見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

日本陶磁器の名品いろいろ/出光美術館名品展II

2006-11-30 22:20:47 | 行ったもの(美術館・見仏)
○出光美術館 開館40周年記念展『出光美術館名品展II』

http://www.idemitsu.co.jp/museum/index.html

 アメリカ旅行記を書いている間に、いろいろ「見たもの」「行ったもの」の未掲載分が溜まってしまった。取り急ぎ、行こう。

 出光美術館では、所蔵名品展の第2弾を開催中。春の第1弾『絵巻・室町屏風と中国陶磁』(前期後期)に続き、今期は『競い合う個性-等伯・琳派・浮世絵・文人画と日本陶磁』という副題が付いている。

 最近の興味に従うと、いちばん心が動いたのは、日本磁器である。仁清の『色絵芥子文茶壺』は、京博の『京焼』展で見てきたばかりだが、再見できて、とても嬉しかった。私はこの壺を、これまで何度もこの会場で見てきたはずだが、全く気に留めたことがなかった。それが、突然、憧れの存在に変身してしまったのだから、美術品の魅力というのは不思議なものである。

 それにしても艶っぽい壺だ。華やかな色絵に目を奪われがちだが、肌理もいいし、形もいい。触ってみたくて、手のひらがうずく。両手をまわしたら、細身の女性を抱くくらいの抱き心地ではないかしら、と想像する。張りを感じさせるふくらみもいいし、裾のきゅっとしたつぼまり方もいいのよね。『京焼』の展示ケースでは、三方向からしか見ることができなかったが、今回は、ぐるりと周囲を一周することができ、芥子花の疎と密が、動的なリズムを作っていることが分かる。

 『絵唐津柿文三耳壺』も、初見だと思ったが、実は何度か見ているのかもしれない。かわいいなあ~。『月刊やきものねっと』2004年3月号に写真あり。出光美術館の荒川正明さんが「柿の木か、梅の木か、本当は分からないのですよ」とおっしゃっている。私は、てっきり「梅」だと思っていたので、さっき、ネット上の展示目録をチェックしながら、「梅文の古唐津がない!?」と困惑してしまった。ひょいと片手で持ち上げられそうな大きさで、梅干しを入れたら似合いそうなのだ。

 桃山時代(16-17世紀)美濃窯で焼かれた「黄瀬戸茶碗」という焼き物も初めて認識した。銘『春霞』だっけな? 夕張メロンのような色合いが可愛い。茶の湯って、渋いおじさん趣味の世界だと思っていたが、可憐な花一輪の装飾が加えられた器は、どう見ても女性好みだと思う。柿右衛門の『色絵花鳥文角瓶』は、鳥のトボケた表情が魅力。日本の染付だなあ、と思う。

 絵画では、ずっと気になっているにもかかわらず、なかなか、まとめて見る機会のない画家、冷泉為恭の『雪月花図』が興味深かった。双幅で、1枚は雪山、1枚は月下の山容(梅・松が見える)を背景に、モノクロで吹き抜け屋台を描き、彩色で王朝風の人物を配した作品である。吹き抜け屋台の建築構造や調度品が、遠近法を厳格に守り、細部までリアルに描き込まれていて、にもかかわらず墨一色というのが、倒錯した幻想味を醸し出している。
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書物とともに/中国出版文化史(井上進)

2006-11-29 22:36:43 | 読んだもの(書籍)
○井上進『中国出版文化史:書物世界と知の風景』 名古屋大学出版会 2002.1

 このところ、アメリカ関連本ばかり読んでいたので、漢字文化の本が読みたくなって、つい買ってしまった。しかし、手を出すのは出張が終わってから、と自分に禁じていたら、著者の久々の新刊『書林の眺望:伝統中国の書物世界』(平凡社 2006.11)が、書店に並んでいるではないか。嬉しいけれど、ちょっと慌てた。まずは旧著から読んでいこう。

 本書は、中国の書物世界の歴史を概観したものである。「出版史」とは言いながら、記述は、印刷本のはるか以前、中国文明において「書籍なるもの」が成立した時代から始まる。孔子の生きた春秋時代(紀元前6世紀)には、既に「読書」というタームが成立し、「自著」の意識が芽生え、支配階級や民間の学者には「蔵書家」が現れた。ただし、当時の「書籍」の形態は、当然、竹簡である。

 魏晋以来、紙の使用が一般化し、唐代に印刷術が登場する。宋代には、知識階級の拡大(旧貴族の没落→士大夫の成立)に伴って、営利出版と書籍の売買が、いちじるしく発達した。しかし、やはり、伝録(鈔写)は、知識の正当な伝達形態であり続けた。

 明初、出版の俗化と衰退を経て、明中期(16世紀)に至って、書籍業界には新紀元が訪れる。書物一般は金で買えるものとなり、非特権身分の蔵書家も一般的になる。同時に、知識の相対化が進み、異端・異説が許容され、通俗文学が認知される。読書に惑溺する楽しみを隠そうとしない者も現れる。

 以上は、本書の記述を雑駁に要約したものだ。中国の歴史と、あまりにも親密に付き合いすぎている私(たち)は、孔子が「読書」と言えば、つい、糸綴じの冊子本を思い浮かべてしまう。唐代の詩人が人気を博したと言えば、彼の詩集が印刷されて出回ったようにイメージするし、宋代の学者が善本を求めるといえば、本屋に買いに行くことだと考える。

 そうした思い込みが、本書では、ひとつひとつ具体的な事例と考察によって、覆されていく。古代の「蔵書家」とは、いったい、どのくらいの量の書籍を持っていたのか? たとえば、蔵書「数百巻」といえば多いか少ないか?(→多くない。西洋の書物と違って、中国の古典籍は巻数が多く、たとえば『史記』は1作品で百余巻ある) 本はいくらで売り買いされたのか? 書店はどこにあったのか?等々。

 宋代、書籍を買うなら開封の相国寺の市(月に5度)が有名だったとか、明代には、江南の水路を書船(書籍を売る船)が往来していたと聞くと、訪ねたことのある当地の風景が思い出されて、想像が広がる。

 明初には『史記』を読もうとしても善本が廃絶して入手困難だったとか、異端書の極致『墨子』は、二千年近くを鈔写で伝わったのち、明の正徳年間に初めて「出版」された、などのエピソードからは、今日、ひとしなみに「古典」と呼ばれる作品も、それぞれ個別の享受史を持っているのだということを、あらためて感じた。

 さらに興味深いのは、著者によれば、書物に現れた明末の文化情況は、伝統的な権威が完全に崩壊する臨界点まで行っていたにもかかわらず、そうならなかったという点だ。「営利出版の氾濫は退潮に向かい、いよいよ表舞台に登場しそうであった通俗文学も、再び裏通りに押し込められた」と言う。よって、本書には、清朝の記述はない。清朝びいきの私には残念なのだが、この、一気に沸点まで行きそうで行かないところが、「中国史の中国史たるゆえん」だという気もする。
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祖国への呪詛/ふらんす物語(永井荷風)

2006-11-28 00:21:50 | 読んだもの(書籍)
○永井荷風『ふらんす物語』(岩波文庫) 岩波書店 2002.11改版

 アメリカ行きが決まったときから、まず『あめりか物語』を読んでおくとともに、帰路は、この本を読みながら帰ろう、と決めていた。しかし、結局、飛行機の中ではあまり読めなくて、日本の日常生活に戻ってから読んだ分量のほうが多い。

 本書は、4年間のアメリカ生活を経て、憧れのフランスに渡り、英国→紅海→インド洋→シンガポール経由で帰国した荷風が、明治41年(1908)の『あめりか物語』に継いで、明治42年(1909)に発表したものである。文学史的には有名な作品だが、今回、初めて読んで驚いたことがいくつかある。

 ひとつは、やはり、荷風=フランスびいきの先入観に反して、「あめりか」の刻印の深さ。本書は、「ニューヨークを出て丁度一週間目」「フランスのアーブル港に着した」ところから始まる。にもかかわらず、主人公の思いは、アメリカで体験した濃密な恋の記憶に、たびたび引きずり戻される(『放蕩』『脚本 異郷の恋』)。

 それから、帰国が近づくにつれて激しさを増す、祖国「日本」への嫌悪と侮蔑。ただし、単純な嫌悪が、巻尾を飾る短編『悪寒』において、批判精神に「反転」していく様子は、小森陽一さんが近著『レイシズム』で論じたとおりである。

 本書『ふらんす物語』は、発売当時、発禁処分を受けた。高校時代の文学史では、「耽美派」荷風の作風が「風俗を乱すもの」だったから、と教わったように思う。確かに、『放蕩』や『春の夜がたり』に描き出された異郷の売春婦との交情は繊細なディティールに及び、彼女たちのほてった肌やお白粉の甘い香りを、すぐそこに感じさせる。

 しかし、当局がこの作品を嫌った最大の理由は、あまりにも率直に表明された、祖国への嫌悪にあると思う。近代国家「日本」の理想は、国民ひとりひとりの理想でなければならない。祖国を思わない国民など、あってはならない存在なのだ。にもかかわらず、本書の主人公は、「どうしても日本に帰りたくない、巴里に留まりたい」と駄々っ子のようにふさぎこみ、「自分は日本の国家が、芸術を虐待し、恋愛を罪悪視することを見聞しても、最早や要なき憤怒を感じまい」、なぜなら「世界にはフランスという国がある」と開き直る。実に毒に満ちた呪詛である。

 昨今、「国を愛する心」の涵養に熱心な政治家なら、本書をどう見るだろうか。やっぱり気に入らないだろうな。そのうち、子供に読ませてはいけない悪書に指定されるかしら。百年経っても荷風の毒は消えないのだから大したものだと思う。
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東海岸見聞録(8):NY続き/ブロードウェイ

2006-11-27 00:05:24 | ■USA東海岸見聞録2006
 アメリカ東海岸最後の夜は、ブロードウェイでミュージカルを楽しむことになった。何の下調べもしていなかったので、行き当たりばったりにブロードウェイに行ってみたところ、見たかった「Cats」はやっていないし、「ライオン・キング」はソールドアウト。結局、マジェスティック・シアターの「オペラ座の怪人」を見ることにした。

 同行の上司は、以前もニューヨークで同じものを見たというので、ちょっと不満だったかもしれない。私にとっては、作品の梗概の分かる(日本で見たことのある)数少ないミュージカルであり、耳になじんだ曲も多いので、ありがたかった。

 私が見たのは、14、5年も前の劇団四季の公演である。「怪人」役の市村正親はよかったが、ヒロイン役が物足りなかった。声が弱いので、運命に押し流される可憐な少女を感じさせてしまい、これは違うだろう、と首をひねった。他人の人生を狂わせるディーバの凄みがなければ。のちに、本場アメリカでこの役を歌ったという女性歌手(サラ・ブライトマン?)の歌声を聴いて、ああ、本物はこうでなければならない、と納得したことを覚えている。

 さて、マジェスティック・シアターの窓口で「チケットはあるか?」と聞いてみると、111.25ドル(最高額)の席ならある、という。それでもいいや、と思って、とにかくチケットを入手。20:00の開演まで、1時間ほどしかないので、近場のレストランで食事にしようと思ったのだが、どこのお店も開演待ちの客でいっぱい。なかなか入れるところがない。とうとう、仕方がないので、席のある軽食屋に入って、ピザとアイスティー(上司はコーラ)で済ませることにする。最後の夕食なのに...

 開演間近のシアターに戻ってみると、つめかけた観客で、入口には長い列ができていた。1時間前に、最高額の席しか残っていないと言われたのも、あながち嘘ではなかったようだ。場内に入り、席を確かめると、なんとオーケストラピット前の最前列。ちょうど指揮者の後ろである。

 やがて公演が始まると、音楽とともにストーリーがよみがえってきた。劇団四季の公演(新橋演舞場?)が、ものすごく大掛かりだったのに比べると、この劇場は舞台も狭く、狂言回しとなるシャンデリアのセットも、四季バージョンよりずっと小さい(多分)。しかし、この物語の、象徴的なおとぎ話じみた魅力を楽しむには、このくらいの規模の舞台が、かえって適当なのではないかと思った。

 ストーリーは単純だが、冒頭のグランドオペラ「アイーダ」もどきとか、途中のモーツァルトもどきとか、舞台芸術への偏愛(と、もしかしたら舞台に生きる人々への偏愛)が随所に感じられて、飽きない。途中の休憩時間も、全然疲れを感じず、2時間があっという間に過ぎた。

 終演後は、ロビーでお土産品を買い求め、看板(ファントムのマスク)と一緒に記念写真を撮り、街路に吐き出された人波に揉まれながら、劇場を後にした。雨は小降りになったようである。百年前の永井荷風が「雪のやどり」に写し取った「芝居町の夜更」の風景の中に自分がいるようで、わくわくした。

 明けて11月17日。早朝、ホテルを発って、JFK空港に向かう。この空港、ターミナルによっては、搭乗ゲートを通過しないと、全く売店や飲食店がないことを付記しておこう。はじめは事情が分からず、空港内をうろうろしてしまった。そのほかは、往路のようなトラブルもなく、無事、帰国。(ここには敢えて書かないが)仕事の上でも、その他の面でも、たくさんのお土産を胸に抱えて帰ってきた気分である。関係諸氏に感謝々々。
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東海岸見聞録(7):NY続き/MoMAなど

2006-11-26 11:19:32 | ■USA東海岸見聞録2006
 以下は全くの観光記。
 
 昼食のあとは、おのぼりさんらしく、エンパイアステートビルに登ることにする。入場券売り場で「Inside only, OK?」と言われても、私は事情が飲み込めなかったが、晴れている日は屋外展望台に出ることができるらしい。この日は、次第に天気が崩れて、風が激しくなっていたので、ガラス越しに外を眺めることしかできなかった。

 流れる雲と霧のせいかも知れないが、上から眺めたニューヨークは、意外と古さびた街だった。ニューヨークというのは、最先端でなければ生きていけないような、ピカピカの街だと思っていたので、私の趣味とは相容れるところがないだろうと思って、敬遠していたのだが、少し愛着を感じるようになった。

 それから、地下鉄でMoMA(ニューヨーク近代美術館)に向かう。閉館時間の17:30まで、ちょうど1時間くらい。「図書館に長居しすぎたなあ」と言い合っても、いまさら仕方がない。

 5階の絵画ギャラリーから、順に降りていくことにする。第1室に入ってキョロキョロしていると、ほら、というように、上司に合図された。MoMAに行く話になったとき、「私はこれが見たい!」と宣言していた、アンリ・ルソーの『眠れるジプシー女』である。いやー嬉しい...思えば、10月に世田谷美術館の『ルソーの見た夢、ルソーに見る夢』を見に行ったときは、まだこのアメリカ出張の話も不確実な段階で、自分がニューヨークまで行き、この絵に向き合えるとは思ってもいなかった。

 ふと気がつくと、カメラを構えて展示作品を撮っている参観客がいる。そうか。ここは、フラッシュを焚かなければ写真を撮ってもいいのだ、と気づいて、私も写真を撮っていくことにする。 



 この絵には、ルソーらしい深い緑の植物の繁茂がない。『夢』や『蛇使いの女』のように裸身をさらした熱帯の女神もいない。しかし、私はこの絵に濃厚なエロティシズムを感じてしまう。獰猛なライオンの前に横たわるジプシー女の、無心で無防備な身ぶり。その様子に誘われ来たったライオンは、猛獣らしくひとくちに女を喰い殺してしまうこともできるはずだが、これから起こる惨劇に、むしろ女以上におののいているようにも見える。ジプシー女とライオンがあらわす、どこまでも受動的な無邪気さと、閃くような獣性は、ルソー自身の二面性であるとも言えよう。

 このほか、ゴーギャン、ゴッホ、ピカソなど、意外と「古典的」な名作が多くて、懐かしかった。それにしても、日本の美術館って、どうしていつもあんなに混んでいるのかなあ。

 3階のギャラリーでは『Manet and the Execution of Maximilian(マネとマキシミリアンの処刑)』という特集展示が行われていた。マキシミリアンは、もとオーストリアの大公。1855年、メキシコの革命勃発に際して、フランス、イギリス、スペインの3国が内政干渉に乗り出し、フランスが押し付けた傀儡政権の皇帝である(溥儀みたいだ)。1867年、革命が再燃し、フランス軍は撤退。残されたマキシミリアン皇帝は、新生メキシコ共和国の軍事法廷により、「国家反逆の罪」で銃殺された。マネはこの衝撃的なニュースを絵画にしたが、のちに自らバラバラに切断してしまった。さらに後日、画家のドガが集めて再構成し、貼り合わせたという(以上、下記のサイトを参考にさせていただきました)

■マキシミリアン(カフェ・ド・エルサイトウ)
http://www.el-saito.co.jp/cgi-bin/el_cafe/cafe.cgi?mode=res&one=1&no=2922

 ゴヤの『1808年5月3日』(ナポレオン軍によるスペイン民衆の処刑図)との比較など、興味は尽きなかったのだが、警備のおじさんが「We will close!」と大きな声で呼ばわりながら回ってくる。やむなくギャラリーを出たあと、18:30まで開いているギフトショップでお買いもの。ぶ厚い収蔵品カタログに手を出すのはよそうと思っていたのだが、『Manet and the Execution of Maximilian』の展示図録に目がとまり、「買っちゃえば?」というそそのかしに乗ってしまう。

 そして、次第に強くなる雨の中、ブロードウェイに急いだのである。

■MoMA:The Museum of Modern Art(ニューヨーク近代美術館)
http://www.moma.org/
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東海岸見聞録(6):ニューヨーク公共図書館

2006-11-25 23:31:38 | ■USA東海岸見聞録2006
 日付は11月16日。この日もホテルを早立ちして、ニューヘブンからアムトラックでニューヨークに向かう。朝食は駅のベンチでダンキンドーナッツとコーヒー。

 2時間ほどで、マンハッタンのペンステーション(ペンシルバニア・ステーション)に到着。ホテルに荷物を置き、11:00から始まるニューヨーク公共図書館の館内ツアーに出かける。エントランスホールのキャンドルスタンドの下で待っているよう、案内されたときは、参加者は私たちだけ?と思ったが、次第に人が集まってきて、10人ほどの団体になった。案内役は紳士然とした初老のおじさん。参加者は老人から高校生くらいの若者グループまで、さまざまである。

 同館の活動ぶりについては、今のところ、菅谷明子さんの『未来をつくる図書館』にまさるレポートはないと思う。館内の写真は、ボストンと同様、安立清史研究室のサイトから借用しよう。

■図書館の夜:幻想図書館(2)
http://www.lit.kyushu-u.ac.jp/~adachi/Library/NYPL/NYPL.html

 正確には「ニューヨーク公共図書館」は、5つの中央館と80余の分館からなる。うち4ヶ所が貸出を行わない研究図書館であり、他は貸出を行う図書館である。私たちが訪ねたのは、5th Avenue and 42nd Streetの交差点に建つ、石のライオン像で有名な、人文社会科学系の研究図書館(Humanities and Social Sciences Library)だ。映画「ゴースト・バスターズ」や「デイ・アフター・トゥモロー」にも登場しており、ニューヨークのランドマークの1つと言っていいだろう。

 館内ツアーは、まず、図書館の維持管理に莫大なお金がかかること、にもかかわらず、多くの有益な情報資源が市民に無償で提供されていること、そのわけは、図書館の経営が篤志家の寄付によって成り立っていることの説明から始まった。ふーむ。日本では、見学者にこういう説明ってしないだろうなあ、と思って興味深かった。

 いちばん感激したのは、やはり大閲覧室である。むかしは(戦争中?)窓が全て塞がれていて、天井も黒一色だったそうだ。カタログルームにあったカード目録は全て片付けられて(コピーして出版された冊子体目録が周囲の書架に並んでいる)検索端末に置き換わっている。今回見てまわった図書館は、どこも非常にリノベーション(改造)が上手いと思った。創建当初の基本コンセプトを活かし、むしろそれを強調しながら(重厚で上品な雰囲気の提供もサービスのうち)、きちんと現代的な図書館に生まれ変わっている。

 リノベーションの典型的な事例は、中庭の転用である。イエール大学では、スターリング記念図書館の中庭を転用して、音楽図書館が新設されていたが、ここ、ニューヨーク公共図書館でも、中庭(South Court)に、ビデオシアターやレクチャールームがつくられていた。一見、別棟の建物のようだが、回廊部分がガラス天井で覆われているので、雨風の心配はない。しかも、外光を取り入れることで、中庭の快適な開放性も残している。

 3階の展示ホールでは「History of Men's Wear」の展示が行われていて、本以外に多数の絵画(肖像画)が飾られていた。中央のケースにはグーテンベルクの聖書があった(これは常設展示かと思ったら、そうでもないみたい。→NYPL展示案内のページ)。興味深かったのは、この場で案内役のおじさんが、「印刷術の発明まで、本は少数の人々しか持つことができなかった。しかし、グーテンベルクの画期的な発明によって、多くの人々が本(知識、情報)を持てるようになった。それは、ちょうど今、インターネットによって起きている革命のようなものである」という趣旨の解説をしていたこと(意訳と要約しすぎもしれないけど)。真剣に聞き入る若者たちの表情が印象的だった。そう、本来、貴重書(rare books)が貴重なのは、「古いから」「他に残っていないから」あるいは「高価だから」ではなくて、ちゃんと歴史的意義があるからなんだよな。そんなことを考えていた。

 約1時間のツアー終了後、上司と私は、飽きずに館内をうろうろする。1階のギャラリーでは「Ehon(絵本)」と題した、日本の出版文化に関する大規模な展覧会が行われていた。主な展示作品は、近世から近現代の絵入り出版物である。歌麿、北斎はもとより、伊藤若冲の画巻『乗興舟』がある。神坂雪佳の『百々世草』がある。耳鳥斎(にちょうさい)の俳諧味あふれる戯画(かつて伊丹市美術館まで見にいった)も多数。アメリカ出張の思わぬ余得に、私は大はしゃぎしてしまった。

 最後にギフトショップに寄ると、ここがまた、時間を忘れるくらい、楽しい。品揃えの充実ぶりは、サイトで確かめられたし。今、見ていたら、これが欲しくなってしまった...

 それから外に出て、図書館の外観(もちろんライオン像も)を写真に撮る。そして、おそい昼食を食べに行くはずだったのだが、通りを渡って、南に少し歩いていくと、また、ニューヨーク公共図書館の旗を下げた建物に行き当たった。2階の窓から見える室内には、本のつまった書架の列が並んでいる。「あれ?ここも図書館じゃない?」と言い合って、つい、素通りできずに中に入ってしまう。ここは、Mid-Manhattan Library という、貸出図書館の1つ。就職情報・医療情報の提供など、より市民生活に密着したサービスを行っていることは、菅谷明子さんの本に詳しい。しかし、それだけでなく、けっこう専門的な学術雑誌や参考図書も揃えていることに、感心してしまった。

 こうして、ようやく図書館を離れたのは、14:00近かったのではないかと思う。手近の中華レストランで簡単な昼食(大雑把な味)。あとは夜まで、最後のフリータイムを楽しむことにした。
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東海岸見聞録(5):ニューヘブン探訪

2006-11-24 23:45:09 | ■USA東海岸見聞録2006
 明けて11月15日。朝食もとらずにボストンのホテルを後にする。昨夜、ネットをつないでいた上司が「松坂、レッドソックスだって」というので、街売りの新聞をチェック。「ボストン・グローブ」の1面に写真が載っていたので、買ってお土産にする。

 サウス・ステーションでアムトラック(長距離列車)の切符を買ったあと、ようやく朝食。しかし、目ぼしいレストランがないので、上司が「マックにしようか」と意外なことを言い出す。ええ~アメリカのマックなんて...と恐れたが、モーニングプレートは日本の商品とあまり変わらなかった。もっとも、アメリカ人は、このサイドディッシュにハンバーガーとかを付けるんだろうな。

 ニューヘブンまでは約3時間の鉄道旅。車窓には、冬枯れの森林地帯が続く。どの木もすっかり葉を落としていて、裸の幹の列がさびしい。なだらかな草地の丘、時折見える湖沼の風景には、猟犬を連れた鴨打ちの姿が似合いそうだ。左手は海岸線で、曇天の下、不思議に明るい海が続く。ふと長崎県の諫早湾を思い出した。

 お昼前にニューヘブンに到着。とりあえず、ホテルにチェックインし、今日のお仕事、イエール大学に向かう。イエール大学は、ハーバードと並ぶアイビーリーグの名門であり、ゴシック風建築の立ち並ぶキャンパスで有名である。なぜ「ゴシック風」であって「ゴシック様式」でないかというと、建てられた年代は1917-1930年代と、比較的新しいのだ(本来のゴシック様式は、12-15世紀の教会建築をいう)。それでも、英語版のWikipediaなどを見ていると、なかなか麗しい写真が掲載されていて、興味をそそられていた(特に、Sterling Memorial Libraryのページは必見。下方のサムネイルを拡大して楽しまれたし)。

 ホテルを出て、数分も歩いていくと、突然、クリーム色の石積みでできた巨大な建造物が現れた。それも1つだけではなく、道の両側に同じ様式の建築が並んでいる。ぱっとしない北国の田舎町から、別世界に迷い込んだようだ。「ここですよ、ここが大学構内なんですよ」と言って、あたりをキョロキョロ見回す。「ふーん。すごいねえ」と感心して、観光客よろしく2人で写真を撮りまくったが、だんだん何かがひっかかってくる。

 「でもね」と私。「ちょっとディズニーランドっぽいですよね」。いったん気づいてしまうと、底の浅い作りもの臭さが鼻につくのだ。「うん、確かに」と上司。「ゴシック様式特有の、どこまでも天に伸びていこうとする霊的な意志が感じられない」。他人の大学に、ここまでケチをつけなくてもいいものを、と苦笑してしまった。しかし、今、思い出してみても、やっぱり私はこの大学のキャンパスが好きになれない。あまりにも拙劣な、歴史と伝統の偽りかたが、私をいらだたせるのである。

 この日は、スターリング記念図書館の中にあるEast Asia Libraryを訪ね、ほかいくつかの部署をまわって話を聞いた(途中は通訳なしで緊張しました)。

 夕食は、トラディショナル・タイ・レストランで。なぜかホテル周辺の一角には、東南アジア料理(特にタイ料理)のお店がひしめきあっていた。明日はニューヨークに向かう。
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東海岸見聞録(4):2日目/ワイドナー図書館

2006-11-23 22:32:32 | ■USA東海岸見聞録2006
 お仕事2日目もハーバード大学へ。Harvard-Yenching Libraryにスタッフとして滞在中の同僚の案内と通訳を得て、さまざまな図書館を見て歩いた。戦艦のように巨大なワイドナー図書館から、小さなコレクション室まで、訪ねたところは、順不同で以下のとおり。
 ・Widener Library(中央館)
 ・Lamont Library(学部生向けの人文図書館)
 ・Cabot Science Library(学部生向けの自然科学図書館)
 ・Pusey Library(Map Collection, University Archivesなど)
 ・Reischauer Institute of Japanese Studies

 学部生向けの図書館には、大きなソファを並べたコーナーが必ずある。学生たちは、まるで自宅の居間にいるように、寝そべったり、丸くなったり、思い思いの恰好で、本やラップトップPCを抱えて勉強している。日本人が、スタバのソファでも姿勢を崩さないのとは大違いである。Lamont Libraryの1階には、明るいカフェが併設されていた。10月にオープンしたばかりだそうだ。下記のニュースによれば、学生たちが、経営の主体をつとめているらしい。

■Lamont Library Cafe Opens(ニュース:動画あり)
http://hcl.harvard.edu/news/2006/lamont_cafe_opens.html

 さて、ここからが本題。昼食のあと、ハーバード大学の中央館であるワイドナー図書館の見学に向かった。あらかじめ予約を取っていたので、案内役の職員が対応に出てくれた。仔牛のような体格の、陽気で人あたりのいい女性だった。「何か希望があれば言ってほしい」というので、「preservation(保存)に関するセクションを見たい」と伝えると、ちょっと困った顔をして「そこは事前の予約が要る」と言う。それなら仕方ないので、無理は言わず、標準ルートで館内を案内してもらうことにした。

 私は14年前にもこのワイドナー図書館を訪ねたことがあり、ゴシックホラーに出てきそうな(魔女のダンジョンのような)石積みの地下通路が強い印象に残っている。しかし、今回案内してもらった書庫や閲覧室は、クラシックな雰囲気は残しているけれど、どこも明るく、新築のように清潔だった。1999年から2004年にかけて、大幅なリノベーション(改造)を行ったそうなので、かなり面目が一新されたのではないかと思う。ちなみに、この事業は、2005年にAIA(アメリカ建築家協会)の賞を受賞している。ほかの写真も興味深いので、ソースを貼っておこう。

■Eight Beautiful Buildings Win 2005 Library Awards(AIArchitect)
http://www.aia.org/aiarchitect/thisweek05/tw0401/0401libraryawards.htm

 入口を見下ろす階上のホールには、図書館の名前のもとになったハリー・エルキンズ・ワイドナー(Harry Elkins Widener, タイタニック号水難事故の被災者)の記念室が設けられており、愛書家だった彼の蔵書が、壁の周囲を満たしている。デスクには、毎週取り替えられるという生花の盛り花。中央の肖像画は、階下の正面入口をつねに見守っている。ここも以前は事務室だったというので、私が前回来たときには無かったものだと思う。

 別のホールには、ボストン公共図書館と同様、John Singer Sargent(ジョン・シンガー・サージェント)の壁画が飾られていた。「Death and Victory」と「Coming of the Americans」の2作品は、主題に好き嫌いはあると思うが(超パトリオット的!)、美品である。ぜひ、下記サイトで拡大画像をご覧いただきたい。

■John Singer Sargent Virtual Gallery(左欄メニューの下の方)
http://jssgallery.org/Essay/Widener_Library_Harvard/Widener_Library_Harvard.htm

 マイクロ資料室を見せてもらっていたときだと思う。案内役の女性が、カウンターの電話を借りて、どこかにかけていたかと思うと、「preservation section(保存部門)を見学できる」と嬉しそうに我々に告げた。突然の申し入れにもかかわらず、調整を取ってくれたのである。感謝をしながら着いていくと、エレベーターで地下に下りる。

 さっきも地下の書庫を案内してもらったが、そことはまた、別の区画らしい。書架の列は無く、ロフトのような、明るく広い回廊が続いている。やや年配の小柄な女性が現れ、保存部門の担当者だと紹介された。茶色く酸化した新聞紙や、表紙の取れかかった書籍を積んだブックトラックの間を、注意深く通り抜け、招き入れられたのは、中程度の会議室ほどの部屋で、4、5人のスタッフが、それぞれ大きな机を前に、資料の修復に取り組んでいる。それぞれが職人らしく、自分の作業に集中している様子は、中世の工房という感じだ。日本の大学図書館では、まず見ることのできない(存在しない)セクションである。

 へえーこれがプリザベーション・セクション(保存部門)か!と、いたく感心していたら、また別の部屋に連れていかれた。さっきよりも照明が暗く、絶え間ない機械音が響いている。ここは劣化資料の媒体変換を行う部署で、部屋の奥半分ではマイクロ撮影が、手前半分ではデジタル化が行われていた。デジタル化に使われているスキャナーは、ハイテクで、しかもお洒落だ。資料を撮影台に上向きに載せると、柱(これが赤い曲線チューブだったりする)の上方に取り付けられたカメラが、角度と位置を調整し、画像取り込みを行う。さっきの部屋が中世の工房なら、ここは本格的なメディアラボである。しかも、これらの作業は、選び抜かれた貴重書に対して行われているのではなく、日常の本の出し入れで発見された劣化資料を、どんどん媒体変換してしまおうということらしい。

 それから、次の細長い部屋では、少ないスタッフがコンピュータの画面に向かっていた。背の高いボーイッシュな若い女性が立って、さきほどのラボで作られた画像を、オンライン目録に付加して公開・提供する作業について説明してくれた。また、特定の主題で括られたデジタルコレクション(たとえば、Women Working, 1800-1930)の作成も彼女が担当しているという話だった。

 その次の部屋では、スキンヘッドの若い男性がチーフらしく、数名のスタッフを使って、写真や三次元資料の撮影とデジタル化を行っていた。作業室の周りには、遊び心で作ったのか、古写真を利用したポスターやカレンダーが飾られていた。ここはまた、アーティステックなスタジオの趣きである。暗幕の奥には、広い撮影スタジオも併設されていて、かなり大型の三次元資料でも撮影できそうだった。こうした施設が、地下の回廊に従って、いくつも続いているのである。

 面白かったのは、我々を案内してくれた図書館スタッフの女性まで、すっかり興奮して「Amazing!」「Marvelous!」を繰り返し、最後は保存部門の女性とひしと抱き合っていたこと。同じ館内で何が行われているか知らないのかなあ、と不思議だったが、アメリカの図書館は、日本以上に縦割り意識が強いそうだから、そういうこともあるのかもしれない。あと、案内役の女性はライブラリアンだろうが、保存部門で会った人々は、多くがテクニカル・スタッフだろうし。

 それにしても、確かに”Amazing”で”Marvelous”なものを見てしまった。まさか図書館の地下に、こんな秘密基地が控えていようとは。写真を撮らせてもらえなかったので、せめて記憶の新しいうちに言葉に留めておこうと思ったわけだが、果たして私の衝撃が伝わっただろうか。そこはかとなく、「100万のマルコ」と呼ばれて、大ぼら吹き扱いされたマルコ・ポーロを思い出したりするのである。

 ハーバードスクエアで夕食のあと、The Coop(大学生協)で、山ほどお土産を購入。これでボストン滞在はおしまい。明日はニューヘブンに向かう。
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東海岸見聞録(3):初日続き/ボストン公共図書館

2006-11-22 23:13:26 | ■USA東海岸見聞録2006
 ボストン美術館を出ると、既に日が落ちてあたりは暗く、冷たい雨が本格的に落ちていた。ホテルに戻って傘を取り、ボストン公共図書館を見に出かける(月~木は21:00まで開館)。

 ボストン公共図書館のあるコープリー・スクエアは、高級ホテルやショッピングコンプレックスに囲まれたボストン随一の繁華街のはずである。だが、雨のせいか、外を歩いている人はほとんどいない。高層ビルを隠すように垂れ込めた雲。街灯が少ないので、街全体が闇に沈み込んでいる。大きな石造の図書館も、ぼんやりライトアップはされているものの、闇の中にうずくまる怪物のようだ。アメリカの古都というイメージがあるので、「奈良の夜みたいだよね」などと勝手なことを言い合う。

 次第に強まる雨を避けるように、入口をくぐると、床から天井まで大理石に囲まれた巨大なホールが待っていた。やわらかな照明、赤みがかった大理石には、暗闇の中を歩いてきた訪問者を、思わずほっとさせる暖かみがある。正面の階段の踊り場には2匹のライオンが正対し、威厳と親愛の情を込めて(少しくつろいだ表情にも見える)、訪問者を見下ろしている。踊り場に上がると、四方の壁は美しい絵画で飾られている。ただし、壁画のタッチには、アメリカン・ポスターアート的なロマン主義が感じられて、ここがヨーロッパの僧院でないことを思い出させる。

 簡単に紹介をしておけば、ボストン公共図書館は、1848年に創設されたアメリカ最古の公立図書館である(→Wikipedia)。現在の建物は1895年に建てられたもので「ルネサンス復古調」と呼ばれる様式らしい。1972年に隣に新館が建てられ、旧館とは各階でつながっている(新館は、比較的”普通の”公共図書館である)。

 残念なのは、写真撮影が厳禁されていることだ。9.11テロ以降、アメリカの図書館はどこもそうらしい。そこで、ネットの上で見つけた写真ギャラリーを紹介する。どちらも、九州大学大学院人間環境学研究院の安立清史研究室のページから。

■図書館の夜:幻想図書館(1)
http://www.lit.kyushu-u.ac.jp/~adachi/Library/BPL/Night_Library.html

■特別版アメリカ便り(ボストン公共図書館の写真は下の方)
http://www.geocities.jp/kadachi1957/

 本館2階の大閲覧室に踏み込んだときは、あまりの美しさに感激して、声が出なかった。もちろん声を出してはいけないので、連れの上司と目を見交わして”感激”を伝えるだけ。「図書館の夜」のサイトに写真があるとおり、天井の高い、その分、闇の深い閲覧室の机には、スターバックスみたいな青緑のランプが、点々と灯っているのである。あたかも、深海でひそかに息づく孤独な発光生物のように。上記サイトの写真には、あまり利用者が写っていないが、当日は、けっこう席が埋っていた。パソコンを持ち込んでいる人も多かったように思う。

 それから、広い中庭を発見したときも、どこかなつかしく感じられて嬉しかった。写真のような噴水のライトアップはされていなかったが、暗い回廊のベンチで、雨の音を聞きながら、ひとりくつろいでいる女性がいた。

 より詳しい情報は下記サイトにて。「Guides to the Library」→「History and Description of the Library」→「Art and Architectures」(左欄外)の下を丹念に読んでいくと、館内の壁画が、Edwin Austin Abbey(エドウィン・オースティン・アビー)、Puvis de Chavannes(ピュヴィス・ド・シャヴァンヌ)、John Singer Sargent(ジョン・シンガー・サージェント)などの画家の作品であることが分かる。

■ボストン公共図書館(The Boston Public Library. Central Library in Corpley Square)
http://www.bpl.org/central/index.htm

 たっぷり時間を費やして古都の図書館を堪能したあとは、Westin Hotelのショッピングアーケードを冷やかし、1階のシーフードレストランで夕食。ボストン名物のクラムチャウダーとロブスターである。シンプルというか芸のないアメリカ料理だったが、素材は美味しかった。

 そして、ホテルの前まで帰ったのだが、「水を買って帰ろう」という話になり、コンビニを探して街をぶらつく。ところが、まだ21:00頃だったと思うが、お店がどこも開いていない。結局、地下鉄2駅分、ボストン公共図書館のそばまで歩いて戻り、ようやく大型店舗のスーパーを見つけた。しかし、アメリカ人の買い物習慣に合わせているので、とてつもなくデカいボトルか、6本・8本などのパック商品しかない。店中を探しまわり(ものめずらしくて楽しかった!)、なんとか見つけた単品ボトルを購入。再び、さっきと同じ駅から地下鉄に乗って、苦笑しながらホテルに戻った。

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東海岸見聞録(2):初日/ボストン美術館

2006-11-21 11:53:14 | ■USA東海岸見聞録2006
 ボストンでのお仕事初日。朝から薄暮のような曇り空の下、ハーバード大学のキャンパスに向かう。上司とともに、東アジア専門のHarvard-Yenching Libraryと図書館のOffice for Information Systemsを訪ね、担当者と会談。きちんと仕事はしてきたと思うのだが、ここでは詳しい話は省略し、アフタービジネスに飛ぼう。

 この出張、先方の好意もあって、短い期間にたくさんのイベントが詰まっていたのだが、この日は、午後の遅い時間に、わずかなフリータイムを忍び込ませてもらっていた。

 かくて、初日の用務を終えて、ハーバード大学を辞したあと、上司と2人でボストン美術館に赴く。ボストン美術館といえば、東洋美術ファンの私には、憧れの美術館だ。西方の聖地と呼んでもいいくらい。日本絵画なら『平治物語絵巻』『吉備大臣入唐絵巻』、中国絵画なら徽宗皇帝の『五色鸚鵡図』など、たちまち名品の数々が思い浮かぶ。もっとも、実際には、ボストン美術館のコレクションは、東洋美術に留まらず、ドイツ・ルネサンス、印象派、アメリカン・モダニズムから、エジプト美術、ネイティブ・アメリカン関係まで幅広い。というか、我々が「文明の粋」だと思っている東洋美術コレクションも、アメリカ人から見ると、エジプトやアフリカの原始芸術と横並びなのかも知れない(笑)。

 閉館まで1時間しかなかったので、とりあえず、向かって左翼の1、2階を占めるアジアギャラリーを主に見ていく。近世の芝居絵・役者絵の展示が、質・量ともに圧巻だった。装束だか調度品だかの文様を、白地に型押し(エンボス)加工で表現したものが、複数あった。私は、さほど近世の木版画に詳しくないが、状態がよくないと残らないし、けっこう珍しい技法なのではなかろうか。

 近代美術では絵葉書コレクションが面白かった。純粋な美術品と言えないところに味わいがある(まあ、日本美術の場合、近世の琳派だって浮世絵だって商業アートなんだが)。仏像コレクションは、日本らしさを演出するためか、障子をしつらえた部屋になんだか雑然と並んでいた。勝手に「東洋美術の聖地」と思い込んでいた私には、全体として、今イチの感がぬぐえなかった。ただ、隣に建設中の新館ができると、面目を一新するのかも知れない。

 アジアギャラリーを抜けてうろうろする間に迷い込んだのは、「ソビエト・テキスタイル」の展示。今はなきソビエト社会主義連邦では、トラクターや工場や飛行機を用いたテキスタイル(織り物)が作られていたのだ。いや~楽しい!! 現実の歴史の悲惨さとは別に、革命思想にかかわるアートデザインって、どうしてこう、童心満載で楽しいのだろう。ポップで新鮮なデザインに、しばらく時間を忘れて見入ってしまった。

 最後に、広いミュージアムショップで、あわただしくお買い物。観光(いや、お仕事)初日なので、まだ財布の紐はそれほど緩まなかったけど。

■ボストン美術館(Museum of Fine Arts, Boston)
http://www.mfa.org/
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