見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

2024年6月パレスチナ・デー@東京ジャーミー

2024-06-08 19:48:10 | 日常生活

代々木上原のモスク「東京ジャーミー」で開催された「パレスチナ・デー」に行ってきた。昨年12月に初めて参加して、珍しいパンやお菓子をGETできたので、またやらないかな~と思ってチェックしてみたら、今日6月8日(土)開催と分かったので、さっそく行ってきた。

前回は行ったのが遅い時間で、売りものがあらかた捌けていて残念だったので、今回はお昼前に到着した。1階のバザーで食べものばかり購入。下段の大きなチーズパン(バジル入り)は、家に帰ってから今日のお昼にしたが、食べ応えがあった。上段左の肉まんを売っていたのはマレーシアの女性たちだったかな。

ロビーではパレスチナに関する簡単な解説ツアーをやっていて、若者がたくさん耳を傾けていてよかった。

前回は1階を見ただけで帰ってしまったのだが、あとで2階のベランダにもお店が出ていたと聞いたので、勇気を出して上がってみる。

そうしたら、その場で食べられる軽食のお店がたくさん出ていて楽しかった~。売り子のおじさん、おばさんたちはみんなフレンドリー。オレンジジュースブレンドのラッシーをいただく。

次回は友だちを誘って来よう!

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2024洗濯機買い替え

2024-01-16 21:22:56 | 日常生活

 年末から挙動が不安定だった洗濯機が、とうとう年明けに壊れてしまった。いつまで待っても脱水が完了せず、蓋のロックが外れなかったので、最後は蓋を壊して中の洗濯物を取り出した。日立のNW-500MXという機種で、ネットで調べたら、2012年1月発売だという。そうだとすると、2013年4月に札幌に転任したのを機に購入したのではないかと思う。

 札幌の宿舎では、風呂場の蛇口から給水するしか設置場所がなくて、風呂場のドアが閉められない状態で2年間暮らした。つくばの宿舎は、洗濯機専用の給水口があったが、設置場所が室内だったので、振動音に悩まされた。今の住まいは、設置場所がベランダで、雨風に晒されっぱなしだったので、寿命を縮めてしまったかもしれない。

壊れた洗濯機がリサイクル回収で搬出されていくのを、なんだか寂しい気持ちで見送った。

 

 買い替え品は、同じ日立の後継機種にした。運転音が静かなのにびっくり。家電の進化を実感した。それでも私は、同じものをできるだけ長く使いたい性格なのである。

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2024初詣・深川七福神巡り

2024-01-01 20:46:36 | 日常生活

明けましておめでとうございます。去年の正月は喪中だったので、2年ぶりに新年の賀詞を唱えてみる。

今年は、毎日なるべく歩こうと決めたので、元旦から深川七福神巡りに出かけた。門前仲町の住人になって2回目のお正月、2019年にも一度巡っている。当時は生活圏が極端に狭かったので、清澄白河も森下もよく分からなかったが、今はすっかり地元感覚である。

2019年と同じ、深川不動堂~恵比須神(富岡八幡宮)~弁財天(冬木弁天堂)~福禄寿(心行寺)~大黒天(円珠院)~毘沙門天(龍光院)~布袋尊(深川稲荷神社)~寿老人(深川神明宮)というコースで回った。2019年の記事を読んでみたら、冬木弁天堂では「小さなお厨子の中に、木目込み人形のようにきれいな錦の着物を着た、かわいい弁天様」と書いているが、今年はそのほかに、大きくて美麗な弁財天坐像(琵琶を抱えていたような気がする)が安置されていたのが印象に残っている。龍光院では「本尊は阿弥陀三尊で、その右隣に立派な木造の毘沙門天立像」と書いているが、今年は毘沙門天立像が、本尊の前に押し出されていた。

あと、最近流行りの「花手水」で目を楽しませてくれたのは、まず福禄寿の心行寺。

こちらは寿老人の深川神明宮。深川神明宮には「今年は6年ぶりの本祭」というバナーが出ていた。2024年8月16日~18日に例大祭(本祭り)が行われるとのこと。私の母の実家は森下にあって、子供の頃、夏休みに泊まりにいくと盛大なお祭りに遭遇することがあったのは、このお祭りかもしれない。

七福神巡りの道案内はこのオレンジの旗。

新年の願いは健康と平和でした。

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2023東京ジャーミーから笹塚へ歳末散歩

2023-12-24 22:43:45 | 日常生活

今夜はクリスマスイブ。机の上には去年、ロフトで買った安物のツリー。アラブ・トルコのお菓子をデザートにいただく。

昨日、代々木上原のモスク(東京ジャーミー)の「パレスチナ・デー」と題したイベントに行って買ってきたもの。訪ねたのが午後の遅い時間だったので、すでに品薄だった。機会があったら、次はもっと早い時間に行こう。スイカのブローチ(木製)も買った。スイカがパレスチナへの連帯のシンボルとして使われていることは知らなかったけど、その色彩(赤、緑、黒、白)を見たら、すぐに分かった。

この日は、代々木上原から笹塚までぶらぶら歩いてみた。私はこの近辺に10年くらい住んでいたことがあるのだが、職場と自宅を往復するだけの日々で、通勤経路を外れた街歩きを楽しむこともなかったなあ、と振り返る。

笹塚では、以前にも一度来たことのあるお店「西安ビャンビャン麺」でヨウポービャンビャン麺をいただく。ここは安くて美味しくて好き。欲をいうと、パクチーがもう少し欲しい。

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2023夏から秋へ

2023-10-03 20:30:24 | 日常生活

長かった猛暑の夏がようやく終わろうとしている。

これは9月の終わりに食べた、いつもの深川伊勢屋の氷いちごソフト。

これは10月の初めのキバナコスモス。通勤路の横断歩道の脇に咲いている。もう6年目の通勤路なのだが、以前からあったかしら? 最近、誰かが種を蒔いたのかもしれない。

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2023扇風機買い替え

2023-07-08 22:13:32 | 日常生活

 家電製品は、壊れるまで使う習慣なのだが、扇風機を壊してしまった。稼働させた状態で場所を動かそうとしたら、ガードの隙間に椅子のレバーが挟まって羽根が欠けてしまった。欠けたのはわずかだが、羽根のバランスが崩れてしまったので、スイッチを入れると、ガタガタ不穏な音がする。これは駄目だなと観念して、翌日、近所のホームセンターで、安い「お座敷扇風機」を買ってきた。

 右が新しい機種で、重量が格段に軽いことにびっくりした。かつて実家から貰ってきた古い扇風機を、左の扇風機に買い換えたときも、ずいぶん小型軽量化したと思ったのに。

 左の壊れた扇風機は、表示を見たら「2010年製」だった。そうか、埼玉から東京に戻ってきた頃に購入し、そのあと、札幌→つくば→東京と使ってきたのだった。これからホームセンターに持っていって処分してもらうのだが、記念に写真を残しておく。お世話になりました。

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中国土産のロバとウサギ

2023-01-23 21:17:04 | 日常生活

 昨年11月に母が亡くなったので、年末年始は弟と二人で遺品を整理していた。物持ちな人で、食器やお茶の道具など、趣味の品がたくさん残された。基本的にはどんどん捨ててしまうつもりだが、目について拾ってきたものいくつか。

 この布製のロバとウサギは、私が中国旅行のお土産に母に買ってきたものである。ウサギの腹には母が細いマジックで「平成10年9月 敦煌」と書き留めていた。翌年の平成11年(1999)の干支が卯だったので、ウサギを買ってきたのだと思う。それから干支が二回りしてしまった。

 ロバは別の地方に行ったときに買ったと思うが、よく覚えていない。今後は私の身近に置いておく予定。

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葬儀私記(その2-2)

2022-11-20 13:50:00 | 日常生活

※葬儀私記(その2-1)の続き。

 11/18(金)弟が世田谷北部病院から介護タクシーで母を連れてくるのを、私は久我山の介護施設で待った。到着してベッドに寝かされた母は、目も開かず、呼びかけてもほとんど反応を示さなかった。けれどもスタッフの皆さんが、クッションや毛布で体勢を整えてくれたり、足の爪を切ってくれたり、気を遣ってくれるのが嬉しかった。訪問医の往診を受け、入居契約の書類を作成するなどして長い1日が終わった。

 11/19(土)は弟と二人で武蔵境の施設に行き、借りていた居室の片付けを終わらせた。スタッフの皆さんの寄せ書き色紙をいだだけて感激した。無人になった部屋の写真を載せておく。父を看取った部屋でもある。

 それから久我山の施設を訪ね、加湿器とひざ掛けまたは毛布があるとよい、と聞いたので、ホームセンターで購入して設置した。

 11/20(日)弟は昼前に母の様子を見に行ったらしい。私は出光美術館で少し息抜きをして、午後から行こうと思っていた。美術館を出て有楽町の駅前あたりを歩いていると、久我山の施設から電話が入って「会いにきたほうがいい」とのこと。弟に連絡をして、久我山へ向かう。

 私が施設に到着したのは13:00過ぎだったと思う。弟はすでに来ていた。母は目を閉じていて、乾燥防止のためマスクをした口元が規則的に動いていた。もっとも酸素ボンベを装着しているので、実際の呼吸は鼻で行われていたはずだ。私が到着したので、弟は食事に出かけていった。まもなく看護師さんが部屋に入って来て、母の痰の吸引をしてくれた。「もう私では心拍数が取れないので…お昼間のうちですかね、夜ですかね」みたいなことを淡々とおっしゃってくれたので、こちらも覚悟ができた。看護師さんが出ていったあと、スマホのYoutubeで童謡を流しながら見守っていたが、痰のからんだ呼吸を続けていた母が、ふつっと静かになったのは13:50頃だった。父の経験があったので、あまり慌てず、ナースコールでスタッフを呼んだ。看護師さんが様子を確認し、「お医者さんを呼びますのでこのままで」と言ってくれた。

 やがて弟が戻ってきたが、父のときも看取りの瞬間に居合わせなかった間の悪い弟なので苦笑してしまった。医師に死亡を確認してもらい、施設に紹介してもらった葬儀屋さんと今後のことを打ち合わせた。父のときは、施設のスタッフの方々が清拭・着替えをさせたあと、葬儀屋さんが管理する安置所に運ばれてしまったが、今回は「エンゼルケア」担当の方々が施設にやってきて、短時間で見違えるようにきれいに整えてくれた。そして、施設のベッドに寝かせたまま一晩置くというので、私と弟は帰宅した。

 翌11/21(月)は納棺の儀のため13:00に施設に集合した。私と弟の二人だけの予定だったが、前日、母の実家に連絡したところ、母のお兄さんから立会いたいという申し出があり、息子夫婦と三人で来てくれた。母の姉(故人)の娘さんも来てくれて、にぎやかなひとときになった。母の遺体は白い布にくるむようにして持ち上げられ、棺に納められた。棺は、マットレスを取り払ったベッドの上に安置された。

 11/23(水)は祭日。小雨の降る寒い日だった。14:10に施設に集合と言われていたが、早めに行って、棺に追加で入れたいものを見つくろう。9月以降に購入して着てもらえなかったブラウスとセーター、履きなれた靴、ひざかけ、文庫本(山本周五郎)、深川伊勢屋の和菓子も入れた。茶道用の扇子をそっと入れようとしたら、葬儀屋さんが、開いて胸の上に置いてくれたので、なんだかずいぶん華やかになった。切り花をたっぷり入れ、施設のスタッフの方々も花束を入れて手を合わせてくれた。そして同じ区内の堀ノ内斎場へ向かう。

 斎場は15:30の予約だったが少し早く着いた。出棺前にゆっくりお別れをしてきたので、斎場でのお別れは簡素だった。焼き上がったお骨を骨壺に収め、入れ歯とペンダント時計と指輪(瑪瑙か?)を一緒に収めた。雨の中、弟の車で久我山の実家に骨壺を持ち帰り、葬儀は終わった。

 そして本日11/27(日)久我山の介護施設の部屋を片付けて退去手続きを済ませてきた。生前に3日、永眠して3日しかお世話になれなかった部屋だが、記念に写真を残しておく。

 まだやることはいろいろあるが、ひとまずここまで。

2022/11/27記。

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葬儀私記(その2ー1)

2022-11-18 17:00:00 | 日常生活

 2022年11月20日に90歳の母が永眠した。父の例に倣って、その前後のことを書き留めておく。

 父と母は2017年5月から武蔵境にある老人ホームで暮らしていたが、2022年2月に父が息を引き取った。以後、私は毎週末、1人暮らしになった母を見舞うようにしたが、新型コロナの影響で、面会室で15分くらいしか話すことができなかった。居室に入れるようになったのは6月半ば頃だったと思う。

 母は噛む力の衰えが目立ち、誤嚥性肺炎で発熱を繰り返すようになった。施設から、6月には刻み食、8月半ばには流動食に切り替える提案を受け、了承した。8/19(水)には肺炎治療のため武蔵野徳州会病院に入院した。この2年くらい、体調は低め安定で入院はなかったので、久しぶりの入院だった。

 9/2(金)退院の日、私は仕事を休み、施設で母を出迎えた。すでに発話が曖昧になっていたが、「病院の食事はどうだった?」と聞くと嫌がる表情をしたり、「新しいブラウスを買ってあげようか?何色がいいかな?ピンク?」と聞くとうなずいたり、コミュニケーションは取れた。次の週末は、施設のスタッフにコロナ陽性者が発生したため、面会受入れが中止になってしまった。私は新しい下着と差入れの果物ゼリー(いちじく味など)を施設に預けてきた。

 9/13(火)深夜、母が再び肺炎のため世田谷北部病院へ入院したことを、私は翌朝、弟からのメールを見て気づいた。9/17(土)には弟と二人で武蔵境の施設を訪ね、掛かりつけ医の話を聞いて、今後のことを考える必要を実感した。とはいえ、この時期、入院先の病院からは「経過良好」「まもなく退院可能」という報告が来ていたので、まだ先の話だと思っていた。

 9/24(土)武蔵境の施設の相談員の方から、退院にあわせた転居を勧められる。はじめは戸惑ったが、確かに今後は24時間看護師のいる施設に移ったほうが安全かもしれない。10/2(日)に同系列の介護施設を見学し、弟の家に近い杉並区久我山の施設に転居を決めて、退院を待つことにした。

 ところが母の容態が悪化し、病院から「胃ろう」または「CVポート」の選択をしないと、介護施設での受入れは難しいだろうという言ってきた。10/15(土)武蔵境の施設で5年間、母を看てきた看護師さんに「どうも話がおかしい」と言ってもらい、「まずは病院を出て家族と会えるようにすることが大事なんじゃないか」という正しい助言をもらった。そこで弟から病院の医師に、家族は延命を望んでいないこと、看取りのために退院させてほしいことを伝えた。

 私は、原則禁止の面会を病院に頼み込んで、10/21(金)に15分だけ面会させてもらった。病室のベッドに横たわった母は、もはや目を開いていても私が見えているのか分からなかった。それでも帰り際に「また会いたいね」と髪を撫ぜると、うなずき、微笑んだように思った。

 その後、しばらく病院から音沙汰がなかったのは、渉外担当のソーシャルワーカーが新型コロナに罹患していたためと後に判明する。10/28(金)に久我山の施設のホーム長から、退院のためのアセスメントが11/4(金)に決まったという連絡をもらう。ところが11/5(土)になっても何も連絡がないので、武蔵境の相談員や久我山のホーム長に電話をしてみると、また母の容体悪化でアセスメントが延期になっていたことが判明。あまりに無責任な連絡体制に私はブチ切れていた。

 退院アセスメントは11/15(火)に再設定された。まさにその日の11:00過ぎ、私の携帯に弟から電話がかかってきた。オンライン会議中で出られなかったので、あとで留守電を聞くと、母の心拍数が弱っているので面会に来てもよいという連絡が病院からあったという。慌てて午後休を取って病院に駆けつけ、目を閉じて呼吸しているだけの母に15分ほど面会させてもらった。この状態では退院できないのではないかと思ったが、アセスメントはあっさり済んで、11/18(金)に退院と久我山の施設への転居が決まった。

 この経験を通じて学んだのは、病院は「肺炎」で入院した患者について、その症状の快癒には責任を持つが、それ以外の健康状態やQOL(生活の質)には関心を持たないらしいということだ。外部との交渉を断たれた状態での2ヵ月にわたる入院生活は、母の体力も生きる楽しみも奪ってしまったように思う。患者家族との連絡・交渉を受け持つソーシャルワーカーが、どう見ても経験不足の若い男子だったことも、運命だが残念でならない(適切な指導者がついてないのであれば、彼も可哀想だ)。ただ、病室で出会った看護スタッフの皆さんは、明るく親切で、ハードな仕事をテキパキこなしていたことは付け加えておく。

※葬儀私記(その2-2)に続く。

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はたらくふね(浚渫船)@江東区大横川

2022-10-21 20:20:36 | 日常生活

我が家の窓の外を流れているのは大横川。

先週末、ふと外を見たら、浚渫船が止まっていた。我が家の前を通り過ぎていくのは何度か見たことがあるが、止まった状態は初めて見た。

そして火曜~水曜に、少し場所を移動して、我が家の前で川底の土砂を掬い取る作業をしている様子を見ることができた。

札幌に暮らしていたとき、除雪車が珍しくて、作業の場に出会うたびに興奮していたことを思い出した。私たち人間の暮らしを守るため、働くくるまやふねは、いつもカッコいい。

あと、この船(たぶん)クレーンを作動するときに、機械音に混じって神楽の笛のような哀愁のある音を出すのだ。それがとても好き。

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