見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

悪漢が好き/少年探偵団(江戸川乱歩)

2008-11-30 23:51:13 | 読んだもの(書籍)
○江戸川乱歩『少年探偵団』(ポプラ文庫・少年探偵) ポプラ社 2008.11

 ごく最近、街の本屋で「江戸川乱歩・少年探偵」シリーズの文庫本がズラリと並んでいるのを見た。怪人二十面相と名探偵・明智小五郎が知恵比べを繰り広げる、子供向けミステリーのシリーズである。へえ~懐かしいな。そう思って、藤田新策氏の描く幻想的な装丁を眺めたが、購入するには至らなかった。

 数日後、近所の本屋で再び「少年探偵」シリーズの文庫本を見た。それも、なんと昭和40年代の児童書の表紙絵が、そのまま使われている! びっくりした。小学校時代のさまざまな思い出が一気に押し寄せてくるように思った。事情を考えるより先に、とにかく1冊買って帰った。

 私が親しんだ「少年探偵」シリーズは、昭和39年(1964)にポプラ社から刊行されたハードカバー版で、油彩画ふうの表紙は柳瀬茂氏による。同社は、2005年に「少年探偵」シリーズの文庫版(藤田新策氏装丁)を出しているが、このたび「ポプラ文庫」の創刊にあわせて、旧版の表紙・挿絵を忠実に再現した新装版が刊行されることになった。なぜ今、「少年探偵」リバイバルなのか? その答えは、文庫本の折り込み広告にあった。北村想『怪人二十面相・伝』を原作とする映画『K-20』が、12月20日公開予定なのである。へえ~初めて知った。

 巻末の解説を書いている乙一さんは1978年生まれだというから、私よりずいぶん若いが「ポプラ社から出ている単行本の表紙の絵がこわかった」「小学校の図書室で『少年探偵団シリーズ』のならんでいる一画は、不気味でちかよりがたかった」という回想に、そうそう、と膝を打ちたくなる。「(このシリーズは)子どもが読んではいけないもの、という気がしていた」というのにも同感。

 子供の頃、本を読むことは、何でも親に喜ばれた。マンガやテレビは、内容によって、承認されたり、嫌がられたりしたが、とりあえず活字を読む行為は「いいこと」だった。ところが、この江戸川乱歩シリーズを読んで、誰に教えられたわけでもないのに、「ほめられない読書」というものがある、ということが子供心に了解されたように思う。別の見方をすれば、私はこのシリーズによって「快楽としての読書」を知り染めたのである。

 最近、宮崎駿が「悪人をやっつければ世界が平和になるという映画は作りません」と語ったという記事を読んだ。宮崎がどんな映画をつくろうとしているのかは分からないが、私は、正義派の追及をどこまでも逃げおおせ、闇の中に消えてしまう大悪党の物語は、ぜひ子供のうちに読んでおくべきだと思う。その微かな恐怖の記憶が、その後の人生をどれだけ豊かにするか、計り知れないからだ。映画『K-20』の予告編に見る、よみがえった怪人二十面相の颯爽としたダークヒーロー振りは、子供の頃の悪夢が形を取ったかのようだ。期待を持っていいかしら。

■こども図書館ドットコム:「少年探偵・江戸川乱歩」シリーズの旧版について
http://kodomotoshokan.com/m-b-book/ranpo-b.html

■『K-20 怪人二十面相・伝』公式サイト(※音が出ます)
http://www.k-20.jp/
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若冲にも会えます/朝鮮王朝の絵画と日本(栃木県立美術館)

2008-11-29 23:09:47 | 行ったもの(美術館・見仏)
○栃木県立美術館 企画展『朝鮮王朝の絵画と日本-宗達、大雅、若冲も学んだ隣国の美』(2008年11月2日~12月14日)

http://www.art.pref.tochigi.lg.jp/jp/index.html

 気になっていた展覧会に行ってきた。これまで全く意識したことのなかった美術館で、いったいどこにあるんだ?と調べての初訪問である。本展は、朝鮮王朝(1392-1910)の絵画を通観すると同時に、室町・江戸絵画との影響関係を探る企画。そこで、日本国内の朝鮮絵画に、韓国の有名博物館からの出品を加え、さらに、宗達・若冲・桑山玉洲など、日本人画家の名品も見られるという、何重にもオイシイ展覧会なのだ。ただし展示替えが多いので、十分に注意されたし。上記の公式サイトに堂々と画像があがっている若冲の『百犬図』は、実は、栃木では出品されていなくて、巡回先の静岡でしか見られないらしい(いいのか、それって?)。

 展示は、第1部の朝鮮絵画史が「山水画」「仏画」「花鳥画」「民画」で構成される。いちばん面白かったのは花鳥画かな。韓国から、女流画家・申師任堂(シン・サイムダン)の『草虫図屏風』が出品されている(栃木のみ、全期間)。これは一見の価値あり。私はこの夏、韓国・江陵の申師任堂の旧居(烏竹軒)に行ってきたのだが、ソウルの国立博物館にある同作品は見られなかった。こうして日本でめぐりあうのも何かの縁に思われる。

 小さな虫や草花を愛しむように、鮮やかな色彩で丁寧に描かれた画面からは、不思議な幻想味がにじみ出している。虚空でホバリングする蝶々は精霊のようだ。ふと、イギリスの挿絵画家、J.J.グランヴィルの『花の幻想』を思い出した。若冲の作品(糸瓜群虫図とか)にも少し似ている。しかし、申師任堂の場合、士大夫の教養である水墨画に対して、伝統にとらわれない、女性ならではの美意識、と言ってみたくなるのだが、それに反応してしまう若冲って…。

 第2部の前半は、「描かれた朝鮮通信使」を特集。残念なことに、会場には解説が少ないのだが、この夏に出版されたロナルド・トビさんの『「鎖国」という外交』を読んでいれば、楽しみ倍増である。同書に掲載されていた絵画資料が、多数展示されているのだ。朝鮮通信使をアップで描いた(役者の大首絵みたい)『文化八年来聘朝鮮通信使画巻』には感激した。驚きだったのは、狩野常信が描いた『趙泰億像』(正徳元年の通信使正使の肖像画)が韓国国立中央博物館から出陳されていたこと。いつ、どういう経緯で韓国のものになったのか、興味深い。

 第2部後半は、朝鮮絵画の影響を受けたと思われる日本人画家の作品を紹介。若冲のタイル画(升目描き)のルーツは朝鮮の紙織画ではないか、という説が紹介されていたが、後者は市松模様(彩色と白色のマスが交互)なので、ちょっと違うと思う。宗達の『狗子図』は、なるほど李厳の『花下遊狗図』と、遠く響きあうものを感じる。でも宗達の子犬のほうがブサイクで、庶民の子っぽくて、愛らしい。

 最後は若冲の『菜虫譜』(佐野市立吉澤記念美術館)。これ、私は意外と見た記憶が少ない。2000年の京博の若冲展で、70数年ぶりに発見・公開されたというから、このときは見てるんだな。まず、冒頭の巻名の文字がいい。「菜」は人の顔みたいだし、「蟲」は3匹のヘビみたい。薄墨で埋めた画面(絹本)に、鮮やかな色彩の野菜や果物が躍る。深紅のヤマモモ、水色の慈姑、赤と緑のたらしこみで描かれたヒメリンゴ(?)。ジェリーか、飴細工か、お菓子のようでもあり、ごそごそと動き出しそうでもある。現物は前半(菜譜)しか開いていないが、展示会場の途中に、後半(虫譜)までの写真パネルが展示されている。しかも「これかな?」と思われる野菜や果物、昆虫の実物写真が、名前入りで並べてあるので(いや違うだろ、というのもあったけど)、ぜひ戻って確認するのをお忘れなく。

■佐野市立吉澤記念美術館:『菜虫譜』をムービーで!
http://www.city.sano.lg.jp/museum/collection/index.html

 なお、朝鮮絵画について予習するなら、別冊太陽『韓国・朝鮮の絵画』(平凡社、2008.11)がおすすめ。私は高麗仏画が好きなのだが、日本における高麗仏画は、中国製と誤認されることで生き延びてきた、という井手誠之輔さんの一文が興味深かった。
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楽園の内側/沖縄、だれにも書かれたくなかった戦後史(佐野眞一)

2008-11-28 23:01:40 | 読んだもの(書籍)
○佐野眞一『沖縄、だれにも書かれたくなかった戦後史』 集英社 2008.9

 沖縄へはまだ行ったことがない。子供の頃は、亜熱帯の楽園だと無邪気に信じていた沖縄の近代が、差別と抑圧の歴史であることを知ったのは、小熊英二の『「日本人」の境界』(新曜社、1998)がきっかけである。それ以来、沖縄の基地問題や利権構造にも、複雑な歴史の影が尾を引いていることを感じるようになった。

 けれども著者は、沖縄を被支配・被害者の島と見て、沖縄県民を聖者化する左翼プロパガンダ的(大江健三郎的・筑紫哲也的)言説にはうんざりだという。そこで、誰も書かなかった真実の沖縄戦後史を求めて「沖縄県警」「沖縄ヤクザ」「沖縄財界人」「沖縄芸能プロダクション」の4つのフィールドにアプローチする。

 暴力団どうしの抗争・リンチ、沖縄空手の武闘派アウトロー、闇に通じた財界の顔役、軍用品の略奪、密貿易、密航など、エピソードのひとつひとつは凄まじいけれど、あまり衝撃は感じなかった。沖縄が特別に野蛮で猥雑なわけではなくて、東京でも大阪でも、広島でも福岡でも、およそ、大きな声で語られない歴史というのは、こんなものなんだろう、という気がしたためである。

 鹿児島県出身の政治家・山中貞則(1921-2004)が、あらゆるえげつない手を尽くして、沖縄の利権を護り続けたということも初めて知ったが、こういう政治家と特定地域の結びつきというのも、たぶんここだけの話ではないだろう。それにしても、薩摩藩の琉球侵攻に贖罪意識を感じて、という出発点は興味深い。今日のアジア諸国に対して、こういう義侠心を発揮する政治家のひとり位いないのか、と思った。

 最後の章は、著者の取材中に起きた米軍兵士による少女暴行事件(2008年2月)と、防衛省前事務次官守屋武昌の逮捕(2007年11月)に触れている。「被害者の島」でない沖縄を語る、という本書の主題からすれば蛇足にも思われるが、私は、この章をいちばん感慨深く読んだ。殺人を任務とする海兵隊の実態が、生々しく語られている。ヤクザや売春婦は、日本のどこにでもいるが、こんな大量の殺人者集団と同居しなければならないというのは、やっぱり沖縄だけの、深刻な問題だと思う。

 つねに強者の顔色をうかがう沖縄人の依存体質(事大主義)が役人天国の温床となった、という指摘は厳しい。本土人が沖縄人を差別するように、沖縄人は奄美人を差別してきた、ということも初めて知った。沖縄は、内にも外にも、変えていくべき問題をたくさん抱えた島である、ということが分かったように思う。
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信濃木曽路旅行:「夜明け前」を歩く(馬籠~妻籠)

2008-11-27 22:48:04 | 行ったもの(美術館・見仏)
 連休2日目は、中津川駅前からバスで馬籠(まごめ)へ。木曽十一宿の最南に位置する馬籠宿は、島崎藤村の生誕地であり、小説『夜明け前』の舞台として名高い。私が『夜明け前』を通読したのは、つい2年前のことで、非常に感銘深かったので、一度、現地を訪ねてみたいと思っていた。

 バス停に下り立つと、既に観光地らしい賑わいが始まっている。観光案内所に向かう石畳の急坂の左右には、途切れることなく、みやげもの屋や食事処が連なり、御幣餅やソフトクリームを片手にぶらぶら歩きの観光客で賑わっている。山里の日本情緒を求めてか、西洋人の姿も多い。なんだか、できすぎた観光地だなあ、と思う(中国・雲南省の麗江を思い出した)。

 藤村記念館を見学。島崎藤村の旧蔵書と思われる大量の書籍が、壁面いっぱいのガラスケースに展示されていた。東北大の漱石文庫とか、東大の鴎外文庫とか、文学者の旧蔵書は大学図書館等に入ることが多いが、藤村の場合は、生まれ故郷に戻ったのだなあ。

 少し寄り道して、島崎家の菩提寺である永昌寺へ。びっくりしたのは、馬籠宿のメインストリートを一歩外れると、ウソのように人影がなかったこと。宿の中心部にある藤村記念館は見学客が絶えなかったが、みんな、正直なところ『夜明け前』なんか興味ないんだなあ。視界の開けた斜面の中腹には、藤村の父・島崎正樹(青山半蔵のモデル)の墓所があり、空に浮かぶ恵那山の威容が、悲劇の国学者を慰めているように思えた。

 それから、妻籠宿まで約9キロ(2時間半)の道のりを歩く。山道あり、村落あり、峠あり、滝あり、ほどよい高低差と風景の変化があって飽きない。昼過ぎに妻籠宿に到着。馬籠の観光案内所で預けてきた荷物が、ちゃんと先に届いていたのも嬉しいサービスである。

 妻籠では、この日(11/23)『文化文政風俗行列絵巻』が行われていた。宿場役人・武士・浪人・女旅・男旅などに扮した人々が、中山道を歩くというもの。カメラを構える観光客もわくわくするが、演じている地元の皆さんも楽しそうだった。



 当日の詳しい様子は『妻籠観光協会』のサイトから。道端でふるまい酒「木曽のかけはし」をいただき、そろそろ帰京の途につく。
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信濃木曽路旅行:中世の面影(松本~諏訪)

2008-11-26 23:30:03 | 行ったもの(美術館・見仏)
 長野新幹線の車内に置いてあった雑誌「トランヴェール」で気になる記事を見つけた。松本市の中心部の交差点に残る「牛つなぎ石」。これは、武田信玄が、今川・北条氏によって塩の供給を断たれ、窮地に立った折、越後の上杉謙信が送った塩を運んできた牛をつなぎとめたところだという。さっそく現物を見てきた。誰でも知っている物語だけれど、こんなふうに具体的な地点とピンポイントで結びついているのが面白い。山国の人々にとって、海岸線から運ばれてくる塩が、どれだけ貴重品だったかがしのばれる。



 松本を昼過ぎに離れ、諏訪へ。下諏訪神社の春宮、秋宮に寄る。それから上諏訪に出て、高島城へ。諏訪大社の大祝を務めてきた諏訪氏の居城である。武士と神官の性格を併せ持っていた点で、興味深い一族。でも、高島城の天守は、戦後の復興(鉄筋コンクリート造)だそうで、期待した味わいには欠けた。天下の名城・松本城を見たあとだったし…。下諏訪神社春宮では、諏訪氏の紋章「根あり梶」に強く惹かれて、めずらしくお守りを購入。



 夕闇の中を中津川まで下って、さらに1泊。
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信濃木曽路旅行:教育の近代遺産(松本市)

2008-11-25 23:17:11 | 行ったもの(美術館・見仏)
■旧制高等学校記念館

 たまたま連休前に松本に行く用事ができた。とりあえず1泊することにして、観光案内所でもらった市内地図を見ていたら、隅の方に「旧制高等学校記念館」という文字が目についた。旧制松本高等学校(その後は信州大学文理学部)の校舎を利用したもので、全国の旧制高等学校に関する様々な資料を集め展示しているという。ふむ、これは、竹内洋マニアとしては、行ってみないわけにはいかない。

 とはいえ、入口に立ったときは、ちょっと気後れを感じた。我ながら場違いな客だと思って…。最近は知らないが、私が子供の頃は、旧制高校OBによる日本寮歌祭というのがあって、汚い爺さんたちがガナリ立てる野蛮な姿がテレビで放映されていた。私の旧制高校に対する印象は最悪だった。それが改善されたのは、『学歴貴族の栄光と挫折』はじめ、竹内洋先生の格調高い旧制高校研究を読んで以来のことである。

 近代建築マニアでもある私が面白いと思ったのは、旧制高校の建築様式には「明治型」と「大正型」があること。前者は建物の前面が正門に正対しており、威風堂々とした印象を与える。後者は建物の角に玄関を設けたもので、正門から玄関までの距離が短く、アクセスが簡便である。いかにも大正デモクラシーの建築様式らしい(時の文部大臣・中橋徳五郎の名前を取って中橋型ともいう)。思い返せば、確かに古い大学校舎には、この2種類があるようだ。

  京城(ソウル)・台北・旅順に建てられた旧制高校の写真もあって、植民地においては、帝国の威厳を示すために、内地よりも立派な建物が建てられた、というのも興味深く思った。今はどうなっているんだろう、と思ったら、少なくとも京城帝国大学予科については、写真ルポを掲載した個人サイトを発見。

 それから、昭和10年頃の蓬髪(長髪)の旧制高校生が意外とカッコいいのに驚いてしまった。イマ風とまではいわないが、1970年代のアイドルスターが、無理やり羽織・袴を着せられたようにも見える。姫路高校の軽食堂では、カップにソーサーでコーヒーを飲んでいて、和服姿のかわいいウェイトレスさんも写っている。ずいぶんハイカラ・モダンだったんだなあ。と思えば、新入生を集めて先輩が怪談を語る歓迎行事(四高)とか。罪のない冗談と政治諷刺の入り混じった紀念祭(学園祭)の飾りつけとか。老成と童心、硬軟の同居する、学園生活が垣間見えて、面白かった。

■旧開智学校

 松本で、もう1箇所見たかったのは、旧開智学校。明治9年建設の擬洋風校舎に、江戸から現在までの教育資料を展示する教育博物館でもある。2人の天使が掲げる「開智学校」の額は、大工棟梁の立石清重(たていしせいじゅう)が、東京で目にした「東京日々新聞」のデザインを参考にしたものと言われており、これを確かめたかったのだ。「東京新聞」の版面はこちら。この2人組の天使、よほど人気だったようで、各社の新聞錦絵で大活躍している(→文生書院CD-ROM「日本錦絵新聞集成」)。



 しかしながら、館内の展示資料を見ると、昭和30年代の写真は、軒下に天使の姿がない。実は、教育博物館として生まれ変わる際に、創建当時の姿に復元されたものらしい。現在の天使は、意外と若くて、戦後生まれなのである。
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10人の学者たち/座右の名文(高島俊男)

2008-11-24 22:33:41 | 読んだもの(書籍)
○高島俊男『座右の名文:ぼくの好きな十人の文章家』(文春新書) 文藝春秋 2007.5

 2003年に『本の雑誌』が企画した「私のオールタイムベストテン」を敷衍して、「私の好きな著作家ベストテン」について各々1章を設けて語ったもの。取り上げられているのは、新井白石、本居宣長、森鴎外、内藤湖南、夏目漱石、幸田露伴、津田左右吉、柳田國男、寺田寅彦、斎藤茂吉(生年順)である。

 語り方はさまざまで、つまみぐい的にさまざまな著作を紹介しているものもあれば、1作品論に終始したものもある。いずれも有名人だが、初めて聞く話も多くて面白かった。新井白石は、吉宗に遠ざけられた晩年、自分が如何に優秀だったかを切々と友に訴える手紙を残しているらしい。目の前にいたら、ただの嫌なやつだが、数百年の歴史のフィルターを通して見ると、可笑しみも感じられる。

 津田左右吉もヘンな学者である。戦前、記紀に書かれていることは歴史的事実ではないと述べたことで、右翼から攻撃を受け、裁判にかけられる。戦後は逆に左翼にもちあげられるが、自分は心から皇室をうやまっていた、と言い続け、次第に反動学者と呼ばれることになる。「処世のへたな人だった」ということになるのだろう。こういう学者が、私も著者と同じで、嫌いではない。白鳥庫吉のゴーストライターをやっていて「著書も論文もたいがい津田左右吉に書かせたらしい」というのは初耳。これが本当なら、全10巻の『白鳥庫吉全集』って…?

 津田左右吉は独学の人だという。というか、上記の顔ぶれは、だいたい独力で万巻の書物を読んで、学問の核を形成した人々である(そうでなければ、名文なんて書けるわけがない)。そういう、今では少なくなった大学者の代表が、内藤湖南と幸田露伴。私はどちらも好きで憧れているが、「博学多識」の際立つ露伴と、独自に体型づけた「学識」の湖南という対比には、なるほど、と思った。湖南の「清朝衰亡論」(講演)、読んでみたい。1911年、辛亥革命が起きて、まさに滅びつつあった清朝を同時代史として論じたものだという。

 森鴎外については、子どもたちの書いた回想録のエピソードを用いて、理想的な父親であった鴎外の姿が活写されている。生涯、周囲の期待どおりに生きた鴎外が「一生懸命無理になまけて」みた結果が、文学なのではないか、という著者の言には、少しほろ苦いものがある。
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通じない「日本式」/現代中国の産業(丸川知雄)

2008-11-23 23:00:31 | 読んだもの(書籍)
○丸川知雄『現代中国の産業:勃興する中国企業の強さと脆(もろ)さ』(中公新書) 中央公論新社 2007.5

 中国における工業製品の製造と流通はどうなっているのか。本書は、テレビ、エアコン、VTR、携帯電話機、パソコン、自動車という具体的な産業に密着しながらこの問題を解き明かす。私は、同じような製品を生み出す過程なら、どこの国でも同じようなものだろう、と思っていた。ところが、日本と中国には、大きな違いがあるというのである。キーワードは「垂直分裂」。経営学でいう「垂直統合(製品の供給までに必要な、部品の製造や組立工程を単一企業のグループ内に統合することで、経営効率化を図ること)」の逆の事態をいう。

 実は、われわれ日本人のまわりにも「垂直分裂」的な工程を踏んだ製品はある。コンピュータはその代表的なものだ。日本企業のパソコンにも、インテル社のICチップ、マイクロソフト社のOSとアプリケーションソフトが使われている。しかし、コンピュータ以外――家電製品や自動車は、日本企業の場合、全て自社(グループ)製品で調達するのが慣習である。ところが、中国では、他社のブラウン管を組み込んだカラーテレビや、他社のエンジンを搭載した自動車が堂々と製造されているというのだ。

 しかも、カラーテレビのブラウン管などは、本来、互換性がないものに擬似的な互換性を産出することで、複数メーカーを競わせ、価格の抑制にも成功している。こうして、最も開発コストのかかる基幹部品には日本や韓国製品を利用しつつ、国内生産による低価格商品を実現した。中国の消費者は、製品機能の微妙な差異よりも価格重視であるため、日本製品は、一部富裕層向けのハイエンド商品を除き、中国市場では苦戦しているという。本書は日中企業の「実態」の比較に重点を置いているけれど、その背後には中国政府の、したたかな(自国の消費者の嗜好、企業の技術力の限界をよく知っている)政策誘導があるように思える。日本の企業経営者および経済官僚は、完全に負けているように思う。

 日本の「垂直統合」モデルは、きめ細やかな効率化や差異化に利点があるとされる。しかし、日本企業の携帯電話機の開発プロセスを読んでいると、わずかな差異のために費やされる膨大な開発コストは、本当に必要なのだろうか、と疑問が湧いてくる。もうちょっと中国式に簡素化してもいいんじゃないのだろうか。

 初めて知ったことのひとつは、最近まで中国でよく使われていたVCD(ビデオCD)という記憶媒体が、実は日本で開発されたものだということ。日本ではほとんど省みられなかったが、中国では、消費者のニーズにぴたり一致し、VCDプレーヤーは爆発的に普及した(中国ではTVドラマが繰り返し再放送されるため、録画機能の需要が薄い→VTR普及せず→安価でコンテンツ豊富なVCDが人気)。著者は、この教訓から、中国や他の後発国に移植すれば大きく育つ技術の種子が、日本企業の研究室にまだ多数埋もれているのではないか、と述べる。そうかもしれない。「グローバル・エコノミー」の時代というけれど、技術とか産業構造って、本当は、どこの土壌でも同じ種子から同じ花が咲くとは限らないのだ。

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書物は印刷から/ミリオンセラー誕生へ!(印刷博物館)

2008-11-19 22:50:02 | 行ったもの(美術館・見仏)
○印刷博物館 企画展示『ミリオンセラー誕生へ!:明治・大正の雑誌メディア』(2008年9月20日~12月7日)

http://www.printing-museum.org/

 幕末に生まれ、明治・大正・昭和にかけて、日本の大衆文化を支えた雑誌メディアの発展の過程をたどる展覧会。私は国文科の出身なので、かつて日本近代文学史はひととおり学んだ。そのとき、誌名だけは聞き覚えた雑誌――『団々珍聞』『明六雑誌』あるいは『しがらみ草紙』『ホトトギス』などを、目の当たりに見ることができる、なかなか感慨深い展覧会である。

 文学雑誌だけではない。津田仙が創刊した『農学雑誌』は、日本で初めて通信販売(トウモロコシの苗)を実施した雑誌だそうだが、その広告の隣りに正誤表欄が設けられていて、仮名一文字も見逃さない物堅さにびっくりした。明治初年の雑誌って小さかったんだなあ(B5版)とか、明治末年~大正初めから、カラー印刷が普及し、表紙が百花繚乱の趣きを呈するなど、「歴史の手触り」を感じることができる。

 やはり、異彩を放つのが宮武外骨。以前、外骨の業績だけを集めた展覧会も楽しかったけど、こうして同時代の雑誌の中においてみると、彼の突出した個性がよく分かる。印刷博物館らしい視点だと思ったのは、初期の『滑稽新聞』(1901年刊)の表紙は木版摺りだが、途中から新たな印刷技術に乗り換えていること。比べてみると発色の違いがよく分かる。

 本展の展示キャプションには、書名・出版者に加えて、分かる限りは「印刷者」が付記されている。なるほど。図書館の目録は、出版者が分かれば、あえて印刷者は記録しないルールになっているが、これって印刷業界から見たら、ずいぶん腹立たしいだろうなあ。雑誌ではないが、『西国立志編』の和装版11冊と洋装版が並べてあって、もと明治4年(1871)に木版で刊行されたものを、明治10年(1877)に、創業まもない秀英舎(現・大日本印刷)が「社運をかけて」洋紙を確保し、洋装版の印刷に取り組んだのだそうだ。

 後半、圧倒的に目を奪われるのは、伝説の国民雑誌『キング』の関連資料である。「雑誌王」野間清治が仕掛けた、なりふりかまわぬ宣伝戦略については、佐藤卓己さんの『キングの時代』(岩波書店、2002)に詳しいが、実際に使われたポスターや新聞広告が、こんなふうに残っているとは知らなかった。昭和2年の街頭写真には、広告のノボリと垂れ幕に埋め尽くされた、悪夢のような書店が写っている。『キング』の張リボテを背負った宣伝隊も。「日本一面白い!」なんてストレートな広告を、当時の人々は、どう受け止めていたのだろう。メディアは、知識や情報を運ぶだけではない。大衆の欲望の器でもあるのだ――と思った。それにしても、今日の大衆メディアであるインターネットの現状を、100年後の人々は見る(感じる)ことができるのかしら。
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読書と大学/学問の下流化(竹内洋)

2008-11-18 22:03:10 | 読んだもの(書籍)
○竹内洋『学問の下流化』 中央公論新社 2008.10

 amazonのカスタマーレビューにきわめて適切な評が載っていた。「この本は、実際には竹内先生による膨大な書評や雑文をコンパイルしたもので、題名である『学問の下流化』についてストレートに論じているのはたった8ページにすぎません!(略)竹内洋マニアならば面白いのかもしれませんが、書名のテーマについての手堅いハードカバー本を期待するとかなり肩すかしを喰らいます」云々。そのとおりである。ネットで本を買うことを習慣にしている読者には、ゆきとどいた忠告だと思う。

 私は、本は必ずリアルな書店で立ち読みする習慣なので、ああ、これは書評が主体だな、ということは、十分了解した上で購入した。「私も読んだ」という本の登場率は、けっこう高いように思う。例を挙げれば、橋本健二『階級社会』、井上義和『日本主義と東京大学』、立花隆『天皇と東大』、高田理惠子『学歴・階級・軍隊』、福間良明『「反戦」のメディア史』、服部龍二『広田弘毅』、佐藤卓己『テレビ的教養』など。私の読書傾向って、教育社会学者の関心とこんなに重なるのか、と可笑しくなってしまった。いや、竹内先生が雑読派すぎるのかもしれない。

 むろん私が「読んでいない」本もある。天野郁夫『大学改革の社会学』は、書店で手に取りはしたものの、専門書ふうの装丁とボリュームにひるんでしまった。本書の「(見た目よりも)読みやすい」という書評に励まされて、やっぱり読んでみようかと思い直している。原武史『滝山コミューン1974』(講談社、2007.5)は、全く見落としていた。不覚! 生活圏に質のいい書店がないとこうなっちゃうんだなあ。

 書評以外の部分では、大学改革に関する随想が面白い。「大学の『教科書』の昔と今」は、専門的研究書を教科書という名目で科目履修生に売り付け、その丸写しを提出することで単位を買う、大学教員・出版社・学生のセコい三角関係を開陳したもの。こんな暴露話をどこに書いたのだろう、と思ったら『大学出版』という大学出版部協会の雑誌らしい。

 関連して思ったことは、日本の大学図書館で、理想に燃える図書館員は、アメリカの大学に見られる指定図書制度が日本にないことを、いたく問題視する傾向があるのだが、本書を読むと、そもそも「教科書」というものの性質が、日米の大学で全く違う、ということが分かる。アメリカの教科書は、基本的に単著で(→ここが重要)その学問の標準知識は全て書かれており、辞書代わりにもなる。こういう教科書が日本の大学に普及しない理由はいろいろ考えられるが、彼我のハビトゥスの違いを無視して、一部の制度だけ模倣しても意味がないことは自覚しておきたい。

 本書のところどころにのぞくお人柄や私生活の断片も楽しかった。奥様に海外旅行をねだられたり、コンビニで女子高生に「おやじ!」と怒られたり。竹内洋マニアとしては満足です。
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