど、中世は、かつて考えられていたような暗黒一辺倒の時代ではない。

 現実に、大学が新しい時代に適応するには、まだ時間がかかりそうだ。「最大の理由は、事務組織や職員の意識と能力が新しい体制に追いついていない点にある」という著者の指摘は厳しい。だが、どうか私のつまみ喰い的な要約でなく、本書それ自体を読んでほしい。もっと丁寧な分析や、示唆に富む指摘が随所にあるからである。

 「21世紀半ばまでに、大学は退潮する国民国家との関係を維持しつつも、それらを超えたグローバルな知の体制へと変貌していくだろう」という著者の予言の成否を見ることができるかどうか、私には微妙なところだ。同世代の著者も同じ気持ちだろう。それでも、後継世代に期待し、未来に向かって明るい祝福の言葉を投げてくれる著者を、何というか、ありがたいと思う。

吉見俊哉「メディアとしての大学」/連続講義『日本の未来、メディアの未来』(2010年11月23日、13:00~)
けっこう重なる内容だった。
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奈良国立博物館で遊ぶ:なら仏像館(2011/7月)ほか

2011-07-24 00:09:48 | 行ったもの(美術館・見仏)
○奈良国立博物館 なら仏像館(2011年7月5日~9月11日)

 館内に入って、あれ?暗い、と思った。たまにしか来ないので、記憶がはっきりしないのだが、以前はもう少し全体がフツーに明るくなかったかしら。いつからスポットライトを多用するようになったのだろう。展示品リスト「平成23年7月5日~9月11日」版は奈良博のホームページに上がっているが、今回も、メインホールの展示位置をメモしておこうと思う。前回来訪時と比べると、かなり変わっていること(前回は中央が観音特集だった)、同じ仏像でも位置が動いているものがあることが分かる。

(1) 広目天・興福寺・平安
(2) 多聞天・奈良博・平安
(3) 薬師如来・元興寺・平安
(4) 地蔵菩薩・万福寺・鎌倉
(5) 伝明星菩薩・弘仁寺・平安
(6) 准胝観音・個人・平安
(7) 十一面・海住山寺・平安(※特別公開)
(8) 十一面・薬師寺・奈良~平安
(9) 十一面・勝林寺・平安
(10) 観音・文化庁・平安
(11) 天部・十市自治会・平安
(12) 十一面・地福寺・平安
(13) 聖観音・勝林寺・平安
(14) 不動明王・東大寺・平安
(15) 宝冠阿弥陀如来・當麻寺・平安

 (1)(2)は、現在の所蔵者は異なるが一具の作で、同形の冑(周囲の裾が翻ったような)を被る。(1)の顔は赤、(2)の顔は青に塗られていたのではないかと思う。(1)は衣の金彩の残りも、暗い中で見るとよく分かって、重厚。

 (7)は「異形」とか「異相」とか形容されることの多いご本尊。でも、真向かいの(5)も、異形オーラが出ている。海住山寺は、公共交通機関を頼って見にいくには、決心のいるお寺なので、奈良博でご本尊にお会いできるのはありがたい。お寺の公式サイトを見たら、「ご本尊十一面観音立像(重文)奈良国立博物館へ」の写真が上がっていて、びっくりした。いいのか、こういう写真。

 ※印=東大寺の西大門勅額は変わらず。その向かい(壁際)には、菩薩立像・飛鳥・金竜寺、十一面・奈良博・鎌倉、文殊菩薩・薬師寺・奈良、誕生仏及灌仏盤・東大寺・奈良が出ていた。

 第2室は、阿弥陀如来・浄土寺・鎌倉は変わらず。ほかは「肖像」と「冥府の彫像」。泰山府君坐像(東大寺)は人頭杖を持っている。第3室、金剛力士像2体・東大寺法華堂も変わらず。

 第5室展示の「旧帝国奈良博物館棟札」は、初めて見たように思った。今回は、前日、和泉市久保惣美術館で中国の青銅器をみたので、久しぶり(何年ぶり?)に青銅器館(坂本コレクション)を覗いていく。

 もちろん、西新館の特別陳列『初瀬にますは与喜の神垣-與喜天満神社の秘宝と神像-』(2011年7月16日~8月28日)も見た(常設展料金)。長谷寺の地主神は天神なのか。それにしても怖いなあ、与喜天満神社の天神坐像。天神(菅原道真)にしては、やや老けた印象があるが、衣に包まれた肉体表現、座り崩した足にも現実感がある。大きめの尺、腰の太刀、背中の石帯もよくできている。むすっとした口元は「怒気」というより、司馬遷の「発憤」を造形化したように思われる。
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初訪問/近代中国絵画 定静堂コレクション(和泉市久保惣記念美術館)

2011-07-23 22:22:58 | 行ったもの(美術館・見仏)
○和泉市久保惣記念美術館 常設展『近代中国絵画-定静堂(ていせいどう)コレクションの名品-』(2011年6月11日~7月31日)ほか

 9つの所蔵館で順次開催中の「関西中国書画コレクション展」。全ての会場を訪ねてみようと計画している。

 今回、初訪問の久保惣記念美術館は、明治以来、和泉市で綿織物業を営み、昭和52年(1977)に廃業した久保惣株式会社並びに久保家が、和泉市に寄附したもの。数ある名品コレクションの中で、私がいちばんに思い出すのは、『青磁鳳凰耳花生(銘・万声)』である。泉北高速鉄道の和泉中央駅から『美術館前』行きバスに乗車。この駅には、なぜか見覚えがあった。西国札所第四番の施福寺に行くバスが通っているので、そのせい?と思ったら、さらに昔、河内長野市の観心寺に行った帰りに、桜井神社(割り拝殿が国宝)というところに寄っているらしい。当時の同行者(マイナー史跡好き)とも長いつきあいになる。

 バスで駅から10分ほどだが、終点「美術館前」より前の停留所で、目の前に久保惣記念美術館らしき建物が見えてきて、慌てた。実は、正面入口まで、優にバス停1区間分以上の広さがあるのである。

 入口に隣接する新館の第1室は、中国の工芸品を展示。青銅器コレクションがけっこうすごい。東京の根津美術館とか、泉屋博古館とか、実業家の間で、青銅器ブームがあったのかな。根津美術館の青銅器がゴツゴツしているのに対し、ここのコレクションは、壺や瓶など、わりとまろやか造形が多いように思った。それから、大小の帯鉤(たいこう。帯どめ、バックル)が並んでいて「江川コレクション」という注記がされていた。

 隣りの第2室は、印象派などの西洋絵画。銅版画の古地図もあり。長い遊歩道を通って、本館へ。第3室と5室を使って行われているのが、定静堂コレクション展である。中間の第4室は中国の石造品の展示で、唐代の墓誌などがむきだしで無造作に置かれていて、ちょっとびっくりした。

 定静堂こと林宗毅氏(1923-2006)は、台湾三大名家の筆頭・林本源家の嫡流で、実業家として活躍し、昭和48年(1973)日本に帰化、明清時代から近代に至る書画コレクションは、台北の国立故宮博物院、東京国立博物館、和泉市久保惣記念美術館に寄贈されているそうだ。

 中国も近代絵画になると、知らない画家が多い。あと、日本の日本画に比べると、墨色と他の色彩が混ざって、画面が濁った感じのする作品が多く、あまり好きになれないなあ、と思う。色がきれいだと思ったのは、溥儒(溥心畬、愛新覚羅の一族)の作品。「南張北溥」と、張大千と並称されることもあるそうだ。その張大千も、へえ、こんな作品があるのか、というような艶麗な美女を描いた扇面図『竹窓仕女図』が出ていた。

 どことなく日本人好みの『山水図』があって、作者を見たら、清末の政治家・翁同龢(おうどうわ)だったのには驚いた。趣味の域を出ないんだろうけど、遠景の山容のぼかしかたなど、巧いと思う。

 各作品のキャプションを読んでいくと「光緒年間の進士、最後は狂死」とか「国民党と共産党の政争に連座し、歴史から抹殺された」とか、例によって、中国近代史の過酷さを感じさせる。

※付記。気になった「江川コレクション」を調べてみたら、旧蔵者の江川淑夫氏は、私の父親と同じ会社にいた時期があることが判明した。機会があったら、知っているか、聞いてみようかな…。
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小さないのち/花卉草蟲(高麗美術館)

2011-07-23 16:33:45 | 行ったもの(美術館・見仏)
高麗美術館 2011年特別企画展Ⅰ『花卉草蟲(かき そうちゅう)-花と虫で綴る朝鮮美術展』(2011年7月16日~8月28日)

 朝鮮・中国・日本の絵画を正しく弁別することは、専門家にも難しい作業らしい。素人の勝手な思い込みで、私が「あ、これは朝鮮絵画だ」と感じるイメージは、いくつかある。着色の花卉草虫図はそのひとつ。花や虫のひとつひとつは写実的なのに、全体としては、空想的というか、装飾的な雰囲気のただよう花鳥画だ(17世紀オランダの植物画に似ているかも)。

 これも、中国・江蘇省の常州(毗陵)で制作された「常州草虫画」の影響があるそうだが、朝鮮絵画では、むやみに虫(蝶・蜻蛉・蜂・蟋蟀など)が多く、花に比べて大きく描かれ過ぎている気がする。しかも図録の拡大写真を見ると、カエルやトカゲ(これらも虫の一類)はもちろん、微小なコオロギまでが、なんとも人間くさい表情をしていて、愛されていたんだな、ということが分かる。

 「秋草文」の白磁は、ひととき猛暑を忘れる涼やかさ。2階の常設展示室も、さりげなく夏向きのしつらえになっていて、楽しかった。

 この夏は、京博の特別展観『百獣の楽園』でも、虫やカエルの生き生きとした姿を見ることができるが、小さな生きもの好きの方は、こちらにもまわってみてはどうだろう。特に、京博の『黒漆葡萄栗鼠螺鈿箔絵卓』(琉球、17世紀)と本展の『黒漆塗螺鈿葡萄栗鼠文函』(朝鮮時代)などは、頭の中で並べてみると、おもしろい。

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祇園祭・宵山(屏風祭り)2011

2011-07-23 08:52:54 | 行ったもの(美術館・見仏)
7月16日の祇園祭・宵山。今年は鉾には1つも上がらなかったが、屏風祭りをしている地域を重点的に歩く。旧家や老舗が、所蔵する屏風や諸道具を一般公開するもの。

予約や観覧券が必要な旧家もあるが、こんな感じに、通りがかりに窓越しに覗き込んでいける家もある。写真撮影もOK。





ただ、宵山はテレビ取材などが入っていて、目ざわり。宵々山くらいがねらい目だと思う。





鉾に近づいて、懸装品を楽しめるのも宵山まで。中国テイストで統一された北観音山は私好み。





祇園祭は、町全体が壮大な美術館になる雰囲気!

屏風祭り地図2008(京都新聞)
実は、例によって、あまり下調べをして行かなかった。
そうか~杉本家住宅は予約なしでも入れたのか。宗達の『秋草屏風』が展示されていた、と!
土曜日の宵山は、室町通・新町通など、身動きできないような大混雑で、歩行者も一方通行に規制されていたこともあり、あきらめてしまった。
いずれ再トライしよう…。
コメント (2)
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