不適切な表現に該当する恐れがある内容を一部非表示にしています

見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

明治の洋画一家/五姓田のすべて(神奈川県立歴博)

2008-09-30 22:04:54 | 行ったもの(美術館・見仏)
○神奈川県立歴史博物館 特別展『五姓田のすべて-近代絵画への架け橋-』

http://ch.kanagawa-museum.jp/index.html

 幕末から明治初期、西洋絵画の制作と教育普及に功あった五姓田(ごせだ)派の画家たちを取り上げる。8月に前期を見に行ったのだが、展示替えが非常に多いので、できれば後期も見に行きたいと思っていた。最終日になんとか願いを叶えることができた。

 会場の入口には、五姓田派の画家たちの紹介パネルが並ぶ。始祖は初代五姓田芳柳(1827-1892)。その次男が五姓田義松。義松の妹が女流画家・渡辺幽香で、夫の渡辺文三郎も洋画家。二代芳柳は初代の養子。なんだ、みんな家族じゃないか、と驚く。会場には、そんな五姓田家の絵画制作の様子を描いた作品がいくつか出ていた。一見したところ、何の変哲もない日本の家族の肖像である。しつらえは、畳に押入れ、火鉢に鉄瓶。絣や縞の地味な着物。けれども、彼らは、当時の最先端技術とも言うべき洋画の習得に励む集団だった。義松の『五姓田一家之図』に描かれた、少女時代の幽香の、きりりとした意志的なまなざしと、くつろいだ自然なポーズは、とりわけ印象的である。

 五姓田義松はスケッチによる自画像を多数残している。25歳でパリに留学し、日本人初のサロン入選という偉業を成し遂げた、若き天才らしい驕慢さが表情によくあらわれている。けれども晩年はこれといった活躍もなく、不遇のうちに没したという。西洋画が、家内工業的な「技術」から、個の表現である「芸術」に移行するあたりで、時代の流れから落ちこぼれたのだろうか。

 山本芳翠もパリで本格的に洋画を学んだ。5点ほど並んだ女性像は、どれも美しくて見とれた。しかし、最も印象的なのは『浦島図』だろう。亀の背に乗り、女性のような長い黒髪を靡かせる浦島子。ちょっと寸足らずだが、あやしく腰をS字にひねったポーズを取る。亀のまわりに群れつどう、海のニンフたち。たとえば、ルーベンスが描く神話の世界を、無理やり和風テイストに変換したような作品である。浦島子が胸に抱く、工芸の極地のような薔薇色の玉手箱、背景に浮かぶタージマハルか、トプカプ宮殿のような(?)竜宮城など、興味は尽きない。

 おまけ。館内の売店で見つけた企画商品。食べられるカラーインクで画像をプリントした1口サイズのチョコレートである。いや、この絵じゃ売れないだろう(笑)と思いながら買ってしまった。



 10月から岡山県立美術館に巡回。関西・中国方面の美術ファンの皆さま、おでかけください。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本語で大陸を書く/延安(リービ英雄)

2008-09-29 00:07:20 | 読んだもの(書籍)
○リービ英雄『延安:革命聖地への旅』 岩波書店 2008.8

 私が著者の名前を知ったのは、たぶん90年代。日本語を母語とせずに日本語で創作活動を続ける不思議な作家として覚えた。90年代の終わりに、姜尚中氏との対談を聞きに行ったことがある。どこから見ても西洋人の風貌の筆者は、流暢な日本語の間に、ときどき短い中国語を挟みながら、最近はむしろ中国に惹かれていると話していたのを覚えている。

 2004年に『我的中国』と題された1冊が出た。「一千年前、中国人になったユダヤ人」の痕跡を求めて古都開封に赴く、私小説的中国紀行である。いわば、「越境」とか「マルチカルチュラル」とか、論壇で、あるいは大学の研究室で、カッコよく発せられる言葉の実態を、土の匂いのする陰鬱な路地裏に探しに行く物語。読んだのは、このブログを始める直前だったと思う。いつまでも続く眩暈のような読後感を書き残しておけなかったことが悔やまれる。

 そして、この夏、久しぶりに、中国に題材を取ったリービさんの新作『仮の水』と『延安』が出た。本書『延安』は、2006~07年に雑誌『世界』に連載されたもの。紀行エッセイ?ノンフィクション? いや、私は近代日本文学の伝統にのっとって、私小説(心境小説)と呼ぶのがふさわしいような気がする。

 延安は、現代中国にとって特別な土地(革命の聖地)である。けれども特別な土地の記憶は、却って、中国のどこにでもある光景を浮かび上がらせているように思う。紅色旅游ツアーに興じる都市の富裕層。千年前と同じように洞窟の家に住む農民。大都市の街頭で歌を披露する芸人夫婦。日雇いの職を求めて集まる男たち。結局、革命の意味とは何だったのか。著者は、意味に固執するでもなく、性急に否定するでもない。「死」の砂漠へと連なる、淋しく、貧しく、静かな黄土高原の只中に佇んで考え続ける。「(それは)いまだに解明されていない」と、夢の中で周恩来は囁く。たぶんこの「いまだに解明されていない」という状態に耐えられる人間だけが、中国という不思議な歴史の魅力にハマるのだと思う。

 本書の日本語は美しい。著者は、海から遠く離れた、過酷な風土を書くことは「ぼくにとって、日本語のチャレンジ」だったと語っている。確かに本書の日本語は、日本文学のあらゆる伝統から切り離され、孤立無援で、大陸の風景に必死で抗っている。その緊張感が、みずみずしい美しさを感じさせるのだと思う。また、日本語の間に挟まれる、著者が耳で聞いたままの中国語が効果的だ。ある外国語をネイティブのように習熟してしまったら、こういう紀行文は書けないだろう。異邦人にとって言葉とは、母語とは、外国語とは何であるかを考えさせられた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今年もたのしい/中国書画精華(東博)

2008-09-28 08:24:02 | 行ったもの(美術館・見仏)
○東京国立博物館・東洋館第8室 特集陳列『中国書画精華』前期

http://www.tnm.go.jp/

 毎年、秋に行われる『中国書画精華』。私は2004年から皆勤している。4年も通っていると、だんだん目新しさがなくなってくるので、5年目の今年は、まあ行かなくてもいいかな、くらいに思っていた。ところが、ふらりと行ってみたら、やっぱりすごい。

 この『精華』展には、東博の所蔵品ばかりでなく、他所からの借り物が数点混じるのだが、今年(前期)は、知恩院の『蓮池水禽図』(南宋・重文)が楽しい。お寺の什物とは思えない、あでやかな蓮の花。下地に使われた胡粉の白が、ピンクを引き立たせる。風にあおられたように大きく靡く蓮の葉。小さすぎる水鳥(鴨、白鷺)のびっくりした顔が可愛い。

 けれども、もっと可愛いのは、伝石恪筆『二祖調心図』。2005年に見ているので、個人的には3年ぶりだ。モップを丸めたみたいなトラが可愛すぎる(2枚目の画像ね)。月餅みたいにまんまるの顔は、離れて見ても、よく目立つ。梁楷の『六祖截竹図』は、刃物を手に、しゃがみこんで、竹を切ることに集中している男を描いたもの。思わず知らず引き込まれる。因陀羅の『寒山拾得図』(禅機図断簡の一部)は、見れば見るほどヘンな絵だ。――このへんは旧知の画家・作品が続いたのだが、隣りの『四睡図』に驚いてしまった。ペンによる細密画みたいなタッチで、厚みや重みを感じさせない、不思議な空間を描き出している。作者の平石如砥(ひんせきにょし)は、元代後期の禅僧だそうだ。

 あんまり刺激的な作品が続いたので、夏珪の山水画(これは万人向け)で精神的に一服。平ケースには、団扇形の初見(?)の作品が3点。また、有名な『雛雀図』は、顔を近づけてよくよく観察したら、籠の中に正面向きの子雀がいることに初めて気づいた。

 今年は、チラシを作って広報にも力を入れている様子。展示目録を見ると後期のラインナップも期待できるので、また来よう。八大山人の書を見つけて嬉しかったことも付け加えておこう。

 本館もひとまわり。六波羅蜜寺の仏像が去ったあとの11室(仏像)がどうなっているかと思ったら、これまで何度も見たことのある『文殊菩薩騎獅像および侍者立像 文殊菩薩像』(康円作、興福寺伝来)の彫刻群を、1ケースに1体ずつ分けて展示している。え、これって水増し策じゃない?と苦笑したが、いつも遠目に見ていた童形文殊菩薩、近づいてしげしげ見ると、悩める少年の表情が美しい。5つに結い分けた髷のそれぞれに、5体の小さな化仏が載っていることに初めて気づいた。「五髷文殊」って必ずこうなっているのだっけ。獅子を引く従者の于闐(うてん)国王の鼻筋の通った顔立ちもいいが、獅子の姿がないのが気になる。修復中かしら。

 追記。ミュージアムシアターでVR(バーチャル・リアリティ)映像『江戸城―本丸御殿と天守―』を見た。前回は東大寺・不空羂索観音の宝冠をテーマにした作品を見たのだが、やっぱりVR技術は、建築や街並みを再現するほうが向いていると思う。面白かった。東博はあまり宣伝に力を入れていないようだが(公式サイトTOPにも記載なし)週末はいつも満席である。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

地域のお宝/房総の仏像・仏画(千葉県立中央博物館)

2008-09-27 21:50:02 | 行ったもの(美術館・見仏)
○千葉県立中央博物館 千葉県の指定文化財展『房総の仏像・仏画』

http://www.chiba-muse.or.jp/NATURAL/

 もと千葉県民の友人に教えてもらった企画。千葉県内21か所の寺院・神社・地区から、21体の仏像と約30点の仏画・仏具などが展示されている。こういう、地域に散らばっている文化財を一堂に集めて展示してくれる企画は、本当にありがたい。

 優品は、おおよそ上記の公式サイトに画像入りで紹介されているとおり。私は、木更津市・長楽寺のずんぐりした薬師如来坐像が、愛らしくて好きだ。ヒノキの一木造だというが、金銅仏のように黒光りしている(平安初期)。鎌倉時代の銅造准胝観音立像は、40センチに満たない小像だが、つくりは精巧である。全部で十八臂あるが、持物が全て失われてしまったために、却って手の表情が美しく感じられる(うち二臂は、耳の横でガッツポーズしているように見えて可笑しい→写真あり)。

 仏画では、元末~明初と伝える絹本着色十六羅漢像(成田市・大慈恩寺蔵)の第十三~十六尊者が出ている。細密で濃厚な表現には「日本で描かれた仏教絵画には見られない特徴」があるというが、第十六尊者の図は、リアルな人物描写、きちんとした遠近感が、洋画を学んだ幕末の日本画を思い出させた。ちなみに、第一~十二尊者の図は、現在、大慈恩寺で公開中というお知らせが掲示されていた。

 成田市・迎接寺の鬼舞面も興味深かった。赤鬼・青鬼・黒鬼・黄鬼・白鬼と、五行が揃っている。角は1本だったり2本だったり、口を結ぶ者、呵呵大笑する者、さまざまだが、いずれも金目。宗達の風神・雷神に似た、ぎざぎざ眉の鬼面もある。全て「年代不詳」とあったが、民俗資料は、年代特定が難しいんだろうなあ、と想像された。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最後はノーサイド/のぼうの城(和田竜)

2008-09-26 23:58:08 | 読んだもの(書籍)
○和田竜『のぼうの城』 小学館 2007.12

 若い女性の間で「戦国ブーム」が起きているそうだ(→アサヒ・コム2008年9月13日記事)。若い女性に同調するのは面映いが、私も「戦国」がマイブームで、以前は関心がなかった時代小説にも、ときどきチェックを入れるようになった。本書は、近所の書店でずっと平棚の好位置をキープしているのが気になって、パラパラめくってみたら、舞台は行田の忍城(おしじょう)だという。おや、地元(埼玉県)ではないか。昨年の大河ドラマ『風林火山』にもチラリと登場したが、長尾景虎(上杉謙信)に帰順した成田長泰の居城である。

 物語は、謙信の忍城攻めからおよそ30年後。天下統一をめざす秀吉は、関東攻略に乗り出す。当主・成田氏長は、北条氏に加勢すべく小田原城に参じたが、実はひそかに豊臣方に内通していた。石田三成の軍勢が忍城に迫る。留守を預かるのは、成田長親。家臣や領民からは「でくのぼう」を略して「のぼう様」と呼ばれていた。智も仁も勇もないが、不思議な人気だけはある総大将「のぼう様」のもとに結集した、百姓を含む二千の軍勢は、三成率いる二万の大軍を相手に、絶対的不利の中で持ちこたえる。しかし、本城・小田原城の落城が伝えられ、忍城の人々は抗戦する意味を失い、開城を受け入れる。

 最後は「ノーサイド」の笛が鳴って、勝負が決着したスポーツみたいだ。敵も味方も、あまり人が死なないので、深刻な恨みツラミがなくていい。戦国時代小説とは思えない、妙にさわやかな読後感が残る。(結果は敗戦なのに)「スター・ウォーズ」第1作のラストシーンを思い出したりした。敵役の石田三成、大谷吉継が魅力的に描かれているのもよい。ネット上には「映画化企画進行中」の噂も流れているが、ぜひとも映像化してほしいと思う。

 忍城、一度行ってみなくては。石田三成が水攻めのために築いた長大な堤防の址「石田堤」も残っているそうだ。 
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

忘れられた始まり/貧民の帝都(塩見鮮一郎)

2008-09-24 23:55:53 | 読んだもの(書籍)
○塩見鮮一郎『貧民の帝都』(文春新書) 文藝春秋社 2008.9

 これは、なかなかすごい本だ。おおよそ明治維新から昭和の初めまで、首都東京の生活困窮者たちのありさまと、彼らを救うための施策・事業を、「養育院」を中心に追ったものである。とりわけ衝撃的なのは、江戸が東京に改まる前後の混乱ぶりである。「明治維新」の風景は、小説・映画・ドラマなどで見慣れたものだと思ってきた。にもかかわらず、本書からは、全く未知の光景が、霧が晴れるように立ち現れてくるのである。顔を背けたくなるような汚穢の臭気とともに。

 徳川政権が倒壊すると、支配層と富裕層は江戸を捨てて逃げ出した。大名が戻ってきた地方都市では、安定した旧態のモラルが続くが、貧困層だけが取り残された江戸は、これ以後「まったくちがう社会」に生まれ変わりを余儀なくされる。なんだか、首都東京の出生の秘密を知ってしまったように思った。

 囚人たちは、火事のときに行われる「切放(きりはなし)」が適用されて、牢屋敷から放出された。中間(ちゅうげん)・小物などの下級奉公人は、大名の帰国に従うことを許されず、置き去りにされた。首都の街頭は、乞食や、浪人であふれ、「飢えて途に横たわる者が数知れぬという有様」(渋沢栄一の回顧)だったという。危機感に迫られた新政府は、必死で実態把握につとめている。そのおかげで、捨子・縊死・行倒死人の数やら、各地の乞食の数やら(監督の任にあった頭が、調べて報告している)、実にさまざまな統計データがきちんと残っていることに驚く。まだ明治2年なのに!

 新政府は、東京府内の各所に救育所を設け、窮民を収容することにした。施設は良民対象と対象に分けられ、乞食の扱いに慣れたエタやは、囚人を管理・養護する側にあった。しかしながら、明治4年(1871)、解放令(賤称廃止令)によって制度が廃止されると、エタやの人々が果たしていた貧民救済の役割は雲散霧消してしまう。明治5年(1872)東京府は、乞食に米銭を与える行為は、彼らを怠惰にするだけだから、今後一切まかりならぬ(違反者は罰金)という、おそるべき布告を出す。現代の、皮相な自己責任論にもよく似ている。

 そんな中で、明治7年(1874)から東京府養育院の経営にかかわり、情熱的に奔走したのが、実業家・渋沢栄一だった。本書はまた、日本で最初の孤児院を創設した石井十次、救世軍の山室軍平、神戸のスラムに暮らした賀川豊彦にも、多くの紙数を費やしている。

 ところで、私が本書に引き込まれた最大の要因は、ゆかりの場所を考証した、数多くの地図である。窮民救済施設である救育所や養育院は、けっこう転々と動いており、短期的には、びっくりするような場所にも設けられている。たとえば、明治5年には、ロシア皇太子の来日を控えて、加賀藩邸に乞食240名が押し込められた。これは東大本郷キャンパスの南端のことだという。また、帝都の四大スラムエリア(鮫ヶ橋、万年町、新網町、新宿南町)と、現在の地図の重ね合わせも、興味深く眺めた。歩いたことのある場所は、どこかに「ああ、やっぱり」という記憶があった。現在の住民感情に配慮すると、こういう歴史を語るのは難しいのかもしれないが、私はひそかに本書を参照しながら、東京の街を巡ってみたいと思う。『アースダイバー』(講談社、2005)の中沢新一みたいに。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

下手も芸のうち/おまえが若者を語るな!(後藤和智)

2008-09-23 22:39:57 | 読んだもの(書籍)
○後藤和智『おまえが若者を語るな!』(角川Oneテーマ21) 角川書店 2008.9

 後藤和智氏は『「ニート」って言うな!』(光文社、2006)の著者のひとりである。本書では、90年代後半から2000年代初頭にかけて流行した若者論を検証し、批判する。批判の対象となるのは、簡単に人を殺したり、成人しても働こうとしない、「理解しがたい若者」の出現を、「彼らの生き方の枠組みが変わってしまった」という世代論で説明しようとする言論人たち。彼らの言説は、多くの通俗的な若者論の根拠となり、若者への排除や不寛容の源泉となっている、と著者は指摘する。

 たまたま立ち読みしたとき、『下流社会』の三浦展批判が目について、思わずニヤリと(同感)して、買ってみたのだが、あまり面白くなかった。三浦のほかには、宮台真司、香山リカ、東浩紀、鈴木謙介、寺脇研などが槍玉に上がっているのだが、私は、これらの論者は「掠って」はいるものの、あまり読み込んでいないのである。宮台真司は、アジア主義を語り出してからは少し読んでいるが、本書の批判の対象になっている、『サイファ覚醒せよ!』(2000)に至る、一連の若者論は読んでいない。香山リカも、『老後がこわい』(2006)みたいな身辺雑記系はいいけれど、大上段にナショナリズム(若者の右傾化)を分析した著作はいかがなものか、と思って、ご遠慮申し上げていた。なので、原著作をきちんと読んでいないため、著者による引用と、著者の批判を読み比べても、心から同意も反発もできず、中途半端な読後感だった。

 著者は、上記の論者の著作に対して、「統計データの検証が不十分」とか「自分の見聞した少数の例だけを根拠にしている」と、たびたび批判している。確かに、著者の批判は論理的に妥当なのだが、新書や選書の「著述スタイル」としては、仕方がないところもあるんじゃないか。データで語られるより、嘘でも「私はこういう若者に会った」を根拠として提示するほうが、一般読者には受け入れられやすいだろう。

 あと、香山が精神医学の病名を用いて若者を語るのも気に入らないらしくて、「直接診断しているわけではない」のに、印象論で勝手に決めつけていると憤っているが、そんなことは分かってるって。学者や識者と言われる人たちが、自分の専門分野の用語で、社会現象を語ってみせるのは、ある種の「芸」のうちだと私は思う。「芸」が見事なら拍手もするし、ひとりよがりの下手くそなら無視すればいい(ベストセラー『○○の品格』など)。これは、言論人の倫理よりも、むしろ読み手のリテラシーの問題ではないかと思う。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

20世紀の戦争/空爆の歴史(荒井信一)

2008-09-22 23:43:38 | 読んだもの(書籍)
○荒井信一『空爆の歴史:終わらない大量虐殺』(岩波新書) 岩波書店 2008.8

 戦争といえば空爆、というのは、当たり前のように思ってきた。しかし、人類は有史以来、戦争を繰り返してきたが、航空機が戦争に投入されるようになったのは20世紀のはじまり以降である。そして、「空爆」という戦術は、20世紀独特の戦争の悲惨を形づくることに大きく”寄与”してきた。このことは、既に多くの論者が触れているが、私の記憶に新しいのは、生井英考『空の帝国、アメリカの20世紀』(講談社、2006)である。

 1899年(ライト兄弟の初飛行=1903年より前!)、ハーグの列国平和会議は、飛行船や気球からの爆弾投下を念頭において空爆禁止宣言を出した。「一般住民を殺傷する可能性が大きいからであった」という箇所を読んで、まず驚く。宣言のすぐれた先見性と、しかしながら、これ以降の歴史が、宣言を全く裏切っていることに関して。

 当時の国際法は、文明国どうしが、住民の犠牲を最低限にとどめるために定められた。したがって、文明国対植民地の戦争では、この規定は通用しなかったのだ。西谷修氏も同じようなことを語っていたのを思い出した。文明国>>植民地の非対称性は、空爆する者>>される者の非対称性と重なり合うように思う。

 1921年、イタリアの将軍ジュリオ・ドゥーエは、これからの戦争は兵士と民間人の区別のつかない総力戦であること、それゆえ、戦時国家の基盤である民間人に決定的な打撃を加え、戦意をくじけば、戦争を早期に終結することができ、長期的に見れば流血を少なくするので、人道的だと述べた。著者が公平にも付け加えているように、ドゥーエ理論は、第一次世界大戦が塹壕戦によって長期化し、おびただしい人命が失われたことの反省から唱えられた一面もあった。しかし、結果としては、その後、長期にわたって、世界のあらゆる地域で、市民を標的とした無差別爆撃の正当化に使われ続けることになる(そして今日も)。

 本書を読んで、あらためて知ったのは、第二次世界大戦において、ヨーロッパ諸都市が体験した空爆のすさまじさ。ベルリン、ドレスデン、ケルン、ハンブルグ。ロンドン、カンタベリー、バース、ヨークもやられている。けれども、これほどの無差別攻撃の応酬をし合った国々が、EUをつくれるのは何故なのか。人々は空爆の記憶を「忘却」しているのか? なぜ同じことが、東アジアではできないのかを知りたい。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

連続シンポジウム『情報の海~漕ぎ出す船~』第1回

2008-09-21 22:30:09 | 行ったもの2(講演・公演)
○東大情報学環・読売新聞共催 連続シンポジウム『情報の海~漕ぎ出す船~』
 第1回 情報の海~マストからの眺め 

http://blog.iii.u-tokyo.ac.jp/news/2008/09/post_33.html

 この秋、9月から12月にかけて、3回連続で予定されているシンポジウム。第1回の基調講演は、立花隆氏である。私は同氏の『天皇と東大』(文藝春秋社、2005)が気に入らなくて、このブログでは、たびたび罵っているが、同氏の仕事を全て否定するわけではない。『宇宙からの帰還』(中央公論社、1983)とか『サル学の現在』(平凡社、1991)とか、サイエンス・ジャーナリズム系の著作には、いつも知的興奮を掻き立てられてきた。

 同氏はまず、「情報大爆発」といわれる現象の正体を明かす。確かに、近年、世の中に流通する情報量は爆発的に増えた。しかし、その大部分は「システム消費系」(コンピュータどうしの情報伝送)であって「人間消費系」の情報ではない。また「人間消費系」の中でも、増えているのは複製情報であって、原・発信情報は頭打ちである。また、人間の使える時間は有限であるから、情報消費量も限界に来ている。その結果、情報消費は「巨大なメディアの作るヒット商品」と「熱心な少数者が支えるニッチ商品」に二極化する傾向にある。たとえば、書籍は数万部売れればベストセラーといわれるが、実はテレビの視聴率1%=推定100万人に遠く及ばない。しかし、小数でも必ずお金を払う読者がいるために、活字メディアは意外としぶとく生き残っている。

 ここで、高価な情報商品の一例として、ブルームバーグの情報端末(年間200万円くらい)を実演紹介。これは、世界中の為替や証券取引に関する情報、関連ニュース等を網羅的に収集し、簡単な操作で何通りにも分析できる機能を持つ。クローズドの高速回線で、世界中のディーラーと情報交換し、瞬時に取引できるという。いや、びっくりした。私は経済に無知なので、その真価はよく分からなかったが、「無償」や「良心価格」を基本とする学術的なデータベースとは、全然、思想が違うことが感じられた。「売れる(稼げる)情報サービス」とはこういうものか。全く知らなかった世界が垣間見られて、貴重な体験だった。

 では、こうしたモンスター情報マシンを持たない一般の人々が、情報の海を航海していくには何が必要か。それは「自分は何が知りたいのか」という目的地設定であり、その基礎になるのは「自分に欠落しているものは何か」という認識である。人間は、情報を獲得することによって日々新しい自分になることができる。その場合、万人が認める「ユニバーサルな知」はもちろん必要だが、ロングテール(ニッチ商品)的な、個性ある情報こそ、人間の付加価値として重要なのである。――後半は、時間が押して駆け足になってしまったが、趣旨はよく分かった。投影されていたレジュメ、いいことがたくさん書いてあったので配ってほしかったのになあ~。ライターにとっては商売の種だから駄目なのかしら。

 第2部は、共同討議。しかし、パネリストが多すぎて(個々の報告に時間がかかり過ぎて)、意見の応酬がほとんど聞けなかったのは、企画の不備だと思う。せっかく刺激的な面子が揃っていたのに、かえすがえすも残念。

 個人的に興味深かったのは、まず、ヤフー・シニアプロデューサーの川邊健太郎氏が語った「Yahoo!ニュース」の仕組み。70~80社と契約し、毎日3,000本くらいが更新されているそうだ。この更新自体は機械的に行われているが、カテゴリーに分類する仕事と、トップページに掲載する8本(2~3時間で更新)を決める仕事は、20人くらいのスタッフがヒューマンな判断でおこなっているという。それから、「いかに長くYahoo!に滞在してもらうか」を考えた場合、ネットユーザーの時間を奪い合うライバルは、他社のニュースサイトよりも、まったり系の個人ブログであり、「きわめて非対称な戦いをしている」という話も面白いと思った。

 もうひとつは、読売新聞科学部で仕事をしてきた柴田文隆氏の体験談。2002年4月6日に飛び込んできた「クローン人間妊娠に成功」という眉唾のニュースネタに対して、限られた時間の中で、どのように事実関係を調査し、最終的にどう判断したかを語ってくれた。このとき、読売新聞は「信憑性がない」と判断して、10数センチ四方の小さな扱いにしたのだが、一面扱いにした別の全国紙もあったという。うーん。私は、このところ新聞というメディアを馬鹿にしてきたのだけど、こういう虚偽情報をブロックアウトするために人知れず払われている努力って、もっと評価していいなあ、とあらためて思い直した。何しても「安心・安全」って、タダでは手に入らないものなのね。

 第2回「図書館」、第3回「新聞」にも期待。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

右翼・左翼の枠を超えて/日本:根拠地からの問い(姜尚中、中島岳志)

2008-09-20 12:51:38 | 読んだもの(書籍)
○姜尚中、中島岳志『日本:根拠地からの問い』 毎日新聞社 2008.2

 出版されたばかりの本書を見たときは、迷った末に手を出さなかった。姜尚中氏の本は、だいたい読んでいる。特に対談ものは逃さないことにしている(このひとは、世代や立場の全く異なる人と対話するのがうまくて、意外と座談の名手だと思う)のだが、一方の中島岳志氏を、なんとなく胡散臭く感じていたのだ。なにせ、安倍前首相お気に入りのパール判事について書いた本が評判だったので、てっきり、コイツは「右翼」か、と思っていた。しかし、4月に『思想地図』Vol.1(NHKブックス)で、はじめて中島氏の実際の発言を読んで、私の思い込みが全くお門違いだったことを知った。

 ところで、姜尚中氏は一般には「左翼」と認識されていると思うが、注意深く発言を聞いていると「草の根保守」復権の必要性をたびたび主張されている。どうも、このひとは、社会党的「左翼」体質とは根本的に違う、と最近、感じるようになってきた。

 本書は、そんな2人が熊本(姜尚中氏の故郷)と東京を舞台に、近代「国家」日本の生成過程について語り下ろしたもので、左翼/右翼という、手垢のついた二分法を無効にする、スリリングな刺激に満ちている。

 本書には、左翼/右翼の枠を超えて、さまざまな個人・団体が登場する。著者たちが探し続けるのは、マーケットの論理を至上とするネオりべ的国家に対して、抵抗と連帯の世界観を示した人々である。「本来これは、左右で分けられないエートスなんですよ」と中島氏は言う。たとえば、戦前の玄洋社。宮崎滔天、内田良平などのアジア主義の流れ。鶴見俊輔が信頼をおいていた右翼の大物・葦津珍彦。権藤成卿や橘孝三郎の農本主義と毛沢東思想の親近性。熊本における谷川雁や水俣、炭鉱の運動。森崎和江。大政翼賛会に抵抗した鳩山一郎、吉田茂、それに中野正剛や笹川良一など。

 「日本における右翼の源流は、まさに自由民権運動から生まれた」という中島氏の発言、私は、同じことを坂野潤治先生の本で教えられた。十分に咀嚼できないまま、ずっと胸中に引っかかっているテーマである。だが、このことをきちんと説明できる理論でなければ、日本の近代史は正しく理解できないのではないか、と思っている。

 本書は、対談という形式の制約上、十分に整理されていない恨みはあるが、重要な思考の手がかりが、そこらじゅうに惜しげもなく曝されている。今後、2人の著者が、あるいは本書に刺激された誰かが、個々のケースをより深く追究した著作を書いてくれることを期待したい。

 とりあえずは、姜尚中氏の発言に頻出する岸信介。岸の世代に、ロシア革命と社会主義(ここでは、主知的に国家を設計する思想をいう)が与えたインパクトって大きいのだなあ。姜氏の執筆が予定されている講談社「興亡の世界史」シリーズ第18巻『大日本・満州国の遺産』で、詳しく論じてくれることを期待。果たして予定どおり刊行されるだろうか? わくわく、ハラハラ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする