見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

京都・秋の文化財見て歩き(1)

2005-11-30 21:15:35 | 行ったもの(美術館・見仏)
■京都府立総合資料館 第20回『国宝・東寺百合文書展:中世東寺の年中行事-御影堂-』

http://www.pref.kyoto.jp/shiryokan/

 週末、例によって駆け足で、関西の文化財を巡ってきた。京都駅の観光案内所で情報を収集していて、この催しを知ったので、地下鉄で一気に洛北に上がり、初めて京都府立総合資料館を訪ねた。

 東寺百合(ひゃくごう)文書は、東寺に伝来する古文書で、100個の合箱(ごうばこ)に収められていることから、この名がある。東京の根津美術館で、この文書の大々的な展覧会があったのは、1998年のことだが、京都では、このように、毎年、テーマを決めて、展示会が行われているらしい。

 公式文書の体を整えた寄進状や行事次第のほか、清書前の書状案や文書案(要するに反古である)が残っているのが面白かった。百合文書には下書きのみ残り、清書された書状が東京国立博物館に伝わっているものもあるそうだ。また、法会の当番を定めたシフト表や、決算の過不足を調整した帳簿などもあり、寺院の運営というのが、いまの会社と同様、さまざまな庶務・会計の仕事で成り立っていることを感じさせた。

 14世紀の「寄進田目録」は、洛中周辺の寄進田を記したものだが、寄進者は僧侶と女性が目立ち、1~2段の小さな田地の寄進記録が多いという。当時の社会状況に想像をめぐらすと興味深い。

■高麗美術館 秋季企画展『朝鮮陶磁の世界』

http://www.koryomuseum.or.jp/

 それから、賀茂川の土手を歩いて、さらに北に上がり、高麗美術館に向かう。この辺りを秋に歩くのは初めてだが、大様な枝ぶりの雑木林が、赤や黄や茶色に、美しく色変わりしていて、ヨーロッパの公園のようだ。人出の多い、市中の紅葉の名所なんかより、ずっと気持ちが晴れやかになる。

 朝鮮陶磁といえば、むかしは青磁象嵌が好きだった。しかし、これは、万人に分かりやすく愛らしいが、ちょっと飽きる。と言って、シンプルを極めた朝鮮白磁のよさは、まだピンと来ない。結局、いま、私がいちばんいいと思うのは、辰砂(赤っぽい茶色)または鉄砂(黒っぽい茶色)の素朴な染付けである。解説には「青花の代用」とあった。

(続く)

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最澄と天台の国宝/京都国立博物館

2005-11-29 22:18:20 | 行ったもの(美術館・見仏)
○京都国立博物館 天台宗開宗1200年記念『最澄と天台の国宝』

 前日の記事に書いたとおり、ようやく図録を手に入れることができたので、この展覧会について書いておきたいと思う。実際に訪ねたのは、今月5日のことだ。いや、「すごい」展覧会だった。

 私は、どちらかといえば、真言宗のほうが好きだ。真言宗ゆかりの美術といえば、東寺の講堂の諸像、十二天図(京都国立博物館蔵)、高野山金剛峯寺の孔雀明王、八大童子など、名品の数々を、すぐに挙げることができる。創始者としても、取り澄ました秀才ふうの最澄より、破天荒な空海のほうが、ずっと魅力的に感じられる。

 観客は、最初の展示室で、この最澄の木像に迎えられる。よく教科書などの挿絵に使われるものだ(滋賀・観音寺蔵)。膝の上で禅定印を結び、目を閉じて瞑想にふける姿だが、眉根に癇癖らしい皺が寄っている。ふっくらした頬、小さな口、撫で肩、つぶれた饅頭のような丸顔に、頭巾を被ったところは、どこか”おばちゃん”っぽくて滑稽である。

 と思っていたのが、横に回ってみると、印象が変わる。正面では目立たなかった、すらりとした鼻筋が強調され、面長な印象になる。閉じた目元に厳しい、憤怒のような憂いがあって、理知的な美青年の面影が現れる。おや。最澄って、こんな人だったか。私はしばらくその木像の横に立ち尽くした。

 考えて見れば、最澄の「一切が菩薩であり、一切が成仏できる」という総合主義は、母性原理的である。一方、天台教学の緻密な論理体系を咀嚼し、日本にもたらした働きは、男性的であるとも言える。

 同じ部屋には、兵庫・一乗寺の有する天台高僧図十幅の一部が掛かっていた。これがものすごくいい。平安中期の作品だそうだが、高僧図が様式化する以前の、信仰の生々しさが、構図にも配色にも現われている。その中の最澄像(京博のサイトに画像あり)は、彼の艶治で女性的(おばちゃん的)な面と、理知的な青年らしさを、1枚の肖像にあらわしていて、魅力が尽きない。

 最澄以後、天台には、多士済々の名に恥じない、さまざまな名僧が現れた。教学の面でも、美術の面でも、多様な展開が見られた。数々の文書、経典、仏画、絵巻の間を(あまりに豊潤・絢爛たる展開に)喘ぐような思いでめぐり歩くうち、順路は、とうとう仏像を展示した大ホールに行きついた。

 そこは見事な構成だった。近年の仏教美術の展覧会は、体育館のような大ホールに多数の仏像を配置し、観客はその間を回遊しながら、前に立ち、後ろに立ちして、自由に鑑賞できる方式が多い(欧米の博物館での、彫刻の見方に倣ったものだろうか)。

 ところが、この展覧会では、主要な仏像は、それぞれ、仏龕のように仕切られた個別のブースに収まっていた。ひとつの「仏龕」の前に立つと、隣にどんな仏がいらっしゃるのかは見えない。観客は、仏龕の前を移動しながら、1体1体の仏に礼拝するように相まみえるのである。大宰府・観世音寺の大黒天がいらっしゃったり、滋賀・善水寺の薬師如来がいらっしゃったり、私はいちいち驚き、感激しながら、巡礼した。

 それら「仏龕」の列と垂直に交わる角度で、すなわち、ホールに入ってきた全ての観客の視線を最初に受けるところにお立ちになっていたのが、延暦寺・横川中堂の本尊である聖観音菩薩だった。踊るように微かなS字に腰をひねり、胸の前に蓮華の蕾を立て、夢見る少女のように微笑まれている。まことに慈愛の化身そのものに思えて、とても”美術品”として見ることができなかった。心の中で手を合わせて礼拝した。

 この観音菩薩の対面の位置にいらした、大分・大山寺の普賢延命菩薩は、台座の下に2段になった白像の群れを配したもの。絵画では類型的な構図だが、彫刻で見るのは初めてで、驚嘆した。

 この展覧会、来春には東京に来ることになっているが、仏像はかなり入れ替わるらしい。どのような構成になるのか、楽しみである。

■参考:京都国立博物館→「これまでの展示」を見よ。
http://www.kyohaku.go.jp/jp/tenji/index.html
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またも京都へ

2005-11-28 08:22:22 | なごみ写真帖
週末、またも東京から京都まで遠征してしまった。
と言っても、泊まりは滋賀県の野洲。目的は「湖南三山・秋の特別同時公開」めぐり。

今月初旬、京都国立博物館の「最澄と天台の国宝」展を見にきたとき、あまりにぶ厚いカタログに恐れをなして、東京で買えばいいや、と思って、買って帰らなかった。先日、東博で聞いたら「入荷の予定はございません」と一蹴されてしまった。

慌てた。カタログがないと、このブログに記事が書けない。
それで、再び、カタログを買いに来た次第。

京博の構内にある「からふね屋珈琲店」で一服。本日は祇園パフェにしてみました。

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自由のために/限界の思考(宮台真司・北田暁大)

2005-11-27 21:47:06 | 読んだもの(書籍)
○宮台真司、北田暁大『限界の思考:空虚な時代を生き抜くための社会学』 双風舎 2005.10

 宮台真司はどうも気に入らない、とか言いながら、このところ、彼の対談本が出るたびに読んでいる。2003年の姜尚中との対談『挑発する知』、2004年の仲正昌樹との対談『日常・共同体・アイロニー』など。しかし、それらが、具体的な政治・社会状況を踏まえて語られている分、読みやすかったのに対して、本書は、思索的・理論的で、正直、私のような社会学の素人には「しんどかった」。

 しかし、時間をかけてでも、読み抜く価値のある1冊だと思う。本書は、あとがきの簡潔な表現を借りれば、「北田さんと私(宮台)がなぜ社会学を思考するのかという根本的な動機づけについて、徹底的に語りあった対談集」である。宮台は、「私自身はこれ以上あり得ないほど語りつくした。その意味で、まるで遺作のごとき趣きだ」とも語っている。

 確かにそんな感じだ。宮台は、「内在系」に充足しているように見えた若者が、90年代以降、次々に精神を病んでいくのを見て、「終わりなき日常を生きろ!」という呼びかけを引っ込め、「天皇」や「アジア主義」を持ち出し、かつ、それが「あえてするコミットメント」であることを公言している。北田は、本書の冒頭でそのことを確認しつつ、自分は「意味なき世界」を肯定する立場で、もう少し粘ってみたいと控えめに述べ、かつ、なぜ「あえてする」ロマン主義の対象が「アジア主義」でなければいけないのか、という点に、愚直に食い下がり続ける。

 結局、北田の「宮台真司奪還作戦」は失敗するのだが、後輩の真剣な問いかけに、宮台も誠意を尽くして応答している。「ベタ」「ウヨ」「祭り」など言葉は軽いし、「とんねるずの子ども」「ファンロードにおける成田美名子問題」「がきデカからマカロニほうれん荘へ」などサブカル的隠喩を随処に盛り込んだ本書は、しかし、間違いなく、現代日本で望み得る最高に知的な対談である。そして(これは北田の功だと思うのだが)読み進むに連れて、宮台の語り口から、「あえてする」諧謔味が薄れ、素直な思想の骨格が顕わになっていく趣きがある。

 宮台は言う。僕はリベラリストなので、自由じゃない人を見るとイライラする。オブセッシブ(強迫的)な連中を見ると、「もう少し楽に生きようよ」と言いたくなる。この強迫を解除するものが教養――自分の見聞を広め、「目からウロコ」もしくは「ハシゴを外される」体験を繰り返し、そのたびに世界の中の自分を新たにポジショニングしなおす作業である。「『教養(主義)と諧謔のコンビネーション』が、僕ら原新人類世代の共通感覚じゃないかな」と彼はつぶやく。

 ああ、分かる。私も「原新人類世代(70年代半ばに中高生だった)」なのだが、いいトシをして、コムズカシイ本を読み続け、世界の中で「自分をずらす」こと(それによって、自分の「自由」を確認すること)に快感を見出し続けているのは、世代的特性なのかもしれない。なんだか、初めて、宮台真司に同世代の共感のようなものを感じてしまった。

 宮台はまた、教養主義とともに、歴史意識を持つことの重要性を挙げる。世界に時間軸を導入し、「いま、ここ」を相対化できれば、人はもっと気楽に生きられる、という。

 「歴史の召喚」は、個々人のオブセッションの回避策としてあるだけではない。日本では、明治の民権運動ののち、国粋主義が強大化し、「アジア主義」や「右翼」の意味が変質していった。「僕たちはもっと頼りになる虚構を作れたかもしれないのに、それができていない」。それは「なぜか」が問われなければならない――これを読んだとき、彼が、新たな「アジア主義」の提唱を通して問い直そうとしているものが何か、ようやく少し分かった気がした。
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東大史料編纂所の国宝・重文名品展

2005-11-25 17:42:35 | 行ったもの(美術館・見仏)
○東大史料編纂所の国宝・重文名品展(第34回史料展覧会)

 ちょっと旧聞に属するが、書いておく。11月18日、19日の両日、行われた史料展覧会である。第34回というのだから、毎年行われているのだろうと思うのだが、これまで訪ねる機会がなかった。初めての参観である。

 すごい。ほとんど文書ばかりで、視覚的には地味なのだが、会議室を利用した仮仮設の展示場に、国宝・重文がゴロゴロ並んでいる。足利高氏(尊氏)書状、高師直書状、後村上天皇綸旨など、最近、太平記~南北朝の時代に親近感のある私にはうれしかった。

 もっと古いところでは「義経」の時代、源頼朝や源範頼(蒲冠者)の下し文がある。戦国武者好きなら、武田勝頼判物に目を留めるかな。江戸ものでは、儒学を以って江戸幕府に仕えた林家の関係資料。朝鮮通信使と贈答しあった詩文、揮毫がおもしろいと思った。大奥女中の連署状なんてのもある。こうして見ると、点数は多くないが、各時代のバランスが、念入りに考えられていることが分かる。

 素人の目を引くのは、島津家文書のうちの江戸大地震之図。安政2年の大地震前後の情景を彩色で描いたものだが、黒こげの死体のそばで、もう営業を始めている饂飩屋(?)とか、リアルである。

(11月27日記)
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講演会・競争社会の開幕と東大黎明期の学生たち

2005-11-24 18:05:46 | 行ったもの(美術館・見仏)
○東大附属図書館 特別展示会・講演会『競争社会の開幕と東大黎明期の学生たち』

http://www.lib.u-tokyo.ac.jp/tenjikai/tenjikai2005/index.html

 以前にも書いた、東京大学附属図書館特別展示会の記念講演会が行われた。講師は、この展示会の企画者であり、私に深い「感銘」を与えた展示目録の著者である月村辰雄氏(文学部教授)である。

 私はスタッフの1人だったので、内輪ボメは避けるが、100人を超える来場者は、2時間の長丁場を熱心に聴いてくれた。まずまずの成功だったと言える。

 講演は、展示目録の内容を大きく出るものではなかったが、明治初期の学生生活については、彼らの歩いた道筋、街並み、服装、食生活、寮の間取り、貴重な鶏卵、鮪の煮付けの値段から牛鍋の味付けまで、いっそう精彩に富み、聴衆を喜ばせていた。ただ、具体的なエピソードが、あまりに微に入り細に入りすぎて、「競争社会の開幕」の思想的な側面に触れる時間が足りなくなってしまったことを、一部の聴衆(およびスタッフ)は苦笑交じりに惜しんでいたようである。

 だが、私は思う。たぶん時間が倍あっても、講師の話は同じように始まり、同じように終わっただろう。取り散らかしたおもちゃ箱のような、無数のエピソード。その中には、東京の西郊から、大学付近の新開地の青物市場まで、荷車で野菜を売りに来る農民たちや、わずか2円何がしの給金で、どうやって生活していたのか分からない門番の家族など、直接、学生たちとはかかわらなかったのではないか、と思われる人々の話も、たくさん混じっていた。

 しかし、かかわりが深いか浅いかにかかわらず、彼らはみな同様に、明治初年の東京を生きた人々である。無数の人生、無数の喜怒哀楽の中に、学生たちの生活もあった。そして、そこには、確かに「競争社会の開幕」という思想的な刻印が見られるのだが、講師は、思想的転換を、具体的なエピソードから切り離し、図式化(または過大視)して論ずることを、注意深く避けているように思われた。

 だから、この講演および展示会は、人によっては、風俗誌的な面白さだけが印象に残ることだろう。ただ、心ある者だけが、泥だらけの砂金のように、わずかな語数と控えめな表現で示された、思想的転換の重みを理解するに違いない。

 展示から少し踏み出した話題としては、「学問とは何か」という問題が語られた(ただし、この提起も、以下のとおり、あくまで具体的なエピソードを通じて触れられていた)。学問というのは、社会で役立つ技能や知識を身に付けることであり、「修得(卒業)」の結果あるいは目的として、立身出世があると、我々は思っている。

 しかし、かつて日本で最も一般的な「学問」だった漢学は、まず周囲の大人に素読の手ほどきを受け、15、6歳で藩校に入って四書を習うことに始まり、漢書や左氏伝に進み、資治通鑑あたりまで行くと、そろそろ(親が死んで)家督を継ぐことになって、なんとなく終わる。四書で終わったから恥ずかしいとか、資治通鑑まで行ったからエライという認識はない。やりたければ、一生、続けていてもいい。この「ゆかしい伝統」のため、明治初年の学生たちには、まだ「卒業」という感覚は希薄だったという。

 それから、学問の伝統というのは、意外なくらい「脆い」ということ。フランスでは、革命のあと、10~20年間(かな?)古典教育が行われなかった。やがて、大学で古典教育が再開されたときは、国内に古典語を読める適当な学者が見つからず、イタリアから教授を呼び寄せたという。明治初年の日本では、一時、国学と洋学の隆盛によって、公教育から漢学が外されかけたのだが、東大は、これを学科編成に取り込んだ。「まことに危ないところでした」という言葉が胸に重たく響いた。

 展示会は11月30日まで。先生、本当にお疲れさまでした。

(11月25日記)
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朝の山茶花

2005-11-23 23:15:27 | なごみ写真帖
この1週間、3つの訃報に接した。身内と、むかしの知人と、最近の知人の身内。
歯痛と風邪が重なって、気が滅入る。こんなときもあるか。

朝の山茶花が目に沁みる。


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明清の絵画と書跡・後期/静嘉堂文庫美術館

2005-11-22 13:52:37 | 行ったもの(美術館・見仏)
○静嘉堂文庫美術館『明清の絵画と書跡展―中国五百年の筆墨と彩―』後期

http://www.seikado.or.jp/

 東博の帰りに静嘉堂に寄った。こっちも前期に続く再訪である。中国絵画をじっくり見始めたのは、比較的、最近のことなので、作者や流派のことはよく分からない。今のところ、単純な好き・嫌いで見ているだけだが、いい作品が多いと、やっぱり空間が引き締まっていて、気持ちいい。

 日本の南画や狩野派によく似ていてるものもあるし、まるで似ても似つかないものもある。”中国絵画”の固定イメージどおりの作品もあるし、こんな作品もあるのか、と意外の感に打たれるものもある。

 李寅の「秋景山水図」は、中央に、丸い藁葺き屋根の家、裸の灌木が少々、茫洋とした湖面が開け、遠景には、島影ほどのなだらかな山が浮かぶ。中国絵画にありがちな突兀とした岩山はどこにもない。解説に「元末の文人画家・倪瓚が完成した平遠山水画様式の蕭散体による」とある。ふ~む、「倪瓚」も「蕭散体」も知らないが、余白の多い、平易な画風は、柿右衛門陶器みたいだなあ、なんて思う。

 袁江の「梁園飛雪図」も印象的な作品だった。手前に低い楼閣。雪を置いた松の枝。墨を流したような、暗い湖面。そして、背後の曇天に、無言の雪山が厳然と聳え立つ。楼閣の中にこそ、宮女たち(だったかな?)の姿が見えるが、それ以外の山水は、全く人間を拒絶するように存在している。このひとの絵、ちょっとおもしろいなー。描かれた自然が、人間に融和的な「山水」でなく、「自然」の顔をしているところがおもしろい。京博にあるという楼閣山水図屏風が見たい。

 この展覧会では、作品に添えられた「詩」の原文と読み下しが、必ず解説に添えられていた。実は、中国絵画というのは、題詩をきちんと読んでこそ、画面の意味が理解できるという構造になっているらしい。それどころか、画中に題詩が添えられていない場合でも、「この画の題詩(典拠)はアレだ」ということが、分かる人には分かったらしい。なるほど。日本の屏風絵や襖絵のありかたとも、非常によく似ている。ということは、詩文の素養のない現代人は、中国の古典絵画を見ていても、かつての文人の見方を、十分の一、百分の一も理解できていないのだろう。

 というのは、たまたま会場でお会いした板倉先生とのお喋りで得た新知識である(>ありがとうございました)。

(11月25日記)
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中国書画の精華・再び/東京国立博物館

2005-11-21 22:01:59 | 行ったもの(美術館・見仏)
○東京国立博物館 特集陳列『中国書画精華』後期

http://www.tnm.jp

 日曜日、東博に出かけたのは、『伊万里、京焼』のほかに目的がもう1つ、東洋館の『中国書画精華』(後期)を見ることだった。前期は主に南宋絵画、後期は少し時代が下って、元~明の絵画となる。

 元代の絵画は、どこか内省的で好きだ。「維摩図」「高士観眺図」には、内面に食い入るような写実を感じる。

 明代になると、現代人の感覚に近すぎて、逆に、どこに焦点を据えて見たらいいのか、分からなくなることが多い。と思っていたのだが、張路の「漁夫図」(護国寺蔵)を見て、なかなかいいじゃないか、と思った。斜めに張り出した岩壁の下を1艘の舟が滑って行く。舳先には網を打つ男、その後ろで櫂を操るのは、若い男か、それとも漁夫の妻か。二人の筋肉の緊張が、素朴に心地よい。

 李士達の「竹裡泉声図」もいいなあ。遠景には、獣の背のような、頂上の平たい山並み。中景は、白雲の間に、さらにひときわ白く輝く梅林。近景は、墨を流したような竹林の下を、豊かな泉水が白く泡立って流れ、白衣の高士と従者の童子たちが集う。質感の異なる白と黒のリズムが絶妙である。東博のホームページの解説によれば「明末の(略)奇想派を予告するような造型感覚」が感じられる由。なるほど。

 あっけに取られたのは「鼠瓜図」。白い瓜を、瓜の中に体を沈めた大きな黒ネズミが食い破っている図。その横に黒い小ネズミが2匹、白が1匹。このように説明すると、なんかグロテスクな場面を想像されてしまうだろうが、実は、童話の挿し絵のように可愛いのだ。カレル・チャペックとか――ロシアか東欧の絵本みたいだと思った。嘘だと思ったら必見。
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伊万里と京焼/東京国立博物館

2005-11-20 22:46:06 | 行ったもの(美術館・見仏)
○東京国立博物館 特別展『華麗なる伊万里、雅の京焼』

http://www.tnm.jp/

 入場待ちの列のできている、人気の『北斎展』を横目に、『伊万里、京焼』を見に行った。会場は、久しぶりの表慶館である(この夏、映画『姑獲鳥の夏』のジャパンプレミアが開催されたところ)。

 この展覧会の企画を聞いたとき、近年、焼き物、特に「伊万里」にハマっている私は、やったー!ついに東博だ!!と小躍りした。昨年の出光美術館の『古九谷』とサントリー美術館の『初期伊万里』、今年に入って、戸栗美術館の『館蔵・古伊万里』シリーズ、まだ行っていないけど松岡美術館の『古伊万里』など、類似企画は数々あれど、東博なら”決定版”の「伊万里」展を打ってくれるにちがいない、と思っていたのだ。

 展覧会の公式ホームページには「選りすぐりの作品約110件」とある。「選りすぐり」であることは否定しない。ただし、この数年、都内の「伊万里」「九谷」展をほぼ全て見ており、昨年暮れは、佐賀県の有田まで名品を見に行ってしまった私には、あ、これ見たなあ~という作品が多く、新しい発見は少なかった。いかんせん、数が少ない。手元のカタログによれば、昨年、出光の『古九谷』が120件、サントリーの『初期伊万里』が176件。今年の夏、戸栗美術館で行われた『館蔵・鍋島焼名品展』は、鍋島だけで110件だったことを思うと、東博には、もうちょっと頑張ってもらいたかったと思う。

 いいなあ、と思った作品のひとつは、古九谷の「色絵鳳凰図大皿」。白地に五彩の鳳凰を描いたもので、輪郭線がなく、色の塊りで構成された鳳凰は、素朴なキュビズムのようだと思った。それから、柿右衛門の魅力を、ついに”発見”したのは、今回の収穫であった。「色絵傘人物図有蓋壺」は、ヨーロッパ向けに輸出する”中国陶器”として作られたものだが、どう見ても中国陶器の緊張感がない。描かれた人物も、服装は中国風だが、顔立ちはのっぺりしていて、目鼻が小さく、浮世絵の若旦那ふうである。のんびりと、素朴で脱力した風情が魅力なのだ。

 後半の「京焼」では、仁清の「色絵月梅図茶壺」が必見である。灰白釉に金の雲、現在、梅の花が赤と黒で描かれているのは、当初の色彩が変化してしまったためか。さらに(別の画像で見ると)黒い月が描かれている。

 この茶壷の隣に、ちょっと気になる写真パネルが飾られていた。月に梅枝の文様は、茶壷そのままなのだが、黒を背景に白銀色の月が浮き上がっているのだ。もしかして、黒釉でペアの茶壺があったのかしら? 不審に思って、会場案内のお姉さんに聞いてみたら、「色絵月梅図茶壺」の文様を、壺の底から覗いてみたという想定で、デジタル処理した画像です、という。「平成館の1階で上映しています」というので、帰りに寄ってみた。

 短いビデオであるが、あっと驚くような美しい映像が見られる。これ、見逃して帰る人、多いんだろうなー。もったいない。『伊万里、京焼』の会場で、もっと宣伝すべきだと思う。
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