見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

「日本」のできるまで/黄金国家(保立道久)

2005-07-31 07:46:45 | 読んだもの(書籍)
○保立道久『黄金国家:東アジアと平安日本』(シリーズ民族を問う 3)青木書店 2004.1

 奈良時代後半から平安前期(8-10世紀)の日本と東アジア地域の関係を「通史的に」著述したもの。私は、まさか『中世の愛と従属』(平凡社, 1986)『平安王朝』(岩波書店, 1996)の保立先生が、古代国家論に踏み込むとは思っていなかったので、8世紀を論じた章が、とりわけ興味深かった。

 古代日本は、つねに東アジアの国際情勢と緊張関係を保っていた。白村江の戦いに敗れた後も、日本の朝廷には、「黄金の国」新羅を侵略したいという衝動が存在した。藤原不比等の四子が諸道の鎮撫使・節度使に任ぜられたのも(疫病の流行で頓挫)、淳仁天皇と仲麻呂が、弓の材料である「牛角」を大量に調達し、唐と軍事同盟を結ぼうと図ったのも、その一例である。

 韓半島って、こんなにも古い時代から、日本の欲望の対象であったのか。しかし、一方には、聖武天皇とか称徳=孝謙女帝とか、この国を平和と融和の政策に導こうとした人々もいた。

 百済系・高句麗系の渡来氏族は、天皇の「親衛隊」として軍制に大きな役割を担うとともに、東宮学士や后妃を輩出した。また、公卿のうちに必ず渡来系の王族・貴族を加えるという慣習も9世紀の仁明朝まで続いた(これって、ちょっとびっくり!)。古代日本は、小さいながらも「民族複合国家」であり、「軍国主義的な性格をもつ開発独裁国家」であったと著者は規定している。

 9世紀に至ると、渡来系氏族への賜姓(天皇家の系譜への取り込み)によって、「民族複合国家」の解消が進む。動乱・革命の続く中国・韓半島に対し、平和と秩序を保つ日本を優れた国とする思想、すなわち「万世一系」の思想が成立し、黄金国家のイメージをまとうナショナリズムと排外的イデオロギーが固定化する。

 10世紀に起きた遣唐使の中止以後、「国風文化が発展した」という説が根強い。実際には、このあと、天皇と異国人の面接タブーが形成されるものの、平安貴族たちは、ますます「唐物」を追い求め、天皇は、物欲だけの唐物趣味に閉じこもるようになる。この「面接の忌避」と「物欲だけの唐物(舶来品)趣味」というイメージは、日本の歴史を語るとき、たびたび現れるカリカチュアではなかろうか。

 王権論とは別に、円仁の入唐体験を例にして、10世紀の東アジアにおける宗教者のネットワークについて論じた段も面白かった。これは、もとの「入唐求法巡礼行記」が面白いということでもある。それから、タイトルの「黄金国家」の含意も非常に興味深いのだが、これはこれで1冊、別の本を書いてほしいと思う。
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韓半島とともに/同時代批評(和田春樹)

2005-07-30 13:21:40 | 読んだもの(書籍)
○和田春樹『同時代批評2002年9月~2005年1月:日朝関係と拉致問題』彩流社 2005.3

 小泉首相が北朝鮮を訪問し、日朝平壌宣言が出されたのが2002年9月。しかし、拉致問題の衝撃によって、日本国民に北朝鮮バッシングが沸き起こり、日朝交渉は後退を余儀なくされた。そして、バッシングに加担せず、理性的な態度を貫こうとした学者、政治家は、「拉致」を否定し、北朝鮮を擁護する者、判断の誤りが分かっても反省しない厚顔の輩、と非難されてきた。本書は、そんな情勢の中で、時には、いわれのない誹謗・中傷に対して果敢に反論し、時には、文筆によって、理性を失わない人々を励まし、連帯を呼びかけてきた著者の記録である。

 和田先生の印象的な風貌に初めて接したのは、1980年代末のテレビだった。ソ連の東欧体制の崩壊に際して、ソ連=ロシア問題の専門家として、各局のテレビに招かれ、いつも淡々とコメントを述べていらしたように記憶する。第一印象というのは拭えないもので、その後、北朝鮮にたびたび出かけていると聞いたり(これは1990年代)、慰安婦問題にかかわっていると聞いても、実のところ、「へえ~専門外なのに」とだけ思っていた。

 本書には、著者が1950年代、高校生の頃から朝鮮問題に関心を持ち、70~80年代、韓半島に存在する2つの国家に対する日本人の評価と好悪が、振り子のように大きく動揺してきた様子を、冷静に見続けてきたことが記されている。

 1960年代半ばまで、北朝鮮に関する情報と研究は、日本共産党が独占していた。しかし、1968年、北朝鮮ゲリラによるソウル侵入を容認できなかった日本共産党は、北朝鮮から離れると、それに代わって、日本社会党が北朝鮮に接近していった。「共産党は何といっても関係が古く、朝鮮研究の蓄積がありました。しかし社会党にはいかなる研究もなかったので、北朝鮮と関係をもつと、容易に北朝鮮のふところにとり込まれ、身動きがとれなくなっていく感があります」という言葉は示唆的である。

 70年代、小田実が北朝鮮を訪ね、感激して帰ってきたことに関しても、社会主義体制の国というのは「表だけ見たって何も分からない」のであり、資本主義社会と違って「『何でも見てやろう』の精神では歯が立たないのです」と評する。

 本書を理性的に読めば、著者が、北朝鮮の現体制を無批判に擁護する者でないことは明らかである。ソ連研究の専門家である著者は、「非常体制下に社会主義国家が見せる暴力性」を、一般の日本人以上に、実感として熟知している。それならば、金正日体制を早期に崩壊させることが、望ましい解決策であるのか。だが、泥沼化するイラク戦争は、対テロ戦争と称してこれを始めたアメリカの行動が、イラクの人々の心に残した傷跡と憎しみの深さを示している。

 だから、我々が「人間的な立場」を重視するならば、戦争を回避し、辛抱強く「北朝鮮がソフトランディングできるように図る」ことが唯一の解決策ではないか。これを著者は、本書のどこかで「金正日を抱きしめて、抱きすくめる」という、過激とも思える表現を用いて語っていた。まさにいま、韓国の盧武鉉政権が取ろうとしている政策がこれであると思う。

 北朝鮮を主体的に「抱きしめる」ことは、向こうのふところに「取り込まれる」こととは違う。かつての日本社会党や不用意な左派知識人の轍を踏まないために必要なことは、我々が、いっときの怒りに我を忘れたり、大衆迎合的なイデオローグに流されず、真に理性的であり続けることだと思う。

 そして著者は、日本がそのような困難な道を選択し、東北アジアにおける地域共同体の構築に進むために、韓国の連帯に期待する。東北アジアを結びつけるのは域内の全ての国に済むコリアンの役割である。「病んだ日本」を克服し、一面的な北朝鮮観に変化をもたらし得るものは、韓国の連帯と援助をおいて他にない。

 本当にそうだ。東北アジアの近未来については、日本と中国の覇権争いに注目が集まることが多いが、韓国の働きがなければ、平和維持と地域協力体制づくりは進まないだろう。「東北アジアの最後の希望が韓国にかけられている」というのは、決して誇張ではないと思う。

 私は、この新世紀を、そういう祖国に生きるコリアンの人々が切実に羨ましい。最近、日本の保守派政治家は、日本を「皆が誇りをもてる国」にしようということを盛んに言っているが、それならばこそ、他国を恫喝する強権国家を目指すのではなく、「東北アジアの平和の希望は”日本”にかけられている」と、世界中から期待される国になってほしい。そういう政治をしてほしいのだ、私は。

■和田春樹のホームページ
http://www.wadaharuki.com/

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さあ週末・キキョウ

2005-07-29 23:10:03 | なごみ写真帖
今週は、後半が外まわりの仕事で落ち着きませんでした。

浴衣の柄を思い出すキキョウ。
先週末に盛りだったけど、今週末はどうかしら。

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三国志映画に渡辺謙が主演

2005-07-27 21:34:42 | 見たもの(Webサイト・TV)
 中国関係の記事が続くが、

■ジョン・ウーの三国志映画に渡辺謙が主演!(eiga.com 05/07/26)
http://www.eiga.com/buzz/050726/08.shtml

...というニュースをYahoo!で見た。びっくりして調べてみたら、中国語圏の芸能サイトでは、今月の初めに、既に「噂」が報じられていた。ひやー。しかも役どころは魏の曹操だと。

■《赤壁之賦》明年夏天開拍 日本男星要演曹操?(中華網・電影頻道 05/07/02)
http://fun.china.com/zh_cn/movie/news/205/20050702/12450047.html

 そのほかにも、豪華な出演予定者が、最近、公になった。

■《赤壁之賦》力邀四大影帝 梁朝偉劉徳華闘智(中安娯楽 05/07/25)
http://entertainment.anhuinews.com/system/2005/07/22/001310030.shtml

 「四大影帝(映画スター)」とは、渡辺謙のほか、周潤発(チョウ・ユンファ)、劉徳華(アンディ・ラウ)、梁朝偉(トニー・レオン)のこと。配役はまだ明らかでないが、チョウ・ユンファが曹操と対立する蜀の劉備玄徳、アンディ・ラウとトニー・レオンは、それぞれ、劉備配下の諸葛亮(孔明)と、呉の孫権に仕えた知将周瑜のどちらかを演じるのではないか、と推測されている。いや~ほかの配役も楽しみだな。

 それにしても、渡辺謙の曹操か。「三国志」で、曹操の人気が高いのは日本独特の現象で、中国人は一般に曹操嫌いだと聞いたことがある。どんな作品になるのか、まだ「噂」の段階で気が早いようだが、期待したい。
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遣唐使の墓誌/東京国立博物館

2005-07-25 00:11:10 | 行ったもの(美術館・見仏)
○東京国立博物館 特別展『遣唐使と唐の美術』

http://www.tnm.go.jp/

 この日は常設展だけのつもりだったのに、入口のディスプレイを見たら、やっぱり素通りできなくて入ってしまった。淡い水色に白文字で「おかえり。」のポスターは、中国考古・美術展のイメージを裏切って、なかなか斬新である。

 呼びものは、なんと言っても、中国で昨年見つかった遣唐使「井真成」の墓誌だろう。先頃まで、愛知万博でも展示されていた。井真成は、717年(養老元年)、19才で唐に渡り、734年(開元24年)正月、36才で官舎で死去し、同年2月に万年県(長安南郊)に埋葬されたとある。井真成の本名(日本名)は未詳。また、正確な埋葬場所も分からないという。

 「才は天縱に稱(かな)ひ」「学に強(つと)めて倦(おこた)らず」など、故人の美質と業績を称えるのは、古今東西、死者を悼む文の定石というものだが、結びに「形は既に異土に埋むれども、魂は故郷に帰らんことを庶(ねが)ふ」と付け加えたあたりに、いくぶんか作者の真情が表れているように感じる。

 この墓誌は誰が文を起こしたのだろう。井真成の同輩だろうか。その人物は、漢民族だったのか、それとも井真成と同じく、どこか遠い国から唐土にやって来た人物だったのか。墓誌の作者を阿倍仲麻呂だとする推測もあるらしい。そうであるかもしれない。しかし、別に同じ日本人でなくたっていい。”民族複合国家”大唐帝国の官僚組織には、「魂は故郷に帰らんことを庶ふ」という望郷の想いを共有できる境遇の異邦人が、たくさんいたはずだ。「彼」は新羅人かも知れないし、青い目の西域人かも知れない。

 いま、ちょうど保立道久先生の『黄金国家』(青木書店 2004.1)を読んでいることもあって、そんな想像をしてしまった。あと、リービ英雄さんの『我的中国』(岩波書店 2004.1)も思い出すなあ。古都開封の路地裏で「一千年前、中国人になったユダヤ人」の痕跡を探し求めるという、私小説的中国紀行である。

 実物の墓誌は、文字が美しいことに驚く。少し女性的で、流麗な筆致である。同時代の日本の墓誌も展示されてるのだけど、全く格が違う。比べると、日本の墓誌は、まるで子供の字だなあ...

 会場は、続けて、唐時代の美術品を展示している。中国・陝西歴史博物館からは、和同開珎が発見されたことでも有名な、西安・何家村の出土品が、かなりの数、来ている。非常に精緻な工芸品が多い。宣伝チラシの裏面に写真の載っている金製の龍を見たときは、思わず、声を上げそうになった(見た人なら分かるはず~)。東博の館蔵品や、国内の他の美術館から借りたものも多いが、意外と逸品揃いで感心した。

 というわけで、観客は唐朝の雅(みやび)を満喫できるが、しかしなあ、「おかえり。」と言っておいて、唐の美術と一緒に展示するというのは...中国帰りの人を中華飯店でもてなすようなものじゃないのか。井真成の墓誌は、ぜひ奈良博に連れて行ってあげたい。それでこそ「おかえり。」だろう。
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清代出版うらばなし/紀暁嵐3

2005-07-24 00:48:31 | 見たもの(Webサイト・TV)
○48集電視連続劇 《鉄歯銅牙紀暁嵐3》

http://ent.sina.com.cn/v/f/jxl3/index.html

 清朝盛期を舞台にした古装劇。スカパーで日曜日の夜に2話ずつ放映されている。期待どおり面白いので、ビデオに録って、毎週2回ずつ見ているが、飽きない。

 7、8話でひとつのストーリーが完結する形式で、いま、第2単元に入った。第2単元では、当代の名士・紀暁嵐の贋者が現れ、出世のチャンスをうかがっている地方官たちの間をまわって、乾隆皇帝の御製詩集を出版するための出資を持ちかける。詩集に協力者として名前が入れば、皇帝の覚えもめでたいはず、と思って、詐欺師の罠にはまる官人たち。「これで貴方は”副編集”、あといくらいくら出せば”総編集”にもなれますよ」と囁かれ、嬉々として小切手を切ってしまう。

 うーむ。私は漢籍の目録の取り方を聞きかじったことがあるのだが、たとえ書物に「○○○編集」という人名が入っていても「実際に編集にかかわったと思えない人名は採用しない」というルールの裏には、こういう事情があったのか! 妙に納得。

 でも、日本では、こういうこと、無いんじゃないでしょうか。書物の編集者や監修者になることが名誉だという考え方、まして、その権利をお金で買おうという習慣は、あまり聞かないように思う。

 さて、本物の紀暁嵐は、皇帝の密命を受け、故郷・河間府の「密偵」にやってくる。知事の愈大人は、公金を横領してひそかに蓄財に励んでいる疑いがある。その証拠は、愈大人の書斎に無造作に積まれた古書の数々。紀暁嵐先生、今シリーズの相棒、聡明な陸姑娘を試してみる。「『儀礼』の最も高価な版本は?」「1つは厳州本、もう1つは景徳官本」「その2種類ともここにある」。さらに陸姑娘は、そこらの書物を手に取ってみて「これは唐代写本の説文解字!」「こっちは元相台岳氏本孝経!」と驚く。

 なんとまあ、娯楽時代劇にしては、ペダンティック(学術的に正しいかどうかは置いといて)じゃないか、と思った。どうなんでしょ? よく知らないけど、日本の時代劇、たとえば「水戸黄門」で、これは藤原定家の小倉色紙!こっちは公任筆の古今集!なんて場面はあるのかしら(日本の場合、「出版」が成立するのが遅いから、筆写者の有名度が尺度になってしまうんだな)。

 ちなみに「(元)相台岳氏」は中国の歴史上有数の蔵書家らしい(中国語Googleで調べてみました)。ドラマでは、このあと、墨、筆、紙などの文房四宝に話が及ぶのだが、それにしても、中国の歴史と文化が、いかに書物と切っても切れないかが垣間見えて面白かった。

■北京ニーハオ:紀暁嵐故居 有料に(2005年7月5日)
http://www.bjnihao.com/cjk/show.php3?id=912
次回、北京に行ったら、訪ねてみたいと思っているのだが、この夏、機会はあるかしら。

■紀曉嵐全傳(熾天使書城)(中国語)
http://www.angelibrary.com/real/1/index.html
ネットで読む小説サイト。中華圏ではすごく盛んらしい。そのうち読んでみようと思うので、ここに掲げておく。
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夏の花・ルリマツリ

2005-07-23 22:43:58 | なごみ写真帖
ルリマツリ、つまり、瑠璃色(水色)の茉莉花(マツリカ、ジャスミン)。
むかしから私の憧れである。

偏見かもしれないが、都心ではあまり見かけない。
郊外のこじゃれた住宅地を歩くと、ときどき、洋風の生垣に植わっていて、
はっと胸がときめく。

スペインに行ったとき、猛暑の一日が終わって、夕暮れの街角で、この花を見た。
中庭を渡ってくる風を、冷やすような瑠璃色だった。

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逸品・中国の陶芸/五島美術館

2005-07-22 22:40:21 | 行ったもの(美術館・見仏)
○五島美術館『館蔵 中国の陶芸展』

http://www.gotoh-museum.or.jp/

 同館が所蔵する中国陶磁器の名品展。もと、創立者の五島慶太氏が収集したものだ。個人コレクションというのは、博物館の学芸員が「学術的」な視点で集めたものとは、どこか違う。状態のいいものが多いし、どの作品にも、どこか人を惹きつける魅力があって、「眼福」を感じさせる。
 
 展示品の時代、地域、技法はバラエティに富んでいる。時代的には、戦国時代(紀元前4~3世紀!)から、漢、唐、宋を経て、明清時代に至り、中国の陶芸を通史的に一覧することができる。その中では明代の作品が多い(明治生まれの五島氏にとっては、清代って、ほとんど同時代で骨董の価値がなかったんじゃないかな)。

 三彩、青磁、白磁、青花、赤絵など、陶芸の技法もさまざまである。また、中国の陶芸は、青磁といえば浙江省の龍泉窯、白磁といえば河北省の定窯、黒釉の天目茶碗で知られる江西省の吉州窯や福建省の建窯、福建省の呉州赤絵など、特定の技法を得意とした「名窯」が、各地方にある。今回の展示では、そうした「名窯」の代表作を、簡単で要を得た解説とともに見比べることができて、非常に興味深い。

 全体を見渡した印象では、古典的な三彩・青花がやや少なく、青磁・白磁はほどほど、比較的、赤絵が多いように思った。明代の作が多いためでもあろうが、収集家・五島翁の趣味が反映しているのかも知れない。

 赤絵の種類もいろいろ覚えたので、ここにまとめておく。初心者のノートなので、多少の間違いがあるかもしれないことを断りながら。万暦赤絵(明代万暦年間、景徳鎭の官窯の産、絢爛豪華)・天啓赤絵(天啓・崇禎年間、民窯系の産、飄逸な味わいが日本人好み)・呉州赤絵(福建の産、自由闊達な筆づかいが特徴)・南京赤絵(清代、景徳鎮の民窯で輸出用に焼かれた)。勉強になった!

■参考:古伊万里のこころ 源右衛門窯
http://www.gen-emon.co.jp/
 白磁について調べていたら、上記サイトの「世界の古窯めぐり 第2回・中国白磁の旅」のページがヒットした。こういうテーマで統一した旅もいいな。ちなみに私は、昨年暮れ、はるばる佐賀県有田町を訪ね、有田駅~上有田駅間のショールームや資料館は、片っ端から見て歩いたんだけど、駅から遠い源右衛門窯は見残してしまった(いまさらだが、残念だなあ。いつになるか分からないけど、次回は必ず...)。さて、このホームページ、単なる商品の売込みに終わらず、「古伊万里トーク」「料理と器~出会い旅~」など、周辺情報が充実していて、けっこう面白いと思う。今後も応援したい。
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その日が来る前に/八月十五日の神話

2005-07-20 23:54:18 | 読んだもの(書籍)
○佐藤卓己『八月十五日の神話:終戦記念日のメディア学』(ちくま新書) 筑摩書房 2005.7

 はじめに、1945年8月15日の新聞紙面を飾った代表的な報道写真の数葉が、実は「やらせ」や、異なる日付・異なる状況を撮影したものであることを検証する。写真だけではない。同日の『朝日新聞』朝刊(午後に配達された)で、玉音放送の直後、皇居前広場で泣き崩れる人々を活写した記事は、入稿のタイムリミットから考えて、あらかじめ書かれた「予定原稿」でしかあり得ないという。

 こうして「写真は真実を伝える」「新聞は事実を伝える」という素朴な思い込みを取り払った上で、8月15日についての「定番の語り」が形成されていく様子を跡付ける。「古いとされるものも実は新しい」という、「創られた伝統」を暴き出すのは、メディア・スタディーズの得意とするところだ。

 そもそも、日本の「終戦記念日」は、なぜ、ポツダム宣言受諾の8月14日でなく、停戦命令の発せられた16日でもなく、玉音放送の15日でなければならないのか。戦艦ミズーリ号上で降伏文書の調印が行われた9月2日であってはならないのか。そこには、メディア、大衆、知識人など、さまざまな思惑と欲望が複雑にからんでいる。

 多くの日本人、特に戦争の遂行にかかわった日本人には「戦争に負けた」という事実から目を背けたい気持ちがあった、と言えよう。一方、丸山真男をはじめとする左派知識人は、新生日本の出発を「8・15革命」という言葉で称えた。占領国アメリカは、アメリカ本位の歴史意識を根づかせるため、「9月2日降伏記念日」を強く押し出し、「8月15日終戦」の記憶を封じ込めようと試みたが、サンフランシスコ講和条約以後、この対日政策は急速に軟化する(ただし、アメリカ国内における対日戦勝記念日VJデーは、今も9月2日である)。

 最も大きな影響力を持ったのは、「8月=魂迎えの月」という日本の古い伝統なのかもしれない。明治5年の改暦によって、太陰暦から太陽暦への切り替えが行われたが、実際には、新暦7月15日のお盆に移行したのは東京だけで、西日本では相変わらず旧暦(太陰暦)お盆、近畿・中部では中暦(新暦8月15日=月遅れ)お盆が並存していた。これが、おおむね全国的に、月遅れお盆に集約され、8月15日に「甲子園野球大会」「盆踊り」「全国戦没者追悼式」というメディア・イベントが完成するのは戦後のことである。

 また、8月15日の玉音放送を特権化する心性には、暦をつかさどり、時代を区切る「日和見」としての天皇の力(折口信夫、宮田登)が働いているとも言える。ここには、メディア・スタディーズの別の一面、「新しいとされるものも実は古い」という歴史の古層が、掘り起こされている。

 最後に著者は、国内外の歴史教科書を、長期の時間軸にわたって、検証・分析している。そこには、昨今の「教科書問題」報道では見えてこない、さまざまな問題があることが分かる。

 たとえば、小中学校の歴史教科書では「8月15日終戦」記述が一般的だが、高校の日本史教科書では「9月2日降伏」記述が標準であること。圧倒的なシェアを誇る山川出版社の歴史教科書では、『詳説日本史』がグローバル・スタンダードの「9月2日」型なのに、『詳説世界史』は「8月15日」型であること(私は高校で日本史を取らなかったから、9月2日の記憶が希薄なのか!)。

 中国は、もともとソビエト標準の9月3日を「抗日戦勝記念日」としていたが、近年、日本のメディア・イベント(閣僚の靖国神社参拝など)に引きずられるかたちで、8月15日の比重が増していること。

 教科書とは無関係だが、イギリスのVJデーが8月15日である理由とか、フランスが21世紀に入ってから9月2日のVJデーを祝い始めたことも興味深い。また、近年、「太平洋戦争」に代わって用いられることの多い「十五年戦争」という呼称に対しても、韓国国内には「中国中心史観」である、との批判が存在するという。確かに韓国の立場からすれば、五十年戦争、七十年戦争という言い方も不思議ではない。

 そのほか、「戦争の記憶」および「記憶の戦争」について、深刻だが、さまざまに興味の尽きない問題を提起した一冊である。
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夜のヒマワリ

2005-07-19 23:20:40 | なごみ写真帖
週末は死ぬほど暑かったので(やれやれ)、近所の花屋で買ってみました。
室内においておくのは、ちょっと可哀相かな。
もう夏ですね。

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