見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

初訪問、九州国立博物館・平常展示(文化交流展)

2007-06-30 10:02:56 | 行ったもの(美術館・見仏)
○九州国立博物館 平常展示(文化交流展)

http://www.kyuhaku.jp/

 2005年10月に開館した九州国立博物館を初めて訪ねた。福岡には、2004年7月に来ていて、そのとき、大宰府の九州歴史資料館に寄った。同館内に、建築中の新・国立博物館の写真(高空から全景を撮影したもの)が飾られていて、うねる大波のようなガラス張りの威容が、何年経っても強い印象に残っていた。

 だから今回、太宰府天満宮の脇から専用エスカレーターで峠を越え、九博の建てものが目の前に現れたときも、初めてなのに懐かしさを感じた。写真のとおり、巨大なガラスの壁面に映った山なみが、周囲の稜線につながって、一瞬、「だまし絵」のように見えるのが面白い。



 3階の特別展示室は休室中だったので、4階の平常展示室(文化交流展示室)へ。中に入ると、とりあえず暗い。スポットライトの当たった展示ケースが島のように点在している。中央の大ホールは、曖昧にいくつかのセクションに区切られているようだが、各セクションのテーマを示す看板も、闇の中に遠慮がちに浮かんでいるだけ。最近よくある、固定的な順路を示さず「お好きなように回ってください」というタイプの展示室だ。私は上海博物館を思い出した。そういえば、ガラス張りの外観は天津博物館(高松伸設計→写真)に似ているかもしれない。

 さすが九州、と思ったのは、考古遺物の面白いものが多いこと。弥生時代の「机」には感激したなあ! 杉板でできた文机で、近世・近代のものと全く変わらない形をしている。福岡市出土。ほかに、半島文化の強い影響を感じさせる金属製の馬具とか、埴輪とか。大きな船の埴輪には驚嘆したが、よく見たら「三重県松阪市出土」とあって、それもまた興味深く思った。

 この博物館ができたら、周囲の博物館(九州歴史資料館)や寺院の文物は、全て集められてしまうのだろうか?と思っていたが、そうはならなかったらしい。観世音寺からは、仏像(塑造)の心木(顔の部分、かなり巨大)と、金箔を貼った平安の木造仏(釈迦立像か?)が出品されている。後者は、なかなか端正な名品である。だが、観世音寺の”お宝”巨大な馬頭観世音と不空羂索観音そのほかは、現地に残されたらしい。ちょっとホッとした。

 この博物館、よく見ていくと、他館からの借出品(寄託?)が非常に多い。兄弟館の東博、京博だけでなく、大阪東洋陶磁美術館、町田市立博物館、中近東文化センター、京大人文研など、実にさまざまなところからいろいろなものを借りている。広開土王碑の拓本が、埼玉県の「高麗神社蔵」というのも不思議だなあ。国内だけでなく、おとなり、韓国の慶州博物館や国立中央博物館からもずいぶん借りている。九州という立地を考えれば、こういう交流は好ましいことだと思う。

 ほか、興味深かったのは、高島海底遺跡(長崎県沖)で引き上げられたという元の軍船の遺物。1281年、第二次元寇のもの。大砲の弾や兜が痕跡をとどめている。韓国国立中央博物館の新安船遺物と見比べるのも興味深い。それから、対馬宋氏が日本と朝鮮の国交を円滑に保つため、偽造した木印。これ、大好きなのである。偽造印が重要文化財なのだから。何度か東京などで見ているが、ここに来ると常設で見られるのだな。

 また、遣唐使船の船倉を復元したコーナーがあって、それらしく、織物、仏典、什器、香辛料などが積み上がっている。部屋の狭いところがリアル。香料の匂いを嗅いだり、復元品に「触れる」のが楽しい。でも、この部屋くらい写真撮らせてほしかったのに「駄目です」と言われてしまった。再考していただけないものだろうか。
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博多みやげ

2007-06-28 11:55:25 | 食べたもの(銘菓・名産)
日付が変わるスレスレに福岡から戻りました。

空港で買った「酒種博多あんぱん」と「献上ジャムパン」。
私の明日の朝ごはんの予定。



ジャムぬったらあんぱーん♪(風林火山)を思い出してしまった。
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梅雨のアガパンサス【訂正】

2007-06-26 23:19:05 | なごみ写真帖
日曜日、横須賀美術館を訪ねたあと、鎌倉で途中下車。

アジサイ目当ての観光客がどっと繰り出すこの時期、有名寺院は避けて、
いつものように、駅前のおんめさま(大巧寺)と海蔵寺に寄る。

アガパンサスのすらりとした姿が目についた。



明日より九州に1泊出張。行ってきます。
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「NEW!」海の見える美術館/横須賀美術館

2007-06-25 23:36:12 | 行ったもの(美術館・見仏)
○横須賀美術館 開館記念特別展『近代日本美術を俯瞰する』ほか

http://www.yokosuka-moa.jp/

 神奈川県の三浦半島の西側には、神奈川県立近代美術館(葉山館)がある。最寄りのバス停で下りると、鎌倉の海と空を背景にした建物が見える。いつも太陽のふりそそぐイメージがある、明るい美術館だ。パンの美味しいカフェレストランは私のお気に入りである。

 と思っていたら、今度は、東側の観音崎に横須賀市が美術館を建てたというので、行ってみた。日曜日は残念ながら、冷たい小雨のパラつく曇天だった。山が海岸ぎりぎりまで迫っていて、西海岸とはかなり風景が違う。新しい美術館は、道路を挟んで海の反対側に、緑の山に優しく抱かれて建っている。

 開館記念企画展が2つ。『生きる』展は、現代作家9人の作品によるもの。私は、現代美術についてはあまり熱心な鑑賞者ではないが、立体オブジェ(しかも動くもの)は好きだ。ついでに、やたらに大きいものも好きなので、時間が来ると、赤ん坊の姿をした巨大なロボットもどき(ジャイアント・トらやん)が、いやいやをするように腕を振る、ヤノベケンジの作品に見とれてしまった。科学が明るい夢だった頃、手塚治虫の世界を思わせる。

 それから地下の『近代日本美術を俯瞰する』へ。第1セクションは「1900-1910年代」とある。黒田清輝ら第一世代の洋画家たちの活動が、文展(文部省展覧会)の開催というかたちで結実するとともに、その権威に反発する世代の活動が始まる時代である。なるほど、梅原龍三郎、岸田劉生、萬鉄五郎らはこの位置にくるのだな。

 そして、豊かな実りの時代を感じさせる「1920-1930年代」。安井曽太郎の『承徳喇嘛廟』(1938=昭和13年)は、私の大好きな作品である。これまで葉山の美術館で2回見ているのだが、何度見てもいい(公式サイトに画像あり)。山も雲も喇嘛の白塔も、音楽に合わせて体を揺らしているようだ。右隣りには同じ作者の『外房風景(太海)』。色は乏しいが、パズルのピースをはめたような岩山の描写が面白い。左隣りは梅原龍三郎の『城山』。深い緑陰に沈む日本家屋、紺の瓦屋根。鹿児島の風景を描いたものだという。

 戦争と復興の時代「1930-50年代」を見ていて、妙に目を引く作品があった。『南昌新飛行場爆撃の図』と題した横長の大作。透明感のある、明るい色彩。澄んだ青空では、今まさに砲弾飛び散る空中戦が行われている。一方、出撃前の戦闘機の座席には、きりりとした表情で振り返る操縦士。なんだかアメコミのヒーローのようだ。「右遠景、○○機。○○二空曹、△△一空曹」という具合に、モデルの名前が詳しく注されており、「海上自衛隊第一術科学校蔵」という但し書きも、尋常ならぬ由来を感じさせる。作者は藤田嗣治である。

 目を移すと、隣には『銃剣を持つ』と題して、銃剣を構えた兵士の後ろ姿を描いた作品。これも藤田の作品である。半ば軍帽の陰に隠れた兵士の表情は分からない。絵筆をぶつけたような手早い描画の跡。背景は空白のままだ。兵士は背中に担いだヘルメットの脇に、可憐な黄色い花の野草を挿している。藤田は、戦争画を描いたことで、のちに「半ば生贄に近い形で戦争協力の罪を非難された」(→Wikipedia)という。初めて実際の作品を見て粛然とした。
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ダンディ登場!/青山二郎の眼(世田谷美術館)

2007-06-24 23:42:18 | 行ったもの(美術館・見仏)
○世田谷美術館 企画展『青山二郎の眼』

http://www.setagayaartmuseum.or.jp/

 この展覧会、昨秋は、滋賀県のMIHOミュージアムで開かれていた。行きたくてウズウズしていたのだが、東京にまわってくるまでガマン、と自分に言い聞かせていた。

 青山二郎の名前が気になり始めたのは、松涛美術館の『骨董誕生』展の頃からではないかと思う。青山は「希代の目利き」で、いわゆる「骨董」世界の完成者といわれる。柳宗悦らの民藝運動を支え、白州正子や小林秀雄に古美術鑑賞を指南した。当初、私は骨董→おじさんと早合点していたが、青山が横河民輔の委託を受け、中国陶磁コレクションの図録『甌香譜(おうこうふ)』を作成したのは26歳の時だという。なんという早熟! 昨年、展覧会に行けない不満の埋め合わせに買って、時々眺めていた『天才 青山二郎の眼力』(新潮社とんぼの本 2006.8)の表紙を飾る写真も、鼻の下のチョビ髭がなかったら、高校生のような童顔である。

 さて、本展の構成は「中国陶磁」から始まる。若き青山が編集執筆した図録『甌香譜』(記憶では、大和文華館より出品)と、掲載作品である陶磁器(横河コレクションは、現在、東京国立博物館が所蔵)を、比べて見ることができる。ポスターにもなっている『白磁鳳首瓶』は、とろりとした餅肌が魅力。

 『自働電話函』という不思議な銘を持つ白釉黒花梅瓶は、私には初見か。青山が「これさえ手に入れば電話ボックスで暮らしても構わない」という理由で名付けたもの。私も大好きな磁州窯だが、黒の発色が十分に鮮やかでなく、全体に白い霞がかかったようである。また、下書きの茶色の線がところどころに見える。磁州窯の正統的な基準に照らせば、名品とは言えないのだが、どこかモダンな魅力がある。

 青山は、中国陶磁に関しては、もうひとつ『呉州赤絵(ごすあかえ)大皿』という図録も残している。呉州赤絵(福建の産、自由闊達な筆づかいが特徴)自体は、五島美術館などで、何度か目にしたことがあったが、こんなふうに大皿ばかりを並べて見たのは初めてのことだ。「赤絵」というが、緑あるいは青が必ず同時に使われていて、この寒色(特に青)が美しい。この「中国陶磁」のセクションでは、展示ケース内が淡い水色で統一されていた。最初、なんだか貧乏くさい色だなあ、と思ったが、赤絵の「青」の魅力を引き立てている。

 次の「李朝、朝鮮工芸」では、展示ケースの基本色はグレーだった。なるほどね。木工品もさることながら、白磁の美しさを際立たせる背景はグレーなのだな、と思った。ここで、朝鮮工芸の美の発見者、浅川伯教(のりたか)・巧兄弟の名前を覚えたことを付記しておこう。

 「日本の骨董」のセクションの基本色は薄茶。唐津の色である。萩、志野、織部などさまざまだが、唐津がいちばん多いように思った。なお、制作地にかかわらず、日本人が発見し、賞玩してきたものは「日本の骨董」であるという立場から、このセクションには李朝や唐物の陶磁器も混じっている。私が気に入った『刷毛目徳利』は、両手を広げたエイリアンみたいな奇妙な文様が描かれている。李朝の作だ。全体に粉をふいたような風合いが『自働電話函』に通ずる。

 そのほか、骨董コレクションは、蒔絵、香炉など各種。さらに青山が手がけた装丁や写真、油絵も見ることができる。生涯、仕事らしい仕事はせず、高等遊民の生涯を全うして1979年没。欲の多い凡人には真似のできない、いさぎよさに憧れる。
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中国人の論理/街場の中国論(内田樹)

2007-06-23 23:49:35 | 読んだもの(書籍)
○内田樹『街場の中国論』 ミシマ社 2007.6

 前作『街場のアメリカ論』を見たときも、タイトルに不思議な印象を持った。「街場(まちば)」というのは、字を見れば意味は分かるが、私はあまり使ったことのない言葉だったからだ。本書の「まえがき」によれば、「街場のふつうの人だったら、知っていそうなこと」に基づいて、中国(アメリカ)を論じよう、という意図だという。どれほどインサイダー情報に通じていても、推論する人自身に主観的なバイアスがかかっていれば、情報評価を誤る。むろん、誰でも主観的なバイアスは避けられないものだが、大切なのは、それを「勘定に入れる」習慣を持つことだ。

 私は、著者の中国論におおむね賛成する。特に、現代中国の外交政策に「中華思想」の伝統を読み取る段は面白かった。中華思想は、中心から辺境に向かって、段階的に「王化」が及ぶと考える思想である。そのため、中国人(漢民族)には、国境線を明確化すること自体に強いアレルギーがある。台湾にしろ、尖閣諸島にしろ、中国はそれを完全に自国の内側に領有したいのではなく、当分(というのは、数百年のスパンで)曖昧な「棚上げ」の状態にしておきたいのだ。

 これ、『属国と自主のあいだ』や『清帝国とチベット問題』を読んできた私には、すごくよく分かる。でも、分かるかなあ、国と国との間には国境線があるのが当然だと思っている普通の日本人に。ついでにいうと、中国が日本の教科書や靖国問題に発言して、「内政干渉だ」と日本のナショナリストを憤激させるのも、「内」と「外」の感覚が違うせいではないかと思う。

 隣人としては困ったものだが、伝統は簡単に捨て去れるものではない。かくいう日本も、「華夷秩序の端っこ」という、長年の立ち位置が身になじんでいればこそ、戦後は、アメリカを「中華」とする新たな華夷秩序に安住していられるのだ、という著者の指摘には苦笑した。「突き詰めれば『中華に媚びる』のが日本の伝統だからです」というのは、これもナショナリストを憤激させそうな物言いだが、その伝統的な立ち位置ゆえに、松岡正剛さんのいう『日本という方法』(=異質な文化を編集する)もあり得るのだと思う。

 もちろん、中国の内政が実際に「王化」や「徳治」というタームの通りに進行しているわけではない。その点に関して、著者は冷めた認識を持っている。そもそも「日本を統治できる政治家なら同じ技量で中国も統治できる」というのは、日本の政治家、評論家、一般大衆が抱きがちな誤解である。彼我のリスク・スケールは桁違いに大きい。13億人を統治するために必要なマヌーヴァー(攻略)は、はるかに狡猾で非情なものにならざるを得ない。

 ここは「中華思想」の段より、さらに分かりにくいところだと思う。著者自身、毛沢東や周恩来の内面の「ロジック」をつかみ切れていないのだ。この人たちは、ついに自分たちの複雑な胸の内を明かさず「墓場まで持って行った」。表面世界に残されたのは、単純明快なスローガンだけ。しかし、その複雑怪奇な二重構造が、近代中国政治史の魅力でもある...と私は思っている。
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親密なメディア/大衆新聞がつくる明治の「日本」 (山田俊治)

2007-06-22 22:50:46 | 読んだもの(書籍)
○山田俊治『大衆新聞がつくる明治の「日本」』(NHKブックス) 日本放送出版協会 2002.10

 私は、新聞を読む習慣を、20年以上も前に失くしてしまった。いま40代後半の私が、同世代の人々にそう打ち明けると、えっと呆れた顔をされる。そのかわり、日本における新聞メディアの草創期には非常に興味があって、ときどき、関連書を読みたくなる。

 日本における新聞の発行は、幕末の外国人居留地で始まり、明治に入ると、政治的な言論を展開するメディアとして、一定の階級層に認知されるようになった。従来、新聞の発達史は、これら知識人向けの高級紙=大(おお)新聞の消長を通じて記述されてきた。

 しかし、一方には社説を掲げず、雑報を主とする、多くの小(こ)新聞があった。政治的に無関心で未熟な民衆が、体制の変革と新しい国家像を受け入れるにあたって、決定的に重要な役割を果たしたのが、小新聞である。そして、彼らが学び取った「マスメディアを通じて世界を認知する」という所為は、いまの私たちの原型と言ってもいいのではないか。このような問題意識のもと、本書は、実際に代表的な大衆新聞『読売新聞』の紙面を読んでいく。

 まず、新聞の文体にびっくりした。記者(編集者)と読者の距離が、信じられないほど近いのだ。記者は「皆さんに一言申置ます」と語りかけ、読者(投稿者)は記者に向かって「あにいハゑらいよ」と応じる。「あにい」(!)というのは記者のことだ。ええ~。TVキャスターならともかく、新聞記者に、こういう親しみを感じた経験は、私にはない。そもそも特定の個人が新聞記事を書いていると想像することが少ない。それに対して、この親密さは、なんだかネットでのコミュニケーションを思わせる。有名人のブログに、コメントを書き込む感覚に近いのではないか。

 大衆新聞は、虚実を問わず、センセーショナルな珍話奇説を取り上げ、読者は、道徳的懲戒という名目のもと、他人の私生活を覗き見て、スキャンダルを貪欲に消費した。その結果、新聞の種になることを恐れる気持ちが大衆に共有され、よく言えば、社会規範の内面化が進行したが、一方では、スキャンダルを悪用して、他人を陥れる事態も生じた。このへんも、いまのネットの状況によく似ていると思った。

 新しいメディアって、いつも、こんなものなのか? 無法で親密なコミュニケーションから始まって、影響力が増すに連れ、国家権力の統制下に入って、毒性は薄まるけれど、顔の見えない”マスメディア”に退行していく。 いまの新聞は、未来のインターネットの姿なのか、否か。そんなことを考えさせられた。
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映画・パッチギ!LOVE&PEACE

2007-06-21 22:12:39 | 見たもの(Webサイト・TV)
○井筒和幸監督『パッチギ!LOVE&PEACE』

http://www.pacchigi.jp/loveandpeace/

 前作は、公開から間もない時期に見に行ったら、映画館はガラガラだった。しかし、ずしりとくる感動があって、たっぷり泣かされた。その後、次第に評判が上がるのをうれしく思いながら見守っていた。

 今作は、前作に比べると最初からメディア露出度が高かったと思う。イデオロギー的な悪評を除くと、「熱い感動」「心暖まる佳作」のような好評価ばかり聞こえていたので、また泣かされるかな~と思って見に行った。結果、それほどでもなかった。うーん。やっぱり、「戦争」というテーマが重過ぎるのか。戦争映画のヒロインとして「お国のために死んでほしい」という台詞を言わされたキョンジャが、舞台挨拶で、自分の父は朝鮮人の逃亡兵だった、父が生きのびたおかげで自分がいるのだ、という告白をするのがクライマックス・シーンなのだが、どうも直球過ぎて感動が湧かない。

 でも、映画やTVドラマの感想の書き込みをネットで見ていると、最近のエンターテインメントは、直球でないと受け入れられないらしい、と感じる。小説で「行間を読む」訓練を積んでいれば、当然、読み解ける(と思われる)演出が、多くの視聴者には分からないらしいのだ。最初、私は本当にびっくりしたが、だんだん状況が分かってきて慄然とした。

 新人女優として、特攻隊員の恋人を演ずるキョンジャは、「お国のために死んでほしい」ではなく、「生きて帰ってきてください」と言うべきだと主張し、われわれ観衆は、どっちに賛同するかを迫られる。分かりやすい。しかし、分かりやす過ぎる。Aの言葉にBの感情を込めるとか、Cの本心を隠してDの表情を装うというのは、当たり前の大人の振る舞いであり、そこに文学の生まれる余地もあったはずなのだが...

 全体としては、愚昧だったり、狡猾だったり、非合法だったりする主人公たちの行為を、それでも(”生きる”ためであるならば)肯定的に捉えるという視点が貫かれていて、好ましい。なのに、何故、根幹のテーマにかかわるところを、あんな単純な二項対立の図式で言語化してしまったかなあ、と惜しまれる。クライマックスの直後、乱闘シーンになだれ込むのは、制作者の照れかくしなのではないかと疑った。

 Wikipediaが本編を「前作のような泣いて笑えるテンポの良いエンターテインメント的な物語展開は抑えられている」「音楽と物語との関係、バランスはいまいち」と評しているのは、おおよそ妥当な線である。

 たまたま見終わったあとに、井坂俊哉、中村ゆり、桐谷健太によるトークショーがあって、握手キャンペーン続行中の井坂俊哉さんに握手してもらった。作品の出来は別として、彼、いまどきの若いお父さんぽくって、いいよなー。
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錨を降ろす/フューチャリスト宣言(梅田望夫、茂木健一郎)

2007-06-20 22:18:40 | 読んだもの(書籍)
○梅田望夫、茂木健一郎『フューチャリスト宣言』(ちくま新書)

 梅田望夫さんの本は、昨年の『ウェブ進化論』以来である。ノー天気なウェブ・テクノロジー礼讃論は大嫌いだ!とか不平不満を言いながら、また読んでしまった。それは、著者が決して「リアル」を軽く見ているのでないことが分かるからだ。

 梅田さんは、ネットとリアルは「行ったり来たりする」別の世界である、という。両者は対立するものではないし、どちらかだけあればいいものでもない。ネットの中に長い時間いると、逆に「将棋の盤や駒のいいものがすごく欲しくなる」そうだ。一方の茂木さんも「アインシュタインやニュートンがやったような古典的な知の世界をどこかで信じている」という。こういう本音を抱えるおふたりが語るインターネット論だからこそ、読み甲斐がある。

 梅田さんが興味深いことを述べている。彼のブログには(1日)8000くらいのアクセスがあるが、ネット上での人間関係は次第にパターン化してくる。ところが、本を書くと「もっと広い感じ」の反応がネットに返ってくる。不思議なことに、数十万部、数百万部出ている雑誌や新聞にインタビュー記事が載っても、それについての書込みはほぼゼロに等しい。これは「何か本質的なことを意味してはいないだろうか」。

 茂木さんが答えて、本というのは「ネットの海、情報の海に、空から降りてくるときに、錨をおろすリファレンス・ポイントになるんですね(雑誌は、そういうポイントにならない)」と述べている。錨(いかり)か――! このイメージ、自分がもやもやと感じていたことが、鮮烈に表現されていて感激した。 「本」は「古典的教養」と言い換えてもいいと思う。

 両氏は、インターネットとは「公共性」を学ぶ場であると考えているようだ。いまや膨大な数の日本人がブログを書いていることについて、茂木さんは「日本人がパブリック・ライティングの訓練をする、歴史的な教育機会」だと述べている。分かる。私がこうしてブログを書き続けるのも、自分の考えを”ある程度”公共のことばで語る、というレッスンが面白くてならないからだ。しかし、このレッスンは、時に非常に不愉快な体験を引き起こすこともある。

 新しいメディアは毒性も強い。しかし、それを乗り越え、毒を薬に変えていかなければならない。無茶なようだけど、毒を毒と認識していない楽観論や、危険は遠ざければいいという消極論よりも、建設的だと思う。大切なのは、各人が不特定多数の声にさらされる体験を通じて、自分の感情をコントロールする方法を学ぶこと。つまり、ネット時代のリテラシーは「感情の技術」だという。私は、リテラシーって「していいこと」と「悪いこと(=自分に不利益な結果が返ってくること)」を判別する、知的な能力だと思っていたから、「感情の技術」という表現はとても新鮮に感じた。

 政府のエライ人たちは、今の日本の若者が、自己中心的で公共精神に乏しいということを盛んに言いつのっている。道徳教育を復活することで軌道修正しようと躍起になっているらしい。だが、両氏は、日本でも、インターネットとともに育った若い世代からは、やがてウィキペディアのような「公共的なもの」が出てくるのではないかという。なぜなら、インターネットカルチャーの本質は「公共性」と「利他性」であるから。未来予測として、どちらが正しいと思うかと聞かれたら、やっぱり著者たちとともに「ネットの側に」賭けてみたい。
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「紙」のアドヴァンテージ/希望の書店論(福嶋聡)

2007-06-18 22:08:43 | 読んだもの(書籍)
○福嶋聡『希望の書店論』 人文書院 2007.3

 ジュンク堂池袋本店の福嶋さんの本――と書こうとして「著者略歴」を見たら、2007年4月から大阪本店の店長になられたそうだ。知らなかった。本書は、1999年から現在まで、人文書院のホームページに連載中のコラム「本屋とコンピュータ」を核に、書き下ろしを加えたものである。連載開始当初の文章を読むと、なんだか大昔の話のような気がした。8年前なんて、実生活では、つい最近のはずなのに。

 たとえば、当時の在庫データベースは前方一致でしか検索できなかったそうだ。書名の先頭にカギ括弧が来るか来ないか、”「”なのか”『”なのかで見落としが発生してしまう。外国人の著者名がカタカナで入力されているかアルファベットを使っているか、姓名のどちらが先か等、「データベースに記されたものは、入力した人の判断(や癖、趣味)によっており、恣意的と言ってもよい」状況だったという。ええ~。1999年なら、既に図書館には書誌データベースのノウハウは相当に蓄積されていたはずなのに。それを使おうとか提供しようとかいう発想は、お互いに無かったのだろうか。

 ともあれ、その後、状況は大きく変わった。近年は「インターネット」や「オープン・ソリューション」「Web2.0」などの言葉を抜きにして、書店や出版を語ることはできなくなってしまった。流通システムの変化だけでない。アマゾンやグーグルが書物のコンテンツそのものを取り込んで提供しようという動きは、本という商品形態それ自体を脅かしているとも言える。

 しかし、著者は、リアル書店で「紙の本」を売ることの意味を、なお信じるという。「新しいメディアが登場してくればくるほど、むしろ『紙の本』のアドヴァンテージが浮き彫りになってくる面もある」というのだ。この指摘は、直感的に正しいと思う。

 作家・保坂和志氏は「読書とは第一に、”読んでいる精神の駆動そのもの”のことであって情報の蓄積や検索ではない」と述べているそうだ。分かる。この「精神の駆動」こそが「読書の快楽」の本体である。そして、「精神の駆動」の装置として、「紙の本」には、ネットに勝る点があると思う。たとえば、他の機器が要らず、携帯に便利で、物理的にもコンテンツの面でも「堅牢」であること。

 それと、見識ある書店員が流通のゲートキーパーとして介在している点も、「紙の本」のアドヴァンテージなのではないか。地下鉄サリン事件のあと、オウム関連の書籍をジュンク堂がどう扱ったかという一段は、書店の責任について考えさせられ、アルゴリズムで検索順位が決まるネットの世界とは、一線を画しているように思った。
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