見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

愛すべき外国人学生たち/日本人の知らない日本語(蛇蔵&海野凪子)

2011-05-31 22:42:52 | 読んだもの(書籍)
○蛇蔵、海野凪子『日本人の知らない日本語』[1]-2 メディアファクトリー 2009.2-2010.2

 駅前の書店で、時間つぶしに読み始めたら、思いのほか面白かった。八割方は立ち読みしてしまったというのに、置いて帰るのが惜しくて、買ってしまった(2巻とも)。外国人に日本語を教える日本語教師の凪子さんの原案を、イラストレーターの蛇蔵さんがマンガにしたもの。あ~ありそうな話だけど、ほんとにあるんだ!というような、楽しいエピソードにあふれている。

 任侠映画マニアのフランス人マダムと、時代劇ファンのスウェーデン人女性は、いくら先生に止められても、ヤクザことばと武士ことばで会話するのが大好き。あるある。私も中国の武侠ドラマが大好きで、むかし習った教科書の中国語は出てこないのに、ドラマの言い回しなら頭に浮かぶことがある。いや、これは違うよな…と思って、口には出さないけど。

 爆笑したのは、中国人はビジネスレターもラブレターも美文調で書くという話。これはすごいな。四六駢儷体の伝統って、百年やそこらの近代化では抜けないのか。でも、この回の凪子先生のコメントに「昔は日本でも公用文を美文調で飾っていましたが、今はやりませんので(旧日本軍の電文など)」とあるのが気になる。

 日本製マンガやアニメの浸透は、昔はなかったタイプの「間違い」を生むことも。「この道を行け。さすればコンビニに出会えるであろう」って「荘厳なお告げ」にも爆笑した。なるほど、ゲームで覚えた日本語なら、そうなる。あと、マンガは漢字に作者オリジナルのヨミが振ってあることが多くて、混乱のもとになることも。「敵」と書いて「とも」と読ませるとか…。凪子先生ではないけれど、どんなマンガか、想像がついてしまうところが可笑しい。本書の面白さのひとつは、この「そこで間違うか!」という、目からウロコの新鮮な驚きである。もちろん、昔からある言い間違い、「ネクタイ」と「肉体」、「筋肉」と「ニンニク」を間違えるようなエピソードも紹介されている。こういうのは、ある意味「日本語の伝統」だなあ、と思う。

 日本語と日本文化について、超マニアックな質問を天真爛漫に投げかけてくる外国人学生と、明快で誠実な回答を用意する凪子先生のやりとりも面白い。「いただけますか」と「くださいませんか」の違い。カタカナの歴史。漢字の読み方が多い理由。「お」と「ご」の使い分け。皆さん、知っていましたか。私はいちおう国文科出身なので、むかし国語学で習った覚えがあるが、内容にウソがないし、マンガを使った説明が、実に分かりやすいことに感心した。「笑って学べるベストセラー」「日本語再発見コミックエッセイ」のキャッチコピーは伊達ではない。でも、そのコピーが逆に鼻持ちならなくて、最近まで本書を手に取る気になれなかったのであるが。

 まあ別に勉強しようと思わなくても、ひとりひとり、現実にモデルがいるとは思えないほどキャラ立ちした学生さんたちの言動は、十分におもしろい。モデルいないのかな? いやいや、凪子先生の愛情あふれる観察眼の成果だと思いたい。
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鬼あり、如来あり/芸大コレクション展(東京芸大美術館)

2011-05-30 23:45:58 | 行ったもの(美術館・見仏)
東京芸大美術館 『芸大コレクション展-春の名品選』(2011年4月7日~5月29日、6月7日~6月19日)

 芸大美術館、春恒例のコレクション展。たぶん2008年から毎年行っている。はじめは、芸大コレクションって何があるの?という感じだったが、美術教育の参考として蒐集された古美術の名品から、歴代教員・学生の創作作品まで、バラエティに富んだ内容が楽しめることが分かって、併設の企画展に興味がなくても、これだけは覗こうと思っている。

 今年は、まず、冒頭の特集展示1『絵因果経』(国宝・天平時代)が目玉。奈良時代の作例として知られる伝本はいくつかあるが(詳細はWiki)芸大本は「他本よりやや遅い天平後期」と見られているそうだ。実は、各本少しずつ画風が違うのだそうである。えー並べて見てみたいなあ。今回の展示には、芸大本を鑑定したフェノロサの自筆文書が併せて展示されていて、「whether done in Japan or in Corea(※Koreaのこと), more probably the later」つまり「日本か朝鮮のどちらかで制作されたもの、どちらかといえば後者(朝鮮)であろう」と述べられているのが興味深い。また、明治21年(1881)3月24日付けの「文部省往復文書」には、この作品を220円で買い入れたことが記されている。事務文書とあなどるなかれ、岡倉天心の自筆文書である(確かに、几帳面に角ばった天心の筆跡)。

 あとは高橋由一の『鮭』、小倉遊亀の『径』など、おなじみの作品が並ぶ中で、気になったのは前田青邨の『転生』。いや、その前に、平櫛田中作の立像『転生』のほうが先に目に入った。等身大の木像。火焔を背負った痩せ形の男。あ、仏像だ(明王か天部像)と思って、近寄ってぎょっとした。大きくひんむいた目玉。うつむき加減の口の中から何かが垂れている。長い舌?ではなくて、頭を下に、だらりと垂れ下がった人の姿。なん…だ、これは? パネルの説明を読むと、鬼が子供を食ったが生ぬるいので「こんな生温ッ子(なまぬるっこ)が食えるか、生まれ変わってこい」と言って、火炎の中に吐き出したところ、だという。

 おもしろい。私は「子供」を「我が子」だと思って読んでいたが、冷静に考えると、そうではないかもしれない。どちらだろう。私は、ゴヤの『我が子を食らうサトゥルヌス』を思い出していたのだ。ゴヤほど恐ろしくはなくて、哀感の中にユーモアがある。ふと隣りを見ると、前田青邨の『転生』という絵画が並んでおり、只者らしからぬ面構えの老人が描かれている。これが彫刻家・平櫛田中。その背後にかぶさる影のように描かれているのが、まさにこの『転生』という作品だった。

 奥に進むと、特集展示2『芸大所蔵の仏教彫刻』のコーナーがある。快慶の大日如来坐像(銘あり)は、石山寺多宝塔の大日如来(これもアン(梵字)阿弥陀の銘あり)と作風が一致するのだそうだ。表面の仕上げがすっかり剥げて、パーツのつなぎ目がはっきり見えるところが、美術学校の教材にふさわしかったのではないかと思う。肥後別当定慶の銘入りの毘沙門天立像も好きだ。踏まれている邪鬼がいい。邪鬼が捉まえている蛇もいい。『天馬双鳳八稜鏡』(平安時代)は裏面(表面?)に刻まれた蔵王権現を見せようとしているのだが、展示企画者の執念が伝わるようで、感心してしまった。
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どうしようもない/江戸の密通(永井義男)

2011-05-29 17:53:39 | 読んだもの(書籍)
○永井義男『江戸の密通:性をめぐる罪と罰』(学研新書) 学研パブリッシング 2010.2

 江戸時代、正式な婚姻以外の男女の性交渉は全て「密通」とされた。ということで、本書が取り上げるのは、いわゆる不倫関係のほか、結婚前の男女の性関係、婦女暴行、近親相姦、僧侶の女犯および男色、少し解釈をひろげて、私娼稼業まで。さまざまな性犯罪(当時の)とその結末を紹介する。ネタ元は『藤岡屋日記』が断トツで多い。やっぱりこの本、すごいんだなあ。『藤岡屋日記』(全13巻、刊本あり)を読破したら、かなり江戸通になれるだろうなあ、とヘンな感心をしてしまった。

 私は人形浄瑠璃(文楽)が好きなので、その背景である江戸時代の「性をめぐる罪と罰」について、知っておきたい気持ちがあった。果たして本書には、白木屋お駒(恋娘昔八丈)とか八百屋お七(伊達娘恋緋鹿子)など、浄瑠璃の題材になった事件も取り上げられていた。

 しかし、『藤岡屋日記』の採録時期は、文化元年(1804)から明治元年(1868)まで。その他の資料を含めても、本書が言及する「江戸」は、だいたい文化文政期以降の社会と思われる。したがって、強固な身分制、圧倒的な女性の不利益、原則は厳罰主義、しかし関係者の体面を重んじ、面倒を嫌って、内済(揉み消し)が多かった等々、本書に語られている特徴が、近松門左衛門の時代(元禄期)まで遡っても、どの程度あてはまるのかは、よく分からない。早計な判断をするのはやめておこう。

 正直な感想を言うと、浄瑠璃芝居のネタになって、人の心を打つような、ドラマチックなエピソードは少ない。大半は、卑小で、陰惨で、どうしようもない男女の痴情ばなしである。まあ、性にまつわる犯罪や不祥事は「本質的には江戸時代もいまも同じ」という〆めの言葉が当たっているのだろう。明治の「血みどろ」新聞錦絵の猟奇趣味には、かなり近いものを感じた。
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ヘンでスゴい奈良の人々/江戸奇人伝(氏家幹人)

2011-05-28 23:47:33 | 読んだもの(書籍)
○氏家幹人『江戸奇人伝:旗本・川路家の人びと』(平凡社新書) 平凡社 2001.5

 1997年、雑誌『太陽』連載。江戸人の随筆に登場する無名の奇人たちを紹介する目論見で始まった歴史よみものエッセイだが、プロローグに松浦静山の『甲子夜話』、冒頭の二編に宮崎次郎大夫(成身)の『視聴草(みききぐさ)』『安政乙卯地震紀聞』が取り上げられているほかは、ほぼ全編、川路聖謨(としあきら)の日記がネタ本になっている。この顛末について、著者はあとがきで「川路の日記が面白すぎたから…」と恐縮するばかり。で、当初は予定になかったサブタイトルがつく結果となったのである。

 特に、本書がたびたび取り上げているのは、川路の奈良奉行時代の日記『寧府記事』だ。のちにロシアとの外交交渉で活躍する国際派の川路に、奈良奉行時代があったことは、昨年暮れ、岡本彰夫著『大和古物漫遊』を読んで初めて知った。多くの善政を敷き、奈良の人々に愛された名奉行だったという記述を読んで、脇目もふらずに仕事と学問(天皇陵の調査)に取り組んでいたのかと思ったら、意外と余裕をもって、生活のひとコマひとコマを楽しんでいた様子がうかがえて、おもしろかった。

 才色兼備な賢夫人(ただし奇病持ち)。人はいいが、勉強嫌いの跡取り息子。気が強くてトラブルメーカーの娘たちなど、川路の活写する「川路家の人びと」は、実に個性的で多士済々。さらに、思い出の中に登場するのが、幼い頃からスパルタ教育で川路を「御目見(旗本)以上」に育てた実父。貧乏生活を健気に支えた母親に対し、川路は敬慕の情を隠さない。そもそも、川路の日記は、江戸に残してきた老母に「私はこんなに元気です」「こんな楽しいことがありました」ということを伝えたいがために書かれたものだという。たまに江戸に戻ったときは、51歳の息子と72歳の母親が、ひとつ布団に寝転びながら、朝まで語り合っている。

 一方、養子先の父である川路三左衛門は軽妙洒脱な極楽とんぼ。夫婦揃ってのお酒好きで、酔うと水撒きを始める(!)とか五禽の真似をするとか、愛すべき酒癖の持ち主でもあった。さらに川路は、家来たちと家来の幼い子供たちにも愛情あふれる観察眼を注いでいる。当時の「主従」の間柄って、意外と親密だったんだな。特に女の子が、お奉行様や奥様の前でも、のびのび振舞っているのが印象的だった。

 さて、それ以上に面白かったのは、川路が奈良に赴任して感じたカルチャー・ショックの数々。奈良では、4月1日から8月1日まで(つまり夏の間)町中おしなべて昼寝をする習慣があった。「夜に同じ」というのだから半端ではない。また、奈良は庶民に至るまで、和歌や茶の湯、謡曲の愛好者が多いことにも驚いている。

 おっとり古風で文化的な土地柄かと思えば、それだけではなく、「極道」も奈良の名物だったようだ。関東の博徒は強そうにしていてもいざとなると命を惜しむが、上方の盗賊たちは死を恐れない。奉行として、凶悪犯を裁く立場にいた川路は、印象的なアウトローの姿をいくつも書き留めている。しかし法隆寺でも賭場が張られていたとは…。奈良は酒が美味いというのは、なんとなく同意。これは奈良人ではないが、前任の奉行に「猫を愛でる奉行」がいた話にも笑った。

 本書には川路の名言も数々引かれている。その圧巻は、武士の本分を問われて、「人殺し奉公死に役」と答えたというものだろう。この覚悟にして、あの最期(→Wiki)と納得されるのだが、なぜか本書は、川路の最期について触れることを一切避けている。明治の東京に足跡を記した、愛妻・おさとさんや、孫の太郎ちゃん(川路寛堂)のことは紹介しているのに。それでよいような、悪いような。

※蛇足。平凡社新書は、最近装丁が変わったんですね。
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考え続けるために/学校って何だろう(苅谷剛彦)

2011-05-26 23:20:49 | 読んだもの(書籍)
○苅谷剛彦『学校って何だろう:教育の社会学入門』(ちくま文庫) 筑摩書房 2005.12

 学校って何だろう。「学校」生活から遠ざかって何十年にもなるのに、周りに子どももいないのに、ときどき考えてしまう。本当は私の問いは「大学って何だろう」なのだが、いまの日本の社会では、大学も「学校」の一部と考えることに、あまり違和感を感じなくなってきているように思う。

 本書は1997年から98年にかけて「毎日中学生新聞」に連載された文章を原型とする(98年、単行本化)。執筆当時は、知識偏重・画一教育が批判され、「生きる力」にシフトした学習指導要領改訂が発表される寸前だったが、「文庫版あとがき」では、「ゆとり」教育の見直しが語られている。そういうわけで、今読むと、社会背景の古めかしさは否めない。だが、時代を超えて、なるほどと感じさせる内容も十分にある。

 本書の章題には、誰でも一度は抱く疑問が並んでいる。まずは「どうして勉強するの?」。著者は、明確な正解を提示しようとはしない。ただ、日本でも、つい最近まで「勉強したくても進学できない」子供が多かったこと、大人たちは「どの子にもできるだけ教育を(しかも、同じ教育を)受けさせてあげよう」と思って頑張ってきたことが示される。本当にそれでよかったのか。あとは自分でゆっくり考えてほしい、というのが本書のスタンスなのである。

 教室とは何か。なぜ、あんな形をしているのか。校則は、教科書は何のためにあるのか。学校は何を学ぶところか。私たちは教科書に書いてあることだけを学ぶのか。先生の仕事とは何か。明快だなーと思ったのは、試験は何を測るのか、という問い。試験の公平さを担保するのに最も大切な条件は「時間」である。つまり、学校が求める学力とは、「限られた一定の時間内に答えを出す能力」のことなのだ。そうか、と膝を打ちたくなった。昨今、大学や会社で「できる」と看做される条件も変わらない。でも本当は、正解のない状態に耐える能力とか、長い歳月をかけて考え続ける能力も、もう少し大事にされていい筈だと思う。

 また、学校とは、本来「子どもが大人になるまでに必要な知識」を教えるところであり、先生はそれ(知識)を教える専門家であって、子どもの気持ちを理解する専門家ではない。にもかかわらず、あれもこれも学校と先生に期待する傾向が日本の社会には強い、と著者は指摘する。欧米では人の生き方を教えるのは「学校より教会などの宗教の役目だと考えられていました」という説明に納得した。

 2004年の統計では、日本全国の小中高に計91万人の先生がいるのだそうだ。これは日本の人口の130分の1。多いなあ! 130人に1人、こんなにたくさんの先生が、「心の教育」の専門家になれると思いますか?という問いかけには笑ってしまった。先生とは、普通の人がついている普通の職業なのだから、限度を超えた期待をもってはいけない。こういう冷めた認識は重要だと思う。

 私のような大人にとっては、学校という仕組みが、社会や歴史という背景を持ち、つねに外部からさまざまな影響を受けているのは自明のことだ。でも、現役の中学生にとって、学校は、ほとんど世界の全てに感じられるのではないかと思う。生徒であることについて、本書は「みんないっしょ」の原則と「ひとりひとり」の原則という、対立する原則の調和を図らなければならないところに難しさがある、と指摘しているが、これも、少し俯瞰的な視点で自分自身を眺めることができれば、ずいぶん楽になるものではないかと思う。いろいろ大変だろうけど、頑張れ、中学生。いや、すれっからしの中学生だったら、何ひとつ手っ取り早い「正解」を提示しない本書は、「読む意味が分からない」って言うかもしれないけど。
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おみやげは防虫香/香り かぐわしき名宝(東京芸大美術館)

2011-05-25 23:42:55 | 行ったもの(美術館・見仏)
東京芸大美術館『香り かぐわしき名宝』展(2011年4月7日~5月29日)

 描かれたもの・造られたものをテーマにした美術展は数々あるが、敢えて「香り」という、見えないものに焦点を絞ったところが面白い。

 さて、何から来るのかなーと思ったら、冒頭はホンモノの香木。徳川美術館所蔵の蘭奢待、久能山東照宮所蔵の伽羅など。ケース越しでは分からないけど、今でも香りがあるのかなあ。気になる。奈良博から見慣れた十一面観音立像(檀像、8~10世紀)が来ていたが、「現在でも蓮弁と台座をつなぐほぞに微かな香りが残る」旨の解説に感心する。

 以下はおおよそ時代に従う。仏教文化において、仏に捧げられた香り(香炉)は、やがて人々の生活を彩るものとなっていく。MOA美術館所蔵の『金銅草花蝶鳥文香炉』(12世紀)が、仏具以外の金銅製香炉としては最古なのだそうだ。着物に香りを移すための「伏籠」は、文字どおり籠かと思ったら、パズルみたいな折りたたみ式もある(徳川美術館・江戸時代)。

 室町時代以降は、香道という独特の文化が発展する。香道具というのは、なんだか医者の手術道具セットみたいだといつも思う。博物館では、実際に香りを味わうことができないので、どうもよく魅力が分からない。その分からない香道の面白さを「見える化」するために工夫されたのが十組盤。勝敗を相撲人形や競馬人形で表わす(らしい)。東博の16室(歴史資料)で、ときどき見る道具ではあるが、これだけ揃って展示される機会は珍しいと思った。

 香合は茶道具の一つ。根津美術館や五島から、これも見覚えのある名品が揃っていたが、石川県立博物館所蔵の『阿蘭陀白雁香合』が目を引いた。デルフト製。白雁というが、白鳥だろう。香合として造られたものではないんじゃないかな。江戸時代から著名で、『形物(かたもの)香合相撲』番付に「勧進元・紅毛白雁」として掲載されている(※古美術・高辻のホームページ「資料」にPDFファイルあり)。

 慶長17年(1612)銘の『織部獅子鈕香炉』には吹き出しかけた。この展示いちばんの私のお気に入り。人間臭い表情で、咥えた枝に片手を添えた獅子は、とんだへうげものである(※画像あり)。初代・大樋長左衛門の『飴釉烏香炉』もヘンだ。不必要にデカい、リアルなカラスの姿をしている。Wikiによれば、楽家に学んだ陶芸家らしい。またヘンな数寄者を見つけてしまったようだ。

 近世、香りの美学は庶民のものに。歌麿の美人にほれぼれし、鈴木春信の『玄宗皇帝楊貴妃図』に驚く(こんな絵を描いているのか)。最後は近世~近代の、香りを主題とした絵画特集だったが、鼻孔に薫風を感じる見事なセレクションだった。伝説の仙女「羅浮」「楚蓮香」は、多くの画家が描いた定番テーマ。女性的な甘く華やかな香りを連想させる。安田靫彦『菊慈童』から感じるのは、爽やかでいくぶんストイックな菊の香り。小茂田青樹『緑雨』からは、横溢する植物の生命力を感じて面白いと思ったが、公式サイトを見たら、前期展示の『春の夜』もいいな(※画像)。この人、最近、気になる画家なのである。

 出口のショップで、分厚い図録を買い控えたかわりに、山田松香木店(本展に香木の出品もしている)の防虫香を買ってきた。これがすごくいい。月曜日から雨が続いているせいもあり、家に帰ると狭い室内に芳香が立ちこめている。癖になりそう。併設の『春の名品展』は別稿で。

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実力のコレクション展/花鳥の美(出光美術館)

2011-05-24 23:22:44 | 行ったもの(美術館・見仏)
出光美術館 『花鳥の美-珠玉の日本・東洋美術』(2011年4月23日~6月19日)

 「花鳥は、日本・東洋の美術作品の中で、最も愛された主題です」って、当たり前すぎて、テーマになってないだろ、と思って苦笑してしまった。でも、何度も言うようだが、実力のある美術館のコレクション展は楽しい。

 冒頭の伝・邊楚善筆『夏景聚禽図』(明代)から、え、これは初めて見るぞ!?と驚く。調べてみると、2010年の奈良県立美術館『花鳥画』展で見ているようだ。もしかすると2005年、根津美術館の『明代絵画と雪舟』でも見ているかもしれないが、出光美術館と結びつく記憶がなかったのだ。「身近にあった絵手本から別々に図様を抜き出してきたのでしょうか」という解説を読んで、パソコン上でコピー&ペーストするみたいなものか、と思った。竹の根元の左端の叭々鳥が眠そうでかわいい。

 隣りの、伝・雪舟筆『四季花鳥図屏風』。これも記憶にない。狭い画面に押し込められた、松・竹・牡丹・睡蓮の寄せ集め感が面白く、その奥に霞む池の小島が、ひろびろした山水にも見える。4羽の鳥は、見落としそうに控えめ。屏風のまわりには、花鳥モチーフのうつわ類を揃える。『織部千鳥形向付』はいいなあ。絵柄が伏せ籠に千鳥だと思ったら、皿の形も千鳥だった。

 次室。六面貼り交ぜの愛らしい『四季草花図屏風』に「喜多川相説」という作者名を見て、この間、根津美術館で覚えたばかりの名前だ、と思いあたった。低い視点が共通する。子供の写生画のような、素朴な親しみやすさがある。

 「富貴花(牡丹)の展開」と題した中国磁器のミニ特集は、さぞ暑苦しかろうと思ったら、青花や青磁刻花(耀州窯)など、アッサリ涼しげなうつわでまとめている。この意外性が心にくい。最後の明代の法花(三彩の技法。イッチン盛りとも)3点が面白かった。

 第3室。明末の画家・周之冕と伝える『鳳凰孔雀図』双幅は、鳳凰のフォルムが崩れており、樹木も粗略すぎることから、周之冕筆の可能性は低いという。要するに下手なのだが、画面上部の瑞雲など、変わっていて面白い。直感では、朝鮮絵画じゃないかなあ、と思う。『螺鈿双凰花鳥文衣装箱』は、まずデカさで人目を引く。ぐるぐる渦を描く螺鈿の瑞雲。正面の葡萄+リス文様もかわいいー。

 金襴赤絵、柿右衛門、仁清など、華やか系の磁器もいい。そして、桃山時代の無名の『吉野龍田図屏風』に唸った。私は、これ、見たことがあるだろうか? 2009年の『ユートピア-描かれし夢と楽園-』に出ていたようだが、記憶にない。根津美術館に同名同工の作品があるが、私はこっちのほうが好きだ。左隻の紅葉を切り裂くように直立する大木の幹は、いったいどこまで伸びているのだろう。右隻の桜花につつまれた幹は、暴れ龍のように見え、どちらも桃山の「乱暴力」を強く感じさせる。会場では、左隻(龍田図)の前に柿右衛門の色絵鸚鵡の番(つがい)が配せられていて、これも一興。

 そして、順路の最後の最後に、私の大好きな磁州窯の『白地黒掻落鵲文枕』。嬉しい~。幸せだよ~。2005年、出光の『中国・磁州窯―なごみと味わい―』展図録の表紙を飾ったのも、このカササギ(鵲)君だった。ふわりと逆立った頭の毛がキュート。

 さすが陶磁器の出光だなーと、悦に入り、久しぶりに陶片室を覗いてみる。ここの展示は、どのくらいの頻度で変わるのかな。絵唐津の巨大な陶片とか、楽しかった。
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静かなひととき/館蔵品展(三井記念美術館)

2011-05-23 23:34:47 | 行ったもの(美術館・見仏)
三井記念美術館 『館蔵品展』(2011年4月6日~6月19日)

 東日本大震災の影響で、中止や企画変更を余儀なくされた展覧会は数多い。同館でも、特別展「ホノルル美術館所蔵『北斎展』葛飾北斎生誕250周年記念」の開催ができなくなったため、急遽、代替が決まったのが、この館蔵品展である。浮世絵ファンのみなさんには申し訳ないが、個人的には全然OK。コレクション展って、雰囲気が落ち着いていて、すごく好きだ。本当に美術(館)の好きな人が集っている感じがする。

 まず茶道具。冒頭の『青磁鳳凰耳花入』はちょっと変わったかたち。茶碗は、私の好きな楽茶碗が、いろいろ揃っていて嬉しい。黒楽茶碗「銘:四ツ目」は、口が大きく四角形に開いており、内側に銀河のような輝きを封じ込める。同じく黒「銘:南大門」は、墨汁の塗りたてのような、てらてらした黒。「銘:俊寛」は、ちょっと内すぼまりの見込み、床に落ちる影に静かな孤独を感じさせる。こってりした粘土色の赤楽茶碗「銘:再来」、本来、温和な風合いの赤楽茶碗にガッと乱暴に黒を刷いたような「銘:鵺」も好きだ。

 別の展示室で『聚楽第図屏風』(桃山・16世紀)を発見する。昨年、名古屋市博物館の『変革のとき 桃山』展が初見で、へえ、三井記念美術館にこんな屏風があるんだ、と驚いたもの。金で装飾された青い瓦屋根の楼閣と、茶色の屋根(桧皮葺だろうか?)が同居している。

 重文『東福門院入内図屏風』は、修復後初公開(~5/15)。巻子本を屏風に仕立てたものと思われ、右隻の下段(二条城)から左隻の上段(御所)に向かって、入内行列が続く。「日野中納言」「鷹司大納言」などの公家、「松平」「井伊」「本多」などの大名など、名前を読み説きながら眺めると面白い。修復の過程で、脱げ落ちた烏帽子が、紙の貼り継ぎ箇所に隠れているのを発見した、という解説が添えられていたが、よく見ると、他にも烏帽子を取って汗をぬぐう従者(駄目だろw)や、慌ててそれをたしなめる人物などが、そっと描かれていて、なかなか面白い。

 最後は江戸後期~明治の屏風と画軸。狩野栄信(伊川院)筆『四季山水図』がなんか変で面白い。「清朝絵画学習のあとがうかがわれる」という解説は、確かにそのとおりだと思うのだが、どこかちぐはぐな「間違い探し」みたいになっている。
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倒産から再生へ/筑摩書房 それからの四十年(永江朗)

2011-05-23 00:52:15 | 読んだもの(書籍)
○永江朗『筑摩書房 それからの四十年:1970-2010』(筑摩選書) 筑摩書房 2011.3

 2010年10月に刊行を開始した筑摩選書に、2冊の新刊が加わった。和田芳恵著『筑摩書房の三十年:1940-1970』は、筑摩書房の創業から30年間を描いた同社の社史の復刻版。そして、本書は、前掲書に続く40年間を扱っているが、最大のイベントは、1978年7月の会社更生法申請、すなわち事実上の倒産である。

 覚えてる。私は高校生だった。本好きの高校生だったから、「なんか筑摩って倒産したんだよねー」と話題にした記憶もある。しかし、書店から即座に筑摩書房の本が消えてしまうかと思ったら、そうでもなかったので、経済の仕組みって分かんないなあ、と首をひねったものだ。30年の時を経て、当時の疑問を解き明かしてくれたのが本書である。

 本書では、倒産直前の筑摩書房の実態も、容赦なく白日の下にさらされている。経験とカンがたよりの営業。物流を見下していた編集部。企画の貧困。目先の現金欲しさに乱発された紙型新刊(焼き直し)。めちゃめちゃな賃金体系。組合が労働条件の改善要求を出すと、面倒くさいので、金で解決しようとする経営陣。結果として賃金は際限なく高騰し、余剰人員とともに、経営を圧迫した(1人年間590万円とある)。これが「良心的な出版社」と信じられていた同社の実態かと思うと、目を覆いたくなるような惨状である。

 しかし、その中から、筑摩書房は立ち直る。更生手続開始が決定した1978年11月、編集部長に就任したのは中島岑夫。丸山真男はじめ、多くの学者・研究者に信頼される編集者であった中島は、「読者志向」に舵を切ることを決断する。ここ(178頁)を、私はしみじみ思いにふけりながら読んだ。「お客様志向」は、今やニッポンのあらゆる業界の「正義」である。本当にそれでいいのかどうか、私は繰り返し疑問を感じている。しかし、とにかく「倒産」した会社を立てなおすには、これしかない。「中島は、自身の志向と会社の志向をはっきり区別した」という記述を読んで、立派だ、と思った。働く者として、そこは迷っちゃいけないんだなあ…。

 「象徴的に表現するなら、それは『筑摩』から『ちくま』への変化、といってもいいのかもしれない」と著者は語る。1985年「ちくま文庫」、1987年「ちくまライブラリー」、1988年「ちくま文学の森」、1994年「ちくま新書」…ああ、このへんは、私には懐かしい同時代史である。「ちくま文学の森」は、何よりも安野光雅さんの装丁が印象深い。「ちくま文庫」も初期は安野さんの装丁が多かったように思う。「ちくまライブラリー」は、赤坂憲雄さんの『王と天皇』(1988年)の記憶が鮮烈である。私は既にファンだったけど、まだ全然著名じゃなかったので、ソフトカバーで著作が出たことに驚いた。「ちくま新書」の転換点となったのは、1999年の小谷野敦『もてない男』なのだそうだ。あーこれも買いましたとも。

 一方で、伝統を受け継ぎ、深く静かに進行し続けた企画もある。「柳田国男全集」「宮沢賢治全集」など、長い年月をかけて生み出された優良コンテンツは、「ちくま文庫」にも再録され、文庫のクォリティを格段に高めた。膨大な固有名詞や難読語へのルビ付け作業って、聞くだけで目が眩みそうだ。電子書籍の時代を迎え、従来の出版社には、もう未来がないようなことも言われているけれど、本づくりに編集の力は必要だし、コンテンツの力は信じられていいはずだ。問題は、同社が倒産を乗り切ったような、ビジネスモデルの変革である。私は、「ちくま」というより、むしろ「筑摩」的な出版文化こそが、さらにこれからの三十年ないし四十年を生き延びてほしいと思う。

※参考:堀田善衛著、紅野謙介編『天上大風:同時代評セレクション1986-1998』(ちくま学芸文庫)
雑誌『ちくま』連載。「筑摩書房五十周年記念パーティでの祝辞補遺」(1991年)を収録。ちょうど1年前の同じ時期にこの本を読んでいたのは、なんだか奇遇。
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図録も神業/天理図書館 開館80周年記念特別展(天理ギャラリー)

2011-05-21 00:29:07 | 行ったもの(美術館・見仏)
天理ギャラリー 第143回展『天理図書館 開館80周年記念特別展-新収稀覯本を中心に-』(2011年5月15日~6月12日)

 恒例の天理図書館収蔵展。今年は、2010年に開館80周年を迎えた天理図書館が、近年蒐集した和・漢・洋の稀覯書を厳選しての特別展が、東京にやってきた。

 冒頭には『日本書紀神代巻』が2種。清原宣賢写本(永正9/1512年)と吉田梵舜写本(寛永元/1624年)である。えっと、これは国宝乾元本(乾元2/1303年書写)とは別物ね。でも16世紀本と聞くと、さすがにドキドキする。次は、平成18年(2006)に重文指定された『伊勢集』。めずらしく展示室内に警備(?)の人が座っていたのは、この資料のためだろうか。見るからに定家本系の、でも比較的おとなしい文字である。次は三冊本の『枕草子』(天正11年本)。丹表紙で、びっくりするほどデカい。朝鮮本みたいだ。その隣りの『曽我物語』(寛永初期書写)が文庫本より小さい掌サイズであるのと、好対照である。以上が特別扱いの主役級。

 このほかの展示は、3つのセクションに分かれる。最初は「自筆資料」という括りで、近世初期の『扇の草子』は、ピンクやオレンジ色を多用した素朴絵タッチで、鎧姿の武者さえもほのぼのと愛らしい。文禄年間の秀次妻妾処刑の様子を記した『兼見卿記』の隣りに、近代の篆刻家・三村竹清が描いた南瓜のスケッチ画が広げてあったり、種々さまざま。

 続く「印刷資料」には、製版本、活字本、美麗な摺りもの、漢籍やインキュナブラへと続く。西鶴の旅行案内書『一目玉鉾』って読んでみたいな。古河藩主・土井利位(としつら)の『雪華図譜』は、話にはよく聞くけど、実物を見た記憶は薄い。一大名の趣味として個人的に配られた資料だから、あまり伝わっていないのだそうだ。きりしたん版『精神修養の提要』には、確かに標題紙に「In COLLEGIO IAPONICO」とある。イエズス会の『1577年通信』だったと思うが(あるいは同書の関連書か)、現在、天理図書館前に設置されいる大砲(1610年、長崎沖にて爆沈したポルトガル船マードレ・デ・デウス号搭載の大砲)に関する記事が掲載されているという説明を興味深く眺めた。→個人ブログ:徒然漫歩計

 そして「綿屋文庫」には「わたやのほん」という判が押されている。天理教二代目教祖(真柱)の中山正善(しょうぜん)が江戸末期の庶民の言葉や生活を知るために集めたもので、綿屋は中山家の屋号だそうだ。その充実ぶりは、執念を感じさせるコレクションである。

 1冊1,000円の展示図録は、解説はあまり詳しくないが、写真は素晴らしい。こんな高精細の図版、見たことがない。料紙の繊維の1本1本までくっきり写っている。印刷は天理時報社。やっぱり宗教って、ビジネス感覚ではできないことを成し遂げてしまうところがあるのかな…。
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