見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

末摘花~花散里/源氏物語(2)

2004-08-31 15:40:07 | 読んだもの(書籍)
○玉上琢彌訳注『源氏物語 第2巻』(角川文庫)1965.2

 10日間の中国旅行を間にはさんで、読んでいた。ちょうど旅行前に読んだ「末摘花」「紅葉賀」「花宴」は、明るく華やかで、ちょっと滑稽で、いかにも若々しい才気にあふれている。

 帰国後は「葵」の途中から読み始めた。そのせいか、この巻は、曲がり角をまがるような、または、上り坂がゆるやかな下りに転じるような印象を受けた。

 下りというのは衰退の言いではない。物語は、俄然、陰影を濃くし、骨太の長編小説の面貌をあらわにし始める。葵上と六条御息所の車争い、御息所の生霊の出現、葵上の出産と死、紫上との新枕、御息所の伊勢下向(野々宮での別れ)、桐壷院の崩御、源氏藤壷の座所に忍び入る、藤壺突然の出家、朧月夜尚侍との密会の発覚...と、次々に名場面が繰り広げられ、息つく暇もないほどだ。

 しかも、それぞれの名場面がちゃんと次の名場面を用意している。車争いに敗れた屈辱が、誇り高い御息所を葵上に取り憑く怨霊にさせ、妄執のあさましさに気づいたとき、御息所は伊勢下向を決意する。葵上を失った悲しみを忘れるように、源氏は紫上との新枕を慰めとする。源氏の藤壺に対する思慕は、院の崩御によって歯止めを失い、ついに藤壺の座所に忍び入る、というふうに、いくつもの因果関係が交差しながら、するすると回る車のように、滑らかに物語の進行を押していく。

 たぶん作者は、この「葵」あたりで、作家としての自覚を得たに違いない、と思う。

 ああ、うまいなあ、と思うのは、たとえば、葵上の薨去を除目の日(人事異動の発表日)に重ねていること。この日、男性たちは誰も彼も出勤しないわけにはいかないので、源氏も病床に葵上を残して参内する。その晩、葵上は容態が急変し、人数の少ない邸内で、愛する人に看取られることもなく、さびしく息絶えてしまう。この設定の、しびれるような残酷さ...

 愛娘に先立たれた左大臣は、立ち上がることもできず、「かかるよはひの末に若く盛りの子に後れ奉りて、もよこふこと」と嘆く。ここは「もよこふ」(這いずりまわる)という古語が効いている。

 この老左大臣も愛すべきだが、その息子の三位中将(ここでは)もいい。葵上の死後、沈みがちな源氏を慰めにやってきて、いつもどおりのエロ話などして(例のみだりがはしき事を聞こえ出でつつ慰め聞こえ給ふ)、そのあげく、人の世のはかなさを嘆き交わして、涙を落としたりするのだ(はては、あはれなる世を言ひ言ひて、うち泣きなどもし給ひけり)。く~ぅ、男らしくていい男だなあ。

 あと、朧月夜の尚侍との密会を見つけられたときの源氏のふてぶてしさとか...こういうのを読んでいると、作者って、老若とわず男性をよく見ているなあ、と思う。いやあ、こういう男性像は、十代かそこらの少女マンガ家には描けないでしょ。中年男と恋愛したり、中年女の目で若い男を見たりする訓練(?)がないと。

 というわけで、3巻に続く。

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蘇州の蓮

2004-08-29 23:30:53 | なごみ写真帖
中国旅行から帰ってきました。
今日は1日休養して、明日から仕事復帰。
あ~あ、夏も終わりだね。

10日間の見聞録は、これから、ゆっくり書きます。
とりあえず、蘇州の庭園でとった蓮の花でもあげておこう。



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【写真集】江南名勝捷径(3)杭州、紹興

2004-08-28 23:35:00 | ■中国・台湾旅行


杭州の西冷印社。

白堤を渡って、弧山に渡ると、浙江省博物館、文瀾閣(博物館の構内)、浙江図書館古籍部、楼外楼、西冷印社の順に並んでいる。

西冷印社の紹介。そうそう、文具の販売所はこんな感じでした。 http://www.xitong.net/hztour/seirei.html

レストラン楼外楼のサイト。BGM付き(中国語)。
http://www.louwailou.com.cn/

「白堤は白居易(白楽天)が造ったものではない」(中国語)。 http://big5.xinhuanet.com/gate/big5/news.xinhuanet.com/book/2004-08/06/content_1724761.htm


 

左:一度はガイドさんに「もうなくなった」と言われた白塔。
右:杭州碑林。

どちらも、滅多に日本人が行かない穴場。

杭州碑林のそばにある「娃哈哈小学校」の消息(中国語)。 http://www.wahaha.com.cn/news/company/2004/04/28/wahaha663.html

娃哈哈の製品ではないのだが、最近、中国では「他+(カレ)」「她-(カノジョ)」という、男性用・女性用の「効能飲料」が売れているらしい。杭州のコンビニで「她-」を買ってみたら、「アミノサプリ」みたいで、けっこう美味しかった。
http://nikkeibp.jp/wcs/leaf/CID/onair/biztech/medi/319160


紹興の魯迅故里居。

「孔乙己(コン・イーチー)」といえば、魯迅の小説の主人公で、酒びたりで暮らすダメ知識人だが、紹興名産のブランド名になっている様子。

小説の中で孔乙己が通う「咸享酒店」も実在する。


紹興の大禹陵。

中国の歴史は「殷」から始まると習った世代の私は、その前の「夏」の禹王に、こんな立派な御陵があると、ちょっと戸惑う。 http://www.tcat.ne.jp/~eden/Hst/dic/hsia.html
高校の時の歴史の先生は、自分が学生の頃は「周から歴史時代」だったと言っていたっけ。

この夏、河南省で夏王朝の都市らしき遺跡が見つかった。 http://news.searchina.ne.jp/2004/0721/national_0721_005.shtml
「もうすぐ高校の教科書が書き変わる」なんて、気の早い噂も流れているようだが、どうだろうか。


紹興の郊外、印山越国王陵のまわりの茶畑。

杭州・龍井(ロンジン)の茶畑は山がちだったが、このあたりは比較的平坦。
紹興産のお茶は、ほとんどが日本企業に買い取られるそうだ。

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【写真集】江南名勝捷径(2)鎮江、蘇州

2004-08-28 23:34:00 | ■中国・台湾旅行

鎮江の金山寺。 塔の上から境内を見下ろす。

異類婚姻譚「白蛇伝」で有名。美しい白蛇の精・白素貞は、美青年・許仙に一目惚れする。この仲を引き裂くのが、金山寺の僧侶・法海。京劇にもなっている。
http://tuziblack.hp.infoseek.co.jp/page170.html

日本人は「金山寺」と聞くと反射的に「味噌」を思い出すが、これはこの金山寺ではないらしい。
http://homepage1.nifty.com/hint-yf/Wao_kinzanji.htm

現地では香酢が名産で、お土産にいっぱい売ってました。 http://www.zjhk.cn/(中国語のページ)


蘇州の拙政園(せっせいえん)。

明の王献臣という人が、官職を追放されて、故郷の蘇州に戻ったあと、寓居したところ。豊富な水を引き入れて、池や運河を作り、蓮と柳の豊かな緑が庭全体を優しく包み込む。典型的な江南の名園。

写真は、園の外の北寺塔を「借景」に利用したところ。


同じく、拙政園。

「遠香堂」と名づけられた四面ガラス貼りの小さな建物。
春は西の梅林、夏は北の蓮池など(あと何だっけな?)、四季折々に花の香りを楽しむことができる。

まあ~源氏の六条院みたいじゃないか!!


 

寒山寺。

左:楓橋(ふうきょう)。
右:寒山寺のご住職さま。ちょうど日本人の団体が来ていて、揮毫や記念撮影に応じていた。

とにかくこのお寺は日本人に大人気、大繁盛。かつては流行歌「蘇州夜曲」に歌われたこともあって、除夜の鐘ツアーは定番らしい。
http://jp.chinabroadcast.cn/1/2004/01/09/1@1696.htm
(鐘をつく住職の写真あり)

寒山拾得を「和合二聖」と定めたのは清の雍正帝だそうです。吉祥図案集(中国語)から。
http://www.chnmuseum.com/mcy/cc/rw/2.htm


宝帯橋(ほうたいきょう)。

蘇州の郊外にあるので、あまり日本人は行かない。
めずらしく訪れた日本人の旅行記はこちら。
http://www.globetown.net/~iwahashi/houtai.html

橋の片側は隋の煬帝が造った大運河。片側は湖の入口になっている。つまり、運河を横切るのでなく、運河と並行して架けられている。

波を蹴立てて頻繁に行き交う船は、見ていて飽きない。

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【写真集】江南名勝捷径(1)南京、揚州

2004-08-28 23:33:00 | ■中国・台湾旅行

南京の紫金山天文台。

展示されている儀器の説明は
http://yea.jp/hp9100i/kankou/tianwentai/tianwentai01.html
が詳しいです。全て説明板(中国語)の写真付き。

ちなみに私が勤めていた三鷹の国立天文台もかなり趣きがあります。写真はこちら。
http://www.intwk.co.jp/YAMADA/build2b/tenmon.htm


南京の下町、夫子廟あたり。
よく見るとものすごい人出である。

船が浮かんでいるのは秦淮河。杜牧の「夜、秦淮に泊して酒家に近し」なんて、わけも分からずに好きで暗誦してたな、高校生の頃。

「大木先生の近著」というのはこちら。
http://www.seidosha.co.jp/isbn/ISBN4-7917-5938-9.htm

私はどうも著者が身近にいる本は読めない。まあ、私の職場が変わったら、ゆっくりと。


揚州の大明寺。鑑真和上が住した寺。

鑑真記念堂には、1980年に日本から贈られた、唐招提寺の鑑真像の模像が鎮座している(写真中央)。
お堂の造り(屋根の反りとか)も唐招提寺を模しており、「中国らしくない」という、倒錯した印象を与える。

唐招提寺の鑑真像は、来年(2005年)早々、東京に来るようですね。
http://www.tbs.co.jp/p-guide/daiji/event01/index-j.html


 

揚州の痩西湖公園。

左:五亭橋。雨宿りしたところ。

右:園内の白塔。清の乾隆帝が南巡の折、「揚州の景色はすばらしいが、惜しむらくは白塔がない」と言ったところ、接待係の大商人が一夜で白塔を建造してしまったという。

この説話、ちょっとずつ変化して伝わっていて面白いです。詳しくは以下を参照(中国語)。
http://news.yztoday.com/275/2004-08-04/20040804-338039-275.shtml

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【10日目】上海~帰国

2004-08-28 23:32:18 | ■中国・台湾旅行

■上海博物館

 最終日はお昼まで自由行動。全員で上海博物館に行き、入口に11:30と決めて、それぞれ見てまわる。

 最上階からまわり始めた私は、最後に1階の彫刻室にたどり着いた。仏像の名品が多い。それでも、急げば全部見られるだろうと思っていたのだが、中国人観光客のグループに気を取られてしまう。

 中国人はガイドつきツアーが好きで、2、3人の少人数グループでも、よくガイドさんと一緒に博物館をまわっている。私が見かけたのも親子と思しき3人連れで、女性のガイドさんが説明をしていると、ほかの参観者が集まってきて、7、8人くらいの輪ができる。

 この説明がなかなか面白いのである。お客やまわりの観客も、日本人のように一方的に説明されているのでなく、気軽に質問したり、感想を述べたり、ガイド さんとの会話を楽しんでいる。なるほど、こういう博物館の楽しみ方もあるな、と思って、感心した。しかし、ついつい彼らの会話が気になって、結局、時間ま でに館内全室を見終わることはできなくなってしまった。

 ほかの面々も遅れがちに集合。ホテルで待っていたマオさんを少し心配させたようだが、なんとか無事に搭乗手続きを済ませ、台風の影響を受けることもなく、日本に帰りついたのである。

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【9日目】杭州~紹興~上海

2004-08-27 23:31:17 | ■中国・台湾旅行

■魯迅記念館、禹陵、そのほか

 杭州を離れ、紹興へ向かう。高速道路の両側には、三角屋根を聳え立たせた3、4階建ての住宅が並ぶ。洋風とも中華風ともつかないが、どの家もほとんど同じデザインである。近郊農業で豊かになった農家だと言う。

 この日は、ツアーで初めて、夏らしい天気となった。紹興でローカルガイドの黄さん(女性)と合流し、魯迅記念館を見学。周囲は、最近、観光街区として整備されたばかりらしい。強い日差しが塗りたての白壁を際立たせている。


 会稽山のふもとにある禹陵(夏王朝の創始者である禹王の陵)の周辺も、大規模なステージを作ったり(”禹王まつり”に使うらしい)、山頂に巨大な禹王の像を立てたり(!)、観光開発が進んでいた。どうも紹興という町は、ものすごいお金持ちらしい。

 住宅街に残る八字橋(南宋の遺物)は、今も普通の人々の生活に溶け込んでいてよかったが、これも近々「宋街」に作り変えられてしまうことだろう。

■蘭亭、越国王陵

 午後は蘭亭へ。表に康煕帝が蘭亭集序を刻み、裏に孫の乾隆帝が自分の文章を刻ませた石碑がある。「皇帝の書が裏側にある」というのは非常に珍しいのだそ うだ。最近、私にとっては、康煕帝も乾隆帝も”時代劇の中の人”なので、格別の親しみがある。たぶん一般の中国人も同じで、「これは乾隆帝の字だそうだ」 「おお、きれいねえ」なんて嬉しそうな会話が聞こえてくる。

 「越国王陵」というのは、石川さんの話によると「JTBかどこかのツアーに入っていたので入れてみた」とのこと。蘭亭に近い「印山越国王陵」に向かいながら、ローカルガイドさんが「ここでいいですか?間違ってませんか?」と石川さんに確認を求める。「ええ、いいです」と答えながら、「実は僕もよく知らない」とつぶやいている。

 茶畑の真ん中にある丘陵に到着。印山博物館と名づけられた覆い屋の下に、巨大な古代の墳墓が収まっていて、迫力があった。

 最後は紹興酒の工場へ。試飲のあと、甘口辛口、花彫酒(本来は吉祥図様を彫刻した甕に入ったもの)を各種並べられ、みんな、どんどん買う。最初の頃の倹約精神は何だったの...。

■上海(和平飯店)

 高速道路を走ること4時間余り、上海に到着。電力不足の影響か、ちょっと町が暗いかな?と思っていると、マオさんが「もうすぐ最高の夜景ポイントですよ~!」と注意を促す。目をあげると、高速道路は、突然、黄浦江につきあたり、まるでダイビングするように、急カーブを切る。その瞬間、一気に光の洪水の ようなバンドの夜景が目の前に広がった。

 宿泊は、バンドの象徴とも言える老舗ホテルの和平飯店。「今夜は時間も遅いので、夕食はホテルの中のレストランにしましょう。席だけ予約しておきました から、皆様で行ってみてください」と申し渡される。しばらく夜景を眺めてバンドを散歩したあと、レストランへ(大木先生もおすすめ、北楼8階の「龍鳳庁」 である)。

 メニューを開くと、さすがにこれまでのレストランとは値段が1桁違うと思ったが、細かいことは気にせずに注文。と言っても、無茶苦茶な豪遊をしたつもりはないのだが、請求書を受け取ってびっくり、なんと2,500元だった。これまでは高くついても500元程度だったから、一挙に5食分である。まあ、それでも日本円に換算すれば1人あたり5,000~6,000円だから、普通の飲み会並みなのだが。

 さらに1階のジャズバーで「老年爵士楽隊」(老年ジャズバンド)の演奏を聴き、上海の短い夜を楽しんだ。

和平飯店 龍鳳庁(ただし朝食風景)

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【8日目】杭州

2004-08-26 23:29:55 | ■中国・台湾旅行

■西湖

 杭州のローカルガイドも女性の徐さん。西湖の遊覧船が発着する蘇堤のたもとは、朝からものすごい混雑。身動きできないほどのお客を詰め込んだ、奴隷船みたいな船も出て行く。我々の乗った船は、外国人ツアーが多く、あちらで英語、こちらで韓国語の説明が飛び交う。接近中の台風の影響でかなり風が強い。白堤の柳が激しく一方向に煽られている。

 

■西冷印社

 電気自動車で白堤を渡り、西冷印社、浙江省博物館などが並ぶ孤山という島へ。

 ちなみに蘇堤は蘇東坡、白堤は白楽天が造った堤とされているが、後者には異説もあるらしい(古来、日本人は白楽天好きだから、この説、動かないんだろうなあ)。ガイドさんは別の説明をしていた。

 西冷印社は、清末に活動を始めた学術団体で、金石篆刻の研究を行っている。ひととおり見学のあと、文具の販売所に案内される。確かに観光地のおみやげ屋 よりいいものを扱っていると分かる。「ここは学術団体だから絶対安くしないのよ」という菅野さんの話だったが、最近は商売気が優ってきたのか、お愛想程度に負けてもらい、お土産の朱肉を購入。

 一方、栗林さんは、定価6万円の絵画の掛け軸に執心。ご主人のほうはあまり乗り気でなかったが、結局、家庭内で商談(?)が成立した様子。多少のディスカウントはあったものの、我々の中国ツアーの「高額お買い物記録」を大幅に更新することになった(これまでの記録は菅野さんの拓本1万円)。

■浙江省博物館、楼外楼

 浙江省博物館は「そんなに大きな博物館ではありません」と言われていたが、十分見応えがあり、構内にある文瀾閣(四庫全書を収めたところ)の建物を見落としてしまった。

 西冷印社と博物館に挟まれた位置にあるのが、杭州随一の老舗レストラン、楼外楼である。「東坡肉」(ご存知トンポーロー)「龍井蝦仁」(ロンジン茶葉で 味付けしたエビの炒めもの)など杭州名菜が並ぶ。「叫化童鶏」(コジキドリ)は、詰め物をしたトリを蓮の葉に包んで蒸し焼きにしたもの(これって「射雕英雄伝」に出てきたなあ!)。飲みものは杭州ブランドの「西湖ビール」。もちろん、紹興酒も忘れない。

杭州名菜”乞食鶏”の食べかた


 というわけで、このツアー初めての贅沢な食事を満喫する。やっと、いつもの中国に来た気分(やっぱり、中国旅行で食をケチってはいけないかな?)。当 然、食事代はいつもの予算をオーバーしたが、栗林さんが掛け軸を買ったことで、我々のランクが跳ね上がったのではないかとささやきあう。

■杭州碑林、白塔、六和塔

 杭州碑林を見学。碑林のそばに「娃哈哈小学校」(娃哈哈 wahaha は中国の飲料メーカー)というのがあった。

 銭塘江河畔の白塔と六和塔に向かうはずが、ローカルガイドの徐さんは「白塔はもうない」と言う。しかし、杭州で買った2004年版の旅游地図にもマークは載っているのだが。「どうします?」と相談を受け、団長の石川さんが「とりあえず、その場所にだけ行ってみてください」とお願いする。

 行ってみると、周辺には新しい高層マンションが建ち並んでおり、これは本当に無くなったかな?という雰囲気。しかし、窓の外を見ていた石川さんが、道路から少し奥まった木立の中に、塔の先端らしきものを見つけ、「車を止めてください」と声をかける。

 塔までの道を探している時間がないので、運河を挟んだ工事現場からの遠望になってしまったが、とりあえず見ることができて満足。「すみません。会社では、なくなったと聞いたものですから」と恐縮するガイドさん。まあ、我々の行き先が少々変り種すぎるのであろう。

 六和塔は塔の下までは行ったが、見上げるだけに終わった。

■霊隠寺

 閉門時間を気にしながら、山の中にある霊隠寺へ。集合時間を決めてもらって、門前の「飛来峰」(天竺から飛んできたと言われる)を自由散策する。文殊、普賢、弥勒(実は布袋さん)など、個性のはっきりした石刻像がおもしろい。

 岩壁には○○洞、××洞という名前が赤字で書いてあるので、いちばん古い「青林洞」を探したが、見つからずに時間切れ。出口まで戻ったところで案内板を見つけ、やっと青林洞の位置が判明する。石川さんは「写真を撮ってくる」と駆け足でUターン。

 駐車場のマオさんに合流して「石川さんは後から来ます」と報告すると、「石川さんは熱心ですねえ」と感心する。「彼はおいくつですか?」と年齢の話に なったので、「いくつだと思いますか?」と聞いてみたら、「うーん。35歳」というのは、かなりサービスが入った答え。「いや、気持ちはきっと35歳でしょう」とのこと。

 最後に龍井茶の販売所に立ち寄る。無錫の真珠クリーム、蘇州のシルクふとんなど、お買いものスポットでは断固として財布の紐を緩めなかった我々だが、西冷印社と楼外楼の豪遊ですっかり鷹揚な気分になり、「7缶で1万円?じゃみんなで」と共同購入。

■夜のエンターティメント

 夕食後は、オプション料金を払って「西湖之夜」というショーを見に行く。歌ありダンスあり雑技あり、ひとことで言えば豪華絢爛、大人数がめまぐるしく登場するエンターティメントである。しかし、杭州の歴史を素材にした第一部はともかく、西洋人のダンスチームが登場する第二部は予想外だった。田舎から杭州に出てくる中国人観光客にとっては、格好の娯楽なんだろうな。

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【7日目】蘇州~同里~杭州

2004-08-25 23:28:42 | ■中国・台湾旅行

■文廟、滄浪亭、盤門、宝帯橋

 蘇州の文廟には、なんといっても、あの「蘇州天文図」がある! 古天文学愛好者なら誰でも知っているとおり、東アジア最古の本格的天文図とされてきたものだ(キトラ古墳発見前までは、かな?)。しかし、管理人付きの特別室で厳しく管理されており、撮影禁止なのが残念。

蘇州天文図 (これは蘇州博物館にある模刻)


 滄浪亭は、園内に入る前に、掘割に浮かぶ船のような外観を味わうのがいい。「蘇州文庫シリーズ」によれば、目指す宋犖の重修碑は碑廊の外に立っていると いうので、きょろきょろしていたら、石川さんが「あれがそうじゃない?」と見つけてくれた。野ざらしの巨大な石碑だった。全面をガラスで覆われているの で、写真が録りにくかったが、なんとか、”康煕三十五年”という年記を写真におさめて、任務を完了する。

 蘇州城の南の玄関である盤門を見学し、ローカルガイドのお嬢さんとお別れ。マオさんのガイドで、郊外の宝帯橋(唐代の石橋の遺址)を見学し、同里へ向かう。

■同里

 最近、江南の水郷古鎮は、注目の観光スポットらしい。小舟が行き交う掘割とか、苔むした石橋とか、水面にせり出すような白壁の家とか、蘇州・杭州などの 大都市では、失われてしまった景観が、周辺の小都市には、まだ現役で残っている。これを上手に保存・整備して、新しい観光資源にしようという動きが進んで いるのだ。

 同里はそうした水郷古鎮の1つである。町全体がアミューズメントパーク化しているので、古鎮の入口で入場料を払う。昼食のあと、手漕ぎ舟に乗って古鎮周 遊を楽しんだ。低い視線から見る風景はおもしろい。人々の生活している地面が意外と水面から高い位置にあることが分かる。一般車両は規制されているうえ に、坂や橋(太鼓橋)が多いので、バイクや自転車も少なく、静かである。「田舎はいいですねえ」と、上海っ子のマオさんがいちばん嬉しそうだった。

乗ったのはこんな舟
舟の上から


 同里の名園、退思園は、肩の力の抜けた味わいがよかった。また、街角で買った薄いパイ状の焼き菓子は、素朴な甘さと塩味が絶妙で、お土産として好評だった。

■杭州

 夕方、杭州に到着。ここも今や蘇州以上の大都会である。夕食後、西湖の湖畔を散策。たくさんの人が夕涼みに集まっている。周辺には瀟洒なカフェやレストランが立ち並ぶ。私はスターバックスで「杭州」ブランドのマグを購入。

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【6日目】蘇州

2004-08-24 23:26:26 | ■中国・台湾旅行

■双塔、玄妙観

 蘇州のローカルガイドさんは(名前を失念)地元っ子の若い女性。朝いちばん、双塔から観光を開始する。「ここには日本人はほとんど来ません」というとおり、静かでのんびりした空間だった。

 一転、玄妙観(道教のお寺)は、浅草みたいに、にぎやかな観光名所である。おみくじが引けるらしいので、やりかたを教えてもらって試みる。ラーメン屋の 箸立てのように、竹串をぎっしり挿した丸筒を斜め45度前方に傾け、(本当は目を閉じて願い事に集中しながら)上手に振って、1本だけ床に落とさなければならないのだが、これがなかなか難しい。結局、10本余りをぶちまけてしまったが、そばで見ていたお坊さんが「これが最初に落ちた」と拾ってくれた。

 その籤は「上上」。「我本天仙雷雨師/吉凶禍福我先知/至誠祷祝皆霊応/抽得終籤百事宜」という、怖いものなしのご神託であった。「我は本(もと)天仙 雷雨師」ってカッコいいけど、天蓬元帥の別名を持つ西遊記の猪八戒(酒に酔って失敗したため、天界を追放される)みたい...と思って苦笑した。

■拙政園、蘇州博物館、北寺塔

 江南の名園めぐりは拙政園(せっせいえん)から。大規模に水を引き入れて、美しい景観を作っている。元来、蘇州は堀割と橋で構成された水の都だったが、埋め立ての進んだ現在、城内にその面影はほとんどない。こうした庭園の内部だけが、かつての名残を留めている。

 見学ルートの橋のたもとに、楕円形のタライ舟が浮かんでいた。タライには小柄なおばさんが乗っており、足元に、蓮の花びらが落ちたあとの漏斗形の芯が積まれている。園内の蓮池で摘み取ってきたのだろうか。芯の部分に詰まった種を(ヒマワリの種のように)もぎとって食べるのである。菅野さんが1つ買ってみて試食。中国に来ると、いろいろとめずらしいものが食べられる。



 小さな蘇州博物館(太平天国関係の遺物多し)を見学し、北寺塔に上る。

■寒山寺、留園、虎丘

 昼食後は寒山寺に向かう。ここは「月落ち烏啼いて霜天に満つ」という、古来、日本人が大好きな「楓橋夜泊」の漢詩で有名だが、出発前に大木先生から「日本人はねえ、寒山寺の門前にある新しい橋を楓橋だと思って写真撮ってるけど、あれは違うからね。本物の楓橋は少し先にあるから間違えないように」とクギをさされてきた。

 ローカルガイドさんに聞いてみると、確かに楓橋はあるが別料金だという。せっかくなので追加料金を支払って見学する。しかし大木先生の話では、本物の楓橋は「忘れられた古い橋」みたいだったのに、近年、改築整備して、観光エリアに組み込まれた様子で、ちょっと興覚め。

 寒山寺はまた、寒山拾得という2人の禅僧(森鴎外の小説では汚い小坊主)が住んでいたことでも有名である。このコンビ(もちろん2人とも男性だが)、中国では和合の象徴として結婚式に絵を飾ったりらしい。以後、いつも一緒の石川さんと池浦さんを「うちの寒山拾得」と呼ぶことにする。

寒山拾得の図 同じく。


 ときどきパラつく小雨に悩まされながら、2つ目の庭園、留園と、虎丘塔(ピサの斜塔みたいに傾いて立つ)を見学。

■夕食

 夕食は、この夏、蘇州で開催された「世界遺産国際会議」のために造られたというレストランへ。蘇州市政府は、この国際会議のために、広大な展示場やレストランを建てたが、あとの経営のことは、あまり考えていないらしい(どこの国も同じ)。

 料理の注文を仕切るマオさんと接客係の女の子の会話を聞いているとおかしかった。女の子は、我々の注文する品数が少ないことを不審がる。マオさんは「彼らは日本人だからそんなに食べないの」と説明するのだが、納得しない。そのうえ、飲みものについて、我々が、日本でも飲めるバトワイザーやチンタオを嫌って「地元ビール」に執着することも、理解不能の様子だった(啤酒就是啤酒!=だって、ビールはビールでしょう!=ごもっとも)。

■網師園(もうしえん)の夜間ツアー

 なんだかんだで夕食から戻るのが遅くなってしまい、気があせる。今夜は、ホテルのそばの網師園(蘇州四大名園の1つ、大木先生いわく「こじんまりした穴場」)の夜間ツアーに行ってみようと思っていたのだ。園内の回廊をコースに従って進むと、伝統楽器の演奏や戯曲のさわりを楽しむことができる。要所要所に 点された、わずかな明かりが、庭園を包む闇の深さと豊かさを引き立てているように感じた。ただし、入園したのが遅かったため、演目を全て見ることができ ず、早々に追い出されてしまったのは残念だった。


 明日は、忘れてならない「宿題付き」の滄浪亭に行くので、帰りみちの本屋さんで関連書籍を探してみる。「滄浪亭」というキーワードを告げると、さっと在庫検索して「2種類ある」と教えてくれた。パソコンを操作するのは高校生みたいな若い女の子で、中国の新世代という感じ。結局、「蘇州文庫系列」の「滄浪亭」を購入した。薄い文庫本みたいなシリーズだが、1つの名所に1冊なので、素人には十分読み応えがある。蘇州の1人歩きに、おすすめしたい。

 ホテルに戻ってくつろいでいると、しばらく考え込んでいた菅野さんが「私、やっぱり売店に行ってくるわ」と決意の表情を上げる。ホテルの売店に売っているシルクのパジャマを買おうかどうしようか迷っていたらしい(蘇州はシルクの名産地)。自分の分とお嬢さんへのお土産の3着で1万円に負けさせるため、「1万円しか持っていかないわ」と財布を置いて出ていく。なかなか戻ってこないので、これは成功したかな、と思っていると、ノックの音。ドアを開けると、 店員さんを従えた菅野さんが「付け馬になっちゃったわよ~」と苦笑いしている。どうしても1着4,000円以下には負けてもらえず、足りない分を取りにきたのだそうだ。

 それでも最初の価格から3分の2くらいまで落としたはずなので、「日本で買うよりは、かなり安いんですよね」と聞くと「さあ?わかんない」で大笑い。

【2019/5/4 geocitiesより移行】

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