見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

運慶あり、快慶あり/大本山光明寺と浄土教美術(鎌倉国宝館)

2009-11-30 20:53:34 | 行ったもの(美術館・見仏)
鎌倉国宝館 特別展『大本山光明寺と浄土教美術-法然上人八百年大御忌記念-』(2009年10月23日~11月29日)

 鎌倉・材木座の光明寺は、海に面した開放的な雰囲気が好きで、隣りの逗子市の住人だった頃はよく散歩に行った。春は桜、夏は蓮、秋のお十夜も懐かしい。鎌倉国宝館で、その光明寺を特集する展覧会が開かれていることは知っていたが、出ているのは、いつもの『当麻曼荼羅縁起絵巻』と『浄土五祖絵伝』かな、と想像するくらいで、あまり関心を払っていなかった。

 それが、最終日直前に行ってみたら、すごい混雑でびっくりした(昨今の仏像ブームか、それとも紅葉シーズンの余波だろうか)。館内の展示物の雰囲気も、いつもとはだいぶ違う。冒頭には、山梨・善光寺の法然上人坐像、次は、福岡・善導寺の聖光上人坐像、という具合で、全国の浄土教寺院から、彫刻・絵画が集結しているのである。しかも、超有名寺院ばかりでないのが、かえって嬉しい。伊豆山浜生活協同組合所蔵の阿弥陀三尊像(伊豆山郷土館寄託)なんて、こうして出開帳してくれなければ、なかなか見る機会がないと思う。

 展示室中央の「ステージ」には、横須賀・浄楽寺の阿弥陀三尊(運慶作)。私は何度か拝観しているが、通常、年2日しか公開されていない秘仏である。きりっとした丸顔。髪型は高く結い上げた宋風だが、この顔は日本人だなあ。近くにいたおばさんが「舞の海さんに似てるわねえ」とおっしゃっていたのは、言い得て妙。光明寺ご本尊の阿弥陀三尊もおいでになっていた。目の細いショーユ顔。平安人っぽい、平和的な美形である。教恩寺(鎌倉・大町か。行ったことないかなあ)の阿弥陀像は、眼尻のつり上がったところが快慶風だそうだ。快慶の作風は、繊細、優美というけれど、やっぱり微妙に武家の好みが表れていると思う。滋賀県・阿弥陀寺(ってどこ?)の阿弥陀如来立像は、快慶の弟子の行快の作。師匠の作風の特徴が少しずつ「拡大」されていく感じがする。山梨・九品寺の阿弥陀像について、納衣を吊るす環を使用する形式は運慶を想起させる、と書いてあったことをメモしておこう。言われてみれば、そんな気も…。

 展示ケースいっぱいに並べた絵画資料も見ごたえがあった。文献で気になったのは『鎌倉佐介浄刹光明寺開山御伝』というもの。佐介(佐助)といまの光明寺では、ずいぶん離れていると思ったが、Wikiによれば、佐助ヶ谷(さすけがやつ、鎌倉市佐助2丁目)に開創した蓮華寺が光明寺の起源とされているそうだ。詳しくは図録を読もうと思ったが、既に完売。館内では「○○博物館の学芸員」とか「うちのゼミの学生」とかいう会話が漏れ聞こえていて、玄人さんの来場者が多かったのではないかと思う。
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「学ぶ力」を取り戻そう/日本辺境論(内田樹)

2009-11-28 23:53:25 | 読んだもの(書籍)
○内田樹『日本辺境論』(新潮選書) 新潮社 2009.11

 久しぶりの内田センセイの本。今度は日本論だ。日本人固有の思想や行動は、その辺境性によって説明できるというのが本書の趣旨である。このテーゼ自体は、内田樹の読者にはおなじみのものだ。たとえば『街場の中国論』(2007)は、「辺境」の対概念である「中華」の代表格・中国を論じたものである。同書の「中華とはこういうものだ」という論じ方には、どこか本質を掴み切れずに、まわりを撫ぜ回しているような焦燥感があったが、本書には、実に生き生きと「辺境とは何か」が語られている。その比較だけでも、ああ、やっぱり私たちは辺境人なんだな、と思ってしまう。

 辺境人は、絶えずきょろきょろと新しいものを外界に求めている(丸山真男の言葉)。利害の異なる他者と遭遇したときは、とりあえず「渾然一体」の融和的な関係をつくろうとする。当為に基づいて国家像を形成することができず、他国との比較でしか自国を語れない(そうそう、ランキング大好き)。「虎の威を借る狐」には「虎として何がしたいのか」を言うことができない。…という調子で、全く右翼も左翼もそのとおりだ、と頭を抱えてうなずくしかないような指摘が並んでいる。しかし著者は、臆することなく、「こうなったらとことん辺境で行こうではないか」と提案する。

 辺境人にもいい点はある。「起源からの遅れ」を自覚している辺境人は、「なんだかわからないけれど、この人についていこう」という態度で学び始めることができる。努力と報酬の相関性を前提にしない、ほとんど無防備に開放的な「学び」の構えは、非常にパフォーマンスが高い。ひとたび「学び」の構えができた者は、愚者からも悪人からも、豊かな知見を得ることができる。そうだな。そして、このことは国と国の比較だけでなく、もう少しミクロな場面にも応用できそうな気がする。個人的感慨であるが、私は社会人になって以降、「辺境人」の経験が長い。それでも、なんとかやってこられたのは、まさに「学ぶ力」だけが資本だったような気がする。

 「学び」とは、その意味や有用性を知らない状態で、それにもかかわらず、これを学ぶことが重要であると確信することから始まる。つまり「学ぶ力」とは「先駆的に知る力」である。これも内田センセイの教育論では、たびたび語られてきたテーゼだ。よく似たことをカントやヘーゲルやハイデガーも言っているのだが、彼らの言い回しは、どこか「腰の引け方」が足りない、と著者は言う。西欧の哲学者は、「学び=先駆的に知る力」を説明するのに、「不可視の設計図」「胎児の成長」「もともとあったすがたへ還っていく」などの比喩を使う。これらは、自分たちが「世界の中心」であるという宇宙観になじんだ精神にとっては違和感のないものだが、「自分は世界の端にいる」という自己規定をもつ人間は、このような人間観を持たない。もっと切迫した欠落の感情から「学び」のシステムを起動させるものである。

 ここも面白い。私は、10~20代の頃、それなりに西欧哲学やキリスト教も読んでみたものの、どこか決定的な違和感があって、のめりこめなかった。やっぱり日本倫理思想のほうが好きだ。それは、西洋人の中華思想=自分たちが「世界の中心」であるという宇宙観に同調できなかったからだ、と気づいた。では、中国にはその厭味がないかというと、あの国は政治的には徹底した中華思想だが、形而上学はそうでもない。たぶん、仏教がインドから入ってきたという記憶があるせいだろう。
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べ平連、連合赤軍、リブ/1968〈下〉(小熊英二)

2009-11-26 23:49:55 | 読んだもの(書籍)
○小熊英二 『1968〈下〉叛乱の終焉とその遺産』 新曜社 2009.7

 下巻では、1968年以降の日本社会(70年代パラダイム)に大きな影響を与えた3つの個別テーマを論じる。「べ平連」「連合赤軍」そして「ウーマン・リブ」である。

 この中で、最も感銘深く読んだのは「べ平連」だ。べ平連の活躍した67~68年、小学生だった私は、もちろんリアルタイムでこの奇妙な名前を覚えている。しかし、具体的な活動は理解していなかった。ギターを抱えてフォークソングを歌い、花束を渡しながら参加を呼びかける、という独特なデモのスタイルも、80年代の「お笑い」のネタでしか見たことがない。そんな私が、少し「べ平連」に興味を持ったきっかけは、同じ著者の『〈民主〉と〈愛国〉』(2002)だった。ただし、同書は「ベ平連の活動の記述については最低限にとどめた」と注されているように、鶴見俊輔と小田実の2人に焦点が絞られていて、「べ平連」総体の記述にはなっていない。むしろ、今年出た『戦後日本スタディーズ2:60・70年代』(2009.5)で、はじめて吉川勇一という名前を知り、同氏へのロングインタビューを読んで、”個人原理に立った大衆運動”という「べ平連」の基本理念に、強い共感を覚えた。

 本書では、この理念が、具体的な場面で、どのような「強み」と「弱み」を発揮してきたかが語られている。68年の「6月行動」や69年の沖縄デーは、よくできた映画のワンシーンのようで、ぐっと胸を突かれるが、その一方、刺激を求める急進的な若者と年長メンバー(オールド・べ平連)の間で、たびたび軋轢が繰り返されていたことも描かれている。それにしても、吉川勇一さん、素敵な方だなあ。先日、紀伊國屋のトーク・セッションで、遠目にお姿を拝見できて嬉しかった。

 「連合赤軍」は読んでいてつらい章だ。リンチ殺人の顛末が、あまりに凄惨だからというばかりではない。著者は、これまでの連合赤軍論――党組織の問題とか「理想」が陥る隘路とか「女」性の否定といった解釈に与しない。いずれの論者も、この事件に自分が見たいものを見ようとし、過大な意味づけを与え過ぎているのではないか、と苦言を呈する。実に身もフタもない話だが、そうかもしれないなあ、と思うところがある。

 「リブ」はいちばん理解しがたい。男の言葉(論理、学問)を語ることを拒否して、女の言葉を探し続けた女たちは、最後は言葉を捨てて、肉体を重視する方向に行ってしまう。これって、意味のある運動だったのだろうか。「男の言葉」を十分に内在化してしまった女の私には、よう分からん。著者は、「言葉が見つからない」という苦悩には、全共闘運動の学生と共通する点があると指摘している。言葉というメディアは「伝統」を基盤としているから、ある程度、伝統を受け入れ、そこに参画する意思のない者には使いこなせないのだと思う。

 こうして、1968年の叛乱には、結局、大した意味などなかったのではないか、という干からびた気持ちで、終章の「結論」に突入する。著者は、若者たちの叛乱とは「高度成長にたいする集団摩擦現象」であり、「日本が発展途上国から先進国に(略)脱皮する過程において必要とした通過儀礼」であったと結論する。それゆえ、真に社会を変革する運動とはならなかった。

 挫折した大衆運動は、彼ら自身の「現代的不幸」から目をそらし、プロレタリアートの代用品としてマイノリティ(アイヌ、公害被害者、戦争責任など)の問題を探しあてる。これが「70年パラダイム」である。マイノリティへの注目には評価すべき点もあるが、マジョリティに訴える言葉の喪失と表裏一体だった(うーん、ここ厳しい!)。「70年パラダイム」が力を失いつつある今日、われわれは、あの時代の若者の失敗に学び、新しい社会運動(社会を変革する運動)を作り出していかなけれなならないのではないか。この提言は、やや紙数不足で説明足らずの感もあるが、重要だと思う。最後の最後に、もう一度、希望の光を見せてくれるあたり、本書の読後感は悪いものではない。

 私なりに著者の提言を受けるとすれば、あまりにも「私」の言葉探しに収斂してしまう運動に、未来はないんじゃないかと思う。「個人原理」というのは、どこかで「社会」や「伝統、歴史」とつながっていなければ、生き延びられないのではないか…。

※補記:吉川勇一さんの個人ページを見つけた。
http://www.jca.apc.org/~yyoffice/
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播州巡礼の旅(3):清水寺、花山寺別院

2009-11-25 23:01:50 | 行ったもの(美術館・見仏)
■西国第二十五番 御嶽山播州清水寺(兵庫県加東市)

 巡礼の旅2日目。朝、姫路を発って、尼崎経由、福知山線相野駅で下車。ここから1日2本のバスに乗り継いで、播州清水寺に向かう。バス停で、東京から来ていた巡礼仲間の友人を発見。まあ、この連休、どこかで接近遭遇するんじゃないかとは思っていたんだけど…。バスは海抜550mの山頂の門前に着けてくれる。そのため、ふもとの入山口で運転手さんが乗客の人数を確認し、下車の際は、バス料金と合わせて入山料も徴収されるシステム。「なんか中国みたいね」と友人とささやき合う。

 仁王門を入り、最初のお堂は薬師堂。ご本尊はフツーの薬師仏だったが、まわりの壁(鴨居?)に嵌め込まれた十二神将がなんともユニーク。「籔内佐斗司 謹刻」とある。おお、「せんとくん」の籔内先生の作かあ。失礼を承知で、写真に収める(ごめんなさい)。

↓私の生まれ年の子神。




 大講堂で、西国札所のご本尊である金ピカの千手観音坐像を拝観(内陣拝観料100円)。播州清水寺は、大正2年(1913)の山火事で全山焼失し、同6年に再建供養が行われた。再建に力を尽くしたのは、武田五一博士。友人に「知ってる?」と聞かれて「知らない」と答えてしまったが、実は、前日に訪ねた円教寺摩尼殿の再建も武田博士の設計だった。京都府立図書館や京都大学人文科学研究所附属漢字情報研究センターもそうだ。

 根本中堂には、開山の法道仙人(一乗寺と同じ)が刻んだと伝える、秘仏十一面観世音菩薩立像が祀られている。写真を見る限りは、どことなく東国風。30年に一度の開扉で、次回は2017年だという。8年後?まだ仕事してるよねえ、と友人と言い交わす。夢は楽隠居して巡礼三昧なんだけど。

■西国番外 東光山花山院(菩提寺)(兵庫県三田市)

 相野から3駅戻り、花山院別院(菩提寺)行きのバスが出ている三田(さんだ)へ。前日、三田に泊った友人は、朝のうちに花山院別院の参詣を済ませたというので、夜(夕食)の再会を期して、再び別れる。「バス停からかなり登るので、門前までタクシーを利用するほうがいいかも」という忠告を貰ったのだが、やっぱり巡礼は徒歩が原則、と思い定めて、ゆっくり昼食を取り、午後いちばんのバスを待つ。

 しかし、覚悟はしていたものの、坂道はキツかった。山門まで舗装されていて歩きにくくはないのだが、足の上がり切らないような急傾斜が延々と続く。九十九折りに折れ曲がっているので見通しが利かず、もう終わりか、という甘い期待を何度も裏切られ、小雨の降る中、30分くらい登りづめに歩かされた。山門に到着したときは、呼吸困難でへろへろ。駐車場管理のおじさんから「車ですか?」と尋ねられ、「歩いてきました」と答えたら「えっ」と驚かれたのは、徒歩で参詣する人は少ないのかなあ。

 広い境内には、薬師堂と花山法皇殿(十一面観音像、花山法皇像、弘法大師像を祀る)の、2つのお堂がちんまりと据えられている。ガイドさんに連れられた団体客が、ひっきりなしに参拝に訪れ、小さなお堂はゴッタ返しているが、お堂の向かいの花山院御廟所に注意を払う人がひとりもいないのは、いいのか悪いのか。小雨に洗われた紅葉が美しく、本坊からの眺望も見事だった。

 夜は再び友人と落ち合って、京橋で夕食。ちなみに友人は、大阪青山歴史文学博物館の『開館十周年記念所蔵名品展』(2009年10月10日~12月6日)を見てきたそうで「すごかった」とのこと。うーん、全くノーチェックだった。関西には、まだまだ私の知らない博物館や美術館が多い。翌日は京都に出て、大覚寺の名宝展だけ見て、早めに帰京した。
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播州巡礼の旅(2):圓教寺、姫路城

2009-11-24 23:55:48 | 行ったもの(美術館・見仏)
■西国第二十七番 書写山円教寺(兵庫県姫路市)

 姫路駅で簡単な昼食を済ませ、午後は円教寺(圓教寺)へ。こちらのバスも満員。ロープウェイは乗り切れないのでピストン輸送状態だった。ロープウェイの山上駅から本堂(摩尼殿)までは20分くらい、ゆるやかな上りの参道を歩く。山門までの両脇には、西国三十三所の観音像が第一番から順に安置されている。よくある演出だが、第五番葛井寺、第六番壺阪寺あたりで、おや、と思った。それぞれ、びっくりするほどモデルに忠実なのだ。

↓特徴的な、第五番葛井寺の千手観音。


↓第十番三室戸寺の聖観音。似てる~。


 石山寺、三井寺(園城寺)なども、思わず唸るほどの出来栄え。逆に、まだ拝観していない中山寺や総持寺は、そうかーこんなお姿なのかーと、興味深く見入ってしまった。このレプリカ三十三観音の写真を使ったら、友人と名前当てゲームができそう(笑)。

↓しかし、第二十六番一乗寺のレプリカは左手に水瓶を握っていた。これは秘仏のご本尊でなくて、宝物館にいらした「御前立ち」のお姿である(水瓶を横に倒した握り方がそっくり)。ふだんご開帳しないご本尊については、御前立ちを写したもののようだ。それにしても、この徹底した模写の「こだわり」ぶりは称賛されていい。


 摩尼殿に到着。ここは追加料金なしで内陣まで入ることができる。ご本尊の六臂如意輪観世音菩薩は、昭和8年(1933)京都市立美術工芸学校時代の彫刻科教員であった石本暁海による新造。力漲る木の肌が溌剌として美しい。解説パンフを読んだら、この摩尼殿は、大正10年(1921)12月28日の火災で全焼しており、「関西建築界の父」武田五一の設計で復興された。このとき、現在の本尊も新刻されたそうだ。ただし、旧本尊は焼けてしまったわけではなく、調べてみたら、奈良博の『西国三十三所』展にも出陳されていた、小さくて美麗な如意輪観音坐像(鎌倉時代)がそれらしい。

 摩尼殿の裏道をたどって、大講堂、食堂、常行堂がコの字型に立ち並ぶ「三之堂」(みつのどう)地区へ。ここは初めて来たとき(7年前)勇壮な建築美にすっかり魅せられたところだ。映画『ラストサムライ』や大河ドラマ『武蔵』で円教寺が一躍有名になる直前のこと。観光客の喧騒をよそに、ぴたりと扉を閉ざした常行堂の内部では、この日も座禅修行が行われていたことに感銘を受けた。さらに開山堂のある奥之院まで行ってみたが、こちらは改修工事中だった。紅葉と瀬戸内の眺望を楽しんで帰路につく。

 姫路駅前に帰りついたのは、もう夕方。時間があれば登ってみたかった姫路城はもう閉門していた。ばら色の夕焼けに染まった天守閣の窓から、富姫さま(泉鏡花『天守物語』のヒロイン)が下界を見下ろしているような気がした。大手前公園の「姫路食博2009」で播磨のご当地グルメを物色して、一日の観光を終える。
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播州巡礼の旅(1):一乗寺

2009-11-23 23:51:28 | 行ったもの(美術館・見仏)
■西国第二十六番 法華山一乗寺(兵庫県加西市)

 西国三十三所巡礼も佳境。この連休は、久しぶりに播磨(兵庫県)を目指した。金曜日の夜に新大阪に入り、翌土曜日の朝に姫路駅到着。一乗寺行きの始発バスは、御朱印軸や笈摺(おいずる)を携えた巡礼客で、いっぱいになった。これなら、もしかして…と、ちょっと期待を抱く。というのは、一乗寺の宝物館は予約公開制なのだが、先週、拝観に行った友人の話では、別のお客さんが予約をしてあれば、一緒に見せてくれることもあるらしいのだ。

 なので、拝観券を買うときに「今日は宝物館は?」と聞いてみた。しかし「2週間前に予約していただかないと見られません」と剣もホロロ。やっぱり駄目か、と諦めて、本堂に向かう。秘仏ご本尊は白鳳期金銅仏の聖観音。外陣からも格子戸越しにお姿が拝めるが、特別拝観料1,000円を払うと、内陣のお厨子のそばまでにじり寄ることができる。逆三角形のスリムで直線的な体型。腕が長く、両手とも何かを掴むように指先が曲がっている。三角形を貼り付けたような宝冠、凹凸のくっきりした目鼻立ち、いかにも古風な造形である。錦の幔幕だけのシンプルな舞台装置なので、全身像がよく見えて、嬉しい。内陣に入った参拝客は15人くらいだったろうか。みんな静かに、互いに譲り合って拝観していたのも好ましかった(最近の博物館は、こういう雰囲気がなくて嫌だ)。

 本堂を出て、裏の諸堂(いずれも重文)を見学しながら、うろうろしていると「じゃ、先にどうぞ」「お願いします」みたいな会話の声がして、参拝客らしい男性が1人、それからお寺の方らしいおじいちゃんが封筒のようなものを持って出てきた。これは!とピンとくるものがあって、2人の後をさりげなく追っていく…すると、やっぱり、山門わきの宝物殿を開けているではないか。私のほかにも、その様子に気づいた参拝客が何組かいて、「一緒に見せていただけませんか?」と交渉している。おじいちゃんは「言っておきますけど、中に国宝はひとつもありませんよ。それでもいいんでしたら、500円払ってください」とぶっきら棒。そうかー最澄像をはじめとする国宝『天台高僧像』10幅は、ふだん博物館寄託なんだな。でも、あんなに「国宝はありませんよ」を強調するのは、そのことで文句を言うお客さんがいるのかしら。

 それは承知して、とにかく中に入れてもらう。そうしたら、狭い館内ではあるけれど、木造僧形坐像(平安期、重文)とか、ちゃんと見ごたえのある仏像が置いてあるではないか。奥のやや広いスペースには、ご本尊とよく似た金銅仏。ただし、やや面長、肩に丸みがあり、左手に水瓶を握っていらっしゃるところが違う。背中に流れる華やかな瓔珞が美しい(※一乗寺のパンフレットに載っている写真は、ご本尊でなくこちら)。「この観音さんは、御前立ちとして作られたそうですわ」とおじいちゃん。みんなが熱心なので、だんだん機嫌がよくなってきたのか、開祖の法道仙人に関する伝説を、詳しく語って聞かせてくれた(→ひょうご歴史ステーション「神出鬼没~謎の法道仙人~」)。

 さらに私を喜ばせたのは、もう1体、小さな金銅仏との再会。奈良博の『西国三十三所』展で見た、”吉田戦車のキャラクター似”のあまりにも個性的な観音菩薩立像。おおーいつもはこんなところに、ひっそりと鎮座していらっしゃるのかあ。おじいちゃんが「この小さい観音さんは、ようけ出張しとるよ」と誇らしげにおっしゃっていた。

 再び、満員のバスで姫路駅に戻る。午後は圓教寺へ。
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パソコン新旧交代

2009-11-19 22:02:01 | 日常生活
 先月末、自宅で使っていたノートPCが起動しなくなってしまった。数えてみたら、かれこれ6年、もうちょっとで丸7年になるところだった。5年半に渡るこのブログの記事のほとんどもこのパソコンで書いてきたものだ。DellのInspiron2650、2002年4月発売のモデルだが、私のような、テキスト主体のホーム・ユーザーには、特に不都合がなかったのである。

 実は、これまでも1年に1回くらい不具合を起こすことがあって、そのたびに、WindowsXPの再インストールから始めて、作り直してきた。やれやれまたか、と思って、何度目かの対処をしようと思ったのだが、そろそろ引退させてあげてもいいかなあ、と思い直した。当初、次世代のVistaが出たら買い替え、と思っていたのだが、どうも評判がよくないので、踏ん切りがつかなった。それが、孫の代(?)に当たるWindows7の誕生(10/22)を見届けて、動かなくなったのだから、健気なものじゃないか、と思った。最後の姿をここに留めておく。

 先代に敬意を表して、後継機もDell社のInspiron15にした。もちろんWindows7モデルである。本日到着。この記事は、新機種で更新する最初の記事になる。最近のパソコンは画面がきれいで目が疲れなくて嬉しい。また長い付き合いになるだろう。

↓コタツで使っているので、断熱ボード代わりにい草のランチョンマットを敷いてました(笑)


↓新機種が届くまで、家で使っていたモバイル用のLet's note

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革新の400年/狩野派-400年の栄華(栃木県立博物館)

2009-11-18 23:49:14 | 行ったもの(美術館・見仏)
栃木県立博物館 平成21年度秋季企画展『狩野派-400年の栄華-』(2009年10月10日~11月23日)

 室町時代後期から明治時代の初めまで、400年に渡って日本の画壇を制覇し続けた専門絵師集団、狩野派に焦点を当てる展覧会。没個性、粉本主義と貶められてきたが、近年、丁寧な見直しが行われているのは、ありがたいことだと思う。

 本展は、時代順に「狩野派誕生」(16世紀)→「探幽の登場」(17世紀)→「江戸の狩野派」(18世紀)→「そして近代へ」(19世紀)の4つのセクションを設け、同派の展開を紹介。入口付近に置かれた「狩野派略系図」のコピーが役に立つ(似たような名前が多くて、覚えられないんだよねー)。

 狩野派初代・正信の『観瀑図』の解説には、濃密、劇的、粘りのある筆法に対して「前代までの繊細さとは全く異なる画風」「まさに狩野派の画壇への登場を印象づける作品」とある。そう言われても「前代」の画風って、よく分からないなあ、と思ったが、会場でいえば、伝・周文筆『周茂叔愛蓮図』が典型例になるのだろうか。なるほど、お粥と背脂豚骨ラーメンくらい違う…。

 2代目・元信(古法眼)の画業は多彩だ。紙本着色『花鳥図屏風』の愛らしさは、典型的な元信スタイル。『富士曼荼羅図』は、全体は宗教画として、細部は風俗画として、どちらも完成度が高い。

 永徳は1点だけだったけど、個人蔵の『洛外名所遊楽図屏風』(2006年発見→asahi.com:2006/9/13)が出ていた。図録で見ると、確かに人物の描き方が上杉本『洛中洛外図屏風』に似ていると思う。ただし、これを現場で実感するには、拡大鏡が必携。

 探幽になると、一転して、上品で瀟洒、平明淡白。豚骨が魚介ダシの和風ラーメンに変わったくらいの大変化を起こす。狩野派は「400年の栄華」と言いながら、その頂点にいた絵師は、前代のスタイルを墨守していたわけではなく、常に新しいものを生み出していたところが凄い。私は尚信、常信も大好き。尚信筆、栃木県立博物館所蔵の『竜虎図屏風』は初見かな。雲に溶けかかったような龍、ハート型に肩を丸めた虎。すっかり気に入ってしまった。また見に来たいなあ。

 そして、幕末の怪しき絵師・狩野一信筆、増上寺蔵『五百羅漢図』の2幅。この展覧会、私はこれを見に来たと行っても過言ではないのだが、そのほかに、一信筆『源平合戦屏風』(大きい屏風だなあ~)にも惚れ惚れした。ストップモーションが効果的に使われていて、国芳の武者絵を思わせるところがある。板橋区立美術館所蔵だそうだが、ええ~見た記憶がない…。

 最後に、近代ものだが、狩野芳崖の『寿老人図』もよかった。雪舟の『梅下寿老図』(梅潜寿老図)に捧げられていることはすぐに分かった。どちらも不気味で艶っぽくて好きだ。

 それにしても、宇都宮、去年も来たなあ、と思ったら、『朝鮮王朝の絵画と日本』を見たのは栃木県立美術館のほうだった。今回は県立博物館。自然と文化についての展示を行う総合博物館なので、エントランスを入ると、樹木にしがみついたクマにも会える(笑)。広い公園の紅葉も、ちょうど見ごろ。
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展覧会いろいろ/東大附属図書館、国立公文書館、虎屋文庫

2009-11-17 21:03:38 | 行ったもの(美術館・見仏)
 土曜日にハシゴした小さな展覧会、いろいろ、まとめて。

東京大学附属図書館 平成21年度特別展示『日本の天文学の歩み-世界天文年2009によせて-』(2009年10月23日~11月25日)

 毎年秋に行われる東大附属図書館の特別展示。今年は、世界天文年にちなんで、和漢洋の天文学関係の古書・史料が約60点、展示されている。興味深かったのは『禁書目録』(内題:貞享乙丑年南京船持渡唐本國禁那漁書、明和8年=1771)。展示箇所には「天学初函」を始めとする漢訳西洋科学書の書名が並んでいるが、他にも、秘録浮説、好色本、豊臣本、忠臣蔵関係も挙がっているそうで、読んでみたい。また、明治のお雇い外国人に対する注目は、この大学ならでは。明治11年(1878)に創立された東京大学理学部の観象台(天文台)の写真は初めて見た。位置は今の工学部4号館あたりだろうか。

国立公文書館 平成21年度秋の特別展『天皇陛下御在位20年記念公文書特別展示会』(2009年10月31日~11月19日)

 こちらも秋恒例。これまでの特別展、「旗本御家人」とか「大名のアーカイブズ」とか「明示宰相列伝」とかに比べると、扱う時代が新し過ぎて、さすがにインパクトが弱いが、鳩山内閣誕生に関する資料は、生々しくて、面白かった。たとえば、9月16日、鳩山由紀夫を内閣総理大臣に任命するにあたり、前内閣総理大臣の麻生太郎が天皇に裁可を仰いだ文書が展示されている。なるほど、公文書では、こういう手続きを取るんだなあ。(詳しくは→Wiki:内閣総理大臣、辞令の書式

 8月18日に衆議院の総選挙を公示したときの文書もあって、天皇の署名(明仁)・御璽のあとに、内閣総理大臣麻生太郎が署名している。8/18文書と9/16文書では、明らかに”麻生太郎”の書体が違うのだが、本人が書き分けているのか、それとも”右筆”がいるのだろうか。内閣で回覧される文書には、各大臣、今でも”花押”みたいな署名をするんだなあ。天皇家よりも政治家たちの印象が強く残る展示会だった。

虎屋文庫 第72回資料展 お菓子も楽しい!『虎屋・寅年・虎づくし』展(2009年11月1日~11月30日)

 和菓子の「とらや」の赤坂本店に併設する展示室。来年の干支にちなんで、文化や生活に息づく「虎」を紹介する。各地の郷土芸能や虎の玩具の動く様子を短いビデオで紹介するコーナーもあって楽しい。いちばん興味深いのは虎にちなんだお菓子である。虎屋は、毎年、社内でデザインを公募して、干支にちなんだ菓子をつくっているが、1986年、1998年、そして2010年の「虎」菓子(2種類ずつ)が展示されていた。1986年って阪神タイガース優勝の年だったっけ? 黄色と黒の稲妻型のツートンカラーが斬新! 2010年は「虎嘯く」と「幸とら」で、12/16から発売だそうだ。西洋にも「Tigre」(フランス)「Tigerkaka」(スウェーデン)などの伝統菓子があるそうだが、日本人から見ると、あんまり虎っぽくない。なお、虎屋の屋号は、店主が代々毘沙門天を信仰してきたことと関わりがあるらしい。

 見終わってから、地下1階の虎屋茶寮に寄ったら、11/30まで、1986年と1998年の虎菓子復刻版が食べられるそうだ(この日は売り切れ)。私のほかにも、展示見学帰りのお客さんがチラホラ。なぜか、オジサンの一人客が多くて、ほほえましかった。

 以上の3つの展覧会、いずれも無料。しかも、それぞれ立派な展示図録も無料でいただける。
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古筆と絵巻を中心に/皇室の名宝2期

2009-11-15 23:46:35 | 行ったもの(美術館・見仏)
東京国立博物館 特別展『皇室の名宝―日本美の華』(2期:2009年11月12日~11月29日)

 第1期と同様、土曜の朝、開館と同時くらいに到着した。すると、1期にはなかった長い列が、平成館の前に伸びているではないか。ええー!!「入場待ちはありません。まもなくお入りいただけます」とアナウンスはしているものの、私は『動植綵絵』の出る1期のほうが混むだろうと思っていたので、予想外だった。正倉院効果だろうか?

 会場内は既に激混み。第1会場は飛ばすか、と思って、先に進みかけたとき、ハッと目に飛び込んできたのは王羲之の『喪乱帖』。いいな~。王羲之の書を全部いいと思うわけではないが、これは好きだ。墨の濃淡、字の崩し方が一定ではなくて、変幻自在のスピード感が感じられる。あとで図録の解説を読んだら、聖武天皇の遺愛品で、梁の武帝の勅命を受けた鑑定者の署名が小さく記されているのだそうだ。しかし、当時、極東の小国が、こんな書の至宝をよく手に入れたものだなあ。あと、聖武天皇が、唐の太宗みたいに自分の墓に埋めさせたりしなくて、本当によかった。

 王羲之を眺めているうち、そうだ、この展覧会には、藤原佐理の書が出ているんだった、と気づく。そこで、第2章「古筆と絵巻の競演」に進んで、佐理の書を探す。あった!『恩命帖』だ。まるで万年筆で書きなぐったような字で、可笑しくて仕方ない。でも、何とも知らず、魅力的なのだ。自由奔放な中に、惚れ惚れするような気骨を感じる。どういう人だったのかなあ。

 あとは落ち着いて、順序だてて見ていくことにする。まずは名家総出演の古筆から。橘逸勢の書は初めて見たが、あまり感銘を受けない(『伊都内親王願文』)。小野道風は、どんな書体でもこなしそうだ。『玉泉帖』『屏風土代』は、悠揚迫らず、しかも変化に富んでいて好き。佐理・道風に比べると、行成筆の『和漢朗詠集』は、きれいだけど生真面目だなーと思ってしまう。

 絵巻では久しぶりの『春日権現験記絵』を楽しみにしていた。1999年、平成館の開館記念特別展で見たんじゃなかったかな? 全20巻という長大な絵巻で、どの場面も細部に遊びがあって面白いのだが、今回は、いちばん見たかった巻19の冬景色(アイシングしたように霜?の降りた紅葉の山)が公開されていて嬉しかった。でも、この美しい情景に続いて、血しぶきの飛ぶ殺戮シーンが描かれていることは、初めて認識した。実は、この絵巻のストーリー、よく知らないのである。

 近世美術では、俵屋宗達の『扇面散屏風』。本物は初めてかもしれない。八曲一双(めずらしい?)の金屏風に計48枚の扇面が散らされていて、平治物語や伊勢物語、時には草花図などが描かれている。一見、華やかだが、血なまぐさい物語や恐ろしい光景が紛れ込んでいて、そのミスマッチ感に引き付けられる。

 最後に先頭に戻り、正倉院宝物を重点的にチェック。だいたい、近年の正倉院展に出品されたことがあるものが多かったように思う。正倉院展だと、必ず見どころの細部写真をパネルで掲示してくれているんだけれど、そういうサービスが無かったことが、やや不満。図録を見ながら、じっくり復習中である。
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